一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『夏への扉 ―キミのいる未来へ―』 ……清原果耶に逢いたくて……

2021年06月29日 | 映画


長年、本を読み続けてきて、最近、
〈新しい作家の新しい本はもう読まなくていいかな……〉
と思うようになってきた。
映画は新作を楽しみにしているのに、
本に関してはあまりそういう気にはならないのだ。
新しい作家の新しい本を読んでも、感動することが少なくなってきた。
私自身の“老い”からくる感受性の低下が原因かもしれないが、
100冊読んで(感動する本が)数冊あるかないか。
「それで十分ではないか!」
と言われそうだが、
時間が無限にあると感じられた若い頃はそれでも良かったが、
人生の残り時間が少なくなってきた今は、
「数撃ちゃ当たる」式の読書法はもうできなくなってきた。
それに、
(これは私の偏見かもしれないが)昔に比べて作家の質も落ちてきているように感じるのだ。
私が読書を始めた十代の頃は、
志賀直哉、川端康成、井伏鱒二、大岡昇平、檀一雄、安部公房、三島由紀夫、井上靖、井上光晴、遠藤周作、吉行淳之介、福永武彦、松本清張、司馬遼太郎、高橋和巳、開高健など、
文学史上の作家もまだ生きており、
そのほとんどが現役作家として次々に新作を発表していた時代で、
読書する側としてはとても贅沢で、幸福な時代であった。
今、彼らに比する作家が存在するや否や……
才能ある若者は今も存在すると思うが、
「物語を紡ぐ」というような非効率な「文学」は選択せずに、
結果が効率的に得られる別の世界へ行っているような気がする。
「文学」は、スポーツ界における「相撲」のような存在になりつつあるのではないか?
外国人力士ばかりが目立ち、日本人力士が弱くなったように感じる人も多いと思うが、
ただ単に、才能ある若者が、「サッカー」や「野球」を選択し、
「相撲」を選択しなくなっただけではないかと……(コラコラ)

……と、まあ、そういうことで、前期高齢者になって以降は、
〈昔読んで感動した本をまた読んでみたい……〉
と思うようになってきているのだ。
で、
「もし十代に戻れたら、もう一度“夏休み”に読みたい本」
なんてものを夢想し、
暇なときに(思いつくままに)書き出してみたりしている。

「罪と罰」ドストエフスキー
「戦争と平和」トルストイ
「異邦人」カミュ
「武器よさらば」ヘミングウェイ
「肉体の悪魔」ラディゲ
「車輪の下」ヘッセ
「赤と黒」スタンダール
「谷間のゆり」バルザック
「狭き門」ジッド
「マルテの手記」リルケ
「フラニーとズーイ」サリンジャー
「チボー家の人々」デュ・ガール
「自省録」マルクス・アウレーリウス(神谷美恵子訳)
「ルーマニア日記」カロッサ
「若きウェルテルの悩み」ゲーテ
「悪の華」ボードレール
「嵐が丘」エミリー・ブロンテ
「魔の山」トーマス・マン
「城」カフカ
「八月の光」ウィリアム・フォークナー
「蠅の王」ゴールディング
「風と共に去りぬ」マーガレット・ミッチェル
「冷血」トルーマン・カポーティ
「アメリカの悲劇」ドライサー
「裸者と死者」ノーマンメイラー
「路上」ジャック・ケルアック
「百年の孤独」ガルシア=マルケス
「異端の鳥」コジンスキー
「蜘蛛の糸・杜子春」芥川龍之介
「新編 銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「こころ」夏目漱石
「雁」森鴎外
「たけくらべ」樋口一葉
「野菊の墓・隣の嫁・春の潮」伊藤左千夫
「土」長塚節
「人生論ノート」三木清
「李陵・山月記」中島敦
「城の崎にて」志賀直哉
「蒲団」田山花袋
「風立ちぬ・美しい村」堀辰雄
「細雪」谷崎潤一郎
「伊豆の踊子」川端康成
「いのちの初夜」北条民雄
「檸檬」梶井基次郎
「ふるさとに寄する讃歌・黒谷村・木々の精、谷の精」坂口安吾
「斜陽」太宰治
「オリンポスの果実」田中英光
「黒い雨」井伏鱒二
「砂の女」安部公房
「潮騒」三島由紀夫
「楢山節考」深沢七郎
「沈黙」遠藤周作
「楡家の人びと」北杜夫
「草の花」福永武彦
「芽むしり仔撃ち」大江健三郎
「夏の闇」開高健
「さぶ」山本周五郎
「忍ぶ川」三浦哲郎
「中原中也詩集」
「野火」大岡昇平
「友情・愛と死」武者小路実篤
「武蔵野」国木田独歩
「楢山節考」深沢七郎
「邪宗門」高橋和巳
「赤頭巾ちゃん気をつけて」庄司薫
「夏の流れ」丸山健二
「二十歳の原点」高野悦子
「あ・うん」向田邦子
「蝉しぐれ」藤沢周平
「錦繍」宮本輝
……などなど。


ドストエフスキーは「罪と罰」ではなく「カラマーゾフの兄弟」だろう、とか、
川端康成は「伊豆の踊子」ではなく「山の音」だろう、とか
三島由紀夫は「潮騒」ではなく「金閣寺」だろう、とか、
色々言われそうだが、
世間の評価ではなく、極私的に若き頃に感動した本をまた読んでみたいと思うのだ。
そんな中に、
ロバート・A・ハインラインの「夏への扉」もあった。


SF小説ではあるが、
私にとってはラブストーリーとしても記憶されていて、
いつかまた読んでみたいと思っていた。
そんなとき、この「夏への扉」が日本で映画化されたというニュースが飛び込んできた。
「夏への扉」はこれまで映画化されたことはなく、世界初の試み。
舞台を日本に移して、再構築したものだそうで、
山崎賢人が主演を務め、


ヒロインとして(私の大好きな)清原果耶がキャスティングされているという。


監督は、
『くちびるに歌を』『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』『坂道のアポロン』の三木孝浩。


ハズレのない監督で、
佳作以上の作品に仕上げる力を持っているし、
その上、清原果耶が出演しているなら、見て損のない作品になっている筈である。
今まで映画化されていなかったのが不思議なくらい面白くて普遍性のある「夏への扉」を、
三木孝浩監督はどのように料理しているのか……
ワクワクしながら公開初日(6月25日)に映画館に駆けつけたのだった。



1995年、東京。
ロボット開発に従事する科学者・高倉宗一郎(山崎賢人)は、
亡き父の親友だった偉大な科学者・松下の遺志を継ぐプラズマ蓄電池の完成を目前にしていた。


早くに両親を亡くしずっと孤独だった宗一郎は、
自分を慕ってくれる松下の娘・璃子(清原果耶)と愛猫ピートを、
家族のように大事に思っていた。


ピートは、冬になると家中の扉を開けてくれとせがむ。
ピートは、扉のどれかが明るく楽しい夏へ通じていると信じて疑わず、
「夏への扉」を探しつづけ、決して諦めないのだ。


そして、宗一郎もまた「夏への扉」を探していた。


しかし、研究の完成を目前に控えながら、
信頼していた共同経営者・松下和人(眞島秀和)と、


婚約者・白石鈴(夏菜)に裏切られ、


さらに宗一郎は人体を冷凍保存する装置・コールドスリープに入れられてしまう。


目を覚ますと、そこは30年後の2025年だった。
宗一郎は自身の会社も開発中のロボットや蓄電池もすべて奪われてしまい、
研究や財産を失っただけではなく、璃子も謎の死を遂げていた。


失って初めて、璃子が自分にとってかけがえのない存在だったと気づく宗一郎。
人間にそっくりなロボット・PETE(藤木直人)の力を借り、


30年の間に起こったことを調べ始めた宗一郎は、
ある物理学者・遠井(田口トモロヲ)にたどり着く。


驚きの事実を知った宗一郎は、再び1995年へと時を超える。
ただ、璃子を救うために……




せっかくの機会だからと思って、
映画を鑑賞する前に原作であるハインラインの「夏への扉」を久しぶりに再読した。


今読んでも面白いのか……と心配したが、杞憂であった。
頁を繰る手が止まらず、約400頁を一気読みであった。
昔、憤慨したベル(映画では夏菜が演じた白石)にまたもや憤慨し、
昔、感動した箇所でまたもや感動した。(たとえばハヤカワ文庫の福島正実訳の新版なら372頁)


「夏への扉」の基本となるSFアイデアは、

冷凍睡眠(コールドスリープ)
ロボット、
タイム・トラベル


の三つで、
タイム・トラベルは過去への片道だけの旅路だし、
現代へ戻る手段は冷凍睡眠(コールドスリープ)という単純なもので、
タイム・パラドックス的な面白さはないのだが、
(『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』と比較して酷評していた映画評論家がいたが、彼は原作を知らないだけではなく、己の無知を世間に晒しているだけなのだ)
いかにも1950年代に発表されたSF小説らしいユルユル感が、
私のような(複雑な時間SFは苦手な)文系人間にはちょうど良い。
この原作を、どのように日本に置き換え、SFアイデアをどのように処理しているのか……
それを楽しみに鑑賞したのだが、
物語の基本となる部分はそのままに、
原作では1970年から2000年だったものを、
映画では1995年から2025年の30年間に置き換え、
細部は日本を舞台にするにあたって都合よく(と言うと語弊があるが)上手く変えてあった。
SF映画であり、ファンタジー映画の部分もあるので、
普通の人なら、
〈そんなバカな!〉
と思う箇所もあろうが、
様々なSF的な前提を受け入れた状態で鑑賞するのがこの手の映画の鑑賞法なので、
それができない人は最初からこの映画を選択しないと思うし、
選択して文句を言うのは己の(選択眼の)不明を晒しているだけだし、
この手の映画は嫌いなのに仕事で仕方なく見て文句を言うのは、
昔から(上記のような)二流の映画評論家と決まっているし、(コラコラ)
原作が大好きで、
どんな設定も受け入れることのできる柔軟な考えを持っている私は、(笑)
本作も大いに楽しむことができたのだった。



脚本(正確には脚色)を担当したのは、菅野友恵。


『時をかける少女』(2010年、脚本)
『陽だまりの彼女』(2013年、脚本)
『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』(2014年、脚本)
『味園ユニバース』(2015年、脚本)
『心に吹く風』(2017年、脚本協力)
『影踏み』(2019年、脚本)
『浅田家!』(2020年、脚本)※中野量太との共同脚本
など、
このブログでもレビューを書いている(評価の高い)映画の脚本を手掛けており、
私の中では優れた脚本家として認知されている。
脚本家・菅野友恵の本作への功績は、
藤木直人演じるところのヒューマノイドロボットPETE(ピート)の創出であろう。
原作者のハインラインは、人間の形をしたロボットには無関心で、(むしろ嫌っている)
「機械に判断力はあり得ない」
などと公言していた人なので、
ヒューマノイドロボットが主人公のバディとなって活躍する本作は、
(原作にはない)映画ならではの面白さであり、感心させられた。


原作とのもうひとつの大きな違いは、(これはネタバレになるので詳しくは書けないが……)
ラストでの主人公の宗一郎(山崎賢人)と璃子(清原果耶)の再会の仕方である。
原作では主人公が計画して、その通りになるのだが、
映画では、(主人公ではなく)璃子の考えに基づいて思いがけない再会を果たすのである。
これが素晴らしかった。
このときの清原果耶は天使のように美しい。(コラコラ)
〈こういう方法があったか……〉
と感心させられたし、
原作よりもラブストーリーの部分が強調され、
後味の良い作品に仕上がっている。



主人公の高倉宗一郎を演じた山崎賢人。


『今日、恋をはじめます』(2012年)
『L・DK』(2014年)
『ヒロイン失格』(2015年)
『orange -オレンジ-』(2015年)
『オオカミ少女と黒王子』(2016年)
『四月は君の嘘』(2016年)
『一週間フレンズ。』(2017年)
など、ずっとキラキラ青春映画に出続けていた印象があったが、
ここ数年は、
『羊と鋼の森』(2018年)で、ピアノの調律師を、
『キングダム』(2019年)で、主人公の信を、
『ヲタクに恋は難しい』(2020年)で、ゲームオタクを、
『劇場』(2020年)で、売れない劇作家を演じるなど、
様々な役に挑戦しており、
俳優としての進化が見られるようになってきている。
本作では、
信頼する共同経営者と婚約者・鈴の裏切りによって、
会社と開発中のロボットや蓄電池をすべて奪われ、
さらにコールドスリープに入れられてしまうという、
かなり悲惨な役なのであるが、(笑)
研究者気質で、世間に疎く、人の好い青年……という役柄が、
山崎賢人が持つ雰囲気にピッタリで、
思わず観客が応援したくなるような主人公になっており、
山崎賢人の無個性の個性とも言うべき資質が活かされた作品になっていた。



宗一郎の養父・松下の娘、松下璃子を演じた清原果耶。


出演作は絶対に見たいと私に思わせてくれる女優の一人で、
私にとっては、小松菜奈、広瀬すず、モトーラ世理奈などと共に、
同時代に生きている歓びを感じさせてくれる稀有な女優である。


現在放送中のNHK朝ドラ「おかえりモネ」は、毎日ハードディスクに録画し、
30話ずつBlu-rayディスクにダビングして保存しているのだが、
ほぼ毎日、清原果耶に逢えることに感謝している。
今年(2021年)は映画でも、
『花束みたいな恋をした』(2021年1月29日公開)
『まともじゃないのは君も一緒』(2021年3月19日公開)
『砕け散るところを見せてあげる』(2021年4月9日公開)
『夏への扉 ―キミのいる未来へ―』(2021年6月25日公開)
『護られなかった者たちへ』(2021年10月1日公開予定)
と、出演作が目白押しで、
私は幸福感に打ち震えている。(笑)


清原果耶の実写映画デビュー作は、
三木孝浩監督がメガホンをとった『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』で、
監督から見ても、この頃から光るものがあったようで、
清原果耶とは、
「いつかヒロインの作品を撮ろう」
と約束をしていたとか。

当時の彼女には社交辞令に聞こえていたかもしれませんが、僕は本当にそう思っていました。果耶ちゃんには『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(2016年)という作品でヒロインの小松菜奈さんの幼少期役を演じてもらいました。短いシーンだったのですが、うちに秘めた芯の強さが見えるようで、当時からとても印象的でした。(「ウートピ」インタビューより)

清原果耶が三木孝浩監督作品のヒロインというのも感慨深いが、
彼女にはキラキラ青春映画に出演するイメージがないので、
むしろ新鮮に感じたし、より魅力的に感じた。



宗一郎の婚約者・白石鈴を演じた夏菜の、
その悪女っぷりが良かったし、



宗一郎が経営する会社の共同経営者・松下和人を演じた眞島秀和の、
強いようでいて、(白石に騙されるという)精神的な弱さが同居した男を、
クールに、そして繊細に演じていて秀逸であった。



ヒューマノイドロボット・PETE(ピート)を演じた藤木直人は、


意外にも(失礼!)ヒューマノイドロボットに見えたし、
宗一郎とのバディとしても相性が良く、


時にユーモラスに、
時にターミネーターのように頼もしく、(笑)


宗一郎と璃子と猫のピートを見守っている姿に感動させられた。


難役だったと思うが、藤木直人は実に上手く演じていたと思う。



謎の鍵を握る男・佐藤太郎を演じた原田泰造と、


その妻・佐藤みどりを演じた高梨臨も、


宗一郎と璃子に深く関わることになる夫妻を、
(宗一郎と璃子を)温かく包み込むように演じていて素晴らしかった。



その他、
宗一郎にヒントを与える科学者・坪井強太を演じた浜野謙太、


2025年の世界で宗一郎を待ち続けた物理学者・遠井を演じた田口トモロヲが、
楽しい演技で作品を盛り上げていた。



忘れてはならないのは、猫のピートを演じたパスタとベーコン。


本作で重要な役割を果たすピートは、
厳選なる“猫オーディション”から選ばれたベテラン俳優猫の2匹で、
寄りの表情担当“パスタ”と、
アクション担当の“ベーコン”によって演じられている。
この2匹の猫の演技も、
人間の俳優たちに負けず劣らず素晴らしく、
感動作の誕生に貢献していた。



ハインラインの「夏への扉」は、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)のアイデアの元になったと言われており、
本作『夏への扉 ―キミのいる未来へ―』を見て、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』との類似点を探すのも楽しいし、
もし原作を読んでいなかったら、(原作を読んでいなくても楽しめるけれど)
鑑賞後に読んでみて、映画との相違点を探してみるのも(さらに)楽しいことだろう。
今年も、もうすぐ夏がやってくるが、
本作『夏への扉 ―キミのいる未来へ―』を見て、「夏への扉」を開け、
私は一足先に「明るく楽しい夏」=「至福」を味わってきた。
「夏への扉」は、いつでも、
誰かから開かれるのを待っている……

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