コメント
 
 
 
国=仕組み (kmzt)
2006-12-31 07:06:03
山崎さんの論旨に共感します。
ただ、私なりの表現で言えば次のようになりますのでご参考まで。

私は、「国」というのは「政府」(政治家さんや官僚の姿が目に浮かびます)であるというよりも、一定の地域において富の分配や生活基盤の整備を行うための「制度」であり「仕組み」であると理解しています。
したがって本来無機的なものですから、通常「愛する」とかいう対象にはならないですね。(それによってもたらされる利便性や社会風土、文化などについては、現実にどのぐらいあるのかはともかく、一定の愛着を持っていますが。)

ただ思うのは、教育基本法に規定された事柄が、即教育現場における学習や評価に直結するような感覚は、やはりまずいのではないかと思います。
教育基本法は、あくまでも理念や方向性を示すものであって、それがそのまま学習内容や評価につながっていくものではないはずです。(もしそうだとすれば、他の家庭教育や社会教育などの条項も同様に評価をしなければならず、これがいかに非現実的であることが分かります。)
したがって、基本法に書かれたからこれをどうやって評価するんだ、という議論はいささか勇み足であり、「愛国心」を何とか盛り込もうとした人たちの思う壺のような気がします。常識的に考えれば、「国を愛する態度」なんて、評価できるわけがなのですから。

今回の改正部分、私も山崎さんと同様、ことさら悪い印象は持ちませんでした。もちろん、その改定部分を意図的に仕込んだ人たちや、それを利用しようとしている人たちのことは把握しておかなければなりませんが、メディアなどに踊らされて「国を愛する」のところに着目しすぎるのは得策でないと思います。
 
 
 
・・・ (リックの店)
2006-12-31 11:53:50
 山崎様  年の最終日に大変重く、難しいテーマをあげられましたね。

私にとって「愛国心」とは・・
 ・「愛国心」と言うものを持ち出す権力者は「あやしい」「ロクなもんじゃない」。「汝の国を愛せ」なんて「無粋」だし「気持ち悪い」。恋人に「俺を愛せ」なんて言ってしまう人は「恋人が自分から離れつつあるのをわかってしまった」からだろう。(但し、わたしならそうであっても、言わないが)
 ・私が日本で生まれたとしても、10代~20代をアメリカの大都市で暮らしてきたら「国家」と言う概念に抱く感情は今と大分違ったものになっていただろう。(ほぼ単一民族国家⇔多民族国家)
・日本のように「国土≒日本語圏」のような日本人と「英語圏」に住む国民とは「国」という概念は(国と言う壁)は大分違うのではないか?

 どちらにしても「国」とか「世間」などというわけのわからないものに、利用されたくない&「何か」を押し付けられたくない、と言うところでしょうか


ところで、今回のテーマを読んで、正月に読む本を決めました。
・「リバタリアリズム」の入門書とソローの「森の生活」です。ジム・クレーマーの投資本は後にします。(余談ですがあの本のカバーデザインと題名はひどいですね。山崎様が薦めていなかったら、読もうと言う気にならなかったでしょう)


最後に、山崎様と当ブログの参加者(特に株式投資家)の皆様、来年こそは!良いお年でありますように。

 
 
 
Unknown (休み返上)
2006-12-31 15:02:02
おっしゃりたいことはよく分かりますし,そうであって欲しいと思いますが,周りの国の政府及び国民も同じ考えをもっていてくれればの話だよなぁ,と思いますけれども.
 
 
 
選べればいいけれど (futaba)
2006-12-31 18:36:07
山崎さんのお書きになったこと、理解できます。
ただ、「利用する政府を変える」というのはそう簡単ではないのではないでしょうか。
というか誰にでもはできることじゃないようにおもいます。
 
 
 
うまく生き残れれば (あ~まったりのんびり)
2007-01-01 10:42:59
 人類が奇跡的に滅びることなく、後、数百年生存する事ができるならば、徐々に現在われわれが考える「国家」という概念は滅んでいくのでしょう。
 単なる社会システムの供給を国家が税金の代償として行い、生活システムの供給を企業が代金の代償として行い、不安コントロールを宗教が献金の代償として行い、選択は個人に任される。
 「昔は国家というものがあったんだよ」という、昔話で語られる。
 愛は、どうにでも利用される抽象概念に与えられるのではなく、具体的なかかわりを持った地域、人、物に対して与えられる。
 基本条件として、物と人、そして資本の自由な移動が保障され、飛躍的な生産性の向上がなければ不可能ですけど。
 なんて、ユートピアじゃないので、無理です^^)

ただ、わが子には、日本国家をシステムの一形態であると、考えられるように、そして自分の選択で企業を選ぶように国家を選べるようになってほしいなぁ。当然宗教も必要か不必要か、選べるようにね^^)。
 
 
 
経済的に考えると (せんべい屋の寄宿人)
2007-01-01 14:18:04
愛国心を持つことによって私が得をするのか損をするのかと考えますと、日本に対しては損をする可能性が高いと考えています

1)第2次世界大戦の時には戦陣訓なるもので捕虜となるよりも死ぬように命じて人の命を粗末にした。無事に帰ってきてほしい家族の思いなど踏みにじった。

満州や沖縄で軍の行進の邪魔になるからと幼児を殺したりした
その点についての反省がされてないのでまた同じように私たちの生命を粗末に扱う危険性がある
愛国心など持った日には「国のために」生命というお金に変えられない財産を犠牲にするように強いられる恐れがある

2)いままでも税金をお役人と関連企業の皆様で無駄な使い方をしており、愛国心を持った日には「国のために」ということでもっとむしりとられかねない。

というわけで損をするほうが多そう
 
 
 
対抗力/必要悪としての愛国心 (ターちゃん)
2007-01-02 16:22:34
学校の同じクラスの人たちにたいしてそれなりに友愛と縁を感じるし、クラスの教室の内装、壁の微妙な汚れ具合などにも愛着を感じはするが、だからといって「愛クラス心」をもて、なんて言われたところでなにそれ、と思うのが普通でしょうね。

でも、他のクラスが日々の朝礼で「愛クラス歌」を歌い週に一度は「クラス旗」を掲げて勇ましくまた整然とグランドを行進するようになると、本来クラスというのは偶然でひとまとまりにされた便宜的集団のはずだから、などと冷静に構えていられなくなりますよね。自分のいるクラスが複数のグループに分けられてそれぞれが強制的に複数の他クラスに吸収される、なんて話が持ち上がってきたらもう大変。昨日までは「まあとりあえず付き合っておこうか」という程度だった友情が急速にかけがえのないものに思えてくる。分割されて吸収されるとその先では二級クラス員としての惨めな生活が待っている、なんて思うと団結心はどこまでも高まり、急いで他クラスへの対抗処置がとられてゆくのでしょうね。

他クラスの動向を誇張して「愛クラス心」をあおるというのはしばしば行なわれる手ですが、まあそれを別にすると、「愛クラス心」とは多くの場合対抗手段であり必要悪であるということだと思います。
言語と司法・立法・行政その他のインフラを共有する者同士としての機能的つながり以上のものは情緒的付随物に過ぎない、と割り切ることは出来ましょうが、そうはいっても、他の国が自らの国に強い思い入れを持って(国家意識を強く持って)こちらに強く当たって来る、あるいはその可能性があるからには、ある程度国家意識はシェアしておくのが我々自身にとっても安全でしょう。

とはいえ現在の安倍さんなんかの主張は情緒過剰で僕は好かんですがね。「愛国」の「愛」の字が妙に情緒を刺激してしまうんでしょうかねえ(笑)。
 
 
 
国とは・・・ ()
2007-01-02 16:23:15
初めて、書かせて頂きます。
私自身は、国に対して不信感を持っています。
もちろん、領土として存在するモノに対しては、強い愛着があります。(個人的に、排除するという意味ではなく、沖縄や北海道などは、独立しても良いようには感じるのですが)
しかし、公務員や政府に対しては、信用していません。
法律によって、国に愛国心を持つことを強制しながら、実際のところ、国(政府・官僚)は、国民を愛しているとは思えません。
高額納税者と選挙の支援者は、大事にするでしょうが・・・。
私は、福祉業界に携わっていますが、国の財政破綻を理由に、次々と福祉の水準を下げています。
また、先日の19年度予算の閣議決定についても、大臣は、「福祉の無駄を削った」と説明しています。
しかし、削るべき「無駄」というのは、官公庁や公務員の不適切な無駄遣いだと思います。
福祉の水準を下げることが、実は、憲法で定める、「最低生活の保障」に関わることです。
もっと十分な議論は必要かと思うのですが、国民は怒りよりも、諦めですね。

 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-01-02 17:03:18
国というものは、その時その場所に存在する一つの仕組みであり、それ自体が実体を持つものではなくて、所詮は人間が作っているものだ、という意識を持ちつつ、その仕組みを有効に活用しようとする、という態度がいいのではないか、と私は思っています。

そこでは、この仕組みの有用な部分を維持し、伸ばそうという気持ちや、悪い部分を直そうという気持ちが当然必要ですが、これを「愛する」という態度を持つことは不要ですし、「愛国心」が対象を求めて噴出するときに、これが、国を利用する特定の個人なり集団なりに悪用されてしまうのではないか、というのが、私の心配です。

他国の愛国心・ナショナリズムに対して、どう対抗するかですが、それは、自分達の仕組みとしての国を有効に使うことを考えればいいだけであって、「愛国心」を鼓舞することは余計でしょう。

また、あたかも保護貿易に対抗して保護貿易を行うことよりも、一方的に自由貿易を拡大する方が自国民の経済厚生を高めるように、「こちらは、ナショナリズムを抑制し、外国人を含めて、個人を分け隔て無く尊重する」という態度を取ることが得になる場合が多いのではないかと思います。

もちろん、自国民の愛国心を悪用する外国の政府に対する警戒は必要ですが、それに対する真の解決は、別の愚かなナショナリズムによる対抗ではなくて、ナショナリズムという考え方そのものの基盤を崩壊させることではないでしょうか。

また、会社というものが「他人を利用するための仕組み」(堀江貴文著「稼ぐが勝ち」にあります)であるように、国という仕組みも、ある人が別の人を利用する為の仕組みだ、というのが現実です。「国益」というようなインチキな言葉に惑わされて、妙な人や集団の利益のために多くの国民が利用されないようにすることに注意が必要だと思います。

このように考えると、「愛国心」とこれにまつわる運動を警戒し、「良き市民」であることに集中することがいいのではないか、というのが、目下、私が考えていることです。
 
 
 
Unknown (Nash)
2007-01-02 20:07:59
山崎様の論旨に賛同いたします。以前、山崎様がこのblogでお書きになっていたように、
>どんな人とでも、縁があれば、フランクにつき合
>う、というのが理想
 が、私の人付き合いの理想でもあります(ただ、こうはなかなか行かないのが世の中ですね)。

 どんな形にせよ、「愛情」というものを強制するのも、強制されるのも私は大嫌いですので、教育基本法のこの条文には、正直嫌悪感を禁じえないです。
 
 
 
 
懲りない国民 (あきまへんな)
2007-01-02 23:10:00
本当に懲りない国民ですね、日本人ってのは。
1945年8月15日の皇居前の風景を映したDVDを持っておりますが、、、。

ほとんど、お笑いの風景そのものです。
「パープリン」な国民どもが皇居前で土下座。
その顔も、「パープリン」ひろくんに申し訳がないという悲痛な面持ち。

ここまで奴隷度が深化しておると、、、

「ど、とれいど!」って云ってあげましょう。
(参考:「とろい」=頭の回転数の遅いパーのこと)

それよりも、「トロイの木馬」でも仕込んで宮城を開門させ、パープリンどもを一括処理しろや、、って云ってやりたいね。

さて、今回の「教育基本法」改悪は、結局のところ、上に物言わぬ従順なる子羊を造るのだということを日本国が宣言したに過ぎません。

でも、もう戦前みたいな情報統制なんかできませんよ。どうもそういう基本的なことがこの国のパープリン「コッカイ議員」には分かってないらしいな。
どうも、こいつら「厄介議員」とか「滑稽議員」とかの類のようです(大藁)。

まあいいけど、俺は子供いないし、今後とも造る予定もない。従ってこの国の教育がドウナロウが知ったことじゃない。

「あっしには、関わりのネーことでゴザンス」
って一先ず逝っておきたい。
 
 
 
どこの国だと絶望しないんですか? (ターちゃん)
2007-01-02 23:15:45
けっこう皆さん辛辣ですね。教育基本法のご意見についてはそのとおりかなと思いますが、現時点では日本は国家意識や愛国への誘導・強制はかなり低くて、時々今回みたいな頓珍漢なこともありますが、まあそれほどコスモポリタン的精神にとって棲みにくい国じゃないかと思いますけどね。
皆さんが思うまともな国ってどこなんでしょう?人々がみなコスモポリタン的で国家意識が希薄で市民意識がしっかりとしている国ってあるんですかね?日本語の壁がないとしたらどこの国に行きたいですか?
すみません、ここのところは素朴に無知です。どなたかご存知でしたら是非ご教授ください。
 
 
 
懲りない国民 (あきまへんな)
2007-01-02 23:35:51
カール・マルクスは歴史学者でもあるが彼が以下のように云っておる。

「歴史は転回・繰り返すものだ。」
「一度目が悲劇、そして二度目が喜劇」

さ~あ、みなさん、この国の喜劇風景は如何なるものになるでしょう?
TVで毎日繰り広げられるバラエティーなる騒々しいだけのパープリン番組よりは、知性・感性を刺激してくれることは間違いないとお思いになるのは俺1人ではなかろう。
 
 
 
個人主義の拒否されたる「美しいクニ」 (しらんがな~)
2007-01-03 13:03:30
日本は個人主義を育もうとしない国。

会社法を改正して1円設立が可能になったようだが、アントプレーナーでしたっけ、起業家養成を推進したいみたいだけれど、はっきり言って日本で中小零細企業のオヤジを目指すには、キツイものがあるぜ。

やっぱサラリーマンで大人しくしていた方が楽だし、総合パーフォーマンスはいいわ。
日本の経済システムは大企業と中小零細企業の間に超え難い大きな壁が立ちはだかっており、まあ無理やね、中小零細が夢見るなんてね。
巨象を針の穴に通すくらい困難な話。

大企業チョー優先な日本で起業家育成だってさ。これまた笑える話だね。
中小零細なのが大企業を侵し始めるや、きちんと潰されるのは「ヒ」を見るよりも明らか。

で~、このたびの会社法大改正なんて笑止千万。
1円で株式会社って、あんたさ~ぁ、、、
あのね、最初はみなし法人から始めて事業・商売の難しさを体験。
で、資本の本源的蓄積の後、有限→株式会社だろ。
ものには順序があるでしょ?

1円で株式会社ってのは、思うに登録料とか更新料とかさ~、お役所様の餌代目当てなんじゃないのかね?
まあいいけど、価値の下落した「株式会社」なんか意味無いがな。

いずれにしろ、個人が天下を取ろうなんて絶対認められないのが昨今の日本。
ヒーローは消されるのが、この国の常道だがね。
 
 
 
日本と海外 (山羊)
2007-01-03 23:34:53
日本政府は大企業を徹底的に優遇しようとしてるようですな。アジアとの競争と協力、「改革」の名のもとに、ビジネス・投資を優遇し、弱いものへの配慮が薄くなりそう。

2010年あたりでは憲法改正して自衛隊を軍隊にするらしい。「海猿」は海上保安庁が舞台だし、硫黄島は第二次大戦。つぎは自衛隊の映画やドラマができても不思議はない。アメリカが黒人・ヒスパニックなど下流層をイラクに送ったように、ニートを軍隊に吸収しようと考えるんじゃないか。。。

政府にとっては、愛国心を高揚して批判精神を封じ込めてしまうほうがやりやすい。2005年の自民大勝利の再現を今年2007年の参院選で狙っている。

自民・公明が勝てば、消費税増税・企業減税が待っている。

「よき市民」「よきサラリーマン」に徹しつつ、リスクシナリオを考えるのは一般にとっては大変だ。

なお海外移住しても日本国籍や日本のパスポートからは逃げられない。日本が戦争になれば、海外組も多かれ少なかれ影響を受ける。徴兵からは逃れられるだろうが。。。

ところで外国パスポートを取得すると、日本パスポートは剥奪される。欧州では2重国籍・3重国籍は当たり前だし問題ない。日本では単一民族・単一言語主義を理由に外国籍取得を禁止している。真に国際的な人が出てきずらい原因と思う。また外国人と結婚された多くの日本人女性が日本に複雑な気持ちを抱く理由でもある。

外国移民を受け入れるのであれば、日本人の外国籍取得の自由化もセットにしてもらいたい。

富裕層の海外脱出が心配かもしれないが、現在でも彼らの資産の多くはすでに海外にある。海外組が日本国籍を維持できれば、日本に帰ってくることもあるし、日本への送金もある。

外国籍の取得自由化は、実現すると非常に嬉しい人たちがたくさんいる。デメリットを受ける人は、税金と政治献金を心配する政治家と官僚ぐらいだ。


 
 
 
まあ、しゃ~ないな (しらんがな~)
2007-01-04 00:39:40
2010年は、日本国にとっては試練の年になるやろ。
2008年の北京オリンピック、そして2010年の上海万博、、、。
さて、そのあとは、どうなるのかね?

はっきり云うけど、中国はバブル真っ盛りでっせ。
2010年以降のイベントが有馬変仮名。

日本は、たしか2004~5年を境に輸出で儲けるよりも、海外進出した現場の配当(つまりピンハネ)料が超えたのよ。

で~たぶん、中国からのピンハネ料が最高額でないかね?
そこからのゼニが頓挫するということになると、、、。
ところで、わが祖国「日本国」の現場はどうなってるのかな?
若い連中は、基礎技術のツカナイ派遣労働に身をヤツシ、、、もはや、工場そのものも「スクラップ&ビルト」やないけ。

もう、ヤバイ水準やと俺は思っちょるけん。

たぶん、2010年以降、大きな経済的変動、または、政治的、社会的、、、例えば、「暴動」すら発生の予感大やねん。

もう、レッド・ゾーンと思われる今日この頃さ。
 
 
 
大丈夫でしょうか、わが祖国 (なんかな~)
2007-01-04 15:17:46
なんかしらんけど、安部君が今日の講演会で「憲法改正」についてヤルキ満々とかで、ほとんど笑えるんですけど、、、。

「あんた、ほかにやることあるのではないかね?」
「さすが、岸君のお孫さんのことだけあって、こんなことしか頭にないようで、お気の毒です」
「岸君も警職法だの勤評だのファシスト真っ盛りでしたが、この安部とかいう頭の欠けた人っていうか、見事な劣化コピーってのも面白いもんですね」
「ところで、国家財政は緊急事態と思うだけど、どうすんのよ? 安部とか言う人、答えて頂戴?」

さてさて、教育基本法の改悪、憲法の改悪、とくれば次は「共謀罪」ですかね。
まさに新「治安維持法」体制の完成ですね。
笑えない状況まで来てるで、これはな。
そのうち何も言えなくなるかも、、、
すでに、組織社会での風通しの悪いことこの上なくなってるし、『物言えば唇寒し』感強しだけど、読者諸氏に於かれましては如何でしょうか?
 
 
 
安部さんの限界が見えたかな (のらひこ)
2007-01-04 21:53:56
人類は、その脳を高度化する過程において多分千を超えない程度、もしかしたら百以下の固体の群れをつくっていたと考えられます。
ですから通常の人々は千を超える個体の個々に対し親近感を持ち続けることは困難なようです。
政治家の皆さんが後援会や支持者の数千人を個体識別できるというのは職業としての技術であろうと思われます。
そのような訳で、人類は基本的には千人以下の所属集団程度にしか同胞愛といったものを保持しにくい生物といってよいと思われます。
そのような脳でスタートした生き物が、たった千年や2千年の間の目覚しい通信手段や移動手段の発達のおかげで、例えば藩や封建国家のような数十万人の組織を作り上げてしまい、その組織維持のために、組織愛といったものをでっち上げたのです。
そもそも、人類は群れからはぐれると生きていけない生き物であり、群れから排除されることを極度に恐れます。
排除されないためには何でもやる、どんなことでもやるという習性は人類の身についた本能そのものであります。
ですから、組織から排除されないために、強制収容所の殺人組織の構成員にでもなる訳であり(嬉々としてという訳ではないでしょうが)さまざまな世俗宗教においても、排除されないがために合理的とは思えない行動をすることになる訳です。
組織愛はその合理化のため自己欺瞞でもある訳です。
組織に対する帰属意識が自然発生的に起こるのは、「見知っている人々」に対する程度のものであり、そういう意味では郷土愛といってもよいのもので、それより大きい規模での組織愛は、宗教の上層部や現国家の支配層によって教え込まれたものです。
一方、地球が狭くなった現代では、マンションの隣の住民より、ニューヨークの誰かさんの方が気心が知れているという状態が普通にある訳で、昔は見知った人々とは、近所の人たちであり、同じ村の人たちであり、同じ郡部の人たちであったのが、今は、見知った人たちがニューヨークやボストンや北京やシドニーに散在しているわけです。
つまり郷土愛を広げてゆく過程での国家愛というものを想定できない時代になっています。
そういう状況の中での愛国心の鼓吹はアナクロニズム以外の何物でもないように思います。
しかし、日本文化への愛、それを作り出した日本民族への愛といったものはあってほしいと考えています。これは決して排他的なものではなく、他文化と共存しつつ自らのものとして日本文化を愛するということであってはほしいと思います。
安部さんは、人柄は良さそうに見えますが、思弁的な面ではオッチョコチョイなのかも知れませんね。
そもそも、彼は受験科目として世界史、日本史を取ったのかしら?
 
 
 
水と空気を汚す屑野郎 (なんかな~)
2007-01-04 23:59:06
私は、日本国をそれなりに愛してるのかもしれない。
でも、飛行機からの見苦しい風景には腹が立つ。
それは、飛行場周辺の山々の見苦しい「ゴルフ場」の数々だ。
ゴルフ場に使われる農薬は各種あるが、凡そ「分解能」の低いもの使用しているはず。
農地に使われている「分解能」の高いものとは別物さ。
で~~~、ゴルフ場のあるとこがね、、、大部分、水源地だったりしてね、、、。
ってことは、殆ど分解されずに我々の「五臓六腑」に染み渡る。

こういう状況下そのものが「御時勢」かもしれないが、しかしながら、猛烈に腹が立ってしょうがないわけよ。
いい加減にしてくれよって云いたくもなるけど、仕方ないのでしょうね、たぶん。

コネズミも酷い奴だったが、安部もゼニには彼を十分凌駕する程の薄汚さ。
タイシタモンダ、こいつらは、すべて我が祖国「日本」を米国に売りまくる「売国奴」でしかない。
安部なるのものジーサンこと岸はCIAの秘密工作金を受け取り総理まで登りつめた「売国奴NO1」でっしゃろ。
そういうクソを頂く現総理なんて、草履以下の価値しかない、そう俺は思う。
今年の参議院選がどうなるか知らないけど、もし自民連合の大勝ということになると。「イヨイヨ」だなと思う。

もう、オシマイですね。
まじ、俺は海外脱出を真剣に考えねばなるまい。
 
 
 
ナショナリストから感謝に変えて (床屋政談)
2007-01-05 01:58:14
明けまして、おめでとうございます。

私のリクエストのせいだけでお書きいただいたわけではないでしょうが、一読してやはり大感謝です。

内容も個人的にほとんど肯けます。

「論議の白黒」のためのものでもないことは承知の上で、やはり自分の意見、時に異見を書くのもまた礼儀かと思い、縷々つらねます。

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1)私たちはどういう相手に信用・信頼・期待するだろうか?
家族や親友など(愛することが多い対象ですね…)を除けば、私は
「出来ること出来ないことをちゃんと言明して、その約束・期待を守る主体」だろうと思います。
だとすると、出来る出来ないの排他性や、必ず守るという強い実効力を、不可避的に伴うことは裏表です。
(地域に自然に愛着をもつことはよくありますが、自治体であれ国家であれ、行政機構は愛するものでなく、信用の対象なのかもしれませんね)
また、排他性のウチソトを勝手に決められたくないだとか、殺戮を含む実効力までは与えないのだという考え方も有りうると思いますが、それでは所有権を自分の力で担保する武装リバタリアンか、嫌な目にあったら涙をのんで次から付き合うのをやめる自由あきんどか、いずれにしろ信念というかこわばりを帯びそうですね…

2)ある主体のふるまいには恣意性もまた伴わざるを得ない。神ならぬ人間が作る主体だから、多数決や議事録がある。また逆に、ふるまいに恣意性(自由、ハンドルの遊び)のまったく無い主体は恐ろしい。
しかし、その恣意性の責任はふるまいの決定者の個人(や集団)にある、のかどうか? 大きな国家権力の被害を有力者とはいえ個人に負わせることは物理的に
無理ではないか…ただ現状はあまりに罰が軽すぎるのかもしれない(公務員は職務上の失敗の罪は問われない)
ところで、国家を法人にたとえると、個々の経営者のダメさを超えた、いけ好かないダメ会社がままあるように、ダメ国家というものを想定した方が、国際社会で規律が働くのではないか。

3)「自国を愛せないものが他国を愛せるか?」というのは、「自国をちゃんとできないものが国際社会をウンヌンできるのか」と言ったらどうか。「家族関係や親族関係や近所付き合いが目茶苦茶の人間が、仕事上での人間関係だけデキても、そういう人間と長く良好な関係を築くのはなかなか難しいのではないか?」という疑問はぬぐえない。(ここでの家族をヘンに良妻賢母な家族に限定しないことは必須だ)

4)愛国とは何か、定義づけることはもっともっと難しいのではないか。国土にしても、国を愛するがゆえに、政府に反して「竹島は韓国に渡すべきだ」という主張ですら論理的には有りうる(私は竹島についてこの立場はとらないがそういう愛国者がいたってかまわない)。
確かに「愛国」には宗教性を帯びることが多いが、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教では、人間と絶対の「神」に関して、膨大なアプローチが論じられ、そこから自由や寛容、善や悪の概念が多様に花開いた。(もちろん異端審問の禍々しさも生んだ)
「国」が超越性を帯びているからこそ、国はある可能性を持っているのかもしれない。(もちろん馬鹿馬鹿しい戦禍も生んだ)
たとえば、ニュアンスを楽にする意味で、憂国はどうか。国を憂える、地域を憂える。その相違を噛み締めることが手がかりになる気がするのだが…

5)私はナショナリズムは「国民意識」と訳したい。
好き嫌いを問わず、この地球で現状では「国」はまだまだ「安楽死」していない。日本もしかり。我々も世界の人も「国民」であることを意識して引き受けておかないと公正さは追求できない気がする。


(日本国籍というだけで、生活保護にしろ世界的視野で見れば豊かな生活が保障される皮肉はどう考えればいいのだろうか。
また、この地球で徴兵や圧政を比較的意識しなくてすむ国民は、かつて植民地支配や国家間の管理された戦争でボロ儲けした蓄積を持つ国の民である皮肉はどう考えればいいのだろうか。
さらに、国家が安楽死した地球には亡命はない。私はこれは賢明だとは思えない。)

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以上、長文にて失礼しました。お許し下さい。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-01-05 04:59:44
>Nashさま

仰るように、愛情を強制するということ自体が、「愛情」の内容をはき違えており、教育として誤りですね。

>あきまへんな様

「厄介議員」と「滑稽議員」とは傑作ですね。最近、前者が多いようで困っています。

>ターちゃん様

私は「国」、「国益」というものを利用する連中に怒ったり、辟易したりしていますが、絶望はしていません。今のところ、まだ、ある程度自由に生きるスペースがあるし、国は単なる制度なので、改善の余地もあるからです。

とはいえ、選択肢としての亡命先も考えておかなければなりませんね。

先日、父親に聞いたイチオシは、ポルトガルでした。

>しらんがな~様

こと株式公開に関しては、まだまだ未熟なツマラナイ企業まで上場させすぎ、と思うこともあります。ここ数年、公開長者が妙に量産された印象です。

とはいえ、エスタブリッシュメント側と、それ以外という区別は、画然とありますね。

まあ、経済は必然的にボーダーレス化するので、それを邪魔さえされなければ、個人としては、気にすることはないかと思います。

安倍政権が日本企業を外資に買わせようとしている政策などは、コスモポリタンにとっては好都合かも知れません。

>山羊さま

確かに、無難にサラリーマンをやりながら、リスクシナリオを考え、準備するのは大変ですね。しかし、自分や子供のことは自分で考えるしかありませんね。

また、国籍に関して不自由(外国籍を取ると、自動的に日本国籍がなくなる)なのは、困ったことです。

>しらんがな~様

近年どうなったか、中国ビジネスの現場は今一つ分かりませんが、かつての印象として、中国は「国」を悪用するという意味で、ロシアなどと共に、ビジネス上のカントリーリスクの大きな国ですね。なかなか、大きく、長くは設けさせてくれない相手ですし、過度の依存は禁物ですね。

>なんかな~様

次は、憲法改正、共謀罪、というのは、きっとその通りなのでしょうね。

アメリカが日本の面倒を見きれなくなってきたことにも対応した動きなので、その方向に動く可能性は大きいと見ます。

確かに、嫌な感じです。

>のらひこ様

地理、国土に制約された国家と、交通や通信が発達した現代の生活が、「合わなく」なっていることについては、ご指摘に深く頷きます。

一点だけ、気になったのは、「日本文化への愛、それを作りだした日本民族への愛」はあって欲しいとお書きになっている点です。

これは、単に文化を愛すればいいのではないでしょうか。それに、日本の文化は、日本民族以外の人々の貢献を大なり小なり受けてもいます。文化とせっとで民族を、民族とセットで、国家を愛するようにし向けようというのが、国を利用する人たちの戦略です。

そもそも、民族などという卑小なものに拘らなければ、「排他的」になることを心配する必要もありませんし、もしあれば外国の不当なナショナリズムも批判できるというものでしょう。

のらひこさんはそうお書きになっていませんが、相手のナショナリズムに、こちらもナショナリズムで対抗するというのは、バカを批判するのに、自分もバカになるくらい愚かなことだと思います。

>なんかな~様

確かに、飛行機から見た、ゴルフ場の景色は「無残」の一言です。たった数十年の間に、随分酷いことになりましたね。

>床屋政談さま

確かに、床屋政談さんのリスクエストにお応えして書いたものなので、お待ちしていました。

私は、国家は、個人またはその集団が利用する「単なる制度」で、歴史を伴っていますが、それ自体は恣意的なものだと思っています。

制度としての国家をマトモに運営することは必要ですが、それは、この「制度」を愛するということと別次元ですし、国家を家族と同一視させようとするのは、ナショナリストの「手口」でもありますが、明らかに誤りでしょう。(たとえば、私は子供に責任がありますが、他人には子供に対するのと同じ責任はありません)

また、「愛国」を、「憂国」と言い換えた時に、「ニュアンスが楽に」なるとしても、具体的な行動はどうなのでしょうか。少なくとも、国民の、国への献身を当然視しない「ニュアンス」であって欲しいものです。(公務員は税金で雇われているのですから、職務に忠実であるべきことは当然ですが)

失礼を承知で、いただいたコメントの印象を一言で言うと、「国というものに対するロマンチックな依存心から卒業できていない」感じがします。国に、超越的な、特別なものであって欲しい、と願う心の隙が、国を利用する輩の跳梁を許すのだと私は思っています。

また、地上で「国」が「安楽死」せずに存在していることは事実ですが、これは、「国」という制度を、なるべく上手に利用すればいいというだけで、「国」を「愛する」ことに何の必然性もありません。

「国」という(誤った)愛の対象を持ってしまった人が、これを「卒業」するのは、なかなか大変かも知れませんが、「国」の実体をよく考えてみることが重要ではないでしょうか。単に、利用すべき「制度」に過ぎません。
 
 
 
社会のブラックボックス化 (なんかな~)
2007-01-05 05:35:41
世の中、「ブラック・ボックス」が甚だしく進行してるね。
どんどん一井の人には分からなくなってきている。
これは、恐ろしい社会状況だと思う。

ただ、ネットのお陰か、昔ならまず誤魔化したであろう事件(警官とか教師どもの犯罪)が公表されてるのはいい傾向かな。
でもね、こんなのは下っ端じゃんか。
本当に悪い「ミスターX」みたいなのは、ネット時代に於いても出ては来ないな。
さすが、優秀なる舎弟を幾人も抱えてるだけのことはあるね。

いつの時代でも同じことであろうが、誰もが気づいたときは、手遅れなんだよね。
癌で云うと、「ステージ4」なわけでして、、、。

そうなったら、もう「ご臨終」だけですね。
だから、俺は今の日本の情況を警戒しているのよ。
しかしながら、オニブチャンの多い日本ですね。

とても、疲れます。
何とか成らないものかと思うけど、俺も生活者の身の上だし、なかなか大きな運動に持ち込むには力不足やねん。

どうしたらいいのか、ただいま、思案中っす。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-01-05 11:39:11
なんかな~様

今日の朝のワイドショーで、仕事始めの安倍首相が映っていましたが、疲れ気味で冴えない表情ですが、「改憲」を参院選の争点にすると、言っていました。どう見ても冴えない首相ですが、ある種の確信犯的に、どんどん法案を通して、日本を短期間に変えてしまうかも知れませんね。

甘く見ない方がいい、と思った訳なのですが、それでも、サラリーマンジャーナリスト達は、たぶん、自分が取材しにくくなるような記事は書かずに、物事が決まってから、「懸念」の記事をアリバイ代わりに書くことになるのでしょうね。
 
 
 
ともかく、コワイ日本の現況 (なんかな~)
2007-01-05 12:06:12
山崎元さま。

マスコミの人たちのサラリーは半端じゃないですよね。
キー局なら40過ぎれば1500万ですよ。
銀行なんかは役職で同期でもかなりの格差があるけど、マスコミは皆なかよく、高収入。

なんかね~、微温状態で推移してるだけで、世間巷間の寒さ吹きすさぶ荒波とは全く関係の無い「雲上人」ばかりで、現代の貴族たちが、社会の変化を嫌うのも分からんではないけど、、、。

力持ちすぎなんですよ、彼ら。
で、能天気な番組ばかり垂れ流して、国民の愚民化に十分貢献してるわけですな。

いい加減、嫌になるわ。

で、もっと厄介なことに「クロスシップ」と「記者クラブ」制度が我々の前に立ちはだかるわけですよ。

困ったことです。
本当なら、TVと新聞は緊張関係に無ければいけないのに、このクニの「マスゴミ」どもは、翼賛体制が元からプログラムされてるようなものです。

私は、とても恐れている。
日本人の同質性が、こういう環境の中で一気に「戦時体制」を惹起し、戦前とは違った形で「徒花」を咲かすのではないかと、、、。

ほんとうに、「コ・ワ・イ」


なんで、日本人は世界史&日本史の近代史をキチンと学ぼうとしないのか理解不能です。

たぶん、今現在の状態のなかで精神的自由を確保するためには、「ゼニ」からの自由を各自が持つことではないかと、、、
そんな風に考えております。

 
 
 
「国」という言葉の意味するもの (ADULT B)
2007-01-05 22:53:35
今回の記事を読んで、改めて言葉の意味の読み取りの大切さについて考えました。

>結局、「国を愛する」とは、時の政府を愛すること及び、政府が国と認め伝統や文化とみなすものを愛すること、とならざるを得ません。

「国」という言葉から、「時の政府及び、政府が国と認め伝統や文化とみなすもの」というものはじっくり考えないとなかなかイメージできないですよね。

しかし世の中「国」という言葉があまりに乱暴に使われすぎていると思います。
例えばよく新聞やテレビにある「○○は国を相手取り、損害賠償を……」という言い回し。もっと正確に、「政府」や「厚生労働省」などに改めるべきでしょう。

立て札によくある「市の所有地につき、……」などもそうです。
正確に「市役所(というイチ組織)の所有地」に改めるべきですよね。

「政府」のことを「国」と言ったり、「県庁」のことを「県」と言ったりする場合、発言者に「役所=お上」の意識があることが多いように思います。
つまり、国や地方自治体はエラいもので、自分の面倒を見てくれるもので、甘えさせてくれるものという意識。
国や自治体は、税金を徴収して、そのお金で公共サービスを提供する組織、ともっとドライに割り切った感覚が必要だと思います。
 
 
 
Unknown (koku)
2007-01-06 05:20:02
ちょっと関連して「想像の共同体」という本は一度読んでみると面白いかもしれません。
 
 
 
笑いを通り越して泣けてくるね~ (なんかな~)
2007-01-06 10:52:27
何年か前、戦場下のイラクに4人の日本人が入り、向こうのゲリラに拘束された事件がありました。
彼らは、ボランティアやフリージャーナリストだったようですが、あのときの政府のやり口は酷かった。
官邸主導で、彼らが国家の敵かのように喧伝し、世論をそういう方向に導いてくれましたな。
確かにあの時の彼らにはリスクに対して甘かったとは云えるでしょう。しかし、あそこまで非難されるべきことなのか?、、、
私から見れば、一種のヒーローのようにも見えるし、賞賛されたっていいくらいだと思ったものです。
少なくとも彼らを非難した政府やその政府の世論誘導に易々と乗せられた短慮な国民の冷酷さに比べれば、あの行為にそれ程の悪意はないし、ヒューマニズムみたいなものでしょ。

私は、あの風景を見たとき、戦前の「非国民」なる言葉が蘇ってきました。
そうそう。北朝鮮が拉致を正式に認めたときも似たようなキモイ熱狂がありましたね。

簡単ですよ、戦前のようなムードになるのは、この均質性の著しく高い日本なんかすぐにどうでも変化するでしょう。
表立って発言しないくせに、赤提灯では愚痴のオンパレードですし、駅前にあれほどの居酒屋の立ち並ぶ国なんて私は見たことが無いわ。

発言すべきときに言っとかないと何にもならんけど、後から何をいっても悪法が一旦成立してしまえば拘束力を発揮して。我々の生活を脅かしてゆく。

私の中学&高校は、酷い管理教育下にありまして、あの時の実に不快な感覚がここに来て、どんどん強まっているんだな~。

こんなクダランことにしかコッカイ審議時間を割こうとしない「日本国政府」にレッド・カードを挙げたいし、私はそういう組織体に対して愛すどころか、憎しみを進呈しよう、、、(大藁)
 
 
 
ナショナリストから感謝にかえて 2 (Unknown)
2007-01-06 10:59:30
山崎さん こんにちは

先の自分のコメントを読み返してみましたが、妙にカッコつけた文ですね(汗)。

内容的にも「国にたいするロマンチックな依存心」をと言われても仕方のない…。しかし、あの文を書くときも(帰省中ですが・笑)、「できるだけ筋道が通るように注意して」と思っていたはずなので(汗)、これはなおさらご指摘があたっているような気がします。困ったものです。



あらためて考えてみたのですが、
「日本」という地域、に愛着を感じるということはありえないでしょうか。
以前、スポーツのナショナルチームを応援するか否か、という点で、山崎さんは「競技とプレースタイルに魅力がなければしない」とお書きになっていた記憶がありますが、私はたとえば甲子園野球の場合、(とりあえず野球への興味や県外出身者の割合などは別に)「県代表だからといって応援はしないが、母校はもちろん、実家の町の高校が出場したら、応援するだろう」と思います。
私はサッカー日本代表は応援するのですが、やはり日本への親近感(依存心?)があるのかもしれません。
しかし、五輪では日本人競技者にあまり関心がなく、WBCではけっこう関心をもって応援していたので、やはり競技自体への関心なのか……と思ったら、メディアの取り上げぶりが考えられます。

もし、メディアによる「感染」だとすると、ナショナリズムを高揚させるためには政府が国際試合の中継に補助を出すのが有効かもしれません。最近の視聴率調査では国際試合での数字が良いようです、昔と比べてはどうか分かりませんが…。
しかし、サッカーでは近年、欧州チャンピオンリーグがその競技水準の高さで人気が高まっているようですし、国際試合で戦うことでシビアに実力を思い知るという効果もあります。私はマゾ的にか後者がけっこう好きです。「いつか勝て!」と念じて(苦笑)。

いずれにしろ、メディアの影響が大きいとすると、個人的にも考えていきたいところです。



それから、私は山崎さんの文を誤読していたようなのですが、山崎さんは国を現状で不要とは書いてないですね(無くてもいいとは思ってらっしゃるかもしれませんが)。

私は、そのほうが公正で自由な社会にできるなら、アメリカや中韓と共通の政府でも、と思います。

しかし、時にツノ突きあわせて軋轢や犠牲者があっても、より小さな独立した単位(国?)が軍隊や交易や往来がありつつ並立した、そんな地球の方がしなやかなのでは、と夢想します。(世界政府主義は悪夢への道なのではと思いますし、EUやアジア主義もブロック化の恐れがあると思います)

また、依存という意味で、特に日本語(国語!)は、政府の関与が大きな文化ですが、それでも現状のこの文化の縛りと緩さはちょうどいいような気がします。

最後に私の、「ナショナリズムは国民意識ではないか」という文ですが、国をマトモに運営するためには
支配層でない私のような階層の人間も「国民なのだ」と意識していたほうが良いのでは、と思って自分をナショナリストと自称しているつもりです。

これは逆に、政府の形(合併を含む)の改変や亡命や移住を頭の中に置いておく事を妨げない、むしろ促さないでしょうか。

そこで、憂国なのですが、おっしゃるとおり「国民の国への献身を要求するもの」でないようにしなくてはいけませんね。単語の復古調なニュアンスがその傾向を伴うのか、あえてこの言葉を使うのはただの偏屈なのか、自己陶酔なのか…。

愛国についてはもっとその語感が強いかもしれませんが、国をマトモに運営するために「愛国心」(や「憂国心」)があったほうがいいのかどうか…私はその定義が自由なら、あってもいいのでは、と思っていました。(改正された教育基本法はアレですが、あんなもので今の教育がなにか変わると思っている、そのお目出度さの方も大いに問題だと思います)

ただこの国には、実際は象徴天皇制であり天皇自身が認めていた天皇機関説を不敬学説として糾弾した過去があります(支配層ですら国家を使用物として見られなかったわけです)。現状でも天皇家や名門政治家一家への扱いをみると、右も左も中も常軌をいっした国民なのかもしれません。

:::::::::::::::::::::

以上、またも言い訳めいた長文になりましたが、国家酔いの一症例だと思って(「俺は酔ってない」というやつですね・笑)、お許しください。
 
 
 
ナショナリストから感謝にかえて 2 (Unknown)
2007-01-06 10:59:32
山崎さん こんにちは

先の自分のコメントを読み返してみましたが、妙にカッコつけた文ですね(汗)。

内容的にも「国にたいするロマンチックな依存心」をと言われても仕方のない…。しかし、あの文を書くときも(帰省中ですが・笑)、「できるだけ筋道が通るように注意して」と思っていたはずなので(汗)、これはなおさらご指摘があたっているような気がします。困ったものです。



あらためて考えてみたのですが、
「日本」という地域、に愛着を感じるということはありえないでしょうか。
以前、スポーツのナショナルチームを応援するか否か、という点で、山崎さんは「競技とプレースタイルに魅力がなければしない」とお書きになっていた記憶がありますが、私はたとえば甲子園野球の場合、(とりあえず野球への興味や県外出身者の割合などは別に)「県代表だからといって応援はしないが、母校はもちろん、実家の町の高校が出場したら、応援するだろう」と思います。
私はサッカー日本代表は応援するのですが、やはり日本への親近感(依存心?)があるのかもしれません。
しかし、五輪では日本人競技者にあまり関心がなく、WBCではけっこう関心をもって応援していたので、やはり競技自体への関心なのか……と思ったら、メディアの取り上げぶりが考えられます。

もし、メディアによる「感染」だとすると、ナショナリズムを高揚させるためには政府が国際試合の中継に補助を出すのが有効かもしれません。最近の視聴率調査では国際試合での数字が良いようです、昔と比べてはどうか分かりませんが…。
しかし、サッカーでは近年、欧州チャンピオンリーグがその競技水準の高さで人気が高まっているようですし、国際試合で戦うことでシビアに実力を思い知るという効果もあります。私はマゾ的にか後者がけっこう好きです。「いつか勝て!」と念じて(苦笑)。

いずれにしろ、メディアの影響が大きいとすると、個人的にも考えていきたいところです。



それから、私は山崎さんの文を誤読していたようなのですが、山崎さんは国を現状で不要とは書いてないですね(無くてもいいとは思ってらっしゃるかもしれませんが)。

私は、そのほうが公正で自由な社会にできるなら、アメリカや中韓と共通の政府でも、と思います。

しかし、時にツノ突きあわせて軋轢や犠牲者があっても、より小さな独立した単位(国?)が軍隊や交易や往来がありつつ並立した、そんな地球の方がしなやかなのでは、と夢想します。(世界政府主義は悪夢への道なのではと思いますし、EUやアジア主義もブロック化の恐れがあると思います)

また、依存という意味で、特に日本語(国語!)は、政府の関与が大きな文化ですが、それでも現状のこの文化の縛りと緩さはちょうどいいような気がします。

最後に私の、「ナショナリズムは国民意識ではないか」という文ですが、国をマトモに運営するためには
支配層でない私のような階層の人間も「国民なのだ」と意識していたほうが良いのでは、と思って自分をナショナリストと自称しているつもりです。

これは逆に、政府の形(合併を含む)の改変や亡命や移住を頭の中に置いておく事を妨げない、むしろ促さないでしょうか。

そこで、憂国なのですが、おっしゃるとおり「国民の国への献身を要求するもの」でないようにしなくてはいけませんね。単語の復古調なニュアンスがその傾向を伴うのか、あえてこの言葉を使うのはただの偏屈なのか、自己陶酔なのか…。

愛国についてはもっとその語感が強いかもしれませんが、国をマトモに運営するために「愛国心」(や「憂国心」)があったほうがいいのかどうか…私はその定義が自由なら、あってもいいのでは、と思っていました。(改正された教育基本法はアレですが、あんなもので今の教育がなにか変わると思っている、そのお目出度さの方も大いに問題だと思います)

ただこの国には、実際は象徴天皇制であり天皇自身が認めていた天皇機関説を不敬学説として糾弾した過去があります(支配層ですら国家を使用物として見られなかったわけです)。現状でも天皇家や名門政治家一家への扱いをみると、右も左も中も常軌をいっした国民なのかもしれません。

:::::::::::::::::::::

以上、またも言い訳めいた長文になりましたが、国家酔いの一症例だと思って(「俺は酔ってない」というやつですね・笑)、お許しください。
 
 
 
名前を入れ忘れました! (Unknown)
2007-01-06 11:01:07
上とコレは、床屋政談によるものです。
すいません(汗)。
 
 
 
右翼ってなんですか? (作業員)
2007-01-06 17:00:52
教職課程を取れば、当然に教育基本法について学ぶ授業があるのだろうが、こないだ改正されたので、改正教育基本法を、教師を目指す愛国者諸君は学ぶわけですね。
教職の授業に座っていたことが、はるか昔にあります。ですから教育基本法の成り立ち等を少しだけ知っています。キーワード風のものは、「皇民化教育から公民化教育へ」、ではなかったかと思います。偽装請負で有名なキャノンも同じですが、共同体を家族になぞらえる、擬制することが好きな支配層、あるいは庶民、は多いのです(京セラでしたか、社墓は)。こないだの改正前の教育基本法には、個人重視の理想は確かにあったでしょう。戦前の国家神道下の我々は、天皇の赤子というありがたいがかなり迷惑な地位にいた、その紐帯を象徴の名の下にアメリカ様が断ち切った、とひとまず言っておきましょう。
で、占領政策の一環たる教育行政、というのは事実でありまして、本来ヒャクショーの側が革命的にするはずの社会改革(教育改革)を青い目のおせっかいな人たちが全部やってくれたわけですね。教育科目で言えば、コアカリキュラムは、社会科、であったはずです。おもしろいのは、ちょっと前まで、社会の先生って、大体組合活動家でしょう。戦後社会のコアの部分をアカが担った。このねじれが未だに尾をひいているのでありまして、ダブル中川先生のような酒好きのサムライ代議士にとっては、赤狩りこそが、教育改革なのですな。
右翼さんはよく、憲法が押し付けられ、占領政策によって日本はアメリカに従属させられた、というのですが。資本主義の化け物的国家アメリカの属国になっちまった、となげきながら日教組のせいで共産主義教育が行われている、と糾弾するわけです。ある意味、全正面作戦ですな。いくらか理屈をこねると。「八紘一宇万世一系の日本(思想としては国家社会主義)に、アメリカが資本主義と共産主義をおしつけやがった、憲法と教育基本法を使って」となるのですが、そんなものおしつけられる日本人の器用さに、わしは改めて驚きます、よく分裂しなかったなあ我ら。言うまでもないのですが、戦後の組合運動はアメリカの統制のもとに行われてきたわけであります(アメリカの思惑が例外的にはずれたのが総評)。が、日教組について、アメリカの統制下にあったかというと、微妙ですね。社会に対して、教員の思想など大した影響力はなかったのではないか、単に、首切りのない公務員だからの放置プレイ、程度のことにわしは思います。(思想信条の自由等は省略)

面倒なのは。御手洗的タコ社長の組合つぶし、と赤狩りがかぶってくる、象徴的に何がかぶってくるかというと、愛国心の名の下に、がかぶってくる、ことなのであります。教育基本法改正に動いていたのは、日本会議に代表される宗教右派と同友会等経済団体に、医師会であります。ちなみに、組合のクー、ともらしただけで、次月十万減給されるような組織が、病院というところであります。フィリピンの人、来ないほうがいいぞ、日本の病院には。

以前紹介した丸山健二の「野に降る星」という小説は、「ある日、村が大切に守ってきた旗の上位に、日の丸が掲げられた。結果、村の大切な若者はいなくなった。我々は、守るべき旗を間違えたのだ」という内容です、と強引にまとめておきましょう。
もうずっと昔の話です。あの教職の授業で、隣に座っていた友人が手をあげて、「先生、右翼ってなんですか?」と訊ねました。アナル好きのわしは椅子から転げ落ち、先生は絶望で顔をひきつらせ、黒板に馬鹿でかい字で、皇国史観、と書きました。授業が終わると先生はわしに、「作業員ちゃん。たのむから、一杯つきあってくれ」と言いました。わしは、今現在の若手教師が、どんな愛国教育を子供たちに施してくれるのか、とても楽しみな気もしています。

憲法は単に硬性なだけで、押し付けられたにしても、受け入れている、わけです、我々は。
右派は今頃、松本健一の筋違いを糾弾しはじめました。きなくさいというより、キムコ臭い、そういうわけのわからん感じが、わし的今、ですな。
 
 
 
日本語喋る人 (poesku)
2007-01-07 11:16:39
邱永漢氏は日本国籍を取得されてるんではないでしょか。
 
 
 
人類の最大の罪は想像力の欠如である。 (Unknown)
2007-01-07 12:03:45
山崎様は究極的にボーダレスな世界政府を
目指しているのでしょうか?

日本国という国土に住む人間にとって
国家という単位が一番安全で安価だという事が
想像出来ないのでしょうかね・・

北海道や沖縄が独立してもいいと書いている
方がいましたが、国防という観点はないので
しょうか。

ナショナリストと同じく山崎様も「愛」国に
拘りすぎではないでしょうか。
納税さえすれば国籍がなくとも権利が与えられるとは
どこかで聞いたような主張です。

自由に海外へ脱出出来るようなお金の運用がうまい
裕福な方が日本国民の多勢であれば良いのですが
現実はそうではありません。

もう少し歴史(周辺国の歴史も含めて)を
学んだほうが良いかと。
これも悪しき戦後教育の弊害でしょうか。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-01-07 14:49:53
>なんかな~様

マスコミ人の給料は確かにいいですね。もともと「日本語」という非関税障壁があって、外国との競争から守られている新聞・放送業界に、さらに資本面での保護を与え、記者クラブのような談合制度を公の協力のもとに維持させる、といった、権力側(「政府を含む利益集団」を「権力側」と考えましょう)による一連のマスコミ「飼い慣らし」が、異様に成功しているのが、現在の日本です。

本当は、朝・読がそれこそ談合して、記者クラブから脱退するくらいのことをしてこそ、ジャーナリズムでありましょうが、サラリーマン記者にとっては、仕事がしにくくなるし、競争は激しくなるしで、そうはしたくないのでしょう。

ジャーナリストにいい意味での「不良」で力のある人が居ないのが寂しいですね。

>ADULT Bさま

結局、「神を信じなさい」の「神」が教会の言う神であるように、「国を愛しなさい」の「国」も、時の政府が国と認めるものを愛せ、ということにならざるを得ないように思います。

近代人でもなかなか神を卒業できない訳ですから、国土に民族という「実感」に近い存在が関与する「国」に対して、「必要以上の何か」をリアルに感じてしまう人が少なくないのでしょう。

私は、国を「大きな実体だ」と思うよりは、たとえば公衆便所とその運営ルールのような「利用すべき制度に過ぎない」と思う方が、現実に近いし、むしろ自分が責任を持って負担や参加をしなければならないという自覚を持ちやすいのではないかと思います。

ただ、一種の処世の教訓としては、「国」という宗教の信者さん達(ある種の依存症の患者さんなのだと思います)に対して、国というものを「単なる仕組みだ」と言うと、猛烈に怒り出すことがあるので、この点は、気を付けなければなりません。

>なんかな~様

正直なところ、「非国民」と呼ばれても、今なら平気のような気がしますが、そうも言っていられなくなるような、「嫌な感じ」がしますね。

一方、国及びナショナリストを嫌うあまり、仕組みとしての国に対して、絶望や無責任に陥ってはいけないのかとも思います。好き・嫌い、何れにあっても、国について考えるときに、過剰な感情は禁物です。

>床屋政談さま

私としては、床屋政談さんのものも含めて、皆様のコメントを読みながら、「単なる仕組みとしての国」に対して、思い入れは無用であると同時に、絶望や無責任に陥ってはいけないのだ、ということが、だんだん分かってきました。

国を利用したり、国という概念に陶酔している人には注意が必要ですが、かといって、制度の利用者としての自分の制度に対する責任がなくなる訳でもありません。

たとえば、公衆便所の利用者としては、あまりに便所が荒れる状態よりも、有料でもいいからメンテナンスがなされる仕組み(新橋の駅前ビルのトイレのように)がいいといったことを提案したり、料金(税金のようなものですね)を払ったり、しなければならないわけです。

>作業員さま

あけましておめでとうございます。

現在の右翼については、私は事情を知りませんが、経済思想的にはどのような立場にあるのでしょうか。

アメリカに対する劣等感と反発心があれば新自由主義的にはなりにくいし、社会民主主義的な再配分を重視するのはアカ的ですから、どちらも行けませんね。取りあえず、組合は潰したいとしても、その後はどうなるのか。

(もっとも、組合潰しには私も賛成です。もともと労働者の敵は労働者という面があるのですから、資本家と経営者に対して、組合という対抗勢力を構築しようとすることがそもそも無理筋です。労働者は、一人でも自分の権利を守ることが出来るようなルールを組合の変わりに置くべきでしょう)

また皇国史観に戻ろうとしても、さすがにこれだけ情報が行き渡った世の中になると、天皇を再び権威として機能させることは難しいでしょうし、また、幸いなことに、現在の天皇及び皇太子は、共に非常に平和主義的な人物のようです(他人に利用される可能性はもちろんありますが)。

取りあえず右翼は、北方領土や北朝鮮、中国に関して声を張り上げているしかありませんが、思想的悩みは案外深いのかも知れませんね。「美しい国」では、運動に力が入らないでしょうし・・・。

尚、右翼に限らず日本人が大なり小なり持っている、アメリカに対する複雑なキモチというのは、今後、アメリカに都合良く利用される可能性がありそうです。

アメリカは、手を広げて日本や韓国を守ることにそろそろ飽きてきているようです。日本が、従順な国で、且つ、大いなる武器のバイヤーになってくれるのなら、更に言えば、軍事的にも「アメリカの格下子会社」として、手先として使えるようになるなら、日本が再武装することを歓迎する雰囲気が出てくるのではないかと思われます。

いい気になって憲法を改正する頃には、中国、ロシアとまともに対峙させられていて、防衛省が現在の倍以上の軍事費を使い、意図的に作られた「下流」の若者を日本軍にリクルートするようになるのかも知れませんね。

>poeskさま

邱永漢氏は日本国籍を取得されているのですか。国籍に拘らない私にとっては、どちらでも良いことではありますが、ご本人の意志でそうなっているなら、いいことでしょう。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-01-07 14:50:33
>Unknownさま

世界政府はいかにもマネジメント・コストが高そうですね。現実的とは思えません。

日本の国土に住む人にとって現在の日本が、取りあえず安全で安価な過ごし方だというのは、想像力の問題ではなくて、これは、単なる現実ですね。ただし、遠い将来にわたってそうなのかは、それこそ、かなりの想像力を使わないと分かりませんね。

国防や防犯といった問題は生活に付随して存在しますが、仕組みとしての国をどう利用するか、と考えればいい問題ではないでしょうか。愛国心と関係させない方が健全だと思います。

また、海外脱出できる人を嫉妬しても何ら得るものはないでしょうし(それぞれが好きなようにすればいい)、もちろん、日本にいながら、日本国のありようを変えるとか、仕方がないから日本国に我慢をするといった、選択もあるはずです。

歴史を学べ、というのは、議論に困った人が、しばしば持ち出す言辞ですが(学びに限界はないので、相手が歴史を学び足りていないことを、相手の非として、何時までも議論が維持できる)、歴史の何を学んだ結果、どうせよと仰るのでしょうか。

何を想像し、その結果何をしようとするのか、ご意見をもう少し筋道立てて書いていただかないと、たぶん、このブログの読者には退屈だろうと思います。
 
 
 
右翼はいない (作業員)
2007-01-07 15:53:16
>天皇を再び権威として機能させる 略 現在の天皇及び皇太子は、共に非常に平和主義的な人物

思想界のマツケンこと松本健一を斜め読みしてきたわしの意見としては、おっしゃるとおり、です。
仮に右翼なる存在があるのであれば、憲法改正は一条から。象徴天皇の否定から。ですが、そういう声は非常に小さい。「愛国心」強制装置として、ヒノキミは利用できるが、天皇および天皇制は利用しにくい。
それから、網野先生の授業を受けていた皇太子さま、ヒノキミを強制する米長さんにギョーギする今上天皇さま、この方々が心根として、もう統制の装置としては利用されたくない、と発露しておられるように見受けられる。
で、右翼はいない、になるわけです。戦前の思想をからめて論じるには、葦津珍彦と、かの本間さんと同じ阪大の子安宣邦、あたりの読書で右左バランス、でしょうか。
経済思想は、北一輝等に見られるような国家社会主義が伝統派であるとは思うのですが、オピニオン紙として、親米の産経さんなどが前面に出てくると、ややこしくなります。神社新報でも微妙です。わしも、よくわかりません。基本的には電力会社の提灯新聞である産経さんのいわゆる経済思想、ズバリ言って、「産経はグローバル主義か、アンチグローバル主義か」のところが、さっぱりわかりません。保守派は、親米反米まっぷたつで、安倍さんは復古調だけど、親米岡崎氏などをブレーンにしているので、市場至上の現アメリカに対抗できるわけがない。

結局、古典的な、外に敵をつくることで内をまとめる、という手法しかないのでしょう。内部の外部、で山さんもわしも非国民でしょうな。

ネーションとステートという議論についてまじめに考えたことがないのですが。ナショナルな話というのは、常にエスニシティーの問題が出てきますよね。
わしのようなまったきヤマトにヒノキミを強制するならまだしも、リュウキュウビトとかアズマエビスとかいった人々に別の旗を強制しようとする、米長的右翼は、デリカシーがないと思います。

マツケンさんの話にもどすと、ずっと以前から、「マツケンが正論論客であるのはおかしい」、とわしは言ってきたのですが、そのことを右派は理解できないでいました。経済思想とは別に、保守思想家と天皇主義者、がいるとされますが、天皇主義はかなり怪しいし、繰り返しになるが保守もまっぷたつだし、どう収斂するか、見当がわしではつきまへん。力不足であります。
 
 
 
追記 (作業員)
2007-01-07 16:32:26
>日本が再武装することを歓迎する雰囲気

キンキンの番組で、吉岡忍と田岡元帥のおもしろいやりとりがありました。「御手洗はなぜ今頃、愛国心などというトンパチかましているのだろうか?」という問いに、唐突に吉岡が、「軍事産業育成ではないか」と発言し、田岡元帥が「日本の武器なんかどうもならんよ」と一笑にふした、のでした。
でもまてよ、インターネットももはやフロンティアではなさそうだし、北欧諸国を見習って、「売れるものなら武器でもなんでも作って、その金で社会保障でもしてやるか、ニートどもに」とか、御手洗総務部長なら思いつきそうだなあ、と思いました。

バイヤーになるなら、緊張の継続が必要でしょうが、わしは一気に中国等に水をあけられるのではないか、哀れみの対象になるのではないか、とも感じています。

成長成長と今の指導層は言いますが、18世紀初頭英国と古代ローマの人々の暮らし、大してかわらなかったわけでしょう。いささか教科書的ですが、もう少しはっきりと、アナウンスすればいいではないですか。
「ゼロサム状態で最下層をケアすると、上流の持ち出しになる。上流は生活レベルを下げたくないので、なんとしても成長して、くれてやるにしても、できればくれてやりたくないが、せいぜい成長分を下流に、くれてやりたい、残念だけど」

労組については、親子二代の労働貴族嫌いなので、本来はどうでもいいのですが、法制上認められているのですから、労働側が好きに使えばよいことでしょう。よくないのは、法律を破ってもいいと思っている御手洗総務部長のようなタコ社長であるのは言うまでもありません。
労働者が一人で会社と対峙できるというのは、たぶん、わしが言っている、全労働者参加型の組織、と同じことになると思っています。
完全裁量労働については、経済学は実験できるか、ということの実験として、まず、天下の御手洗キャノンから導入すればよいと思います。もちろん、非正規労働者の雇用を許さない、という条件を付加した形の会社制度としての実験であります。これが労働者にとっての本当の公平になるか、実験結果が楽しみです。がんばれ御手洗キャノン!
 
 
 
愛『国』の流刑地 (Dialectician)
2007-01-07 16:34:33
愛にこだわるのは、本来的に受任者でしかない政府が委任者に向かって愛を云々し始めたからでしょう。治者と被治者との緊張関係を曖昧にするほうがむしろ想像力の欠如であって、これこそは受任者=治者の思うツボに嵌ることじゃないでしょうか。それにこの方(Unknownさんなのであしからず)自身が国家が道具・器的なものだと思っているとも読める(単位として安全・安価)。現状として国家は必要だと思う。が問題はそれを委任者がどう制御・監視して行くかだろう。
山崎様と床屋政談様(このエントリー設定を教唆した方?)とのやりとり・論考を読ませて頂いた感じではお二人の相違はたぶんに“愛国心(憂国心)”というコトバに対する警戒心の感度の違いに過ぎないようにも見える。具体的場面でどう結論が異なるのか、きっと異ならないのではないでしょうか。ただ山崎様のほうが一層強力な想像力を持っておられる感じ。床屋政談さんは、行政機構は愛の対象ではなく、信用の対象かも、と仰っているのを借用すると、自分はむしろ更に進んで信用ではなく懐疑の対象とみるべきではではないか、と思う。そうしたほうがマトモな政府にできる。被治者が治者を名宛人にしている近代憲法の統治機構規定も受任者への懐疑・猜疑心が通底になっている。特定の事件の集団訴訟委任をしている委任者達と弁護士との間ぐらいならば、まあ貴方を信頼しているから兎に角全力でお願いしますの白紙委任でも済むかもしれないが、国家権力に対してはそうはいかない。ボーっとしてるとたちまち骨の髄までしゃぶられる。北の将軍さまのミサイルと、被治者に対してオレを愛せと強要する法律を作ってしまう治者とではどちらが真に脅威なのか、いい勝負ではないか(言うまでも無く、法律の名宛人は憲法の逆で、被治者である)。愛にも色々あろうが、これは正にSMの世界だ(あくまで想像です)。根っからの鄙的な地位にある自分の主観だけでものを言ってはつまらないが、どっこい畿の内外でいえばむしろ社会的に畿外に位置する層のほうが安易に愛国に傾斜しやすい感がある。
どこかで読んだ文章に、愛というのは公平でもなければ自由でもない、らしい。愛というのは他者が自分に深く根を下ろした状態で、その部分を他者に占有させて自己を空洞化させるものだということらしい。博愛というのもコトバのうえでは存在するが、あくまで愛の本籍地は特定の人に偏向することのようだ。そうであればこの問題の条文の後段は見せかけに過ぎないし、現実の立法過程にも妙に合致している。その特定の人を愛すると(たしかに心地よいのだが)、その人の意思決定に無批判的に自ら従うものだという感覚・経験は自分だけじゃないだろう。
しかし自分はこれに付け加えて、愛は倫理的でもないとしておきたい。『愛って何ですか?』『愛とは後悔しないことだよ』ってな妙な会話を昔観た古典的な映画で聞いたが(必ずしも不倫を続けたいオヤジの返答ではない)、こんな感じですか。愛は倫理をなぎ倒して邁進する魔力がある。こういう魔力を持った愛というコトバ(そういえば英語のSpellというのは魔法という意味もあった)を法文に書き込むというのは相当きもい。比較法は知らないが外国ではどのくらいこういう法律があるのだろうか。かなりあったとしてもどんな“程度”の国だろうか。ニーチェ風には公平であることも倫理的であることも全く不要なのかもしれないがそれでも自由を自ら否定していては自分の全否定ではないか(というかあまり哲学に詳しくないが)。こういった水と油なものを無理やり結合するのは法の堕落の始まりであり、愛の堕落(逆説的堕落)だろう。
愛『国』の流刑地は、山羊様の投稿で思い出した硫黄島です。
 
 
 
Unknown (Dialectician)
2007-01-07 16:47:16
自分の投稿の前にいきなりこんなに沢山コメントが出ていたとは!
前後してしまいますがそういえば作業員さんの“戦後の労組はアメリカの統制の下に”というので思い出しましたが、かの1949年に立て続けに起きた史上最大の一連の謎の事件、三鷹事件、松川事件、(下山事件もそうだっかた?)は結局アメリカが統制できなくなったときに“起こり”ましたよね。個人的にはあの事件の真相が明らかになるまでは憲法を改正するべきでないと思う。逆に、真相を公表するならば改正してもいいだろう、というぐらに本質的に重大な事件だったと思う。
 
 
 
森達也ではないので (作業員)
2007-01-07 17:05:08
わしでは真相に迫ることができまへんが。一連の事件については、いずれ真相が分かる、という感触がないですね、わしには。

非弁活動で有名な西村さんがよく、「もっとも反共色の強かったのがわが民社党だ」と言っておられましたが、その民社党の活動費がアメリカ様から出ていたのはよく知られていますですな。

で、憲法の話をすると。西村さんなんかは、現行憲法は無効だ、と主張しておられたわけです。無効でもいいけど、そしたらあんたの弁護士バッジも無効、議員バッジも無効、現行憲法下で死刑にされた人間はとりかえしがつかんだろうに、とまあ、突っ込み所は多いわけですね。
西村さんがかわいいのは、「刑法がなければ、わしゃ女をおしたおしまくってやる」と、乱暴だが殊勝なことも言っておられるところで、某総務部長のように、法律も膜もおれが破ってやる、という大分原人的態度ではないわけです。
なぜか角栄の娘のブレーンだった小林節が、「改憲しても、日本人は法律守らないからいっしょ」と発言するたびに、わしはうなずきます。警察予備隊のところからおかしいわけで、御手洗のような人間がトップであるならば、憲法より法華経とかの法が、ましではないでしょうか。

まったく話はかわりますが、わし昔から、セルジオ越後の大ファンで、村上さんが紹介しているサッカーの座談会、とても楽しく見ています。金子のあたま、ありゃなんじゃ?
ジーコは、はっきり言って無能だったのでしょう。トップが無能であるというのは、その任命責任が問われる、御手洗をトップにした経団連全体に責任がある、とわしは解釈しました。安倍について語ると、名誉毀損で訴えられるので、やめておきます。が、安倍を選んだのは、我々ですな。反省します。では、おやすみなさい。
 
 
 
安倍ちゃんファックも愛ゆえだからわかってくれるよ (アベルフ・シンドラー)
2007-01-07 18:56:27
> 安倍について語ると、名誉毀損で訴えられる

語っただけで訴えられるのなら、漢字を間違えたらどうなるのでしょうか。安倍→阿部とか。

安倍ユーゲント的には、安倍というのは呼んで字のごとく『倍安い』ということですので、かつてない規模での安い売国を目論んでいるような(←いいがかり)
 
 
 
ナショナリストから感謝にかえて 3 (床屋政談)
2007-01-07 19:22:38
山崎さん 皆さん こんばんは


愛国や国について、
Dialecticianさんが指摘されたように、
愛国心という単語への警戒感は分かります。特に主宰の山崎さんはじめ、ここの常連さんがこの言葉自体を批判する馬鹿にするのは、何と言うか、予想されるというか、そうだろうなぁ、と言うか…

ただですね、仮にある人(人々)を某宗教から抜けさせようとしたときに、
「神」や「宇宙体」が如何に馬鹿馬鹿しいかを説くことに注力する、そんな説得法だけで相手に届くでしょうか? 
具体的には、通常人と共通な、信者の生活者の部分、そこの共感(共通言語)から話の筋道を積み上げて「神」を定義し、その「神」が如何にオカシイかを説く方法だと思いますが…

逆に、「神」自体は否定せずに、
(そもそも前提として「神」は大きな超越的なものだと信者に「感覚されている」わけですから)
「それを狭く硬直的に定義することがどれだけ難しいか」を語り続け、共感し続け、「神」を信者の意識上でも柔らかくし…拡散させ…実生活上では無害化させる…(説諭中は最後まで「神」自体は否定しない)
そんな方法もあるし、有効だと思うのです。

それは「神」を「愛国」や「国のかたち」に替えても同じだと思うのです。

私の身の周りでは、「宗教してた」人が、教団や宗門の狭い教義から抜け、しかし「神」自体は内心に持っている、そんな人にとっての「神」は、もう「良心」に近いように観察しています。
「友愛」はフランス国家の合言葉の一つです。フランス革命時に戦闘的宗教的な掛け声ではあったでしょうが、当時にフランス全土の規模でこれを目標に掲げたのはまさに革命的だったでしょうね。
「助けアイ」を「友アイ」と呼んだところで、マイナーな問題と言ってはいいすぎですか? 
通ってしまった教育基本法について私は、「愛国心」の定義や運用について、安倍氏も野党もどうにも頭が硬そうなので(偉そうですね私・笑)、全否定せずに時に愛国者憂国者として支配層権力者を攻撃するネタにしつつ、無視するか膝カックンすればいいじゃないか、とも思っています。

ちなみに私はキリスト教やユダヤ教、イスラム教についても、「神」を否定せずに、科学も市場経済も、合理主義ができるのでは思います。(というか、上記の説得法はキリスト教の歴史の本を参考にしています。)ただ、本来の仏教精神は良くも悪くも世俗に対して手強いと思います。

愛国や国も、そんな感じでどうでしょう?(笑)

そうそう、上の説諭法でも説諭者は、「神」や「愛」「国」について、共感(のフリ?)をしつつも、心の底で酔っていてはいけませんね(苦笑)
 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-01-07 23:35:07
>アベルフ・シンドラーさま

安倍さんの寛容度がどんなアンバイなのか、というのは、興味の湧くところです。何となく、劣等感を感じさせる坊ちゃん風故に、定石としては、「狭量」を想像したくなりますが、案外「寛容」のスケールが大きいようなことがあれば(もしも、あれば、ですが)、なかなかしぶとく世渡りできるかも知れませんね。

>床屋政談さま

「国」という宗教に嵌った人を、どうやってより健康な精神状態に導くか、という問題は、確かに、大きくて重要な課題だと思います。

とはいえ、それ以前に、先ずは、「国」という宗教の正体と、あるとした場合にその弊害を十分確認しておく必要がありそうです。そうでないと、治療する必要のない病人を無理に治療するような愚を犯しかねません。

尚、宗教と脳の関係などを考えると、確かに、純粋な形での(他人への押しつけを含まない)仏教というのは、脳の機能との親和性が高そうに思えます。

何れにせよ、「国」のような共同で使うべき仕組みを支える精神的基盤としては、偏りがあったり、他人への強制を含む「愛」よりも、自分自身を律する「良心」の方が良さそうに思えます。

「国」の問題に限らず、「良心」という概念は、もっと育てて、大切に使うべきなのかも知れませんね。
 
 
 
Unknown (hiro)
2007-01-08 09:52:43
>愛国心という単語への警戒感は分かります。特に主宰の山崎さんはじめ、ここの常連さんがこの言葉自体を批判する馬鹿にするのは、何と言うか、予想されるというか、そうだろうなぁ、と言うか…

床屋政談さんのこの部分に触発されて。床屋政談さんの意見の趣旨とは無関係です。

他のエントリーでも、読者の反応が予想されることがままあります。それは、このブルグには、山崎さんのこれまでの著作や言論を通して氏に共感している人が集まっているからだと思います。

人は、自分の意見や考え方に合う情報を好むそうですから、山崎さんの意見を聞いて安心したい人が自然に集まってくる。

反感を持っている人も見ているでしょうが、そういう人はわざわざ反論、異論を書き込むことは少ないでしょう。敵陣に単騎で乗り込むようなものでしょうから。

山崎さんは、この場はアンテナショップ、と書かれていたと思いますが、読者のコメント(コメントをする読者)がある傾向に収斂されていくのが自然の流れだとすると、論説のみならず、多忙ななかで丁寧にレスをつける労力とアンテナショップ経営が見合わないのではないかなと心配したりします。

ところで、人が自分の好きなサイトで情報収集し、書き込みでのやりとりなどで自分の意見に対する確信を深めていく社会というのは、ある意見、考え方がどんどん先鋭化していくことでしょう。世の中にはいろいろな意見があってバランスがとれていますが、なにかのきっかけでバランスが崩れると、ある特定の意見が暴走しかねないと思います。

私は、政府の暴走より、世論の暴走のほうをより心配しています。
 
 
 
Unknown (lili)
2007-01-08 12:56:00
http://www.eltes.jp/recruitdirector.html
ベンチャー志向の学生向けにおもしろい新卒採用やっているところあるよ。
 
 
 
タウンミーティングの説明としてハズレではなかろう (アベルフ・シンドラー)
2007-01-08 16:09:39
> 私は、政府の暴走より、世論の暴走のほうをより心配しています。

それらが別々のものに見えてしまうセンスを、安倍ユーゲント的には御心配差し上げる所存であります。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-01-08 17:33:52
hiroさま、アベルフ・シンドラーさま

「政府の暴走」というのも、一つの「世論の暴走」ですし、しかも、権力を伴って暴走するので、やっかいですね。この際にも、「国」というのは特別なものではなくて、どこかの誰かが関わっているものなのだ、という点の認識が重要だと思います。

もっとも、世論の暴走にあって、我々は、誰でも、被害者でもあり得ると同時に、加害者でもあり得ることは、常に意識しておく方がいいでしょうね。
 
 
 
山羊 (群集の英知)
2007-01-08 21:07:55
hiro様のコメントに触発されてコメントします。

>ところで、人が自分の好きなサイトで情報収集し、書>き込みでのやりとりなどで自分の意見に対する確信を>深めていく社会というのは、ある意見、考え方がどん>どん先鋭化していくことでしょう。

山崎先生のブログが「先鋭的」というのは多少はうなずける部分もあります。山崎先生やブログ参加者の皆様のように柔軟で合理的な思考を提示し、公平に議論するなかで輝いてくる7色の光にかざすと、「伝統的な知恵」はふるぼけて見える場合があります。

インターネット上で形勢されるかもしれない「群集の英知」は、ありとあらゆることに対して批判的に自分のこととしてとらえ直す力を与えてくれています。

ひとつの議論としてとらえ、「自分がその状況におかれたらどうするか」、考えるといいと思います。

さて、愛国についての皆様のコメントは深いですね。僕もコメントします。

「わが国と郷土を愛する態度」が問題なのは、
(1)愛国が一般に強制されており、思想信条の自由、表現の自由に反すると考えられること、
(2)憲法改正・戦争放棄の廃止の前段階と位置づけられた改悪なのに、それを隠して議論なしに成立したこと、
(3)教育現場を生徒への「洗脳」に使われる懸念があること、
(4)教育現場から多様な考え方を排除し「愛国」的な教師だけが量産されるようになり、生徒が他の視点を失ってしまう恐れがあること

愛国を強制されたからと言って、人は国や郷土を突然愛し始めたりはしません。愛国の名のもとに生徒の考え方に悪影響をおよぼすことを心配します。小泉チルドレンのように愛国に迎合して周りにうるさく言い出す人がでてきそうでいやですね。

山崎先生のエントリーは本質をついていると思います。
(1)「「国益」とは、多くの場合、政府を利用する特定の個人ないし集団にとっての利益であって、国民にとって、無条件かつに存在するものではない、怪しい概念だと考えています」

(2)(政府は)「本当に愛しているなら、愛するもののために、何でも出来るはずだ、命も捨てられるはずだ・・・」と言い出しかねません。

「戦争する」ということは、多くの兵隊だけでなく、国民すべてにたいして「国益のために人命をリスクに晒せ、殉職しろ」と言うことです。昨年のイスラエルのレバノン侵攻でも、アメリカに「侵略」されたイラクも、戦争に巻き込まれた戦死者は「悲惨」の一言です。一般の国民が犠牲になっています。
「国益」というのは、そうした大きな犠牲を払ってまで守るべきものでしょうか?

アジアの隣国との軍拡競争をおしすすめるつもりなのでしょうか?第一次大戦、第二次大戦、冷戦時代の愚を繰り返すのでしょうか?

軍隊をもったからといってそれが紛争の解決策にはなりません。たとえば、仮想敵国を中国とします。いまや中国はダントツの経済力をもち、軍事費も桁違いですし、核をすでに実用化し、宇宙ロケットも持っています。米国の庇護なしでは、日本が軍事力でかなう相手ではまったくありません。自衛隊でも国を防衛する抑止力となることは可能です。軍隊にすると先制攻撃ができますが、「真珠湾の奇襲攻撃」を再度繰り返すつもりでしょうか。

北朝鮮はすでに国民は飢餓レベルに近い生活をしており、「窮鼠猫をかむ」の状況に近いでしょう。日本が軍隊を持ったからと言って抑止力になるとは思えません。

第二次世界大戦で米国と連合軍に破れ、無益に散った多くの人々の話を見ると、無益な戦争はすべきではないと思います。
軍事拡張も、軍事産業を肥え太らせる以外にどのくらい意味があるのでしょうか。

国際社会、また日本で再度「国際連合の理念」が蘇ることを期待します。
(以下 国連憲章 前文より抜粋)
われら連合国の人民は、
われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、
基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、
正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、
一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、
並びに、このために、
寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、
国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、
共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、
すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、
これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。
 
 
 
本日の立ち読みなど (作業員)
2007-01-08 21:08:19
「アメリカの日本改造計画」イーストプレス

反米親米とか口走ってしまったので、反米保守でまとまった上記の本を斜め読みしてきた。山さんの先輩の西部さんとか、佐藤優さんとか和田秀樹さんとか森田実さんとか、そのあたりが書いている。基本的には、郵政民営化を中心に、竹中が従ったというアメリカの要望について書いてある。ああ、よしりんも書いてるよ。保守はもうだめだ、ちゅう感じで語ってる。
森田実によると、元左翼活動家がアメリカに留学して、すっかり親米保守になった、らしい。政治家でいうと、ナカソーネが戦犯のようだ。
理屈で言うと西部さんの言うことはよく分かる(内容は略)のだが、わしはたぶんまっとうな保守ではないので、理屈の上のことにすぎない。本には、平沼たちに付かなかった石原裕次郎の兄批判プラス産経批判もあり、ややこしさ、きわまっている。立ち読み程度にはいい本だと思います。

で、タウンミーティングについてだが。市民を参加させると、プロ市民と日教組に会場が占拠されてしまう、と考えた主催者側が、自分たちに都合のいい人間に声をかけたわけだわなあ。具体的にどの会場でどういう人間が動員されたか、報じてもいいように思うが、それについて触れた紙面等は見たことがない。
毎日は、最近、日本会議や、ワセダ生長グループなどの名前をあげて保守の潮流を解説するようになって、よいことだと思う。
国に嵌る、という言葉を安直に使っているけれども、基本的に各自ちゃんとグルを持っている宗教色の強い個人達がグルになって、あーいこーくしーん、と唱えて回っている、ことを忘れてはいかんよ。で神社本庁系以外は、法華経信者が多かったり、ヤソ風情とか、いろいろだからして、これがまたややこしさ、きわめてしまっている。某グループの三代目のように完全に左ぶれしてしまった例もあるし、グルに帰依している人の言う愛国心は、明日どうなるか実は分からん。池田学会もしかり。
安倍ちゃんにしてもお伊勢あるいは靖国うんぬんより、本当は○光塾で政権安定祈願とかしたいんじゃないのかと思う。光○さんが死んで、神通力も失せたのだろうか。蝋人形じゃないか、最近の彼の風情は。
 
 
 
山羊 (訂正)
2007-01-08 21:25:50
ちょっと前の「群集の英知」のコメントですが、名前欄を間違えました。「山羊」の書いたものです。
また「小泉チルドレン」についてのコメントは取り下げたいと思います。誹謗中傷のようになってしまい、失言をお詫びします。
 
 
 
Unknown (hiro)
2007-01-08 21:47:15
アベルフ・シンドラー さん

>それらが別々のものに見えてしまうセンスを、安倍ユーゲント的には御心配差し上げる所存であります。

なるほど、世論の暴走とは政府による世論形成、誘導ということですか。
経済政策、社会政策では無能でも、世論操作においては政府は万能なんですね。勉強になりました。
 
 
 
自問自答 (作業員)
2007-01-08 22:54:45
「御手洗はなぜ今頃、愛国心などというトンパチかましているのだろうか?」

ふと思ったのだが。我らが御手洗さんは、キャノンが「外資扱い」になったことに、過度に反応しているのではないだろうか。ひょっとして、右ぶれしているという今の世の中で、突然、外資排斥の対象に自社がなることを極度に恐れているのではないだろうか。普通、現場作業員などは、自国民の失業率を改善するため、自国民に安定的な暮らしを提供するため、に自国民を優先的に自社に正社員として雇いできるかぎりの高賃金を渡す、それこそが、経済合理性を超克した真に愛国的態度、と考えるが。
御手洗さんはわしとは違い、愛国心を強制する者どもこそ、真に愛国的人間である、と考えているのではないだろうか。御手洗安倍コンビ、実によくできている。
美しい国、を文脈で考えると。美しくない国にしたアホ政治家が過去にいた、それって安倍一族、やろうに。安倍一族から総理大臣など絶対に出さないこと、こそが、美しい国への一歩、と現場作業員などは考えるが。
安倍ちゃんとお便所は、屋上屋を重ねるように、糞尿に糞尿を重ねてみせるわけである。新年は上品にいこうと思った作業員であるが、もはや限界である。だって安倍や御手洗は、美しくない、から。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-01-09 01:09:37
作業員さま

ザ・トイレマンが「愛国心」に拘るのは、たとえば「労働ビッグバン」のような企業(の株主と経営者)にとって利益になる彼の希望に対する批判や反感を、「企業の繁栄のために」ではなく、「これは、お国のためなのだ」と逸らしたいからではないでしょうか。まさに、愛国心は、悪党の最後の逃げ道です。
 
 
 
ひょっとしたら (地兜アキラ)
2007-01-09 12:38:42
政府の方々は

◎“愛郷愛国”を教育スローガンに掲げなければ“公共心”を啓蒙出来ないと考えたのかなぁ…?

◎“愛郷愛国”の言葉で国民を煽っていかないと国の防衛力を維持および増強出来ないと考えたのかなぁ…?

だとすると、一国民としてはややもすると馬鹿にされたように感じなくもないですが、政府が色々と国内の問題や対外政策に危機感を持っているようにも思えます。

教育基本法に関しては旧法も改正案も“理念”として捉えられているような気がします(因みに改正案は私の周りの教員さん方にはかなり評判悪いです)。よって教育の現場で殊更に“愛郷愛国”が強調される場面は実は少ないのではないか?
とばかりに愚衆の一人として呑気に構えています。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2007-01-09 13:31:29
地兜アキラさま

いらっしゃいませ。

現場の教員に良識があって、お上の指導に動じないで適切な教育が出来る、ということだと、本当にいいのですが、それにしては、随分な政治的コストを払って法案を成立させたこととの辻褄が合いませんね。

状況的には、「心配する方が正解」のような気がするのですが、いかがでしょうか。もちろん、取り越し苦労であれば、それに越したことはありませんが。
 
 
 
日本の信用 など (作業員)
2007-01-09 18:05:56
御手洗経団連は、こう言っている。
「外国人労働者に対する不当な扱いを早急に是正せよ! 日本の信用にかかわる一大事だぞ」

愛国者なら、順序が違うだろうに。偽装請負も十分に日本の信用にかかわるだろうが、御手洗さんよ。あんたは、国恥なんだから、たのむよほんと。恥を知れ。

たまには石原大統領気分を味わおうと、最近とみに貧乏くさいプレジデントを開く。と、伊丹なんとか、まだ学者やってるんだなあ、こう言っている。
「日本の労働分配率、適正水準」
過去のある時期の水準に戻ったまで、という説明を伊丹はしているが、労働分配率ももう意味がないような気がする。御手洗キャノンは、非正規、七割やろ。分配率が等しいとする過去のある時点と、雇用形態等、変わりすぎたんじゃないか。ドイツフランスなどと比べても低くはない、とまとめている御手洗御用新聞もあるが、ノルウェーはものすごく低いぞ。分配率の高低と幸せ度は、関係ねーみたい。分配率を語るときに、純粋に分配率だけを取り出せる、経営学者のその神経に、おそれいる。

愛郷はよくわからんが、愛国はヒノキミしか使えるツールがないだろう。ヒノキミにしても愛国心にしても、問題はその強制性であって、歌いたくない歌をどの程度その口こじあけて歌わすことができるか、線引きでもめているわけですね。教員の評価を繰り返すことで、とりあえず日教組の先生を現場から追い出すんでしょうが、歌いたくない歌を大口開けて歌うような亜保リーマンに、真の愛国教育ができるかどうか、ひとつの教育実験でしょう。解放同盟の子供が一人着席したまま、「君が代の君は天皇ではないのか。天皇制は身分制ではないのか」とつぶやきながら震えているのを見たみなさんは、なんと声をかけてあげますか。
わしはまあ、「天皇制は身分制です。気に入らなければ、革命を起こしなさい」と教えるでしょうか。とりあえず、今日は気分がのらないので君につきあって着席したままでいるよ、という態度をわしはとるでしょう。そしてわしは、クビですね。それもまた、自己責任でしょう。首にしてくれた教育委員会の頭、とばしてやります。
 
 
 
Unknown (Dialectician)
2007-01-10 00:12:04
それはかなりリアルな場面ですね。
今はまだ生徒への強制の規定はないが、今後10年単位ではそれさえ分からない。
それでも地球は丸いのガリレオだか地動説のコペルニクスだかが弾圧されたのが4,500年前の話なら、日本では京大滝川事件とか東大天皇機関説事件とかはほんの6,70年前の話だ。姦通罪(妻だけが犯罪になる)はおかしいとか、天皇は神様ではなく人間で国家機関だというだけで弾圧という冗談のようなホントの事件だった。まことに宗教権力とか国家が学問・思想・良心に介入してくるとロクなことにはならない。ただし、美濃部達吉大先生は滝川先生や山崎様と違って随分と腰が引けていたようだけど。個人的には自分は天皇制はまんざらさでもないと思うが(平和志向の天皇が結構好きである)、天皇利用はいかにも薄汚い。尤も、もうその手は無理か、、、、実はそうでもないか、、、
 
 
 
国と道州制 (山羊)
2007-01-10 05:17:16
天皇は象徴に祭り上げられており、行動の自由も権力もないから、自分だったら天皇や皇室の一員にはなれないし、なりたいとも思わないからうらやましがらないように、と僕なら子供には言っておくでしょう。。。

イギリス女王や王室の一族のような特別階級は歓迎ですけどね。大衆紙のパパラッチに追い掛け回されることがイヤなくらいで、特別の法的地位や権力、自由も資産も継承できます。

「6,70年前は弾圧があった」ことは大事そうですね。だれもが表現できる時代でも、学校空間を愛国的にすることはできてしまいそうですね。それを防ぐ意味でも、ブログなど、インターネット空間でオープンに自由な議論ができることは非常にいいと思います。

山崎元先生も寄稿されている村上龍氏のJMMは創刊時からのファンですが、JMMのように幅広く公平で合理的な意見をオープンに表明できるメディアが無数にあれば、弾圧するのも難しそうですね。

話は愛国と郷土愛へ戻ります。愛国はうさんくさいところもありますが、郷土への愛着は抜きがたくありますし、日本文化も好きです。どこにいても、いつになっても、郷土への愛はなくならないでしょう。「風とともに去りぬ」のスカーレットのように。(でも続編ではスカーレットはタラを去らざるをえなくなり、別天地で生き抜きます。)

国も会社もひとつの利用すべき対象と考える、というのも面白いと思いますが、国が会社とも違うのは、気に入らなくても自由に国をつくったりできないことです。民族自決の原則からも「日本民族」の国はひとつになり、日本政府からも国連からも独立は認められないでしょう。

(1)政府が暴走しないように意見を表明し、投票すること。国会がきちんとした議論の場になるように勢力があまり片寄らないようがいいでしょう。
(2)戦争や侵略、弾圧には亡命するしかないでしょう。「サウンドオブミュージック」では主人公一家がナチスドイツのオースリア併合に抗議し、アルプスを超えて亡命します。ご存知のとおり実話です。アインシュタインはじめ多くのユダヤ人も国外亡命しています。

山崎元先生に「リスクシナリオを考え、準備するのは大変ですね。自分や子供のことは自分で考えるしかありませんね。」とコメントを頂いておりました。大変ありがとうございました。
自分は某国永住権を持っているため万一のため大事にしたいと考えています。

最後に郷土愛ですが、道州制を導入すると郷土の行政機構がかなり変わります。合併で山むこうの県が作った借金もひとまとめに背負うこともあります。隣人を愛せよ、隣人がつくった借金も愛せよ、ということで郷土愛なのでしょうか。
 
 
 
原田泰だったかな (作業員)
2007-01-10 15:40:34
国家社会主義批判のひとつの物言いとして、フリードマンなんかをあげて、「戦争に対する罪は、資本主義にはない」と言っていた。伊丹も伊丹だが、原田も原田だ。財閥が戦争に果たした役割と資本主義は、本当に無関係なのだろうか。ま、それはいい。

御手洗さんが言っているのは、「学校で子供たちに愛国心を強制するのはあたりまえ、企業もおなじ。朝晩日の丸に向かって君が代を歌うように」である。なーにが経済自由主義じゃ、わらかすなって。
資本主義が免罪できるのは、「会社はカネモウケ以外のイデオロギーを絶対にもたない」場合だけやろうに、フリードマン的には。そうですよね、山さん。
「グローバリズムと愛国心の融合」のいきつくところは、結局(自国が儲かるなら)海外での戦争を望む、でないのか、それこそが、いつかきた道、でないのか、たのむよ経団連。

建築業界では有名な話だが。某ハウスという会社は、朝晩君が代を歌ったりしていて、カルト化がはなはだしい。が、こういう会社をどんどん増やしたいのが、御手洗経団連なのだから、敬虔なクリスチャンや在日の人などはたまったものではないだろう。ほんと、ヤマトを代表してわしが謝るよ、ごめんなさい。
で、この某ハウス、なんでこんなスパルタやっているかというと。バブル期にゴルフ場開発で出した大赤字を本業の儲けで埋めているからなのね。建築系の人材はあぶれているから、少々の憲法違反はとおるわけ。かわいそうなのは社員で、なんとなく愛国心を表明しつつ死ぬほど働いたところで、負債処理にアガリはまわるから、絶対に給料は増えない。景気がよくなれば、こんなカルト会社からは人が離れるのだが、景気をよくしない政策を、御手洗と安倍がうっているので、しばらくは某ハウスももちそうだ。

ついでなので書いておくが。
手元に大手求人誌があり、「大分でデジカメをつくる」という仕事を大量に募集している。大分といえば、御手洗の郷土だが、偽装請負はもうやめたらしいので、まさかキャノンの工場ではないだろう。
今回問題にしたいのは、この大手求人誌である。このデジカメ仕事を募集しているのは、派遣・業務請負会社であり、別の求人欄には自動車会社への派遣会社として名前がでている。で、デジカメ作りが、請負なのか派遣なのかの記述がない。派遣なら派遣と書くので、請負なのだろうが、こういう求人の仕方を大手求人誌は許すべきではなかろう。
自動車会社への派遣にしても、「正社員登用あり」としているが、この正社員登用は、「このインチキ業務請負会社への正社員登用」のことだと思われる。自動車会社で働き雇用申し入れを受けることができる、というのと天と地やろう。もっとはっきり書きなさい、大手なんだから。
些末なことだが、この大分への「派遣」、見習い期間がある、と書いてある。見習い期間が、試用期間ならば、試用は派遣とは無縁のことであるから、百パー請負だろう。この派遣いや業務請負先で元請けから管理監督指揮命令がなされたら、いわゆる偽装請負であるからして、求人に応募した人はすぐに労働基準局と朝日新聞へどうぞ。派遣扱いにかえてもらって、三年レンズを磨き、大手メーカーの正社員になりなさい。
さて、大手求人雑誌さま。このデジカメ会社、まさかキャノンではないですよね? 朝晩日の丸に向かって君が代を歌っている工場なら、間違いなくキャノンだろうけど。
 
 
 
何か欠けているもの (サイレントじゃないマジョリティー)
2007-01-10 22:19:55
山崎様

このエントリーの課題が難しい問題と化すのは、それがひとたび指導的立場にある特定の人達や団体で語られたり 法律という形で確定されると、仮にそれが悪法であっても『悪法も法なり』として万民が認め従わねばならないという大方の了解として社会一般から公認された『公認力』とでも言うか公の定めとしての『公定力』とでも呼ぶようなヘンテコな悪魔力を持って仕舞うことではないでしょうか。

殊に他国に対して民心を無理矢理にも束ねて同じ方向に向ける事がその時点で国の中枢で舵取りをする一部の人達にとって好都合or必要となるような事態が起きた時に、そのような特定の隠された意図を背景に、仕向けられ強制される恐ろしさに注意が必要ということだと思います。

自分の生まれ育ったり暮らす地域や場所に愛着や郷愁を覚えるかどうかまたその心に従ってどのように行動するか、は専ら個々人に委ねられることで、首相になった途端に超能力者にもなったかの如く美しくて愛される国の形を自分が定めて作れるなどと言い出すこと自体が思いあがりで、更にそれを国民が愛すようにコントロール出来ると考えた時点で、場外退場とすべきでしょう。
これこそがまさに世俗の悪しきカルト・宗教で、自分を教祖或いは崇めるべき神仏と一体化出来たとでも大変な勘違いをしているのでしょう。

その国・地域に暮らす人々が少しずつでも良いから人間らしく幸せに暮らせる為の具体的な政策一件いっけんの立案と実行に、時に自分の力不足な点を充分に認識しつつ、政治家には専心して欲しいものです。

毎日の登庁にパトカーの先導が付き信号が彼の通過に合わせられ多くの人が彼の挙動に合わせて行動するのが自然かに見え、国外訪問には政府専用機が用意され訪問先でも一応以上の処遇を受け、日常的に周囲をイエスマンが取り囲み輝かしいと晴れ姿の報道映像や写真を見るに従い、段々と自分が本当に偉い人なのだという確信(と言う名の勘違い)が出来上がるのも事実だから怖い。
周囲を固めるイエスマン軍団は当然甘い蜜のおこぼれを貪るのでいつしかそう言う状況が出来上がる。

まあもっと小さな規模でいえば、例えば会社組織でも類似の常態は起こり得るわけで、『逆命利君』などはとても在り得ないつまり言論の自由も無くなる恐ろしさが結構この国にはありますね。

愛するが故にその悪い面をも落ち着いて見究め自覚認識しその是正にも心血を注ぐことも必要なのでしょう。

本当に偉い人なら苦言讒言でも平然と引き受けるくらいの腹と度胸の据わりが欲しいが、それが出来ない、要は小物が多い、また本当に組織なり仕組みに対する愛着を求めるのであれば作る過程で意に沿わない発言にこそ耳を傾けるべきところながらこれがそうはならない、何故か、弱さ弱みがあるからなのでしょう。

自律したオトナがどういうものか?
自分の信念が真理に照らし合わせて大きくずれていないかどうか、果たして正しいものかとどうか、いったい真理とは何なのか? 探求の長旅は孤独なものでしょう、この孤独があればこそ・孤独に耐えてこそ冷静・冷厳に客観的に物事を見究める覚悟と勇気も湧くところをワイワイガヤガヤお調子者達とのお祭りに日々を過ごせば何となく得られる安心感と快適さに何時しか溺れることとなりましょう。

我々人間の脳に与えられた素晴らしい機能を全開で使っていれば自然と共感を引き出す思いとその実行策が、周囲の関係者との共鳴のなかで作り得るし、共鳴できない(異なる志とか価値観を持つ)人々との共存の方法も必ず見つけ出せるものだと確信します。

人同士がお互いの違いを超えて認め合うことは可能で、互いが自律したもの同士であれば、極めて人為的な国籍などが決定的な障壁となるものでは無いし宗教や身体的な特徴の相違も簡単に乗り越えられるもの(どうしても反りが合わないケースは残念ながらありますがそれは国籍とか人種とかに因るものではない)と確信しています。

まあ安倍首相始め日本をリードする皆さんには先ずもってご自身の弱さを認識する勇気を持って、弱点・欠点克服を好きになって貰いたいところです。
 
 
 
裸の王様 (Unknown)
2007-01-17 12:30:29
こういう人は何を言っても無駄ですな。

(世俗)宗教の否定、国家の否定
なにかといえば兵役にとられるという被害妄想。

徴兵制度というのは典型的な日本的サヨク用語です。
あなたのような惰弱な人間は兵役は無理ですし、
職業軍人に失礼ですよ。

また許可されているトラックバックをみていると
あなたの思想の偏向ぶりがよくわかります。
典型的すぎて笑ってしまいました。

>人種や国籍よりも、たとえば納税しているかどうか、
>といったことの方が重要でしょう。
といった発言も何やら香ばしい匂いがしますね。

どうみてもリベラル風スターリン的共産主義丸出しです。
本当にありがとうございました。

自慰行為は脳内のお花畑で思う存分行って下さい。
そのまま外に出たらみっともないですよ、裸の王様。

あっ、でもここのブログもフラワーばかりですね。
 
 
 
フラワートラベリングバンドおっかけとして (作業員)
2007-01-17 14:07:53
>リベラル風スターリン的共産主義丸出し

ついに我らが山さんも、アカ、呼ばわりされる時代に突入した。ある意味フラワー花盛りやね。
で、こういう主張にはいつも例を出して悪いのだが。くず鉄を拾ってしのいだショウガナイヤツ反日カンサンジュン、なんかにたいして、「このマルキストの糞やろうが!」などという罵声を浴びせるときは、どうか一考してほしい。
カンサンジュンは、しょうがないやつで糞やろうで反日かもしれんが、マルキストではない。反共のウェーバリアンだから、そのあたりだけは押さえてほしい。大川でも北でもいいから、しっかり本を読みましょう。右も左もお花畑も。山さんはみたとおりの、ただの人のいいおっさんでしょう。
 
 
 
説明してみませんか? (床屋政談)
2007-01-17 16:04:33
Unknown様

「何を言っても無駄」としつつ、ついつい書きこんでしまうアナタに、わずかな期待をします。

「職業軍人に失礼」だと思ったのなら、アナタの違和感を見つめて、どうしてそう思うのか、(相手にできるだけ通じるよう意識して)ご自分に可能なかぎり筋道立てて説明してみませんか?
そこに話の内容が止揚するきっかけが生まれるかもしれません。

それから、
とりあえず煽りだとしても
HNでいいのですから名乗ってみてはどうですか?
 
 
 
その文章は軍人の位で言うと不名誉除隊 (アベルフ・シンドラー)
2007-01-17 21:38:35
>> 何様か様
> あなたのような惰弱な人間は

あなた が誰なのかぐらいは書きましょう。
何様か様自身がアンノウンなのは勝手ですが、これではまるで、相手を特定しないことで、言いたい事だけ言って葛藤は避けようとする、惰弱な精神の発露であるかのように見えてしまいます。

> 兵役は無理ですし、

相手の名指しも、HNを名乗ることさえ出来ない人がもし仮に居るとするなら、そのあまりの惰弱さに、徴兵検査官が『貴様が一番要らぬなり』と家に帰してくれることでしょう。

> 職業軍人に失礼ですよ。

(誰のことかはハッキリしないが)惰弱な人間に兵役は無理で、職業軍人に失礼である、と言いたいのは読めばわかりますが、それは兵役が義務化される懸念を抱くことが被害妄想であることの説明には全くなっておらず、何も言ってないのとかわりありません。
 
 
 
寧ろ政府は愛国民心を (通りすがり)
2007-01-28 20:31:23
株の銘柄を選ぶようにサービスがよくて
税金が安い政府をみんなが選べるようになれば
もっと政府が媚びて住みやすい日本になるのでは
ないでしょうか。

そう考えますのでもっと多くの国民が
移住できるだけの言語能力と資金を持てれば
と思います。多国籍企業に対しては政府は
概ね下手ですからこれは結局力関係の問題で
あって、ある一定の知識階層所得階層以下は
いくら締め上げてもこの国を出て行けまいと
たかを括られているからこのような”不気味な”
法律ができるのです。

そういう意味では競争がなくなる共産政権や
(共産政権どうしの結びつきは強いですよね)
完全な独占政府になってしまう世界政府には
大反対です。小さな政府がたくさん
あってぎりぎりまでコストカットをして
サービスを競ってその中から
各自が政府を選べるのが理想だと思います。
資産と教養のある人は既にそういう段階に
入ってますね。

愛国心否定すると過剰に反応する人は
投資でいえば手数料の高い投資信託を
勧める売り手(政府やその取り巻き)か、
それらを買ってしまった自分を否定されたくない
人たち(賃貸か購入かで購入サイドか
過剰反応してるのと同じです)ですから
あまり気にせず自分の教養(主に外国語)
を高め、資産を増加させるのが最良のみちと
思われます。
 
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