さて、ブルーさんが執着()のメカニズムを教えてくれる前から書こうと思っていたシアさん編。
シアさんに何が言いたいかというと、「アンチに突撃する理由は一つもないよ」ということです。
そして「なんでシアさんはアンチに突撃するのか」を考えたとき
自分自身かつてアンチに突撃したりしたことを思い出したり、自閉症の性質を考慮したりして
シアさんの場合にはもしかしたら誤学習が入っているのではないかな、と思ったのです。
それはかつて私がした誤学習でもあります。
それは教えてあげたいと思いました。
このヒントとなったのは、ある夜シアさんが私に話しかけてきた言葉でした。
「また迷惑当事者が暴れています。なんとかならないのでしょうか」。
ああそうか、また暴れているのか、と思いました。
それだけ。
なぜそれだけかというと、迷惑当事者が暴れても、「やっぱり治ればいいな」と思うだけで、花風社に実害はないからです。
考えてもみてください。
花風社はギョーカイと仲良かった頃から山岸騒動がありました。
私が長年あれを放置したのは、実害がなかったからです。
なぜか?
それは明らかにアタマのおかしい人がやっているとまともな人ならわかったからです。
けれども脅迫状が来るにあたり、被害を未然に防ぐため、弁護士を探しました。
そして探し当てた弁護士さんが最初に言ったのはこの言葉です。「相手は明らかにアタマのおかしい人ですね。でもこのままにしておいてはいかんでしょう」。そこから裁判が始まったのです。
つまり裁判は、実害を防ぐためというより「アタマのおかしい人をこのままにしてはいけない」と思ったから始めたわけですね。
このときに「未然に防ぎたい被害」は大きく分けて二つありました。
一つは物理的な襲撃。自分勝手な正義感で物理的な暴力に及ばれると被害を受けます。
もう一つは「障害があるからといってこういうまねが許されると自閉症関連の人々が思い込んでしまうこと」でした。つまり次世代への被害です。ここには、こういう迷惑行為に一切無力なギョーカイへの批判も込められていました。司法の手にかかりたくないのなら、治せばいい。なのに治せないし治す気もない。
花風社の売り上げ云々の実害は、全く考えていませんでした。
なぜか?
アタマのおかしい人が暴れようと、売り上げ方面の被害は一切なかったからです。
それで裁判で決着し、そのあと私は後付けの警戒心を持つようになりました。
そしてツイッターというプラットフォームで、花風社の本を読みもしないで匿名でデマを振りまく人たちが出てきました。
それに対し専守防衛しました。それをまた暴言集としてまとめられたりしました。でも私は何度も言うように、本当にただの一つも発言を後悔していませんし今読んでも「私っていいこと言うな~」と思っています。
けれども私の発言は恐怖心の強い人にとっては怖いもののようだったようで、暴言だと非難されました。
こんな発言をしていたら会社は潰れると言われ続けましたが、山岸騒動十年、ツイッター騒動十年、潰れていません。
むしろ私の発言に賛同、納得する人もいます。
読者は増え、栗本さんという人気者が生まれ、セミナーは満杯、一版元がどっとこむのようなコミュニティサイトを作るまでに至りました。
これはどういうことか?
十年にわたるツイッターでのアンチ活動は、彼らが花風社を追い詰めることが目的とすれば
一切実を結んでいないということです。
どっちみち読者にならなかった彼らと同類の人の中に賛同者がいるにすぎないのです。
つまり、私サイドから見ると「実害がない」のです。
ただ不愉快は不愉快でした。理由のない執着をするし、デマをふりまくからです。
私は前の裁判を通じ、デマには敏感になっていたと思います。
そしてツイッターでは匿名の気軽さからかその他の承認欲求からか、読みもしないでデマを言う人が自称医療従事者の中にもいます。
そしてハッタツ大戦が起きました。
その当時は、ツイッターを失うことを恐れました。
アンチが忌み嫌う私のツイッターですが、「ツイッターやブログに励まされています」という新規読者も多かったので、セールス上でも実害をこうむるのではないかと警戒しました。
そしてツイッターを閉じてみてわかったこと。
一切数字には響きませんでした。
むしろどっとこむができたことで、新しいお客さんが増えました。
ツイッターで出会った人もいると思います。でも別に「花風社にとって」はなくてもよくなっていたのです。
いつ凍結されてもこちらには実害がない。それが私がツイッターに戻ってきた二番目くらいの理由です。
結局アンチは
「不愉快だけど実害がない」のです。
彼らが活動する場は限られている。何しろ彼らはリスクを取る気はないから。そしてそこで一生懸命活動しようと、花風社は揺るがないのです。
それがわかったから
私はもともとあまり持ち合わせがなかった警戒心を標準装備から外したのです。
シアさんはこれがわかっていないのかもしれない。
誰かが花風社をあしざまに罵っていると、恐怖麻痺反射が発動するのかもしれない。
だから恩人である私を守るつもりで突撃してしまうのかもしれない、と思いました。
そして今ブルーさんの分析で、彼らの執着()の意味がわかり
不愉快な存在ですらなくなりました。
彼らは哀れな人たちです。
これからも彼らは哀れな活動を続けるのでしょう。
過度な警戒心から、花風社(カフーシャ帝国)が攻めてくると幻想を抱いて。
そして彼らは全く高潔からほど遠い人たちであるにもかかわらず
ダブスタを採用し、何かというと花風社クラスタの発言をモラル的に責めると思います。
花風社クラスタが悪辣なモラルの持ち主であるかのように語ると思います。
実際に花風社セミナー来てみたら、とても良い雰囲気なんですけど。
なぜか?
なぜモラル面を責めるのか?
それは彼らが「成果」では勝負できないと認めている証拠です。
だから花風社クラスタの自由闊達な発言を暴言であるかのように言い立てるくらいしか責め立てようがない。
一方で自分たちは悔し紛れに、小学生なら先生に怒られるような発言もするでしょう。
それをみてしまったら、不愉快になるかもしれませんけど
むしろ、愉快に思えばいいのです。
「あ~また悔しがってる」と。
彼らは花風社のやり方を選ばなかったから、それが正しかったのだと自分に言い聞かせなくてはなりません。
やらなかった理由を次から次へと考えだし、つぶやいてみて、賛同者がいるとほっとする。そういう集団自慰行為を今後も続けるでしょう。
それだけ本当は治りたかったのに、治る道を選ばなかった人たち。
エビデンスがないものしかやりたくないのなら、それは彼らの自由なんです。ただその考えをよそに押しつけることはできないだけ。しかも、治った治ったと親子ともに喜んでいる以上。
でもそれは私たちには用がない世界です。
うっかり目に入ってしまったら不愉快かもしれませんが、基本的に負け組の取る哀れな行為です。
実害はないのでほっておけばいいです。
おまけに私たちが彼らから得られる学びは何一つありません。
そしてブルーさんが教えてくれた彼らの行動原理に納得すれば、昨日私が書いたとおり
もうこっち側には彼らを見る理由がない
のですよね。
それより私たちにはやることがたくさんある。
情報交換もそのためにあるのです。
ブルーさんは持ち前の警戒心を自分のために有効に使いました。
そして安定した職場を得ました。
その役に立つ警戒心の端っこを使って、この分析をやってくれています。
そしてこれは私の役に立ちました。
私自身は自分の標準装備から警戒心を外しましたが
シアさんはこれからも警戒心を使って生きていくでしょう。
ならばそれは役に立つ方に使えばよいのです。
ありもしない脅威を花風社に見いだし責めてくる迷惑当事者の警戒心の使い方もブルーさんに比べれば相当無駄ですが
脅威でもなんでもないアンチを見張るのも無駄ですよ、シアさん。
ツイッターは鍵かけたり開けたり。
相互フォロー以外の@は飛んで来ない設定にしたり
そうやって自分なりに使うのがよいと思います。
そして同じプラットフォームにいるから誤解しやすいですが
ツイッターで援助交際のやりとりをしているクラスタさえいるようなので
本当にクラスタによって世界が違うのがツイッターなんだと思います。
あっち側は5ちゃん?みたいなものだと理解しておけばいいです。
私は2ちゃんが5ちゃんになったのも気づきませんでした。
見る理由がないからです。
ただ、花風社クラスタの鍵アカの中の子育てヒント+治った自慢が秀逸すぎるし
それはオープンのところに書いていただいた方が次世代に希望を与えるので
皆さんこれからもどっとこむを活用してください。
私は@が飛んで来ない設定にしている関係で、新規読者の方を十分フォローできていないかもと思います。
ですからツイッターでフォローしていただくにしても、どっとこむの自己紹介コーナーに書き込んでいただいた方がこちらから気づきやすいと思います。
こっそりロムしているのでよいのならいいのですが
ツイッターで私のフォローを望む方は自己紹介コーナーに自己紹介とアカ名を書き込んでいただけますと幸いです。
ツイッターは気軽ですが、アンチが飛んできます。
そこで、私たちは飛んで来ない設定にしました。
どっとこむは140字の制限がありませんし、IPを探られたくない人は絶対にきません。
ブルーさんのアンチ考察自体、どっとこむのような場ができたからこそ実現したと思います。
それぞれのプラットフォームの良さを活かして「どこでも治る」未来を作りましょう。
シアさんに何が言いたいかというと、「アンチに突撃する理由は一つもないよ」ということです。
そして「なんでシアさんはアンチに突撃するのか」を考えたとき
自分自身かつてアンチに突撃したりしたことを思い出したり、自閉症の性質を考慮したりして
シアさんの場合にはもしかしたら誤学習が入っているのではないかな、と思ったのです。
それはかつて私がした誤学習でもあります。
それは教えてあげたいと思いました。
このヒントとなったのは、ある夜シアさんが私に話しかけてきた言葉でした。
「また迷惑当事者が暴れています。なんとかならないのでしょうか」。
ああそうか、また暴れているのか、と思いました。
それだけ。
なぜそれだけかというと、迷惑当事者が暴れても、「やっぱり治ればいいな」と思うだけで、花風社に実害はないからです。
考えてもみてください。
花風社はギョーカイと仲良かった頃から山岸騒動がありました。
私が長年あれを放置したのは、実害がなかったからです。
なぜか?
それは明らかにアタマのおかしい人がやっているとまともな人ならわかったからです。
けれども脅迫状が来るにあたり、被害を未然に防ぐため、弁護士を探しました。
そして探し当てた弁護士さんが最初に言ったのはこの言葉です。「相手は明らかにアタマのおかしい人ですね。でもこのままにしておいてはいかんでしょう」。そこから裁判が始まったのです。
つまり裁判は、実害を防ぐためというより「アタマのおかしい人をこのままにしてはいけない」と思ったから始めたわけですね。
このときに「未然に防ぎたい被害」は大きく分けて二つありました。
一つは物理的な襲撃。自分勝手な正義感で物理的な暴力に及ばれると被害を受けます。
もう一つは「障害があるからといってこういうまねが許されると自閉症関連の人々が思い込んでしまうこと」でした。つまり次世代への被害です。ここには、こういう迷惑行為に一切無力なギョーカイへの批判も込められていました。司法の手にかかりたくないのなら、治せばいい。なのに治せないし治す気もない。
花風社の売り上げ云々の実害は、全く考えていませんでした。
なぜか?
アタマのおかしい人が暴れようと、売り上げ方面の被害は一切なかったからです。
それで裁判で決着し、そのあと私は後付けの警戒心を持つようになりました。
そしてツイッターというプラットフォームで、花風社の本を読みもしないで匿名でデマを振りまく人たちが出てきました。
それに対し専守防衛しました。それをまた暴言集としてまとめられたりしました。でも私は何度も言うように、本当にただの一つも発言を後悔していませんし今読んでも「私っていいこと言うな~」と思っています。
けれども私の発言は恐怖心の強い人にとっては怖いもののようだったようで、暴言だと非難されました。
こんな発言をしていたら会社は潰れると言われ続けましたが、山岸騒動十年、ツイッター騒動十年、潰れていません。
むしろ私の発言に賛同、納得する人もいます。
読者は増え、栗本さんという人気者が生まれ、セミナーは満杯、一版元がどっとこむのようなコミュニティサイトを作るまでに至りました。
これはどういうことか?
十年にわたるツイッターでのアンチ活動は、彼らが花風社を追い詰めることが目的とすれば
一切実を結んでいないということです。
どっちみち読者にならなかった彼らと同類の人の中に賛同者がいるにすぎないのです。
つまり、私サイドから見ると「実害がない」のです。
ただ不愉快は不愉快でした。理由のない執着をするし、デマをふりまくからです。
私は前の裁判を通じ、デマには敏感になっていたと思います。
そしてツイッターでは匿名の気軽さからかその他の承認欲求からか、読みもしないでデマを言う人が自称医療従事者の中にもいます。
そしてハッタツ大戦が起きました。
その当時は、ツイッターを失うことを恐れました。
アンチが忌み嫌う私のツイッターですが、「ツイッターやブログに励まされています」という新規読者も多かったので、セールス上でも実害をこうむるのではないかと警戒しました。
そしてツイッターを閉じてみてわかったこと。
一切数字には響きませんでした。
むしろどっとこむができたことで、新しいお客さんが増えました。
ツイッターで出会った人もいると思います。でも別に「花風社にとって」はなくてもよくなっていたのです。
いつ凍結されてもこちらには実害がない。それが私がツイッターに戻ってきた二番目くらいの理由です。
結局アンチは
「不愉快だけど実害がない」のです。
彼らが活動する場は限られている。何しろ彼らはリスクを取る気はないから。そしてそこで一生懸命活動しようと、花風社は揺るがないのです。
それがわかったから
私はもともとあまり持ち合わせがなかった警戒心を標準装備から外したのです。
シアさんはこれがわかっていないのかもしれない。
誰かが花風社をあしざまに罵っていると、恐怖麻痺反射が発動するのかもしれない。
だから恩人である私を守るつもりで突撃してしまうのかもしれない、と思いました。
そして今ブルーさんの分析で、彼らの執着()の意味がわかり
不愉快な存在ですらなくなりました。
彼らは哀れな人たちです。
これからも彼らは哀れな活動を続けるのでしょう。
過度な警戒心から、花風社(カフーシャ帝国)が攻めてくると幻想を抱いて。
そして彼らは全く高潔からほど遠い人たちであるにもかかわらず
ダブスタを採用し、何かというと花風社クラスタの発言をモラル的に責めると思います。
花風社クラスタが悪辣なモラルの持ち主であるかのように語ると思います。
実際に花風社セミナー来てみたら、とても良い雰囲気なんですけど。
なぜか?
なぜモラル面を責めるのか?
それは彼らが「成果」では勝負できないと認めている証拠です。
だから花風社クラスタの自由闊達な発言を暴言であるかのように言い立てるくらいしか責め立てようがない。
一方で自分たちは悔し紛れに、小学生なら先生に怒られるような発言もするでしょう。
それをみてしまったら、不愉快になるかもしれませんけど
むしろ、愉快に思えばいいのです。
「あ~また悔しがってる」と。
彼らは花風社のやり方を選ばなかったから、それが正しかったのだと自分に言い聞かせなくてはなりません。
やらなかった理由を次から次へと考えだし、つぶやいてみて、賛同者がいるとほっとする。そういう集団自慰行為を今後も続けるでしょう。
それだけ本当は治りたかったのに、治る道を選ばなかった人たち。
エビデンスがないものしかやりたくないのなら、それは彼らの自由なんです。ただその考えをよそに押しつけることはできないだけ。しかも、治った治ったと親子ともに喜んでいる以上。
でもそれは私たちには用がない世界です。
うっかり目に入ってしまったら不愉快かもしれませんが、基本的に負け組の取る哀れな行為です。
実害はないのでほっておけばいいです。
おまけに私たちが彼らから得られる学びは何一つありません。
そしてブルーさんが教えてくれた彼らの行動原理に納得すれば、昨日私が書いたとおり
もうこっち側には彼らを見る理由がない
のですよね。
それより私たちにはやることがたくさんある。
情報交換もそのためにあるのです。
ブルーさんは持ち前の警戒心を自分のために有効に使いました。
そして安定した職場を得ました。
その役に立つ警戒心の端っこを使って、この分析をやってくれています。
そしてこれは私の役に立ちました。
私自身は自分の標準装備から警戒心を外しましたが
シアさんはこれからも警戒心を使って生きていくでしょう。
ならばそれは役に立つ方に使えばよいのです。
ありもしない脅威を花風社に見いだし責めてくる迷惑当事者の警戒心の使い方もブルーさんに比べれば相当無駄ですが
脅威でもなんでもないアンチを見張るのも無駄ですよ、シアさん。
ツイッターは鍵かけたり開けたり。
相互フォロー以外の@は飛んで来ない設定にしたり
そうやって自分なりに使うのがよいと思います。
そして同じプラットフォームにいるから誤解しやすいですが
ツイッターで援助交際のやりとりをしているクラスタさえいるようなので
本当にクラスタによって世界が違うのがツイッターなんだと思います。
あっち側は5ちゃん?みたいなものだと理解しておけばいいです。
私は2ちゃんが5ちゃんになったのも気づきませんでした。
見る理由がないからです。
ただ、花風社クラスタの鍵アカの中の子育てヒント+治った自慢が秀逸すぎるし
それはオープンのところに書いていただいた方が次世代に希望を与えるので
皆さんこれからもどっとこむを活用してください。
私は@が飛んで来ない設定にしている関係で、新規読者の方を十分フォローできていないかもと思います。
ですからツイッターでフォローしていただくにしても、どっとこむの自己紹介コーナーに書き込んでいただいた方がこちらから気づきやすいと思います。
こっそりロムしているのでよいのならいいのですが
ツイッターで私のフォローを望む方は自己紹介コーナーに自己紹介とアカ名を書き込んでいただけますと幸いです。
ツイッターは気軽ですが、アンチが飛んできます。
そこで、私たちは飛んで来ない設定にしました。
どっとこむは140字の制限がありませんし、IPを探られたくない人は絶対にきません。
ブルーさんのアンチ考察自体、どっとこむのような場ができたからこそ実現したと思います。
それぞれのプラットフォームの良さを活かして「どこでも治る」未来を作りましょう。