僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

色即是空

2007-10-31 23:43:29 | ことば
 「色即是空」とは般若心経に出てくる有名な言葉です。
形あるもの、物質的存在はいつか滅びるという意味です。言葉を変えれば、万物は生々流転するということです。
 文学になぞらえると、三島由紀夫や夏目漱石の作品の中にある滅びの美学ということでしょうか。
 しかし「空即是色」のほうが本当は重要なのです。「空即是色」とは滅んでも新たに生まれる、再生されるという意味です。輪廻転生という言葉に置き換えてもよいのではないでしょうか。人間の本質は肉体の死を持って終了するのではなく、来世で異なった存在となって生まれ変わるという思想なのです。
 それはまるで卵から青虫になり、1度死んだかのようにさなぎになり、そのさなぎが割れ、見事な蝶に変身するかのようです。

携帯用日時計

2007-10-29 22:09:58 | 趣味
 明治時代から大正時代にかけて使われた、携帯用日時計です。
文字盤には方位をあわせる磁石があり、Ⅳ~Ⅷまでのローマ数字が刻まれています。ルーツはヨーロッパや朝鮮と思われます。日が照ってないと使えないというのは、スローライフっぽくてロマンがあります。

木画紫檀碁局(もくがしたんのききょく)

2007-10-29 21:25:43 | 歴史
 正倉院にある木画紫檀碁局(もくがしたんのききょく)。
聖武天皇が石英の美しい白石を打つと、
光明皇后が小首をかしげて思案に沈む。
「時の旅人」となって夢幻の対局風景を
眺めるのも楽しい。
正倉院展を鑑賞した井上靖は、詩集「北国」の一文に感銘をつづっている。
 遠い異国からシルクロードの終着駅、奈良の都に伝わった正倉院の宝物である。
異国を睥睨した時代の「無関心」が異国とともに歩みはじめた時には、深い「哀惜」に変わった。
         (読売新聞 2005 10,29 編集手帳)

久米正雄 「受験生の手記」

2007-10-26 00:00:45 | 文学
 高校時代読んだ小説で、無性にせつない小説のひとつに久米正雄の「受験生の手記」があります。
 主人公健吉は愛する澄子さんを弟に奪われ、一高受験も2度失敗し弟に追い越されてしまいます。
 湖での入水自殺する場面の情景描写がやけに悲しみに拍車をかけてきます。

「月の光は、静かにたゆたひ落ちて、向うの山々の容を消した。水はひたすらに水漫と涵へて、僅かに岸辺を波立たすばかり、揺れうつる灯りもなく、影を曳く舟もない単調な湖面は、涙に曇った私の眼に、悲みに満ちた私の心に、和らぎを与ふる夢だと思はれた。私は土堤に腰を下して、ぢつと水面に眺め入った。ふと気がついてみると右手にはもとの舟着場らしく、突堤が湖中へ長く伸び出ていた。黒い真っ直な、誘ふようなその姿が、今度は私の眼に離れなかった。私はこれから起ち上って、その突堤を歩いていくのだ。真っ直ぐに、どこまでも、どこまでも・・・。」

摩訶不思議 アカシア

2007-10-25 22:52:35 | Weblog
 サバンナに生息するアカシアの木、その葉をキリンは好んで食します。
キリンが葉を食べると、アカシアは苦味成分のタンニンを生成し食べられないようにします。同時に揮発物質アレロパシーを発して、他の仲間に情報(食べられた事)を伝達します。
 植物なのに不思議な防衛機能を持っているものですね。

魂振り(たまふり)

2007-10-24 21:42:58 | 短歌・俳句
 神社に参拝するとき、拍手を打ったり、鈴を鳴らすのは、空気を振動させる事によって、神様の力を鼓舞しようという意味があります。これらはどれも古来から伝わる「魂振り」という儀式のバリエーションです。魂振りは神の魂を奮い立たせ神を呼び寄せるための儀式なのです。
 やがてこの魂振りは人に対しても行われるようになり、「万葉集」には恋人に向けて袖を振る歌が多く残されています。恋する相手の魂を引き寄せるまじないが、袖を振ることだったのです。
 日本人が「いってらっしゃい」と手を振るのも、もともと単なる合図ではなく、魂振りの意味合いがあったのです。昔の人は出かける人に対して手や袖を振ることで心霊を招き寄せ、その心霊の加護によって安全に旅ができるようにと祈ったのです。

   あかねさす
         紫野行き
              標野行き
                  野守は見ずや
                        君が袖振る


                             (額田王)

ダブルスカップに参加して

2007-10-22 22:11:31 | 卓球
 昨日、娘の高校が、卓球のダブルスだけの大会に参加しました。
出場高校は少なかったけれど、幸運にも団体で優勝を飾る事ができました。

 試合が進むにつれて、みんな高揚し、集中力も増していきます。
足も良く動き、パートナー同士の連携も見事でした。

 娘よ! そして頼もしい仲間たちよ! お疲れさん。
県新人戦でも持てる力を最大限発揮して、勝利を勝ち取ろう。

小さい秋みつけた

2007-10-18 23:21:46 | Weblog
だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
おへやは北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた

タイムリーな秋の童謡です。
この歌詞は2番で私のお気に入りが、5行、6行目です。
この歌詞を作ったサトウ八チローは、お母さんが大好きでした。
父親の佐藤紅緑は有名な作家であり、同時に浮気癖のある男でもありました。
生涯3人の妻を娶っています。
紅緑が女優志願の万里子と結婚し、最初の妻ハルと4人の息子を捨ててしまうのです。
4人は相次いで不良少年となり、ハチローも何度も学校を退学になります。
次男の節(たかし)は虚言癖があり度々金の問題を起こします。
3男の弥(わたる)は5歳で伯父の家にやられ、肉親の愛情を知らずに育ちます。
4男の久は節の嘘のせいで、19歳で女と心中し果てます。

サトウハチローのこうした生い立ちを鑑みると、「おへやは北向き くもりのガラス うつろな目の色 とかしたミルク」という歌詞が、とても繊細で、鋭利で、暗鬱なのが頷けるはずです。

秀吉の地位

2007-10-03 22:44:22 | Weblog
なぜ秀吉は征夷大将軍でなく、関白だったのでしょうか?
武門の棟梁という意味では、征夷大将軍が最も魅力的なはずです。
そこで備後の足利義昭を訪ね、猶子になれるよう願い出ますが、断られてしまいます。無理やり家系図を作り変えるには、父の出生が農民なので不可能でした。
近衛前久が関白を退いたあと、二条昭実が関白になりましたが、対抗馬の人物に猛烈に反対されて二条昭実は罷免されてしまいます。
このとき右大臣の菊亭晴季が秀吉に関白就任を勧めました。
結局、秀吉は近衛前久の猶子となり、近衛氏すなわち藤原姓になって関白になることができたのです。 めでたし、めでたし。

寒河江(さがえ)

2007-10-03 21:46:54 | 歴史
山形県のほぼ中央に位置し、サクランボで有名な寒河江市はご存知でしょうか?
寒河江は、古くから寒河江川に沿って開けた農村地帯でした。
鎌倉時代の初めに、大江広元がこの地方の地頭に任命されました。
広元は京都から鎌倉に下った学者で、幕府の政治組織を整備して源頼朝に気に入られた人物です。「寒河江」の地名は彼がつけたといわれています。
川を集落と集落の境界線にすることがありますが、こうした川を「境川」とよんだりします。「寒河江川」はもともと「境川」であったと推測できます。
ところが、境川のまわりを領有した大江広元は自分の領地に優雅な名前をつけようと考えました。京都や鎌倉よりもはるかに寒いことから「寒い川」を意味する言葉をあれこれ考えました。
そのため「寒い」に河川をあらわす「河」と「江」とをあわせた寒河江の地名が作られました。「江」は広元の姓の大江の江でもあります。
広元の子孫で寒河江を本拠地とした家は苗字を寒河江とするようになりました。
大江広元の子孫のうち安芸国に土着したのが「中国地方の雄」毛利氏であります。
因みに、私の親戚は寒河江の大江という苗字です。毛利氏とのつながりがあるとは聞いていましたが、納得いたしました。