僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

天保そば

2007-12-31 22:45:09 | 食べ物
 もう年越しそばは召し上がりましたか?私も近所の蕎麦屋さんから出前を取って、温かいゲソ天そばを頂きました。イカゲソと、かき揚げと、とろろ芋の天麩羅がたっぷり入っており、濃厚で芳醇なスープに仕上がっており美味しかったです。

 この写真は、平成16年11月28日に開かれた、「天保そば」の試食会の様子です。
 天保そばとは、1998年、福島県の名家、横川家の天井裏から発見されたそばの実を、翌年、山形の鈴木製粉の社長はじめ、そば屋さん方の知恵を結集して、苦心惨憺してやっと結実させた、幻のそばなのです。横川家のご先祖、横川助次郎さんは、天保の大飢饉という悲惨な時代を見てきた人だといいます。その体験を糧として子孫のために非常食としてそばの実を俵に入れて残したのです。
 県外の研究機関でさえ発芽するのに匙を投げたのに、鈴木さんたちはあきらめませんでした。そばの実が詰められていた俵の外側を覆っていた木灰と炭粉を土に混ぜ、種子をまき覆土したあと、水に浸した水苔を固く絞りその土の上に薄く敷く工夫をしました。
 種をまき、一週間後、子葉が完全にひらき、ついに160年の眠りから目ざめ、天保そばが発芽したのです。
 こんな感動的なエピソードを持った天保そばの味を私はまだ知りません。12月の初旬のほんの数日間しか食べられない、それこそまさに幻のそばなのです。来年こそ惣右ェ門そば屋さんにでも予約して食べるぞ~

小野篁と嵯峨天皇

2007-12-31 14:23:04 | 歴史
 今は昔、小野篁といふ人、おはしけり。
嵯峨の帝の御時に、内裏に札を立てたりけるに、無悪善と書きたりけり。
帝、篁に「読め。」と仰せられたりければ、
「読みは読み候ひなん。されど、恐れにて候へば、え申し候はじ。」
と奏しければ、「ただ申せ。」と、たびたび仰せければ
「さがなくてよからんと申して候ふぞ。されば、君をのろひ参らせて候ふなり。」
と申しければ、「これは、おのれはなちては、たれか書かん。」と仰せられければ、
「さればこそ、申し候はじとは申して候ひつれ。」と申すに、
帝、「さて、何を書きたらんものは、読みてんや。」と、
仰せられければ、「何にても、読み候ひなん。」と申しければ
片仮名のね文字を十二書かせ給ひて、「読め。」と仰せられければ
「ねこの子のこねこ、ししの子のこじし」と読みたりければ、
帝、ほほ笑ませ給ひて、事なくてやみにけり。


 宇治拾遺物語の卷第三の十七に収めてあるお話です。「さがなくてよからん」という落書きは、悪性(さが)を嵯峨天皇の嵯峨に掛けることもできるのです。
怒った嵯峨の帝は小野篁に難問を出してお試しになるのです。
 「子子子子子子子子子子子子」はなんと読むのでしょう。「子」という字は音読みが「シ」で訓読みは「コ」または「ネ」と読めます。だから「ねこの子の、子ねこ、ししの子の、こじし」と機転を利かせ、帝のお許しを得る事かできたのでした。
 来年は子年なので、このように機転の利く年でありますように。

芥川龍之介の死の謎

2007-12-27 00:15:51 | 文学
 昭和17年4月1日発行の芥川龍之介の「或阿呆の一生」です。今読んでも不可解な、かなり難解な短編集です。(作品のほとんどは昭和二年の執筆です)
 芥川は1927年7月、多量の睡眠薬を飲んで自殺します。この時の遺書には
「少なくても僕の場合は唯ぼんやりとした不安である。何か将来に対するぼんやりとした不安である。」と残しています。
 芥川の死の真相は何だったのでしょうか。義理の兄が自殺したから?
友人の宇野浩二の発狂を目の当たりにしたから?定かではありませんが、友人に残した遺書にはこうも書かれていました。
「僕は過去の生活の総決算のために自殺するのである。しかしその中でも大事件だったのは僕が29歳の時に秀夫人と罪を犯したことである」
 秀夫人とは、歌人の秀しげこで、「十日会」という作家の集まりで知り合い、深い関係になってしまいます。その後しげこは妊娠し子どもを産み、それが芥川の子どもだと脅すようになるのです。姦通罪に怯え、ひどい神経衰弱と不眠症、睡眠薬中毒に悩み続けました。
 神経質な芥川には危ない火遊びは似合わなかったのでしょう。
 

それから

2007-12-26 23:21:43 | 文学
「現代の社会は孤立した人間の集合体にすぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、たちまちきれぎれになってしまった。家の中にいる人間もまたきれぎれになってしまった。文明はわれわれをして孤立せしむるものだ。― 夏目漱石 それから」

 「それから」は明治42年の作ですが、すでに漱石は世の中をこう見ています。自然を切り開き、団地やマンションが立ち並び、壮観な文明が生み出されますが、そこは厚い壁で仕切られ、鍵のかかる扉で閉ざされてしまうのです。
 熊さん、八っつぁんの江戸時代の長屋は、隣の物音が筒抜けなので、具合が悪い事もあったけれど、ユーモラスなコミュニケーションの役目も果たしたし、お互いが寄り添うような連帯感を生みました。味噌や、米の貸し借りをし、共同の井戸で洗顔し、洗濯もしました。
 義理、人情を語るとき、あまりにも多忙で喧騒な都会にはふさわしくないですね。

手長エビ

2007-12-22 00:36:57 | 生き物
 以前、九州から取り寄せた手長エビです。なんとか水槽で飼いたかったので、生かして送ってくださいと頼んではみたものの、残念なことに全て死んでおりました。しかし、素揚げにして食したら、とても乙な味で、ポリポリととまらなくなりました。川の恵みに感謝しつつ、今は、ミナミヌマエビを20匹ほど飼って楽しんでいます。
 ルー大柴もドジョウや水棲動物を捕まえたり飼ったりしているし、切手や、手紙を蒐集しているし、英語が大好きな所なんかも自分にそっくりで、とても親近感を覚えます。また、「恥かけ、汗かけ、涙しよう」という彼のモットーにも共感できるな~

好意の返報性

2007-12-21 13:17:41 | Weblog
 見ず知らずの2人の女性と1人の男性とでしばらく談笑してもらい、後で男性に双方の女性についての印象を聞く実験をします。2人の女性のうち1人は至近距離に座り、もう一人は2メートル以上離れて座っていました。
 その結果、男性は近くの女性に好感を持ちやすいことがわかりました。男性が2人で、女性が1人のケースでも同様の結果が出ました。
 なぜ近くの異性に好意を感じるのでしょう。一般に好きな人には近づくが、嫌いな人からは遠ざかる傾向にあるそうです。
 人は好意を寄せてくれる異性に好意を持ちやすい(好意の返報性という)ので、近くの人に好意を持ったわけなのです。

卓球に無我夢中?

2007-12-20 00:33:14 | Weblog
 昨日、夜7時から9時までN,R君と卓球の練習に励みました。彼はテンション系ラバーなのでスピーディなこと甚だしく、中学の頃より筋力もアップし、速い卓球が持ち味になって来ました。ただこっちで緩急をつけるとちょっと脆いのが今後の課題です。フットワークをとことんやり、学校でも続けるようにと苦言を呈し、練習を終えました。
 帰りのコンビニで、中学の時夜錬で教えていた子がアルバイトをしており、大学が推薦で決まったと聞いてとても嬉しく、気分爽快になりました。

雑感

2007-12-18 22:26:05 | Weblog
 鰹の塩辛の酒盗は、冷蔵庫で1年ぐらい寝かせて食べると、まろやかで美味しくなる気がします。
 熱々のごはんに牛乳をかけて食べるのは変ですか?昔、ごはんにやぎの乳をかけて、醤油をたらして食べた、香ばしい味が思い出されます。妻は気持ち悪いと言うのですが、リゾットやグラタンは大好きなくせに。
 Hunger is the best sauce. (空腹は最上のソースなり)という英語の諺がありますが、それこそ空腹のときは、ごはんにバターをのせて食べても、ウスターソースをかけただけでも食べられますよね。
 ソースは英語ではsauceですが、語源はラテン語で塩を意味するsalから派生したものです。salから派生したのは他に、saladaサラダ、salamiサラミ、そしてsausageソーセージなどがあります。古代ローマで兵士に支払われた報酬が塩だったので、salary給与の言葉も生まれたのです。

X'mas ディナーショー Akina Nakamori

2007-12-14 22:36:45 | 音楽
 中森明菜のディナーショーに行きました。「DESIRE」、「ミ・アモーレ」、「北ウイング」、「少女A]など往年の名曲をメドレー形式で熱唱してくれました。デビュー25周年を過ぎた彼女にとって、歌い続けることは楽ではないと言っていました。
 来生たかお作曲の「セカンドラブ」を歌っていた頃の彼女はぽっちゃりしていて、とても初々しく清楚でした。ザ・ベストテンでは、1位の常連で、歌番組に引っ張りだこでした。今はお呼びが掛からないと少し嘆いておりましたが・・・
 過去の中森明菜には様々な艱難辛苦があったはずです。そんな苦労を糧として大人へとたくましく成長していきました。軽快な曲が多く、高音部にはりがあり、聞いていて心地よかったです。痩躯を酷使して搾り出す、魂の歌を見た気がします。

蕗谷虹児 花嫁人形

2007-12-12 19:28:35 | Weblog
花嫁人形・・・蕗谷虹児:作詞  

金襴緞子(きんらんどんす)の帯(おび)しめながら
花嫁御寮(はなよめごりょう)は なぜ泣(な)くのだろう

 文金島田(ぶんきんしまだ)に髪(かみ)結(ゆ)いながら
 花嫁御寮(はなよめごりょう)は なぜ泣(な)くのだろう

あねさんごっこの花嫁人形(はなよめにんぎょう)は
赤(あか)い鹿(か)の子(こ)の 振袖(ふりそで)着(き)てる

 泣(な)けば鹿(か)の子(こ)のたもとがきれる
 涙(なみだ)で鹿(か)の子(こ)の 赤(あか)い紅(べに)にじむ

泣(な)くに泣(な)かれぬ花嫁人形(はなよめにんぎょう)は
赤(あか)い鹿(か)の子(こ)の 千代紙衣装(ちよがみいしょう)


今日、蕗谷虹児(ふきや こうじ)の詩集、「花嫁人形」が届きました。
挿絵は彼の得意とする日本女性で、タイトルは、「絹うちは」です。詩集の表題にもなっている、「花嫁人形」の歌詞は、彼の代表的な作品で、杉山長谷夫の作曲で童謡にもなりました。
 昭和10年に発行されたこの詩集は、多くの挿絵が鏤められており、飽きずに読むことができました。1921年以降、「少女画報」、「少女倶楽部」などの雑誌に表紙絵や挿絵が掲載され、またたくまに大評判になるや時代の寵児となったそうです。