僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

影法師

2017-06-24 17:50:24 | 読書
 大学時代の友人Hさんに薦められて、百田直樹の「影法師」を読んだ。


397㌻を4時間で読み切った。

主人公の戸田勘一と磯貝彦四郎は、刎頚の友の契りを交わす。

刎頚の友とは、ただの朋輩とは違うのだ。

この書を読んで感銘を受けない人はないに違いない。

こんな友情は有り得ないと思いながら、どこかで羨望著しい自分がいる。

小島武夫 『猟師の肉は腐らない』

2017-04-10 08:01:04 | 読書


今、発酵学の権威、小島先生の「猟師の肉は腐らない」を読んでいる。

先生がターザンこと、猪狩義政氏との八溝山地の山小屋生活を体験したドキュメントである。

先生は猪狩氏のことを義っしゃんと呼び、義っしゃんは小島氏を先生と呼ぶ。

二人は田んぼにひく水路で泥鰌掬いに興じる。

草が川べりに被さっている下流で先生が弓張型の網を持ち、上流で義っしゃんが泥鰌を追い込むのだ。

網をあげるとたくさんの泥鰌と一緒に鰻だろうか派手に動き回っている生物がいる。

先生が網の中の芥や落ち葉を拾い上げようとしたら、手に針で刺されたような激痛が走った。

なんと毒蛇のヤマカガシだった。

すぐに義っしゃんが血を吸出し、ぺんぺん草とヨモギを傷口に塗り、血止めと殺菌をした。

それでもそのあともドジョウ掬いを続け、たくさんの卵を抱いた太った泥鰌を獲ったのだった。

特に大振りの泥鰌をかば焼きにして山椒をかけて食す、その食レポが凄い!

口に入れた瞬間、香ばしい蒲焼きの匂いと粉山椒の刺激的な香りが鼻孔をスッーと抜けてきて、噛みだすと、サクリとして、タレの甘じょっぱい味が口中に広がり、さらに噛み続けると、次第にジュルリ、ネトリとした感触で蒲焼が崩れはじめた。

とても美味しそうである。

ほかにウサギを枯れ葉6対生葉4の割合で燻し、燻製にする話や、臭木椿象の蛆や兜虫の幼虫を食べるシーンなど
私の脳みそが諸々に夢中になっていった。

私も幼いころウサギや山鳥、雉など今でいうジビエ料理を食した経験がある。
カミキリの幼虫やマムシなども時には食べて、その野趣あふれる味に感動したりした。

ま、ここ最近ではもっとも時間を忘れて読んだ作品である。
私のバイブルにならんとするに違いない。

いつか陽のあたる場所で

2015-05-16 13:43:15 | 読書


主人公のひとり江口綾香は、「ボニーアンドクライド」というスナックのママに70万円だまし取られてしまう。

とてもめげて立ち直れないほどのショックを味わうが、わけあって警察には訴えられない。

けれど彼女にはもう一人の主人公、小森谷芭子(はこ)の存在があった。

どんなときにも優しく慰めてくれて、美味しい料理もふるまってくれる。


ボニー&クライドの場合、放蕩生活、悪事三昧で、最後は警察の一斉射撃を受け死んでしまう。

けれど、綾香と芭子の友情は、どんな障害や試練さえも打開して突き進んでいける・・・ちょっと羨ましい関係でもあるのだ。

「シャボン玉」、「ウツボカズラの夢」以来三作目の乃南アサの作品だが、すらすらと読破することができた。

名僧、101の名言

2012-11-05 21:25:43 | 読書
昨日、植西聰氏の「名僧、101の名言」という著作を手にしました。

その中で記憶に残った名言二つ

「オレが」の「が」を捨て、「おかげ」の「げ」で暮らす。(法然)


大根はいくらちいさくても小根とは言わないのだから、出家した者に小僧とは呼ばないでください。(一休)


自慢話は「我」が出すぎるため、聞く人の存在感や自尊心が圧迫され、不快な気持ちになります。むしろ逆に相手を褒めたり評価して自尊心を引き立たせることが大切と述べています。

また一休宗純は粋なことを言いますよね。
大根と小根、それに小僧とは・・・
けれど大僧とは言わないですよね。名僧、高僧あたりでしょうか。
大僧正は僧の位の一つですよね。

相変わらず私は理屈っぽいですが、一休の言葉は、いわゆる「上から目線」で人に接したり、相手を見下すような言動をとってはならないということを表しているのだそうです。
高圧的な態度をとったり、自分の意見ばかり強引に主張するのではなく、会話を相手の意見を引き出しながら進めることが肝要だそうです。
「なるほど」「それで?」と相槌を打ちながら相手がもっと話せるような環境を作ってあげましょう。

しゃぼん玉/乃南アサ

2011-03-09 11:47:51 | 読書


乃南(ノナミ)アサの『しゃぼん玉』を読んだ。

「自分は生涯、しゃぼん玉のように、ただ漂って生きていく。そしていつか、どこかでパチンと弾けて消える。それだけの存在のはずだ」
こう述懐する主人公伊豆見翔人は自堕落で自暴自棄な生き方を享受していた。

その彼が平家落人伝説のある椎葉村で老婆スマをはじめとする村人の暖かさに触れていく。
険しい顔つきが徐々に柔和になって、生きる意義を見出していくのだ。

最後にかけて目頭が自ずと熱くなっていく・・・

苦役列車

2011-03-07 15:25:07 | 読書
西村賢太氏の「苦役列車」を読んだ。

主人公貫太の生き様は、その日暮らしで、将来の展望もない。5500円の日雇い日当を握り締め、コップ酒をあおって野菜炒めを食べ、たまに風俗にいくルーティーンだ。

友人も恋人もいない貫太にもある日を境に変化が生じてくる・・・


どうなんだろう?作者の西村氏は、「自分よりダメなヤツがいるんだという気持ちになってくれれば書いたかいがある。」と述べている。

私が思うに、湾岸の物流倉庫で固まったイカやタコをパレットに運ぶ仕事は、かなりの重労働だが、貫太の生命の息吹や逞しさを感じるのだ。

実生活でも西村氏は、父親が性犯罪に手を染めたゆえに両親の離婚や度重なる転居を経験する。けれど不思議なことに父親への憎しみを一言もこぼさずに、ある意味人生に諦観と恐れを抱いているが、それでも生きている。

田中英光に傾倒しつつも、インテリジェンスの香りを嫌悪し、今度は藤澤清造に私淑する。孤独と窮乏の中死んでいった彼に一種の救いを託していったのだろう。
なぜなら、一見無頼派を気取ってはいるが、途方もない寂しがり屋と私は見て取る。

寝台急行「天の川」殺人事件  西村京太郎

2011-02-05 16:19:40 | 読書
今、西村京太郎氏のこの作品にざっと目を通している。
トラベル・ミステリーの原作はあまり読まないが、この作品には山形についての記述が出てくるので興味深い。『天の川』には食堂車が連結されていないので、幕の内と鳥海釜めし、それにお茶を買った。鳥海釜めしは、ご当地ササニシキの味付けご飯、とり肉、エビ、山菜などがのっていて美味かった。これで七百円なら安いと思う。


右手に線路が見え、それがゆっくり寄り添ってくる。陸羽西線である。その陸羽西線との合流点の余目(あまるめ)に着いた。
この名の由来は、昔、戸数五十戸の小さな村で、それが増えてきた時、五十戸に余ったからあまるべといい、それがあまるめになったという。



西村京太郎氏は、山形のことをよく調べて書いているなーというのが実感だった。

約束

2010-11-18 11:52:22 | 読書
高森顕徹さんの著書『光に向かって100の花束』を読んでいます。その中から歴史家ナピールのエピソードを紹介します。

 歴史家で有名なナピールが、ある日、散策していると、路傍にみすぼらしい少女が陶器のカケラを持って泣いている。  
 やさしくわけをたずねると、少女の家は親一人子一人。親が大病なので、家主から一リットル入りのビンを借りて、牛乳を買いにゆこうとして落として割ったのだ。
 家主に、どんなに叱られることかと泣いていたのである。
あわれに思ったナピールは、ポケットから財布を出してはみたが貧乏学者、一文の持ちあわせもない。
「明日の今ごろ、ここへおいで。牛乳ビンのお金は、私があげるから」
 少女とかたく握手して別れた。ところが翌日、友人から、
「君の研究の後援者になろうという富豪が現れた。午後は帰ると言っているから、ただちにこい」
という至急の伝言である。
 しかし富豪に会いにゆけば、少女との約束を破らなければならぬ。ナピールはさっそく、友人に返答した。
「私には今日、大事な用件がある。まことに申し訳ないが、またの日にたのむ」
そして少女との約束をはたした。
富豪は、ナピールを思いあがったやつだと、一時は怒ったが、後日それを知ると、いっそう信用を深め、彼を強く後援した。


高森氏は次のように結んでいます。

たとえ自分に不利益なことでも、誓ったことは、必ずはたすのが信用の基である。はたせぬ約束は、はじめからしないこと。相手に迷惑かけるだけでなく、己をも傷つける。

向田邦子との二十年/久世光彦

2010-10-06 16:34:14 | 読書
雨というものには匂いがあるもので、どこか艶めいた春の雨の匂いがしたのを覚えている。

白い雨が煙ると信号の色もにじんで見える。ふだんはさほど風情があるようには思えない青山通りが、こんな日は巴里の街角のように見えたりする。そんなことをぼんやり考えながらガラス窓の外を眺めていたら、信号が青になった横断歩道を、向田さんが薄いベージュのスカートをひるがえして走ってくるのが見えた。




今これを読んでいます。久世さんの文章は実に日本語の表現力があって、特に情景描写に卓越しています。


プロデューサーの久世光彦さんと脚本家でもある向田邦子さんの待ち合わせの場面であります。

三浦哲郎氏 逝く

2010-08-30 21:56:28 | 読書




「私」は東北出身の大学生で、東京の西北にある私立大学に通っている。

 ある日「忍ぶ川」で志乃に出逢った。彼女は幼くして母を亡くし、父は病に臥し、兄弟と一緒に貧しく暮していた。

 二人は互いに惹かれ、いつしか愛し合うようになる。

 「私」の四人の兄弟は次々と自殺や失踪し、「私」も血の宿命を痛感させられていた。

志乃には自分の暗い家庭のことを赤裸々に告白したのだ。

手紙で「私」は
「自分の誕生日を祝って貰ったことがなく、その日は兄弟の衰運の日のような気がする。」と書いた。

志乃は「来年の誕生日には、私にお祝いさせてください」と書いてよこした。


 志乃には婚約者がいたが、「私」のお願いにより破談に応じてくれた。
秋の終わりに志乃の父の容体が急変し、志乃のことを「私」に託して死ぬ。

 その年の大晦日、志乃をつれて故郷に向かい結婚式を挙げた。








芥川賞を受賞した、三浦哲郎氏の「忍ぶ川」のあらすじでした。
彼は、実生活でも、姉がふたり自殺を遂げ、兄二人が失踪してそれぞれが自滅の道を歩みました。
こうした暗く重い問題を、文学の問題として生きることを決意するのです。

井伏鱒二氏に師事し、「十五歳の周囲」で注目され、「拳銃と十五の短篇」「木馬の騎手」などすぐれた短編小説を残しました。

その三浦哲郎氏が、8月29日午前4時33分、うっ血性心不全のため鬼籍の人になりました。
やっと早世した兄弟たちに会えると微笑んで天国に召されたのでしょうか。
ご冥福を心よりお祈りいたします。