さて、9月13日に迫った栗本さん大久保さん対談のお申込の方から、こういうメールをいただきましたので、今回のGoToについて書こうと思っていたことを思い出しました。
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zoom講座はいつも子どもに、ちょうど必要としている内容であることが多く、
受講後はどんどん良くなります。
今回も楽しみにしています。
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そう、タイミングなんです。
台風9号と10号の間をすり抜けてしかも向こうではたっぷりお日様を浴びられた今回の旅行。
奇跡のようなタイミングでしたが、いつでもこういうタイミングに恵まれるのが私だったりします。
花風社についてあれこれ評価するとき
浅見が強運な人間だということを花風社を構成している要素の一つに入れておくといいと思います。
2009年~10年の炎上の時、私は5年10年見ようと言いました。
その10年後が今です。
アルパカ世代の治り方すごいでしょう?
6歳までに治る時代がやってきたのです。
私には見えていたことです。
でもアンチはこの予想を外したのです。
そして正しい予測を可能にしているのが身体アプローチだと思います。
今回も身体アプローチ(地球金魚)をするために海水浴に行ったわけですが。
ミネラルやなんかの関係もあるのでしょうが
年に何回か海水にひたるのは身体によいことです。
真底リラックスします。
そうなるどどうなるかというと、判断が正しくなるのです。
身体が判断してくれるようになるのです。
身体の判断で正しい道が選べる。
これが身体アプローチの一番の成果です。
もともと今回の宿には7月も行きました。
去年までの定宿で、去年の5月、7月も行きましたが、緊急事態宣言の間は閉じていました。っていうか飛行機も飛んでいなかった。
日本中が分断されていたのです。
そして全国で緊急事態宣言が解除され、開けました、のお知らせが来たときに「行っていいのかな」と思いながら申し込んだら予約が取れて、7月に重装備して行ってきたのです。
このときLCCは満杯、ホテルも満室でした。
主に海で遊んで島の人にかかわるのは食事の時だけ、とすればあちらもあまり怖がらせず遊べることがわかりました。
あ、このときもまだ梅雨明けしていなかったのですが、とてもお天気に恵まれた旅行でした。「昨日まで雨続きでしたよ」と言われましたね。
帰るときに「9月にまた来ますね」と言って
帰ってしばらくしてから宿のHPにアクセス。
本当は9月3日から2泊が第一志望でしたが
その日は目当てのお部屋が埋まっていました。
私たちが気に入った部屋はメゾネットタイプ。
一階はオンザビーチで、二階からはきれいな海が見渡せます。
別の部屋なら空いていたのですが
1日ずらして2日から2泊だったらお気に入りの部屋が取れるので、そうしました。
これが結局、台風と台風の間をすり抜けるベストタイミングとなりました。
しかもGoToが始まったあと、宿からお知らせがきて、35パーセントオフになることを知りました。
小池さんはあくまでコロナを引っ張る気のようですが、早く都民も使えるようになるといいです。
台風9号はさほど直撃せず、どうやら行けそうだ。
でも次の台風も来ているしお天気悪そうだなあ。
海水浴が目的だから残念だけど、海を見ながらゆったりすごせばよい。
そう思って本を持って行きました。あ、ヨガの本も持って行きました。雨だったらテラスでヨガをやれば気持ちよいと思ったのですね。
そして着陸直前はこんな感じ。
飛行機を降りるとお日様が照っている。
お迎えのスタッフさんは「さっきまで降っていたんですよ」と。
「まさに合間を縫っていらっしゃいましたね」と。
結局その日もたっぷり泳げました。
ただ台風が去ったあとで水の透明度はありませんでしたけど
荒れていることもなく、普通に泳げました。
次の日は快晴。
たくさん地球金魚しました。
透明度もかなり戻ってきていました。
そして次の日も快晴。
透明度がぐっと戻ってきました。
一方でホテルの人は慌ただしくキャンセルの電話をかけていました。
翌日から避難生活に入るようです。
前にずれても、後にずれても、多分これほど遊べなかったな、というタイミングでした。
行っても雨ばかりならキャンセルしようかと思った瞬間もあったのですが
前の日欠航だった予約便が飛ぶことになったとき、これは流れに任せた方がよいだろうと思いました。
運の良さを呼ぶのはタイミングでもありますが、実は流れに身を任せることでもあります。
前の日欠航だった飛行機が飛ぶのだから、これは神様が行きなさいと言っているのも同然。
神様の贈り物は自覚的に受け取るといいです。次がやってきます。
そして皆さんも実は始終贈り物を目の前に差し出されているのです。
それはギョーカイのやり方に疑問を持ったときに知った花風社だったり。
情報を差し出されていること自体が、ギフトなんです。
だったら読んでみればよい。
それで決めればよいのです。
身体の緩急が可能な状態なら、正しい判断ができます。
緩急が自在でない身体は、正しい判断ができませんけどね。
私は自分の一番よいところは強運なところだと自覚していますが
それを可能にしているのは窮屈な同調圧力に合わせることではないし、人に嫌われまいと汲々として発言や振る舞いを制限することではありません。
「気持ちいい」を大事にする。
正しいと思ったことをやる。
いいと思った人とつきあう。
過去に縁があった知見や人脈でも害悪になったら断ち切る。やり直す。
そしてタイミングを読む。
流れに乗ったときはそこに身を任せる。
これだけで運は良くなるのに、なぜ多くの人が「人に悪く言われまい」とか「人と違うことをしてはいけない」とか「周りと同じ事をしていなければ叩かれる。不幸になる」とか、そっちに気をつければ大過なく過ごせるという誤学習を積んでいるのか不思議で仕方ありません。
それって学校や親から教わった前世紀の処世術では?
ていうかそれを教えてくれた人たちって幸せそうですか?
そんな方面に努力したって、幸せはやってこないのではないでしょうか。
小林よしのり氏「コロナ論」を読みました。
この間ずっと氏の言論を遠巻きに見てきたものにとっては目新しい情報はありませんでしたが
日本人の間に強い個を育てなければいけない、という結論には同意しました。
個が弱すぎて生きづらい人が多いことをはっきり見せてくれたコロナ禍でした。
私もささやかながら自分の活動を通じて
強い個を育てることに寄与したいと思いました。
第一発達の人はそれ以外生きる道がない、っていう人も多いですし。
でもそのためには最低限の条件をクリアしておかなければなりません。
それは心身のレジリエンスでしょうね。
というわけで、おそらく今回が今年の海での泳ぎ納めかな。
3月の小浜島、7月9月の奄美大島と、三回も泳げました。
外国に行けない、旅行も不自由だったコロナイヤーとしては、上出来だったと思います。