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【本】壺井榮 「秋蒔きの種」

「二十四の瞳」「坂道」「母のない子と子のない母と」などの作家が、こういう作品も書いていた。

「秋蒔きの種」「宿根草」「妻の座」「渋谷道玄坂」などの「閑子(かんこ)もの」と言われる4作品だ。(1998年文泉堂出版 壺井榮全集3)

背景にあるのは妻と死別した徳永直が終戦直後の1946年、壺井榮の妹と再婚したが、2か月後に破綻したという実話だ。徳永直は「太陽のない街」「はたらく一家」などで非常に読みやすい文を書くプロレタリア作家だと思っていた。

子持ち寡夫の再婚がうまくいかずに離婚に至ることは珍しくない。しかし、これが、男が国際的に有名な作家であり、女性の姉(壺井榮)も、仲介者(佐多稲子)も作家だとなると唯では済まず、世の注目を集め、互いに公にやりあうためにあとを引いた。また、夫婦どちらも生真面目で気が小さく、試験的に同居する知恵もなくて、初めに大勢を集めて式を挙げてしまったから、うまく運ばない場合の影響が大きくなったのだと思う。

この件では徳永直に対する批判的な文章を多く読んだ。別に私が農村生まれだから「貧農的」と窪川鶴次郎に評された彼に同情するわけではないが、そう一方的に非難する気になれないのである。

閑子は40歳まで独身で故郷の村で平和に満足して生きていたのに、徳永直の「誰か裁縫のできるやさしい女性がいたら世話して」と言う手紙を受けて、壺井榮が、一方では彼の状況への同情、他方では妹に世間並みの人生を与えようと、二人を結びつけることを考えたのだ。壺井榮は、相手の男を、自分と同い年の田舎の出(熊本県出身)だと、気安く考えていた。かれが素朴な田舎者ではなく作家であることと、かれの言葉の裏にあった本音を知らなかった。結婚話につきものの情報収集も抜きに、自分に好都合な想像が直ちに確信となり、その確信のままに突っ走った。例えば、かれの前夫人に会ったこともないから、彼女が華奢な美人だったことも知らなかった。前妻は足が9文=22cmで、抱えると腕の中にスッポリ入ったそうだ。一方、妹は足も9文7分で(と言っても23.5cmだが)不美人だった。21年間慣れ親しんだその女性に、徳永はまだ呪縛されていたのだ。

さらには、もし壺井榮が、もっと視野が広く、狭い常識に捕らわれていなかったら、40歳で独身の妹を幸せにするのは必ずしも結婚、それも4人子持ちの男との結婚ではないと考えられただろう。或いはもっと姉としての立場に縛られずに、妹は妹だと、突き放せたら、この悲劇は起きなかっただろう。彼女の「妻の座」では結婚式で宮本百合子は、この二人の組み合せがいかに意外だったかとスピーチしたと言う。また後には、壺井榮に面と向かって「まるで似合っていないんだもの。妙てけれんだったわよ。」と言っている。

佐多稲子も時々「前の奥さんは美人だったものね」とかそれとなく再三この結婚を思いとどまるように言っていたようだが、希望に燃えて突進する壺井の耳には入らず、勢いに押されて佐多稲子も言いとおせなかった。(まあ、もともと無口が彼女の特徴だというが)こういう遠慮と思いやりが、不幸な夫婦を生み出し、最後は女性に全てのしわ寄せが来ることになった。誰か一人が、「王様は裸だ」と叫んでしまえばいいのだが、思いやり社会と言われる日本においては、しばしばそれがないままに物事が破局に向かって進む。式もお披露目も済んで同居してから徳永がいよいよの際に彼女を拒否すると言うことになったのである。

NOと言うのにも本人に面と向かって言えず、ただ避けるだけ、日記に書いたり、妻の姉に手紙を書いたりという気の弱さであるが、だからと言って極悪人と言うわけではない。また、SEXLESSの夫婦だって互いに承知の上で便宜的に結婚を続ける例もある。家事育児については、閑子はほぼ満点の主婦だった。「裁縫のできるやさしい人を」とは裁縫が出来なかった亡妻が生前に言った(もしかすると当て付けの?)言葉で、徳永はそれをそのまま言っていただけだった。そうと知ると馬鹿じゃないの?と言いたくなる。もっとも、愚かでひ弱だけれど、極悪ではない。しかし、こういう善良さは極悪より始末に悪い。あら、彼を弁護するつもりで書き始めたのに、私もいつの間にか非難する側に・・・・・・。

壺井榮は、かつて、夫の浮気の後、創作活動に打ち込み始めたが、妹の事件のあとでは、女の立場の弱さに焦点をあてるようになっている。「妻の座」という題名は、流行語になってその後一般に使われるようになったのだそうな。ただ、壺井榮には他人の欠点は見えるが、この悲劇において自分の果した重要な役割や、その原因になった「女性のつとめ」観を反省するには至っていない。

同じ左翼作家同士のぶつかり合いのため実際以上に不幸な目にあった閑子、本名は新(しん)さんはその後四国に帰って、独身のまま84歳の人生を全うした。(榮は66歳で死去)一方の徳永直はそのあとも数回の結婚・離婚を繰り返し「草いきれ」と言う、これは絶版になって図書館にもないが、暴露小説でしっぺ返しをした後、60歳になる前に死んでしまった。民衆の幸福を願うプロレタリア作家なのに女性に関する人権感覚が乏しく、それでいて女性なしには生活できないという男性通有のひ弱さがある。かれの作家としての才能まで否定する気はないけれど。

上記の4編(閑子もの)は、比較的抑えた筆致で読みやすい。が1953年婦人公論連載の「岸うつ波」は同じ題材でも、雑誌の体質だろう、悪口雑言もあり、文学というには程遠く、後味が良くない。多分これが引き金になって、同様に悪評高い徳永直の「草いきれ」が書かれたに違いないと想像する。

あの文部省推薦の作家、母ごころの作家といわれた壷井栄にこんな一面があった。もしこの結婚がうまく行っていれば、きっと美談になっただろうが、あらゆる「美談」にいかがわしさを嗅ぎつける私は、この結果にそれ見たことかの感を否めないのだ。
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