治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

発達障害と新型コロナを経てあれこれ連想 その1

2020-09-30 10:26:11 | 日記
先日の四者会談(ねこ母さん、南雲さん、廣木さん、浅見)でも話したのですが、発達障害者支援法・特別支援教育のていたらくとコロナ禍の二つを見て、「行政の使い方が日本人は下手である」ということが決定的にわかってきた気がしています。

それは「元刑事が見た発達障害」を作った経験もものを言っているかもしれない。
あの中で刑事経験者の榎本さんに、私たちは「警察が何を守ろうとしているか」教えてもらいました。

意外なことにそれは「自由」だったのですよね。
警察は私たちの自由を守ろうとしている。
誰かの自由が侵害されたとき、警察は圧をかける。
でも究極に守ろうとしているのは自由なのです。


と思った人は
「元刑事が見た発達障害」を読んでね。

警察も行政。行政はだいたい自由を守ろうとしているんだと思うのです。
それなのにこの国の民は「指令」されたがるのね。

一方で行政は、何もかも自分たちではできないから手先を使う。
そしてその手先に儲けさせようという力学も当然働いていますね。
一応役人は接待受けないことになっているけど、なんかの大会にかこつけて、厚労省の役人を社会福祉法人の人たちが飲ませる食べさせるなんて光景は、発達の世界でもいくらでもありますしね。
自分のところに補助金を下ろしてもらいたいから接待する。
それは民間とやっていることが同じです。

そしてこの「手先」の中には悪いやつもいる。
ある程度の悪いやつは織り込み済みで動かないと回らないと思います。
甚だしい場合には処罰が下る。

そういう仕組みですね。

続く

知れきった未来に向けての「療育」

2020-09-19 10:25:31 | 日記
さて、四連休。
いつものことですが、だいたいこういうとき私はお仕事です。時間と空間を自由に選べるライフスタイルを何十年計画で実現させてきたので、わりと人が遊べないときに遊んだりしています。その代わりこういう各地人大杉な時期はお仕事していることが多いです。
いずれにせよGoTo効果が出ているのならよいことです。

というわけで、少しはブログを書く時間も取れそうです。

13日の大久保悠さん栗本啓司さん対談「医者が教えてくれない育ちのアセスメント」、大評判ですが、事前打ち合わせのときに気づいたのは大久保さんが「重い人の集まる施設」で7年間利用者さんと寝食をともにした経験の大きさです。
それがあったからこそ、生活の中でのアセスメントにたどりついたのですから。
それは動画で確認していただくとして、私が思い出したのは、二十年前と今の親御さんたちの違いでした。

二十年前、私がこのギョーカイにニキさんに手を引かれるようにして入ってきて、とりあえずギョーカイの人たちと仲良くなったとき、親御さんたちは結構私と同年代でした。
親の会を一生懸命やっていました。
その多くが専業主婦でした。
放課後等デイがなかった時代で、現実的に働こうにも預ける場がなかったというのもありますが、逆に言うと卒業あたりにバブル時代だった女性陣は、シングルインカムで働けるおうちに収まっていることが多かったのです。
それで親の会を一生懸命やっていました。

先日の講演で廣木道心さんは「なるべく福祉に来ないで。福祉にはいつでも戻れる」とおっしゃっていましたが、その頃はそういう考え方はありませんでした。
むしろ親御さんたちの心配事は「卒後の居場所」でした。
それを獲得するために必要なのは、治すことではありませんでした。
有力支援者に取り入ることです。その寵愛を得ること。そして手厚い事業所に道を付けてもらうこと。
今とはサバイバル戦略が違ったのです。

だから土日を犠牲にしても各種啓発講演に主催者側として、あるいは動員された観客側として参加したし、支援者が地元に来たら接待に連れ歩いたし、観光にもつきあったし、支援者仲間が売りたいという各種高額セミナー(TEACCH,ABA,ソーシャルストーリーズ、PECS、その他)をせっせと親仲間で自己負担で広げていたのです。

大久保さんは施設職員として、そういう各種スキルをすべて学んできた人です。
ライセンスも取りましたしノースカロライナにも行きました。
そこで向こうのTEACCHが「カニ」なら、日本のTEACCHは「カニかま」だと悟ったりもしています。
つまり大久保さんはそのお立場上、従来型の療育スキルに関してもかなり学んだライセンスホルダーです。

そういった療育スキルは、安定しないままに学齢期を過ごし、施設に入所してきた人の安定にはとても役立ったそうです。
けれども一般社会で生きるためのスキルではない。
最初からそんなもの求められていなかったのです。
なぜか? 大久保さんの住んでいる地域は「先進地域」だから。
先進地域とはどういうことかというと、大きな社会福祉法人が揺り籠から墓場まで面倒みてくれる地域だということです。

そして卒後、巨大施設に入ると、そこでは手厚いケアを受けられます。
そういう知れきった未来が用意されているとなるとどうなるか?
特別支援教育が堕落するのです。
「どうせあそこで生涯を過ごすのでしょ」ということになり、そうなると別に育てなくてよいわけですから、一日中ビデオを見せていたりする。
こうやって子どもは安定しないまま施設に送られます。
親は支援者の機嫌取りに奔走し、最後は寄付金がものを言う。
最初から法人が正直に「最後は寄付金勝負ですよ」と言ってくれていたらまだよかったと思います。親の会なんかやらずに働いて貯金しておいた方がよかったかも。

こういう「先進地域」のシステムから抜け出す人を増やしたくて大久保さんは起業の道を選びました。

そして今、廣木さんがこのシステムが続かないことを講演会で警告してくれています。
なぜか?
「揺り籠から墓場まで」は支援者の犠牲の上に成り立っているからです。
そしてコロナ以降のこの国には、もうそういうお金もなければ、集団生活のリスクもわかってしまったでしょう。
色々な意味で「有力支援者の機嫌取り」ビジネスモデルは通用しないし、アルパカ世代の皆様にとっては、そんな時代があったこと自体に「ぽか~ん」でしょう。

なぜそんな昔話をしたかというと、大久保さんがどのような経験をしてきたかわかってもらいたいから。
それと、そういう頃の有力支援者たちの教えが先着1名様となって、今でも現実と乖離したアセスメントと療育をやっている支援者が若い世代にも多いかも知れない、と警告したいからです。
小学校教師たちは「上の言うことをそのまま聴いていれば安泰」というサバイバルスキルしか知らないので、子どもの健康にどうかという視点なしに子どもたちにマスクを強要するでしょう。若いのに柔軟ではない。自分で情報を収集し、自分で判断する習慣のない若い世代もいる。
それと同じように、若いのに柔軟ではない支援者が前世代の呪縛をそのまま引きずっていることもあるだろうから。

あと、今は親の会が下火なので、前世代の親御さんたちとのおつきあいはないと思いますが
前世代の親御さんたちは個人崇拝をサバイバル方法として選んできた過去があります。
だから皆さんが身体アプローチや栄養アプローチや、花風社について熱く語ると、個人崇拝と誤解することがあるかもしれません。

たとえば今皆さんが花風社に、浅見に、栗本さんに、感謝してくださるとする。
それは個人崇拝ではないですね。
療育なるものを受け、健全な社会人感覚として「これは変だ」と思い、何かオプションがないかと探したとき、あった! よかった!
今は有力支援者よりグーグル先生、と大久保さんは言っていました。
そして皆さんもグーグル先生にきいてみると、花風社は相当叩かれてきたこともわかる。
叩いた人のTwitterも見たりしたでしょ。
その結果その後ろ向きな愚痴っぽいツイートにうんざりし、「あ、この人がけなしているのなら本物かも」という判断することだってあったわけです。「花風社 トンデモ」とか出てきても、そのトンデモがっている人が全然イケてない人だったら、花風社を選ぶわけです。
「これだけ叩かれてきても治る路線を進んできてくれたんだ」という意味で「花風社あってよかった」「浅見さんに感謝」「栗本先生すごい」はあるかもしれませんが、それは二十年前、子どもを手厚い施設に送ろうと支援者の機嫌取りをしていた世代とは違うものなのです。

花風社読者の皆さんと私は、一冊一冊の関係で成り立っていますから、皆さんがお金を払い、私から本を買って、それで一旦終わり。
その他の本を買うかどうかはまた別の話ですから。
つまり皆さんが私を個人崇拝しても、なんのメリットもないのです、お互い。
ただそれが見えない世代が先行していた、という知識を持っておくと、前世代からの、そして前世代の呪縛からまだ逃れられない若い世代からの突っ込みにあまり戸惑わずに済むかも知れません。

それと、花風社などの民間企業は営業努力をします。
子どもの卒後を人質に取り、次々要らないセミナーを高額で売るようなギョーカイの甘い営業努力ではありません。
一冊一冊で勝負します。
うちは新刊のMLを流していますが、不要になったらいつでも配信停止すると明言しています。
そうすると「お世話になりました。十歳のときから読み始めましたが、このたび子どもが大学を卒業し、第一志望の会社に入ることができました。本当に今までありがとうございます」という配信停止希望のメールもあれば「新刊案内不要」の六文字が送られてくることもあります。
治ってもまだ、花風社の本は親子の健康と生き方の参考になると読み続けてくださる人もいます。
特定著者の本だけ必ず買う人もいます。
選択の主体はあくまで読者にあります。

けれどもこういう理屈が療育の世界には通用しないようです。
昨日「支援者が小姑的なあら探しをし始めたら療育のやめどき」という話があり、たしかにそうだと思いました。
民間企業はお客の新陳代謝を当たり前にとらえます。
そしてそのために必要なのは、誰かの機嫌取りではありません。少なくとも私の場合。
自分が正しいと思うことを、発信し続けることです。
それに共感してくれる人が新たにお客になってくれます。
志が違ったら、離れていくのは当たり前です。
去る客に媚びて信念を曲げる必要はありません。
けれども「誰かに気に入られないと生きていけない」というサバイバル方法を身につけて来た人に、これは理解できないんだろうと思います。

そして、療育の場を仕事場で選んだような人たちは、基本的に競争原理が嫌いですから
とりあえずつかまえた客を逃さないことが営業だと勘違いしているかもしれません。
そうすると、すでに療育の必要がなくなった人をつなぎ止めるために、小姑になるかもしれませんね。

藤家さんが支援を受けていた最後もそうでした。
私は支援組織からのダメ出しを聴いて、「この人たちは藤家さんにおしんの義実家のような家に嫁がせて姑仕えでもさせるつもりなのかしら」と思ったもんです。それくらい重箱の隅をつついて「まだ支援が必要だ」と言いつのった。
でもあれは、悪あがきだったんですね。

支援者の小姑精神が出てきたら、支援のやめどき。
これも花風社クラスタが発見した原則ですね。

今日は長々と昔話をしました。
参考にしてください。
かつて、支援者たちは知れきった未来しか想定していなかった。
でも花風社が想定しているのは
「昔、発達障害だったよ、でも治った」と口々に言う子が増える社会です。
花風社は発達障害に関するスティグマをなくしたい。
そのためには社会に「発達障害は治ります」と発信していくことが一番だと思っています。

神様からの贈り物は受け取る主義

2020-09-09 08:27:18 | 日記
さて、9月13日に迫った栗本さん大久保さん対談のお申込の方から、こういうメールをいただきましたので、今回のGoToについて書こうと思っていたことを思い出しました。

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zoom講座はいつも子どもに、ちょうど必要としている内容であることが多く、
受講後はどんどん良くなります。
今回も楽しみにしています。

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そう、タイミングなんです。


台風9号と10号の間をすり抜けてしかも向こうではたっぷりお日様を浴びられた今回の旅行。
奇跡のようなタイミングでしたが、いつでもこういうタイミングに恵まれるのが私だったりします。
花風社についてあれこれ評価するとき
浅見が強運な人間だということを花風社を構成している要素の一つに入れておくといいと思います。

2009年~10年の炎上の時、私は5年10年見ようと言いました。
その10年後が今です。
アルパカ世代の治り方すごいでしょう?
6歳までに治る時代がやってきたのです。

私には見えていたことです。
でもアンチはこの予想を外したのです。

そして正しい予測を可能にしているのが身体アプローチだと思います。
今回も身体アプローチ(地球金魚)をするために海水浴に行ったわけですが。






ミネラルやなんかの関係もあるのでしょうが
年に何回か海水にひたるのは身体によいことです。
真底リラックスします。
そうなるどどうなるかというと、判断が正しくなるのです。
身体が判断してくれるようになるのです。
身体の判断で正しい道が選べる。
これが身体アプローチの一番の成果です。

もともと今回の宿には7月も行きました。
去年までの定宿で、去年の5月、7月も行きましたが、緊急事態宣言の間は閉じていました。っていうか飛行機も飛んでいなかった。
日本中が分断されていたのです。
そして全国で緊急事態宣言が解除され、開けました、のお知らせが来たときに「行っていいのかな」と思いながら申し込んだら予約が取れて、7月に重装備して行ってきたのです。
このときLCCは満杯、ホテルも満室でした。
主に海で遊んで島の人にかかわるのは食事の時だけ、とすればあちらもあまり怖がらせず遊べることがわかりました。
あ、このときもまだ梅雨明けしていなかったのですが、とてもお天気に恵まれた旅行でした。「昨日まで雨続きでしたよ」と言われましたね。

帰るときに「9月にまた来ますね」と言って
帰ってしばらくしてから宿のHPにアクセス。
本当は9月3日から2泊が第一志望でしたが
その日は目当てのお部屋が埋まっていました。

私たちが気に入った部屋はメゾネットタイプ。
一階はオンザビーチで、二階からはきれいな海が見渡せます。






別の部屋なら空いていたのですが
1日ずらして2日から2泊だったらお気に入りの部屋が取れるので、そうしました。
これが結局、台風と台風の間をすり抜けるベストタイミングとなりました。
しかもGoToが始まったあと、宿からお知らせがきて、35パーセントオフになることを知りました。
小池さんはあくまでコロナを引っ張る気のようですが、早く都民も使えるようになるといいです。

台風9号はさほど直撃せず、どうやら行けそうだ。
でも次の台風も来ているしお天気悪そうだなあ。
海水浴が目的だから残念だけど、海を見ながらゆったりすごせばよい。
そう思って本を持って行きました。あ、ヨガの本も持って行きました。雨だったらテラスでヨガをやれば気持ちよいと思ったのですね。

そして着陸直前はこんな感じ。






飛行機を降りるとお日様が照っている。

お迎えのスタッフさんは「さっきまで降っていたんですよ」と。
「まさに合間を縫っていらっしゃいましたね」と。
結局その日もたっぷり泳げました。
ただ台風が去ったあとで水の透明度はありませんでしたけど
荒れていることもなく、普通に泳げました。

次の日は快晴。
たくさん地球金魚しました。
透明度もかなり戻ってきていました。






そして次の日も快晴。
透明度がぐっと戻ってきました。
一方でホテルの人は慌ただしくキャンセルの電話をかけていました。
翌日から避難生活に入るようです。

前にずれても、後にずれても、多分これほど遊べなかったな、というタイミングでした。

行っても雨ばかりならキャンセルしようかと思った瞬間もあったのですが
前の日欠航だった予約便が飛ぶことになったとき、これは流れに任せた方がよいだろうと思いました。
運の良さを呼ぶのはタイミングでもありますが、実は流れに身を任せることでもあります。
前の日欠航だった飛行機が飛ぶのだから、これは神様が行きなさいと言っているのも同然。
神様の贈り物は自覚的に受け取るといいです。次がやってきます。

そして皆さんも実は始終贈り物を目の前に差し出されているのです。
それはギョーカイのやり方に疑問を持ったときに知った花風社だったり。
情報を差し出されていること自体が、ギフトなんです。
だったら読んでみればよい。
それで決めればよいのです。
身体の緩急が可能な状態なら、正しい判断ができます。
緩急が自在でない身体は、正しい判断ができませんけどね。

私は自分の一番よいところは強運なところだと自覚していますが
それを可能にしているのは窮屈な同調圧力に合わせることではないし、人に嫌われまいと汲々として発言や振る舞いを制限することではありません。

「気持ちいい」を大事にする。
正しいと思ったことをやる。
いいと思った人とつきあう。
過去に縁があった知見や人脈でも害悪になったら断ち切る。やり直す。
そしてタイミングを読む。
流れに乗ったときはそこに身を任せる。

これだけで運は良くなるのに、なぜ多くの人が「人に悪く言われまい」とか「人と違うことをしてはいけない」とか「周りと同じ事をしていなければ叩かれる。不幸になる」とか、そっちに気をつければ大過なく過ごせるという誤学習を積んでいるのか不思議で仕方ありません。
それって学校や親から教わった前世紀の処世術では?
ていうかそれを教えてくれた人たちって幸せそうですか?
そんな方面に努力したって、幸せはやってこないのではないでしょうか。

小林よしのり氏「コロナ論」を読みました。
この間ずっと氏の言論を遠巻きに見てきたものにとっては目新しい情報はありませんでしたが
日本人の間に強い個を育てなければいけない、という結論には同意しました。
個が弱すぎて生きづらい人が多いことをはっきり見せてくれたコロナ禍でした。

私もささやかながら自分の活動を通じて
強い個を育てることに寄与したいと思いました。
第一発達の人はそれ以外生きる道がない、っていう人も多いですし。

でもそのためには最低限の条件をクリアしておかなければなりません。
それは心身のレジリエンスでしょうね。

というわけで、おそらく今回が今年の海での泳ぎ納めかな。
3月の小浜島、7月9月の奄美大島と、三回も泳げました。
外国に行けない、旅行も不自由だったコロナイヤーとしては、上出来だったと思います。