橋下徹市長 国家公務員「新人の採用抑制やらなくて良い」

2012-03-31 13:22:40 | 政治
がんばれ橋下

橋下徹大阪市長が、消費税増税問題に関連して、「(国が)地方に消費税をくれてやれば」、国の人員を大幅に減らすことができ、「新人の採用抑制はやらなくても良い」とツイッターで指摘した。

政府は、2013年度の国家公務員の新規採用を、09年度比で原則6割減らす方針だ。「若者いじめだ」との批判も出ている。

今のままでは、税率アップしても「蟻地獄状態からは抜け出せない」




橋下市長は2012年3月29日のツイッターで、「民主党は何のために消費税を増税するのだろうか?」と問題提起し、

「今の国の統治機構のままで消費税率を少しアップしても、蟻地獄状態からは抜け出せない」

と指摘した。そして、地方交付税をやめる代わりに、消費税を地方の税源に移すべきだと訴え、

(3ツイート略)「地方に消費税をくれてやれば、地方への補助金もめった切りできる。そうすると今の国の人員も不要になるはず。外郭団体もバサッと不要になるよ。出先機関も地方に移管すれば国の人員は大幅に少なくなる。余剰人員は分限すれば良い。このようにすれば、新人の採用抑制はやらなくても良い」

と、新規採用の抑制を行わなくても済むようになる、との考えを示した。

さらに、消費税増税については、税源として移管された地方が「自らの責任で」上げるかどうかを判断する仕組みが必要だと説明した。

(1ツイート略)「消費税は地方へ。地方交付税は引き揚げて財源確保。地方への補助金もめった切り。国の人員はスリム化。地方は自らの責任で消費税を上げるかどうか判断する。地方も受益と負担の関係が明確化し無駄が省ける。真の地方分権が確立する。やはり最初の一歩の急所は、消費税の地方税化だ」

政府は3月30日、消費増税法案を閣議決定した。30日夕現在、橋下市長はツイッターではコメントしていない。

トヨタ、次世代送電網 宮城・大衡で導入 基本構想固まる

2012-03-31 09:17:29 | 自然エネルギー
トヨタ自動車が宮城県大衡村の第2仙台北部中核工業団地に導入を検討している次世代送電システム「スマートグリッド」の基本構想が固まった。完成車製造子会社のセントラル自動車などが所有する複数の自家発電装置を一元的に管理し、団地内で利用する。非常時には東北電力に買い取ってもらった上で、村役場などに供給する。

 トヨタは実現に向けて年内にも基本計画の策定に乗りだし、団地内の電力利用の効率化と地域の防災機能アップにつなげる方針だ。

 基本構想では、3段階に分けて電力供給先を広げることとした。当初は、セントラルがことし2月に導入したコージェネレーション(熱電併給)設備を使い、トヨタ紡織東北宮城工場など周辺の関連企業に融通する。
 続いて設置が想定される他社の太陽光発電など自家発電分も加え、供給先をトヨタグループ以外の既存施設に拡大。最終的には今後立地する工場も対象とする。発電規模と事業化の時期は未定。
 発電や送電設備の一元的な管理は「F-グリッドセンター」が担う。グループ外への供給開始前に団地の新組織として設立し、融通した電力の料金徴収なども行う。

 基本構想は東北大や宮城県などで構成する検討委員会が昨年10月から、国の補助金を受けて検討していた。今月上旬の報告書には団地内の発電設備増設などに向けて「公的支援が必要」などの項目も盛り込んだ。
 検討委によると、構想が実現すれば団地内全体の使用電力は最大20%の削減を見込めるという。柏木孝夫委員長(東京工業大教授)は「国内工業団地の安定稼働や地域社会の安全維持に貢献できるモデルとなる。電力インフラが未整備な新興国でも応用できる」としている。

小沢 橋下 反消費税同時決起

2012-03-30 17:04:43 | 政治
がんばれ橋下!

「政治家というよりも人間として筋道を通すことは非常に大事。筋道を通すことで剛腕だと言われるのは致し方ない」
 自らが会長を務める勉強会「新政研」で、小沢一郎(69)は29日、グループに“決起”の号砲を鳴らした。
 野田首相が「消費税増税法案」を閣議決定すれば、小沢グループの政務三役や党執行部の役員メンバーは集団辞任する予定だ。すでに国民新党は分裂。一気に政権基盤が弱体化し始めた。野田周辺は「たいした影響はない」と考えているようだが、甘すぎる。小さなほころびが重なって、大きな穴になりつつある。
 今回の動きに敏感に反応したのが、大阪の橋下徹市長(42)だ。これまで消費税について立場をハッキリさせていなかったが、閣議決定の前日、消費税増税法案を痛烈に批判した。
「いかにも霞が関が考えそうなことで、乗っかってはいけない。財源確保は消費税を上げなくてもできる」
 高い支持率を維持している橋下が増税反対では、自公もやすやすと法案審議に乗れなくなるだろう。野田はますます追い詰められることになる。
 政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏がこう言う。
「政局というのは、ひとつの節目をキッカケに動き、大きな流れになる。小沢さんはそれが今回の『閣議決定』だと考えている。一方、橋下さんは、大阪府、大阪市という大都市の大統領を経験していますから、権力の怖さや凄さを十分わかっていて政治的なカンが働く。2人の間には、『ここが勝負どころだ』という“あうんの呼吸”がある」
 小沢と橋下がともに筋を通せば、必然的に「反消費税」で連携することになる。「反消費税」は大きなうねりとなってきた。

東日本大震災、なぜ長く揺れた

2012-03-29 16:19:21 | 報道
 東日本大震災が起こった昨年3月11日、私は東京のオフィスの14階にいました。

 揺れがいつまでたっても収まらないので、次第に不安感が増していったことを覚えています。


 宮城県大崎市古川の地震計記録を見ると、東日本大震災では、50ガル(ガルは加速度の単位で地震動の大きさを示す)以上の強い揺れが3分も続いています。過去20年間に国内で被害を出した地震の3~9倍の長さです。1995年の阪神・淡路大震災の震動継続時間は、10~15秒ほどでした。


 東京大学地震研究所・広報アウトリーチ室によりますと、地震は、地下深くで、岩盤がばりばりと割れていく現象です。最初に割れ始める点を「震源」と言い、割れた面積の合計が「震源域」の面積です。地震のエネルギー(マグニチュード=M)は、この面積に基づいて決めます。面積が広いほど、マグニチュードも大きくなります。


 岩盤の破壊は時間をかけて進んでいくので、割れた面積が広い地震、つまりマグニチュードが大きい地震ほど、揺れる時間も長くなるのです。

 東日本大震災では、南北500キロ・メートル、東西200キロ・メートルという広大な範囲の岩盤が割れました。だからM9という巨大地震となりました。一方、阪神・淡路大震災はM7.3で、割れた範囲は50キロ・メートル×20キロ・メートルくらいでした。


 大正(1923年)の関東大震災はM8程度だったと推定され、当時の日記などには「揺れが1分から2分続いた」と書かれています。近い将来起きると想定されている首都直下地震は、阪神・淡路大震災と同じM7クラスなので、継続時間は10秒から数十秒と予想されます。


 揺れが長かった場合、海の近くに住んでいる人は、津波への警戒を強めた方がよいでしょう。地震の揺れの強さだけでなく、継続時間についても、避難行動を考える「ものさし」として意識すべきだと思います。
(調査研究本部研究員 芝田裕一) 

チェルノブイリ原発事故、除染の盲点

2012-03-29 00:21:34 | 政治
原発を乱造した自民党は謝罪しないのか?

 福島第一原発の事故を受け放射性物質の除染作業が本格化していますが、実はある「モノ」の存在が見落とされている可能性があります。チェルノブイリ原発事故の際、1400キロも離れた場所で除染作業をしていた作業員が相次いで7人も死亡しました。一体、何が起きていたのでしょうか。

 友はもう何も語りません。

 「そこに墓があります」(オットー・ツェルナーさん)

 オットー・ツェルナーさん(79)。今から26年前、ある作業に従事したことで次々と仲間を失いました。この場所には同僚だったノイキルヒさんが眠ります。

 「彼はがんで亡くなりました。原因は放射能です」(オットー・ツェルナーさん)

 1986年4月、旧ソ連のチェルノブイリで起きた原発事故。破壊された原子炉から大量に放出された放射性物質は周辺の国々を汚染しました。この時、放射性物質を運んだのは風や雲だけではありませんでした。

 「東ドイツからの車両は全て徹底的にチェックされます」(ドイツのTVニュース 1986年5月)

 事故の直後、原発から1400キロほど離れた東西ドイツ国境の様子。多くのトラックが足止めされています。当時、ウクライナや東欧から農産物など安い物資が西ドイツに運ばれていました。しかし、西ドイツは放射能汚染を恐れ東側からの入国を拒否、車両が列を成しました。そこで、東ドイツ政府はツェルナーさんら運送公社の職員8人に「トラックの除染」を命じたのです。

 「ガイガーカウンターを渡されて私たちが放射線量を測定するよう指示された。測定器はけたたましい音を鳴り響かせていたが、耐えられずに除染作業中は音を消していた」(トラックの除染に当たったオットー・ツェルナーさん)

 すでに放射性物質に汚染されていたトラック。しかし、作業員たちはマスクなどで防護もせず、モップを使い除染の作業をこなしました。その数は100~200台に上るといいます。

 任務は洗車だけではありませんでした。エンジンに送る空気をろ過する「エアフィルター」の交換です。このフィルターにはほこりや細かいちりなどが付着します。

 「フィルターも放射能汚染されていた。外から空気を吸い込むので放射能がたまる。外側よりフィルターの方が汚染されていた」(オットー・ツェルナーさん)

 除染作業は2か月で終わりましたが、3年後に悲劇が始まります。まず、フィルターを交換していた作業員が肺がんで死亡しました。まだ30代でした。10年のうちに除染の作業員8人中6人が亡くなりました。全てがんでした。

 作業員の死亡と放射性物質の因果関係はあるのか・・・そもそもトラックはどれほど汚染されていたのか・・・ある場所に原発事故後の記録が残っていました。当時、トラックは国境にほど近い東ドイツのサービスエリアにも集められていました。そして、交換されたエアフィルターは倉庫に保管されていたといいます。山積みになっていたというエアフィルター。扉の前で、東ドイツ政府の命令を受けた放射線の専門家たちが線量を測定していました。

 「倉庫の入り口で測定したところ、毎時20ミリシーベルトの放射線量を記録した」
Q.1時間あたり?
 「そう、1時間あたり。とても高い数値です」(マクデブルク大学病院 トリーネ教授)

 同時のメモが残っています。2レントゲン、つまり20ミリシーベルト。これは国際的な基準で原発作業員が年間で許容される被ばく量に相当、それを1時間で浴びてしまう計算です。

 「この線量を一度に浴びると遺伝子に異常を起こすおそれがある。すぐではないが、3~4年後に 甲状腺がんを発症するおそれも出てくる」(マクデブルク大学病院 トリーネ教授)

 その後、ツェルナーさんと一緒に除染に当たっていたノイキルヒさんも直腸がんと前立腺がんを相次いで発症しで亡くなりました。除染に当たった作業員8人のうち7人ががんで死亡したことになります。

 「私は日本でも被害者が出るのではと不安を感じている。大量の放射線量を浴びれば病気になり、がんで苦しんで死ぬことにもなる。そう考えただけでも気が重くなる」(除染作業に当たったオットー・ツェルナーさん)

 原発事故の現場から遠く離れた場所で起きた「被ばく」をどうとらえるのか・・・警鐘が鳴らされています。(