僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

キャラメルのことなど

2011-07-30 16:43:20 | 食べ物
昭和46年ごろの森永のミルクキャラメルは14粒入り30円だった。

当時甘いものに飢えていた自分は、黄色の箱とエンゼルが印象的なこのキャラメルをよく食べた。

箱には今でも「滋養豊富、風味絶佳」の古びた表現の広告文字が見える。

ほのかなミルクの香りと、くどさを感じさせない甘みを有していた森永のキャラメルに対して、明治のクリームキャラメルは、一粒口に頬張った瞬間、すぐに飲み込んでしまわなければならないようなもどかしさを覚えた。

ゆっくり口の中で転がすことが出来ずに、その甘酸っぱさのせいで、すぐ飲み込まなければという衝動に駆られるのだった。


森永のミルクキャラメルが黄色だったら、江崎グリコのグリコの濃い赤色の箱も印象的だった。彩度の高い色は食欲を誘発するのだろうか。



グリコのキャッチフレーズは「1粒300メートル」だが、栄養素をカロリー計算すると
1粒に320メートル走ることが出来るという。

有名なこのポーズ

このモデルはフィリピンのカタロン選手。
第5回極東競技大会のマラソンで1位をとった選手である。
グリコの社長は、彼のテープを切る爽やかで力強い勇士に感動したそうだ。

グリコのおまけも楽しみだったですね~


最後はペコちゃんで有名な不二家から昭和4年に発売された「フランスキャラメル」

私が物心ついたときは既にない商品だった。
赤・白・青の三色旗(トリコロール)を背景に洋風少女の顔がとっても愛らしい。
彼女はアメリカの銀幕少女スター、シャリー・テンプル。
フランスとは関係ないのである。

ミルクキャンディー「ミルキー」の登場は昭和27年を待たねばならぬのであった。

本日はちょっとノスタルジックに浸れる話題だったでしょ?

後悔

2011-07-27 17:58:26 | 思い出
自分は今でも出来るならやり直したいことがある。

一つは小学校の時に学校で飼っていたウサギに餌をあげる当番なのに
大雨のせいにして学校に行かなかったこと。
残った野菜クズを持って行くだけだったのに
自分は面倒くさくて行かなかった。
もう一人の当番の人が行くだろうと高をくくって、行かなかった。

あの時なぜ自分は当番という責任があるのに行くことをためらったのだろう。
なぜ、行くことを怠けたのだろう。

ウサギは次の日空腹で死んでいた・・・


二つ目は中学3年時、僕らは受験勉強に追われていた。
けれど決して受からねばという強迫観念めいたものはなかった。

後ろの席のUとはいつも軽口を叩き合う気の置けない仲間だった。
ちょっとばんばひろふみに似た気さくな風貌が近づきやすい雰囲気に拍車をかけた。
僕らの間には、毎日の生活に、受験という灰色の概念を感じさせないものが
確かにあった。

けれどある日彼Uが英語の問題がわからないと訊いてきた。
いつもは丁寧に教えていたはずなのに
自分の勉強を犠牲にして教えていたはずなのに(全て自分の傲慢のなせるわざ)

あの時の僕は虫の居所が良くなかったのだろうか
魔が差したのだろうか

僕はこう言い放ったのだ。
「僕も今忙しいんだ。いつもいつもこんな簡単な問題聞かれても困る。」


彼は無言だった。

それ以来彼の態度は明瞭(あきらか)によそよそしくなった。

僕らは、当たり前のように受験という喧騒の中に身を委ねていったが
あの日以来僕らの関係は確実に変わっていった。

昨日の出来事

2011-07-26 17:54:41 | たわごと
昨日の晩御飯は牛肉ステーキのせ冷やし中華であった。


美味しい!



そして珍しい物好きな僕の感性としては見逃さなかったタイのカップヌードル。






すこぶる唐辛子の辛味が印象的だった。



夜、ハリーポッターを観にいった。

3Dなので迫力が物凄い!

ハリー・ポッターとヴォルデモート卿の決戦は見ごたえ十分ですよ。

西村京太郎先生

2011-07-15 12:43:22 | 文学
足柄(あしがり)の 土肥(とひ)の河内(かふち)に 出づる湯の

よりもたよらに こころが言わなくに

                    万葉集 東歌



足柄の土肥の河内とは、今の神奈川県湯河原のことである。

古く万葉の時代から歌に詠まれた土地に、かつては明治の文豪夏目漱石も「天野屋」に逗留し、療養と執筆を行っていた。
絶筆となった『明暗』の舞台も湯河原である。

その湯河原に京都から療養で訪れた西村京太郎先生は、温暖な気候と優しい土地の人柄に魅かれ「終(つい)の棲家」と心に決め記念館まで建ててしまった。

西村先生とは最近ちょっとした縁ができた。

前から十津川警部の活躍するトラベルミステリーは二時間ドラマで拝見していたが、文庫本や単行本も手に取るようになった。

この作品も西村先生の巧緻さが余すことなく発揮されている。


サインを頂いたので大事にしたい。


芥川龍之介など多くの操觚者が歩いたであろう湯河原の地をいつか訪れたいと思う。

amazon

2011-07-14 21:31:13 | 驚いたこと
初めてamazonに文庫本を出品した。

そうしたら2営業日以内に注文した人に送れとamazonから指令が来た。

8日にメールが入っていたのに気付いたのが12日。
私はかなり慌てた。

急いでプチプチにくるんでゆうメールで発送した。
ちゃんと着いたかな~

amazonからの報酬は280円であった。

Kさんの庭

2011-07-09 12:28:05 | 
昨日、Kさんに長野のお土産を頂きました。

「ぴーかん なう」じゃなくて、「ぴーかん なっつ」です。

相変わらずKさんの庭は美しいです。

私が最も大好きな野草「カワラナデシコ」


キョウチクトウ(夾竹桃) 葉が竹に似て、花が桃に似る。インド原産、有毒植物。


ガクアジサイ


アジサイ


ヒメアジサイ


カシワバアジサイ(葉が柏の葉に似る)


ペチュニア


ダールベルグデージー(ディッソディア) テキサス~メキシコ原産 湿度に弱い。


ロべりア


アズーロ・コンパクト(スノーホワイトスノー&ラベンダーシャワー)
ロべりアをサントリーが改良。夏越えが容易。


チェリーセージ


20世紀なし。 実は食べられるまでには大きくならないらしい。


ガザニア


毎日暑いですが、花は元気ですね~

アイスクリームと半夏生の食事

2011-07-05 16:23:53 | 食べ物
7月2日頃の夕食です。

タコの酢の物


私の大好物、鶏モツの煮込み


お寿司とまぜご飯




大学時の友人Y氏からの贈り物のアイス。とっても美味しかったです♪


姉の嫁ぎ先のサクランボ。小さい実のうち何個か間引く(山形弁でおろぬく)ので
一個の大きさが大きい。そして甘い。



前回のケンミンSHOWで千春のふるさと足寄のラワン蕗を紹介していました。
あまりにも大きくて吃驚しましたが、山形のサクランボとつや姫も美味しさでは負けませんからね~~

マンサクの庭

2011-07-03 20:01:21 | 
今日は、上山市金瓶の南部屋敷で昼食をとった。

私は鰻重と蕎麦のセット


息子はソースカツ丼セット


妻は天ざるそばセットを食した。


この南部屋敷の近くに斎藤茂吉の生家があるのだ。



おなかも膨らんだので、西蔵王の「マンサクの庭」に向かった。
野草園の近くで、三宅さんという岡山からきたご夫婦が土地を開墾して作った花園なのだ。今の時期はたくさんの薔薇が我々を出迎えてくれる。

特にノイバラ科の薔薇が高貴に匂っていた。





























ホタルブクロ


栃木(下野)に多い「シモツケ」


セイヨウツキミソウ(エノテラ・アフリカンサン)








クロタネソウ?


アスチルベ



クレマチス



紫陽花


芍薬


白のシラン





キショウブ



ハナショウブ



ミヤコワスレ


ムラサキツルクサ


ヤマボウシ


クリンソウ






フウロソウ科?


ディモル・フォセカ?



紅茶もいただきました。


テラスからの眺めも最高!


名残惜しいが、ちょっとC.Wニコルさんに似たご主人の三宅さんに別れの挨拶をして
そこから100メートル先の竜山の湯に向かった。

湯の成分が、ナトリウムとカルシウム。硫黄は少なめだった。
露天風呂もあり、気持ちが良い温泉だった!











休憩所


マンサクの庭が入園料250円
竜山の湯の入浴料400円

癒された一日であった。

因みに?の花の名を知っている人がいたら教えてほしい。

「明け方」を指す言葉

2011-07-01 16:40:42 | ことば
春はあけぼの。
やうやう白くなりゆく山際少しあかりて 紫だちたる雲の細くたなびきたる。

(枕草子)


清少納言は、春はあけぼのの時刻が趣があると述べている。

あけぼののように明け方、夜明けを表現する言葉が日本語には割りとある。


暗い順から、暁(あかつき)、東雲(しののめ)、曙(あけぼの)、朝ぼらけと表す。

・・・太陽が昇る前のほの暗い頃

東雲・・・夜が明けようとして東の空が明るくなってきた頃

・・・ほのぼのと夜が明け始める頃

朝ぼらけ・・・夜のほのぼのと明るくなった頃


他に黎明(れいめい)という言葉もある。
これは一般的に夜明け、明け方という意味と、新しいことが始まろうとすることという意味がある。後者はも使用できる。

また、彼誰時(かはたれどき)という言葉もあり、「彼は誰?」と人の顔が判別できない朝方に使うことが出来る。
それに対して、」黄昏時は夕方の薄暗い時刻に使う。



蛇足だが、「光」をつけた暁光(ぎょうこう)と曙光(しょこう)という言葉もある。前者は、明け方の空の色という意味に過ぎないが、後者には①夜明けに東の空にさしてくる太陽の光という意味と②物事の前途に見えはじめた明るいきざし という意味もある。

私は個人的には、東雲と黎明という言葉が好きだ。