僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

ムーン・パレス/ポール・オースター

2019-08-29 22:05:53 | 文学

ポール・オースター作「ムーンパレス」を一日で読了した。

読後感は爽快かと問われれば、否と答えざるを得ない。

沈鬱で虚無で自ら暗渠に落ち込んだ心境。

 

主人公のマーコ・フォッグは、見栄っ張りで滑稽で自虐的で、泥縄的で、必ず否定から入るひねくれた性格だ。

日本の文学でいえば葛西善蔵の家賃を滞納して借家を追われ、子どもを連れて夜道を行く主人公を書いた「子をつれて」。

また太宰治の「グッド・バイ」のキヌ子。

豚カツ、鶏のコロッケ、マグロの刺身、イカの刺身、支那そば、鰻、寄せ鍋、牛めし、握り寿司、海老サラダ、イチゴミルクなど、すべて平らげる大食漢。

場当たり的で破滅型。

 

ひとときの幸福にとどまることを否定して、

進んで破滅へと向かう。

 

車イスの老人エフィングは大層な変わり者。

その老人もまた破滅型で、死ぬ間際にサンタクロースの真似事をするが、贖罪なのか、ただの徒労か主人公のフォッグに

限りなく近い。

自己のルーツに神秘性を覚えるが、非日常を当たり前のように多用し、反対に結末に日常を用い肩透かしを食らう。

ハッピーエンドにしてもらったならば、キティと永久に幸福に暮らしていくことができたならば、読者は今までの破滅的で飢餓な生活にも報われたにちがいない。


いまを生きる力

2019-08-24 23:12:17 | 人生論

サハトべに花ホールで午後4時から五木寛之氏の講演があった。

話の内容が深く、笑いも折り込み、新しい発見のある

金科玉条ともなり得る内容だった。

 

憂鬱や孤独や郷愁をロシア語では「トスカ」、ポルトガル語では「サウダーデ」、ブラジルでは「サウダージ」、英語では「ブルース」と言い、すべての国で同じようなニュアンスの言葉がある。

五木氏が言わんことには、何気ない小さなことに面白さを感じ、結構悪くない、結構面白いと唱えることだそうだ。

そのためには、音楽に触れたり、美に対する感受性を磨いたりすることだそうだ。

芸術に触れあうことによって、感性が研ぎ澄まされてくるということなのか。

ナチスドイツ時代、アウシュビッツでも命を長らえる人は

ちょっとしたことや、ちょっとした楽しみを見つけられたり感じられたりする人だったらしい。

 

今の日本でも中年の鬱が問題になっている。

やる気がなくなったり、すべてに興味がなくなったりしないよう、早いうちから対策を講じるべきなのだ。

 

五木氏は、ヒンドゥー教の理念的な四住期があると述べている。

学生期(がくしょうき)は師のもとで学ぶ時期で25歳ぐらいまで。家住期は、結婚して子をもうけ、家庭を持つ50歳までの時期。

林住期(りんじゅうき)は、林で隠棲し読書や修行に打ち込む75歳ぐらいまでの時期。 遊行期(ゆぎょうき)は75歳以上になると、ガンジス川のほとりに死に場所を探す放浪をする時期だそうです。

これを五行説で表すと、青春・朱夏・白秋・玄冬になる。

玄は黒いという意味だが、玄妙とか幽玄などの言葉があるように、艶やかな黒で、奥に微かな赤を感じる色を指すらしい。

遊行期や玄冬は、ある意味悟りを開く時期なのだろうか。

思いでの引き出しをたくさん持ち、ちょっとした出来事に楽しさを感じてきたならば生き甲斐の溢れる人生だったと言えるのだろう。

そして美しい花が、やがて枯れたとしても、アウフヘーベンしてまた新しいたわわな実を付けることだろう。

五木寛之氏はいまだに青春の門の続編を書いている。

遊行期には程遠い時期相応に念ずる人だった。


目覚めたら丑三つ時

2019-08-24 08:56:06 | 食べ物

 昨日は仲間10人で七日町の佐ぶ郎で酒宴。

酒豪が揃っており、飲みも飲んだり、お銚子が次々と空になる。

アテはお任せで以下のようなもの。

 

 

 

 

ジャンボエビフライが頗る旨く、隣の方の分まで頂いたりして

 

血液型の話で盛り上がり、10人中A型3人、O型3人、なんとB型が4人の割合。

AB型はいなかった。

 

10時半ごろお開き、3人だけ〝あかし”に向かう。

飲んで歌って、気づいたら11時半、タクシーで帰ったが、居間で熟睡。

目が覚めたら丑三つ時になっていたとさ・・・おしまい。


ポツンと一軒家への憧れ

2019-08-20 18:18:39 | 

 

 

 

テレビで「ポツンと一軒家」という番組を観るが、とても面白い。

 一人で住むその人の生きざまやエピソードに心温まることも多い。

視聴率も良いらしいが、人はとかく都会の喧騒や人付き合いの煩わしさから逃れ

田畑を耕したり、魚釣りなど自給自足の生活にあこがれる傾向にある。

 また、先祖代々から受け継いだ田畑があったり、昔からある神社や寺や観音堂を守っていこうとする人もいる。

もともと日本人には浄土が山の中にあるという観念もあり、死者が49日間家の軒先にとどまり

それを過ぎると近くの端山(はやま)に行き、追善供養を続けると死霊の荒さが消え、もっと高い山である奥山(深山)にのぼり、

祖先神として鎮座する。このような山中浄土感を誰しも持っている。

 

 自分の場合、「迷い家」や「隠れ里」に感覚的に魅せられてきた。

要するに、山里深くいって桃源郷のような場所に黒い立派な門をもつ一軒家があるという伝説。

この家にたどり着いた者へは、何か一品家のものを持ち帰ってよいという決まりがあった。

たとえば漆塗りの膳椀などである。

 また、岐阜県飛騨地方には(五)箇の荘の名の隠れ里があった。

危険な谷の架け橋を16ほど越え渡って辿り着く、幾多の山々の峰超えた奥地の秘境の楽園である。

そこは前田家の領地で家々は美しく華麗、人々はみな100歳以上の長寿、綺麗な白絹の着物を着てみな豊かであり貧富の差などなく、戦乱による災いもなく言葉も古代のまま。

村落中央に瑪瑙でできた山がそびえ立ち、黄金製の竜の噴水があり水が噴出し別世界のようである。収入源は煙硝を産出し加賀の城に運び2000金の収入に変え、村の宗旨は浄土真宗、寺の数は多い。


 ただ隠れ里や迷い家を偶然訪れたものには良い待遇が待ち受けているが、その場所を去って

再び訪れようと試みても決してたどり着けないのだ。そしてなによりも欲のない人しか隠れ里には行けないらしい。

 

 とにかく、平家の落人伝説やら、なぜ山奥に一人で住むの?という興味が尽きないのが一般人である。

けっして文明の利器やネット社会の恩恵に授かっている現代人にとって、憧れはするだろうが

電気や水道が通っておらず、コンビニもないところ、

わざわざ行って、肉体的に間違いなく苦労するであろう山奥には

住まないのが大多数であろう。



お盆休み

2019-08-14 21:29:14 | ドライブ

僕の感性の実家では、近辺も含め、イノシシ・熊・タヌキなど出没する。そして畑や田んぼを荒らすので、住民は罠を仕掛けざるを得ない。

よって時々罠にかかった猪の肉を分けてもらうそうだが、

本日はその冷凍して保存していた猪肉を解凍したものを

焼き肉にして御馳走になった。

やや硬く噛み応えがあるが、味は臭みもなく豚肉に似て

美味しかった。以前、猪豚料理は食べたが、イノシシはお初だったので少し感動したとでも書いておこう。

そして脂がほとんどないのでヘルシーでもある。

 

 

大好きな餅もたくさん出してくれた。

 

 

 

 

休みと生まれ育った実家は寛げて最高!


2009年7月の記事 『渇愛と慈悲』

2019-08-07 15:18:40 | 
瀬戸内寂聴さんによると、仏教では、愛を二つに分けて、ひとつは「渇愛」、もうひとつを「慈悲」と言うそうです。

以下寂聴さんが話した内容です。

 渇愛というのは、私たち普通の人間の煩悩による愛です。それは砂漠の真ん中で喉が渇いた人が、お水をちょうだい、もっとちょうだいと悶えるように、「もっと愛して、もっと愛して」と言って、いくら愛してくれても物足りない愛ですね。
 それは愛のかたちをとっているけれど、とどのつまりは他を愛しているのではなく自己愛です。他を愛している自分の欲望を愛しているのです。非常に激しく、苦しみます。

 そして、渇愛の対極にあるのが慈悲。慈悲はあげっ放しの愛で、自分が愛した分を返しておくれという渇愛と違って、報酬を求めない愛です。

 寒さに凍える人を見たら、自分が着ているものを脱いでも、あげずにいられない。
 自分が食べなければならない食料も、自分より飢えている人にあげずにいられない。
 自分よりかわいそうな人がいれば、慰めずにはいられない。一緒に手を取って泣かずにはいられない。
 そういう愛が湧いてくる。これが慈悲です。慈悲の「慈」は、慈しみの愛です。「悲」は悲しいと書きますけれども、これは悲しいのではなくて、もっと切実な、自分以外の不幸な人を見捨てることのできない愛。思いやりの愛です。その二つの愛を合わせて慈悲といいます。

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 寂聴さんの話の内容は、仏教に深く関わるものです。けれど私たち普通の人が実践しなければいけないのが慈悲の心を持つということです。
 臨済宗の開祖栄西のもとに、厳冬の夕暮れ、飢えと寒さにふるえる一人の男が訪ねました。
「私の女房と子どもは、もう何日も何も食べておりません。このままでは私ともども餓死してしまいます。どうか、お助けください。もう、精も根も尽き果ててしまいました」
 栄西は何とかしてあげたいと思いましたが、手元には金銭も食べ物もありませんでした。やむをえず、薬師如来の御像の光料(箔にする打ちのばした銅)を手渡して、金銭にかえて一時をしのぐように言いました。

 マザー・テレサは子どもの頃、道ばたで寒そうに震える男の人を見て、家に戻り、何枚もの衣服を持ってきて、その男の人に与えたといいます。

 このように、慈悲のこころ、惻隠の情を持ち、困っている人を何とかしなければという気持ちは無くしていけないものです。そして貧困や病気、戦争などがどうしたらなくなるだろうかという知恵を持つこともとても大事なことです。
 
 
 
 2009年7月12日に投稿した記事をもう一度載せました。
 

焔藏から妖怪展、そして松月堂布川で涼み、ひつじやへ

2019-08-05 11:50:25 | 食べ物

 日曜は家族で山寺へ

駅前の焔藏で蕎麦を食べる

 

梅そば

 

おろしそば

 

天板そば

 

冷たい肉そば

 

カウンターにある漬物は無料

 

 

下界から立石寺を見上げる

 

 

芭蕉記念館に移動して妖怪展を眺むる

 

 

次に村山市へ車を走らせ、松月堂布川でかき氷を食べる

 

 

 

 

 

 

17時45分よりジンギスカンひつじやで夕食

 

可愛くて人懐こいチビちゃんが出迎えてくれる

 

屋根裏の隠れ家的風情だ

 

飲み物飲んで

きたあかりに生ハムを巻いたものを食べて

 

漬物も食べる

 

さー肉だー!!!

と、その前に

 

野菜サラダ、パルメザンチーズかけ

 

こんどこそ肉だー

とその前に、フライドポテト

 

 

 

 

やっとひつじのお肉さんが到来

 

 

珍しい野菜もたっぷり

 

いっぱい焼きましょう!

お肉が歯ごたえがあり、全然臭くない

 

ソーセージも食べて

 

満腹なる一日が幕を閉じる

 

 


グランドホテルでビアパーティー

2019-08-01 21:45:50 | 食べ物

  今晩は18時半から、ある🏦銀行主催のビアパーティがあった。

 今回も妻と連れだって、満面の(^-^)/笑顔で参加する。

 いやー行員の方々皆一生懸命で気持ちが良い!

山本美月似の行員さんがいて、わざとレモンサワーを

頼んで、持ってきて頂いた。甲斐甲斐しさもあり

きびきびとしてフレッシュだ🎵

 

 料理の羅列

 

 

 

 

 ほんでね くじ引き大会では

またしても二人とも商品をゲット

私は花火

 

 

妻にはコカ・コーラがたくさん当たった❗

 

 

 

20時半まで楽しく、笑いっぱなしであった。

 ただ、缶のコカ・コーラが重くって帰りしな

千鳥足で、ふーらふら👣🍺😵🌀