僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

大学の仲間が来る

2020-02-11 21:02:13 | 人生論

朋有り遠方より来る、亦た楽しからずや。

2月8日、明大文学部の同期5人が、山形駅に集まりました。
車で蔵王山まで行き、蔵王ロープウェイで山頂まで行き樹氷を見ました。上は吹雪で視界不良、寒さも氷点下9度で悴み、あまつさえ風が吹き荒び、頬や耳が痛かった私たち。

混んでるよ~

横倉の壁

 

好天だとこう見える

実際は

 

 

 

帰りのロープウェイを待つ

 

 

蔵王を下山して黒沢温泉に向かいます。最上町のA君が合流し

寒さで凍えた体を『ゆさ』で癒します。
温泉の湯の温かさで体全体が甦りました。

夕食もすこぶる美味しく目でも楽しみ、鮑や山形牛に舌鼓を打ちました。


部屋に戻ってからも馬鹿話や真面目な話題で
気付けば2時をまわっていました。

それにしてもお腹がよじれるほど笑って苦しかったです!😀🤣🤭😆


台風19号の後で

2019-10-30 22:37:16 | 人生論

K君の実家が、いわき市の好間川の氾濫により、

水に浸かってしまった。

一階の部屋が彼の腰ぐらいまで水で溢れかえった。

K君の両親に絶望という二文字が脳裏を覆い尽くし

体が疲労感と虚無感で一杯になった。

 

彼は、日中、講師として高校で教鞭をとり

終業後真っ直ぐ実家へ向かい

家の汚れを拭き取ったり

後片付けに身を投じた。

それだけでなく 呆然とした両親を少しでも元気付けようと

彼らのそばにいて慰め励ました。

 

K君のお父さんの教え子の保護者たちが

懸命に家の片付けと廃棄物の処理に奔走した。

そんなみんなの力もあって

徐々に両親の不安が小さくなっていった。

光が差してきた。

K君に自信が戻り安堵の顔もあった。

 

10月29日、三度目の教員採用試験の合格発表があり、

K君は合格した❗


いまを生きる力

2019-08-24 23:12:17 | 人生論

サハトべに花ホールで午後4時から五木寛之氏の講演があった。

話の内容が深く、笑いも折り込み、新しい発見のある

金科玉条ともなり得る内容だった。

 

憂鬱や孤独や郷愁をロシア語では「トスカ」、ポルトガル語では「サウダーデ」、ブラジルでは「サウダージ」、英語では「ブルース」と言い、すべての国で同じようなニュアンスの言葉がある。

五木氏が言わんことには、何気ない小さなことに面白さを感じ、結構悪くない、結構面白いと唱えることだそうだ。

そのためには、音楽に触れたり、美に対する感受性を磨いたりすることだそうだ。

芸術に触れあうことによって、感性が研ぎ澄まされてくるということなのか。

ナチスドイツ時代、アウシュビッツでも命を長らえる人は

ちょっとしたことや、ちょっとした楽しみを見つけられたり感じられたりする人だったらしい。

 

今の日本でも中年の鬱が問題になっている。

やる気がなくなったり、すべてに興味がなくなったりしないよう、早いうちから対策を講じるべきなのだ。

 

五木氏は、ヒンドゥー教の理念的な四住期があると述べている。

学生期(がくしょうき)は師のもとで学ぶ時期で25歳ぐらいまで。家住期は、結婚して子をもうけ、家庭を持つ50歳までの時期。

林住期(りんじゅうき)は、林で隠棲し読書や修行に打ち込む75歳ぐらいまでの時期。 遊行期(ゆぎょうき)は75歳以上になると、ガンジス川のほとりに死に場所を探す放浪をする時期だそうです。

これを五行説で表すと、青春・朱夏・白秋・玄冬になる。

玄は黒いという意味だが、玄妙とか幽玄などの言葉があるように、艶やかな黒で、奥に微かな赤を感じる色を指すらしい。

遊行期や玄冬は、ある意味悟りを開く時期なのだろうか。

思いでの引き出しをたくさん持ち、ちょっとした出来事に楽しさを感じてきたならば生き甲斐の溢れる人生だったと言えるのだろう。

そして美しい花が、やがて枯れたとしても、アウフヘーベンしてまた新しいたわわな実を付けることだろう。

五木寛之氏はいまだに青春の門の続編を書いている。

遊行期には程遠い時期相応に念ずる人だった。


スマホでのゲームは無料の範囲内で我慢して!

2019-01-23 21:39:24 | 人生論
「パズドラ」や「モンスト」や「グランブルファンタジー」とか聞き覚えのあるソーシャルゲームもあると思う。
スマホで無料でゲームを楽しめるだけだといいが
課金制度でゲーム会社は利益を得ることができる。

19歳までは2万円以上課金できないようになっているが
20歳以上は無制限にお金をかけることが可能になる。

レアなカードを獲得したり強いアイテムを手に入れたり
するため高額なガチヤに夢中になってしまい
気付けば100万以上費やしてしまったりの人もいる。

ランキングが上がって名誉欲が満たされても
所詮バーチャルな世界。
仮想社会で自己満足してもお金は戻ってこない。

(日本でのカジノなどそれこそ言語道断だと思うのだが。)

依存症になる前に現実社会に目を向け
アウトドアの良さも認識せねばならないだろう。

オンラインゲームでチームを組んで対戦しても
コミュニケーションは必要最低限、
それよりもスポーツの団体戦のほうが
団結力も高まり、勝利の喜びも大きいのでは。

どちらかというと、NINTENDOswitchとか
プレステ4とかテレビに繋いでわいわい騒ぎながら
楽しむほうがいいかなーと思う。

世の中にはもう一つの人生もある

2018-06-16 15:43:38 | 人生論
 かつて、私も近しい人を多く亡くしたが、もし私が、その哀しみの中に浸っていたら、私は今こうして文章を書くこともなかったろうと思う。

生きることに哀しみがともなわない人生はどこにもない。

哀しみに遭遇すると、人は、どうして自分だけが、あの人だけがと考えざるを得ない、

しかし哀しみの時間に一人立っていても、そこから抜け出す先は見えない。

決して忘れ得ぬことでも、それを追いかける行為は、人を切なくするばかりだ。


以上が妻の夏目雅子さんを早くに亡くした伊集院静氏の言葉だ。

人はとかく過去にとらわれ、引きずられ、未練がましく幸せの日々に縋ってしまう。過去に戻りたいと女々しくいつまでも最愛の人を忘れられない。

人として当たり前にあることだし、いっそ死にたいと、死への衝動に駆られるかもしれない。

けれどそこから脱却し、明るく前向きに生きよと伊集院氏は主張する。

伊集院氏は1992年8月7日、女優の篠ひろ子さんと再婚している。


高橋留美子氏の作品に「めぞん一刻」がある。

主人公の五代裕作は、下宿の管理人の響子さんが大好きだ。

そのことを早く亡くなった前夫・惣一郎さんの墓前に向かってこう話す。

「初めて響子さんに出会った時には響子さんの心にはあなたがいた。だからあなたをひっくるめて響子さんを貰います。」

永い間五代に好意を抱いていた響子は、前夫への思いがひっかかって素直に愛情表現ができなかった。

けれど墓前での五代のあいさつを聞いて、彼にこう訴える。
「一日でも私より長生きして。もう一人で生きていけそうにないから」


響子が五代と一生を共にする決心をした瞬間だった。


葡萄園の主人と労働者

2017-08-16 18:18:22 | 人生論
マタイの福音書に出てくるお話ですが・・・

現在の価値観とはちょっと違うかもしれません。

ある葡萄園の主人が朝早くからの労働者を一日1デナリで雇いました。

また9時ごろ市場に行ったら、何もせず立っている人がいたので
1デナリの約束でその人たちも雇いました。

12時ごろ、15時ごろも同じようにしました。

また17時ごろ行ったら、立っている人がいたので、
わけを聞くと
「誰も雇ってくれないのです」
と言いました。

そこで主人は彼らにも
「あなたたちも葡萄園にいきなさい」と言いました。

夕方になって主人は労働者たちに一律、1デナリずつ払いました。

そうすると朝早くから働いた労働者は次のように不平を言いました。

「最後の組は1時間しか働かなかったのに、一日中暑さや辛さに我慢して働いたわたしたちと
同じように扱われる」

その言葉に対して主人は次のように答えました。
「私はなにも不正はしていない。あなたは私と1デナリの約束をしたでしょ。あなたの分をとって帰りなさい。
わたしが自分のものを自分のしたいようにするのがなぜいけないのか。それとも、私の気前の良さを、あなたはねたむのか?」

葡萄園の主人はなぜわずかしか働かなかった人にまで1デナリを払ったのでしょうか。

それは、1デナリという金額が、その労働者が人間らしい生活を送るために必要だからだったのです。
その人には家族もいるし、その食事も買わなければならないし、食事以外でも必要なものもあるのです。
つまりその日一日過ごすために必要な金額が1デナリだったのです。

ハラスメント

2017-08-05 17:54:11 | 人生論
この頃、中学生の苛めによる自殺や仕事場の上司のパワーハラスメントによる社員の自死が目立つ。

ある電力会社の社員だった方は、上司の度重なる無視の仕打ちにより
自ら命を絶ってしまった。


意識して無視し続ける行為をした上司、こどもでもあるまいし、同じ大人として、同じ人間としてあるまじき行為である。
卑劣で最低な人間である。

相手が辛く悲しんで、打ちひしがれている様子を想像できなかったのか。

自分を相手に置き換えてみたらそんな行為はできないだろう。

物が豊富になって生活が豊かにはなったが、心の貧困がどこまでも進んでいく。

相手の傷みを解ろうとせず、自分の不満やはけ口を身近な部下にぶつけてどうするのだ。

だから日本人は表面は笑顔でフレンドリーだが、陰で何を考えているかわからないといわれるのだ。

陰湿ないじめがはびこってなくならない最底な国だと思われるのだ。

本当に嘆かわしくて仕方ない。

他人を蹴落としても有名校に合格させたい。
いい大学、いい企業に内定してほしい。

そんなことばかり言っているからこの国はおかしくなるのだ。

どうやったら困っている人を助けられるのか、どうやったら富める者が貧しきものを救ってやれるのか。
どうしたら死ぬほど苦しんでいる人の悩みを解消してあげれるのか。

優秀な人ほどこのような問題に取り組んでほしいと思う。
そして勿論みんなが九州北部豪雨で困っている人々にボランティアとして助けにいくように
いじめられている人を積極的に助け、弱者を常にかばってやる気持ちが大切だと思う。

築地の火事の時に興味本意でスマホをかざす野次馬にはならないでほしい。


定年退職したものがボランティアなどの生きがいを見つけていく・・・そんな人も少なく
ひねもす沼で釣り糸を垂れたり、パチンコに興じたりしているのが現実だ。
これもひとりよがり、自分さえよければという典型だろう。

北欧のように、介護施設の無償化、医療の無償化、学校の無償化、年金の充実をはかれば
あくせく働き、ストレス漬けになり疲労困憊し、他人のプライドを損ねる行為はなくなっていくだろう。

もっと貯金、預金とぼろきれのように働くこともなくなるだろう。

消費税はもっと高くてもいいだろう。まさに年金の格差や貧困の格差を生んでいる今の日本が良いはずがない。

結婚して多くの子供を育て、小中高と道徳教育をしっかり学んでいく。

そんな環境整備を早急にすすめないと、この国は遅かれ早かれ沈没してしまうことになるだろう。

カジノを作ればよいのではない。自分の身近な人間だけ優遇されるえこひいきもおかしい。

話が飛躍し過ぎたが、もっと人は穏やかで他人を思いやるべきだと思う。
一人の死によって、家族は傷つき、友人は嘆きたくさんの影響や犠牲をもたらす。

仕事でミスをしたりしても、決して声高に叱責したり無視をしたりせず
温かい目で長い目で見守っていってほしい。

あなたがそんな目にあったらきっと苦しむはずだから。

施すということ

2017-08-02 18:29:35 | 人生論
いつか、どこかのサイトで読んだのですが
次のようなお話が書いてありました。

僧侶が檀家に立ち寄った帰りに
川辺で休んでいる身なりの貧しい男が気にかかり
自分の着ていた着物をあげました。

けれど貰った男は、相も変わらず仏頂面です。

そこで僧侶は

「どうだ 少しはあったかくなったか?」
と言葉をかけました。

すると男はこういいました。

「お前はどう言ってほしいんだ? 生活の困らぬお前が
おれに施しをしただけで満足だろう。ほかに何が望みなんだ。」

すると僧侶はフッと我に返り自分の身を恥じました。

石田晃さん講演会

2017-07-24 15:00:25 | 人生論
大家族、石田家のご主人、石田晃さんの講演会がシベールアリーナであった。


始終あははと笑っていられてあっという間に時が過ぎた。

彼は7男2女のお父さんである。
そして美容の会社で営業部長まで上り詰めた。

何よりも9人の子供たちを育てあげた。

時には大きな声を張り上げ、時には優しく諭して
みんな見事に大人になって巣立っていった。

現在は二女のネコ好きの芽衣子さんと暮らしているらしい。
20帖のスペースのうち7帖ほど猫に占領されているということだ。
猫の毛がふわふわしているのが苦手なので、離れて暮らす智広君の家で暮らしたいが
部屋が汚くて駄目なのだそうだ。

子育てのコツは、とにかく両親が二人そろってワーワー言わないこと
一人が怒ったらもう一人の親は黙ることなのだそう。

家が大雨洪水で水浸しになった時も
それぞれの子供たちが協力し合って親を助けた。
特に長男の孝之君は皆を上手にまとめ、もう一人のお父さんという感じである。

石田晃さんは去年脳梗塞を患い病院で過ごした。
それでも元気になって関西と千葉の会社の顧問を務めているそうだ。
そして来年4月から2年間、千葉の美容専門学校の校長先生になることが決まっているらしい。

63歳になった今でも仕事に一生懸命で、生き方の前向きな
素敵なお父さんである。

お陰様でたくさんの元気を頂いた。

司会が来年もう一度出てくださいと依頼したら
石田晃さんに
「また出ても同じ話になってしまいますよ」と言われたので

「それでは奥様の千恵子さんと7男のイケメン隼司くんが出てください」
とすかさず返していた。

次郎鳥でスッポンを食べるの巻

2017-02-24 17:39:54 | 人生論
S君が企業に合格したので、合格祝いに妻と3人で次郎鳥に行った。


オーナーの趣味が生かされているインテリアだ。




お通しから



サラダに始まり



焼き鳥やら


煮込みを食べて


メインのすっぽん鍋に舌鼓を打つ。




そうそう食べる前にスッポンの生き血を啜る


スッポンの肉は鶏肉のようで癖や臭みがなく、いとうまし!

血もお酒で割ってあるので生臭さが全然ない。

S君も初めての体験にテンションが上がっていた


彼は昔野球のリトルリーグで活躍し、将来はプロ野球と決めていた。

だが、しかし、それまで彼を重用してくれていた監督が別の人に交代し、
同じポジションでしのぎを削りあったライバルに先を越される。

中3になってからはレギュラーから外れ、悔しい思いをしたそうだ。

けれど、この挫折をきっかけに、勉強にも身を入れるようになり
大学合格の栄冠を得、この度、並み居る強豪を打ち破り、難関企業に内定をもらった。

逆境をばねとして成長し違う道へとシフトチェンジし、可能性と柔軟性を見せてくれた。

彼は、いろいろなタイプの人と話を合わせることが出来る、コミュニケーション能力が高い人物だ。
それでも、そこで満足して成長が止まらぬよう、いつものおせっかいのアドバイスを垂れた。

Sくんは少し松坂桃李(とおり)に似ている。

そこで、松坂桃李の名前の由来である、史記にある故事成語

 桃李もの言わざれども下自(おのずか)ら蹊(みち)を成す

を説明した。

桃や李は言葉を話さないが、その美しい姿やかぐわしい香り、瑞々しい果実などを慕って、その下には自然と道が出来るという意味が直訳で、

つまり人が自然と君を慕って集まるような情誼に厚い人物になりたまえ、ということであると話した。


話の途中、店の人がスッポン鍋の残ったスープにご飯ととき卵とネギを入れてくれる。

とても優しい味だ。

Sくんはそれを十分に咀嚼して食べていたが、私のおっさん臭い説教を咀嚼していたかは知らない。