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「JMM」の中間決算

 村上龍さんが主宰する経済・社会系のメールマガジン「JMM」(Japan Mail Media)には、10年以上にわたってほぼ毎週寄稿していたが、今年に入ってから、執筆回数が減った。もったいないことに、TwitterやFacebookで、「山崎さんのJMMへの寄稿を楽しみにしています」というメッセージをしばしば頂くので、「JMM」について、簡単に触れてみたい。
 「JMM」に参加した切っ掛けは、「JMM」のスタート時に、林康史さん(現・立正大学教授)に紹介していただいたことだ。当時の「JMM」は対談編と村上編集長に寄稿家が答えるQ&A編の二つを中心として構成されていて、幸運にも、私は両方に参加することが出来た。
 「JMM」で特徴的だったと思うのは、「論争に決着を付ける」のではなく、「問題を提示する」ことを目的として多様な意見を吸収・発信する点だったように思う。これは、時に物足りないこともあったが、振り返ってみると、議論の無用な加熱を回避する賢い方針だった。
 私は、村上編集長の経済に関する質問に対して、「ともかく毎週答える」ことを方針として、10年以上、ほぼ皆勤で回答を書いてきた。毎週回答を書いてきたことで、多少の信用(?)にもなったと思うし、私が書いた回答を見てやって来た仕事も少なくない。これは、気のせいかも知れないが「JMM」に書き続けている人々の多くが、それなりに「世に出ている」ような気がする。村上さんの人徳だったのかも知れないが、縁起のいい媒体だ(→若者よ、「JMM」に寄稿してみませんか!)。
 回答は、その時々に自分の意見の表明としてマジメに書いてきた積もりだが、他方で、経済に関わる文章を書く練習の場だとも思っていた。村上龍さんに読まれるということだと、それなりの緊張感が伴うし、編集長は(寄稿文は全て丁寧に読まれているようだ)ときたま「書き方」について指導してくれた(何と豪華な、作文通信添削か!)。村上さんから貰った幾つかのアドバイスは、私の個人的な財産だ。
 毎週必ず回答書く方針を修正する切っ掛けは、第一に忙しくて手が回らなかったからだ。今年NHK出版から出して貰った「お金の教室」という本の仕上げの頃にいよいよ手が回らなくなったので、「毎週」を諦めることにした。考えてみると、「JMM」参加の頃と異なり、「ダイヤモンド・オンライン」(毎週)や「現代ビジネス」(隔週)など、時々の経済・社会をテーマとした原稿の執筆もある。残念ではあったが、いざ「皆勤」の縛りを解いてみると、それでホッとしたのも事実だ(つくづく私は凡人である)。だが、「お金の教室」を手に取ると、今でも少し複雑な気分になる。
 もう一つの理由としては、「JMM」で自分が書いている回答が、過去と似た内容を何度も書いていることに気付いたことだ。
 その時々の話題に寄り添ったテーマで発問されるウィークリー・メルマガの性質上、広義の「構造改革」、「財政赤字」、「デフレ」、「マーケット」、「景気」などが繰り返し登場するが、これらに対する基本的な“考え方”はそう簡単に変わるものではない。
 唯一以前と変わったのは、「デフレ」について、以前は、その弊害は認めつつも、デフレ対策の弊害の方が大きい、と思っていたものを、メリットよりも弊害の方が小さいデフレ対策は十分存在しデフレ対策の実行が重要だ、と宗旨替えしたのが変化であるが、それ以外の問題については、基本的な考え方に大きな変化はない。
 市場は不完全であるが、利益団体化した官僚が主導する設計主義的な社会運営よりも、自発的で自由な取引を重んじる方がずっとましだ、というのが私の基本的な立場だ。基本的なミクロ経済の教科書の内容を認めるなら、大体において深刻な論争の対象になるようなことは言ってこなかった積もりだ。
 もっとも、「毎週」を止めたとはいっても、「JMM」への回答執筆自体をすっかり止めようと考えている訳ではない。面白い回答が書けそうに思えるテーマで、原稿を書く時間があれば、「私もここにいるよ」と出しゃばって行きたい。
 レギュラー選手から、代打の選手になったような感じなのはガッカリだが、まだ「消える老兵」になる積もりはない。とはいえ、「JMM」の回答編には、もう少し若い活きのいい寄稿者が欲しい感じはある。我こそは、と思う方は、編集部へのメールの形で回答を書き送ってみて欲しい。読者からの回答が掲載・配信されることもあるし、何度か回答を送るうちに常連回答者に仲間入りすることもあるはずだ(過去に何人もいる)。
 以上、「JMM」の中間決算の脚注だ。「JMM」も「山崎元」もまだまだ続くはずだ。私は「JMM育ち」だ。
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