狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

新聞失格の沖縄タイムス 「念仏撤回」を報道せず

2008-09-21 08:29:08 | ★集団自決

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 金城重明論考

苦しいときの神頼みというが、神も仏も一緒くたの日本人は苦しいときに「なんまいだー」と呟く。(映画の中の年寄りだが)

南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の省略形が「なんまいだー」ということらしい。 だが俗説には異説、珍説が伴うもの。

「なんまいだー」には、坊さんがお経を唱えながら”お布施のお札は何枚だ?” と唱えたというブラックな説もある。

まあ、凡夫にとってお経の意味なんてどうでも良いことで、何事か唱えることに意味があるのだろう。

沖縄には「なんまいだー」に代わって、

「ぐんめいだー」を唱え続ける人々がいる。

この方々は唱えるお念仏の意味はともかく、戦後この言葉を唱え続けなければ生きていけなかった。

「グンメイダー、ナンマイダー」

金城重明氏はキリスト教徒であるにも関わらず「ぐんめいだー」を唱え続けてきた。↓

集団自決研修を大学新入生に、金城重明氏が講演

地獄を見た二人  雉も鳴かずば・・・

講演会やセミナーで念仏を唱えるのは罪にはならないが、これが法廷の証言台となるとお目こぼしも効かない。

法廷では偽証罪だってあり得る。

「ぐんめいだー」の真意を裁判長に確認された金城氏は、念仏ををあっさり撤回した。

あの念仏は「私がふと言った言葉」であり、「これはちょっと削除してください」「私ははっきり言ってない」と弁解した。

 

この金城氏の豹変に一番ビックリしたのは、これまで金城氏の念仏を大々的に報道してきた沖縄タイムスのはずだった。

一面トップで、

金城重明氏 念仏撤回

出張法廷証言で

これくらいは報道するのが新聞としての義務だと思われたのだが、

タイムスは金城氏の念仏撤回については一行の報道もなく、頬被りを決め込んだ。

勿論、右へならえで琉球新報もこれには触れていない。

二紙に毒染、もとい、独占される沖縄県民はツンボ桟敷で、この事実を知るには「世界日報」に頼らざるを得ない。

以下引用の太字強調は引用者。

 

真実の攻防 沖縄戦「集団自決」から63年 3部<7>

沖縄タイムス 「正確・人権」に欠ける報道

占領下の呪縛引きずる

picture
支援者が掲げる「沖縄戦の真実を判決に」の横断幕の中央に立つ、沈痛な面持ちの金城重明氏=昨年9月10日、福岡高裁那覇支部前(敷田耕造撮影)
 米軍上陸を目の当たりにした渡嘉敷島で、愛する家族を手に掛けた当時十六歳の少年、金城重明氏。後にクリスチャンそして牧師となり、沖縄キリスト教短期大学学長などを歴任、“集団自決の語り部”として、多くの書物を残している。

 昨年、集団自決に関する教科書検定意見をめぐって沖縄世論が沸騰した中、金城氏は六月二日、那覇市で沖縄タイムス主催のシンポジウム「挑まれる沖縄戦―『集団自決』検定を問う」で、当時の体験を述べた。同紙が六月八日付でその詳細を報じている。

 「私たちは日本軍の強制、命令、抑圧によって精神的に追い詰められ、死に追い込まれた。軍の存在なしに住民が自発的に死を選択することは決してなかった」

 「私は渡嘉敷島の赤松嘉次守備隊長から直接聞かされたことをはっきり覚えている。『われわれ軍隊は、戦況を報告するため最後まで生き延びなければならないが、住民はそうではない』」

 牧師であり、短大の学長経験者でもある氏の発言として、二十万人読者を持つ沖縄タイムスが報じた影響はすこぶる大きい。この発言を真に受ければ、赤松元隊長とは自分たちは何としてでも生き延びる立場だが、「住民はそうではない」すなわち住民は死んでも構わないと語る、卑劣な軍人となってしまう。これは赤松氏の人格にかかわるだけの問題ではない。

 つまり、「日本軍は住民を守らない」という左翼の主張に合致し、作家大江健三郎氏が『沖縄ノート』の命題とした「沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生」(六十九ページ)を裏付けるものだ。

 本当に、金城氏はこのような発言を赤松氏から聞いたのであろうか。

 その点を、昨年九月十日、福岡高裁那覇支部の法廷で沖縄戦集団自決訴訟の原告側代理人が、証人として立った金城氏に尋ねた。

 すると、金城氏はこの発言をあっさり撤回。「私がふと言った言葉」であり、「これはちょっと削除してください」「私ははっきり言ってない」と弁解した。

 シンポジウムの会場で、実際に金城氏は、このような発言をしたかもしれない。だが、偽証罪に問われる可能性のある法廷で、金城氏は「住民はそうではない」という発言を赤松氏はしていない、と訂正したのである。新聞社としては、紙面に掲載した発言内容をいちいち、後日、修正するのはごめん被りたいと思うのは理解できる。

 ただ、沖縄タイムスも法廷記録が公になった十月には、金城氏がこの発言を撤回したことを知り得た立場にある。

 ところが――。沖縄タイムスが昨年行った集団自決・教科書検定問題のキャンペーン報道をまとめた同社刊『挑まれる沖縄戦』に収録された先のシンポジウムでの、「住民はそうではない」という発言は、削除されずにそのまま掲載されたのだ。

 この本は、今年一月三十一日に初版が発売されている。それまでに掲載記事の検討、取材先に記述内容の確認作業も十分できたはずだ。沖縄タイムスは社を挙げてこのキャンペーンに取り組んでいたのだから当然、金城氏が法廷で発言の撤回をしたことも確認したであろう。だが、その上で同社は、社の方針としてこの発言を削除しなかった可能性が極めて高い。

 そこには、言論機関として、報道される人の人権への細やかな配慮というものは微塵(みじん)も見られない。沖縄タイムスが、大多数の人の人権に配慮しないというのではない。ただ特定の人に対する人権を、無視するのである。

 それは何故か。「軍命令」または「隊長命令」があった、とするような発言、またはこれを肯定する言動は大きく好意的に取り上げる。一方、これを否定する言動は一切無視し、黙殺する。昨年、県庁で会見を開いた座間味島在住の宮平秀幸氏の証言が良い例だ。

 非公開だった金城氏の証人尋問での発言撤回についても、そんなことは誰も気付くまいと沖縄タイムスは黙殺したのであろう。それよりも赤松氏を冷酷な人物に仕立てることを選んだのである。

 単行本『挑まれる沖縄戦』は、昨年九月二十九日の県民大会参加者の実数が約二万人と判明した後でも、平然と「十一万人」と掲載する。こうした報道の原点には、隊長の自決命令を明記した『鉄の暴風』(昭和二十五年発行)を守るためなら何でもするという意志がうかがえる。米占領下で誕生し、成長した沖縄タイムスは今なお、占領下の呪縛(じゅばく)にからめ捕られ、もがいているように見える。

(編集委員・鴨野 守)

(6月22日付 世界日報掲載)

                     ◇

沖縄タイムスは県民の知る権利を奪っている。

だがそれを報じるマスコミが沖縄にはない。

知らない県民は金城氏の「念仏再開」と沖縄タイムスの「再掲載」に毒染されていく。

 

 

【おまけ】

「李登輝沖縄講演会」を明後日に控え、後援者に名を連ねながら、沖縄タイムスは記事として取り上げることもなく、広告から後援者の名前さえ削除させている。

 

NPO琉球大学産学連携研究会」の永井獏代表(琉球大学工学部教授)が、

オオピニオン面の「論壇」に投稿するという非常手段に訴えた。

「論壇」掲載にタイムス側と永井さん側に確執があったとは想像されるが・・・

とりあえず今朝のタイムス「論壇」のタイトルだけ紹介します。

9月21日沖縄タイムス「論壇」

大衆を信じた李登輝氏

23日に宜野湾市で講演会

永井獏(64歳 琉球大学工学部教授)

 

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