よっちゃんの独り言

日々の感想を独り言で発信しています

父を看取った

2014年06月29日 | 日記
8年8ヶ月に及ぶ闘病だった。

平成17年11月、脳梗塞に倒れたが懸命のリハビリで介添えは必要だったが一時は歩行もできた。

最期まで意識があり、見舞いの人に目で頷いていた。


思えば昭和18年、祖父の血判を就いた嘆願書で志願、満16歳で戦場にたった。

祖父は一人息子の父をどんな気持ちで送り出したのだろうか。

当時の日本の有り様がかいま見られる状況だ。

宮崎県、満州と戦地に赴いたが満州で終戦を迎え父は帰還した。


戦後、母と結婚、何もない時代に4人の子をもうけ農業の傍ら様々な仕事をし育て上げた。

苦労して苦労して、自分はともかく子供のためと働いてくれた父母。

その母は今から20年前、突然の交通事故で亡くなった。

父の悲しみはこの日から始まり、ストレスで胃ガンにもなった。

最愛の母を亡くした父のショックがわかるようだった。


父を支えるため、私の妹たちも「母の分まで」と思うように懸命の看病をした。

休みもなく働きづくめだった父もこの8年あまりは、毎日のように病院や施設に通う子供達に囲まれ辛いながらも穏やかな日を過ごした。

5月22日、最期の入院となった。

6月に入り、医師から余命1週間と告げられ、連日病院通いをした。

そのためか1週間が3週間となり、6月24日、87歳で生涯を閉じた。

いい父親だった。

納棺師に頼み、安らかな笑顔をつくってもらった、顔にはほお紅がつけられ生前そのままの顔だった。

6月27日、荼毘に付された、合掌。






たまねぎとニンニク収穫!

2014年06月14日 | 日記
続いた雨のため収穫が遅れていた「たまねぎ」と「ニンニク」を収穫した。




タマネギは普通サイズと比べると3倍ほどの大きさになっていた。

果たして味は?と、早速食べてみるが、柔らかくて美味しい。

秋に小さなタマネギの球根を植えた。

種子からの植え付けと違い、マルチを架けたこともあり成長が早かったらしい。

早速子供達に持たせたり、近所に差し上げた。


ニンニクは、昨年収穫し残ったものを種として植え付けたためか球根の成長がイマイチだ。




それでも自家用で食するには十分すぎる大きさでいろいろな料理に使える。


ジャガイモの収穫を急がねばならないが、先ほどから強い雨となった。

からっとした晴天の日に収穫したい。

吉田有希ちゃん事件

2014年06月09日 | 日記
いつになく騒々しい日だった。

午前中から我が家の上空をへりが行ったり来たり。

昼のニュースで解った。

吉田有希ちゃん事件の犯人を連行して遺棄現場での現場検証が行われたと。


悲惨な事件だった。

遺棄現場は我が家から約5kmほど。

事件発生時は何度も刑事の訪問を受けた。

現場に「茨城県警がんばれ、栃木県警がんばれ」の書き込みがある。

時々近くを通るたび事件を思い起こした。

迷宮入りを思わせたが、懸命の捜査が実を結んだ。

多くの地域で「子供見守り隊」が出来、通学路に目を向けるようになった。

子供の安全はどんなことをしても守らねばならない。


水戸八景

2014年06月06日 | 日記
自然と歴史講座で「水戸八景」を見学した。

「水戸八景」とは「烈公」で有名な水戸藩第9代藩主徳川斉昭が天保年間に水戸領内の景勝の地8カ所を選定し、藩ない子弟の風月観賞と八景めぐりによる心身鍛練とを企図して石碑を建てたものだ。

「八景」は中国の北宋時代(979~1127)に文人画家宋迪(そうてき)の撰した「瀟しょう」(しょうしょう)八景やこれを模して作られたと言われている室町時代(1500)関白近江政家の「近江八景」がモデルと言われている。
この3カ所の八景にはいずれも「・・・の暮雪」「・・・の夜雨」「・・・の晴嵐」「・・・の帰帆」「・・・の晩鐘」「・・・の落雁」「・・・の夕照」「・・・の秋月」となっている。

今回は、「太田の落雁」、「山寺の晩鐘」、「村松の晴嵐」、「青柳の夜雨」の4カ所を訪ねた。


太田の落雁だ。



自然石に彫り込まれた碑文が歴史を感じる


今は思いをはせるほかない。


山寺の晩鐘だ。






今は近くに茨城県の西山研修所があり、多くの小学生の合宿で賑わっている。

碑の向く方向に視界はない。


村松の晴嵐だ、村松虚空蔵尊の裏手、三重の塔の裏側にある。






青柳の夜雨(よるのあめ)だ、水戸市青柳町にあり近くをバイパスが通っている。






次回は残り4カ所を巡る予定だ。