狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

大田元知事の沖縄県民葬、「おごそか」ではなかった

2017-07-30 14:05:51 | マスコミ批判

 

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連日暑い日が続き、室内に居ても熱中症に罹る人も増えているようです。

今日のアップが遅れましたが、体調を崩したわけでは有りません。

パソコンも人間並みに熱中症に罹るようで、我が愛用のパソコンも過熱して、数日前より不具合が生じていましたが、今朝になってついに使用不能に陥ってしまいました。

筆者のPCの師匠であるT君に出動願って、やっと修復、先ほど使用可能になりました。

今日のエントリーは、大田元知事の県民葬で沖縄2紙が決して報道しないニュースの紹介でお茶を濁させて下さい。

 

賛否両論の政治家人生

「おごそか」ではなかった大田元知事の沖縄県民葬

治家人生
翁長知事とは犬猿の仲

 

 6月12日に亡くなった大田昌秀元沖縄県知事の功績をたたえ、冥福を祈る県民葬(実行委員長・翁長雄志知事)が26日午後、宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで催された。

 沖縄県民葬は初代県知事の屋良朝苗氏と保守系知事の西銘順治氏に続いて3人目だ。政府から安倍晋三首相と鶴保庸介沖縄担当相が出席した。

 安倍首相は、在任中の普天間飛行場返還合意を「歴史的な出来事だった」と振り返り、「平和追求に将来をささげた姿や信念は人々の胸に永遠に生き続ける」と評価した。

 翁長知事は、「平和・自立・共生を県政運営の柱に据え、沖縄が抱える諸問題の解決に心血を注がれた」と功績をたたえた。

 大田知事の時代、普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を誰よりも強く求めたのは当時、自民会派の県議だった翁長氏、その人だった。ところが、翁長氏は2014年に知事に出馬すると、保革を超えた「オール沖縄」の枠組みを構え、手のひらを返すように辺野古移設反対に転じた。

 こうした翁長氏の豹変ぶりを真っ向から批判したのは誰あろう、大田氏だった。「私はオール沖縄というものを信用していない。今の保守側が、オール沖縄というテーマを掲げて、革新陣営に入り込んでくるのは選挙対策だ」(「オール沖縄vsヤマト」山田文比古著)と言い切った。

 県議会での翁長氏とのやり取りについてはこう評する。

 「議事録を調べてみれば、びっくりするだろう。そういう人が、選挙が近づいてきて、自分が出たいという発想があるものだから、急にオール沖縄なんかをやっている」(同上)

 翁長氏の本質を見抜いて共闘しようとしなかった大田氏は信念のある政治家だった。

 大田氏とは距離を置く政治家、民間人が多かったためか、招待席には空席が目立った。欠席した元県幹部は、「弔意を込めて告別式には参加した」と前置きした上で、「県民葬に値するかどうか、大田さんの県に対する貢献度からしても疑問符が付く」と指摘。「政府と適切な関係にあれば、沖縄は現在よりももっと発展しているはずだ」と述べた。

 また、沖縄戦を戦った90歳の男性は、「大田知事は日本政府とアメリカに楯突くことばかりしていて、国と沖縄との溝を深めた。人間としても評価できない」との理由から欠席した

 大田氏をめぐっては賛否両論あるにもかかわらず、地元2紙とローカルテレビ局からは批判的論調はほとんど聞こえてこないのは不思議だ。

 県民葬の会場には沖縄県糸満市の沖縄県平和祈念公園の「平和の礎」を模した祭壇のオブジェが飾られた。平和の礎の原案「沖縄戦メモリアル構想」を打ち上げた沖縄戦ドキュメンタリー作家の上原正稔氏は1991年、県議会、文教委員会で「知事が自分のアイディアを剽窃してるので止めさせて欲しい」と証言した。後、上原氏は那覇市のホテルで開かれたパーティーで大田氏から暴行を受けた。

 県民葬の雰囲気は地元メディアが評するように「おごそか」な雰囲気とはかかけ離れていた。翁長知事と鳩山元首相の弔辞では過剰な拍手が起き、安倍首相があいさつする場面ではヤジが飛んだ。また、献花では、鳩山由紀夫元首相が呼名された時、大きな拍手が起きた。

 こうした光景はつい最近、6月23日の慰霊の日に沖縄県平和祈念公園で催された沖縄全戦没者追悼慰霊式で目撃したばかりだ。翁長氏の演説では指笛が鳴り、首相の演説ではヤジが飛んだ。慰霊の場が政治利用されていると感じた。

 なお、沖縄の地元紙が県民葬の模様を動画で公開している。

 大田氏は19歳の時、沖縄戦で「鉄血勤皇隊」に動員された。戦後、米国留学などを経験し、琉球大学法学部教授に就任。沖縄戦や戦後史の研究者として活躍した。90年の知事選には革新統一候補で出馬、初当選を果たし、2期務めた。2001年の参院選に出馬し比例区で当選。07年に政界から引退した。6月12日、肺炎と呼吸不全のため亡くなり、92年の生涯を閉じた。

(那覇支局・豊田 剛)

 

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