僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

トゲクリガニ

2015-04-29 21:38:31 | 食べ物
通販で8杯注文したトゲクリガニが届いてすぐにいただきました。

見た目がこれ。



青森では桜ガニと呼び、花見をしながら食べるといいます。

とにかく卵とミソが濃厚で、とても美味しかったです。想像以上でした。



家族にもとても好評でしたが、同時期に頼んだマテガイの見た目がちょっと可哀そうで

誰も食べようとしませんでした。

バター醤油で炒めたのですが、もっと違う調理法がよかったのかもしれません。



新左エ門の湯

2015-04-29 21:24:42 | ドライブ
4月26日に家族で蔵王温泉に出かけました。

場所は1999年4月オープンした新左エ門の湯



とっても気持ち良い湯加減です。


お休み処も綺麗で広々としていてゆっくりくつろげます。



お食事も山形牛のすき焼きやタラの芽の天麩羅など、とても美味しかったです。






接客係の方々もとても心配りの行き届いた丁寧な応対でした。

符丁

2015-04-23 17:36:41 | たわごと
市場でセリの時、数字を暗号化した符丁を使う。

築地市場では1から10までをチョ・オノジ、クノジ、スノジ、ダリ、メゥ、ロッポウ、セイナン、バンド、ガケ、ナラと使う。

奈良の中央市場ではピン、メノジ、ダイク、ランプ、オンテ、カミ、ホシ、バンド、キワ、ピンと使うらしい。


香具師(ヤシ・テキヤのこと)の符丁は
  一から順に、 やり ・ふり ・かち ・ため ・ずか ・みず ・おき ・あつた ・がけ ・ちぎ。
  やりは槍で、一本槍の意味。 ふりは二人。 ずかは静御前より。


語呂が良く縁起の良い魚卸商の符丁もある。

「わきいでたるみたから」
「つるかめのしまだい」
「しらはまのあさぎり」などである。

山形銀行の頭取・長谷川吉茂氏やきらやか銀行の相談役・長谷川憲治氏の本家は山形城下町で、かつて紅花商人として活躍した。

かなりの数量の紅花を京都で売りさばいた。

1854年頃の帳簿にも当時の符丁が残されていて、一、二、三、四、五、六、七、八、九、〇を

それぞれヨ、ロ、ツ、ア、キ、ナ、イ、カ、ノ、ヲ(〆、メ)
と使っている。

帳面に書かれた仕入れ値を相手に覗かれても判別できなくするための策だったらしい。

とっておきの春

2015-04-12 16:54:12 | 食べ物
 今日、実家から早春の便りが届きました。

便りと言っても山菜などの食べ物です。

私が好きな土筆(つくし)とふきのとうと浅葱(あさつき)が入っていました。



他に木通(あけび)の皮に色々詰めた私の大好物も、、、いとうれし!



あと蝗(いなご)の佃煮や海苔、鯛味噌など



早速妻が浅葱を湯がいて酢味噌和えを作ってくれました。


酢味噌の酸味と浅葱の甘みが口の中いっぱいに広がります。

筍ご飯も旬のご馳走です。


蕗の薹は天麩羅にして海老や舞茸、烏賊とともに味わいました。









今流行の紫蘇油(エゴマ油)をかけたりもしていますよ!

小嶋家の歴史

2015-04-11 13:42:08 | 歴史
 先日、商用で三日町の小嶋家を訪れた。

 小嶋家は現在でも山形の実業家で広く活躍している小嶋家一族の総本家である。

初代小嶋源兵衛は、天保期の1830年代に銀町の小嶋源右衛門家(宗家)から分家して三日町に居を移した。

 安政期までの小嶋家は、荒物・紙・扇子・傘・茶・五十集物(いさばもの)・砂糖・反物・古着・繰綿・油・蠟燭などを

卸売することを基本に中規模商人として成長していった。

 幕末維新期にかけては、菜種の大量買い付けを前提とした油絞り業・油商売を展開している。

また菜種粕・荏粕などの油粕を中心とした肥料商いも従事した。

 幕末期から蔵米(領主米)の買い付けを始め、米穀商業にも参画するようになった。

 明治初年からは経営の比重を主要輸出業になった養蚕生糸・製茶に移していった。

 明治30年代半ばから大正期にかけては、内外米・大豆粕・搗麦・麩(ふすま)などの米穀商業・肥料・飼料商いに集中し

とくに輸入南京米などの卸売りを活発に行っている。

 昭和戦前期には、小嶋源兵衛は山形米穀商業組合長や山形商工会議所議員を歴任している。


 小島総本家からはそれぞれ子供が分家し、オビイチ・オビニ・オビサン・オビゴ・オビロク・オビシチ・オビハチ・オビク・オビジュウ

と分かれていった。オビとは商人が着る着物の角帯のことである。オビヨンはなく、オビジュウも商売は行わなかったようである。

現在、オビサンは紙事業・包材事業を展開し、オビゴは仏壇・仏具で有名な小嶋源五郎である。

 オビロクは木製品、紙、パルプなどを扱う会社で、オビハチは小嶋商事を経営し、肥料や特産農産物、蔵オビハチなど

広く事業を展開している。

他にオビジョウ家具、オビマス商店が著名だが、どの分家から分かれたかは私は知らない。


 もともと小嶋家は荒物・煙草などの萬商い(よろずあきない)で成長していき、遠く奥州伊達郡(現 福島県北部)へも

萬商品を売りさばいて行った。

 そうした商売のノウハウと人脈は代々緻密に受け継がれていったものと思われる。

ナニコレ珍百景 奇跡の合格エピソード

2015-04-09 16:19:14 | 感動
 昨日、ナニコレ珍百景で感動するドラマを見た。

 2010年1月16日、パイロットを夢見て石川県の「日本航空高等学校」を受験する川越市の川口瑠美子さんとお母さんは、新幹線・夜行列車・バスを乗り継いで試験1時間前には到着する予定で移動していた。

 しかし午前0時に新潟県長岡市に着いたところで大雪の影響で電車が運休してしまい、予定通りに試験会場まで辿り着くことが難しくなっていた。

タクシーもつかまえられなかった2人は高速道路でヒッチハイクをすることにする。

なんとか直江津駅まで移動した2人は神戸まで行くトラックの運転手さんにお願いし、金沢まで送ってもらえることになった。

 けれど、猛吹雪の影響もあり時間はギリギリに差し迫る。そこで運転手さんは、配送先に4時間遅れると連絡をしてまで輪島市の試験会場まで送ると申し出てくれたのだ。

 運転手さんのご厚意のおかげで、試験開始時間ギリギリ10分前に到着することができた。

 その日の試験で出された課題は「私が感動したこと」というタイトルで作文を書くというタイムリーなもの。
瑠美子さんは試験会場にたどり着くまでのエピソードを書いて見事合格したのだった。

 しかし、運転手さんはヨコヤマとだけ告げて会場を後にしてしまう。

だが、学校の職員の方が運輸会社の名前とトラックのナンバープレートから見つけ出して連絡をしたところ、瑠美子さんが合格したと聞いて喜んでくれたそうだ。

 連絡先も告げずに立ち去る運転手の奥ゆかしさ・・・そこに日本人すべてが根底に持っている美徳を垣間見た気がする。

ひまわり亭で昼食を

2015-04-09 09:44:47 | 食べ物
 昨日の昼は、妻がオムライス定食を食したいというのでひまわり亭のそれを賞味しました。
味、ボリューム、ふわふわ感とも申し分ありません。








その他にチキンハンバーグ定食と牡蠣フライ定食も注文しました。
牡蠣フライについているタルタルソースがまいうーです











山大の学生さん方にも至極好評です!