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トールポピーは降着が妥当ではないのか

 深く論じるような話ではないのですが、気になったので、書いておきます。25日に東京競馬場で行われたオークスで優勝したトールポピー号ですが、着順は到達順序通り確定して、この馬がオークス馬となりましたが、騎乗していた池添ジョッキーは2日間騎乗停止の処分を受けました。
 思えば、トールポピーの父であるジャングルポケットも現役時代は真っ直ぐ走ってくれるか心配の残るワイルドな馬でしたが、府中コースでは抜群に強く、娘はこの血を正確に受け継いだようです。
 しかし、JRAのホームページでパトロールビデオの動画を見ると、直線で急に内側に切れ込んで馬群をこじ開けて伸びてきたトールポピーは、内側にいた馬を挟むような形で押圧し、さらに、たっぷり馬2頭分位内側にいる馬2頭の進路を圧迫しながら直線を内側に寄りながら走っています。映像が大きくないのでよく分かりませんが、これは、馬に癖があったり、馬が苦しがったりして斜行しているのではなく、池添ジョッキーのコース選択と追い方によるものに見えます。
 直接被害を受けた馬のジョッキーが上手く、またレースを諦めなかったことから、大きな被害を受けたように見える二頭のジョッキーが立ち上がって手綱を引き絞るような事がありませんでしたが、そうなっていてもおかしくない不利だったと思います。(被害馬のジョッキーが立ち上がっていれば失格になったのではないでしょうか)
 採決室に呼ばれて審議を終え、勝利が確定した後も、勝利ジョッキーインタビューでの池添ジョッキーの表情は硬く、「明らかにまずかった」という印象を本人も抱いていたのではないかと思われます。
 こうした場合、一気に失格にしなくとも、被害を与えた馬の後の着順に順位を下げる降着という制度があるので、トールポピー号は降着が妥当だったと思います。馬券の売り上げの多いオークスで、そこその人気馬(4番人気)であったことなどが意識されたのかどうか、事情は分かりませんが、釈然としない決定でした。
 敢えて、似た感触の事例を探すと、決算の意図的誤魔化しで管理ポスト入りしていた日興コーディアル・グループの上場が維持された決定を見た後に感じたような後味の悪さです。

 尚、私は、オークスの馬券を1万2千2百円ほど買っており、唯一の当たり馬券が15番(トールポピー)の単勝を買った1千円だけで、払い戻しは970円ですから、トールポピーのおかげで9千7百円だけ回収したことになります。
 桜花賞のレースVTRを何度か見ましたが、外を回って直線で追い込む前に、トールポピーは大きく外に弾かれていて、リトルアマポーラとぶつかって、その後に、この二頭が追い込んできました。両頭ともかなりの不利です。結果は、リトルアマポーラが5着、トールポピーが8着でしたが、これらの二頭の何れかがオークスでは一番強いのではないかと思い(どちらが強いのかは私の目では分からなかった)、これらと、府中でオープンを2勝していてスイートピー賞の上がりタイムが33秒5と素晴らしかったアロマキャンドルを含めた3頭を中心にした馬券を買いました。
 2着のエフティマイアは、桜花賞2着の実績馬ですが、父フジキセキに母の父ニホンピロウイナー(←短距離馬でした)という血統が気になって買えず終いでした。
 レースを見ると、アロマキャンドルの方が、距離が保たなくて失速したというようなレース振りでした。今にして思うと、1800mで末が切れすぎるくらい切れていたわけですから、マイルからせいぜい2000mくらいがいい馬で、長距離的なスタミナを問われるオークスには不向きだったのかも知れません。もっと、レースの性格と馬のタイプの相性をしっかり意識しないといけませんね。今後の反省材料です。
 馬券は長らく好調を経験していません。

 ところで、近年のJRAのホームページの充実は素晴らしく、審議の場合パトロールビデオも含めて、特別レースのVTR動画は2000年以降の分が見られますし、レースのオッズやラップなどについても、過去のデータをJRAのホームページで見ることが出来るようになっています。
 データに関しては、もう専門誌はいらないといっていいかも知れませんし、時間が潤沢にあれば、あるいはアルバイトでも雇えば、日本の競馬を対象にした本格的なリサーチが出来そうです。
 近い将来、馬券戦略の本を書いてみたいなあという思いが、最近、ささやかな夢の中に新たに一つ追加されました。調子はイマイチなのですが、競馬は、これからも真面目にやっていくつもりです。
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恋人に薦める生命保険とは何だ?

 ネット専業生命保険の第2号として、ライフネット生命が5月18日の日曜日に開業した。この会社については、ダイヤモンド・オンラインの連載で割合詳しく(且つ、好意的に)紹介した(http://diamond.jp/series/yamazaki/10031/)。拙稿の要点は、ネットを使って生命保険の流通コストを省こうというビジネス・プランは正攻法で筋がいいということと、この会社の商品の付加保険料の安さ(24日の「朝日新聞」土曜版beに載った岩瀬大輔副社長の言によると、15%が基準だという)は好ましいということの二点だった。何れも、わが国の生命保険会社の商品のバカ高い付加保険料を攻撃対象としている点で大いに共感できる。サクサク計算できる保険料見積もりのツールは楽しいし、ホームページの出来もいいので、お時間のある方は、是非、この会社のホームページを見てみて欲しい(http://www.lifenet-seimei.co.jp/plan/index.html)。

 今回は、この会社の「スター」の一人である、岩瀬大輔氏の発言をからかってみたい。ライフネット生命のホームページに経営陣からのメッセージと称するコーナーがあり、ここに副社長である岩瀬氏のコメントが載っている。「自分の恋人に、自信を持って薦められる生命保険を作る」というタイトルが付いている。
 伝説の秀才の顔が拝めることでもあり、是非直接見てみて欲しいが、主なメッセージを引用する。

<引用はじめ>======================
社長の出口と二人の間で合言葉にしてきたことがあります。

「自分の恋人や友人など、親しい人に、自信を持って薦められる保険しか作らない、売らない」

恋人にも保険を売るの?と、笑われてしまうかも知れませんが、せっかく新しい金融機関を立ち上げる機会に恵まれたのであるから、多くの方々に喜んでもらえる生命保険サービスとは何か、これまでの業界の常識にとらわれることなく、とことん追求してみよう。背後にあるのは、そんな想いです。
======================<引用おわり>

 「恋人にも保険を売るの?と、笑われてしまうかも」と、ご自分でもツッコミを入れておられるが、恋人に生命保険を薦めるというシチュエーションは、やはりおかしくないか。
 それは、保険を勧める以上、別れることが前提になってしまうからだ。
 ライフネット生命の商品は、死亡保障定期保険「かぞくへの保険」と終身の医療保険「じぶんへの保険」の二つだけだ。共に特約が一切付いていない爽やかな商品だ。同社によると、これに自分でする貯蓄を組み合わせると、リスクへの経済的備えは十分なのだという。
 死亡保障の「かぞくへの保険」を恋人に薦めるというということはどういうことか。一般的には、本人が経済的に養っている家族のために保険を掛けるのだろうから、これは、「キミの将来の配偶者と子供達のために、ボクは心からウチの会社の保険をお薦めします」というメッセージになるだろう。つまり、ボクとキミが結婚するなどして、それこそ「終身」で一緒にいるという状況は想定していないことになる。
 男女共稼ぎで、お互いがお互いを養うという家計も前提として想定できなくもないが、岩瀬氏ほど有能な人なら「ボクが稼いでキミを幸せにする」という文脈が自然だろうし、保険については「ボクは、キミを守るために生命保険に入るよ」という話になるだろう。
 終身の医療保険である「じぶんへの保険」を薦めるのならどうか。この場合、自然なメッセージは「人生は長いし、いろいろなことがあるから、自分のことは自分で面倒を見られるように、ウチの会社の医療保険に入っておくといいよ」ということになるだろう。まあ、親切に聞こえるかも知れないが、「キミの医療費は終生ボクが何とかするよ」という話ではないので、恋人を突き放した感じの冷たさがある。元恋人の側では、岩瀬氏と別れた後も、一生保険料を払い続けるのだ。まあ、本当に病気になって、感謝する事があるかも知れないが。

 上記のツッコミには、いろいろな反論が考えられるし、結論を争う気はないのだが、恋人に保険を売るという状況は、やっぱり妙だ、と私は思う。

 しかし、すました顔で写真に写り、「恋人に・・・」というタイトルをキャッチにすることが有効だと考えた岩瀬氏の世の人々(特に女性たち)に向けた自意識と、上記のツッコミが正しいとした場合の「恋人との関係は一時的だ」という人生行動原理が、その通り彼のものだとすると、ベンチャー・ウォッチ的には、ライフネット生命保険社の将来は明るい。
 良し悪しの問題ではなく、圧倒的な事実として、成功したベンチャーの経営者(男の場合)は、並はずれた女好きである。女性に対する支配欲と自己顕示欲が、会社を経営することや世間へのアピールと通底しているのかも知れないし、資本の増殖と子孫の繁栄が本能のレベルで近くにあるのかも知れない。或いは、ベンチャーで成功する過程で、もとから持っていた性欲が拡大・開花されるといった逆の因果関係なのかも知れないが、岩瀬氏が多忙な仕事と大切な家庭への献身をこなしつつ、それでも恋人を探し、相手に情熱を傾ける、というような人であり、それができるエネルギーを維持していくなら、この会社は大いに成長するに違いない。

 まあ、生命保険の経営者が、恐妻組合の会員では仕方がない。

<補足> 岩瀬大輔氏のこと

 岩瀬氏については、たとえば24日の「朝日新聞」朝刊のbe土曜版が2ページを割いた特集を組んでいるので、朝日新聞をお読みの方は読んでみていただきたい。彼には、「ハーバードMBA留学記」(日経BP社)という著書もある。
 私が最初に彼に会ったのは、マネックス証券(正確にはマネックス・ユニバーシティー)の内藤忍氏の紹介で、彼がネットの生命保険のビジネスプランについて話をしに訪ねてきた時だった。在学中に司法試験に受かり、ハーバードBSで日本人で4人目の上位5%成績獲得者という有名な若き秀才だけあって、話が速くて的確で実に気持ち良かったことを覚えている。こういう人とだけ話していると、こちらも少し賢くなれるよう気になる(錯覚だろうし、もう手遅れだろうが)。
 そういえば、ダイヤモンド・オンラインの拙稿では、ライフネット生命を随分褒めたが、同社の筆頭株主はマネックス・ビーンズ・ホールディングであった(但し、出資比率は18.54%であり大きくない。ライフネット生命は「独立系」である)。考えてみると、楽天証券でないのが残念だが、まあ、いいものはいいので、良しとしよう。
 雑誌「type」のキャリア・デザインセンターが選ぶ「キャリアデザイン大賞」の授賞式でも彼にお会いした。私は僭越にも審査員の一人で、選考会では彼を強く押したのだが、大賞にはならなかった。「能力のありすぎ」がたたって、大きなチャレンジが大きなものに見えにくく、また一般人にあてはまる「ロールモデル性」がやや乏しいという具合に、彼の「出来すぎ」が賞の選考に不利に働いた面があった(もっとも、今年は対抗馬の上位二名が大変強力でもあった)。「能力(差)」をもっと有利かつ安全に使おうとする人が多い中で、ベンチャーで失敗経験があったり、起業を試みたりする彼の生き方には、私は大いに感心するのだが、一般受けはしない面があるのかも知れない。
 キャリア・デザイン的には、彼は、「能力」の形で保険を持って、リスクに挑み、彼の価値の達成過程を楽しんでいると解釈できる。確かに、誰にでも出来るということではないが、お金や資産の形で余裕を蓄える人もいれば、人脈(家柄も込みで)をセーフティーネットにする人いるし、能力の形で余裕を持つというのも一つの方法だ。
 何れにせよ、何らかの「余裕」を持つ頃には、リスクを取ろうという気持ちがすっかり萎えている人が少なくないので、岩瀬氏のような人は応援したい。
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将棋名人戦の楽しみ

 森内名人に羽生二冠(現在)が挑戦する将棋の名人戦7番勝負が佳境を迎えている。ここまで3局を消化して、羽生挑戦者の2勝、森内名人の1勝だ。

 森内・羽生の両者は小学生時代からのライバルだが、羽生二冠が棋歴的に先行していたにも関わらず、森内名人が先に永世名人資格(名人通算5期で永世名人を名乗ることが出来る)を取ったため、今期名人奪取に成功した場合に永世名人資格を取る羽生の挑戦が注目されている。はっきり言うと、世間的には「羽生が永世名人でないのはおかしい」という気分から、羽生二冠の第19世名人を期待するムードが強く、森内名人はやりにくさを感じているかも知れない。また、羽生挑戦者は、名人挑戦者決定のリーグ戦であるA級順位戦を、素人目にも圧倒的な内容で勝ち抜き、今期は名人獲得に照準を絞って本気だ、というムードを醸し出している。

 ここまでの3局も、羽生挑戦者側の「動き」が目立つ。
 第1局は、後手番であるにも関わらず羽生挑戦者が優位に序中盤を進めたが、中盤戦で、無理に決めに行って(飛車切りが決定的に拙かったようだが、だとすると、その前の8六歩がおかしかった)、惜しい将棋を落とした。「将棋世界」6月号の先崎八段の解説によると「気が短くなって、えいっと魔が差したような手を指してしまう」類型的な悪手で「棋士としての継続年齢と共に多くなる事象」だそうだ。両対局者と同世代の先崎八段が、羽生挑戦者の年齢的衰えをはっきり指摘している。そうだと思ったが、やっぱりそうか。先崎八段はここのところすっかり解説がはまり役になってしまった観があるが、両対局者と同世代の一流棋士だけに、彼の解説には、さすがという説得力がある(ただし、「週刊文春」の連載エッセイは近年さっぱり面白くない。将棋指しか碁打ちがだらだらと酒を飲む話が多くネタ切れ気味だし、話の切れ味が落ちている)。だが、今期の名人戦は、羽生挑戦者がどのようなスタイルで戦うかが見所だ。
 第2局目は、羽生挑戦者が先手番で激しく動きながら、何とも複雑なねじり合いの将棋を制勝した。意外な攻め方をした(一手損してからの再度の3五歩の仕掛け)かと思うと、渋く受け(8七歩)、自陣に角を打って(1八角)から優勢を築いて、最終盤は2手連続の早逃げで自玉を絶対安全な状態にするなど、秘術を尽くして勝った。特に中盤は意外な手の連続で、ネットの中継を見ていて、さっぱり分からなかったが、どうやら複雑なねじり合いで、読み比べを続けるような、羽生二冠の若い頃の路線で勝負することにしたようだ。仮に、自分も読みのスピードや注意力が若い頃よりも落ちているとしても、相手も同じ年齢なのだから、局面を複雑化して、ここで勝負するのが有利だと考えたのだろうか。
 第3局目は、先手番の森内名人が素人目にも圧倒的な優勢を築いたが、これが終盤で大逆転した。深浦王位によると「50年に1度の大逆転」だそうだが、これは何度見返しても(パソコンの画面で数回見たのだが)どうして逆転したのか分からない。直接的には森内名人の見落とし(終盤の8六桂が開き王手になることの)ということだろうが、羽生挑戦者がそのしばらく前に指した4二角あたりから妖しい雰囲気が醸し出されている(なるほどこんな風に指すものかという手だが、真似はできそうにない)。相手の間違えを直接狙った訳ではないだろうが、どこで間違えやすいか、将棋の手と同時に相手の心理も読んでひっくり返すような羽生二冠の怖さが見える。劣勢の中盤戦での信じられないような辛抱(7二歩や4四銀など)も含めて、ネットの解説に「羽生四段の頃を思わせる」というような秀逸なコメントがあったが、執念で逆転した将棋だった。
 森内名人が桂得した時点では、駒落ちで言うと角落以上の差が付いていたはずだが、羽生二冠はこれをじっと耐えて勝負に持ち込んだ。実質的には、故升田幸三氏の「名人に香を引いて勝つ」以上の偉業かも知れない。優勢な側がいかに優勢とはいえ、将棋では(たぶん将棋に限らないと思うが)、勝ちを「決める」時が難しいので、間違えることがある。
 尚、細かい話だが、戦型的にはこの第三局の序盤戦に大きな興味を覚える。序盤の森内名人の「攻めてこい」と言う4五銀に対して、後手側から仕掛けが成立しないとすると、相懸かりの将棋はかなりの制約を受ける。私は、学生時代、後手側に近い構えから攻めるのが好きだったが、相手の下段に飛車が居て、飛車側の金が動かずにいる構え(飛車を目標に3九角と打てない)は、攻めてもなかなか上手く行かなかった印象がある。あれで後手側が上手く行かないとすると、封じ手の5三銀では6四歩だった(次は、6五歩と仕掛ける)のかも知れないが、それでもダメなら(攻めが軽いし、先手ががっちり受けているところなので、後手が優勢にするのは難しそうだ)、超序盤の4一玉が疑問手なのだろうか。もちろん私がいくら考えても結論が出るはずはないのだが、この将棋の序盤は、盤上に表れなかった変化を含めて興味がある(朝日、毎日の観戦記と「将棋世界」が待ち遠しい)。それにしても、この将棋の先手番の森内名人の構想は素晴らしかった。

 以前にもこのブログで書いたことがあるが、近年の羽生二冠は、「現代の将棋はいったん劣勢になると逆転は難しい(だから、私を相手に劣勢になったら、早く諦めなさい)」という暗示を、主に若手に向かって発する番外戦術を使っているように見える。経験値は劣っても、無心に読んで、手が見えて、しかも頭脳に体力があって、なかなか諦めない若手世代に脅威を感じて、彼らに(羽生二冠側に都合のいい)先入観を植え付けようとしているのではないか、というのが、私の推測だ。何といっても、先の手が見えるどうしの将棋は、どこかで、「相手に先に諦めさせて勝つ」ゲームになる。可能性があると思いながら考えるのと、これはダメなのだろうと思いながら考えるのとでは、戦力・結果に大差が付くはずだ。これは、羽生二冠が意識的にそうしているのではないとすると、失礼な推測なのだが、第三者的にはそうも見えるということで、アマチュアの将棋の楽しみ方の一つとして許して貰えると有り難い。
 かつて大山名人が、若手棋士にコンプレックスを与えるべく、盤上(たとえば優勢な将棋で「なぶり殺し」的な勝ち方をするとか)・番外(一五世名人を名乗って「大山名人」と呼ばせるなど)で、様々な心理的勝負術を繰り出していたことが指摘されているが、タイプは異なっても、羽生二冠が同質の戦術を使っていると思うのだ。この点は、「決断力」という羽生二冠の著書を引き合いに出して、米長将棋連盟会長に訊いてみたことがあるのだが、「羽生も引退したら、別の勝負論の本を書くでしょう」とはぐらかされてしまった(森下千里さんが一緒にいたので、それどころでは無かったのかも知れないが)。
 しかし、今期の名人戦では、近年のプロパガンダを自ら否定するような勝負術を羽生二冠が見せてくれている。だから、今年の名人戦は目が離せない。第4局は、5月20日、21日で羽生挑戦者が先手番だ。

 完全な余談だが、第三局の数日後にスティーブン・キング原作の「ミスト」という映画を観た。「敵」となる異生物の出来が今一つだが、人間の心理の面白くも怖いところをよく描いた傑作だ(因果応報のバランスも良くできている)。この映画のラストシーンは、原作と異なり、且つ原作を超えているらしいのだが、このラストでも、「諦めてはいけない」ことがよく表れている。こちらは、将棋ファン以外の方にもお勧めできる。
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経済評論家の不経済性

 さきほど(5月5日18時35分現在)、このブログで現在スクロール出来る範囲で記事のコメント数を数えてみた。上から、以下のような感じだった。(注:それから、このエントリーの投稿までの間に、飲酒付きの夕食を挟んでいます)

<テーマ>           <コメント数>
★永守日本電産社長の発言       16
 生活保護とジェネリック薬      60
 死刑廃止論            204
★野村證券インサイダー取引       9
★資本の搾取と被搾取         18
 人は所属が何割か?         15
★日銀人事               3
 勝負写真の写真館          21
 「手帳系」への違和感        37
 将棋C2級順位戦最終日       11
★政府ファンド           141
 小沢一郎氏への失望        137
 蕎麦屋のロジスティックス      29
★国債の最適残高は幾らか       54
 沖縄に講演に行ってきた       24

 15のエントリーのうち、★印を付けたのが経済関係の話題だが、「政府ファンド」(こちらはテレビ出演絡みの話でもあり、多数のコメントを頂いた)と話としては地味な「国債の最適残高」にまずまずの数のコメントが集まっているが、それ以外の経済ネタへのコメント数が非常に少ない。特に、日銀人事、野村證券インサイダー事件、といった、その時のニュースの話題に、あまり関心が集まっていない。
 そういえば、先日、日本テレビの報道フロアに、「ニュースリアルタイム」のインタビューで久しぶりにお邪魔したのだが、その「ニュースリアルタイム」で、月に一度コメンテーターとして出ていた数ヶ月間で、経済がテーマのニュースでコメントを求められたことが、一度もなかった。以前にもこのブログに書いたが、王子製紙が北越製紙へのTOBを発表したニュースが朝刊のトップを飾った日にも、このニュースが番組で取り上げられることさえなかった。「主婦の視聴者が多い夕方の時間帯なので、株式市場なんて話が三分続くと、チャンネルを変えられてしまうのです」とあるディレクターが教えてくれたが、一般の経済ニュースに対する関心の低さに、「ここまでか」と驚いた記憶がある。
 フジテレビの「とくダネ!」は比較的経済ニュースを取り上げるが、それでも数は少ないし、昨年、十数回お邪魔した「スーパーモーニング」では政治ものと事件ものが圧倒的に多く、且つ扱いが大きかった印象だ。
 一方、日頃経済の話を扱っていると、経済は国民一人一人の生活に深く関わっているし、株式市場は投資家の(厳密には参加しない人のも含めて)損得に関わるので、一般人の関心が高かろうという気持ちになり勝ちなのだ。しかし、現実は、どうもそうではない。公平に見て、「経済評論」は案外需要が乏しい商品なのだ。
 評論家は、有力なスポンサーがついている人ならともかく、本を買ってくれたり、テレビを見てくれたりする「お客様」が居てはじめて成り立つ、全く需要頼みの商売だ。すると、案外不人気な「経済」という分野を専門とすることのビジネス的意味はどうなのだ、ということが問題になる。
 しかも、いわゆるビジネスマンは世の中にたくさん居て、調査的な仕事や、マーケットに関わる仕事をしている人だけでも、東京だけで少なく見積もって10万人は居るはずだ。彼らは、景気だの、経済政策だのについて、なにがしか自分の意見らしきものを持っているから、経済評論家になることが十分可能だ。つまり、潜在的な供給も含めて、「経済評論」の供給は豊富であり、前述のように需要が少ないということなら、「経済評論」は明らかに供給過剰な商品だ。
 供給が過剰なマーケットで商売をするのは何とも非効率的で苦しいことだが、経済を論じることを商売とする人が、それをやっているというのは、結構皮肉なことではなかろうか。これを本業にすると自分がサブプライムになってしまうかも知れないな、とも思うわけだが、こうしてみると、私も含めてだが、経済評論家が本業なのか副業なのか判然としない人が多い。
 まあ、しかし、ものは考えようで、世の人々が、みな、お金にばかり関心がある世の中よりは、現在くらいの状況の方が住みやすいのかも知れない。
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日本電産永守社長には余裕とユーモアが足りない

 日本電産の社員は、このゴールデンウィークも、全員が休まず働いているのだろうか。だとすれば、お気の毒だし、仕事の能率も悪かろう。ずっとその調子で会社が潰れないなら、それこそたいしたものだ。

 永守重信日本電産社長が、23日に記者会見で「休みたければ辞めればいい」と発言したとされる問題が、ネットを中心に話題になった。この発言は「朝日新聞」の4月24日朝刊に出ているらしいのだが、版の違いか、私は上手く見つけられない。AsahiNetから引用すると、永守氏は「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」と持論を展開したことになっている。
 「ことになっている」というのは、その後、日本電産は、ホームページで「弊社社長永守が『休みたいならやめればいい』と発言したかのような記事が掲載されましたが、そのような事実はなく、誠に遺憾に思っております」と発言自体を否定しているからだ。
 尚、このリリース文には「現に、社員の経済的処遇面に関しては、年々業界水準を上回る率で賃金水準を改善してきており、本年度も、平均賃上げ率は業界水準を大きく上回る6%にて実施することと併せ、年間休日も前年比2日増加させております。尚、休日については、来年度以降も段階的に増加させていく予定であります」と、「言い訳」と「自慢」を兼ねた説明が載っている。

 永守氏は、実際に、どう発言したのだろうか。
 想像するに、「「休みたいならやめればいい」――。」という部分が朝日新聞の記者の創作で(だとすると、いささかタチの悪い記事の書き方だが)、「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」が、ほぼ永守氏の発言内容なのではなかろうか。断定はしないが、以下、大まかにそのような前提で考える。
 永守発言の報道に対して、26日のメーデー中央大会で、連合の高木会長が「まさに言語道断。労働基準法という法律があることを、また、労働基準法が雇用主に何を求めていると思っているのか、どのように認識されているのか。ぜひ問いただしてみないといけない、そんな怒りの思いを持って、この日本電産のニュースを聞いたところであります」 と憤りをあらわにした、と報じられており、同席していた舛添要一厚労相は「労働関係法令はきちんと遵守してもらわないといけない。きちんと調査し、指導すべきは指導し、法律にもとるものがあれば厳正に処分する」と述べたという。

 「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる」という発言を考えてみよう。この部分は、朝日新聞の記者が100%創作したわけではなさそうだ。
 実感ベースで(したがって、ちょっといい加減に)考えると、これは、現実の描写としては、そう外れていないだろうと思う。特に小さな会社の場合、成長している会社では人手が足りないから社員は休日返上になりがちだろうし、成長しているので仕事が面白いから社員も働くことがそれほど苦痛でないし、結果として給料が上がる可能性が大きい。因果関係が逆になっているきらいはあるが(経営者という種族は非論理的な傾向があるから、驚くには当たらない)、「現実は、まあそうだろう」と思える点で、永守発言に大きな違和感はない。
 しかし、詳細に現実を見ると、成長中の多忙な企業であっても、社員はそれなりに休みを取っているはずだし、そうでなければ、能率も下がるし、ろくなアイデアも浮かばないだろうし、社員の健康問題などで不測のコストを負う可能性もある。日本電産の社員もハードワーカーなのだろうが、たぶん時々は休んでいるにちがいない。
 もちろん、発言を報道の「文字通り」に取ると、休んだら人員整理するぞと脅して、社員に休日を与えないように仕向けていることになるから、これは、労働基準法違反だろうし、倫理的にも拙いだろう。この辺りは、永守氏としては不用意だった。私は、永守氏を特に尊敬するわけでも応援するわけでもないが、厚生労働省と連合を含む労働組合は同じくらい大嫌いなので、高木連合会長や舛添厚労相のようなつまらない人々に揚げ足を取られるような発言をしたのは残念だ。
 それにしても、高木氏と舛添氏は、なぜ仲良く一緒にいたのか。これは、いかにも今の労働組合の「ぬるさ」を象徴する顔合わせだ。私が労働組合員なら、わざわざ集会に出掛けて、舛添氏の顔など見たくはない。

 それにしても、永守氏は、なぜ決算記者会見で、このような発言をしたのだろうか。この発言は、彼の意識の中で、誰に向けられたものなのだろうか。
 考えられるのは、自社の社員、世間、他社の経営者、の三つだ。
 自社の社員に対して、ということなら、人員整理をしない永守方式の恩を着せつつ、もっと働けと発破を掛けたというだろうが、これでは、社員はいい気持ちにならないだろうし、却って逆効果だ。「社員がハードに働いてくれることこそがうちの成長の原動力で、本当に誇りに思います。経営者の役割なんて微々たるものですよ」とでも言って置く方が格好がいいし、社員も喜んで働くだろう。
 世間に対してということなら、これは、こういうことを言う目的が分からない。経営者にとって、世間への説教は、一文の得にもならない(永守氏はそうでなさそうだが、一般に、社長が政治に関心を持つと、ろくなことがない)。それでは、社員が働くことの自慢なのか、人員整理をしないで来たことの自慢なのか。おそらくは、何か自慢したいのだろうが、偉そうで反感を買いかねない今回の物言いは、会社の商売にも個人の人気にも逆効果だろう。
 私は、永守発言の背景には、他社の経営者に向けた、あてつけないしは、自慢と自己主張があったのではないかと思うが、どうだろうか。社員を十分働かせることも出来ず、成長もせず、不況になると人員整理するような経営者よりも自分は優秀だ、と彼は言いたいのではないだろうか。永守氏も経営者という種族の一員だから、他の経営者に対する競争意識は直接見ると目が潰れるくらい強いだろうし、世間からもっともっと評価されたいと思っているのではないか。好業績の決算発表の会見でもあり、こうした意識があって不用意に自慢とも説教ともつかぬ事を言ったので、発言に隙が出来たのではないだろうか。
 彼はもっと余裕を持つべきだろう。社員のハードワークを自慢するなら「うちの社員は仕事が好きなのか、働きすぎて心配だ」とでも言えばいいし、ハードワークが成長の原動力という偉そうなことを述べたら、「あっ、でも、ライバル会社の皆さんには、あまり熱心に働いて欲しくないと思っています(笑)」とでも言って言葉の毒を中和しておくべきだったのではないだろうか。
 好業績の時の決算発表なのだから少し謙るくらいが丁度いいというバランス感覚と、ユーモアの一つも言うチャンスはないか、というくらいの余裕を持つと良かったのではないか。
 結局、永守氏の今回の発言は、彼の余裕の無さを印象づけるものだ。永守氏こそ、休みを取るべきなのではないか、というのが結論だ。
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