僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

綿

2019-05-28 18:13:58 | 趣味

Tさんから綿花(わた)をいただいた。

 

自分で種を蒔いて収穫した、山形では珍しい植物である。

 

綿種は延暦18年(799年)、三河に蛮船が漂着し、崑崙人(インド人)がもたらした

と類聚国史に書かれている。

 

そこから紀伊などの国々に種子を配り試植させたが、いったん途絶えた。

 

1406年室町幕府が派遣した朝鮮使節団に朝鮮国王が与えた賜物の中に

青木綿や綿子が見える。

その後の日本は朝鮮や中国から綿の種子を多く輸入した。

 偶々真岡市出身の学生さんが現れ

貰った「綿」を見て

「私の実家の方でも「わた」を栽培している

農家さんがいます」

とのたまった。

栃木県の真岡市は真岡木綿が有名で、江戸時代、文化・天保の頃には

年間38万反の木綿を生産し隆盛を極めた。

蛇足だが真岡市は、「もおか」 と読み

その由来はかつて沼や沢で覆われたその地に鶴が飛来し

その舞い飛ぶ様があまりにも美しいので、ツルの舞う丘、舞丘と呼ばれ

舞丘が「もうか」と転訛され「真岡」の字を当てたそうだ。

あくまでも一説だが・・・

 

話を綿に戻すが、現在の綿花の生産量の一位と二位の国はインドと中国で

印度は1853万トン、中国は1715万トン(2017年調べ)だそうだ。

日本が最も輸入に頼っている国は米国、次にブラジル、インド、ギリシャと続く。

 

折角綿花の種を貰ったので

植木鉢に5、6個植えてみる。

いずれ芽が出てくるだろうが、観察日記でもつけようか。

 

 


モンテディオ山形 VS ツエーゲン金沢

2019-05-26 22:52:22 | スポーツ

J2のモンテディオ山形のゲーム観戦に

NDソフトスタジアムに行きました。

キックオフは14時からですので

総合運動公園の体育館の中の食堂で昼食です。

食堂内は摂氏26.1度、華氏79度で過ごしやすいです。

 

 

スタジアムに入ります。観客人数5743人。

応援グッズのマフラータオルを買います。

気温31度の猛暑なので

クールタオルを首に巻き

ハンディ扇風機を時折回し

水筒二つ持ち、熱中症に気をつけながら

必死に応援しましたが

ゴールの枠をとらえきれず

引き分けで終了。ワントップの

ジェフェルソン・バイアーノの巧みなボールさばきと

身体能力は観る人を魅了しました。

金沢よりシュート数も上回り

プレスをかけ続けましたが

後半の中盤以降が若干バックパスが目立ち始め

いたずらに時間を費やしてしまった感があります。

しかしテレビで観戦するより

選手との一体感があり

ゴールとゴールとの距離感が把握しやすく

臨場感と躍動感も抜群でした。

来週は鹿児島戦です。

 

3-4-2-1のフォーメーションを生かし

カウンターを上手に使い

決定的なシュートを浴びせて欲しいと思います。


茶器

2019-05-23 18:46:37 | 趣味

とあるお宅で煎茶を頂きました。

江戸時代後期に句会を催した由緒ある家です。

 

有田焼かな?

 

茶托も素晴らしいです。

 

 

九谷焼の急須もありました。

 

 

北前舟で米や紅花を送り、京から

寛永期の古今雛を積んできたそうです。


乾坤一擲

2019-05-22 19:14:54 | 卓球

1980年代 ある選手がオリンピック出場を賭けて

現在全日本卓球協会強化本部長の宮崎義仁さんと対戦した。

かりにある選手をKとすると、Kは最終セット20対17でリードし

あと一本で勝利という場面だった。(昔は21本3セットマッチだった)

Kのコーチは、「宮崎はアップサーブ(上回転サーブ)しかださないから

思い切って払っていけ」とアドバイスした。

けれどKは相手のミス待ちの安全策を取り、全部ツッツキ(下回転)でレシーブした。

結果、ボールは浮き、宮崎氏に打たれてあれよあれよという間に追いつかれた。

 

勝負事は最後までわからない。

だからこそあと3本アドバンテージがあるなら

最初の一本は果敢に攻めるべきなのだ、

ミスを恐れ挑戦することをためらったならば

運やチャンスは相手に行くかもしれない。

そこで、のるかそるかの大勝負に出ねばならないのだ。

 

試合は宮崎氏が勝ち、オリンピックを勝ち取った。


リバーサイド蕎麦屋

2019-05-19 21:21:35 | 食べ物

蕎麦屋はリバーサイドが良い!

寒河江川の水面の煌めき

そして

頭のてっぺんから足の爪先まで

風が吹き抜けた気がした

旬の山菜満載の肉蕎麦

 

 

 

 

 

コゴミ、蕨、月山筍、なめこ、そして薊(アザミ)

実にうまい!

谷地の一寸亭で修行した店主の作品

本家を凌駕するスープと中細麺

キビキビと働く従業員の方々

 

店の名は

そば処ふもと

 

 

 

清々しい真昼時だった

 


夫婦箸

2019-05-07 19:53:27 | 感動

今年の三月、私たちの元から新たな門出をしたHくんが、夫婦箸を贈ってくれた。

何もかまってあげられなかったのに なんという不意打ち

 

 

箸は人と人を橋渡しする物、そしていつまでも美味しいものを食べてねという

優しい気持ちがこめられている。

 

 

お礼の電話をしたら、今は中学1,2年生を受け持っているとのこと。

教科は社会で今は地理を教えているそうだ。

一年生は初々しくまだ質問も少ないが

2年生は、ばんばん疑問を投げかけてくるらしい。

わかるのはその場で答えて、少し自信がない質問には「後ほど調べて答えるね」と

知ったかぶりをせず真摯に対応するそうだ。

 

職員室で他の先生方と一緒に弁当を広げるのも新鮮で楽しい感覚だと言っていた。

言葉のはしばしに嬉しさがほとばしっている。

先生として頑張っている姿を髣髴とし嬉しくなった。

 

このように貴重な初任給を使って箸を買ってくれる優しさ

その気持ちだけでも嬉しいのに もったいなくて使えないではないか。

 

 

 

 

 


千姫から奥日光へ

2019-05-06 10:18:13 | 

 

花衣 千姫物語に宿泊したが、それはそれは素晴らしい一言に尽きる宿だった。

接客が丁寧、食事が工夫を凝らしている、お湯も泉質がよい。

またアメニティグッズも豊富に取り揃え、女性は浴衣も選べる。

そして最も素晴らしいのは、食事を運んできてくれた男性が、

私のくどい問いかけにも嫌な顔一つせず

笑顔で対応してくれたことだ。

とても栃木県が県ランキング43位とは思われないのが実感である。

日光は「ゆば」が有名で、京都では「ゆば」を湯葉と表記するが

日光ではその見た目からか、「湯波」と表記するそうである。

夕食

盛り合わせ

 

吸い物、若竹椀

 

 

おつくり盛り合わせ

 

 

湯波の刺身

 

しゃぶしゃぶ千姫風

 

 

湯波の含め煮

 

じゃがいも饅頭など揚げ物

 

生姜ご飯、香の物、赤だし

 

順番がとんだが、タラの蕗みそ焼き

 

デザート

 

 

 

次は朝食

 

豆腐

 

 

 

ヨーグルトが濃厚で美味

宿からの眺め

 

 

 

 

宿を8時半にチェックアウトし奥日光観光へ

第二いろは坂を上りきったところにある明智平

大パノラマの眺望 男体山も見える

 

 

次に回ったのは藤村操の巌頭之感で有名になった華厳の滝

エレベーターで100メートル下に降り

観瀑台から間近の滝を満喫する

 

栃木県の花 ヤシオツツジも咲いている

 

明治36年一高生、藤村操は、ここで投身自殺をした。

夏目漱石の英語の授業で、「君の英語の考え方は間違っている」と言われた二日後の出来事だった。

悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此の大をはからむとす、ホレーショーの哲学に竟に何等のオーソリチーを値するものぞ・・・

こう彼は楢の大木に彫って亡くなった。あまりにも当時の学生、若者、当事者、識者たちへの影響力が大きく、立身出世が最大の美徳と叫ばれた当時の社会に一石を投じるものだった。

後追い自殺かのようにその後4年で185名が亡くなったという。

 

話が横道にそれたが、朝の奥日光は結構寒かったが

中学修学旅行以来の日本三大名瀑の一つを観ることができた。

 

 

次は湯ノ湖から流れ落ちる滝、湯滝を観た。落差50メートル、白波が岸壁を覆いつくすように

見事に流れている。

団子とコーヒーを飲み一服

 

 

大蛇と大ムカデの戦いで有名な戦場ヶ原にも立ち寄った。

下野国(現在の栃木県)の二荒神(二荒山(男体山))と上野国(ほぼ現在の群馬県)の赤城神(赤城山)がそれぞれ大蛇(男体山)と大ムカデ(赤城山)に化けて戦った戦場であるというもの。最初二荒神が劣勢だったが、岩手の小野猿丸を味方につけ、猿丸の放った矢が大ムカデの眉間を打ち、勝負は決した。

 

熊笹が密集している

 

 

 

 

次の行程は竜頭の滝 滝と滝の間の大岩が龍の頭に見えることから命名された。

 

可愛い兎さん

 

ヤシオツツジ

 

 

中禅寺湖に行く

中禅寺湖には、上野島(こうずけしま)という離れ小島があり、勝道上人と天海僧正の首骨納塔とお墓がある。

たまに水位が下がると徒歩で行けるらしいが、普段は舟でしか到達できない

隠れたパワースポットなのだそうだ。かなりぼやけているが、望遠で撮った上野島

 

 

日光山輪王寺の別院である中禅寺にも参拝する

門には風神と雷神が金剛力士象のように対になっている。

雷神が指三本の赤鬼、風神が指四本の青鬼である。

 足の指は両方とも指二本。

ここの本堂の十一面千手観世音菩薩は子年の守り本尊で、私を含めた子年生まれを一生お守りする有り難い観音である。

日光の開祖

勝道上人が立っている桂の木に観音様を彫った。

だから今でも根っこが残っているそうである。

観世音をお守りする4体の守護神は頼朝が寄進したものと伝来されている。

 

この場所でなんと雹に降られる。雨でもなく雪でもなく雹なのだ。傘をさしながら境内をめぐる。

五大堂の講堂に日光の鳴き龍と同じ作者の龍の画が描かれている。

 

講堂には不動明王、隆三世明王など五体の明王が安置され人々の安寧のためご祈祷する場所なのだ。

 

 

 

次の訪問先は、イタリア大使館の別荘地跡

中禅寺湖と日光白根山が美しかった

 

 

 

大使館の中

 

 

 

また外の眺望に

おいおい入水自殺は止めてね

釣り客だった

 

 

 

午後二時ぐらいまで駆け足で回って

下今市駅から東武日光線で池袋まで行く

そこから西武池袋線で椎名町へ

ここは漫画家の聖地「トキワ荘」があった場所

手塚治虫や藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎らが研鑽を積んだ街なのだ。

藤子不二雄の二人が「ンマーイ!」と驚嘆して食べたラーメンライスがある「松葉」で夕食。

 

昔ながらの懐かしい中華そばを4人で啜った。

 

 

 

ちらっと見えるのがチューダー

 チューダーとはトキワ荘の住人、寺田ヒロオ氏が編み出した安く飲める焼酎3対サイダー7の割合で作った飲み物。

 作ってくださったのが二代目店主山本一廣さんの奥様で

中国出身の山本麗華さん。笑顔がチャーミングな方だった。

藤子不二雄さんたちが住むトキワ荘に当時出前をしていた

「しのぶちゃん」については、尋ねたのだが、わからないということだった。

私たちが山形出身だよと知らせると

「サクランボが美味しいよね」と二回ぐらいおっしゃっていた。

 

 

他の定食類 食べかけで申し訳ないっす

 

 

 

焼肉定食の焼肉がソース味で皆に好評

 

 

流石漫画家の聖地である

 

様々な漫画家の色紙が飾ってある。

 

 

食事を終え、東武東上線の大山駅近くのホテルに向かった。

5月4日もハードスケジュールだった。

5日は東京スカイツリーと上野の東京国立博物館である。


家康は

2019-05-06 00:00:07 | 歴史

 

徳川家康が亡くなった後の神号を「大明神」にせよと主張した金地院崇伝、

しかし「明神」では秀吉の死と重なるので、「大権現」にすべしと南海坊天海は言った。

御存じ108歳まで生きた天海の主張が通り、家康は大権現の諡号を賜られた。

その大権現が祭られている「日光東照宮」に3日、家族で訪れた。

新幹線とJRを乗り継ぎ、日光駅に昼頃到着、東武日光駅近くの「らんぶる」でゆば丼など食べる。

日光東照宮までのバスが2時間も渋滞しているとの情報から約30分歩いて行った。

外人さんも多く、レストランではジャッキーチェンの映画を見ているようで、

歩いている欧米系の人たちは、ほぼ半袖のいで立ちで、力強く歩いていく。

、我々4人も負けずにひたすら歩いたよ。

やっとこさ到着。

 

陽明門は煌びやかで、日暮門と言われるようにいつまで見ていても飽きない。

 

 

一か所魔除けの逆柱があって、完成した時から崩壊が始まるという事を

あえて未完成にして逆の文様にしたのだ。

 

唐門も美しく貝殻で作った胡粉を多く使用している。

 

有名な左甚五郎作と言われる「三猿」は新厩舎に掲げてある。

所謂「見ざる、言わざる、聞かざる」である。

表門の木鼻には「獏」の彫刻があるが、獏は病疫や厄を避け、邪気を払い、鉄や銅を食料にするといわれる。

いわば刀や槍などの鉄製の金属を食べてしまう瑞獣なのだ。別な言い方をすれば平和の象徴であろう。

獏は右側

 

上神庫の狩野探幽作ので想像の象も珍しい。

尾が三本あり毛もふさふさしている。

 

有名な「眠り猫」は。坂下門に彫られている。裏が平和に遊ぶ雀が彫られているので

やはり平和の象徴と見えるが、実は寝たふりをしているように見せかけ、本当は家康公を守っているのだそうだ。見る角度のよって獲物を狙う鋭い目にも見える。

 

眠り猫から207段登ると家康公の墓がある。

その手前の鋳抜門の映像にオーブが映った。

 

お墓

 

他に鳴き竜や拝殿、本殿など興味深く見学した。

 

 

二荒山神社や日光山輪王寺などパワースポット巡りにひと際頑張った。

宿は「花衣 千姫物語」。

従業員の接待の肌理こまやかさには驚愕した。

宿の内容と4日の奥日光篇は後ほど。


本をよく読むこと

2019-05-01 20:38:33 | ことば

Aは卒論を書くとき、作家の先行研究が少なかったので、福島の図書館に足を運んだり、時には学習院大学の資料を読み漁ったりしていました。

謂わば「渉猟」していた、と言えるでしょう。

 

また、孔子が易経を革紐が擦りきれるほど何度も読んだことから「韋編三絶」という熟語が生まれました。

 

また、透視能力があるがのごとく、文章の真意を汲み取ることを、「眼光紙背を徹す」と言います。

「行間を読む」を更に格調高く表現した言葉なので、誉め言葉として使われることもあります。

精読、熟読、乱読、いろんな読み方がありますが、

貴方は積ん読(つんどく)かな?