治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

子どもたちへの八つ当たり

2020-05-30 11:45:37 | 日記
今日も朝から子どもの遊ぶ声が聞こえます。うちの前、公園なんです。
しかもイマドキなんにも禁止していない公園で、三角ベースボールとかやってることもある。昭和かよ、っていう風景です。

都内でも、そしてそれどころか感染のぐっと少ない地方でも、公園の遊具を縛るという愚行が繰り返されたらしく、私は子どもたちがかわいそうでかわいそうで、時々早朝散歩して自粛警察警察をやっていました。
幸いうちの辺では遊具縛りもなかったし、マスクなしで遊び回る子どもたちに目くじら立てる大人もいなかったようです

ニキさんは聴覚過敏で子どもの声が苦手とか言っていましたけど、それって実にかわいそうだと正直思います。
私にとって子どもの声は平和の象徴です。
昼下がり、自分が仕事しているとき前の公園から立ち上がってくる子どもの声には心和みます。

コロナ休暇のときの街の風景について、母がこう言っていました。
「戦時中を思い出したけど、あのときとは違ったことが一つある。それは父親たちが家にいたこと。あのときはどの家庭にも父親はいなかった」

戦争にかり出されていたからですね。

それに比べて、今度のパンデミックでは父親たちは家にいた。っていうかいつもより家にいた。都会の真ん中で親子で夢中で木登りする姿とかをみて、いいなあと思ったもんです。できれば今後もあのお父さんたちが今までよりおうちで過ごせる時間が増えますように。多摩川の向こうの昼間人口を減らすためにもね。

ところで

この文章、発表されたときの一般の反応と私の反応は大分違って

なんかさ~プロらしくない発言。
それに「底意地悪いなあ」でした。なんて底意地悪い人たちなんだろう。
こういう発言が、玩具を縛らせたりする愚行を産むのではないだろうか。





私の感覚が変わっていたのかもしれませんが

今読んだら皆さんはどう思うんだろう。
私の感じ方はそれほど特殊ですかね?

子どもに八つ当たりすることはないと思うんですが、この国は実に子どもへの八つ当たりが得意だし正当化されますね。おそらく学校が始まっても色々制度として子どもをいじめる施策が続くと思います。

それには声を上げていきましょう。

「潰しが効く人材」とは?

2020-05-29 07:21:39 | 日記
さて、色々書きたいことがありすぎて書けない日々。
そろそろとブルーさんの連載のまとめにお返事していきます。
最終回はこちら。



まず大前提として、私は「働くことは素晴らしいこと」と素朴に感じてきたと思います。
それは私自身が仕事をすることから多くを得てきた人間だからだと思います。
だから「仕事はいやいややるもの」という思想がどこか根底にある人とはそこから違います。
仕事をすることは素晴らしい。だからこそ、たとえ障害があってもその機会が与えられたらいい
というのが私の基本思想です。

そして自閉っ子たちに会ったとき、仕事をするための前提条件を満たしていないことに気づきました。
それは精神面でもコミュニケーション面でもなかった。
単純に体力の方に目が行きました。

私は首都圏の人です。さらに言えば神奈川の土着民です。
ので、「働く」とは「わりあい長時間満員電車で会社に通勤する」ということだと染みついていました。
なぜか通勤時間をいとわず神奈川に住み続ける人たちがいますが、うちの一族はそんな感じです。
まだ湘南に住んで都内に通勤している親族もいます。離れる気はないようです。

これがとくに過酷だとは思いません。
なぜなら地方は満員電車はないかもしれないけど、車の免許持っていなければいけなかったり、公共交通機関が不便だったり、職場の多様性が少なかったりするから。どこもその土地なりのメリットがあり、デメリットがある。そして日本は(今は一時的に実に曖昧なかたちで制限されていますが)基本的に移動の自由、居住地を選ぶ自由がある国です。

私が社会に出た頃、そしてそれからしばらくは「週五日働けばなんとか食べていける」時代が続きました。
だから私が赤本(『自閉っ子、こういう風にできてます!』を作るときの問題意識はそこにありました。
「なんとか週五日通勤に耐え、仕事をし、帰ってくるだけの体力があれば社会参加できる」
その問題提起が赤本でした。



けれどもそれから世の中に変化が起きました。
雇用の非正規化。いや、非正規雇用はそれまでもあったのだけれど、「稼がなくていい人たち」がそういう仕事を担っていた。けれども自立する必要も意欲もある人たちが週五日働いても食べられない時代がきたのです。

そこで私が『発達障害、治るが勝ち!』の中で提言したのがベーシックインカムです。
とくに自営で生きていきたい人の準備期間を経済的に支える仕組みができればいいなと思っていました。
その理由の一つは、私が自営のメリットを早くから訴えていたせいでもあります。
ニキさんを見て、感覚過敏があっても家が職場なら自分で環境作りをできることに気づいたからです。
ただ自営は経済的に不安定。ニキさんのように配偶者に支えられる人ばかりとは限りません。
だったらできる範囲で仕事をしつつ、足りない分は社会が支えるような、そういう仕組みを提言したのが『発達障害、治るが勝ち!』です。

ところで都内はまたこみはじめたのでしょうか。

緊急事態宣言が解除されてすぐ、ある流通関係の取引先から「社長、折り入ってお話が」というメールが来ました。
私はオンラインで済ませてくださいと言いました。
そういうことが言いやすい環境になりました。

今回、自宅からオペレートする自分の働き方がどんぴしゃりとはまりましたが
それは実は、20代から目指してきたものです。
そして20代の頃には想像もつかなかったテクノロジーの発展がそれを実現してくれました。

まさかパンデミックが来るとは思いませんでしたが
結果的に自分で(リスクを取りつつも)働き方を選んできたことは、現在回復しつつある都市機能を十分堪能しながら徹底的に三密を避ける生活を可能にしています。

なぜ20代の頃からそれを目指したかというと
男女ではどうしても体力の違いがあり、40代50代の女性たちがいくら待遇がよいとはいえ疲労をにじませていくのが見えたからです。
ある程度歳を取ったら通勤から自分を解放しようと画策してきました。
長時間労働は平気です。でも通勤は無駄に思えました。

私が自力で長年かけて実現してきた「通勤からの解放」がコロナ休暇では多くの人に自動的にもたらされました。
その結果満員電車がちょっとはすいて、都心の昼間人口が減るのはとてもいいことだと思います。
これを元に戻すのはもったいない。その点だけは、都知事に同意します。
通勤した方が生産性が上がる人はすればいいと思いますが。

そして、働き方が変化していけば
「資本主義社会で潰しが効く」特性も当然変化していくと思います。

コロナ休暇の間に断捨離していたら、平成19年に佐賀で講師を務めたときの書類が出てきました。
厚労省の事業で、発達障害者の雇用促進セミナーでした。



私はここでテレワークについてしゃべったのです。
そして空気が冷えました。
なぜなら当時、障害のある人がテレワークするなんて考えられなかったから。
そして雇用率を満たすことが目的の企業、介入しつづけることが目的の福祉、家から追い出す事が目的の保護者、いずれのニーズにも「障害のある人のテレワーク」は合致しなかったから。

やっと時代が私の提言に追いついてきました。

今回、障害者枠でテレワークに移行せざるをえなかった人たちがたくさんいますね。
どうだったのでしょうか。

これからの「潰しが効く人材」とはどういう人たちでしょうか。

その正解はまだないかもしれません。
でもあれだけ弱かった藤家さんがテレワークどころかエッセンシャルワーカーとしてこのクライシスの中大活躍したこと
鋭い分析と表現力を仕事以外の場で発揮して出力依存性原理をいかんなく使ったブルーさんが昇格したこと
これは大きなヒントになると思います。

ブルーさんの連載にはこれからも記事の中で触れていくでしょうし、コロナ禍で学んだことについても触れていくでしょう。
とにかくどこからか書き出さないといけない。
これはそのための記事とお考えいただければ幸いです。

31日栗本さん講演「感覚過敏、治るが勝ち!」レジュメ

2020-05-20 16:28:15 | 日記
今日は忙しすぎて図らずもステイホームしてしまいました。
それでもみんなとつながっている。
廣木さんには増刷のご報告。こんな時期に増刷するなんて印刷所も「へ?」っていう感じですよ。
でも考えてみたら、今ほど『自傷・他害・パニックは防げますか?』と切実に知りたくなる時期はないかもしれません。



というわけで市中(っていうほど市場は開いていませんが)在庫はしばらく薄くても、もうすぐ売るほどできてきますから、皆さん待っていてね。ここから直販でお申し込みいただければ増刷入り次第お送りいたします。



さて、31日の栗本さん講座「感覚過敏、治るが勝ち!」レジュメできあがってきました。
これはすごいです。
コロナ禍を経たあとだからの知見が聴けそうです。
これは絶対聴いた方がいいですよ。

南雲さんと浅見のプレ講演から聴きたいと明日が振込締め切り、延ばしてもあさってです。
そのあとでも栗本さんの講演は聴けますよ。
それだけでも価値ありますよ。
こんな内容です。

=====

「感覚過敏、治るが勝ち」

1) ウィズ・コロナ時代ともに生きる
  ・コロナが終息しても神経過敏は残る
  ・余剰体力をどう解消していくか?
  ・身辺自立を育てる



2) 改めて感覚を育てるとは?
  ・子どもと大人の違い
  ・違いがわからないために起こる脳の混乱
  ・ウェーバー・フェヒナーの法則
  ・親、支援する側の「思い込み」を外す



3) 首から上の感覚器官・運動器官の状態に注目
  ・筋肉三兄弟の発達と感覚過敏
  ・表情と感覚過敏(鈍麻)
 
 

4) 姿勢と感覚過敏
  ・様々な感覚刺激の中で「壁」がないものは唯一重力だけ
  ・姿勢が偏ったままなら感覚も偏る(個体の中での偏り)



5) これからの時代に適応できる身体になるためには(実技篇)


=====

お申し込みの方は
zoom☆kafusha.com(☆をアットマークに変えてください)にメールしてください。
よろしくお願いいたします。

「新しい生活を構築する」浅見レジュメ発表

2020-05-19 14:09:18 | 日記
こんにちは。

23日のプレ講演と31日の本講演に続々お申し込みいただきましてありがとうございます。
プレ講演に参加するには21日までのお申し込みとお振り込みをお願いいたします。

先だって南雲明彦さんのレジュメを発表しましたが
浅見のレジュメも発表いたします。

=====

新しい日常を構築する 浅見淳子

コロナ禍における花風社読者の皆様を見て
1 治っておいてよかったこと
2 生活リズムの大切さ
3 主体的な情報収集の大切さ
4 名もなき遊びの大切さ
5 学習習慣の大切さ
6 家族の大切さ
7 集団への再統合に注目

コロナ禍で得た残しておいてもらいたいもの
1 多様なワークスタイル
2 衛生観念
3 早寝早起き
4 居住場所の自由な選択

コロナ禍で味わったストレスとその対処法
1 発達障害の状況と似たところ
2 その中でどう生きるか
3 家族との関係

超極私的コロナ時代の乗り越え方
1 今回強かったこと
2 今回弱かったこと
3 引退撤回、その理由
4 今後の人付き合いに関し今うっすらと考えている方針
5 今後どういう仕事をしていくか
6 今後どういうところに個人的には住みたいか

=====

ご興味のある方はzoom☆kafusha.com(☆をあっとまーくに変えてください)までお申し込みメールをください。
よろしくお願いいたします。

ブルーさんに感謝していること

2020-05-15 09:01:09 | 日記
おはようございます。
とにかく早く寝てしまうので私の寝た後に色々起きても気づかない日々です。

さて、

ブルーさんのアンチ考察、あとがきその1がアップされました。




私はこの連載が始まる前はアンチの行動が不可解で、「なんで自分が選ばなかったもの(花風社)にあれほど執着するのだろうか」と考えていたのですが、謎が解けました。
とくに「モビング」というものを教えてもらい、生物としての恐怖を感じたときの本能的な対処方法に彼らが従っている(従わされている)だけだと知りました。
そしてこっちには彼らを見る理由がない。理由は二つ。
それはブルーさんの言うとおり、
・彼らから学ぶものがないから
・彼らは私たちにとって脅威ではない
という二つですね。

そして智ママさんからの書き込みにびっくり。



まずはお見舞い申し上げます。
おおごとにならなくてよかったです。
そしてLINE仲間(元)の恐怖麻痺すごい。
それ以上に、それを堂々と言えてしまうことがオソロシイと私は思うのです。

まずいかなる風邪も感染症もLINEではうつらない。
でもここまで恐怖することは、もともと脳汁の問題なんだろうし、それまでの智くんの躍進エピソードでくすぶっていた何かがあったのかもしれない。

いずれにせよ「結果の差」を受け入れられない人が「できない人の気持ちをわかれ」と言って勝手に謝罪を要求する、という場面にはよく出会いますが

そのとき支援者は、その無理難題を言う人の肩を持ちますね。
「聞き分けのない」方の肩を持ちます。
それが「寄り添う」っていうことらしい。

私は逆ですね。
だからこそある種の人は私を強く嫌うのだと思います。
私は「そんな卑屈なこと考える脳汁を治せ」という方ですから。

元から「頑張れない人の気持ちをわかってください」みたいなことはよく言われますが
頑張れる人、結果を出した人がなぜ頑張れない人、結果を出せなかった人の気持ちをわからなきゃいけないのでしょう。理解できません。そんなのわかる訳ないしわかる必要もない。


たとえば智くんが躍進した。
それは智くん一家が選んだ手段(身体栄養アプローチ)が少なくとも智くんには奏功していた。
その結果支援校ではなく育成級に行けた。
ランドセルを背負う体験ができた。
その結果税金も節約できた。
その事実を言うことのどこがいけないのでしょう?

そこがさっぱりわからないのですね。
そして支援校に行くことになったのだったら「税金のことは言わないで」ではなく「うちの子は税金かけてもらってるんだわありがとう社会」になる方が普通だと思うんですけど、違うんですかね?

私はブルーさん感謝しているけれどそれは
とにかく彼らの仕組みを教えてもらって、
「彼らはこちらを恐怖し続けるのだろうけど、こちらが彼らを警戒する必要は一切なくなった。私はこれからも花風社の姿勢を支持する人に向けてのみ仕事をしていけばいい」と教えてもらったことですね。
ブルーさん本当にありがとうございます。


最初の思い込みの強さ

2020-05-13 07:30:35 | 日記
さて、ブルーさんがどっとこむに連載してくださっている「花風社アンチ考察」の最後の番外編として、
花風社アンチの考察:番外編4「花風社アンチとコロナ脳は同じ人種」を書いてくださいました。



私はかねてよりコロナ脳と花風社アンチは「似ているなあ」と思っていたので膝を打つ思いでした。
どう似ているかというと、「どっちもリアルでは周囲にいない」という意味でもそうですね。

今回私は、自分は引きこもるのにいいところに住んでいたなあ、とつくづく思いました。
都市機能があり、緑が多い。
昼間人口が多く、平日は働きに来ている人目当てのインフラが充実しており、つまり週末は空く。
そのあまり多くない週末人口が身体を動かすだけの場所が十分ある。もともと運動するのに向いた街ですから。

それと住民が多くなくて、とくに高齢の住民が多くなくてよいのは、コロナ脳に侵された自粛警察が跋扈しないことです。
おかげで子どもたちはのびのびと遊んでいます。
遊具を縛るような底意地の悪いことも行われていません。
びっくりしたのははるかに感染者数の少ない沖縄の公園でも遊具が縛られているのをFBでみたことです。

都内でも自粛警察をやっている高齢者がいるみたいですね。
というか高齢者の自粛警察は都内の方が多いようです。感染者が多いからでしょうか。だったら老人こそ家でじっとしていればいいのに。子どもたちよりずっとリスクが高いのに。
マスク戦線に参戦したのも各地高齢者が多いようですが、彼らは本当にマスクがないと死ぬとでも思っていたのかもしれませんね。

一方では感染者少ないにもかかわらず、役所の街宣車みたいなのが外出自粛を呼びかけたりしている地域もあるらしい。
このあたりでそういうメッセージを放っているのは、横浜市が今だけBGMを呼びかけに変えているらしきごみ収集車のみ。
おまわりさんがたくさんいたので外出を取り締まっているのかと思ったら、ねずみ取りしてました。

ワイドショーがかなりひどいらしく、母がコロナ脳になりかけましたが、最近は自宅マンションの下まで行って呼び出してもマスクなしで降りてきます。
英独以外も欧州言語を読める夫は早いうちから情報を仕入れ「そもそも日本には自粛の必要すらない」と言っていました。配信授業の準備の関係で割合と通勤しています。

目の前の公園では子どもたちは暗くなるまで遊んでいます。
ああやって丈夫な身体を育て、感染症に強くなっていくのだからいいことです。
それに文句をつける人もいません。
学校が始まったらすっと戻っていくでしょう。

今回わかったのは、非常時において、政治・行政は健康な人の健康を守る気がないということ。
だったら自衛をしなくてはなりません。自粛より自衛。そのためには情報収集と身体感覚を研ぎ澄ますこと。
行政の言うことを真に受けていた人は、出口戦略に苦労するでしょう。そもそも運動不足、日照不足になっている可能性も高い。

私が行政の言うことを一つ一つ吟味し、彼らの論調の移り変わりに合わせて「ああ、ここまでわかってきたのだな」と判断し、動いてきたのは、発達障害の経験があったからだと思います。
「生まれつきの脳機能障害で一生治りません」。
私もそう信じていました。
でもそうじゃないとわかりました。
行政はときとして、途中の結論を言うことがわかりました。
その途中の結論を信じていた方が都合がいい人たちがいったん利権を獲得すると、なかなか情報の書き換えが進まないことも見ました。

それと行政はときとして、国民全体より特定集団の利益のみを守ろうとすることもわかりました。農水省の「牛乳飲め」がそのひとつです。自分の体調を崩してまで牛に合わせることはありません。牛乳と相性がいい人、好きな人がどんどん飲めばいいだけです。ただしマグカルバランスに気をつけて。感染予防の観点からも。

先日某所で二月くらいに配られた新型コロナに関するチラシを見ました。今は違っている情報がまだ載っています。
不顕性感染者が他人にうつすか。
あの時点でもそれには懐疑的な記述だったのです。今読むとわかります。それがなぜか「うつす」と一人歩きした。おそらく非リアの人が不安に駆られてリア充な人を攻撃する理由としても都合がよかったのでしょう。
これを書き換えられない人がいる。
濃厚接触者の定義も書き換えられた。そうしたらマスクを着用すべき場所も変わってくるのです。
これから暑くなり、冷感マスクみたいなのが開発されるでしょうから、そのメーカーの利益のために「暑くてもマスクをすべきだ」という論調が起きることも予測されます。
本当にそうかどうか、自分の身を守るために自分で情報仕入れて自分の頭で考えましょう。

怖がりの人たちは情報を書き換えられない。
そういう意味でコロナ脳と花風社アンチは似ています。
そういう情報を書き換えられない理由は座波さんが説明してくれた。



「一生治らない」と信じている以上、治らないのでしょう。彼らは。
その人たちに引きずられる必要はないのです。
治るんですから。
事実この危機の中で有名なお医者さんたちが的外れなメッセージを出していても、花風社クラスタ有意義に楽しく過ごしているじゃないですか。
それが何よりの証拠です。

ブルーさんがこの連載を仕事のお部屋に置いた理由ははっきりわかりました。
ブルーさんは「現実を受け入れよ」と発達の仲間に伝えたかったのですよね。

新しい生活を作ろう! 「どこでも治そう」zoom講演のお知らせ

2020-05-10 06:50:01 | 日記
お世話になっております。花風社の浅見です。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
そろそろ新しい生活を構築する時期がやってまいりました。

本日はかねてよりウェブでお知らせしておりますとおり、神奈川、長崎でそれぞれ行
われます「どこでも治そう」イベントのお知らせです。

1 「どこでも治そう チーム神奈川」 テーマ 「新しい日常を構築しよう」

プレ講演 5月23日10時半より。
内容: 浅見淳子によるミニ講演「治るかどうかは生きるか死ぬか コロナ禍の中で
見えたこと」に続き、南雲明彦氏による講演「支援を整理する時代へ~生き抜くため
の作戦会議~」を行います。


コロナ禍を経験した後、発達障害者支援の世界がどうなっていくか、その中で私たち
は何を目指すべきか。
皆様と考える時間にしたいと思います。

本講演 5月31日13時半より
講師 栗本啓司氏
テーマ「感覚過敏、治るが勝ち!」

コロナ禍で不自由な生活を強いられる中、花風社読者のお子さんたちはほとんど乱れ
がありませんでした。
中でも感覚過敏が治っていたことがご本人に安定をもたらし、ご家族を助けました。
花風社には『感覚過敏は治りますか?』という本があります。
今回はこの本についてとことん解説し、また栗本氏がこの状況で得た最新の気づきを
お話いただきます。

本講演についてはこちらをごらんください。



また

南雲明彦氏、栗本啓司氏の参考図書についての説明は以下のURLからごらんいただけ
ます。
花風社HPよりお申し込みの際は送料無料にてなるべく早く送り出しますので、未読の
方はどうぞご検討ください。

南雲明彦 浅見淳子著 「治ってますか? 発達障害」



栗本啓司著 「感覚過敏は治りますか?」





2 座波淳氏講演会in 長崎

『発達障害でも働けますか?』の著者、座波淳氏の講演会を長崎で行う予定です
が、会場の申し込みは締め切り、zoom枠を設けました。
こちらも「コロナ禍のあとにくるもの」を踏まえた内容になりそうです。


会社員である座波氏の講演は視聴のチャンスが限られています。
ぜひこの機会をご利用ください。


【両講座、お申し込み方法】

いずれの講演も参加費は1名3000円です。
お申し込みの方は、件名(神奈川 もしくは長崎 もしくは両会場)
をお書き添えの上
・お名前
・配信先メールアドレス
をお書き添えの上
zoom☆kafusha.com(☆をアットマークに変えてください)
までお申し込みください。
そして1講座1名あたり3000円(両講座の場合には6000円)を花風社の口座にお振り込みください。
お振り込み先をご存じない方はメールにてお問い合わせください。

・神奈川にお申し込みの方へ:
5月21日までにお振り込みいただくとプレ講演からご視聴いただけます。
それ以降のお振り込みも可能ですが、本講演のみのご視聴になります。

・長崎にお申し込みの方へ:
ミーティングのアドレスとパスワードは入金を確認した方に
6月に入りましてからお送りいたします。


以上よろしくお願いいたします。

花風社 浅見淳子

追伸
座波淳さんの著作『発達障害でも働けますか?』はこちらにてお求めいただけます。
未読でしたら講演前のご購読をお勧めいたします。


今このときにふさわしい内容揃いの講座です。
皆様のご参加をお待ちしております。
そして皆様、お身体ご自愛くださいませ。
生き抜きましょう。

浅見淳子



私たちは正しかった その2 だからこそ発信し続ける

2020-05-09 08:32:15 | 日記
さて、5月23日と31日に行われる「どこでも治そう on zoom」produced by チーム神奈川
のテーマは「新しい日常を構築しよう」です。

私たちは非常時を経験しました。
それは全世界どこにいても逃れられないものでした。
そしてわかったこと。
それは花風社クラスタがやってきた「一次障害を治す」が正しい取り組みだったということです。
ご本人のために、ご家庭のために、そして社会のために。

なるべく一次障害を治す。
なるべく支援を減らす。
そうやって取り組んできた読者のご家庭は、こういう時でも乱れませんでした。
むしろ密を減らしたい事業所の一助となるべく、ご家庭での時間を増やした(増やせた)ご家庭も多かった。
そして親子楽しく暮らし、この間にもどんどん発達していかれた。

お子さんだけではありません。

赤本こと『自閉っ子、こういう風にできてます!』のときにはあれほど過敏だった藤家さん
しょっちゅう発熱して身体も弱かった藤家さんがエッセンシャルワーカーとしてきつい現場で仕事をこなし社会貢献している。
歩くこと、ものをつかむことも覚束なかったこよりさんのご次男も同様。
他人への思いやりも育ち、様々な家庭の事情で職場に来られなくなった同僚の分も仕事をこなしている。

これもすべて、土台から身体を育て、
なるべく一次障害を治し
体感と情緒が安定する生活を目指してきたご本人とご家庭の努力の賜物です。

いわゆる重い方も同様。
福祉作業所が閉まってもおうちで穏やかに過ごしている人たち。
有名なお医者さんでも患者さんの多くが乱れているそうですが
一向に乱れが見られない花風社クラスタのお子たちです。



わかったこと。

ていねいにていねいにその子の身体を育てていくことは、非常時にも周囲と協調して生き抜く強い人に育てること。
自立性が一つでも高まれば、それだけ社会貢献だということ。
食事が、排泄が、一つでも自立していればそれだけ誰かの負担を減らせること。
それがわかったコロナ禍でもありました。

一方で、ギョーカイ発の支援はあくまで平時の支援に過ぎなかったことがわかりました。

そして不要な資格商売が鳴りを潜めるのも見ましたね。
いらない資格はいらなかった。

まさに「支援者は、もういない」世界がやってきます。



「ありのままでいいんですよ」と偏食をほったらかしにしておいたご家庭では、買い物もままならない中で苦労が続いたでしょう。

恐怖麻痺に駆られた家族は先行きの見えなさに親子でメンタルを崩したでしょう。

怖がりの親に育てられたばかりに、太陽や外の風に当たることさえできていないお子さんもいるかもしれません。
「ステイホーム感染」も増えてきたということ。お日様にもあたらなかったらそりゃそうでしょうね。

学びの機会を失った子どもたちに積極的な手当をしたご家庭もあれば
将来を嘆き、自粛警察活動に日々を費やしていたご家庭もあるかもしれません。
当然差がつきます。

(それにしてもいい加減休暇も続きすぎ。
そろそろ子どもたちを学校に戻してあげてほしいですね。)

呼吸器やアレルギーなど、基礎的な疾患を治そうという花風社クラスタの試みを「トンデモ」と馬鹿にしていた人たちは基礎疾患をほうっておいたがゆえにより不安な日々を過ごしていたことでしょう。

「お母さんは頑張らなくていいんですよ」と甘い言葉をささやいていた支援者たちも最後には自分の身を守りたい。マスクもつけられない子をもう送ってこないでと訴える。それは生き物としての本能。最後の最後には支援者も我が身を守るのがよくわかったと思います。

視覚支援でスケジュールを提示しようにも、今は大人だって、健常者だってこの先どうなるかわかりません。

今後立ち直りに莫大なお金がかかり、発達障害にお金が回らなくなったとき、金目当ての支援者たちはどんどん去っていくでしょう。

障害特性にあぐらをかいていた「使えない労働者」は真っ先に首を切られるかもしれませんね。


私たちはpost and/or COVID-19の発達支援がどうなるかに注目しています。

一方でとっくに支援を当てにしないで済む方に舵を切っているのが私たちです。だからこそ強かった。

こういう非常時を経験したからこそ、これから作る「新しい日常」はより一層「一次障害を治す」に向かっていく。疫病がこれだけ生活を変えることがわかった。社会が障害特性を配慮しようと、ウイルスは配慮しない。そして今後お子さんたちが生きていく長い時間の中では、こういうことがまたあることかもしれないからです。

こういう状況の中で、新しい日常に向けて、花風社では「どこでも治そう on zoom」produced by チーム神奈川

を行います。

5月23日には浅見のミニ講演。
「治るかどうかは生きるか死ぬか コロナ禍の中で見えたこと」
について話します。
新しい日常を作る。
経済を立て直す。
すべて主語は「私たち」です。行政ではありません。
そういうことを話します。

浅見ミニ講演に続き、南雲明彦さんに

「支援を整理する時代へ~生き抜くための作戦会議~

というテーマで話していただきます。

下記が南雲さん講演の今のレジュメです。

=====

 コロナ時代をどう生きる?
(1) 自己紹介
(2) 新型コロナウイルスの影響で「普通」が変わる
(3) 見通しが立たない時代をどう生きる?

 支援者はもういない
(4) 一億総ステイホームの幕開け
(5) 「生きづらい」と叫んでも、誰も来ない
(6) 「ありのままでいいんだよ」では、生きていけない

 充実したステイホーム
(7) 自己肯定感より、安定した衣食住
(8) YouTubeは支援の宝庫
(9) 子どもたちに必要なのは自己肯定感ではなく「役割」
(10) 家族(親子)の力が試されている
(11) 子どもは支援されるより、支援したいと思っている

 支援の整理整頓
(12) コロナで不要のものは整理される
(13) 必要な支援は自分たちで生み出す
(14) 家族は生き抜く土台

=====

「生きづらいと叫んでも、誰も来ない」
「ありのままでいいんだよ、では生きていけない」
「自己肯定感より、安定した衣食住」
「子供たちに必要なのは、自己肯定感ではなく役割」

これが私たちの提言する「新しい日常」です。


そして本講演は5月31日。
栗本さんの講座です。
仮タイトルは「感覚過敏、治るが勝ち!」

今回、どれだけ感覚過敏を治しておいてよかったか、よくわかったと思います。
感覚過敏がないことは、生活をラクにし、自分を守り、家族を含めた他人を守ります。
そして花風社には『感覚過敏は治りますか?』という本があります。
各過敏(聴覚過敏、視覚過敏、触覚過敏等)別に具体的な治し方を書いてあります。
あの本の活用の仕方を徹底的にやります。

花風社の取り組みは正しかった。
だからこそ花風社は、今後も発信し続けます。
そのための土台もあります。

5月はチーム神奈川
6月は長崎の「どこでも治そう発達障害」企画。

皆様との対話の中で私たちは
「新しい日常」への模索を続けます。

週末のうちにMLを流します。
そのあとこのブログに要項を貼ります。
皆様のご参加をお待ちしております。



座波さんとの会話 コロナ脳な人たちが職場に帰ってくるとき

2020-05-08 05:46:58 | 日記
さて、今日は二回ブログを更新するつもりです。
というのは、週末に2回分のzoom講座のご案内を出したく
その前に「それぞれの講座がこのコロナ禍のさなかでどのような思考をした結果生み出されたものか」皆さんにお伝えした方がいいと思ったからです。

まずは6月13日、長崎で予定されている座波淳さん講演会でどんなことが話されるか。
何度も言いますが座波さんは会社員で一般向け講演会の回数は限られています。
これまで花風社関連では横浜・大阪とやっていただきました。
そのときの皆さんのリアクションが次の講演に活かされています。

ブルーさんの連載にもあったとおり、心理士は全身で情報処理できる人じゃないと使い物になりません。
Twitterを痰壺にしている心理士たちはそれができない。だから治せない。
それに対し全身で情報処理・判断できるようになるためのアプローチが「身体アプローチ」「言葉以前のプローチ」です。

座波さんはよく私の「無意識の賢さ」を褒めてくださっています。
今この時期になぜか内部留保が積み上がっていて、会社の危機がないのも、無意識のなせるわざ。
「花風社もっと続けろよ」ということでしょう。
だってこれだけ私たちがやってきたことが正しいことがわかってしまったしね。

最近全身使って情報処理した私の体験を二つ。
実は緊急事態宣言が出てすぐに、自宅のボイラーが壊れました。
お風呂掃除していて水しか出ないなあと思った。
いざお湯を張ろうとしてもだめ。
エラーメッセージが出て、お風呂だけではなくボイラーが壊れたことを知ったのです。

こんなときだからなかなか修理も来てくれないかも、と思ったのですが翌日来てくれると言うこと。
日本でよかった。
さて今日はどうしよう。ジムはやっていない。お風呂入らないで済まそうか。
と思って検索してみると、銭湯はインフラ扱いなので休業してないのですね。そして近くにあるのです。

最初は新型コロナのことについて専門家もわかってなくて、あれもだめこれもだめと言われていましたが、だんだん正体がわかってきたのはアップデートされていた私。
銭湯に危険はないと判断しました。
身体にきいてみても「お風呂入らない」より「銭湯行く」の方が安全そう。
第一本当にその銭湯がやばい空間だったら踵を返してくればいい。
というわけで銭湯に行きました。

入場に際しては手指消毒、検温、そして住所を書く。
クラスターになったときに追跡しやすいようにですね。
でも空間的にやばい感じは全然しなかった。
中入ってみたら他にお客なし。濃厚接触(定義変わりましたね)の心配がありようがない。
大きなお風呂を一人でゆうゆうと使って気持ちよくなって帰ってきました。

それから四週間近く経ちましたが、私はぴんぴんしていますし保健所とかから連絡もありません。銭湯がクラスターになったというニュースも全国的にない。

一方で「これはやばい」と引き返した空間もありました。
まだ営業していた某ファストフードチェーンにアイスコーヒーのテイクアウトしようと入ったとたん、秒で踵を返しました。ここは危険だ。
その後閉鎖され、また数日たって開いてますから、なんかあったのかもしれません。

こういうときこそ、全身の判断を信用しなくてはなりません。
でもそれには細かな情報アップデートが生きているはず。
発達障害同様、最初は専門家もわからなかった。「社会が理解すれば生きやすくなる」なんて真顔で言っていた。そこからアップデートされていない人は、専門家が少しずつわかってきたことを小出しにして伝えてくれる情報も受け取っていない。その分無駄に怖がったり自粛警察したりしているのです。

新しい濃厚接触者の定義によると、私がここ三週間で濃厚接触したのは同居家族以外一名です。その一名と最後に会ってから二週間以上経っているし、どっちもzoomのあちらとこちらでぴんぴんしている。そして「不顕性感染者がばらまく」説も、これは非リアの人がリア充を責めるのに格好のネタだったのですが、ほぼほぼ否定されていますね。
うつす危険もうつされる危険もだんだん限定されてきた。その大事な情報がアップデートされていないコロナ脳、自粛警察の皆さん。

なんでコロナ脳は情報をアップデートしないのか。そんな疑問をつぶやいていたらそれを見ていた座波さんがメールをくださいました。座波さんはTwitterのアカウント持っていないけれども私のところは読んでいる。これは花風社クラスタあるあるでもあるのですが。

=====

> 浅見様
>
> ツイッターやっていないのでこちらに。
>
>> コロナ脳とか自粛警察の人たちって怖がってる割に最新の知見をアップデートしないのが不思議だなあ。
>
> アップデートはしないのではなく、できないわけでそれはやはり恐怖からだと考えています。
>
> 安定化を図ろうとする場合、もちろん意識下ですが、省エネ対策も含めて、
> 時間的にも、距離的にも、問題範囲を狭くします。
> また、動きをなくし、静止した、つまり変化のない正解に帰結します。
> さらに、新たなことは未知ですから不安を惹起されるので既知のことに結びつけます。
> そして、常同行動、つまり、パターン化にもつなげ、
> 自分が上位であるかのような体裁につなげます。
>
> つまり、恐怖が大きくなればなるほど、
> 既知の、明確で、不変の、自分を上位に置いた、パターン化された言動に終始する、
> という反射で対処することとなるわけです。
> アップデートは不可能ですし、そんな発想にはつながりえません。
> 自他の区別ができていなければ、他人が違う言動を取ることも不安につながりますから、
> 砂場にカミソリのような、本人的には天誅を下す、上から施してやるくらいの対処行動にもつながるのだと考えられます。
>
> エビデンスは都合のいい反射に使われる単語でしかありませんから、
> アップデートにつながるようなエビデンスは、彼らにとっての安定するための「エビデンス」ではないわけです。
>
> まだうまくまとまっていないかもしれませんが、
> コロナ騒動を職場でのやっかいな人と重ねてそのメカニズムについて考えているところです。
> もう少し煮詰めて長崎でお話したいと考えています。

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やはりコロナ脳の人たちが情報アップデートできない背景にも「恐怖」がある。
この「恐怖」が強すぎる人はつきあいづらいし、職場でも使えませんね。
恐怖と実行機能方面での発達特性がありのままだと、確実に職場で使えない人になる。そしてサバイバルが難しくなる。

おそらく座波さんは次回の講座で、この騒動で得た思考をシェアしてくれるでしょう。
これは楽しくなりそうです。
私もなんらかのかたちで参加します。
皆さんと有意義な時間を共有したいと思います。

講演お申し込みの方は
zoom☆kafusha.com(☆をあっとまーくに変えてください)にお名前と配信先アドレスをメールください。
件名を「長崎」としてください。
皆様のご参加をお待ちしております。

支援者をアセスメントする時代を作ろう ブルーさんへのお返事

2020-05-07 06:05:14 | 日記
さて、たまりにたまっていたブルーさんへのお返事です。

まず、ブルーさんはアンチ考察番外編として「心理系アンチ」について解き明かしてくれました。

五回展開の番外編でした。


連載を通じた分析結果は「心理系アンチは問題解決に全身を使えない」ということでした。
そしてブルーさんのご指摘のとおり(そして花風社クラスタの皆さんはわかっているとおり)発達障害には全身がかかわりますから、問題解決に全身を使えない支援者は役立たずということがわかります。

身体アプローチの目的は体育ができるようになることではありません。
でもできるようになってしまう人も多いみたいですが。
そして花風社の著者で体育大出身の栗本さんは言うに及ばず私もひそかにマイナースポーツで全国五位でしたし「体育苦手だった」人はいないのです。一人を除いて。さてその一人とは誰でしょうね?

一方で発達関係の支援者たちには体育苦手とか給食食べられなかったとか大人になっても自慢している人たちが多いです。
保護者もそのようです。
そこがもう花風社クラスタの違うところなのです。

連載3回目でブルーさんはこう書いています。



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■花風社は心理系の弱点を刺激する

そもそも、身体アプローチや栄養アプローチに関する試行錯誤は、心理学とはジャンルが違います。基本的には心理系と棲み分けされた世界のはずです。

しかし、花風社は存在するだけで心理系の弱点を刺激します。

そもそも現状の花風社の本のテーマの奥には、土台となるテーマとして身体性があります。これが身体性を喪失した心理系アンチを非常に刺激するのです。

花風社は、以下の3つの理由で心理系の弱点を刺激します。ここでのポイントは、花風社が何もしなくても刺激するということです。花風社は存在しているだけで心理系の弱点を刺激するのです。

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身体・栄養アプローチで試行錯誤をしていると、日頃はそれほど心理系のお世話にはならないクラスタの方も多いのではないでしょうか。

せいぜい心理士が行うウェクスラー知能検査(WISC/WAIS)を利用するくらいかもしれません。

すると、愛着障害を抱えている心理系、つまり自分が必要とされることで自分を癒したいタイプの人はこれに不満を抱えます。

心理系の人がいなくても発達障害には有効な手立てがあることを花風社クラスタは結果で示してしまうからです。

このように花風社やクラスタの皆様は、心理系をそれほど気にしていないにも関わらず、存在するだけで心理系の弱点を刺激します。

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また連載2回目でブルーさんはこう指摘しています。



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■1:身体が拗れている

まず、身体性の喪失パターンの1つ目は、身体が拗れていることです。

医学的には、器質的問題というよりは機能的問題が多い身体です。東洋医学でいうならば未病を多く抱えた身体です。結果として、こういう心理系アンチはTwitterで不定愁訴ばかり訴えています。

機能的領域に関することや、未病に対しては、東洋的な手法が有効だったりします。専門職なら、徒手系治療家や鍼灸師などが知見を持っています。

ところが、心理系は他の専門分野を認められないという弱点があります。さらに心理系アンチになってくると、東洋系の知恵や徒手系療法もトンデモといってけなしています。結局本人は、自分の身体は治らないと思い、そのままです。

身体で感じ、身体で考え、身体を使おうにも、そもそも身体の調子が悪いので、それどころではないということです。

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つまり花風社クラスタは「運動神経の悪い支援者」「不定愁訴の多い支援者」はいらないと考えているのですよね。
こう花風社クラスタが考えて判断基準にするのは自由なのです。それは資格の有無にこだわる人が自由なのと同じ。「医者じゃないと信じられない」という人もいれば「首上げできそうにない支援職など信じられない」という判断も自由。「精神科の薬のみながらやっと仕事している医者なんかいらない」という判断も自由なのです。そして花風社クラスタははっきりと支援者に健康と運動神経を求めている。

そしてブルーさんは、慎重に支援者を選んでやってきました。
その中で自然に支援者の身体機能に注目し、使えるかどうかの判断にしてきた。
だから座波さんを見たときにぴんときたわけですね。



そして私、考えたんです。
いつも支援者は当事者をアセスメントしますね。
でも市場原理の中では、逆もいけるわけですよね。

たとえば放課後等デイは広く民間に委託されましたが、利用者は選びますよね。
そしてそのときの基準がそれぞれありますよね。
たとえば宿題みてくれますか、とか、お迎えありますか、とか。

それと同じで花風社クラスタは、支援者をアセスメントすればいいと思うのです。
そのときの基準は

・首上げ
・片足立ち
・黄色本に載っている呼吸器のポーズ
・正中線が成り立っているか
・対側を通過しているか
・蹲踞(関節の問題)

などいくらでもありますね。
あるいは筋緊張。これは一目でわかります。
肩が上がっているかどうかも基準になりますね。肩が上がっている人は呼吸器にも問題を抱えているでしょう。そして心理的にはいまごろコロナ脳をやっているかもしれません。

また、ツイートの内容などでは、自分の不定愁訴を治そうとしているかどうかとか、そのあたりも大事ですね。
薬に頼ってやっと生活している医療職とかは私から見ると論外です。絶対選ばない。選べる自由があるのなら、ですが。その自由がないのなら病気にはならないことを私は選びます。

もちろんだからといって赤の他人である支援者に「首上げやってみて」とは言えませんが、私たちが栗本さんや座波さんに学んで身体をみていけるようになれば、普通に座っている姿からも多くのことがわかるし、食事する姿では正中線の成り立ちくらいわかりますよね。歩く姿からは関節機能のアセスメントができます。

そうやって「支援者の身体機能(ブルーさんの指摘されているとおり器質ではなく機能)を見て役立つ支援者かどうかを判断する」時代が来たんではないでしょうかね。
そのときに役立つのがまた、黄色本こと『自閉っ子の心身をラクにしよう!』ですね。