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「或る女」

有島武郎著 2013 新潮文庫 (初出1911「白樺」)

作者の「一房の葡萄」「火事とポチ」などは素晴らしい。トルストイに心酔し農地解放を行った彼は人道主義者と言われる。「或る女」もはじめは「白樺」に連載されたのだ。もっとも、白樺派の主要メンバーは遊郭に入り浸り、妻に暴力を振い「馬鹿」呼ばわりする性差別主義者である。葉子が彼らの女性観を反映した存在になっていると考えるのは自然だろう。「或る女」は「ボヴァリー夫人」並みの傑作だという説は買わないが、「ボヴァリー夫人は私だ」と著者が言った点では似ている。武郎が「毒血」を注いだのが「或る女」だとすれば、ヒロインの悲惨な末路はつまり作者本人の自暴自棄な心情の反映かと思われる。

「或る女のグリンプス」がもとのタイトルで、glimpsはちらっと見ること、瞥見という意味だから、当初はここまでのめり込むはずではなかったのだろう。隙間からちらっと見るにとどめておくのが賢かったのでは。

葉子が米国に着きながら、その船で日本に引返してコケにした婚約者とは有島が学生時代、同性心中をはかったほどの親友だったというから、かれが葉子を嫌い、呪ったのも無理はない。あの悲惨な末路は作者の復讐と言える。決して葉子を近代的女性として認めたり賞賛しているわけではないのだ。だいたい、彼女の活動はもっぱら異性を誘惑することである。絶えず嫉妬と猜疑心で真暗な心境になり、ヒステリーを起こして、「殺せ」とか「死ぬ」とか言い出し、男を誘惑する以外に何の仕事もしていない。「しとやかに」とか「小指を曲げて後れ毛をかき上げる」とかいう描写が多発されているが、こんなのは同性から見て何の魅力も感じられない。未経験な男性の単なる思込みである。

作者がその後45歳で人妻と心中したのに引き換え、同じ年齢の佐々城信子は、この時の相手と添い遂げて、71歳まで平和に生きている。すっかり有島の眼鏡違いだった訳である。

 

 

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