菊川怜が40代男性と結婚 フジのとくダネ生発表

2017-04-28 12:14:32 | 芸能

女優菊川怜(39)が28日、フジテレビ系「とくダネ!」(月~金曜午前8時)で40代一般男性との結婚を発表した。妊娠はしておらず、今後も仕事を続けていくという。

番組冒頭で菊川自身がくす玉を引っ張り、「祝 脱・独身」と書かれた垂れ幕が出ると涙を流した。これまでを振り返るVTRが流れたあと、「私事で恐縮でございますが、私、菊川怜は結婚したことをご報告させてください」とあいさつ。相手について「一般の方です。月並みですが、優しい。1人で盛り上がってすみません」と恐縮したが、「デートは散歩とか。私が運動不足なので一緒に歩いてもらってます」と幸せいっぱいに話した。

小倉智昭キャスターには約1カ月前に報告していたといい、小倉は「人には誰にも話さないようにしていたんですけど、今、芸能担当の記者の方たちもびっくりしていると思う」と話した。相手の男性とも面会しており、「怜ちゃんと彼と3人でお昼を食べました。会って驚いたのは、いい男。僕が女でもこの人なら参るだろうなっていう。知的な人で、きちっとお話をされる方。怜ちゃんは今まで見たことないような優しい表情で」と当時の様子を振り返った。

菊川は「小倉さんには一番最初にご報告させていただいて。(相手と)初めて会った時は結婚するとは思わなかった。一目ぼれではないかなあ」と話したが、小倉から「(相手は)若い頃はゴルフをなさっていたので、怜ちゃんも始める気になったみたい。結婚を前提としたお付き合いだったみたいですよ。39年間待っててよかったっていうお相手です」と明かされた。

番組終盤には明日29日公開の映画「帝一の國」に出演する俳優菅田将暉、野村周平らが出演。菅田らに「おめでとうございます」と祝福されると、「ありがとうございます」と照れ笑いを浮かべていた。


渡瀬恒彦さん死去…72歳、胆のうがん

2017-03-16 07:44:49 | 芸能

渡瀬恒彦さん死去…72歳、胆のうがん

 「事件」「震える舌」「仁義なき戦い」シリーズなどの映画や「十津川警部」「おみやさん」をはじめとする推理ドラマでも活躍した俳優の渡瀬恒彦(本名同じ)さんが14日、胆のうがんのため東京都内の病院で死去した。72歳。島根県出身。葬儀は近親者のみで営む。喪主は妻い保(いほ)さん。兄の渡哲也(75)とはまた違った男の魅力で人気を誇ったスター俳優だった。

 仕事復帰を信じて頑張った渡瀬さんが静かに息を引き取った。

 がんとの闘いは一進一退を繰り返し、家族の願いは届かなかった。1月21日に松方弘樹さんが74歳で死去した際には「年齢も近く、東映の撮影所で共に育ってきました。今は言葉が出ません」とコメントを出した。あれからまだ2カ月だった。

 渡瀬さんは15年夏ごろに体調不良を訴え、検査の結果、胆のうに悪性腫瘍が見つかって都内の大学病院に入院。5カ月間、仕事を入れず、抗がん剤の投与と放射線治療を受けた。効果が出て、少しずつ仕事復帰を果たしたが、完治せず、入退院を繰り返していた。

 早大法学部を除籍になった後、電通PRセンターに入社。兄の渡は既に日活の青春スターとしてスターの階段を駆け上がっていたが、渡瀬さんは芸能界に全く興味がなかった。そこを口説いたのが東映の岡田茂社長(当時)で、69年に同社と契約を結んだ。

 70年に石井輝男監督「殺し屋人別帳」でデビュー。「仁義なき戦い」シリーズなど数多くのやくざ映画やアクション作品で実力を養い、78年に出演した深作欣二監督の「赤穂城断絶」と野村芳太郎監督の「事件」の演技でブルーリボン賞助演男優賞などを受賞した。その後も「震える舌」「南極物語」などの話題作で存在感を見せる一方、映画界の斜陽化に伴ってテレビでの活躍も目立つようになった。「十津川警部」(TBS)「おみやさん」などは息の長いシリーズとなった。

 私生活では73年に女優の故大原麗子さんと結婚したが78年に離婚。翌79年に新潟県出身のOL、い保さん(69)と再婚し、息子と娘に恵まれた。04年の「十津川警部シリーズ 東北新幹線“はやて”殺人事件」で大原さんと26年ぶりの共演を果たし話題を呼んだ。大原さんが09年8月に62年の生涯を閉じると、同23日に営まれた「お別れの会」には渡瀬さんも参列し、別れを告げていた。


カレーうどん大盛り完食後に船村徹さん急死 

2017-02-17 18:06:30 | 芸能

カレーうどん大盛り完食後に船村徹さん急死 

妻「夫では最低 作曲家では最高」

 心不全のため16日に亡くなった作曲家、船村徹さん(享年84)の妻で所属事務所社長の福田佳子さん(78)が17日、神奈川県藤沢市の自宅前で取材に応じた。急死だったといい「びっくりしました。まだピンときていなくて涙も出ません」と話し、午後0時35分に亡くなるまでの状況を説明した。

 前夜は好物のカレーうどんを大盛りで完食し、16日は午前9時半ごろまでは元気だった。しかし、同11時ごろに、作曲家で編曲家の長男、蔦将包(つた・まさかね)氏(54)の妻さゆりさんが部屋に様子を見に行くと、船村さんが床に座ってベッドに顔を伏せていたたため「様子がおかしい」と119番。この時すでに心肺が停止していたとみられ、搬送中に救急隊員が心肺蘇生を試みたが、搬送先の病院で死亡が確認された。

 鳥羽一郎(64)ら内弟子5人が訃報に接して自宅に集まった。しかし、検死のため遺体は同日中に戻らず、この日正午ごろ帰宅した。

 元歌手の佳子夫人は「夫としてはわがままで最低でした。でも作曲家としては最高で尊敬していました」としんみり。夫婦の思い出を聞かれると「一緒になったばかりの時に水餃子を作ってくれました。“これから週1回作ってやるよ”って言ったのに、この時が最後でした」と笑いながら振り返った。


松方弘樹さん死去 74歳 脳リンパ腫

2017-01-23 17:56:44 | 芸能

松方弘樹さん死去 74歳 脳リンパ腫

父は時代劇俳優の近衛十四郎。母は女優の水川八重子。松方は長男で、弟は俳優の目黒祐樹

 

俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため死去した。74歳だった。東京都出身。昨年2月に体調不良を訴えて入院していた。東映の時代劇ややくざ映画を中心に活躍したスター俳優だった。

 趣味の釣りで300キロ以上の巨大マグロを釣り上げるなど豪快なイメージで知られた松方さんだが、病魔には勝てなかった。回復を願ったファンや関係者の祈りも通じなかった。

 

 所属する「夢グループ」が松方さんに脳腫瘍の可能性があることを報道各社に明かしたのは昨年2月23日。長期療養が必要となるため、出演予定だった同3月1日から6月8日までの「夢コンサート」を降板し、6月からの舞台「遠山の金さんと女ねずみ」を中止すると発表。その後、病名を「脳リンパ腫」と公表していた。懸命な闘病が続いたが、抗がん剤投与の治療中にたびたび脳梗塞を起こし、今年に入って一進一退の状況を続けた。

 松方さんは時代劇スター近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの間に長男として誕生。俳優の目黒祐樹(69)は弟だ。歌手志望だったが、明大中野高3年の1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビュー。その後、スターへの階段を駆け上がり、「昭和残侠伝」シリーズといった任侠映画から「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、さらに「柳生一族の陰謀」を初めとする大型時代劇で活躍した。その一方、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼び、多くのバラエティー番組でも異彩を放った。

 元妻の女優仁科亜希子(63)との間に、タレントの仁科克基(34)と仁科仁美(32)をもうけた。


角田信朗氏、島木譲二さん通夜「いい人生送られた」

2016-12-17 21:15:13 | 芸能

角田信朗氏、島木譲二さん通夜「いい人生送られた」

 16日に脳溢血(いっけつ)で亡くなった吉本新喜劇・島木譲二(本名・濱伸二)さん(享年72)の通夜が17日、大阪市内で営まれ、格闘家の角田信朗氏(55)が参列した。島木さんは2011年の休養開始以降、公の場に姿を見せていなかったが、角田氏は「昨年か一昨年、井岡一翔くんのタイトル戦のリングサイドでお会いした」と回顧。芸能界入り前にプロボクサーだった島木さんが、最近までボクシングに情熱を傾けていた様子を明かした。

 角田氏によると、島木さんは1985年、テレビ番組の企画で正道会館の大会に出場。1回戦を勝ち抜き、2回戦で角田氏と対決したという。角田氏は「ローキック1発で仕留めよう」と臨んだが、島木さんは元プロボクサーの魂を見せて奮闘。角田氏は「3発目ぐらいのローキックでようやく終わらせることができた」と振り返った。

 その後は角田氏が吉本新喜劇を観劇するなどして交流。今夏には新喜劇の特別公演にゲスト出演し、島木さんが使用していたヤクザ風の衣装を着せてもらったという。「最後にお会いした時は車いすに乗ってらっしゃったと思うけど、重病のような感じはしなかった。『島木さん、またあのリングで戦いましょう』とあいさつしたら、ニコッと笑ってらっしゃいました」

 プロボクサー、新喜劇役者として72年の人生を駆け抜けた島木さん。角田氏は「人間はそんなに輝けるものではないのに、島木さんはリングでも舞台でも輝いた。幸せな人生を送られたと思うし、今頃もさんずの川で、パチパチパンチをされて、笑わせてるんじゃないでしょうか」と、この上ない賛辞で島木さんの人生をたたえた。