goo

会社員の7つの不自由

 今週は、獨協大学の学生諸君と、主に「フリー」と呼ばれる立場との比較で、会社員の何が自由であり何が不自由かということについて考えてみたい。私は、十分とはいえないが、両方を経験しているので、実感を正直に書いてみたい(「お前は、どっちも中途半端ではないか」という批判は甘んじて受ける。私ごときを批判すること自体が全くアホらしいだろうけど・・・)。

 フリー(独立自営業)は、まさにフリーと呼ばれるくらい自由なので、会社員の不自由な点を幾つか挙げてみよう。

(1)副業の不自由

 本来、人は、何をして働いてもいいはずだし、仕事は一つでなくても構わない。
 しかし、多くの会社が、就業規則に副業の禁止を謳う。判例的には、副業は原則自由なのだと教えて下さった先生がいらしたが、会社と裁判して勝っても、十中八九は不幸せだろうから、現実的には、「『副業の禁止』を原則禁止」しなければ意味がない。
 会社の許可を取ればやってもいい場合があるだろうが、一々許可や報告が必要だということ自体が不自由だ。
 この点、フリーであれば、職種・職業上の制限はあるかも知れないが、何をして働いたらいいか自分で判断して、決めることが出来る。評論家がバーテンダーでも構わないし、作家が通販会社を運営していても構わない。
 副業、あるいは複業の自由は、現状では、フリーの身分の大きなメリットだが、これが会社員にもあって悪いことはない。会社は、他人の自由に嫉妬しないで、社員の副業を原則的に認める方向に変化すると世の中がより楽しくなるのではないか。

(2)意見発表の不自由

 世間体を気にする企業に所属していると、意見を自分の名前で発表することが難しい場合が多い。個人名で意見を自由に言えないことは、重大な人権侵害だと思うのだが、就業規則に規定があったり、規定はないけれども事実上禁止されていたりする場合が多い。
 たとえば、銀行に勤めていたら、金融行政に関する個人的な意見を雑誌に実名で投稿することは難しいだろうし、金融でなく、政治や社会一般に関する意見でも、実名で発表することが困難な場合が多い。証券会社でもそうだし、保険会社でもそうだし、商社でもそうだった。メーカーなど他の分野の事業会社でもそうだろうし、お役人さんもそのような場合が多そうだ。一見自由に見える外資系の会社でも、日系の会社よりも厳しい場合がしばしばある。
 フリーの立場から見ると、会社員は社内に於ける評判を意識しすぎではないかと言いたい場合があるだろうが、名前を出すことの実害が存在する場合は頻繁にある。また、単に本人の気分だけの制約ではあっても、そう思わせる雰囲気が会社組織に存在する場合が多い。これも十分実害だ。
 たとえば、証券会社の場合、証券会社の肩書きを持つ社員が発言したこと(たとえば相場に関する個人的見通し)が、所属会社の意見と混同される場合があり、これを避けるために、社員の個人的な発言を規制する場合があるが(もともと「コンプライアンス」は法令遵守よりも先にこの種の問題だった)、この場合、一つには発言の責任所在について誤解する情報の受け手側に問題があるし、混同が起こると拙いからといって、会社が社員個人の基本的な権利を制約して物事を片付けようとするのは安易だ。せめて、発言する際のルールを明確化するくらいに留めるべきではないだろうか。
 貴重な情報や優れた意見を持っている人が多数居るはずの会社員や官僚が自由に発言できない状況は、社会的にも損失が大きいと思う。

(3)投資の不自由

 これは大きな不自由ではないが、インサイダー取引に関する規制などを考えると、勤務先の株式(転換社債なども同様)を投資対象にしない方がいいし、取引先についても投資対象から外す方が無難であることが多い。
 そもそも、勤務先の株式を持つということは、リスク分散の観点から好ましくないし、社内にいると会社のことがよく分かるかというと、投資に関しては案外そうでもない場合が多いので、自社株や取引先の株式に投資できないことは、実質的にそう大きなハンディキャップではないが、仕事の関わりで得た情報が貴重な投資情報に見える向きには、我慢することが苦しい種類の不自由かも知れない。

(4)購入商品の不自由

 たとえば、キリンビールの社員は、同僚や先輩がいる場所で、アサヒのスーパードライを飲みにくいに違いない。また、三菱グループの会社の宴会で、乾杯のビールをスーパードライにすると、幹事さんは後で叱られるかも知れない(逆に、住友グループなら、スーパードライでなければならない)。
 日立製作所の社員は東芝のダイナブックを使いにくいだろうし、東芝の社員は日立のフローラを買いにくいだろう。或いは、トヨタ自動車の勤務先に、日産の車で毎日自動車通勤する社員が居たら立派なものだ。
 この種の不自由は会社にもよるだろうが、商品選択の幅が狭まるくらいのことはいいかも知れないが、生活上のこまかな好みに会社が関わるというのは気持ちのいいものではない。フリーの場合、この点の気遣いはない。

(5)人間関係の不自由

 俗に「バカの下にも3年」という言葉がある。ムシの好かない上司でも、3年くらいすれば異動してしまうから我慢しよう、という意味だが、「人生に於いて、3年は長い」とフリーなら思うだろう。もちろん、上司の側が「バカの上にも3年」と思って我慢するケースもあるはずだ。
 会社組織の場合には、人事は全員の希望するようにはならないので、気が合わない相手とも付き合わなければならない場合がある。特に、同じ会社で上司と部下、あるいは同僚として働く場合には、嫌な相手でも深い付き合いを余儀なくされる場合がある。
 多くの場合、フリーの人間がフリーで良かったと思うのは「嫌な奴と無理に付き合わなくてもいい」という点であり、「嫌な奴」でイメージされる人物の多くは同じ会社の人間だ。

(6)時間の不自由

 いわゆる「9 to 5」のシステムに組み込まれた会社員生活の大きな不自由は、時間の使い方にある。もちろん、多くの会社で9時-5時よりも長い時間拘束される。
 会社員は、給料と引き替えに会社に時間を売っている関係にあるので、ウィーク・デイはたいした仕事が無くても、カラダを会社に置いて、位置エネルギーを換金しないといけない。位置エネルギーだけで商品になる点は、フリーから見て会社員の羨ましいところだが、人生全体の問題として考えると無駄が大きそうだ。
 一方、フリーだと、たとえば平日の空いている時間帯にゆっくり映画を観ることも出来る。必ずしも経済的に恵まれていなくても、時間の自由を味わえるので、フリーの立場に満足する人は少なくない。また、いったんフリーをやってしまうと、この種の時間の自由が癖になって捨てがたくなる。

(7)仕事の不自由

 会社員の多くは、自分で自分の仕事を選ぶことができない。たとえば、総合商社の入社式では、自分の意図しない部署に配属されて泣く新入社員がいる場合もある。
 会社生活では、何度も人事異動があるのが普通だが、自分のやりたい仕事ばかりであるとは限らないし、不本意な仕事に就いている年数は、フリーから見ると「人生のムダ」だ。



 さて、一方的に、会社員(あるいは、お役人)の側の不自由を書いてみたが、上で挙げたポイントにあっても、必ずしも「フリーの方が自由だ」と言い切れるものではない点に注意が必要だ。

 フリーの場合、喰わなければならない、働く場を得なければならない、という問題がある(注;両者は重なり合うが、全く同じ、ではない)。フリーは、日本語で言い換えると、「自営業」だが、「自分で業を営む」という以外に、「自分という商品を、営業(セールス)しなければならない」という面がある。
 従って、相手が嫌な人間であっても、取引相手だったり、自分にチャンスをくれる人間だったりした場合に、この相手と徹底的に付き合わなければならないケースはある。
 また、フリーは仕事を選べる立場だが、率直に言って、仕事を断る際には勇気が要る。一度断ればその相手からは二度と依頼が無いかも知れないし(たとえば、放送、出版のような属人的仕事の場合、よくあることだ)、フリーは多くの場合経済的に不安定なので、出来るだけ多くの仕事を抱えておきたいと思う場合が多い。
 フリーの場合、実質的な立場を考えると、「人間関係」や「仕事」はよほど実力と自信を蓄えないと「私は、自由だ」と言い切れるほどのものにならない筈だ。
 また、時間の点でも、仕事を抱え込んだフリーは、仕事が完成するまで自分の時間を投入しなければならないので、全く自由時間が無くなるような状況に陥ることがある。元を辿ると自分の選択ではあっても、結果が不自由になることもある。
 アイドルの追っかけ(熱心なファン)で多い職業は地方公務員だと聞いたことがあるが、勤務時間が一定で、収入が安定している立場の人だからこそ得られる自由もあるということだ。



 学生は、会社員、或いは公務員とフリーの何れになりたいと思うのだろうか。彼らの反応が楽しみだ。

 大人の皆さんは、どう思われるだろうか。面白い、あるいは参考になるコメントがあれば、随時学生に伝えます。
コメント ( 36 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする