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「群れない社会主義者」森永卓郎先輩のこと

 森永卓郎氏のブログが久しぶりに更新された。おそらく彼のテレビでの発言が問題となって、コメント欄がいわゆる「炎上」状態となって3ヶ月くらい更新が止まっていたが、最近になって静岡県のヤキソバ(おかべ焼きそば。玉露入り)の写真がUPされた。直接見聞きしていないことでもあり、氏のテレビでの発言については、ここでは論じない(この件に関連するコメントはご遠慮下さい)。

 森永氏は私の一歳年上だ。同じ大学の同じ学部を卒業しているし、長らくUFJ総研に在職されていたので、世間的には「先輩」ということになる。
 UFJ総研では、同時期に4年半過ごしていたわけだが、会社でお会いしたのは、ほんの数回だった。エレベーターの扉が開いて、まるで紙袋を下げたたトトロのように森永氏が現れたことが二、三度あって、これが印象に残っている。テレビで見る印象よりもさらに小柄で丸かった。
 「証券会社の社員ではない経済のコメンテーター」という括りになるためか(もっとも森永さんは日経センターに出向経験がある日本の民間エコノミストとしては正統派の経歴の持ち主だ)、同じテーマで、森永氏と私が共に取材されることが多かった。「今、森永さんに会ってきました」「次は、森永さんのところに行きます」と記者が言うことが再々あった。向こうも、こちらも、彼らを通じてお互いの近況を把握していた。

 手元に「モテなくても人生は愉しい」(森永卓郎著、PHP研究所刊)という無理気味のタイトルのご著書がある。氏は人一倍「モテたい!」人なのではないかと私は推測しているので、このタイトルは信用していない。
 女性は平凡よりも「他人とちがう」対象を好むことが多い(ような気がする)。従って、多数からはモテていないかも知れないが、森永氏を好む女性が確実に一定割合居ると推測する。つまり、森永先輩は十分モテているのではないだろうか。
 しかし、数年前にお聞きした話によると「ニュース・ステーション」(当時)のスタッフから「女性と飲みに行ってはいけません。二人きりで出かけるなんて、もっての外ですよ」と注意されていたという。氏は恋愛の研究がライフワークなのだそうで、「困っている」と仰っていた。そのせいか、初めてお目に掛かってから十年近くになるが、森永氏に関して浮いた噂を聞いたことがない。実のところは、どうなのだろうか。

 森永氏は、いわゆる「オタク」としても有名だ。私はオタクの道については詳しくないが、さる人から、オタクとしての森永氏は「事柄」よりも「モノの所有」にウェイトが偏っているのが特徴だとお聞きしたことがある。実際、彼のモノのコレクターぶりは並はずれている。二、三年前に、秋葉原にビルを買って、コレクションを展示する場所(博物館?)を作りたい、と仰っていたが、その後も忙しく働いて(稼いで)おられるようだし、不動産価格が下落しているので、これは、そろそろ実現するのかもしれない。

 森永先輩は、経済政策的には一貫して大きな政府・大きな福祉を指向されている(政治的には戦争反対の「ハト派」だ)。近時の不景気の前から、財政・金融共に拡張論者だ。小泉首相時代に流行った「構造改革」に対しては大いに批判的だった。彼と話していると、竹中平蔵さん、木村剛さん辺りが仮想論敵になることが多い。
 ある時「官僚の狡さや、政府が関わる仕事の非効率性は気にならないのですか?」とお訊きしたことがあるのだが、「うーん、それもそうなんだけど、大企業やお金持ちからもっとお金を取って、貧乏人のために使うことが大事だ」というような答えが返って来たように記憶している。自由な競争や市場原理に対しては大いに懐疑的だ。
 私も対談の際に「ヤマザキさんは、金持ちの味方だから」と攻撃されたことがあるし、いつぞや森永氏が雑誌に載せた「エコノミスト・マップ」のようなもので、彼が敵意を隠さない木村剛氏と同じ場所に分類されたことがあるのだが、その割には、嫌われずに済んでいるようだ。ある雑誌の取材(たぶん座談会)の席で、森永氏が「僕はIT長者に何人も会ったが、彼らは一様に落ち着かない風情で幸せそうに見えなかった。一方、ヤマザキさんは、あんまり稼いでいないけれども、好きなことを言い放題言って暮らしていて、ずっと幸せそうだ」と褒められた(?)ことがある。
 IT長者達が不幸せに見えたというのは、森永氏流の「思い込み」のような気がしなくもないが、「幸せそうだ」と言われたのは嬉しかった。
 多少無理気味でも「そうだ!」と思ったことは「思い込んでみる」、というのが彼の発想法の一つであるように思う。この方法論でユニークな意見を作っている一方、これが氏の失言(とされるような発言)の原因にもなることがあるようにも思う。

 これも数年前の話だが、ある時「僕は、社会主義者だと言われても構いませんよ」と仰っていた。ご発言を聞いていると、確かに、社会主義者なのかも知れないと思うことがある。しかし、森永氏が特異なのは、(自称)社会主義者なのに、「群れ」を作ろうとしないことだ。「群れない社会主義者」というのは珍しい。これは氏の誇るに足る特長だと思う。

 しかし、前掲の「モテなくても人生は愉しい」を読んでも分かるが、UFJ総研では、働かない役員・社員にはきわめて不寛容で、かなり純粋な成果主義的な会社運営を主張されていたようだ。ビジネス・ユニット毎にテーマを選び、それぞれに顧客獲得の営業を行い、稼ぎに応じて報酬を支払う、という森永氏らが作った当時のUFJ総研の仕組みが極めて資本主義的だったのはちょっと面白い。

 森永氏は、UFJ総研時代からずっとハードワーカーだ。ご本人の言によると、何年間も殆ど休みを取っていないらしい。そして、過労のためか、顔色が悪いことが多かった。
「健康診断で医者に『この調子で働いていたら、5年後の命は保証出来ない』と言われたんだよ。でも、それ、10年前のことなんだけど」というのが、氏の健康に関する定番のジョークだ。
 はじめてこの話を聞いてから、さらに5年以上経過している。相変わらずお忙しそうだが、健康に気を付けて、大いに活躍し続けて欲しい。
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効率的大関、千代大海に感嘆する

 先日終わった5月場所で、カド番を迎えていた大関千代大海が千秋楽に勝ち越しを決めた。大関在位60場所は新記録の更新であり、無事に出場できれば、62場所まで伸ばすことが可能だ。記録として見事であり、ご本人を前にすれば、先ずは「「おめでとうございます」と言うべきところだろう。
 千代大海の凄さは単なる在位期間の長さを超えている。相撲で白星を獲得する真面目な力を借りに「相撲力」とでも名付けると、彼は自らの相撲力資源を並外れて高い効率性で活用しているように見える。

 千代大海の大関在位場所の記録をグラフにして眺めてみた。赤線は各場所の勝ち星、ピンクの線は当該場所を含む過去3場所の合計勝ち星、そして青線は当該場所を含む過去1年間の勝率だ。

 勝ち星の推移を見ると、勝ったり・負けたりを8勝ライン近辺で繰り返していることが分かる。大関は2場所連続で負け越さないと陥落しないので、勝ち星を固めることが出来れば、2場所で8勝でも維持できる訳だが(勝ち星を1場所に固める)、このメリットを大いに活かしている。関脇の場合、負け越して地位が下がると、1場所の勝ち越しではなかなか関脇に戻れない場合が多いように思う。この点大関は有利だし、千代大海はこの制度を賢く活かしている。魁皇も相当だが、現時点では、千代大海には僅かに及ばないように思える。大関の効率的維持術にあって、2人は良きライバルであり、歴史的にも傑出している。
 俗に言う「大関互助会」というような関係(広義の八百長の範疇だ)と事実があるのかどうか、私には確たることが分からないが、二場所連続負け越しでやっと大関陥落という制度があり、複数の大関がいる場合、相互に星の融通をすることで、お互いにある程度の保険を掛けることが可能だという意味で、「大関互助会」(大関どうしの星の融通あるいは「手心」を加えた相撲)は、その存在を正当化するインセンティブがある。

 大関に求められる成績の期待値は、ズバリ言って11勝だろう。大関昇進の分かれ目になるのは、多くの場合、過去3場所で33勝だ。千代大海は、60場所の大関在位にあって、過去3場所の勝ち星が33勝に達していた場所は3場所しかない。もちろん、既に大関なのだから、彼が、3場所33勝にこだわる理由はない。千代大海は合理的な現代っ子なのだ。結婚には至らなかったが、タレントの川村ひかるさんという女性の好みもいかにも現代っ子的だった(悪くないし、彼らしい)。

 ところで、成績の奮わない大関を揶揄する表現として、古くから「クンロク大関」という言葉がある。毎場所9勝6敗程度で、優勝争いに絡まないし、かといって負け越すわけではないという存在感の薄い大関を指す。勝率にして6割である。
 千代大海の大関在位60場所の合計勝ち星は私の手入力と計算が間違っていなければ484勝だ。60場所を900取り組みと見ると、勝率は53.78%(小数第三位四捨五入)でこれは、1場所15日に換算すると8.06勝だ。千代大海は不運にも怪我の多い力士だったから、休場が多い。60場所の中から15日全休の4場所を除いた56場所の840日を分母とした勝率を計算してみると(注:8敗7休でゼロ勝の場所が1つある)勝率は57.62%になるが、これでも1場所15日換算では8.64勝に過ぎない。
 思うに、大関が負け越した場合、原則は陥落だが、過去1年(おまけして休場を除いた勝率でいい)の勝率が6割を超えていたら在位可能として、翌場所の負け越しで陥落という程度に、大関在位のハードルを上げる必要があるのではないだろうか。

 想像するに、千代大海さんご本人は率直でサッパリした「いい人」なのではないか。一緒にお酒など飲むと大変楽しかろうとも思う。しかし、大相撲が「手心」まして「八百長」などないスポーツだと思って楽しみたい(たとえ嘘でも、気分だけでも)向きには不都合な存在である。真剣勝負の積み重ねが生んだ偶然の芸術的とでもいうべき成績なのかも知れないが、彼の実績は、真剣勝負(だとしたら)のリアリティを失わせている。
 たぶん相撲キャリア的に既に晩年にさしかかっている彼にお願いできることは少ないが、出来たら、負けてもいいシチュエーションで負けるときに土俵際で力を緩めるのと、負けた時に簡単に笑う(苦笑いや照れ笑いも含めて)のは止めて欲しい(例えば、白鵬が横綱昇進を決めた時の千代大海との一番はいただけなかった)。力士としては運動神経も頭もいい彼なら、もっとそれらしくできるのではないか。
 それにしても、千代大海は空前の「効率的大関」である。願わくは、絶後でもあって欲しいが。
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GW映画、私の採点

 「レッドクリフⅡ」、「スラムドッグ・ミリオネア」、「グラントリノ」、「新宿インシデント」(観た順)の4映画作品について思うところを書く。いわゆるネタバレを気にせずに書くので、これらの映画をこれから見ようという方で、ネタバレを嫌う方は、以下の拙文を読まないで下さい。

 私は映画評論家ではない。従って、私がどうこう言ったからといって、映画の興行成績に影響するとは思えないのだが、公開中の映画については、ネガティブなコメントをするには覚悟がいるとの気持ちを多少は抱く。映画の関係者が、本の編集者のように世評を気にするのではないか、と実感を伴って、想像できるからだ。(同時に、そこまで意識するのは、自意識過剰だろう、とも思う)
 しかし、映画を観ると、それについて語りたくなるのも一方の事実なので、ゴールデン・ウィーク向けに公開された4本の映画について、感想と採点を書いてみたい。どうせブログなのだから、これくらいはいいのではないか。

 尚、最近、映画をなるべく観ておきたいという気分になっている。経済や市場関係のコメントを生業にしていると、どうしても、人間のストーリーに対する感性が退化するような気がする(気のせいかも知れませんが)。また、「〆切は自由にならないが、時間の使い方は割合自由だ」という私の生活にあって、映画は3時間くらい時間を都合すればいいので、付き合いやすい娯楽である(その分安易な娯楽でもあるが)。時間を都合して、平日の初回に観ると、ゆったりと観ることが出来るのは、出来高が増える前に株を買うような趣のいい気分だ。

 採点から行こう。点数が高い順に以下の通りだ。

「新宿インシデント」 85点
「グラントリノ」 80点
「スラムドッグ・ミリオネア」 70点
「レッドクリフⅡ」 50点

 大学の成績に置き換えると、順に、A、A、B、D、ということになる。

 「新宿インシデント」は、主演のジャッキー・チェン(プロデューサー兼)が、日本に不法入国して生きるためにいろいろなものに手を染める中国人に扮する、いかにもリアルでダークなテイストの映画だ。この映画でのジャッキー・チェンは、カンフーもやらないし、強くも、格好良くもない。刃物で人も刺すし、追われると逃げるし、女も買う。頭が大きくて、足の短い、冴えない風采の中年東洋人だ。
 このジャッキー(役名は「鉄頭」)の、それなりに正義感もあるが、生きるためには悪いこともするし、他人とのやりとりを「取引」として考え、結局、相当に悪いことに手を染めていく、人間としてリアルな堕ち具合が実にいい。
 作品のテーマは、監督にでも聞いてみないと分からないが、私の感じたところは以下の通りだ。
 人間は、最初は食べられて快適なら十分に幸せな生き物だが、生きていて他人を見るうちに、あれも欲しい、これも欲しいと思うようになり、欲望が育ってしまう。そして、最終的には、自分の好きなもののお蔭で滅びていく。人間の関わりの中で、一人でバランスを取ることは難しい。それが、人間なのだ、ということが色濃く描かれている。
 中国語と日本語が混じることで、そもそも人間のコミュニケーションというものが、いかにも頼りないものであることも分かる。ストーリー自体が、現実にありそうかというと、そうでもないので脚本の完成度は今一つだと思うのだが、基本的に人間の描き方がいい。
 主な登場人物は誰一人幸せにはならない物語なので、好き嫌いはあろうが、今年のGW映画ではこれがイチオシだ。

 クリント・イーストウッド監督・主演の「グラントリノ」も佳作だ。フォード自動車の工員だった頑固で差別的なイーストウッドの爺さん(ミスター・コワルスキー)が、隣に越してきた東洋人の家族と徐々にうち解けて、行きがかり上その家の息子を指導するうちに、この青年のために、彼と東洋人の不良グループとの間を引き離すための解決策を、この爺さんが実行することになる、というのが粗筋だ。大筋としては感動できるストーリーなのだが、脚本にどうしても納得できない箇所があった。
 途中、この老人が何度か喀血して病院に行き、重病であるかも知れないことが示唆されるのだが(なのにアメリカ人の実の息子は父の病変に気づかない)、このエピソードは、クライマックスのシーンで、イーストウッドが単身不良達のもとに乗り込んで、彼らの銃弾を浴びて、彼らを刑務所送りにすることで、隣人(特に青年)と不良グループを引き離す訳だが、この命を捨てる献身の価値を下げているように思えるのだ。
 また、言いにくいことだが、人間の心理を表現するにあたって、クリント・イーストウッドは果たして上手い役者なのかという点についても、若干の疑問を覚えた。今回の役は、十分老人である彼が地に近い感覚で演じられる役だし、「これはイーストウッドだ」と思いながら観る訳なので、見る側で大きな不満はないのだが、「ブランド物の大根(役者)」にお金を払ったような気になる。
 もっとも、ダーティー・ハリーのシリーズをはじめとして、多くの人間を銃弾で穴だらけにしてきたクリント・イーストウッドが、本作では、自分が蜂の巣になることで物事を解決するという展開には「なるほど」と兜を脱ぐ。彼はまだまだ映画を撮っていくつもりのようだが、これが遺作でも悪くないと思わせる風情がある作品だ。
 いい感じの映画であることは間違いないので、観て後悔することはないだろう。
 それにしても、イーストウッド扮する爺さんは、本作中でよくビールを飲む。観ている方がおしっこに行きたくなる位なので、鑑賞の際は、ご注意されたい。

 先般アカデミー賞を多数受賞した「スラムドッグ・ミリオネア」は、インドを舞台としたクイズ「ファイナル・アンサー」の成功物語なのだが、これを単純に成功とはいえない苛烈さがあるストーリーだ。一問の解答、一つの解決の蔭に必ず大きな代償があり(母親も死ぬし、兄貴も死ぬし、恋人も変な男の情婦にされて顔に傷を受ける)、単純にハッピーなストーリーではない。
 私の評価で80点に達しない理由は、ストーリー展開に今一つ無理があって、感情移入しきれないからだ。回答に不正があるのではないかとの疑いに基づく警察の取り調べも不自然だし、一つ一つの回答に結びつくエピソードも、もう一つよく練られていないように感じた。
 しかし、画面(見事な撮影だと思う)と音、それにテンポの良さなどは、非常に高い水準にあり、劇場で観る価値が十分ある映画だ。

 「レッドクリフⅡ」は、4作の中で最もプロモーションに力が入っていた作品なのだろうが、ストーリーが平板だし、リアリティーがあまりに乏しくて、感動できない。私は三国志を全く知らないが、それでも、途中からストーリー展開が苦労無しに予測できた。
 ジョン・ウー監督の大がかりで大げさなアクションシーンや、いかにも予算を掛けた感じの画面は、目と耳をそれなりに驚かせてくれるが、ストーリーがつまらなくて、脳味噌が全く暇になる、というような映画だ。
 ハッキリ言って、「外れ」だった。大人は楽しめまい。
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ボクシング会場に行ってきました

5月2日に、後楽園ホールに行ってきました。男女5大タイトルマッチということで、5試合組まれていました。<作業員>さんの業務連絡によりこのイベントを知りました。「第1試合の池山直選手を応援せよ」ということだろうとの意図を汲んでの観戦です。写真は、試合に臨む池山選手(中央。左は原田親方)です。

お目当ての第1試合は、チャンピオンの小関桃選手に池山直選手が挑むWBC女子世界アトム級タイトルマッチでした。

試合は、身長とリーチに勝る小関選手が、一歩一歩詰め寄る強打(左右のフックが強そう!)の池山選手をいなす展開で終始進み、結果は、3-0の判定で小関桃チャンピオンの防衛となりました。やや池山選手に「ひいき」が入っていた私の手元の採点でも98-93で小関選手だったので、この判定に違和感はありませんでした。

池山選手は左を出しながらコツコツ詰め寄るのと左右何れかの大きなフックを振りながら飛び込むのとのツーパターンで攻めましたが、小関選手の連打を食わないたくみなボディーワークが良く、またクリンチがなかなかほどけなくて、加えて距離の長い小関選手のパンチが手数多く飛んできて、結局、10ラウンドをフルにやって、詰め切ることが出来ませんでした。リズムとパンチの軌道の両方を読まれていた感じです。小関選手の技術が池山選手のパワーを上回っていたということでしょうし、全くスタミナ切れを見せなかった小関選手が総合的に勝っていました。

池山選手側から見るとすれば、出入りの速さを磨くこと、パンチの種類をもう少し増やすこと、長身選手のクリンチに対する対策を練ることなどが、今後の課題になるのでしょう。もう一度観たい対戦です。

他の4試合は何れも順当な結果でしたが、最終戦、スーパーフェザー級の内山高志選手はWBCの同級5位のトーン・ポー・チョクチャイ選手に半ば格違いともいえそうな戦いを展開し、5回にTKOし、OPBF東洋太平洋タイトルを防衛しました。相手のガードを破って左右共にパンチがよく入り、余裕を持って勝った(その分、詰めが少し甘く見えたくらい)印象でした。選手層の厚いクラスですが、WBAチャンピオンのホルヘ・リナレス選手は別格としても、超強豪の多くは上のクラスに流出しており、今後、世界タイトルのチャンスが大いにあるように思います。もちろん、本当に強い相手を求めて、リナレス選手と戦う(これなら試合は日本国内でしょうし)というのも、男らしい選択です。何れにしても、楽しみな選手です。

試合会場の美人比率にも注目していましたが、仮説は支持された、と感じました。隣の東京ドームで比較的ファン年齢層の高いロックバンドのコンサートをやっていたようで、試合の終了とコンサートの終了の時刻が概ね重なりましたが、二つの集団を比較すると「やはり、ボクシング会場に美女が多い」と思いました。私は、後楽園ホールのエレベーターを降りたところで、森山昌選手とおぼしきさっぱりした感じの美女を見かけました(人違いかも知れませんが、たぶん当たりでしょう・・・)。おそらく、池山選手の応援に見えたのでしょう。リング外の女子ボクサーもなかなか素敵だ、と付け加えておきます。
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推薦図書「東大を出ると社長になれない」

 水指丈夫氏の小説「東大を出ると社長になれない」(講談社)が発売された。当ブログは、時に自分の新著も宣伝しそびれるくらいの怠慢ブログなので、発売されたばかりの本を推薦図書として取り上げるのは珍しいが、僭越にも私が帯の推薦のことばを書いた本なので、これは自分が本を書くよりも珍しいこと(!)だから、ご紹介する。

 東大を出ると社長になれない、と言われると、確かに、そうかな、という気もする。現実には、多数の東大出サラリーマン社長が存在するので、「東大を出るといい社長になれない」の方が現実によくあてはまるような気がするが(世の中の平均よりも、「良くない社長」が多いような気がするし、東大出の役員の比率は会社の成長性に反比例する傾向があるように思う)、この本が言う「社長になる」は、起業に成功して社長になるタイプの社長を指している。これはなぜだろうか?

 或いは、たとえば、学園祭でヤキソバ屋を出すとすれば、どのような立地に出すのが一番儲かるのか? それは、どういう理由からだろうか。

 別の例としては、出店に成功した小売店を、同業の大手が買収したいと申し入れてきた場合にどう判断すべきか? 同業者は似た店を出して潰しに来るかもしれないし、競合店を出しても儲かりにくいから、この心配は必要ないかもしれない。考えるべき要素は、何と何だろうか。

 また、こうしたミクロな話の他に、為替レートの話や、マーケット(資本市場)の本質に関わるような大きな話も出てくる。

 水指氏の新著は、こういった現実の経済の問題(経済学の問題でもある)に対する問いかけと種明かしをしながら、自然にストーリーが進み、気が付いてみると読者の勉強が捗っている「大変楽な経済のテキスト」である。

 個々のケースの中身は「経済学の問題」だから、実際に経済学者を相手に試してみると面白そうだ。経済学部の学生は、コンパに教官を呼んでやってみると、教官の経済的「地頭」と人格が分かる(怒ったり、ムキになったりするかも知れないから)。

 オヤジ族の読者としては、この本が取り上げているケースは、日々のビジネスに本当に役に立ってしまう可能性がかなりあるし、何よりも水商売の女性と話をする上で役に立つだろう(不純な動機に訴えてスミマセン!)。

 小説としては、設定もストーリーの進行も「肩に力が入っていない」点がいい。よくある経済小説のような「大げさな設定×陳腐な人間ドラマ×小説としては稚拙な文章」といった読者を恥ずかしい気持ちにさせるようなイタい過失(「罪」とまで言うと可哀相だ)を犯していない。敢えていえば、すんなり読めすぎる点と、若い女性が何人も出てくるのに、少しもエロくない点が少々物足りないが、これは「経済のテキスト」を兼ねているから仕方がないのか。もちろん、女性読者も爽やかに読むことが出来るはずだ。

 「水指丈夫」はペンネームであり、プロフィールを見ただけでは、どの程度著者の人物像を明かしていいのか分からないが、著者は、経済学者としての業績もあり、頭が良くて且つ他人のココロがよく分かる人である(私が「保証」するのは僭越の「行き過ぎ」というものですが)。経済に興味のある人は、是非読んでみて下さい!
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