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同じ景色を昼間に撮ると

仕事部屋の窓から見た明け方と同じ景色を、昼間に撮ってみました。何ということの無い景色ですが、幸い、開放感があります。

どちらもカメラはリコーのGRデジタルですから、画角は28ミリ・レンズ(35ミリカメラの換算で)です。ちがいは明け方のは、まだ暗いことを強調するためにマイナス1露出補正したことと、明け方はISO400、昼間はISO64で撮ったことです。画像は無補正。もっとも、goo標準サイズに縮めてあるので、画質は関係ありませんね。

GRデジタルは、単レンズで割り切っているのですが、反応も早いし、設定の変更もやりやすく、私にはズームのカメラよりもかえって使いやすく、気に入っています。感度がISO1600までありますし、マクロも効くので、被写体に近づくことさえ出来れば、コレ一台で何とかなる便利なカメラです。
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株価が高過ぎるときに会社に何が起こるか

週刊ダイヤモンドの連載「マネー経済の歩き方」などでも取り上げたことがあるが、企業の実体価値よりも株価が高い場合に、経営者がどの様な行動を取るか、という問題は興味深い。

エージェンシー・コスト概念の生みの親であるマイケル・ジェンセンの最近の論文によると(「週刊東洋経済」の巻頭コラムで慶応大学の池尾教授が取り上げておられた)、株価が低い場合には、ストック・オプションで経営者にインセンティブを与えるなど、エージェンシー・コストを低下させる方策があるが、株価が高すぎる場合(時価総額が企業の実力よりも大きすぎる場合)、成長力を見せるための余計な投資、採算の悪いM&A、大風呂敷な経営計画、ひいては決算の粉飾など、株主にとって「最適」ではない経営が行われて、社会的にも大きなエージェンシー・コストが発生するが、これに対する適切な対策は無いという。

上記のような、一口に言って、”エンロン的大風呂敷経営”のコースの他にも、株価が高いときに行われやすいのは、①エクイティー・ファイナンスによる資金調達、②オーナー経営者の持ち株売り出し、である。

①は、株価は適切に形成されているという、伝統的な行儀のいい前提の下では既存株主も新株主も損得無しだが、株価が明らかに高過ぎる状況では、既存株主(経営者も既存株主であることが多い)は割高な企業実体の隙間を新規株主の現金で埋めることが出来て得だし、経営者は、現金を得て倒産リスクが低下し自分が安泰になるのと共に、事業拡大=大風呂敷の裏付けのための資金を得ることができる。一方、もちろん新規の株主は割高な株を買うのだから損をする。この情報非対称な損得の発生と、これを正当化する大風呂敷による効率の悪いはずの投資も、前記のエージェンシーコストに加えて良いかも知れない。

②は直接的な割高株の売り抜け行為であって分かり易い。分かり易すぎて露骨でもある。

①、②のようなメリットを、特にオーナー経営者(自身の給料の上下よりも株価の上下の方が重大な影響を持つ経営者)が、割高なうちのメリットの確保を間接的に達成する方法は、エクイティー・ファイナンスによる資金調達を行って実体のある企業を買う方法であり、ファイナンスの手間が省けるのが、株式交換によるM&Aだ。

昨年のライブドアや楽天による、地上波TV会社株式の大量取得についても、第三者的には(私は楽天グループの会社に勤めているが、楽天のTBS株には何ら関与していないし、内部情報を持っていない)、上記のような、「時価総額の一部を実体のあるビジネスに入れ替える目的かな」という推測がどうしても頭から離れなかった。借り入れで株を取得した後に、エクイティー・ファイナンスして借り入れを返済すると、出来上がりの効果は似たようなものになる。

フジテレビは実に商売が上手いし、TBSには赤坂の土地がある。地上派TVの免許やコンテンツ以外にも経済価値がある。安定した価値があるからといって、電力会社の株を買っても格好が良くないから、放送局は手頃なのか、などとも考えた(この辺まで来ると、邪推が過ぎるかな)。

ただ、今のところ、コンテンツをネットで配信するビジネスには特定TV局との資本提携よりもコンテンツの提供者と仲良くすること(支配じゃなくて)と、配信に関するビジネスモデルとインフラの確立が重要だったように見えるし(たとえば最近、Googleが発表したビデオ配信ストアの試みは面白い)、世の中のデジタル化に加えて、自身もデジタル化が予定されるときに、地上波テレビのメディアとしての相対的に有利な地位がどれだけ続くのかにも疑問がある。どうせお金を使うなら、USENのように自身でネットTVを持つようなアプローチ、さらにコンテンツの制作者を囲い込むようなアプローチの方が面白いのではないかと思うのだが、さて、どうなのだろうか。

エージェンシー・コストの話から脱線してしまったが、エクイティー・ファイナンスが予想/発表された際には株価が下がりやすく、「発行株数増によるダイリューション(希薄化)が嫌気されて」というような説明がされることが多いが、これはむしろエクイティー・ファイナンスの持つ、情報としてのシグナリング効果(ファイナンスしたくなるくらいだから、どうせ株価は割高なのだな)が投資家に見透かされているから、ということもあるではなかろうか。

資金調達は株式市場の本源的機能の一つで、成長資金の供給という理念は美しいが、世の中では他人が積極的に「売りたい」と言っているものは割高なものである、というのもまた真理だ。

株価全体が底上げされてきたことで、これからエクイティー・ファイナンスが増えるかも知れないが気をつけよう。特に、経営者の持ち株の売り出しが絡むようなケースには要注意だ。目下、多くの企業の設備投資は、キャッシュフローで十分賄える水準に収まっているのだから、資金調達に対しては、その意図を十分に読むことが大切だ。証券会社が、引受手数料ほしさに、経営者をそそのかして資金調達するようなケースが相当混じる可能性がある。
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夜型でいいのか

原稿を書く仕事が多いのと、もともとの癖で、夜型の時間帯で生活している。写真は、朝6時くらいに仕事部屋の窓の外を撮ったもので、夜が明けつつある。「夜が明けるとまずい!」というわけで、ドラキュラのように慌てて寝た。夏場は4時頃から開け始めるが、夜が明けてから寝ると、なぜか翌日(もう「当日」だが)に疲れが残る。

「〆切は不自由だが時間は自由」な生活なので、9時、10時、(11時も・・)に起きても不都合はないのだが、①マーケットと関連のある仕事なのに場が開いてから起きて良いのかという気分的負い目、②昼食時に他人と会えないので人付き合いが狭くなり夜の付き合いが増える(12時までに帰れば、飲んでいても原稿は書ける)、③長期的には身体に悪いのではないか、④家族との連携が悪い、といった短所があり、生活時間帯を朝型に修正する方がいいとここ何年も思っているのだが、その日その日の積み重ねが”夜型”に傾いているので上手く行かない。

先日、新聞で、政治学者の故・丸山真男氏が夜型で、旅館に泊まるときには仲居さんに「私は朝の4時に寝るので、食事は12時にして欲しい」と言って夜仕事をするような完全な夜型(かつ健啖家)であったという記事を見た。自分に甘い私は、「夜型も良いのかも知れない」と思いそうになるのだが、上記の①~④の短所に変化があるわけではない。

やはり、そろそろ生活の時間割を大改造しなければならない頃合いのようだ。

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