僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

千姫から奥日光へ

2019-05-06 10:18:13 | 

 

花衣 千姫物語に宿泊したが、それはそれは素晴らしい一言に尽きる宿だった。

接客が丁寧、食事が工夫を凝らしている、お湯も泉質がよい。

またアメニティグッズも豊富に取り揃え、女性は浴衣も選べる。

そして最も素晴らしいのは、食事を運んできてくれた男性が、

私のくどい問いかけにも嫌な顔一つせず

笑顔で対応してくれたことだ。

とても栃木県が県ランキング43位とは思われないのが実感である。

日光は「ゆば」が有名で、京都では「ゆば」を湯葉と表記するが

日光ではその見た目からか、「湯波」と表記するそうである。

夕食

盛り合わせ

 

吸い物、若竹椀

 

 

おつくり盛り合わせ

 

 

湯波の刺身

 

しゃぶしゃぶ千姫風

 

 

湯波の含め煮

 

じゃがいも饅頭など揚げ物

 

生姜ご飯、香の物、赤だし

 

順番がとんだが、タラの蕗みそ焼き

 

デザート

 

 

 

次は朝食

 

豆腐

 

 

 

ヨーグルトが濃厚で美味

宿からの眺め

 

 

 

 

宿を8時半にチェックアウトし奥日光観光へ

第二いろは坂を上りきったところにある明智平

大パノラマの眺望 男体山も見える

 

 

次に回ったのは藤村操の巌頭之感で有名になった華厳の滝

エレベーターで100メートル下に降り

観瀑台から間近の滝を満喫する

 

栃木県の花 ヤシオツツジも咲いている

 

明治36年一高生、藤村操は、ここで投身自殺をした。

夏目漱石の英語の授業で、「君の英語の考え方は間違っている」と言われた二日後の出来事だった。

悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此の大をはからむとす、ホレーショーの哲学に竟に何等のオーソリチーを値するものぞ・・・

こう彼は楢の大木に彫って亡くなった。あまりにも当時の学生、若者、当事者、識者たちへの影響力が大きく、立身出世が最大の美徳と叫ばれた当時の社会に一石を投じるものだった。

後追い自殺かのようにその後4年で185名が亡くなったという。

 

話が横道にそれたが、朝の奥日光は結構寒かったが

中学修学旅行以来の日本三大名瀑の一つを観ることができた。

 

 

次は湯ノ湖から流れ落ちる滝、湯滝を観た。落差50メートル、白波が岸壁を覆いつくすように

見事に流れている。

団子とコーヒーを飲み一服

 

 

大蛇と大ムカデの戦いで有名な戦場ヶ原にも立ち寄った。

下野国(現在の栃木県)の二荒神(二荒山(男体山))と上野国(ほぼ現在の群馬県)の赤城神(赤城山)がそれぞれ大蛇(男体山)と大ムカデ(赤城山)に化けて戦った戦場であるというもの。最初二荒神が劣勢だったが、岩手の小野猿丸を味方につけ、猿丸の放った矢が大ムカデの眉間を打ち、勝負は決した。

 

熊笹が密集している

 

 

 

 

次の行程は竜頭の滝 滝と滝の間の大岩が龍の頭に見えることから命名された。

 

可愛い兎さん

 

ヤシオツツジ

 

 

中禅寺湖に行く

中禅寺湖には、上野島(こうずけしま)という離れ小島があり、勝道上人と天海僧正の首骨納塔とお墓がある。

たまに水位が下がると徒歩で行けるらしいが、普段は舟でしか到達できない

隠れたパワースポットなのだそうだ。かなりぼやけているが、望遠で撮った上野島

 

 

日光山輪王寺の別院である中禅寺にも参拝する

門には風神と雷神が金剛力士象のように対になっている。

雷神が指三本の赤鬼、風神が指四本の青鬼である。

 足の指は両方とも指二本。

ここの本堂の十一面千手観世音菩薩は子年の守り本尊で、私を含めた子年生まれを一生お守りする有り難い観音である。

日光の開祖

勝道上人が立っている桂の木に観音様を彫った。

だから今でも根っこが残っているそうである。

観世音をお守りする4体の守護神は頼朝が寄進したものと伝来されている。

 

この場所でなんと雹に降られる。雨でもなく雪でもなく雹なのだ。傘をさしながら境内をめぐる。

五大堂の講堂に日光の鳴き龍と同じ作者の龍の画が描かれている。

 

講堂には不動明王、隆三世明王など五体の明王が安置され人々の安寧のためご祈祷する場所なのだ。

 

 

 

次の訪問先は、イタリア大使館の別荘地跡

中禅寺湖と日光白根山が美しかった

 

 

 

大使館の中

 

 

 

また外の眺望に

おいおい入水自殺は止めてね

釣り客だった

 

 

 

午後二時ぐらいまで駆け足で回って

下今市駅から東武日光線で池袋まで行く

そこから西武池袋線で椎名町へ

ここは漫画家の聖地「トキワ荘」があった場所

手塚治虫や藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎らが研鑽を積んだ街なのだ。

藤子不二雄の二人が「ンマーイ!」と驚嘆して食べたラーメンライスがある「松葉」で夕食。

 

昔ながらの懐かしい中華そばを4人で啜った。

 

 

 

ちらっと見えるのがチューダー

 チューダーとはトキワ荘の住人、寺田ヒロオ氏が編み出した安く飲める焼酎3対サイダー7の割合で作った飲み物。

 作ってくださったのが二代目店主山本一廣さんの奥様で

中国出身の山本麗華さん。笑顔がチャーミングな方だった。

藤子不二雄さんたちが住むトキワ荘に当時出前をしていた

「しのぶちゃん」については、尋ねたのだが、わからないということだった。

私たちが山形出身だよと知らせると

「サクランボが美味しいよね」と二回ぐらいおっしゃっていた。

 

 

他の定食類 食べかけで申し訳ないっす

 

 

 

焼肉定食の焼肉がソース味で皆に好評

 

 

流石漫画家の聖地である

 

様々な漫画家の色紙が飾ってある。

 

 

食事を終え、東武東上線の大山駅近くのホテルに向かった。

5月4日もハードスケジュールだった。

5日は東京スカイツリーと上野の東京国立博物館である。


孝庵に遊ぶ

2018-10-05 18:20:52 | 
―― 私は、大井沢にある「加登屋」という老舗旅館で、ものすごく厳しい父と、女将として気配りの上手な母の長女として生まれ育ちました。

 山形で下宿をしながら通っていた高校を卒業した後は短大に進学する心づもりでいたものの、父の「花嫁修業をしろ」との言いつけに素直に従い、実家へと帰ってきた私。
その後は、家業の手伝いの合間を見つけて、和裁や大好きな日本舞踊をしながら日々を過ごしていた私に、出逢いは突然訪れました―――。

 あれは、19歳の冬のこと。大雪だったその日、家に帰ってきた私が玄関先で目にしたのは見慣れない一足の靴でした。時期はずれのお客さんを不思議に思っていた私と、後に夫となるそのお客さんを出逢わせたのは、大雪のせいで起こった停電でした。停電のせいで、囲炉裏の周りにみんなが集まらざるを得なくなったんですよね。

 当時、国家公務員の就職内定を得ていた大学4年生の彼。大井沢を題材にした卒業論文を書くためにここに来ていた彼と出逢った瞬間、その洗練された風貌にときめきを感じた私の中で、すでに彼は“心に決めた人”となっていました。今思えば、まだ若かった私が勝手に作り上げていた夢物語だったのかもしれないけれど。

 電話やメールなんてもちろんなかった40年前。遠く長野で働き始めた彼と連絡をとる術は、届くまでに1週間かかる手紙だけ。そんな時代に、赤い糸が二人を導いてくれたんでしょうか?どちらからともなく文通が始まり、約2、3年の交際期間の間に交わした手紙は、計61通。未だにどちらが先に手紙を出したかはわからないまま。

(笑)その手紙は、今でも大事にとってある私の宝物です。「好きです」「愛しています」との言葉は、ついぞ文面には現れずじまい。そんな台詞の代わりにか、彼は私の字の間違いをいつも指摘してくれていました。(笑)

 だけど、その手紙の中に滲み出ていた彼の誠実な人柄を感じる度に、私の中で「この人ならついて行っても大丈夫だろう」という思いが増してきたんです。

だから、ほとんど会ったことがなかったにも関わらず、結婚まで踏み切れたんでしょうね。

一方で、「朝晩も休みもない実家のような商売は絶対したくない」というのが本音としてあった私は、“普通の主婦”に対する憧れが半端なく強かった。そんな切なる私の願いも、結婚に踏み切った一つの動機となったのかもしれません。――


上の文章は、西川町の大井沢で宿を営んでいる小山裕子さんの公演における話の内容だ。

これは会いに行かねばならないという使命感に駆られ、9月23日、家族で孝庵を訪れた。

コオロギやら鈴虫などの音色が満載の大井沢が大好きだ。
平家落人伝説があり、煙る山紫水明のこの地に想いを馳せる日々を過ごす。





井戸に梅花藻が動き揺れ


カズラやアケビやサルナシが出迎えてくれる。


近くの温泉を満喫し夕飯を楽しむ。




ご主人が近くの川で釣り上げた天然のイワナ


アケビにブナハリタケとマイタケを仕込んでいる。


芋煮には大きな麩が入る。


大量のシシトウやナスの天麩羅


お蕎麦に栗ご飯も旬のご馳走






女将さんからいろいろな旦那様とのエピソードをお伺いした。充足な時間にほのぼの~


朝食もこまごまとした配慮が感じられた。









帰り際にスナップショット 再訪を約した。










賢治慕情

2018-05-07 20:22:26 | 
賢治は、虐げられている者ヘの慈しみの心を持っていた。
また孤独な者や貧しいものを救いたいという醇乎たる
思いやりに満ちていた。

これらはすべて母の教え
「人というものは、人のために何かしてあげるために、
生まれてきたのです。」
という言葉に集約されている。

岩手県民に愛され、根強いファンを持つ
宮沢賢治の記念館を訪れた。


文学にとどまらず、科学、農業、天文、音楽、鉱物、動植物、宗教、エスペラントなど
あらゆる分野に精通した彼の偉業を観ることができる。





アメニモマケズ手帳や栞など購入する。






山猫軒で食事をする。







ビーフシチューセット旨し



午前中、朝食をたっぷりとって
毛越寺に詣でる。
この地には伝説がある。
円仁が濃霧に惑っていると
白い鹿が現れ老人に姿を変えた。
そして、この地に堂宇を建立し霊場にせよという。

この老人を薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号した。

この嘉祥寺の跡を見ることができた。


他にも講堂跡、円隆寺跡、常行堂等が見学できる。










曲水の宴をする鑓水も風情がある。




本堂






庭園もまた荘厳で美しい。


中尊寺

2018-05-06 21:37:46 | 
清衡は思った。

私は戦の中で生きる修羅であった。

父を亡くし、家族を失い、義理の兄弟たちとも
骨肉の争いに明け暮れた。

なんと虚しいことだろう。

これからは敵味方問わず戦をもとに命を落とした人の
霊魂を慰めることにしよう。

未来永劫、恒久に平和な世の中を作ろう。

思い立った清衡は、「中尊寺建立供養願文」を出し
中尊寺建立に取りかかった。

マルコ・ポーロに黄金の国ジパングと言わしめた
その平泉の中尊寺に 家族で旅に出た。

中尊寺に入る月見坂は、
来るものを簡単には招き入れない急峻な坂がある。


樹齢300年もの大杉の木立は、伊達藩時代に植樹したもの。



東物見からの眺望、束稲山が見える。


弁慶堂や峯薬師堂に寄り

本堂に到着。


獅子躍りの太鼓が響き渡る。




讃衡蔵で800円の拝観料を払い
讃衡蔵の金銅華鬘などの宝物を観る。

中央に美声で知られる迦陵頻伽が彫りこまれている。

金色堂は大火による焼失を免れた創建当時の遺構。
本尊は阿弥陀如来、脇侍に観音・勢至菩薩、さらに
六体の地蔵菩薩と持国天・増長天が本尊を取り巻く。堂全体を金箔で覆い、内陣は螺鈿細工・蒔絵などの漆工芸や精緻な彫金で荘厳されている。


駐車場に戻るとき、弁慶園で、五平餅ならぬ
弁慶餅を食べる。
胡桃だれが香ばしく美味しい。


昼食を芭蕉館でとる。


名物わんこそばを
















わんこに盛られたそばを秀衡椀に移し
様々な薬味とともに一口で食べる。
24杯あるが、12杯までお代わりができる。







宿は、毛越寺近くのホテル武蔵坊
なかなか夕食が優れている宿だった。














山葵昆布釜飯と前沢牛、フカヒレの揚げ物など
料理に創意工夫が感じられた。

茶碗蒸し


ハッ斗汁


穴子鮨


温泉に入り土産を購入し一日目終了。

みちのく小京都 角館

2018-05-01 20:12:34 | 
田沢湖を後にして角館に向かった。人通りはかなり多い。

見上げる空は枝垂桜で埋まる。




ソメイヨシノも煌めいて




武家屋敷 青柳家にいざなう。

青柳家は芦名氏譜代の侍として勤め、芦名氏断絶後、佐竹北家の納戸係に従事した。

隠し剣 鬼の爪の舞台になったことでも有名である。

屋敷内には、母屋・武器庫・解体新書記念館・秋田郷土館・武家道具館・ハイカラ館・幕末写真館・時代体験庵などがあり、
3万点もの資料が展示されている。









青柳家と姻戚関係だった小田野直武は解体新書の解剖図を描いた。


その小田野氏が杉田玄白だったか、平賀源内からだったか、定かではないが、寄贈された「シャボン玉」というタイトルの西洋画である。

確か説明書きには、人生はシャボン玉のように儚い。楽しめる時に楽しむことが大切だ・・・というニュアンスが
書かれてあったと思う。

古いレコード盤やら古い書物も多く展示されていた。












幕末の人物写真














森の食彩館で稲庭うどんを食す

思ったよりも麺が柔らかく、量が少なかったが、美味しくご馳走になった。


もっと武家屋敷や平福記念美術館も訪れたかったが、次の機会を待とうと思う。



みちのく家族旅

2018-04-30 22:49:35 | 
弘前城の桜を見てきましたよ~


花筏も風流なり




紅垂れ






松の大木


十和田湖ヘ移動




十和田荘に宿泊 夕食を楽しむ













姫鱒


翌日、田沢湖と辰子像

嵐影湖光の景観、秋田駒ヶ岳が見える。


今晩はここで閉じまーす。

去りし君に

2018-03-22 22:08:56 | 
渺茫とした荒野を歩くのに疲弊したんだね
君は

思うがままの意志を辛うじて捕まえて
俯きから解き放たれて

雲英を敷き詰めたような海に
身を投じる

耀きと神の配剤があるんだーー時には
笑うことで 強くなる

不意の風に
過る淋しささえも
もう埋没することもないのだ

生きるんだ!

陳腐だけれど
君には救いがある

見捨てない人がいる


月岡温泉「泉慶」にて

2016-02-24 16:24:15 | 

 2月20日、大学時代の懐かしい面々と新潟の月岡温泉に集った。

白玉の湯 泉慶、とても広くお風呂に行ったあと部屋に戻ろうとしたら
自分の部屋が見つからない。

ちょっとたじろいだが、仲居さんに助けを求め、部屋まで連れて行ってもらった。

まるで迷子のような私、東館5階に行くべきところを、西館5階に行ってしまっていたのだ。

旅の恥はかき捨てというが、存外平気になってきたのは歳のせいか・・・

 夕食は宴会場で、、ビールを飲みつつ昔の話や近況の話題で盛り上がる。






今回幹事をしてくれたFには、Hの結婚式以来の再会であった。
それでも毎年サクランボを送ったときと柿を送ってくれた時の2回、電話で長々としゃべっているので
久しぶりだという実感がない。

話していると、大学の構内のベンチにワープしたような錯覚に陥る。

Yがアルバムに載ったずらーずという野球チームの写真をデジカメで撮ったのを見せてくれた。
「みんな若い!」

そうだよね!21歳のころだもの。

今、子供が2,3人いる中年になった我々も
良い年月を重ねてきた面構えをしている。

様々な懊悩や諍いを隠しているかもしれない、

けれどそんな辛さなど微塵もみせずひたすら笑い転げるみんなって、
やはりいい年の取り方をしてきた大人なんだと思う。

酔いつぶれて、最終がなくなり、新宿から幡ヶ谷まで連れだって歩いて帰ったこともあったっけ。

木曜会で飲んで騒いで大家さんから注意されたとき、みんな一斉に「は~い!」と応えて
誰がSさん(私)と尋ねられたけど・・・当の私は酔いつぶれて返答してなかったのをおぼろげに覚えている。

いろんな思い出を共有できる友がいるだけで、また、雄々しく生きていける気がする。

Fくん!お疲れさま!

3年後は私の番だね。


広河原温泉 間欠泉 湯の華

2015-10-13 17:35:26 | 
連休を利用して家族で秘境と言われる温泉宿に行ってきました。

国道348号線から287号線を経由して新潟方面の113号線を走ります。

飯豊手ノ子から県道4号線に入り、途中林道を10キロぐらい進みます。

とにかく狭くアップダウンの激しい悪路でございました。


途中の山の景色はちょうど紅葉の見ごろで快晴ならもっときれいだったでしょうが・・・




やっと目的地の広河原温泉、湯の華に着きました。


440年前金採掘者が発見した温泉で、それはそれはまるで隠れ里、

時の流れがゆったりとして自然豊かで、なんの憂いも感じない平穏な場所でした。

けれど携帯が通じない、地デジを見ることができない、コンビニがない、民家もない

世俗の軋轢を嫌悪するする人にとってはピッタリの処かもしれません。



お風呂は50肩の私にぴったりな効能のあるナトリウム、カルシウム、炭酸水素塩の塩化物温泉でございました。

時々間欠泉が見られるようですが、私の入った時にはダメでした。ポスターでご勘弁。



料理も最高でした!

オリメキやブナカノカなどのキノコ類、春とって塩蔵したウドやアザミ、イワナとヤマメ
どれも素晴らしいお味でした。













設備も新しく満足な休日でした。

帰りは対向車に会いたくないので、少し早めに宿を後にしました。