一流会社は組織、システム全てが完成されている。新入社員は正に組織の歯車となって部分の仕事に長年携わることになる。更に本当の仕事は下請けが行う確率が高く、現場力は結局身につかない。 数十年いても全人的な能力は身につかない。 霞が関のお役人もこんなもの。引責辞任した厚生次官など世間では使い物にならない。 中年になり社内競争に敗れればリストラ組となる。 初めて世間に風に当たれば、自分が中小企業の社員と比べて如何に仕事ができないか判るがIt is too late. 鶏頭となるも牛尾となるなかれ は現在も生きている言葉である。
現在のベンチャーはどうかは分かりませんが、
少なくとも一部上場企業にいては29歳などでは与えられることのない(だろう)チャンスと役職と権限をもらっています。
かなり偶然の要素にも左右される可能性があるかとは思いますが、入社する企業により、それなりにダイナミズムを味わえる可能性も有ります。
とにかく、学生の方にはどこに入社しようとも、とにかく自分のレベルアップに努めて欲しいと思います。
乱文失礼致しました。
一流会社には一流社員がいるから、がんばって一流社員になろうという目標にできると思う
今は・・・2流会社の2流(不良)社員です。
山崎元のマルチスコープの「公的年金運用損の結果責任と日本版SWF設立の是非を考える(下)」
の2ページ目
「最低機会はない」は、誤記ではないでしょうか?
既に指摘されていれば、申し訳ございません。
それでは、失礼いたします。
意義もあるのではないでしょうか?
私は所謂一流会社に新卒で就職し、5年目に二流会社に転職しました。
年功序列でなかなか機会を与えてもらえなかったのが一因でした。
一流会社に当たり前にある仕組みがなく苦労しましたが、
あのままはじめの会社にいるより、スキルはついたと思っています。
あの会社で早い内に機会を得られたらどちらが良かったかは?ですが。
このブログや他の媒体で、いつも山崎先生の文章を拝読しております。
あくまで私の主観ですが、ある程度以上の学歴・能力・経験・自信のある若者の就職活動における現実的に最良な選択は、「一流会社社員(あるいは官公庁職員)になること」ではないでしょうか?
出世に対する欲求度は人それぞれだし、やりたいこと・好きな仕事というのは、多くの場合タテマエに過ぎませんが、「勝ち組企業官庁に入った者が勝ちだ」というのが今の若者の共通理解で、なおかつ本音だと思います。二流社員だろうと三流社員だろうと、皆勝ち組企業社員になりたいんです。
しかし皆がそうなれるわけもありません。ということで「二流会社で一流になる」というセカンドベストな考え方が生まれるんだと思います。
一流会社の二流社員でいた方が絶対に居心地良さそうですけど、実際的にそうもいかないから「二流会社で~」なんです。就職前からそのような考えを持つのは一見ハングリーに見えて卑屈であることは間違いないんですけれど、現実的であることも事実です。普通の人は山崎さんのような学歴や能力があるわけではないので(嫌味に聞こえましたらすみません)、不安になったり過剰に自信喪失になったりすることがよくあります。
実際問題として、ほとんどの人は二流以下の会社の二流以下の社員なんだと思います(私は五流ですが)。また、経験の少ない私の私見ではございますが、やはり一流と呼ばれる会社の社員のレベルは「高い」と思います。
私自身は大学卒業後、ニートなどを経て、とある業界のとある五流の会社で働き始めたのですが、すぐに転職して業種も職種も変えまして、今の会社でのびのびと働いています。自分のレベルアップが肝心であるとすると、向上心を持って働き続けられる仕事につけるかどうかはとても重要ですよね。いわゆる勝ち組な企業や官庁に入れない普通の人々にとっては。
駄文長文大変失礼しました。
数十年いても全人的な能力は身につかない。
霞が関のお役人もこんなもの。引責辞任した厚生次官など世間では使い物にならない。
中年になり社内競争に敗れればリストラ組となる。
初めて世間に風に当たれば、自分が中小企業の社員と比べて如何に仕事ができないか判るがIt is too late. 鶏頭となるも牛尾となるなかれ は現在も生きている言葉である。
私は一流会社の二流社員として10年勤務しました。
一流であり続けるために努力している一流会社は一流社員が常に新ビジネスを立ち上げるため、常に成長途中で活気があります。新ビジネスでは世間の評価を上げることが求められます。
二流社員は一流社員が完成させた成熟分野でミスなく量をこなして、売上をあげることが求められます。
そんな社内分業体制になっていました。
どちらの部門からでも有利不利なく出世できます。
私は頭脳が足りない分、量でカバーすることに体がついていかず、退職しました。
今は業種を変えましたが二流でいることに満足な二流会社で一年を迎えようとしています。
二流会社では二流の案件でも一流会社に奪われているため、量自体が少なくスキルも身につきません。しかし量は少なくても設備は一流会社と同様に必要なため、人も金もそれなりに必要です。案件が少ないために高コストとなり新規ビジネスに投資する体力も永遠につきません。
スキルが身につかない若者は、経験年数の長い老人に雑用しかさせてもらえず、経験値はなかなか上がりません。
2つの会社を経験して、二流会社の一流社員は一流会社の二流社員より仕事のスキルが身につく環境に恵まれないことが多いのではと思いました。一流会社の二流社員よりもレベルが低いことに気づかない胃の中の蛙になってしまうのならば、やはり一流会社に行ったほうが出世はできなくともスキル的にはいいような気がしました。こんな二流会社で出世してうれしいのか疑問です。
こんな二流会社のおかげで体力も戻ってきたので次は嗜好を変えて、一流を目指す二流会社(ベンチャー)で出直します。
年功序列色が強かったり、分業が徹底されすぎて現場力が身につかないというのは一流か二流かということよりも、その会社が元気な会社か否か、または業種が成長分野か斜陽かというほうに強く影響されるような気がします。
同時に、無理に就職偏差値の高い会社を目指すのは多くの場合無駄だし、上手く行っても、その中で抜きんでた存在になるのは大変だし、そうならなければ、仕事を選べるようにならない、という警告でもあるようです。
若い頃の私は「周囲の人間の質」が大事だという価値観だったので、一流>二流がはっきりしているなら、無理をしてでも一流会社の方がいいと思っていたのですが、波頭さんの本を読んであらためて考えてみると、スキルを身につける上でも、あるいは将来稼ぐためにも(会社内の上下の年収差は拡大傾向にあるので)、「二流の中の一流」という選択肢もありかな、と考えるようになった訳です。
もっとも、「という選択肢もありかな」というレベルの結論であり、仮に自分が学生に戻ったとして、この路線を積極的に取るかどうかは疑問があります。
たかだか経済で、「勝ち」とか「負け」とかいうのは、「一流」「二流」よりもさらに下品な表現ですが、経済の多くの場面で、競争局面の拡大と、競争結果の上下の開きの拡大が起こっているので、選択の損得を考える上での前提条件が、案外大きく変化しているのではないか、といのが、今回のエントリーの問題意識です。
実際には、一流会社でも、二流会社でも、本人が「機嫌良く!」働くことができれば、それで十分でしょう(なかなか、難しいことではありますが)。
「地頭の良さ」と「度胸」が必要だと思う。
特に自営業では「地頭の良さ」だけではダメ。
ある程度のところまで行き着いたら「度胸」がいる。
サラリーマンは、年収保障されてるようなものだから将来の予定が立てやすい。
自営業は何も後ろ盾が無いから、チャンス到来となれば一気呵成に攻めの姿勢を執らないと生息不能。ここで度胸が必要になる。はっきりいってどうなるかわからないさ、舵を思い切って切り替えるんだからな。
サラリーマンは優秀なスタッフも周りに揃っているし、会社のシステムがしっかりしてるから余裕があるな、これは羨ましいぞ。
やはり、一流会社のほうがいいさ。
中途半端な会社だとスキルアップにならない、というか大きな案件に出会えないからさ。
たとえ二流社員でも、そういう大きなプロジェクトに参加できる可能性はあるからな、一流会社の構成員ならね。
まあ、人間関係は気を使うことが多いかもしれないね、特に本社組さんたち。
これだけか、自営業がフリーなのは、人間関係のややこしいさは一切無い、少なくとも私の周りでは。
私は、1.5流の会社に入って、会社の規模拡大の一翼を担う積りで働いてきたのですが、結論としては「面白かった」に尽きる。給料なんて結果ですよ。
親父が役人だったので、大学生で役所のアルバイトに行った。こんな働きなら、人間が腐ると思って役人は避けた。だから、大会社は同じようなビューロクラシーのはびこるところと感じて、回避した。
そう言うところに就職した同級生や、取引での接触で、自分の選択は間違ってなかったと確信している。
給料は高くても、意に沿わない日々を送るのなら、それは春を売ってる人と変わらない、いやそれ以上に悪いかな。春を売る人は、体を売るだけだが、金だけのために意に沿わない職場で心を売るのだから、余計に悪いでしょうな。
1.5流だから、若輩にも任せてくれた、いや人がいないから任せざるをえなかった。だから、仕事に全力投入だったし、そのお陰で勉強もしたし、色んな経験もした。会社も大きくなり、膨張するからそれなりの職位も与えられた。
大会社に就職した同級生が「お前は良かったな」と言うが、確かに運が良かった点は多い。しかし、No risk,no gainは、正しい原理。一歩間違えば、倒産→解雇となっていたかもしれない。
しかし、それも人生ではないか。今は、昔以上にチャンスに恵まれている。何も、日本の中に閉じこもる必要もない。実力さえあれば、世界に働く場はある。
実力は、仕事のチャンスを貰わなくては付かない。役所の人間を見れば分る。「さらば財務省」の高橋洋一氏が言うように、勉強もせずに威張り散らすだけの官僚は能力も劣化するだけだ。ミスター円とか言われたという肩書きで紹介されるオッサンの言うことを聞いていても、耳学問だけの話ではないか。
全力で仕事に立向ってもがいていることが、精神衛生にも一番宜しい。給料は少なくても、資産運用の鉄則を学んでおけば、老後が悲惨になるとも思えない。運良く、会社の規模が大きくなると世間並みの給与ぐらいは貰える。
押し付ける積りはないが、これも一幅の人生なり。
志に、おそらく大差は無いように、思います。
お題の立て方も夏バテ気味のようです。
一流・二流なんぞ、所詮、人の思い込みですから
どうでもいいことのような感じが。
状況はくるくる変わりますので、
今日昇った人も明日には転落(かも)。
一流会社は二流会社を踏みつけ
一流の人は二流の人を踏みつけていることだけは
確かですね。つまり一流を支えているのは二流という
ことですな。
それより、そんな縦社会の幻想から早く解放されたいわあ。
’二流会社で、一流社員を目指そう’
というのは筋の良くない考え方だと思います。
一番いいのは、
1)東大生が目指さないような無名の会社で
2)高成長可能な業種の為、将来ポストに困らない
3)頭でっかちで実践的でない人材がいない
でそういう会社がハイリスクだと感じる人は、
一流と呼ばれる会社の方がむしろ様々な面で楽だと思います。
一番最悪なのは、利益の上がらない二流会社で規模だけ中途半端に大きく、仕事の範囲も狭く将来子会社に行きたくても先輩達でうまっていて社員が足の引っ張り合いをしているような会社じゃないでしょうか。
店主の話を読んでると、報酬の話ばかり強調されているように思うのですが、人生って、金だけなんですかね。
私は、前述のように、精一杯自分の力を出して、働いた、その会社を含めて、人様の役に立ったことが、今の自分として「ああ、よかった」と思えることなんですが、これっておかしいのでしょうね。
お金って、あった方が良いかも知れませんが、なかった時代のほうが、みんな優しかったなと言う思いもあります。乞食と言われる人が、路上で恵んでくださいと座っているのを見て、貧乏な母親が、入学前の私に、財布から小銭を出して握らせ、「これ、渡しておいで」と言われたシーンを今でも覚えている。
店主が、いつかJMMで言っていたんですが、平等でないと労働意欲は萎えるというような話でしたが、格差の激しい時代から、平等の時代になる中で生きてきて、平等に近づくほど、みんな働かなくなったのは事実。だから、平等でないと働かないと言うのは多分偽りでしょう。世界を見ても働くところは、格差の大きいところですよ。
その一方、貧しい方々が、他人からお金を貰うのは恥だと思っていた時代に比べ、今は当然の権利になった。
年収200万が全て自己責任とは言わないが、05年の調査を見ても、高校生で日々1分も勉強しない生徒が25%、1時間以内しか勉強しない生徒は、60%もいる。これで、世界相手の競争に勝てるのかしら。世界の標準に達しない働きしかできない国は、金が落ちるはずもない。
でも、お金は欲しいと主張し、沢山取ってる奴は、何か悪いことをしているのだろうと言うこの嫉妬、まともなんですかね。○○員とか言う人の話しは全てこれ。
店主さま、報酬が多いからと言う理由だけで、経営陣になるように頑張るかという理屈が私には分らないのです。まあ、古い人間ですのでね。金融界の人の評価基準は、金しかないのでしょうな。寂々とした話です。
これって好きじゃない幼稚園お受験ママが『我が子の可能性を広げるため』『将来苦労しないため』と話してるのとあんまり変わんないなぁとも…。
コメント毎度ありがとうございます。
今回は、私に向けてお書きになっているようなので、少しお話し(文字で、ですが)しましょう。
>店主の話を読んでると、報酬の話ばかり強調されているように思うのですが、人生って、金だけなんですかね。
人生が「金だけ」なはずがないではありませんか。私はコメント欄で書いたように、仕事は概ね「機嫌良く」働ければいいと考えています。
一方、「機嫌」に対してお金が全く無関係と考えるのも愚かでしょうし、お金自体が大なり小なりインセンティブになるのも事実でしょう。これも常識だと思います。
失礼ながら、いい歳をしておられるのですから(もちろん、私もですが)、他人の話を狭く決めつけて嘆いてみるというような意見は聞き苦しいのではないでしょうか。ご自身のコメントを読み返してみて下さい。
ついでに言うと、自分が「人様の役に立った」などということを、自分で言うのもあまり格好良くありませんね。これは、他人が評価するものでしょう。
今回、私は、就職のお金に関係する側面の事態の変化を中心に、最近の事情について書いていますが、お金が全てだなどとはどこにも書いていません。(たとえば4条件の中の(2)を見よ)
コメントを書き込んで下さるのはありがたいのですが、意見は、もう少し、論理的に述べて貰わないと、答えるのがバカバカしくなります。
>平等でないと労働意欲は萎えるというような話でしたが、
カーネマンのプロスペクト理論を考えると、現状が平等に近い方が、同じだけのお金の差がインセンティブとしてより大きな意味を持つだろうと思います。(但し、これは労働意欲に関連する諸条件の一部ですが)
直接このことについて説明した本は思い当たりませんが、行動経済学の入門書で、プロスペクト理論について詳しく書いている本を読んでみて下さい。
>格差の激しい時代から、平等の時代になる中で生きてきて、平等に近づくほど、みんな働かなくなったのは事実。
本当ですか?一つの例だけでそう言えるものではない訳ですが、いつの時代といつの時代をどのように比較したのか教えて下さい。「平等」と「働き」をどう測ったのか、興味があります。
>お金は欲しいと主張し、沢山取ってる奴は、何か悪いことをしているのだろうと言うこの嫉妬、まともなんですかね。○○員とか言う人の話しは全てこれ。
これは、ひねくれ読みの誤読ではないでしょうか。私の理解では、○○員氏は、経営者の報酬を主たる問題にはしていないと思います。
彼が指摘している主な問題は、経営者が労働法規を守らないことや、労働者の賃金が余りに安かったり(私は安くてもいいと思っていますが)、労働のさせ方があまりに乱暴だったりすることを問題にしているのではないでしょうか。
たとえば御手洗氏が2億(?)の報酬を3億、4億にしても、キヤノンが偽装請負をスッキリ止めてこれまでの非を認めたら、彼は、「当たり前のことではあるが、よくやった!」と言うのではないでしょうか。
他人のコメントを雑に読んで、「嫉妬」などと歪曲・矮小化するのは止めた方がよろしいでしょうし、彼の論旨に問題があれば、具体的な根拠を示して、堂々と直接反論すればいい。(ちがいますか?)
>金融界の人の評価基準は、金しかないのでしょうな。
これも不正確ですが、まあ、いいでしょう。
この件に関しては、ジャック・ウェルチがGE時代に、キダー・ピーボディーという投資銀行を買った時の回想が面白いと思いました。
ウェルチ氏自身が、自分が巨額の報酬を受け取るように仕組んだ十分強欲な経営者でしたが(彼の本や話は、賢いという感じはしませんが、多くの場合率直に本音を語っているので、随所で楽しめます)、買収したキダーの社員達の価値観が「私のボーナス、私のボーナス、私のボーナス、・・・だけだった」ということについて、さすがの彼も辟易し、カルチャーの合わない会社は買ってはいけない、という例示にキダーの買収を挙げる下りが、彼の著書にあります(確か「ウィニング」でした)。
ウンコが鼻糞をけなすような風情のいい話でした。
●
おすすめの色川武大「うらおもて人生録」を読んでみました。大変面白い本で、参考になりました(私の本業にも)。ありがとうございます!
私はアカヒより「櫻画報」が好き...なお調子乗りですが、趣味と仕事の区別もつかずに三流企業に就職したり、その後は安定だけが取り柄の職場にもぐりこんで後悔したり、時流にはさっぱり乗れませんでした。山崎本を参考にいい歳して転職し、ようやく天職に出会えたかなあと思っておりますが、山崎さんや覚醒さんのような職業選択の思考というのは、本当に別世界のようです。
もっとも、大学時代の周囲の価値観というのが、一番:研究者、2番:京都市民。以上。というもので、京都xxxやら京都xxやら京都xxやら、「人間関係がしんどそう」「覚醒さんみたいな上司がたくさんいそう」な職場にこぞって就職していきました。案外、そういう価値観が正解なのかなあ、なんて思ったりもしています。
また報酬系のネタも楽しみにしております。いろいろ考えてみたいので、もし大企業の年収の変化など、ソースがわかればご教示いただければ幸いです。
2流会社でも、面白いことをやらせてもらえば、生甲斐になるかもしれませんよ。なんていう発想は、欠片も感じられませんね。いい歳しての決めつけも問題でしょうが、いい歳しての言い逃れも見苦しいのではないでしょうか。
人生金だけではないと、今こそ言うべきでしょう。単なる、金の多さで、「勝ち組」「負け組み」とする今の世の中の基準が狂ってるのですよ。アキハバラの男は、「勝ち組」だったのに「負け組み」になったことが、世の中に対する恨みになっただけではないのでしょうか。そう言う意味では、金だけで勝ち負けを言うマスコミや評論家があの事件を起こしたのです。
D・リースマンの「何のための豊かさか」と言う問題提起の本がありましたが、豊かな人は、社会的の貢献をすることが義務とされた時代(まだ欧米は、宗教的な影響もあって、寄付する慣行が継続していますが)に較べて、金儲けばかりの話しかないこの国のありようがおかしいのです。
>他人に役立ったかどうかは、他人が評価すること。
仰る通りです。私の創出した新製品カテゴリーが、20年間存在し、今尚数千億の市場を形成しております。お客様が買って下さるのは、役立つからだと信じておりますので、自慢たらしく申し上げました。単なる自己満足の積りではございません。
○○員さんの話は、再度読みましたが、そう狂った見方とは思えませんでした。何せ、読解力が痴呆の中に埋もれておりますもので。すみません。
コメント欄を開けてブログをやっている意味の一つは、コメントの反応を通じて文章が読者にどのように読まれるかが分かることなので、少々の誤読は(私としては)許容範囲です。覚醒Ⅲさまの読みと決めつけも、まあ、こんなものか、という程度のもので、「決めつけ」を自覚しておられるようですし、この範疇でしょう。
ただ、エントリー(覚醒Ⅲさまの表現では「投稿欄」)を読み返してみましたが、お金にまつわる話の分量は多いものの、この内容をもって、書き手(=私)の職業上の価値観(≒本音)をお金ばかりと決めつけるのは、文章読解的に無理があると思います。
もっとも、文章は正確に読め、というのは国語のテスト以外の状況では、殆どの場合、過大な要求です。書き手側としては、読み手側が先入観を持っている場合には、よほど注意して分かりやすく書かないと、「読み手は、自分が読みたいようにしか理解しない」という、一般的な教訓を再確認することになります。
尚、○○員さんの話の主旨はご理解いただいたようなので、この点は満足です。「○○員さん」などといじましく名を伏せずに、「作業員さん」と直接呼びかけて意見を言えば、彼も喜こんでくれると思います。
●
覚醒Ⅲさまの創出された「新製品カテゴリー」はきっと立派なものなのでしょう。自慢ぐらいしていただいても構いませんが、「根拠は?」と言われると困りますが、一般論としては、自慢するとツキが落ちることが多いので、止めておかれる方がいいのかも知れませんね。
何なのだろう?という興味はありますが、ご説明の有無はお任せします。将来気の向いたときにでも、有り難いお話を聞かせて下さい。
学生時代の店主のお考えは、価値判断基準で言えば
1) 自分の好き嫌いを重視するという基準。
2) 自分が成長することを大事にする、向上欲の基準。
3) チャレンジしないで結論を出さない行動原理の基準
4) 他が同じなら、金銭は多い方が良い+見栄も軽視しない基準
だろうと思っておりました。したがって、自分が機嫌よくというのは、1)が主になることのはずです。 条件2)は、自己満足のためという理解があるかもしれませんが、出世とリンクする能力向上と読む人が多数でしょう。
私は、1)に関して>近年、世間を見て、上記の考えが揺らいでいる。先ず、「会社」よりも「職種」の重要性が増している。<と述べておられるところで、本音が出ていると判断しております。(今なお、私の判断が誤りとは思っていません。)すなわち、自分の好みによる選定よりも、職種により収入の多寡が決るから、有利な職種を経験できる会社とか、最近経営陣の収入が増えているから、経営陣になる可能性のある会社を選ぶことが重要だと述べておられるのです。したがって、機嫌よく働くことより、金を沢山貰う方が就職で重視すべきだと言う話です。
経済の話や、特に資産運用では、儲ける話が相手を説得する上で重視されますから、ある意味常用されるのでしょうが、生き様までその価値基準で言われますとつい楯突きたくなります。
日本の個人の持つ1500兆円の流動資産と2000兆円の不動資産の約8割を持つ「後期高齢者」に属する人達が、「保険料が高い、殺す気か」とTVで喚いているのを見ると、情けなくなります。あの人達(私もそうそう遠くない先ですが)は、どう金を使うかに思考を用いねばならないのに、まだ金を貯蓄する時の思考方法から抜けられないようです。どう金を使うのかについて語っている評論家は、誰なんだろう。D・リースマンの「何のための豊かさか」は、金の使い方を工夫しなくなったことを指摘していたと理解しているのですが、日本でも篤志家という言葉もなくなりましたね。
○○員さんのことでの私のコメントは誤解を招くものでした。>再度読みましたが、そう狂った見方とは思えませんでした。<は、私の主張していたことが、そう狂っていないという積りでした。これは、書き方が悪い見本です。
●mistralさんお久しぶりで。Ⅲをつけたのは、ナベアツの「のり」であることは確か。これが付いてなくても、アホですけどね。からみ文は、酔っ払って書いていたのも確か。鋭い!
私の就職は、「ヤンチャ」を許してくれる会社だと選び、入ってからも真面目だけど「ヤンチャ」を通して来ました。運が良かっただけですが、面白かった40年です。過ごす時間が多いのですから、仕事はしんどいけど会社はおもろいのは大事だと思ってます。現実はどうか知らんのですが、堀場製作所さんなんか社是のいきさつ読むだけで、学生時代なら憧れたでしょうね。
誤読のご説明、ありがとうございます。参考になります。
さて、行動基準に関するご推測の(1)から(4)の中で、(3)の意味と根拠が良く分かりませんが、まあ、いいでしょう(貴殿の矛盾を論ずるために、わざわざ必要ないという意味で「いい」というだけなのですが)。
但し、「条件2)は、自己満足のためという理解があるかもしれませんが、出世とリンクする能力向上と読む人が多数でしょう。」という部分は、論理的根拠が薄弱な決めつけではないでしょうか。何が、根拠で、そう決まるのでしょうか。
貴殿ご自身が、自分の仕事の能力を向上させることのモチベーションは、出世(とお金)以外に目的はあり得ないはずだ、というご経験と実感ををお持ちなら、まあ、説明しても仕方がないかなあ、と思わぬでもないのですが、たぶんそうではありますまい(これは、好意的な推測です!)。
これまでのカキコミの文章から推察するに、覚醒Ⅲさまは、理科系のバックグラウンドをお持ちの方なのでしょう。
だとすると、複数の要因が結果に影響する重回帰の世界は、よくご存知でしょう。「会社」よりも「職種」の重要性が増している、というのは、重回帰の世界では、一要因のウェイトの変化にすぎません。幾つかある中の一つの要因の変化です(これだけで全てが決まるわけではありません)。
仕事や人生の満足度に影響する要因は複数あり、お金は、単にその一つですが、他方で、全体の満足度に無関係というわけではありません。
経済的な条件が変わったときに、人それぞれではありましょうが、総合的に就職の価値判断が変わるのは何らおかしいことではないと思います。特に、新卒者の場合、やってみないと仕事の内容自体の自分にとっての向き不向きが良く分からないことが多い訳でもあります。
要因が複数ある場合の意思決定についての構造が分かると、「お金か、それ以外か」というおバカな二者択一で他人の意見を判断しなくても良いのではないかと思うのですが、覚醒Ⅲさまには、この点で決めつけをしたい何か「焦る」理由がおありなのでしょうか。
貴殿は、当ブログにとっては、基本的に「いいお客様」なので、そこまでは言わない方がいいと思って控えていたのですが、「私の創出した新製品カテゴリーが、20年間存在し、今尚数千億の市場を形成しております。お客様が買って下さるのは、役立つからだと信じておりますので、」と仰るこのお言葉自体が、まことに見事に拝金主義的価値観そのものではないでしょうか。そうでないとすると、どうして、「数千億」などと(お金の多寡に頼って)ご自分の話を書かれたのでしょうか?
(お金ばかりが価値なのは如何かと、疑問を呈しておられたわけですから、死にたいくらい恥ずかしいのではないかと少々心配なのですが、もちろん、死なないで、健筆をふるって欲しいと、私は思っています)
敢えて率直に申し上げますと、恥じるべき点は恥じて、肩の力を抜いて、今後も機嫌良くご参加いただけると、私も当ブログの読者も喜ばしく感じることでありましょう。
まあ、よろしく、お願いしますよ、先輩!!
ほんで、ここ、なんの話、するとこ? 一流、二流、もはや、ニポンしゃん流! で、よかろう、かなたもこなたも。とにかく、人生(自身)は変えたくない、世界を変えたい、というのであれば、世界が変わるような言葉、を書きたまえ、諸君。
私は女性ですが、それなりの大会社3社で計13年働きました。しかしこれらのうち2社では同等能力があっても(私に限らず)女性は役職につけていないのが現状です。雇用は安定的ですが賃金は男性と比して相対的に低く、1.5流の水準に据え置かれます。
現在は「職種」を選び転職をし、中小企業(自己評価では二流)にいます。賃金は一流会社にいた頃よりも二割UPしました。結局中小企業には主要大卒の男子は(親戚や縁故でないかぎり)入社がないのが実情です。特にオーナー会社の場合はオーナーの家系以外の優秀な男性の採用は控え気味です。優秀な男性は賃金がかかるし、場合によっては会社の舵取りを横取りされる場合があるからです。その点、女性は「安全」と思われ、基礎能力が男性並みにあると重宝されます。
ただ気になるのは中小企業のオーナー会社&非上場会社の場合、コンプライアンス意識が低くなりがちで「三流会社」と感じる時があります。そのときは一流会社にいた頃が懐かしく思うときがあります。
今の私の結論として、世間的に一流か二流かも気になるものの、「私」に高い賃金と知的かつ有益な職場環境を提供してくれる会社が私にとっての一流の会社と思うようになりました。
何か、痛いところをかすったようで、失礼。ご質問もありましたのでお応えいたします。
重回帰・・存じております。しかし、店主のコメント欄の記述は、答えになってないですね。失礼ながら、店主が言われる「機嫌よく」勤める事が大事だといまも思い、且つ昔と異なり職種により報酬が大きく異なりそうな時代になると言う意味合いで書かれたのなら、必ず前ぶりに「昔は職種による差は、そう大きくなかったので、好きな仕事をやるのを第一にしていても問題はなかったのだが、最近は報酬の差も大きくなりそうなので、好きな仕事を選んだため、大きな報酬の差になって機嫌を損なう人もいるかもしれないから、職種と報酬の関連について若干説明しておこう。」なんて文を加えるのが普通です。これがないと、宗旨替えしたように受け取られて、けったくそ悪いと思うのです。この話を無しで、報酬のことをたらたら述べていたら、「機嫌よく」より「金」となったなと思われたって仕方なしでしょうな。「誤読」ではなく「未熟」でしょう。
私は、いろいろある箴言で「語るに落ちる」と言うのは、本当に良く経験するところです。私が、新製品の市場規模を金額で表現したら、「あんたこそ、拝金主義価値観に犯されている」となじってるわけでして、私は意味が分らず目を黒白させて驚くのみであります。
「ようけ売れてるんやで」とお金をひけらかしてと思われたのでしょうね。私は、エエ格好して申しますと、人様に役に立つ人間でありたいと思って人生を過ごしてきました。だから、いささかでも、他人の役に立ったことは自己満足でありまして、それをつい本音で書き込みましたら、「役に立ってるかどうかは本人の判断とちゃう」とのお咎めで、お答えとしてまあ分りやすい数字を上げました。
というのは、リンカーンが言ってるように、長い年月人をだますことは出来ないというのは真実だと思ってますので、20年以上ご愛顧頂けてる商品カテゴリーですから、詐欺のようなものではないですよと言う話。もう1つは、商品の使用価値と販売価格の差だけ顧客さんに得をしてもらっており、その差が大きいほど数量が増えて、結果として販売金額が大きくなると思っております。また、市場規模から得をしたと思って下さる人数規模も「なかなか多いな」と推定できるだろうと思い金額を出した次第です。これを拝金主義と取られるのはご自身の価値観でしょうね。語るに落ちる話なんです。「死ぬほど恥ずかしい」なんて、全く思いません。この程度の理解しか出来ないのかと、「死ぬほど」情けないとはおもっております。
ついでながら記しますと、この商品開発は、私の報酬や職位にも全く反映されることはありませんでした。これまた、エエ格好で言えば、そう言うことはどのは、望外の幸せであります。だから、内容を紹介する必要もありませんし、する積りもありません。
仕事の自己啓発は何のためなんですか。私達エンジニアで言えば、非常に効果的な触媒理論の修得、微量分析技術の習得、これ仕事に生かすことなく、何が嬉しいのでしょう。自己啓発の本をお読みになったことがあります。金融関係なら、どこでも使えるものかも知れませんが、(それとても、使ってなんぼの世界、使わずに俺は能力が高いのだと自己満足しているのは、単なる家で金貨を壷に貯めて、夜数えては薄笑いをしている夜叉婆に等しいです。)会社の仕事の自己啓発は、出世とか報酬の増加を目的としたものでしょう。数十冊の自己啓発の本は読んでますが、今申し上げたことが暗黙の前提ですね。
人格向上の自己啓発なら、1流会社の方が優れた人がいるなどの記述は、頭の悪い人は、人格的に劣るを暗に含んでますので言わない方が良いでしょう。
「いいお客さん」といってもらえて光栄ですな。他のブログのコメントを読んでいても、幇間ばかりで、何で日本人はこう舐めあうのかなと気色悪がっております。(金さん、漫才はボケとツッコミでおもろい、ボケと幇間ではダレるでェ・・余計なことでした。)店主と私では考え方が異なる点が多い、だからコメント欄も賑わう・・ところもある・・と思っておりますので、時々お邪魔しまんねんわァ・・・このギャグは通らんやろねェ。
まあ、精進なさいませ、後輩。・・・こりゃまた失礼致しました。
こんにちは。
「誤読」については、最終的には貴殿の利害の問題なので、何度も説明する必要はなさそうですが、要因が複数ある可能性が明らかなのですから、貴殿の読みは決めつけであり、論理的には誤読です(そう難しい場合分けでも無いと思いますが)。まあ、この点はもういいでしょう。
>他人の役に立ったことは自己満足でありまして、それをつい本音で書き込みましたら、「役に立ってるかどうかは本人の判断とちゃう」とのお咎めで、お答えとしてまあ分りやすい数字を上げました。
もともと、文脈に関係ないところで自慢話に及んだ恥ずかしさが分かっていないのでは、仕方がありませんな。市場規模なんぞを説明して自己弁護するものだから、墓穴を掘った、という具合に私には見えましたが、これは一つの可能な解釈に過ぎませんので、弁解の必要はありません。
>金さん、漫才はボケとツッコミでおもろい、ボケと幇間ではダレるでェ・・余計なことでした。)
ブログの管理者としては嬉しくないコメントです。moto金田浩さんのコメントには少なくとも問題はないと思います。愛読者もいることでしょう。
「何様のつもりか知りませんが、些か行儀が悪いですよ」と申し上げておきます。意見は歓迎ですし、多少の自慢くらいは片目をつぶって大目に見ますが、他のコメント者を揶揄するのは止めておいて下さい。これは「注意」です。
moto金田浩さんは、この件について「気にしない」で下さることを希望します(コメント不要です)。
教養のない山崎氏は
ちくま新書『ダメな議論~論理思考で見抜く~』でも読んだらいかがですか?
まだ未練がましく見に来ていたんだ!よほど悔しかったのですね。ちょっと、同情します。
いえ、ちっとも悔しくありませんよ。以前学問的裏付けにより論破されて、理性を失いかけているご様子、文面よりご察し致します。
さぁ、正確な定義付けよろしくお願いしたします。
有益な体験談、ありがとうございます。
「世間的に一流か二流かも気になるものの、「私」に高い賃金と知的かつ有益な職場環境を提供してくれる会社が私にとっての一流の会社と思うようになりました。」というご意見も良く分かります。
会社を評価する要因が複数あることも自然にご理解いただいているようですし、また一流・二流を具体的に定義するような野暮なことをせずとも、意味のある議論を展開されていて、スマートだと思います。
ブログの読者が全て、CICOさんくらいの文脈読解力を持っていてくれるといいのになあ、と思ったことでありました。
また逃げたようです(笑)。正確な定義もない不明確な概念を対立させ議論し、自分の意に反した意見だと『誤読だ』とか『読解力が足りない』ようなことをいうのは愚の骨頂です。
だって正確な定義がないんだから人それぞれ捉えているものが違うんですからね。
議論の“いろは”も知らない礼儀知らずな方のようです、山崎氏は。
申し訳ないのですが、今回のエントリーもこのブログ全体も、この文脈の一流・二流をわざわざ具体的に定義しなければならない人に向けて書いているものではありません。
(会社を具体的に一流、二流と確定できるような定義を付けるのは、それこそ愚の骨頂でしょう。分かる人には分かるから、貴殿は心配しなくてもいいのです)
それに、貴殿には一流も二流もたぶん関係ないでしょうから、ご心配なく。
それにしても、なぜ貴殿はこんなところで、暇を潰しておられるのですか?不思議な方ですねえ。
『分かる人には分かる』←小学生の言い訳レベルですね。論理的に語れないヘタレに限ってこんなことを言います。不明確な定義で書かれた拙い文章の解釈を読み手に委ねておいて、自分に都合が悪い解釈は、誤読とするのはいかがなものでしょう?
まぁ、まんまりアタマ使わないで書いた内容なんだろうけど(ある一定のレベルに達している人間なら、一流会社、一流社員なんて不明確な用語は意図の有無に関わらず使用しない)。
他のコメントを読むと、立派に議論が出来る人がたくさんいるのですから、事情は自ずと明らかでしょう。こんなもの「定義」しなくても十分話ができますし、定義しない方が読者にとっても心地良いでしょう。どこぞの会社員になった積もりで、考えてみると、「ある一定のレベルに達している人間なら」分かります。
それに、そもそも、貴殿は、定義をはっきりさせて、何を論じたいのでしょうか。お互いにとって(他の読者にとっても)、時間と手間の無駄です。
それはともかくとして、私が、あなたを議論の相手として「認めていない」ことが、まだ分かりませんか?
コメント欄の無駄なので、まだ何か言いたいことがあれば、
yamazaki_hajime@mail.goo.ne.jpにメールを送って下さい。貴殿のような方にでも、返事くらいは出すかも知れません。
『議論の相手にしていない』
無視してもらって全く構わないのですが(笑)。別にコメントしてくれ、構ってくれなんて頼んでないしね。
山崎氏の議論は一見もっともらしいのですが【ダメな議論】の典型なので、ツッコませて頂いているのです。それを律儀に(議論の相手にしていないといいつつ)私の投稿に【脊髄反射】されているのが、何を隠そう、山崎氏なのです。
父親がタクシー運転手で収入が少なく、兄弟も多い私は中学生の頃に大学進学を断念して工業高専に進学し設計技師になることに決めました。高専卒業時は賢い学生は大学に進学し、その次は地元の電力会社やガス会社や役場に就職していきました。それほど成績がよくなかった私は地元を離れることになっても、どうしても設計技師になりたかったので、内地の設計者派遣の会社に就職しました。そこに就職すれば100%設計者になれるので、大企業に就職するより私のためになると考えていました。どの会社より、どんな仕事をするかが私には重要でした。
目出度く設計者になることができましたが、派遣社員としての仕事はつらいものでした。大企業の中で、二級市民扱いされるのは本当に辛かった。若くて血の気が多かったのでなおさら辛かった。派遣社員は給料が安いという理由で、同僚の派遣設計者が、派遣先の正社員の組合の資料を徹夜でコピーさせられたことを思い出すと、いまだに頭に血が昇ります。教育環境は整っていました。今となってはその会社に感謝しています。
派遣先の会社が不調になり、今は転職して、ちょっとは名の知れた会社の正社員として仕事を得ました。今も設計技師として仕事をしています。あのまま前の会社にいては、不貞腐れて性格まで歪んでしまったような気がします。本当に辞めて良かった。
もうお盆休みなのですが、急な仕事が入ったので休日出勤します。図面を描くので今から仕事に行くことを楽しみにしています。夕方にビールを飲みながら、新製品のアイデアスケッチを描きました。定年まで20年以上ありますが、今のところは幸せな職業人人生を送っています。
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大学受験していない私には、大学の偏差値による序列が分かっていません。大卒の人なら、大学名を聞いただけで見当がつくはずの序列が、私にはちんぷんかんぷんです。三十を越すまで、一橋大学という名前を聞いたことがありませんでした。その学校を卒業した同僚に一ツ橋市は何県にあるかと尋ねたことを、数年経った今でもからかわれています。俺が知らない時点でお前の大学は二流だと甲斐のない反撃をしています。
若い人には会社が一流二流なんてことは気にせず、やりたい仕事をやらせてもらえる会社に入るべきとアドバイスしたいです。絵が好きだの、喋るのが好きだの、そんな幼稚な理由こそ、職業を選ぶ理由にすべきだと思います。会社が一流だろうと二流だろうと、辞めるときは上司がいやな奴だなんて理由で辞めるものです。あと、数度の転職を前提に会社を選ぶべきとも言いたいです。見所があって仕事に不平不満の多い若者に山崎さんの「会社は2年で辞めていい」を配っています。すでに4冊アマゾンで買いました。二人はすでに転職しています。今も彼らと時々会って一緒にビールを飲む仲です。
私の意見は’二流はよくない’の投稿の通りなのですが、一点付け足しますと民間会社で転職あるいは転籍しない会社員はまれで、いずれにしろ別の会社に移ることになるのだから、それを十分意識して就職活動した方がいいという点です。
>経営層と一般社員の報酬の格差が拡大傾向にあることだ
という論点で、二流会社の方が経営層に入る可能性が高い(社内でいいポジションをとる可能性が大きい)という論理が展開されてますが、実際には一流だろうが二流だろうが、大きい会社の場合は社内で経営層に入る可能性はとても低く、子会社、関連会社に転籍するか、それまでのスキル、人脈で経営層に入れる会社に転職するのが実際ではないでしょうか。
そう考えると、最初に就職する場合は、いい人材が豊富で予算に余裕のある自分のキャリア形成にプラスになりやすい会社に就職すべきだと思います。
もしその会社で自分のやりたい仕事が出来ない場合は、その会社の名前を利用して堂々と転職すればいいのではないでしょうか。
ただし、日本の経済の強さの秘訣は、価値観の多様性(拝金主義を嫌う人が異常に多いとか、他国ではレベルの低い人が多い職種でも人材が豊富など)ではないかと思いますので、自分の信ずる道を進むのがいいのかもしれません。
「脊髄反射」とは、なかなか言い得て妙ですな。「ご察し致します」なんて阿呆な日本語を書く割には頑張りましたね。それでは、そろそろ「反射」を止めましょうか。
>オカヤンさま
固定化されたように見えていた一、二、三流が流動化していることが、戦略を変えた方がいいかも知れない大きな理由です。選択権を持っている若い人は、自分が何をどういったウェイトで重視するか、考えてみる価値があるでしょう。
>雪渓さま
特に若い読者に読んで欲しいいい話を書いて頂いて、どうもありがとうございます。素敵なハンドルネームの由来も分かったような気がします。
休み中でもやりたい楽しみな仕事があるといいですね。
私は新しい単行本を書き始めました。
>ぎんえもん様
同文のコメントが二本入っているので、一本削除しておきます。コメントを入力してから、画面に反映されるまでに少し時間があるので、二回送信されたのかも知れませんね。
いいお話をありがとうございます。あくまでも自分のやりたい仕事に拘って、自分の夢の実現に粘り強く進んでいく姿は、私達が子供の頃に人間は斯くあるべしと教えられた形そのもので、すがすがしい気持ちがいたしました。
会社からの報酬は、何も給料だけではなく、設計したものをひとさまに使ってもらうということも大いに含まれているでしょうし、その職場の雰囲気が実に愉快であると言うことも報酬の一種かも知れません。
北海道出身で、設計が好きだから、「雪渓」と推察いたしましたが、社会に出て長らく働くと、学歴なんて「何も示していない」ことが分ります。せいぜい、努力する能力を持っていたとか、試験上手であったなどの証明だけで、社会の仕事を上手くやることとの相関は希薄ですね。この管理人が、余り好まないタイプのようですが、日本電産の永守社長など非常に興味深い入社試験をされています。いまから20年以上前に読んだ永守さんの本で紹介されているのでは、入社試験で、出した昼食の食べるのが早い順に採用したそうです。そして、入社数年後の成績と対比させることで、試験方法の的確性を調べたら、弁当を早く食べる試験が一番相関が高かったと書いておられました。
永守さんも、工業高校を出て、職業訓練大を卒業という、いわゆるエリートでないコースで歩いておられますが、万を超える人に、仕事を与える事業を生み出し推進しているだけで立派なことだと思います。(つまらぬ報道に乗って揚げ足取りをし、後継者を育ててないから大したことがないという類のコメントをする人が世におりますが、それこそ「何様」なんだろうと思ってしまいます。)
一橋大を知らないことなど、恥でも何でもありません。ただの、「おくて」だけです。そのことを馬鹿にするような人とは、それなりにご注意されて付き合われたほうがよいかも知れません。そう言う人には、肩書きに価値を置く人が多く居るからです。そう言うことは気にせず、大いに設計を楽しくおやり下さい。
一流国立大学から一流都市銀行に就職したことのある身としては,現在の地方国立大学事務職員という身分に違和感を感じることもないではない。
しかし,心の底ではどうであろうか。これが実はかなりの充足感をもって職業生活を営んでいるというのが事実なのである。
この不可思議な現象をどう解釈すべきか?
結局,競争相手がいないのである。一流国立大学を卒業し,曲がりなりにも一流都銀で数年間を過ごし,旧帝大の事務職員を経て今の職場に辿り着いた自分には実に競争相手というものが存在しないのである。
確かに,若かりし日々であれば,ライバルや仲間との切磋琢磨を通じて自分を向上させようとの思いから,より高次の職場環境を求めた自分もあったかも知れない。しかし,ある程度の齢を重ねると,それもストレスになり,健康を害する一因ともなりかねない状況である。
加えて,現在の私は今のストレスレスな職場環境を利用して社会人大学院なぞに進学して自分の好きな分野での自己研鑽をしている次第である。
若かりし日のライバルとの研鑽や良し。しかし,その全員が勝利者になる訳ではない。ついては人生の早い時期に自分の快適な居場所を確保し,職業生活に加えて自分の興味関心に即した生息場所を確保しておくのが得策ではあるまいか。