麻生太郎の高祖父は大久保利通、祖父は吉田茂。華麗な政界家系に生まれた麻生太郎副総理兼財務相(73)は、実父が九州電力の初代会長。
福岡の炭鉱業の父・太賀吉氏が九電会長に就任したのは、講和条約に調印の1951年。この年、九州では二つの電力会社が統合して九電が誕生。麻生太賀吉氏が社長に就任、
第9代九電会長、松尾新吾・現相談役(75)が、現在の麻生氏の後援会長。今年3月29日、福岡市内のホテルで、麻生氏が地元で年1度開く政経文化セミナーが催された。1200人の会場で主催者として登壇したのは松尾氏だった。チケット代1万円。飲食は一切なし。「そのかわり頭と心にたっぷりの栄養をもたらします」と、松尾氏。続いて麻生氏あいさつ、
福岡県内の議員や首長に加え、九電子会社や下請けの幹部が会場に詰めかけていた。その一人は「麻生さんに『早く原発を再稼働させて』と頼んでおいた」と記者に言った。
麻生氏は初当選する39歳まで麻生グループの中核会社で社長を務めていた。元側近は「経営や商売に精通していて財界人とのつながりも深い、という絶対的な自負がある」 麻生政権が総選挙に敗れて自民党が下野した翌年の10年、松尾氏は麻生氏側の要請でセミナー主催者となった。約960社で作る「九州経済連合会」(九経連)の運営費や人員の多くを負担。九経連会長職は創立以来、松尾氏まで7代続けて九電会長が務めた。
*従兄弟の息子である松尾博士と その妻の松尾美代子社長が経営する福岡市の建設会社キューコーに依頼されゼネコンに口利きをおこない、この建設会社が05年から10年度に玄海原発や川内原発などの九州電力が発注した工事において5億3000万円分の分担を受注していた。
*06年3月22日、「聖教新聞」創刊55周年祝賀パーティーが福岡市内で盛大に行われ、九州7県から来賓約800人が出席。その席で松尾は、「わが社の設立と同年に創刊した聖教新聞が、550万部に発展したのは、創価学会の平和・文化・教育運動に、多くの人々が共鳴している証左です。
07年6月、プルサーマル問題で荒れる中、末席の取締役であった眞部利應を、上席の取締役14人を抜いて後任社長に昇格させるという異例の人事を行った。。
09年3月31日、九経連の理事会で松尾新吾は「道州制が導入されれば、その州都は歴史的、文化的、そして地理的に九州の中心という意味で、熊本市が最適」という持論を表明している。
12年3月29日に原子力大国であるフランス共和国のニコラ・サルコジ大統領の決定により、レジオン・ドヌール勲章『シュヴァリエ』を受章した。
九電寄付金の停滞について「原発が再稼働すれば何てことない」と発言。その後、発言を撤回した[22]。
佐賀県にある玄海原発の運転再開を巡る「やらせメール問題」が九電を直撃し、松尾氏は12年に会長辞任。13年には九経連会長も退き、後任は、麻生氏実弟の麻生泰・麻生セメント社長。九電川内原発が再稼働第1号について、麻生氏は18日の記者会見で「地域における電力会社への信頼は高い」と胸を張った。