僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

3年B組 金八先生ファイナル「最後の贈る言葉」を観て

2011-03-28 17:51:17 | テレビ番組
昨日金八先生ファイナルを観た感想を少し述べてみたい。

1979年10月26日にスタートしたシリーズも今回で終わりを告げた。
まさか金八先生自身の定年退職を、多くの3年B組の卒業生らで「卒業式」という形で祝福するとは思ってもいなかった。

懐かしい卒業生の桜中学の時の一コマ一コマに金八先生の思いと我々視聴者の思いが重なる。
いつも爪弾き者を見捨てず体当たりで真剣に生徒と向かい合った先生。

生徒とともに涙を流し彼等の苦しみ、悩みを解き放とうと死に物狂いで動いていた。

そんなひたむきさに子ども達は他の大人と違う真剣さを感じ、本気で向かい合ってくれる先生に心打たれる機会も多かったはずだ。

金八先生の最後の言葉に

俯瞰で見る人でなく、そばにいて明るく温かいような、隅を照らす人であってほしい

とあった。

春は巡る

2011-03-18 14:47:47 | 
地震の復旧が進んでいますが、燃料不足で病院への搬送もままならないようです。
医薬品も手に入りにくく、継続して薬を飲まれている人は心配です。暖房が行き届かず、インフルエンザが広まっている場所もあるようです。
早急に医療チームを派遣して万全な対策をとってほしいと思います。

私たちの生活にも様々な面で影響が出ています。引越しが出来ない、買い物がままならない、燃料を買えないなどの不便さが出ています。
普段の生活が飽き足りないわけではありませんが、どっぷりと便利さに浸ってきた分、
我慢することに耐えられなくなってきます。
被災されている人の気持ちにたって行動したいものです。

地震が発生する前に撮った美容師Kさん宅の花たちです。

ギンギアナム


カランコエ



ボロニア・ピナータ(ボロニア・ピンナタ)



シンビジウム



その他の植物








復興の輪が広がり、日常を取り戻し、花を愛でる余裕が一刻も早く来ることを願います。

東日本大震災に泣く

2011-03-14 17:44:28 | 驚いたこと
信じられないほどの未曾有の大地震が起こりました。大津波で一万人以上の犠牲者が出た模様です。亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。また、行方不明にになられた方の一刻も早い無事を願って止みません。

山形は被害が少なくて済みました。停電の不便さと買い物が制限されるだけで
普段どおりの生活ができます。
避難所に何日もおられる方の不便さは喩えようもないでしょう。
おなかが減っても一食あたり一個のおにぎりしか食べられないのです。
毛布一枚では寒いでしょうし、プライバシーも守られません。
トイレも不自由でしょうし、お風呂も入れませんよね。
イライラが募るでしょうが何とか我慢して協力し合って乗り切ってほしいです。

私のところにも宮城のかたが何人も訪れます。出来るだけの対応をしますので
宜しくお願いします。
自衛隊のかた、警察の方、ボランティアに従事する方々、消防の方、外国の支援者の方々、原発に携わる方、お医者さん、JRの方、電力会社の方、マスコミの方、そのほか多くの人々が被災者を支え励まし、不眠不休の献身的な救助に頭が下がります。

ご親族を亡くされて打ちのめされている方、家が崩壊して困惑している方、いつまでも続く不幸は決してありません。強い生命力を持って立ち向かってほしいです。

3月9日の昼食と夕食

2011-03-10 10:05:24 | 食べ物
昨日の昼食です。

天丼

海草サラダ

蜆汁

佃煮



夕食です。

鶏肉とシメジのトマトソース煮


豆腐と白菜とウインナーのコンソメスープ バジル風味


ためしてガッテンで、お茶の効能を切々と説いていましたので、すり鉢にお茶葉を入れてスリコギで擂り、カテキン・βカロテン・ビタミンE・繊維質を増やして急須で淹れて飲みました。


牛乳を入れると、カテキンが脂肪と結合するので、より血液に吸収されやすいそうです。

しゃぼん玉/乃南アサ

2011-03-09 11:47:51 | 読書


乃南(ノナミ)アサの『しゃぼん玉』を読んだ。

「自分は生涯、しゃぼん玉のように、ただ漂って生きていく。そしていつか、どこかでパチンと弾けて消える。それだけの存在のはずだ」
こう述懐する主人公伊豆見翔人は自堕落で自暴自棄な生き方を享受していた。

その彼が平家落人伝説のある椎葉村で老婆スマをはじめとする村人の暖かさに触れていく。
険しい顔つきが徐々に柔和になって、生きる意義を見出していくのだ。

最後にかけて目頭が自ずと熱くなっていく・・・

やっと出てきた蕗の薹

2011-03-08 16:14:49 | 食べ物
昨日の夕飯から








福島の人に戴いた苺「ふくはるか」とっても甘い


仙台の人に戴いた笹かまぼこ いぶりサラミやら揚げた笹かまイカ入りもある。


そして今日、待望の蕗の薹を収穫した。


去年は2月25日に収穫したが、今年は大雪のせいでかなり遅れている。まだ小ぶりなので少しだけ採った。

天麩羅にしようか。蕗の薹味噌を作ろうか。味噌汁に入れてもいいだろう。

数字の8

2011-03-08 09:47:40 | 薀蓄
中国では数字のが好まれます。8と広東語の發の発音が似ているからで、
發には発展する、拡大する、大きくなる、金持ちになる、富む・・・などの意味があるからなのです。
だから8が入っている車のナンバープレートは人気があり、××××-8888のような電話番号も数十万元で取引されます。
日本のマンションでも中国人は808号室を高く購入するみたいです。

中国では、店の新規オープンやイベント開催などを8のつく日に行い、時間も8時8分や9時28分(8時88分)にするこだわりようです。
北京五輪は2008年8月8日の午後8時開催でした。

日本でも8の数字は末広がりと喜ばれますが、古代の古事記の時代には「八」はよく使われました。
例えば日本は「大八洲(おおやしま)」、神々は「八百万(やおよろず)の神」、スサノオが退治したのは「八俣の大蛇(おろち)」と「八」が多く登場します。

また三種の神器は八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、八咫鏡(やたのかがみ)と「八」の数字を冠しています。もうひとつの神器「草薙剣」も、もともとは「八重垣(やえがき)の剣」と呼ばれていました。

どうやら「古事記」が編纂された時代には「八」という数字が神聖な数と認識されていたようです。

また、漠然と数が大きいことにも「八」は使われます。例えば、七転八起という四字熟語には、たくさん転んでも必ず起き上がるという意味があります。

西洋では8という数字は縁起が悪いと言われ、8本足のタコは悪魔の使いと忌み嫌われます。
所変われば数字の概念が正反対になるところが面白いですね。

小学生5人の見事な連携

2011-03-07 17:26:00 | 感動
 山形県河北町の西里小3年、庄司ひよりさん(9)と黒田美穂さん(9)は2月16日、学校からの帰り道に、ふと足を止めた。聞いたことがない、くぐもった声がする。
 「誰か、助けてけろ!」。声が聞こえる辺りに雪の塊があり、人の太ももだけがちらりと見えた。「男の人だ」。手で雪を掘って助けたかったが、冷たくて、硬かった。
 すぐ後ろを、同級生の後藤健人君(9)が歩いていた。つい最近、近所の人が雪かきで具合が悪くなったのを知っていた健人君。「また雪の事故だ」と、ピンと来た。近くに住むおじいちゃんを呼びに走った。
 5年生の皆川安里紗さん(11)と庄司七海さん(11)も異変に気付き、とっさに近くにあったスコップをつかんだ。
 生き埋めになった男性の話し声がだんだん小さくなった。「早く助けないと」。みんな、心臓が高鳴り、どきどきした。駆け付けた健人君のおじいちゃんと一緒に、夢中で雪を掘った。
 小学生5人の見事な連携プレーで、町内の農業後藤正義さん(60)は助かった。左脚にけがをして入院したが、命に別条はなかった。
 事故の後、後藤さんの奥さんが学校に来て感謝の気持ちを伝え、伝言を残した。「子どもたちにいつでも遊びに来るように言ってくださいね」。後藤さんが退院したら、会いに行こうと誓った5人に、もう一つ、ご褒美が待っていた。
 1週間後の23日、全校児童の前で、寒河江署の芳賀豊松署長から感謝状を手渡された。立派な額入り。「重いなあ」と美緒さんが言うと、先生が声を掛けた。
 「人の命を助けたんだから、重いのは当たり前だよ」(河北新報 関川洋平)

苦役列車

2011-03-07 15:25:07 | 読書
西村賢太氏の「苦役列車」を読んだ。

主人公貫太の生き様は、その日暮らしで、将来の展望もない。5500円の日雇い日当を握り締め、コップ酒をあおって野菜炒めを食べ、たまに風俗にいくルーティーンだ。

友人も恋人もいない貫太にもある日を境に変化が生じてくる・・・


どうなんだろう?作者の西村氏は、「自分よりダメなヤツがいるんだという気持ちになってくれれば書いたかいがある。」と述べている。

私が思うに、湾岸の物流倉庫で固まったイカやタコをパレットに運ぶ仕事は、かなりの重労働だが、貫太の生命の息吹や逞しさを感じるのだ。

実生活でも西村氏は、父親が性犯罪に手を染めたゆえに両親の離婚や度重なる転居を経験する。けれど不思議なことに父親への憎しみを一言もこぼさずに、ある意味人生に諦観と恐れを抱いているが、それでも生きている。

田中英光に傾倒しつつも、インテリジェンスの香りを嫌悪し、今度は藤澤清造に私淑する。孤独と窮乏の中死んでいった彼に一種の救いを託していったのだろう。
なぜなら、一見無頼派を気取ってはいるが、途方もない寂しがり屋と私は見て取る。