治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

自由な島より シアさんと皆さんへのメッセージ

2020-03-26 10:00:00 | 日記
さて、ブルーさんが執着()のメカニズムを教えてくれる前から書こうと思っていたシアさん編。
シアさんに何が言いたいかというと、「アンチに突撃する理由は一つもないよ」ということです。
そして「なんでシアさんはアンチに突撃するのか」を考えたとき
自分自身かつてアンチに突撃したりしたことを思い出したり、自閉症の性質を考慮したりして
シアさんの場合にはもしかしたら誤学習が入っているのではないかな、と思ったのです。
それはかつて私がした誤学習でもあります。
それは教えてあげたいと思いました。

このヒントとなったのは、ある夜シアさんが私に話しかけてきた言葉でした。
「また迷惑当事者が暴れています。なんとかならないのでしょうか」。
ああそうか、また暴れているのか、と思いました。
それだけ。
なぜそれだけかというと、迷惑当事者が暴れても、「やっぱり治ればいいな」と思うだけで、花風社に実害はないからです。

考えてもみてください。
花風社はギョーカイと仲良かった頃から山岸騒動がありました。
私が長年あれを放置したのは、実害がなかったからです。
なぜか?
それは明らかにアタマのおかしい人がやっているとまともな人ならわかったからです。

けれども脅迫状が来るにあたり、被害を未然に防ぐため、弁護士を探しました。
そして探し当てた弁護士さんが最初に言ったのはこの言葉です。「相手は明らかにアタマのおかしい人ですね。でもこのままにしておいてはいかんでしょう」。そこから裁判が始まったのです。
つまり裁判は、実害を防ぐためというより「アタマのおかしい人をこのままにしてはいけない」と思ったから始めたわけですね。

このときに「未然に防ぎたい被害」は大きく分けて二つありました。
一つは物理的な襲撃。自分勝手な正義感で物理的な暴力に及ばれると被害を受けます。
もう一つは「障害があるからといってこういうまねが許されると自閉症関連の人々が思い込んでしまうこと」でした。つまり次世代への被害です。ここには、こういう迷惑行為に一切無力なギョーカイへの批判も込められていました。司法の手にかかりたくないのなら、治せばいい。なのに治せないし治す気もない。
花風社の売り上げ云々の実害は、全く考えていませんでした。
なぜか?
アタマのおかしい人が暴れようと、売り上げ方面の被害は一切なかったからです。

それで裁判で決着し、そのあと私は後付けの警戒心を持つようになりました。
そしてツイッターというプラットフォームで、花風社の本を読みもしないで匿名でデマを振りまく人たちが出てきました。
それに対し専守防衛しました。それをまた暴言集としてまとめられたりしました。でも私は何度も言うように、本当にただの一つも発言を後悔していませんし今読んでも「私っていいこと言うな~」と思っています。
けれども私の発言は恐怖心の強い人にとっては怖いもののようだったようで、暴言だと非難されました。
こんな発言をしていたら会社は潰れると言われ続けましたが、山岸騒動十年、ツイッター騒動十年、潰れていません。
むしろ私の発言に賛同、納得する人もいます。
読者は増え、栗本さんという人気者が生まれ、セミナーは満杯、一版元がどっとこむのようなコミュニティサイトを作るまでに至りました。

これはどういうことか?
十年にわたるツイッターでのアンチ活動は、彼らが花風社を追い詰めることが目的とすれば
一切実を結んでいないということです。
どっちみち読者にならなかった彼らと同類の人の中に賛同者がいるにすぎないのです。
つまり、私サイドから見ると「実害がない」のです。
ただ不愉快は不愉快でした。理由のない執着をするし、デマをふりまくからです。
私は前の裁判を通じ、デマには敏感になっていたと思います。
そしてツイッターでは匿名の気軽さからかその他の承認欲求からか、読みもしないでデマを言う人が自称医療従事者の中にもいます。

そしてハッタツ大戦が起きました。
その当時は、ツイッターを失うことを恐れました。
アンチが忌み嫌う私のツイッターですが、「ツイッターやブログに励まされています」という新規読者も多かったので、セールス上でも実害をこうむるのではないかと警戒しました。

そしてツイッターを閉じてみてわかったこと。

一切数字には響きませんでした。
むしろどっとこむができたことで、新しいお客さんが増えました。
ツイッターで出会った人もいると思います。でも別に「花風社にとって」はなくてもよくなっていたのです。
いつ凍結されてもこちらには実害がない。それが私がツイッターに戻ってきた二番目くらいの理由です。

結局アンチは
「不愉快だけど実害がない」のです。
彼らが活動する場は限られている。何しろ彼らはリスクを取る気はないから。そしてそこで一生懸命活動しようと、花風社は揺るがないのです。
それがわかったから
私はもともとあまり持ち合わせがなかった警戒心を標準装備から外したのです。

シアさんはこれがわかっていないのかもしれない。
誰かが花風社をあしざまに罵っていると、恐怖麻痺反射が発動するのかもしれない。
だから恩人である私を守るつもりで突撃してしまうのかもしれない、と思いました。

そして今ブルーさんの分析で、彼らの執着()の意味がわかり
不愉快な存在ですらなくなりました。
彼らは哀れな人たちです。

これからも彼らは哀れな活動を続けるのでしょう。
過度な警戒心から、花風社(カフーシャ帝国)が攻めてくると幻想を抱いて。
そして彼らは全く高潔からほど遠い人たちであるにもかかわらず
ダブスタを採用し、何かというと花風社クラスタの発言をモラル的に責めると思います。
花風社クラスタが悪辣なモラルの持ち主であるかのように語ると思います。
実際に花風社セミナー来てみたら、とても良い雰囲気なんですけど。

なぜか?
なぜモラル面を責めるのか?
それは彼らが「成果」では勝負できないと認めている証拠です。
だから花風社クラスタの自由闊達な発言を暴言であるかのように言い立てるくらいしか責め立てようがない。

一方で自分たちは悔し紛れに、小学生なら先生に怒られるような発言もするでしょう。
それをみてしまったら、不愉快になるかもしれませんけど
むしろ、愉快に思えばいいのです。
「あ~また悔しがってる」と。

彼らは花風社のやり方を選ばなかったから、それが正しかったのだと自分に言い聞かせなくてはなりません。
やらなかった理由を次から次へと考えだし、つぶやいてみて、賛同者がいるとほっとする。そういう集団自慰行為を今後も続けるでしょう。
それだけ本当は治りたかったのに、治る道を選ばなかった人たち。
エビデンスがないものしかやりたくないのなら、それは彼らの自由なんです。ただその考えをよそに押しつけることはできないだけ。しかも、治った治ったと親子ともに喜んでいる以上。

でもそれは私たちには用がない世界です。
うっかり目に入ってしまったら不愉快かもしれませんが、基本的に負け組の取る哀れな行為です。
実害はないのでほっておけばいいです。
おまけに私たちが彼らから得られる学びは何一つありません。
そしてブルーさんが教えてくれた彼らの行動原理に納得すれば、昨日私が書いたとおり

もうこっち側には彼らを見る理由がない

のですよね。
それより私たちにはやることがたくさんある。
情報交換もそのためにあるのです。

ブルーさんは持ち前の警戒心を自分のために有効に使いました。
そして安定した職場を得ました。
その役に立つ警戒心の端っこを使って、この分析をやってくれています。
そしてこれは私の役に立ちました。

私自身は自分の標準装備から警戒心を外しましたが
シアさんはこれからも警戒心を使って生きていくでしょう。
ならばそれは役に立つ方に使えばよいのです。
ありもしない脅威を花風社に見いだし責めてくる迷惑当事者の警戒心の使い方もブルーさんに比べれば相当無駄ですが
脅威でもなんでもないアンチを見張るのも無駄ですよ、シアさん。

ツイッターは鍵かけたり開けたり。
相互フォロー以外の@は飛んで来ない設定にしたり
そうやって自分なりに使うのがよいと思います。
そして同じプラットフォームにいるから誤解しやすいですが
ツイッターで援助交際のやりとりをしているクラスタさえいるようなので
本当にクラスタによって世界が違うのがツイッターなんだと思います。
あっち側は5ちゃん?みたいなものだと理解しておけばいいです。
私は2ちゃんが5ちゃんになったのも気づきませんでした。
見る理由がないからです。

ただ、花風社クラスタの鍵アカの中の子育てヒント+治った自慢が秀逸すぎるし
それはオープンのところに書いていただいた方が次世代に希望を与えるので
皆さんこれからもどっとこむを活用してください。

私は@が飛んで来ない設定にしている関係で、新規読者の方を十分フォローできていないかもと思います。
ですからツイッターでフォローしていただくにしても、どっとこむの自己紹介コーナーに書き込んでいただいた方がこちらから気づきやすいと思います。
こっそりロムしているのでよいのならいいのですが
ツイッターで私のフォローを望む方は自己紹介コーナーに自己紹介とアカ名を書き込んでいただけますと幸いです。

ツイッターは気軽ですが、アンチが飛んできます。
そこで、私たちは飛んで来ない設定にしました。
どっとこむは140字の制限がありませんし、IPを探られたくない人は絶対にきません。
ブルーさんのアンチ考察自体、どっとこむのような場ができたからこそ実現したと思います。
それぞれのプラットフォームの良さを活かして「どこでも治る」未来を作りましょう。



自由な島より ブルーさんへのお返事

2020-03-25 09:50:42 | 日記
さて、大変長らくお待たせしてしまいました。ブルーさんのアンチ考察に対するお返事です。

今回も力作でした。前後編に分かれていました。
前編はこちら。



そして後編はこちらです。



笑いました。
そして今回もまた知らないことを教えてもらいました。
なぜブルーさんがこれほど知っていることを私が知らないかというと、私はこのコメントにも書いたとおり



私は「警戒心」を標準装備していないからです。
思うに自閉っ子の皆さんは、花風社クラスタにしろアンチにしろ、この「警戒心」を標準装備しているのですね。サバイバルに絶対必要。だから、お互いにわかりあえるのです。愛甲さんが「浅見さんにはわかりっこないわよ」とおっしゃったのはこの辺だと思います。

もともと「警戒心」を標準装備していないのですが、それでも度重なる炎上で後付けの「警戒心」を持ってみた。ところが「これはいらないわ」ときっぱり捨てたきっかけは去年の「ハッタツ大戦」だと思います。そしてこのブルーさんの連載がダメ押しになった感じ。

まあともかく、私たちは「治そう派」の愛読者のブルーさんを通じて知ったわけです。
花風社アンチの執着()の理由。
それは自分の領域に理解不能の一群が入ってきて警戒心を解けないからなのだと。
いわば二キロ離れた櫓の上から観察しているのだと。

これはびっくりです。
私は「ナオラ=ナイ村」の存する島に上陸をした覚えもなければ、彼らと二キロしか離れていないつもりもなかったからです。だって二キロって歩いていけるじゃないですか。そんなに近いところにいるつもりはありません。

「ナオラ=ナイ村」の存在は知っています。かつて村民とも、村長クラスのギョーカイメジャーたちとも親しく交流したし、著者になってもらったこともあります。その関係で、「ナオラ=ナイ村」の治らないっぷりを桟敷席でみていたこともありました。

そして花風社クラスタの多くの皆さんは、期間の長短こそあれ、「ナオラ=ナイ村」に住んでいたこともあるでしょう。

でもそこで「違うな」と思った私たち。そしてふとみたら1000キロ沖合に海底火山が沸いて新しい島が生まれているではないですか。溶岩が流れて、土地が広がり、命が住み始め、そこで生まれた鳥はめんどりにされることもなく自由に空を飛んでいる。だったらあっちに行こうよ、というのが花風社クラスタなので、二キロも近くにいるつもりはないのです。

以前から「こっちはアンチと非常に距離を感じているのに、あっちは結構近いと思っているらしく、つまらんゴシップネタまで暇つぶしに使っている。我々は芸能人かなんかなのだろうか」と思っていたのですがそうではなく、このお互いの距離感の違いだったのですね。

あっちにとっては「自分の領域に踏み込んできた理解不可能な一群」。
上陸してきてドットコム要塞を築いてしまった。
ところがそんな要塞はないのです。
こっちにとってあっちは過去。捨ててきた村。
船を作って1000キロ沖合までやってきたのです。

なのになぜか執着()してくるから気持ち悪いな、と気になっていただけなのですが
彼らがそういう幻想の恐れを抱いて書店の棚にまで気をつけたり、花風社の出版物ではなくても生物学的な治る系輸入書まで取り締まっていたり(実際彼らにはなんの権限もないんですが)するときいて(これは知りませんでした私)はっきりわかったことがあります。

こっちにはあっちを見続ける理由は一つもない。

なぜか?
私たちにとって彼らは理解不能な一群ではない。
たんにギョーカイに身を任せている省エネの人というだけ。
一向に治す方法を開発する気すらない医療とも呼べないハッタツ医療()に身を任せているだけ。
福祉に洗脳されているだけ。

そして多くの読者にとって、彼らは単なる過去。

執着()のメカニズムがブルーさんによって解明された今、私たちに彼らを見続ける理由は一つもありません。

それがわかってすっきりしました。
ブルーさん、ありがとうございます。

さて、では次はシアさん編を書きます。
シアさんがなぜアンチに突撃してしまうか。
そしてなぜそんな必要がないか。
これは明日3月26日午前10時に予定投稿の予定です。
私は移動中だと思われますのでツイッターには上げられないかもしれませんから時間になったらこっちのブログをチェックしにきてください。

ではでは。

四年前の神田橋語録

2020-03-21 08:04:22 | 日記
さて、ブルーさんのアンチ考察真っ最中ではありますが、本日朝FBから四年前の思い出が送られてきて、これを皆さんに届けたかったのでこちらに記録しておきます。
2016年3月21日の神田橋語録です。

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今日の神田橋語録。

その一

対談本について。
「実に読みやすい。臨場感がある」
「好きな人は好きですけど、嫌いな人はいますよ」
「評論家みたいに斜に構えて読みたい人はわかりにくいと思うだろうね。自分の問題として考える人には読みやすい」

ああだから花風社クラスタは治るのね、と思いました。

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解説
対談本を読みやすく感じる人は「自分の問題として読んでいる人」。
読みにくく感じる人は「斜に構えている人」。
この時点で花風社愛読者には「治る」方向にフィルターがかかっているし、逆に「対談本、読みにくい」という「専門家」(含自称)は避けた方がよいということです。

神田橋語録に続きます。
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その二
身体アプローチについて

「治っちゃうんだから仕方ないと開き直る手もある。信じない人は信じなくていい」
「そうですね(心の声 先生それおまゆう)」
「身体アプローチの副作用はただ一つ」
「なんですか?」
「教祖と信者になりやすい」
「そうですね(心の声 先生それもおまゆう)」

=====

これを聴いたとき私は安心したんです。
「栗本さんは教祖キャラじゃないから教祖と信者にならないから安心だ」と。
だって身体アプローチを実践しているのは栗本さんですからね。
私はその本を出しているだけ。
私がなぜその本を出したか。
それは『NEURO』の冒頭漫画に描いたあの四つを解決できるのが身体アプローチだったからです。
でもそれだけじゃありませんでしたね。
身体アプローチは他にも解決したことがあります。
大きく分けて二つあります。
一つは学習能力を上げる。
もう一つは不安を和らげる。
これはうれしい余得でした。
そして本を読んでいない人にとっては私が教祖に見えるんでしょうけど、そうじゃないんですね。
私は「治ったらいいな」と思った人です。

=====

その三
様々な身体アプローチの著者を出すことについて

「みんな発達段階が違うからどのひとの実践で治るかは人それぞれ。だからいろいろな著者の本を出す価値がある」

=====

この点で灰谷さんは大きく寄与しました。
なぜか?
学習方面での効果が素晴らしかったからです。

ではでは。

経済を回す旅 伊豆半島編

2020-03-18 16:25:43 | 日記





伊豆半島は、近すぎてあまり縁がありません。
が、この騒動の中かなりおとくになっていたようで、夫がホワイトデーのプレゼントに一泊旅行を贈ってくれました、ので一泊二日で行ってきました。

行きは踊り子ビュー。いつもみているだけで乗らないやつです。
最近はモダンな車両になっていてびっくりしました。
横浜の次が大船で、次が小田原なのです。びゅんびゅん進みます。
お天気はどんどん良くなっていきます。

今日は伊東というところで降りるらしい。
私たちの年代には「よいふろ~」のCMが耳にやきついていますが、あのホテルはもうかなり老朽化しているらしく、今日泊まるところは違うそうです。部屋にお風呂がついているような豪華な部屋だけど近年の騒動で普段よりずっと安いそうです。

伊東に着く直前に画伯がかつて絵地図のお仕事をした伊東マリンタウンが見えました。
「あ、あれ画伯が仕事で描いたところだー」。
かつて帯広に飛んだ時機外を見たら画伯が山形のアンテナショップのお仕事で描いたのとそっくりの山があって、ちょうど山形だったときのことを思い出す私でした。

伊東についてまずお寿司。地魚盛り。美味でした。お昼だけど一号だけ熱燗を二人で分けました。わりと寒かったのですよね。






それから小室山というところにいって、リフトに乗って登山。山頂からの眺めが素晴らしかったです。それと、割合人手は出ていました。それと、交通機関の人たちが神奈川県内ほどマスク命の感じではなかったです。






それから散策して、ホテルに着きました。
ヱビスビールはなくて生きづらかったけど、サッポロ黒生があったのでよかったです。
お風呂入って、サッポロ黒生を開けます。
つまみは崎陽軒の特製シウマイです。ちゃんと横浜駅で買ってきた抜かりのなさ。

そしてふたりでぽーっとお相撲をみてました。
夫は無観客の今場所をみたのが初めてのようです。
「これ、いいじゃん。ヤジとかなくて」とか言うのですが、春場所の大阪のお客さんは普段からそんなに柄が悪くありません。お相撲を知っている感じのお客が多い。
それにしても桟敷席が組み立てられてから無観客と決まったんだなあ。

お相撲が終わってまた大きなお風呂に行って、夕食です。
温泉宿だけど、イタリアンなので、浴衣はNGらしい。
レストランはおしゃれな感じで、メニューが出てきましたが、コースの2番目の「鮮魚」は普通にお造りでした(笑)。
まあその方がいいです。ここは伊豆だから。






朝ご飯はビュッフエを控えているということで和定食でした。
みんな気をつけながら経済活動しています。

新型コロナ騒動で、多くの会社員の方がテレワークする中、大学教員の夫が海外出張したり毎日出勤したりしています。
それだけ世の中大変なのだと思います。4月になってすべて正常化、ということにはならないのだと思います。とくにインターナショナルな活動をしている大学は、あっちこっちに目配りしないといけないようです。

先日のzoomミーティングでも言いましたが、今度の騒動はあまり出版業界に悪い影響はありません。
みんな本を読むくらいしかすることがないからかもしれません。
でも大学業界は大変なんだなあ、と思いました。とくに色々な国と交流している大学は。

ぐっすり寝て起きたら、またぴかぴかの天気でした。
気温は18度とからしい。私たちは着てきたコートを宅急便で送り返してまたハイキングに。
今度は大室山です。小室山より2~300メートル高く、やはりリフトで登ります。
富士山と海が同時にみられる絶景です。






火口跡のまわりが遊歩道になっています。そこをぽつぽつ歩きました。
それから街に出てまたおさかなを食べて経済を回してきました。







帰りは新幹線。
夫はそのまま東京まで出勤していきます。
今回の経済を回す旅に自分のお財布から経済的な貢献をしなかった私は、せめてこれくらい、と思って熱海駅で干物を買いました。

簡単でしかも楽しい旅でした。
今できることをしていきたいと思います。
4月2日の参加者の方が「こういうときに役立つ講座をありがとうございます」と言ってくださいました。
休校に見舞われた子どもたちのために栗本さんと一緒に企画した講座です。
ただし、今回協力してくださるお子さん(すでに治って一般の社会で生きて行かれる方)のプライバシー保護のため、講座お知らせの範囲をほぼ知り合いに限らせていただきました。

ところで

昨日ツイッターでめいろまさんというインフルエンサーの方が夫の訳書についてツイートしてくださっているのをみました。



「ひとはなぜ戦争をするのか?」
アインシュタインとフロイトがやりとりした手紙。
テーマは「戦争」です。
講談社学術文庫から出していただいています。

これこそ、中学生や高校生に時間があれば読んでもらいたい本です。
Kindleもあります。
よかったらこの機会に目を通してみてください。



障害者の悲劇は「捌かれる」こと

2020-03-16 11:16:22 | 日記
さて、シアさんの話。
シアさんとおーちゃんさん(廣木道心さんご子息)の話です。

シアさんがなんで浅見をこんなに慕っているか、不思議な人も多いと思います。
そしてシアさんは時々アンチに突撃してしまう。
そうするとアンチは「治っていない!」とあげつらうのですが、そうやって自分たちに刃向かう=障害者、と決めつける姿は、藤家さんが支援から抜け出す間際のギョーカイそっくりだなあと思います。
すなわち「あくまで障害者には受け身な存在でいてほしい」が本音で、自分たちに歯向かうと「それが障害特性」で片づける人たち。
この人たちの本音は「本人の生きやすさ」よりとりあえず「こっちになるべく面倒がかかってこないこと」。つまり『知的障害は治りますか?』の中で言えば行政のように「捌く」ことが至上命題なんです。

「捌く」行政。
それはわかります。行政は捌くのが仕事。
その手先となる支援者。
障害のある子の行く末を真剣に考えるならば、あくまで行政の手先になろうとするこの人たちには警戒しなくてはなりません。
そしてその行政や支援者の「捌く理論」を内面化してしまっている保護者。
これはもう、救いようがないですね。
その人たちが必死に反論するシアさんをあざ笑います。

この前そのシアさんが面白い書き込みをしてくれました、
もともとはツイートだったものを一つにまとめてくれたので、重なっている部分はこちらで処理しました。


=====
シアさんその1

こんばんは。
自分の幸福とか自分の好きとか、外からの影響をあまり受けない人がいるんです。 私が知ってる一番幸せな人は、社会のために自分を曲げたことが一度もないと自他共に認める人物でした。

=====

 なるほど。
 それはね、とても幸せな人だと思います。
 そして私もそれに近い。
『NEURO』の冒頭に書いたとおり、「正しいことは正しい」。
 それを私は信条にして生きてきました。
 アンチが決定的に間違っているのは、自分たちが批判することによって私の行動を変えられると思っていること。
 私は時には弁明はするかもしれませんが、彼らの意見に左右されることはありません。
 なぜなら彼らが人として大嫌いだし、無関係な人間だからです。
 自分が自分のしていることに満足し、それに賛同してくれている人も多い以上、大嫌いで無関係な人の意見に左右されるはずがない。

 そういう意味で私はずっと信念を貫いてきたし
 信念を貫いても生きていける程度には運がいいのだと思っていますよ。

=====
シアさんその2


それに対して、ギョーカイはムラ社会ですよね。 
同調圧力。
他人の言うことは、参考程度にすればいい。
しかし、それに強制力があるかのごとく言う。
それが自閉症の人の症状をさらに拗らせてますね。
当事者は気に入らない考えは、排除していい!とか、他人の主体性の毀損を真面目に考えてしまう。

=====

そう。これが「迷惑当事者」の成り立ち方ですね。
ギョーカイにも強制力はないし、花風社にもない。
どっちを選ぶのも個々の自由。
その個々の自由を重んじられないと迷惑当事者になる。
彼らの中にはまだ巨人がいるのかもしれない。何かに強制されているという被害妄想を持っている。
彼らと花風社は関係がない、花風社読者とも関係を持たなくていい、
ということがどうしてもわからないと他人の主体性を尊重できない迷惑当事者になるのですね。

=====

シアさんその3

ムラ社会だろうと、多くは「参考にしたりしなかったり」だろうと思います。
しかし、当事者は真に受けてしまうのではないでしょうか。
それが露骨に迷惑行為となるのでは。
考えてみれば、特性があるとしたって、見ず知らずの専門家に「障害がある」と診断されただけで、障害者としてギョーカイの福祉コースに乗るって言うのも、おかしいですよね。
それに反発する・「治したい、抜けたい」と言うクラスタさんは健全ですよね。
私が大きく失敗したのは、「やりたいことを我慢して流された」ことだと思ってます。
しかし、社長のお話を聴いて、目が覚めたんですよ。
「やりたいことはやりたい」…それが迷惑行為でも犯罪でもなく、何か生産的な活動にもつながっていくとしたら、やった方がよかったと思えます。
アンチと、迷惑当事者って、親和性があるんでしょうね。。。 もちろんギョーカイも。

=====

この点で知らず知らずのうちにシアさんをギョーカイから解放したからこそ
シアさんは私を慕っているし、不当な攻撃と思えるものには突撃してしまうのだと思います。
(まだ私ほど彼らをバカにしきっていない証拠でもありますが。)

説明しましょう。

シアさんは障害者として捌かれた結果、就労支援をうたう事業所に通っていました。
でもそんなところに就労を支援する気などはなからないのはあるあるですよね。

シアさんには「模型を仕事にしたい」という夢があったそうです。
でもそれを支援者に話しても「やめておけ」方面のことしか言わない。
どうせそんな仕事をしたって食べていけないよ。

でも考えてください。
作業所の利用者を続けていっても食べていけないことは同じです。15000円くらいしか工賃が出ないのだから。
ただ作業所の利用者を続けてくれたほうが、作業所は儲かる。国と自治体から20万円くらい入る。それだけの話。要するに利用者に夢を諦めさせるのは、その売り上げがほしいからですね。利用者の夢を潰して実利を取る。福祉の一部はそうやって成り立っています。

「作業所行ってるけど本当は模型がやりたいんだ」という話を私にしたらしいです。
それに対して私は「どうせ作業所でも食べられないんだから好きなことをすれば」とか言ったらしい。
覚えてません。
けどきっと言ったと思います。いかにも私が言いそうなことですから。
そしてシアさんは作業所をやめ家で模型を作り、工賃以上に稼ぐことになりました。
工賃以上に稼ぐ。
おまけに国や自治体のお金は使わなくなったのです。

廣木さんちのおーちゃんさんも同様。
フリーのイラストレーターとして、イラストを描いたり、フリーマーケットで似顔絵を描いたり、グッズを売っています。作業所には通っていません。その売り上げは作業所の工賃を上回っています。
うちの本の表紙も描いてくれました。




何よりも、自由。
作業所の利用者の皆さんがおやつの時間を待ち、絵カードで何が食べたいか支援者に伝えてやっともらえる、という生活をしている中、りんごが食べたければ自分ですっとむいて食べる自由な生活をしています。
お父さんの出張についていって旅行する自由もある。
お父さんのツイッターに絵を描いているところの動画がありました。みてて楽しくなります。




こういう親子だから私は、『知的障害は治りますか?』の発売直後にお父さんにお会いしたにもかかわらず、本を渡しませんでした。
知的障害が治りたいかどうか、そんなことは他人が決めることではないからです。
とくに治りたくなくても、興味があるのなら自分で買って読んでくださるかもしれませんが
版元から「こんな本作ったのよ。役に立つわよ~」とどや顔で渡すものではないですね。

私のスタンスは全部これです。
治りたい人は治ればいい。
治りたくない人は治らなくていい。
なぜなら家族ではないのだから。
そこまで口出ししない。

そして「治りたい人」に情報提供するのが私の仕事。
なぜそれをするか。それが正しいことだと信じているから。
横やりも入る。その横やりに対し、説明することはあるかもしれない(気が向けば)。
でもそれで私の信念が変わることはありません。
最初「治ったらいいな」と思ったのは四つの苦しみ(NEUROの冒頭漫画参照)。
そこから「ありえない恐怖感」。
言葉以前の苦しみ。
そして今回は知的障害です。
そのすべての本が喜ばれている。
けれども読みたくない人、治りたくない人は遠くでみていればいいのです。いや、もうみる必要もないと思いますが。

多くの人は他人の目とか口とかを気にして、信念を曲げたりするのだと思います。
でも私はそれをしない。
なぜなら私はのびのびと、そういうものを気にしないで育ったし、その結果良い仕事にもパートナーにも巡り会え、多くの出会いもあり、支持も得て、大人になっても幸せだからです。
「他人の目や口を気にしなければ幸せになれない」という村人たちの思い込み自体が、私からみると誤学習だから。


同じように「障害があるから行政の捌きに乗っからなければいけない」というのは私からみると誤学習です。

私は生まれてこのかた手術と言えば親知らずを抜いたくらい。高タンパクしていたせいかそれもその日のうちにリカバーしたし、56年間骨折もしたことありません。
だから人工股関節とか、骨の壊死とか、シアさんはすごいところを経てきたと思います。そういう苦労をした人はたくさんいるでしょう。手術をしてもなお、不調との戦いがあるでしょう。その人たちが年金をもらうのは当たり前の権利だと思います。
でも年金だけもらって、行政とその手先の捌き=収容生活にのっからず、自由に生きるのはありだと思います。
それを実現しているのがおーちゃんさんで、「そうすれば?」とシアさんに言ったのが私らしい。
その結果シアさんは模型の仕事ができるようになった。
それを感謝してくれているのです。

けどまだスルー能力はないから、不当な悪口みると突撃してしまうのですね。
それはじょじょに身につければいいことだと思います。
私は以前、スルーすると失礼だと思っていました。
でも座波さんに色々習い、「なんだ、スルーしてもいいんだ」とわかりました。

彼らは花風社クラスタが攻撃的だと言いますが、全く違いますね。
ただ私たちは和気藹々と気の合う同士楽しくやってきたところに横やりを入れてくるから、専守防衛しただけですね。
棲み分ければいいだけ、ということがどうしていつまでもわからないのか。
このへんの説明は、ブルーさんの連載の続きを待ちたいと思います。
そしてシアさんの言うとおり

考えてみれば、特性があるとしたって、見ず知らずの専門家に「障害がある」と診断されただけで、障害者としてギョーカイの福祉コースに乗るって言うのも、おかしいですよね。
それに反発する・「治したい、抜けたい」と言うクラスタさんは健全ですよね。


なのです。

仕入れ値が高いのよ 専門家アンチを斬る

2020-03-14 07:20:41 | 日記
さて、私的にはアンチがなぜだいっきらいな花風社を見続けるのか、その粘着の理由を知りたい。つまり、ブルーさんの連載の続きが読みたい。でも今回はお返事が三回シリーズになってしまってお待たせいたしました。この記事が締めです。

専門家アンチ問題ね。
ブルーさんの記事はこちら。



ちなみに、私はまだ猿烏賊改め発達負け組のアンチたちがこっちを見続ける理由もわかっていませんが、ブルーさんはわかっているらしい。そしてどっとこむでのやりとりで、yasuさんがそんなに文句があるのなら学会動かせばいいのにと言ったけど、ブルーさんによるとそれもありえないらしい。とにかくブルーさんは私の知らないことたくさんご存じなんですが、愛甲さんは「当事者の人にとっては死活問題なのよ。だからわかるの。浅見さんには到底わからないわよ」とか仰っていました。なるほど。とくにブルーさんは専門家の選び方が当事者にとって死活問題だと考えているようで、そのあたりのカンを研ぎ澄ませてきたからこそ今安定しているんでしょうね。

だから当事者の皆さんとしては、ブルーさんがそれだけ見る目を磨いたことに学べばいいと思います。

そして今回もびっくりしましたよ。たしかに専門家アンチの中には読んでない自慢が多いけど、それが「各論で賛成のところがあったらどうしよう」という恐怖感から来ていて、お互いに「読まないよね~」って確かめあっているわけですね。でもね、この世に100パーセント肯定できる本も否定できる本もないでしょ。本ってそうやって読むものでしょ。そういう読み方ができない専門家はオソロシイですね。

逆に言うと私がかねがね感じていたように、この人たちの知識は自分が資格取ったときで終わっているわけで、やはり当てにできる専門家ではないですね。
それと、最近だと桃花さんが言う「何を言っても障害特性に当てはめる感じ」、これ藤家さんとかも言ってたけど、あの当事者が息苦しくなるような接し方の正体は「知識をアップデートせず、覚えたことを目の前の被支援対象にあてはめているだけ」だからですね。

一言で言うと「無能」です。

それと逆に全否定するために読む。ああ、あのおばかさんね。すぐ思い当たります。不健康そうですね。ゲーマーの心理士とサーファーの心理士とどっちがいいですか皆さん。どっちを選ぶのも自由。私ならゲーマーは選びませんね。

まず芋本。対談が読みにくいらしいですね無能心理士には。これは神田橋先生のおっしゃるとおり「自分の問題として読む人には読みやすい」のだから、対談が読みにくいと言っている時点でアウトですね。花風社クラスタは、こういう人は選ばなくていいと思う。

『発達障害、治るが勝ち!』
実に大雑把な読み方ですね。でも正視に耐えなかったとしても理解できます。なぜならあの本は、こういう「治せない治療家」を追い出すための本だからね。

『NEURO』のけなし方は「そこかい!」っていう感じ。そしてyasuさんご指摘のとおり、別に私があの本でやっているようなABAの解釈は珍しくない。でもそこしかけなせなかったんじゃないかな。ブルーさんが持ってきてくださった動画の方みたいに「この本の肝は三つの解放だ」っていうことがつかめなかったんでしょう。すなわち
・頭蓋骨からの解放
・治せない医療からの解放
・治らないという思い込みからの解放
っていうことは読めなかった・目を背けたかった
のでしょう。

このオバカさんは一生懸命、金をかけずに読んだことを強調していました。まっとうに買っても計4700円+税。それをうちに払おうと払うまいと南の島旅行には影響しませんが、それだけのリテラシーもない。そもそも非常勤で食うや食わずでヒマにまかせてゲームしているようだから、お金ないのかもしれない。そしてこの層こそ、花風社の目指している「発達援助の非医療化」に一番恐怖を感じるでしょうね。アンチになっても当然です。しかも実質ツイッターしか発言の場がないとすれば、そこで必死になるのもわかります。

そしてブルーさんのこの記述

=====

このように、専門職アンチは情報処理の仕方が、0か100かのデジタルです。

教科書に対して内容を切り分けた上で、「教科書にはこう書いてあるが、このポイントについては、私はこうは思わない。別のアプローチができるかもしれない」ということをできる人は、かなりの知力です。

自分のアタマで考えて、教科書を健全に疑えるからです。
(※エビデンスに対しても同様です)

しかし、専門職アンチはそこまでの知力ではありません。事例にも挙げた通り、そもそも本を切り分けて読むということをしません。だから異なるパラダイムの切り分けに失敗します。

=====
を読んで思い出したのは、神田橋先生がかつておっしゃった
「仕入れ値が高いのよ」というお言葉ですかね。

私が「なんで一部の専門家は自分の持っている知識をアップデートしないのでしょう」ときいたとき。

一方で神田橋先生は、どんどん知識を仕入れてどんどん新しいことをしている。
それはどこが違うのか知りたかったわけです。

そうしたら先生がおっしゃったのが「仕入れ値が高いのよ」というお言葉。
つまりね、あんまりアタマが良くない専門家は教えられた知識を覚えるだけで必死。
必死で手に入れたものはものすごく貴重。
だからそれを見直して新しく知識を取り入れていく余裕なんて残っていないんですな。脳みそ的に。

試験を受けたときの出がらしみたいな専門家っていうことですね。

忙しいワーママ生活の中ではとうていお雛様出す余裕までないよ、みたいな感じ。
それを「うちも出していません!」と慰めてくる余裕のない仲間がいるとうれしかったり。

ともかく

=====

ところが、とにかく専門職アンチは花風社の本に必死で0点をつけたがります。そして、花風社の本の読者は、みな盲目的に本の内容に100%賛成している、キモい信者と思っているのです。

だから「あんな間違いだらけの本は読んでもらいたくない」となります。

これは自分が本を読む際には100%賛成で・・・つまり切り分けをせず「自分を洗脳するように」本を読む癖があるので、他の人も「間違った知識をアタマに刷り込むように読む」と思ってしまうのです。

=====

自分たちと同じくらいこちら側の読者に余裕がないと思っている誤学習があの上から目線の背後にあったとは。
うちの読者はそこまでオバカさんじゃありません。
何しろ読んで実践しなきゃいけない本だから。
どうしてもカスタマイズしなきゃいけないし。

対談が多いのは、元々の私の問題意識がエンジンになっている出版社だからという理由が一つ。
もう一つは「治せる臨床家と本を作るにはこれが一番早い」からです。
治すのに熱心な人は、一から本を書くヒマはないしね。
ゲームするヒマもないと思いますよ。

そして出てきた知見は「ぱっ」と市場に出してしまって皆さんに活用してもらったほうがいい。
そうやって読者との相互作用が起きていますね。
それが「ジャルゴンの連発」に見えるかもしれない。
それは次々ジャルゴンが生まれるせいでもあるし、アンチが不勉強で割合と人口に膾炙している言葉さえ知らないからジャルゴンに見えている可能性もある。
どっちみち、アンチにとってはジャルゴンに見える不可思議な言葉が一定の人たちに流通して一つの出版社一つのコミュニティが成り立っている。

長年花風社本を読まない理由を浅見の暴言のせいにしていた人たちが、そもそも栄養療法も食わずぎらいしているのをみても、本当に治るための勉強をする気はない当事者保護者と支援者。
それがアンチの実相ですね。

そしてこれだけの脳みその余裕がないところをみると
やはり栄養不足なんじゃないかな~。

さて、これでお返事は書きました。
あとはブルーさんの連載続きを楽しみに待ちます!

どうせ私は運がいい

2020-03-13 06:58:51 | 日記
こういうタイトルですけど、実はどっとこむにて好評連載中のブルーさんのアンチ考察へのお返事の一環です。
本当は専門家について書こうと思ったのですが、先日思いつくことがあり、専門家の前に番外編として入れることにしました。
ですのでこのあとにもう一回、ブルーさんの連載十回目に対するお返事ブログを書きます。

「どうせ私は運がいい」
これは私の基本的な世界観です。
でもアンチは違うんだろうな、ということに気づいたお話。

きっかけは私の五十肩スペクトラムでした。
なぜスペクトラムというかというと、典型的な五十肩の人のようにじっとしても痛いとか、上に上がらないとか、上着を着るのに苦労するとかはなかったからです。
ただ動きが制限されている感じがするのと、ストレッチとかすると痛みを感じる。

これは軽いうちに治しておこうと思いました。
そして治してくれるところを探しました。
ここでブルーさんが言う「発達障害は西洋医学と決定的にパラダイムがそぐわない」でしたっけ。その意味を知ることになります。
咳が止まらなければ耳鼻咽喉科に行きますし、皮膚に何かトラブルがあれば皮膚科に行く。
でもどうしても、五十肩は西洋医学な感じがしなかった。

そして調べてある徒手療法系の治療院を試してみることにしました。
自費です。

電話をかけるとまず、指名があるかきかれます。
おそらく多くの方は、院長とかそういう人にやってもらいたいのかもしれません。
私は指名しませんでした。
なぜか?
どうせ私は運がいいから、いい人に当たるに決まっている。ならば見えざる神の手におまかせすればいいだけ。

当日がやってきました。
若い女性が担当になってくれました。
まず、「使ってほしくない手法」があるかどうかアンケートを取られます。
どういうことかというと、たとえば鍼灸とかに抵抗があるかどうかです。
つまり抵抗がある人にはいやなことはやらないということでしょう。
私は療法家の判断にまかせることにしました。
鍼灸などするのは初めてですが、いやなら次回からやめてもらえばいいだけの話です。
そしてどうせ私は運がいいのです。いい方法を見つけてくれるでしょう。

その通りでした。
三回通いましたが腕はぐるんぐるん動くようになりました。
とりあえず一週間後にあと一回行ってみて、そのあとは適当に行ったり行かなかったりでよいようです。

この「どうせ私は運がいい」という世界観を持っていないと
「どうせ騙される」になってしまうのでしょう。
そしてアンチという人たちは
これまで運が悪かった人たちなのだと思いました。
「どうせ私は運が悪い」と思っていたら、目新しい情報を提供する人はデフォルトに疑ってかかりますよね。
私は違うのです。
自分の強運を基本的に信じているのです。

アンチは「花風社が藁をもすがりたい読者を騙している」と言いますが、この言葉が詐欺呼ばわりだと気づいていないようですね。
花風社は読者を騙してなどいません。
まっとうな商取引をし、対価と引き換えに情報をお渡しし、その情報は喜ばれています。
まっとうに経済活動し、社会保険に加入し、税務申告し、納税している合法的な会社です。
その会社を「読者を騙している」ということ自体が名誉毀損なのです。
そもそも「騙されている」と主張する人たちは、読者ではない人たちです。
私のもとには「ありがとうございます!」という読者、「花風社に出会えてよかった」という読者がたくさん集まっています。どっとこむをみるだけでもわかるでしょ。

もちろん花風社の本を読んでも効果がなかった人もいるでしょう。
だったらなぜうまくいかなかったのか一緒に考えてみればいいです。
これだけうまくいっている人がいるのだから、何か別のやり方があったはずです。

私は今回の徒手療法家との巡り会いを通じて
自分が基本的に「いいものと出会う」人生を歩んできたことに気づきました。
そうではなかった人は、疑うのだろうし、出会いに喜んでいる人を見ると、信者に見えるのでしょう。
そしてアンチとは、これまでも運が悪くて基本的に出会いを信じられない人たちなのだと思いました。

ブルーさん、お待たせしてすみません。
あと一回、専門家についてやります。

同調圧力という幻想

2020-03-11 07:49:48 | 日記
さて、ブルーさんへのお返事です。
遅くなりました。理由は二つあって、一つはやることが別にあったから。そして二つ目は、「これは細かく答えなきゃなあ」と思ったからです。
まずブルーさんのアンチ考察連載第9回
こちらです。



まず、成人当事者の自他の区別。
これができないのは不思議でしたが、関係性の発達の遅れ、ということで愛甲さんが説明してくれましたね(参考図書『愛着障害は治りますか?』)。
そして自分が自他の区別ができないからこそ、他人も同じメンタリティだと思い込み
購買行動と支持行動で成り立っている花風社(浅見)←→読者のフェアな取引関係が「取り巻き」とか「信者」に見えてしまうのでしょうね。
これはまあ、発達の遅れだから取り戻すしかないんですけど、
今回気づいたのは「社会が発達障害を理解すれば生きやすくなる。ゆえに啓発活動が近道」っていう誤学習も自他の区別のなさから来ているんだろうなあ、ということ。

たとえば発達障害者の就労支援が進み、ブルーさんの職場のようにいい意味でハイブリッドな働く場所が出てくるとします。
でもそこに雇用されるのは限られた人数なんですよね。発達障害の全員がいい職場に巡り会えるわけではない。
しかもたぶん、そういうところにたどりつくのは「社会の理解ガー」をやった人たちじゃない。そうじゃなく、自分の特性を踏まえ、それでもなんとか自分の心身を市場に適応できるために徒手療法家まで探し歩いたブルーさんみたいな人がそういう職場を得る。
つまり、社会が発達障害を理解しても、自分にその用意が調っていなければ、よい職場は得られない。
ここの自他の区別がついていないから、啓発を重んじてしまうのでしょう。

また、当事者の親の問題。

全員治らないのが好き
結果に差が出ないのが好き

なことには割と早くから気づいていました。
そしてギョーカイの言うとおりにしていれば、全員治らずに済んだのに、治そうよと言い出す人が出て治ってしまう一群が出てきてしまったのがそれはそれは面白くないことは理解できます。
ただしそれが「恐怖」だということは、今ひとつ私にはわかっていなかったわけですが。

そして私、今回ブルーさんのこの記述が気になったのです。

=====

この「他人の自由を認めない」村人気質は浅見さんもさんざん述べられていますが。

そして我々成人当事者が痛感させられることは、この「村人気質」が日本人のデフォルトであるということです。

なぜ痛感させられるかというと、暗黙のムラの掟(=空気)というものは、当事者にとっては大変わかりにくく、かつ体質的になじまないからです。

=====

実を言うと、私自身同調圧力ってフィクションだと思っていたのです。
いつごろまで思っていたかというと、十年くらい前でしょうかね。
つまりその前の45年余り、私は日本人をやりながら「同調圧力」っていうのは感じないで過ごしてきたのです。

私が出会った最初の村人は、猿烏賊改め発達負け組の親たちでした。
変な人たちだと思いました。
本来各家庭で選んでいいはずの子育て方針について、親戚ですらないのに(親戚にも口出しの権利はないと思いますが)口出ししたり、自分が株主や役員であるどころか読者ですらない出版社の方針についてあれこれ論じるからです。
心底変な人たちだと思いました。

そして私はこのような村人をみたのはこのときが初めてだったのです。
それ以前にこんな変な人たちはみたことがなかった。
私がたどってきた人生が、あるいは私の持っていた属性が、うまいことこういう村人を避けてきたようなのです。
私が出会った初めての村社会がギョーカイであり、そしてそのフォロワーである猿烏賊改め発達負け組の人たちでした。

だけどブルーさんが言うように、多くの人が同調圧力の存在を認め、それに苦しんでいます。
成人当事者たちもそうです。
そして「同調圧力がある」という前提のもとにSSTが進みます。
それが私には馬鹿らしく思えるのです。効率悪く思えるのです。だってブルーさんがおっしゃるように、発達障害の人にはなじまないから。
第一私は人生最初の40数年間、そんなもの知らずにのびのびと生きてきたのです。ないも同然です。
ないものに苦しがるなんて効率悪いですよね。
そんなもの無視して生きろよ、というのが私から送るメッセージです。

という私も猿烏賊改め発達負け組の人たちの他人の家に対する過度な口出しをみて同調圧力っていうやつの存在を初めて見たわけですが
その結論としては

「こんなものには一切忖度する必要はない」でした。
その結論は割と早めに出て、今に至るまで揺らいでいません。
あんな人たちに合わせる必要はない。仲間になる必要もないし1ミリも妥協する必要はない。
嫌うなら勝手に嫌っていればいい。

彼らは性根が卑屈だから、私が自分たちを見下されているかのような被害者意識を持っていますが
私は彼らを見下していません。
ただ、大っ嫌いなだけです。
そしてそれを遠慮なく表明しているだけ。
それは彼らが私を嫌いでさんざん罵っているのとまったく同じ事でしょ。
あっちに嫌う権利があれば、こっちにも嫌う権利はあるのです。当たり前でしょ?
それが差別というならいくらでも差別だと思っていればいいです。
「嫌われている」という事実より「あっちが差別的なんだ」と思い込むことで何かがごまかせるのなら勝手にそういうごまかし方をしていればいいです。
私自身は彼らに嫌われていることを差別だなんて思っていません。大嫌いな相手に嫌われても別にかまいませんよね。
あなた方が大嫌いな浅見はあなた方が大嫌い。アンチに言いたいのはそれだけです。

私が発達障害の人に対し、ギョーカイの支援者たちよりむしろ平等に対等に接していることを、花風社の本を読んだ人はわかっています。
わかっているからこそ支持しているし、読まずに非難し続けるアンチを読者の人たちが根本的に信用しないのも、読まずに不当な非難を繰り返しているからですから。

日本人の多くが感じているらしき同調圧力というものを感じていないのは私だけではありません。
他にも「ああ、あれね」とか「やらない言い訳だよね」みたいな反応を示す人はいます。
そして比較的社会的強者方面に多いんじゃないかな。
弱者方面のまねをしてありもしない同調圧力を読もうとしたりそこに忖度するより
強者方面のまねをして同調圧力など無視する方がずっと健康に毎日が送れますよ。

だから花風社クラスタの成人当事者の人たちも、なじまない同調圧力などにびくびくせず、もっとおおらかに自分の資質を開花させてほしいと私は切に願っていますよ。
それができる成人当事者の人は、たくさんいると思います。
同調圧力なんて、実はないのです。
あったとしても無視していいものなのですよ。
そんなもの押しつけてくる人たちとうまくやる必要は1ミリもないのですから。


続く

「どこでも治そう発達障害」創立記念講演ご報告 番外編

2020-03-08 12:19:25 | 日記
さて、「どっとこむ」のブログコーナーに三回シリーズで創立記念講演のご報告をしました。
こっちのブログではその番外編です。

ねこ母さんから収支報告が送られてきました。
赤字が出ても補填することを本業に始めた「どこでも治そう発達障害」ですが
創立記念講演は大黒字となりました。
皆様のおかげと感謝しております。

また、zoomのホストをしてくださった方からも、メールをいただきました。
日にちの迫る中で参加者の安全を確保するために急遽導入したzoom。
今度のことはホストの方としても経験値になったということ。

そうだと思います。
今度のことでは、それぞれ経験値を積みました。

ホストの方。
短期間でやり遂げた。
そしてあれだけ皆さんに喜ばれた。
最初からこの講演を諦めていた人にも参加のチャンスを広げた。

ちゅん平さん。
神演説。
コロナ騒動でお店の仕事も大変な中ですからなお一層すごいことです。

ねこ母さん。
普段より大きな会、申し込みのペースも速い会を仕切る。
コロナ騒動が起きる。キャンセルも来る。雑音も入る。
一方で騒動の中でも新たな申し込みも受け、「治そう」の需要の高さを実感する。
決行とzoom導入。
そして黒字。

浅見。
ずーっと構想を抱いていた「どこでも治そう」の実現。
突然の訃報と日程のやりくりがついたこと。
福岡できいた港北公会堂の閉鎖。でもリスケもうまくいったこと。
zoomと出会ったこと。
私らしく一晩でzoomの営業をせっせとし、黒字幅を広げるのに寄与したこと。

結果的に、zoomを含めた参加者数は当初の予定を越えました。
トラブルあってもくじけない。むしろ逆手にとって倍返し。
私っぽいです。

唯一事前との計算違いと言えば、来場者数減による当日書籍の売り上げ減ですが
100名来るはずのところに三分の一しか来なかったら売り上げが下がるのは当たり前なんですよね。
それでも締めてみるとすごく売れていました。
理論的には来た方は必ず何かを買って帰ってくださった計算になる。
あの状況で来場する方は、相当花風社の愛読度が高いということですから、これは本当にすごいことです。
皆さんありがとうございました。

そして黒字を出したねこ母さんには、「どこでも治そう」に寄付とかしないでもらいたいと私は思っています。

赤字を補填するための会なのに今のところ赤字はなく、口座にお金があります。
その中にはねこ母さんや旦那どんさんが寄付してくださったお金もあります。

旦那どんさんには当日もお越しいただきました。
zoomがうまくいかなかった場合のバックアップ動画を撮っていました。これを旦那どんさんがやってくださっていた。その他窓が開くのを発見したのも旦那どんさんです。

ですからお二人で美味しいものでも召し上がっていただきたいです。

そして知ってほしいのです。
広めてほしいのです。

「花風社、儲かる」と。

今度の事でわかるように、事を起こせばみんな何か学びがあります。
金銭を得るだけではなく、学びがあります。
それが座波さんが、そして私が、「発達障害の人にだって働いてもらいたい」と思う理由です。
今回も色々それぞれ学びました。

そしてもう一つ学びがあるとすれば

「花風社、儲かる」ということ。
花風社の講座を開けば、お小遣い稼ぎになるということ。
それを広めたい。
講演を開く意図はそれぞれ崇高なものもあるでしょう。
というかそうじゃないと開けないものだと思います。
皆さんが利益を出そうとしてやっているのではないことはわかります。

でも24年間会社経営してきた立場から言わせてください。

「花風社の講座は儲かるからやろう」も立派な理由だと思います。
たにしさんのような副業規定がある方の場合は別ですが
ねこ母さんのような民間人にとって
遊ぶ金ほしさに働くのはいいことです。
だから儲けた金で、きちんと遊ぶのはよいことなのです。
あるいは猫ちゃんたちにちゅーるってやつを買ってあげてもいいかもしれません。

もちろん儲からないときもあります。
人が集まらないとき。
遠方で講師の旅費がかかるとき。
定員が少ない会場のとき。
それでも講演を企画したい人はいるでしょう。
だって治るから。
たにしさんの場合のように「自分の子が治ったからお裾分け」という気持ちをお持ちの方もいるでしょう。

赤字の場合の心配をなくそうと作ったのが「どこでも治そう発達障害」です。
そして黒字が出たら
お子さんと遊んでも、ママ友とランチしてもいいです。
赤字なら補填する。
黒字なら遊ぶ。
うんと儲かったら寄付を考えてもいい。
こうやって「治そう」を広げていきましょう。

帰ってきてからFBで、zoomが学校への無料開放を決めたと知りました。
私たちにギフトを贈ってくれたのもzoomが今こそと応援してくれたのかもしれないな~なんて思いました。

それに対し特別支援学校の教師たちが「そんなすぐに言われても導入できないよ~」みたいなのんきトークをしていました。

この違い。
この違いが官と民の違いです。

私たちは3000円いただくことの重みをずしりと感じ
通信がうまく行かなかった場合のバックアップを取っていました。
せめて音声だけでもあとから送れるようにしようと。
動画も撮っていました。

けれども教師たちは、多大な税金を使っていながら、その自覚がない。
腰が重い。
この違い。
やはり人を育てるのは民間なのです。民間人の感覚なのです。

だからこれから皆さんも
「花風社講座、やったら儲かるかもしれない」と考えて企画を立ててよいのです。
そして儲かったら生活のうるおいに、お子さんたちに、猫ちゃんたちに、なんでもいいけど、好きに使えばいいのです。


そういうシステムを私たちは作り上げたのですよ。
これがすごいことだと思いませんか?