治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

図らずもベストタイミング 北の大地へGoTo その1

2020-10-31 10:23:51 | 日記
先週末、北の大地に旅行してきました。
別に講演とか絡んだ旅行ではないので、ご報告することもないのですが、やはり読む読まないは読者が決めること。一応記録しておこうと思いました。
需要喚起のために国策としてGoToをやっていますが、学齢期のお子さんを持つご家庭などは動けないことも多い。自由な立場の人間が動いてみると全国で人々がどんな営みをしているか、私の見たものだけでもお伝えしておこうと思ったのです。

今回北海道に行こうと思ったのは、JR東日本が安い切符を出していたことがきっかけでした。
新幹線も各社、苦戦しています。
私は緊急事態宣言下で小田原まで新幹線に乗り、いつも殿様商売しているJR東海の駅員さんたちに90度のお辞儀をされ「ご乗車ありがとうございます!」と言われてびっくりしたものです。
それでも東海道新幹線はかなりお客が戻ってきたようですが、東北新幹線とか普段から満員、とかあまり見たことがありません。
そのJR東日本が半額切符を出しているというので、この際だから北海道まで新幹線で行ってみようということになりました。
新函館北斗で下車して大沼公園で遊ぶ、という計画にしました。

東京駅で朝ご飯用お弁当を仕入れ、東北を進みます。
雨でした。時折かなり激しく降る地域も。
東京駅ではそこそ人のいた車内も、盛岡ですっかり空きました。
夫もPC抱えて電源求めて他の席に移り、夫婦でもソーシャルディスタンスになりました。
私は奄美大島旅行と高松講演旅行で台風を三つ飛ばしてしまったので、運を使い果たしたかな、と思いながら霧にけぶる東北の山々を見つめ、そしてついに青函トンネルを初めて鉄道で越えました。
新函館北斗につきました。雨は上がっています。空気のおいしさにびっくりします。
ああ、これだ、私が旅好きなのは、と思い出しました。
私は基本、都会にしか住めない人だと思うのですが、新鮮な空気は好きなのです。
子どもの頃都内の社宅、新宿に近い場所に住んでいたのですが、週末になると母は横浜の実家に連れ帰って土で遊ばせたそうです。そうするととたんに顔色がよくなるから。そういう細かい観察をしてくれていたようですね。
どうもいい空気が必要な人のようです。まあ人間みんなそうですよね。

ちょうどタイミングが合い、路線バスで大沼に向かいます。お客はうち二人。
ホテルに着きましたが、チェックインまで二時間あったので荷物だけ預けるつもりが部屋が空いていたようでするする入れてしまいました。というわけで入館時の検温とマスクはお互い忘れていたことに後で気づきました。

ホテルにはバスツアーの人たちがたくさんいました。どうやらここがランチ休憩所だったようです。
車を運転しない都会の人たち(様子のいいご夫婦連れが多かった)がバスで観光地を回っているようです。
すでにこういう乗り合い観光みたいなのが復活しているんだなあ、とそこはちょっとびっくりしました。

そしてなぜ観光バスが回っていたかというと
実は紅葉がすごくきれいな季節でした。


どうやら図らずもベストタイミングで来たようです。
私は森で遊ぼうと思ってきたのですが、そのとき想像した森は、緑でした。
ところが木々は色づいています。
また降り出した雨の中の紅葉を見つめながら、蝦夷鹿カレーを食べて、牛乳のおいしさにびっくりして、そのつもりでなくてもいつもベストタイミングに巡り会うのが私っぽいなあと思いました。
思えば発達障害との出会いもそうだったのです。

温泉に入ります。「スマホ持ち込みお断り」とか書いてあったので「そんなの当たり前だろ」と思っていたのですが入ってみてわかりました。
露天風呂は見事な紅葉に面していたのです。
これは撮りたくなる人がいても不思議ではありません。

お風呂から上がって念願の森の散歩をします。
青い空が見えます。
きれいな青。
でも南国ともまた違う青。
五感で北の大地を楽しみました。





続く

廣木さんと花風社アンチの違い

2020-10-29 12:27:44 | 日記
さて、序文終わって続き。
廣木道心さんと花風社アンチは途中まで似ている、と気づいたのはわりと最近。

共通するのはね

「未練がましさ」なんです。

あ、廣木さんに関してはこの「未練がましさ」を褒めてますから安心してくださいね。

私は今、ギョーカイがどういう動きをしているかあまり知らない。
いずれにせよこういう時期にはコロナにかこつけて集まらないだろうし、不要不急の存在だから、なんかやるとしたらアカデミックにタコツボにやるしかないだろうと思っていますから興味はないです。

アンチもどうなっているか知らない。
彼らが選ばなかった花風社にあれほど固執してないことないこと想像を巡らすのはなぜかわからなかったけどそれをブルーさんが説明してくれたのでもう興味がなくなりました。

でも廣木さんもアンチも未練がましいんですよね。
どっちも「選ばなかった道」の行く末に興味津々なんです。

アンチの中の長い人は十年アンチをやっている。
「花風社なんか誰も支持しない」から「信者ガー」になったこと自体「予測を外した」わけだけど、それを無意識的にも自覚しているのか「自分たちが選ばなかった未来」がどうなるか目が離せない。「自分たちが選ばなかった未来」を選んだ人たちがどうなるか気になって仕方ない。

廣木さんもそうだったんです。
じゃあ廣木さんがご子息のために選ばなかった未来とは何かというと

「特別支援の道」ですね。

重度の障害を持つお子を授かったとき、「親亡きあと」を案じて、ある人たちは社会福祉法人とか作ったりする。ものすごいエネルギーがいりますね。
廣木さんも親亡きあとを案じるところまでは同じ。心配して心配して、少しでもお子さんに笑顔で未来を生きてもらいたくて、だからこそ特別支援の道を選ばなかったわけです。それが廣木さんの出した結論です。これもなかなかパワーのいることです。
一つ一つが交渉であり、戦いであったわけですから。
大阪や鹿児島の講演を現地・配信で受講た方はよくわかりますね。

お子さんの未来を案じるところまでは同じでも
そこから福祉の充実を求めるか、一般社会で生きることを選ぶかがまず違ったわけです。

そしてどちらも未練がましい。

この「未練がましさ」は花風社を選ばなかったけれども花風社を見続けているアンチと廣木さんに共通しているものです。

でもそこから先が違う。

アンチはあくまでも無料の情報をもとに、あれこれ当たらない想像を張り巡らせ、選ばなかった自分たちを正当化することに躍起。
一方で廣木さんは「自分が選ばなかった道はどのようなものか」「本当に選ばなくて正解だったのか」「もしかしてそこからも息子のために学べるものがあるのではないか」と飛び込んでいったんですよ。特別支援の現場に。

そこで目撃します。
お金の流れ。
効果を上げていない特別支援や療育。
保護者の諦め。
支援者の荒れ。
そもそもの待遇の悪さ。
それを身をもって経験するのです。

それにはご家族の協力も必須でした。
奥様は重度のお子さんを抱えながら共働き、お嬢さんは国公立へ進学、そして廣木さんご自身は福祉のブラック待遇の中ダブルワークトリプルワークをして生活を支えます。

そして所長まで務めたあとに
いわば「特別支援社会ウォッチングの回数券を使い切った」のですね。
そして清々しくやめて、インディな世界に戻ってきたのです。
あとはご家族での対応が難しい人にだけ、ボランティアでかかわる。

まさに身を張って情報を取りに行った廣木さんと無料の情報だけを継ぎ合わせ「なんで支持する人がいるのか」と嘆息しているアンチは途中まで同じ。未練がましいところまで。
でもその後の覚悟が違うのですよね。

皆さんはどちらを信じられますか?

廣木さんのことを書く前に

2020-10-27 11:31:34 | 日記
さて、コロナについても書こうと思っているんですけどそろそろ飽きてきたね。

でもどっとこむの雑談のお部屋でブルーさんが問題提起してくださっているのでそれに乗っかるかもしれません。

私が今思っているのは「おそらく東アジア特有のファクターXにより(それが何かは知らんが)先進国の中で画期的に被害が少なかった日本としてはコロナ禍後を有利なポジションで始められるのに怖がりの人々が足を引っ張ってやっかい」ということでしょうか。怖がりを減らすことをこれからの仕事にしたいです。ヒントは沢山すでにありますね。背骨の緩急。上虚下実。それに加えて愛甲さんが「内臓が丈夫でないと」と言っていました。なるほど。そこも関係あるなあ。

11月21日のねこ母さん主催栗本さん講師の鹿児島コンディショニング講座を見張りに行こうと思い、夫に声をかけたら鹿児島行きたいというのでふたりで手分けして手配しました。手分けしないと大変なくらい宿もフライトも埋まっています。たくさんの人がGoToしているんだなあ。

今GoToの恩恵を受けている人はどういう人かというと、怖がりじゃない人。
怖がりじゃないことに国がご褒美くれる時代。
あと、インディな人はGoToしやすいですね。
廣木さんちも結構GoToしている。この三月末日にコロナ関係なくインディになったので。

ブルーさんも書いていましたけど、今後発達障害の人に有利な社会が来るかも知れない。でもそのときは、強い個が確立されていないといくら発達障害者だって新しい有利な社会は享受できません。
今後はリモートワークとかも進み、でも絶対リモートできない職種は残り、職業選択もこれまでとは違ってくると思うので、皆さんアンテナを張り巡らせておきましょう。

去年の炎上のとき「浅見は医療職に憧れているんだ」みたいなことを真顔で(まあたいして反射発言なんだろうけど)言っていた人がいました。発達の世界で私たちが地味に知っていた「医療者いやなやつ」が新型コロナで広く人々に知られることになり、非常に仕事がしやすくなりました。「42万人死ぬというのが嘘だったでしょ。それを謝罪も撤回もしないでしょ医者たちは。生まれつきの脳機能障害で一生治らないも嘘なんですよ」。これで話がすっと通ります。

それとは別に、私は小さい頃から自分の職業として、医療とか官とかを想定したことがただの一度もありませんでした。社会に入ってからもね。

逆に言うと、それだけ職業選択が広めに取れる地域に生まれた幸運もあったわけですが、医療や官は考えたことも憧れたこともなかった。

それがなんでだか、よくわかったのがこのパンデミック。こういうときに自由に動けない仕事なんてどれだけ報酬よくてもまっぴらごめんなんですよ。我々が饗宴したりGoToしている間に様々な制約がかけられている職業の人いるでしょ。そういう職業は私の場合最初から却下なんです。価値観がそこにある。

長時間労働は(若い頃)いとわなかったけど、空間と時間に縛られるのはいや。縛られない仕事の仕方を追求してきたところにテクノロジーが乗っかって、今本当に時間にもお金にも追われない生活が可能になりました。

もちろん医療や官にもやりがいがあって社会的使命感もあるんでしょう。でもそれを持っているのは医療や官だけじゃないからね。戦後復興の時の総合商社なんて政治家より国益を考えて動いていた人たくさんいましたよ。こういうことが肌感覚でわかるのが都会生まれ都会育ち民間人の有利なところだと思います。

そう思うと、お節介だろうけど、今の廣木さんのポジションはとてもよいと思うのです。
いや、もちろんすべてがバラ色だとは思いませんよ。
インディは大変なこといっぱいあるから。

1月、まだコロナとかあまり言われていなかったとき、それでもすでにマスクしていた人も出ていた饗宴@大阪で、3月末に職場をやめるときいたとき「どうして?」と思いました。廣木さんは事業所の所長さんしていたから、やりがいもあるのではないかと思ったから。


でも廣木さんは職場をやめて、そしてコロナがあって、それでも方々に指導に呼ばれていたりとか、ご家族でドライブしてたりとか、そういうのを見てました。

そういうことが可能なのはインディだからです。
それを私はよく知っている。自分もインディだから。いざこういう時代がきたときふらっとGoToできるようなポジションを確保するために今までライフスタイルを組み立ててたから。

そして本来のご職業であるグラフィック関係の受注が順調、ということで、「ああ、神様は今廣木さんにそこだよ、って教えてあげているんだろうなあ」と思いました。

それで廣木さんご一家が障害者に仕事を生み出すためにクラウドファンディングで作った雑誌「なごみすと」を購入してみて、きちんとプロのお仕事をされているのを確認し、これからうちも色々お願いできるかもなあ、と思いました。

本来の職業でやっていき、どうしても普通の支援者には難しい人たちにだけボランティアでかかわる。護道の宗家として活動する。

という廣木さんですが、途中まで花風社アンチと似ているんですよね。
どこが似ているわかりますか?

そしてどこに分岐点があったのでしょう?

そういう話を書こうと思います。
まずは鹿児島講演で廣木さんの話を聴いて考えたねこ母さんのブログを読んでください。
これ、大きなヒントです。


発達障害と新型コロナを経てあれこれ連想 その4

2020-10-18 07:31:49 | 日記
国民の小学生化その1 手段だったはずのものがなぜか目的化する

さて、鹿児島と高松の講演が終わり、私はのんきに日々を過ごしています。
鹿児島講演のご報告は全四回。どっとこむのブログで連載しました。
高松講演ご報告に移る前にこちらのブログを更新します。
発達障害と新型コロナ禍を経てわかったこと、続きです。

今回の騒動では日本人がみんな小学生に戻ってしまったような気がします。
いや、この小学生性はずっと引きずっていたのかもしれません。とくに引きずっている人は、教育現場にいたりするかも。だからこそ特別支援の弊害って大きいのですけれど、このパニックの中で人々が眠らせていた小学生性が明るみに出てきた気がします。とくに官とか主婦層とか、もともと小学生性と親和性が高いところがやっかいですね。

一つの小学生性の例として、「手段だったはずのものがなぜか目的化する」というのがあります。

緊急事態宣言下、週末のたびに県からLINEが来ました。曰く、鵠沼海岸が~箱根湯本が~と、人出を宣言前と比べて分析して送ってくるのです。「8割減」と言ったおっさんがいたから、それを達成しているかどうか数えているヒマな県職員がいたようです。本当に馬鹿らしい。
そんなの送られてきても人出の中に自分は入っていないし、「鵠沼海岸は76パーセント減。あと4パーセント!」とか県民を鼓舞するつもりなのでしょうか。「よし、あと4パーセント減目指してステイホームするぞ!」と県民が思うと思ったとしたら、それは県による県民の小学生扱いです。そもそも鵠沼海岸だろうと箱根湯本だろうとやってきているのは神奈川県民だけじゃないだろうし行ってもいないところの人出とか興味ないわ。

その県から送られてくる人出通信簿の中に「元住吉ブレーメン商店街」というのがあり、はてなんだろうと調べたら商店街らしい。T見とか、下町はわりと全開で開いているからヒマで仕方ない人たちは遊びに出かけているらしい。同じように下町のT島なら自転車で行けるので行ってみたらどこも密密密でとてもたのしかったですね。

先日、学校が開いた当時に話題になった馬鹿で過剰な感染予防はまだやっているのか皆さんにきいてみたら、結構やっているらしい。ただし私立はわりとフリー。厚労省の緩和に寄せてる感じ。その点公立はなかなか変わらないようです。

それどころか、時間が経つに連れ「ソーシャルディスタンス」に関して先生たちがあれこれ珍妙なアイデアを出して、子どもを道具にそれを実験して、またそれをメディアが取り上げて、みたいな子どもの育ち不在の地獄絵図が繰り広げられているようですが

でもね、皆さん、学校はこれまでもこういう場所だったんですよ。
教師たちは自分が叩かれないことを第一の目的にするし、そのために子どもを使う。
そしていつの間にか手段として考えつかれたものが目的になっているのが学校という場です。とくに小学校。

最近どこ行っても「医療を当てにしない方がいい」っていう話がとっても通りやすいです。
「42万人の8割おじさんとか、10万人のノーベル賞の人とか、東京は大変なことになるという鼻マスクのおっさんとか、全員嘘つきだったでしょ。だけど謝罪も撤回もしないでしょ。生まれつきの脳機能障害で一生治らない、っていうのも同じように嘘なんですよ」

と言うととっても通りがよい。

というわけでこのブログでちょっと、「教育を当てにしない方がいい」ミニシリーズをしますね。

その1は

学校という場所では手段だったはずのものがなぜか目的化する

っていうことです。

発達障害と新型コロナを経てあれこれ連想 その3

2020-10-02 08:42:18 | 日記
私たちは戦時中の同調圧力みたいなのをどこで学んだかというと、主として朝ドラだと思います。
こういう無体なこと言う人がいた時代があったんだなあ、というのは朝ドラに出てくる意地悪な国防婦人会みたいな人たちを見て知ったわけですね。ちょうど「エール!」もそういうフェーズにさしかかったようです。
それくらい戦後生まれにはぴんと来ないキャラだったわけです。同調圧力の国防婦人会。
地方出身の人はまた違うのかも知れませんが、私には見知らぬキャラでした。

でもコロナ禍で潜んでいた人たちが自粛警察となって現れましたね。
「自粛」に過ぎないのに遊んでいる人を非難したり。
国防婦人会の意地悪おばさんのDNAは特定の日本人の中で生き続けてきたわけです。

そして数ヶ月経って、感染率や感染経路、実際にかかった時の重症度等について明らかになってきてもまだ感染を恐れている人たちがいます。
少なくとも割り算ができない人たちですね。

国防婦人会のように他人が遊ぶのを非難し、未だに新型コロナを恐れている人たちがかつて「エビデンスガ-」と花風社を非難する方に回っていたとしたら
彼らにとって「科学的・非科学的」は言い訳に過ぎないですね。
いや、言い訳に過ぎないのは前からわかっていたんですけど、ではなぜ見知らぬ他人に口出ししてくるか、その構造が立体的に鮮明になったのがコロナ禍です。
あれは朝ドラにおける国防婦人会。洗脳が解けないままの人が押しつけてくる同調圧力だったんですね。

ではどういう洗脳か。
発達障害者支援法の成り立ちをひもといてみれば、一時的に過ぎない、そして産業的にこさえられたに過ぎない「一生治らない」を未だに信じている。
これは、感染経路がよくわからず、重症化度も基礎疾患のある高齢者以外にはさほど悪さをしないウイルスであるということもわからず、子どもが遊ぶ遊具を縛っていた春頃の恐れをまだ引きずって「東京今日は○○人」とか騒いでいる人と同じですね。
必死にマスクをし、自分を守ったつもりになり、「無症状者からもうつる」という厚労省さえ今は肯定していない説が否定されつつある状況証も勘案に入れず、会話を交わすこともない行きずりのノーマスク民を恐れる。これはどう見ても科学的な態度ではありませんね。

結局発達障害に関して、ギョーカイと違うやり方、ギョーカイののろのろぶりに飽き足らないで「六歳までに治る」道を開いてきた花風社に向けられた非難は、戦時中の国防婦人会のように「洗脳されたありえない恐怖感に突き動かされた人がかけてくる迷惑な同調圧力」に過ぎないとわかりました。

でもこの国は自由な国。
そして時代も変わっていきます。

アルパカ世代にはもはやTEACCHもいらないのです。
なぜなら身体アプローチ、栄養アプローチがあれば構造化などしなくても安定するから。
これを寿ぐ前世代もいれば、「自分たちはあんなに苦労したのに」という嫉妬深い前世代もいることでしょう。
身体アプローチ、栄養アプローチがあればあっという間に通り過ぎる構造化や視覚支援。
それをせっせと勉強し、夜な夜なラミネーターに向き合った世代から見ると悔しさも沸いてくるかもしれません。

はっきりわかったのは、花風社に向けられた「非科学的」という非難。
(これは私にとっては決してけなし言葉ではありませんでしたが)
その人たちが今なお新型コロナを恐れているとしたら、彼らこそ科学的ではない。つまりたんなるいいがかりだったということです。

それと「なぜ他人のうちの子育てに口出しするか」も国防婦人会で謎が解けましたね。
戦時中の生き残りに過ぎない。

でも時代は進んでいます。
栗本大久保対談は、4000円という価格にもかかわらず、200名近い方がお越しくださいました。
花風社初上陸の地、高松講演が残席数席になったそうです。
そのくらい、ギョーカイの洗脳に「あれ?」と思っている人は増えている。

高松講演のリモートでは、花風社のやってきたこと、これからやってきたいこと、なぜ発達障害は治るのか、ご説明します。
どうぞお楽しみに。

それでは私は鹿児島に向かいます。
本日と明日、お目にかかれます皆様、よろしくお願いいたします。
第一部ではギョーカイの仕組みをお話しします。
なぜギョーカイに依存しては道を誤るか。
廣木さんの実技の第二部を経て
第三部では「ギョーカイより強いリソース」についてお話しします。
後日配信もあるようですのでどうぞお楽しみに。

発達障害と新型コロナを経てあれこれ連想 その2

2020-10-01 07:10:49 | 日記
12月に行くGoToの地域共通クーポン券が22,000円分送られてきました。
舞い上がって喜ぶ私は庶民的です、実に。
ご家族の誰かがグループホームに入り、そこから就労支援に行って日中を過ごしているとなると、月に220,000円、私が舞い上がって喜んだ地域クーポン券の10倍の金額を、毎月毎月国家からもらっていることになります。お大尽です。

思うに新型コロナにまつわる様々な経済政策は、これまで直接国庫にお世話になることが少なかった私たちのような人たちに、国が直接なんかくれる非常にレアな機会です。
まあそれだけ大変なんだと思います。
でも今後健常者が国から直接何かもらう機会はないでしょう。ない方がいいです。
それに比べてグループホーム+就労支援の人たちは220万円を一生もらい続けられるのです。

それでもこれは安上がりなんだそうです。
何に比して? というと、精神科に社会的入院させられて一生を送るより。
社会的入院、問題になって久しいですよね。引き取る人がいない、精神医療が無力、等の理由で一生を病院で過ごす人たち。病院の固定資産になります。
だいたいは生活保護で医療費負担は0。ということは国民がその医療費を負担しているということ。
病院側からみると、その人さえとどめておけば国からお金が毎月入ってくるので固定資産という言い方がぴったり。その額、年にして5、500、000円。つまり、グループホームと就労支援の組み合わせだと半額に節約できるそうです。

ではこの社会的入院が何から始まったかというと、結核が治るようになったから、というのが意外なつながりでした。
結核はかつて死に至る病だったのですが、というか今も新型コロナよりは亡くなる人が多いようですが、治療薬ができて数多くのサナトリウムが無用になりました。
そこでそれまで座敷牢に入っていた精神障害の人を収容するようになったそうです。

座敷牢から精神病院は、進歩には違いありません。
けれどもそこで誰かの固定資産になったことも確かなのです。
私は軽度と言われる人たちが障害者に組み込まれていく経緯を思い出しました。

かつて福祉の世界は「措置」で回っていました。
支援の必要な人がいると事業者側に自動的に要支援の人が送り込まれていく。
事業者側としては営業の必要がなかったのです。

ところが自立支援法によってこれが取り上げられました。
それと引き換えに発達障害者支援法が始まりました。
これは今まで障害者じゃない人を支援の対象とする試みでした。
見ようによっては、事業者側への利用者の補充にも見えます。

それでも座敷牢から病院への移行が進歩だったように、軽度や知的障害のない発達障害の人にとってこれは進歩に見えました。
これまでなんの支援もなかったから、結局不登校になったり、ニートになったりしてきたのです。
それが終わるかもしれない。
期待したのは当然です。

行政側は何を考えていたのでしょう?
ニートや不登校を解決したいという問題意識はあったでしょう。
でも同時に、措置を取り上げた福祉事業者への手当の思惑もなかったとは言い切れません。

そもそも行政はなんでもかんでも自分でやれません。
大枠を決め、制度を作り、そして事業者を募集します。
それに最初に手を上げたのが、これまで囲い込むことしかしてこなかった人たちでした。
どこの県もとくに最初の頃は、発達障害者支援センターが山奥にあって不便だったのではないでしょうか。
それはこれまで措置で食ってきた福祉法人が最初に手を上げたからです。

利用者側から見ると、「不登校やニートのリスクを回避する方法を教えてもらえる」という期待があったとしても、実際にその支援の現場に携わるのは「囲い込みこそ支援」という従来型の福祉のDNAを持った業者だということも往々にしてあったわけです。

それでも行政としては、体裁は整えたのです。
とにかく「自立」というキーワードを入れる。
なぜか?
じゃないと税金を使う名目が立たないからです。
本当に自立に結びつく支援かどうかは現場次第。

それでも体制は整えた。
ここまでが行政の仕事。
そしてその制度を使って、たまには本当に自立に結びつく支援をする人もいます。
あとは市場原理。
選ぶのは利用者です。

結核が治るようになって、空き家になった病院が精神病院になった。
措置がなくなって、軽度の人、知的障害のない人も障害者支援の対象になった。

それは今回、新型コロナで閑古鳥が鳴いた病院の手当のため、無症状のホスト狩りを始めたのと似ていますね。
しかも今度は陽性者に10万円のご褒美まで出した。
そして感度の高すぎるPCRで陽性反応が出ると二週間隔離。無症状でも。その隔離の費用は公金です。
病院は無症状の人を留め置いて国庫から売上を得る。

これは自治体による干上がった病院への手当だったのかもしれません。
犠牲になったのは
中で退屈したホスト
その世話をした現場
無症状狩りで陽性者の数を稼がれてGoToから外されお盆の時期も都内にとどめ置かれた都民(いや、あくまで自粛ベースですが)
ですね。

干上がった病院への手当のためにお小遣いまでちらつかされてPCR検査を受けさせられたホスト

に御自分の立場を置いてみるといいかもしれません。
まさにこれが「早期診断・早期介入」です。
行政は意図を持ってその制度を作ったのかもしれない。
でも悪用する人はいるのです。

私が「発達障害、治るが勝ち!」で言った「めんどり」の意味がわかってくるかもしれません。