チョコレートのロッテは、昭和23年重光武雄氏によって設立されました。社名は、重光氏が若い頃夢中になって読んだゲーテの「若きウェルテルの悩み」のヒロイン、シャルロッテにちなんでつけられました。
わたしも高三の1月7日の日記に「若きウェルテルの悩み」を読んで感動した事を綴っています。当時の原文のママ書いてみます。
「ゲーテの『若きウェルテルの悩み』感動的でした。この本はナポレオンが戦場の地で8回も読み返したほど、人々に与えた感動は大のようでした。この作品は俺にかなわぬ運命のつれなさを克明に語ってくれたようです。ウェルテルのロッテへの思いは、いかにも情が深く感受性にとんだ彼らしく、灼熱の太陽のように燃えたぎる炎でした。彼自身かなわぬと知りつつも、愛し続け、それでも充分幸福だったようです。~愛することこそ幸福だ~(ヘッセ)
しかし彼は自殺しました。そうすることが、ロッテと彼女の夫に対する至上の償いだと信じて・・・」
第二の巻 1771年10月20日~1772年12月6日の「編者から読者へ」という文章にはこう記されています。
初雪が降った日、ウェルテルは同じ苦しみを持つがゆえによく見知っていた男が、やはり同じ思いゆえに恋敵を殺したことを知る。ウェルテルを襲った惑乱、激情、そして無為の倦怠。この時期に、死への思いはウェルテルの中で日々強くなっていった。それは彼にとっての最後の出口であり、希望だった。
ウェルテルの死に至る変遷がうまく書けています。老若男女問わず読み継がれる不朽の名作だと思います。
わたしも高三の1月7日の日記に「若きウェルテルの悩み」を読んで感動した事を綴っています。当時の原文のママ書いてみます。
「ゲーテの『若きウェルテルの悩み』感動的でした。この本はナポレオンが戦場の地で8回も読み返したほど、人々に与えた感動は大のようでした。この作品は俺にかなわぬ運命のつれなさを克明に語ってくれたようです。ウェルテルのロッテへの思いは、いかにも情が深く感受性にとんだ彼らしく、灼熱の太陽のように燃えたぎる炎でした。彼自身かなわぬと知りつつも、愛し続け、それでも充分幸福だったようです。~愛することこそ幸福だ~(ヘッセ)
しかし彼は自殺しました。そうすることが、ロッテと彼女の夫に対する至上の償いだと信じて・・・」
第二の巻 1771年10月20日~1772年12月6日の「編者から読者へ」という文章にはこう記されています。
初雪が降った日、ウェルテルは同じ苦しみを持つがゆえによく見知っていた男が、やはり同じ思いゆえに恋敵を殺したことを知る。ウェルテルを襲った惑乱、激情、そして無為の倦怠。この時期に、死への思いはウェルテルの中で日々強くなっていった。それは彼にとっての最後の出口であり、希望だった。
ウェルテルの死に至る変遷がうまく書けています。老若男女問わず読み継がれる不朽の名作だと思います。
平安時代の人は、緋色(濃く明るい朱色)を「思いの色」と呼んでいました。「思い」を古語では「思ひ」と書きます。その「思ひ」の「ひ」から「火」が、さらに「緋」が連想され、恋慕の情を緋色で表すようになったのです。
耳なしの 山のくちなし えてしがな 思ひの色の 下染めにせむ
(古今和歌集 よみひとしらず)
「耳成山のくちなしの実を手に入れたいものである。思いという色を染めるときの下染めにそれを使ったら、秘密が保てていいだろうな。」という意味です。「耳なし」にある「口なし」ということで、誰にも知られないだろう、ということを言っています。
思慕や恋する思いを緋色にたとえるとは、嗚呼ロマンティック平安時代!
耳なしの 山のくちなし えてしがな 思ひの色の 下染めにせむ
(古今和歌集 よみひとしらず)
「耳成山のくちなしの実を手に入れたいものである。思いという色を染めるときの下染めにそれを使ったら、秘密が保てていいだろうな。」という意味です。「耳なし」にある「口なし」ということで、誰にも知られないだろう、ということを言っています。
思慕や恋する思いを緋色にたとえるとは、嗚呼ロマンティック平安時代!
嵯峨天皇には皇后はじめ二十九人もの妃がいました。子どももたくさん生まれ、皇子、皇女合わせて約五十人いて、身分の低い妃からも少なからず生まれたということです。彼らをすべて親王にしたら朝廷の財政を圧迫してしまいます。そこで大リストラを決行し、母親が皇族でない者に「源氏」の姓を授けて、臣籍降下(皇族の身分から臣民になること)させたのです。「源氏」とは、みなもと(源)は皇室だという証明の姓でした。
嵯峨天皇の後も仁明、文徳、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐らの各天皇が、たびたび皇族を源氏として臣籍に下ろして、源氏姓を持つ者は百人にものぼりました。
「源氏物語」の主人公光源氏のモデル源融(みなもとのとおる)は、嵯峨天皇の皇子で、初代嵯峨源氏です。
鎌倉幕府をひらいた源頼朝は清和源氏の祖です。源氏の家系の中で最も名を馳せたのが清和源氏なので、たんに源氏といえば清和源氏を指します。
嵯峨天皇の後も仁明、文徳、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐らの各天皇が、たびたび皇族を源氏として臣籍に下ろして、源氏姓を持つ者は百人にものぼりました。
「源氏物語」の主人公光源氏のモデル源融(みなもとのとおる)は、嵯峨天皇の皇子で、初代嵯峨源氏です。
鎌倉幕府をひらいた源頼朝は清和源氏の祖です。源氏の家系の中で最も名を馳せたのが清和源氏なので、たんに源氏といえば清和源氏を指します。