治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

「治らない」ことを選んだ人々

2020-01-28 20:58:10 | 日記
さて、「どっとこむ」「仕事のお部屋」で連載されているブルーさんのアンチ考察へのまたまたお答えブログです。

今回のブルーさんは



アンチの「量と質に関する読み間違い」を指摘してくれています。

このうち「量に関する読み間違い」はかねてより私がやんわりと(当社比)指摘していたことでして、凡ST関連の証拠保全をもとにそれをコメントで説明しておきました。

こちらね。



ではこっちのブログでは「質」の問題に移ります。
花風社アンチと花風社クラスタの「質の違い」。
これこそが私がいったんはツイッターは閉じようかな、と思った理由だから。

アンチはクラスタの皆さんに失礼でしたね。
どう失礼かというと、見くびっています。
どう見くびっているかというと、皆さんが私に騙されて花風社の本を読んだりしていると決めつけていた。

私は「バカ」の定義を「自分の価値観を相対化できない」と理解していますので、彼らが暴言と取る言葉を次々吐いている私を支持している人は、「治りたい一心で独裁者の暴言を耐えている無力な民」に見えるわけですね。

でもそんなはずがないのです。
私は権力者ではない。民間人です。
民間人は選び選ばれる存在です。
ですから
ブルーさんがおっしゃるように、皆さんが花風社を支持する理由はたった一つ。太字にします。

=====
支持者がいるのは、本の内容に賛同し、試行錯誤したら良い結果が出た人がいるからです。難しい話ではありません。しかし、このシンプルな話がアタマからうっかり飛んでしまっているのです。
=====

このシンプルな話がうっかり飛んでいるのかもしれませんし、意識的にか無意識的にか飛ばしているのかもしれません。
なぜなら(とくに古参のアンチにとっては)花風社の提唱する方法に実効性がある、実効性を感じて喜んでいる人がいる、という事実は絶対に認めがたいからです。
なぜか?
そこにそれがあるのは知っていた。十年前から。
知っていたのに選ばなかった自分がみじめになるからです。

アンチの多くが「選ばなかった理由」を私の「暴言」のせいにしています。
一生懸命暴言集みたいなのを作っている人もいます。

私はそういうのを見ると「あ~昔も今もいいこと言ってんな~私」と思うのです。
考えていることが自分の口から(指先から)出た言葉たちであり、「言わなきゃよかった」と思った発言はただの一つもありません。
めんどくさくてツイッターを鍵かけていた時代には、アンチがくるくる回す「暴言集」が本当にいい仕事をしてくれているな~と思っていました。
鍵をかけていても私の発言が世の中に流通している。なんとまあ、ありがたいことでしょう。

そして栄養療法が出てきました。
栄養療法をやっている人たちはFBでサークルを作っていて、ツイッターにはあまりプレゼンスがありませんでした。
けれどもアンチに連なる人々は、花風社の本に対するのと同じ態度を取りました。
読まずにインチキ扱いです。
要するに「浅見の暴言」は「読まない・やらない」後付けの理由だったとわかります。
彼らの行動原理は「とにかくなんにもやりたくない」であり、そのための言い訳をどんどん探すのですね。

さて、「暴言」集を見て、実際に「暴言だなあ」と思った人もいるでしょう。
そういう人でも別に、私と個人的な接触はしなくてすむのが版元と読者という関係性です。本を読んでやってみればいいだけ。「暴言への嫌悪感」<<<<<<<<治ったらいいなという気持ち
の人はやはり花風社の本を読むのです。

一方で「自分の価値を相対化できない」人から見ると信じられないことに、浅見の言動を見て「そうだ!」と膝を打つ人もいます。
どうみてもこっちの方が言っていることが正しい、という人もいます。
そういう人もやはり花風社の本を読んで実践してみます。

こういう花風社の読者にあるのは何かというと
ブルーさんのご指摘のとおり、主体性です。
花風社の本は、読んで実践してみないと効果がわかりません。
実践するだけの元気がない人
すでに実践するだけの関係性が途切れてしまっている人にとって、治った自慢は最初からすっぱい葡萄です。

一歩で私の「暴言」が結界となって
怖がりの人が入ってこられない世界になっているのが花風社クラスタです。
これも花風社の実践の歩留まりを上げています。
なぜなら「治せない親」というのは「怖がりの親」だからです。
私の「暴言」のおかげで、花風社クラスタには怖がりの人が入れないシステムになっています。
あるいは最初はおっかなびっくり入って来た人も怖がりが治ってくると、以前は「暴言」に感じていたものが暴言に感じられなくなります。
身体アプローチに親子で取り組むうちに、親御さんの「そこはかとない不安」「恐怖麻痺反射」が取れていくからです。
一方でアンチでアクティブに騒いでいる人たちの精神科利用率、服薬率はなかなか高いですよね。
ああいう人たちは身体アプローチも栄養アプローチも結果が出るのに時間がかかりますから、別にこっちに入ってこなくていいのです。どっちみち心底治りたくないようだし。それに、ああいう人たちが入ってきたら、歩留まり悪くなりそうです。

ではその結界を張るために私がわざと「暴言」を吐いているのかというと
そんな意図は全くありません。
私は好きなこと言っても困らない程度には強運なのです。
これほどの強運に恵まれない人には、たぶん理解できないほど屈託なくものを言っているだけなのですが
結果として結界を張っているようですね。
「そんなことを言ったら人にどう思われるか」といった説教臭さを発揮して私の行動を制約できると思っている凡ST方面の人々には理解できないと思います。
「人にどう思われるか」を行動の基準にしている人は、私から見ると全員愛着障害です。

そして花風社クラスタと花風社アンチでは主体性の強力さにくっきり差ができますので
花風社クラスタの皆さんは
行政がアリバイでやっているような支援のむなしさは見抜くし、場合によっては上手に利用するし、卒業時期を見極める目も磨いているのです。

そうなると困るのは誰でしょう?
行政の制度があるからこそ仕事がある凡医療凡支援ですね。

花風社クラスタの皆さんは、我慢して半年にいっぺん凡医につきあったりしているのですが
「治す」ことは期待していない。
それがSNSとかでは見えてしまうので
「引き剥がしだ~」と騒ぐのでしょうね。

でも逆にききたいです。
現行の行政アリバイ医療支援に満足している皆さん。
いったい行政のアリバイ支援が何をしてくれました?
たとえば藤川先生のブログや、どっとこむの治った自慢にあふれているような事態を行政提供支援がしてくれましたか?

指いい子やプロテインで知的障害治ったなんて成果は、行政提供支援では得られません。
なのに唇かみしめてお仕着せの支援にじっと我慢している人たちを見ると
「自分のこと、自分の子のことなのだから自分でどうにかしよう」という主体性はたしかに感じませんね。

そしてその主体性を発揮しているのが花風社クラスタです。
話が合わないのは当然なのですね。

それで攻撃されても、花風社クラスタの皆さんは一生懸命説明していた。
なぜか?
凡医に絶望に突き落とされ、穀潰しの凡支援に翻弄されたあとで
「こんなに簡単な家庭での取り組みで治るんだ」ってわかったので、知ってほしかったのですね、同じ障害児の親として。

でもそれは通じませんでした。
ツイッターは鍵閉じて、平和にやった方がいいという決断をしました。
けれどもそうなると新しい仲間が入ってこられない。
「治るんだ」って知る人がいない。
それでどっとこむを作りました。
そこで皆さんにおおっぴらに治った自慢をしてもらいました。



その結果、他人が治ったのをインチキがる方面の人ではなく
他人の治った自慢に勇気づけられ「いつかは治った自慢をするんだ!」と瞳を輝かせて入ってくる人たちが増えました。
『知的障害は治りますか?』のご注文も





「どこでも治そう」の発足、及び創立記念講演会の好調ぶりも
「新しい世代」の台頭を表しています。

治る人数に定員はありません。
これまで治った人がいた、ということは
これからも治る人がいるということです。
それを知らない人がまだ多い。だから広めたい。
九州のお姉さんずも、方々で次の「どこでも」企画をしようとしている人たちも
そう考えて動いてくれています。

でもアンチは違うのです。
「知っていた」のです。
「知っていたのに選ばなかった」のです。
彼らの選択は、大事にしてあげましょう。
彼らを説得する必要は、もうないですよ。

凡医療群の謎

2020-01-24 13:38:55 | 日記
さて、どっとこむで連載中、ブルーさんのアンチ考察に対するお返事ブログです。
今回のブルーさんの記事はこちら



今回ブルーさんは、医師とか心理士とかSTとかなんとかかんとか、とにかくそういう資格を持って(主として匿名で)ツイッター活動を行っている人たちの「いちゃもん」を分析してくれています。反医療ダー、栄養療法ブームへのいちゃもん、そして標準医療ダーの三点に突っ込んでくれていますね。そして匿名の凡医療軍団が嫌っているのは「花風社クラスタがあるものにイエスといい、あるものにノーを言ったからだ」と看破しています。

私は炎上のたびに何かを拾うわけですが、NEURO期凡ST関連炎上でつけた知恵は「医療業界には底辺がたくさんいて、そいつらが匿名で憂さ晴らししていて、だいたいが不勉強である」という知識です。花風社にひどいいちゃもんをつけていると必ず特定情報持ってくる人がいますので、それで身元がばれてみたら「なんだ、絶対消費者として選ばない程度の医療従事者じゃん」ということがわかったわけです。

この体験を生かしてどっとこむでは
・保護者はハンドル推奨(これは、将来障害があったことを開示するかどうかの判断はお子さんに権利があるため保護者は名前を出さないことを推奨している)。
・成人当事者は自分で判断(藤家さんのように最初から親御さんに理解があるケースもあればニキさんのように親バレを防ぎたい人もいる。その他成人は自分で社会生活を構築しているので判断はそれぞれ行うべし)。

と二者にはハンドルを許可しているのに対し医療従事者に対しては
・実名、あるいは浅見が所属と実名を知っていること

を参加の条件としています。
みんながブログを愛読している児童精神科医のなおちゅん先生も私は実名と所属を存じ上げている。その他の医療関係者の皆様も同じ。

またyoyoyoさんのように凡STや閑古鳥底辺出身校ドクターより(少なくとも我々消費者目線で言うと)一万倍くらいステータスが高いと思われる医療関係者もいらっしゃいますが、保護者として参加されているのでもちろんハンドル推奨です。

そのyoyoyoさんはこうおっしゃっていますが



私が凡医療軍団を見て心からびっくりするのは、彼らが知識をアップデートする気が全くないことです。

「学歴自慢」とか言われたけど、私があそこで出身校を出したのはyoyoyoさんが看破していたとおりの理由ですが、そもそも低学力とは学力が低いことを指すのではない。たいして調べもせずに堂々と物を言うことです。

それを座波さんは「防衛機制」「悪しき反射」と教えてくれたわけですが、だとしたら彼らは何かを恐れているわけで、それがなんだか私にはわからなかった。

でもブルーさんの記事を読んで「そうか。結果として私を含む花風社クラスタが彼らを選ばなかったから怒っていたのだ」とわかったというわけです。

でもね、選ぶのは消費者でしょ?
彼らは「花風社の本読んだことない自慢」をよくする。
読んだことのない人が一生懸命けなしている、というのも第三者から見ると判断材料なんだけど、その自覚があるのかないのか読んだことない自慢をしている。

それに引き換え花風社クラスタの皆さんは一度は凡医療を頼ったんですよね。
その結果として、(あんまり)頼らないことを選んだ。

私は『NEURO』にも書いたし先日大阪でもしゃべったけど、国家資格保持者が診断をつける権利を有しているのは合理的だって言ってますよね。だからみんな病院行くのはわかる。支援の入り口だもんね。でもその待ち時間に家で身体アプローチ実践してたら治っちゃうかもしれないけど。そして医者が言う「一生治りません」は信じなくていいよ、と言っているだけ。

じゃあなんで凡医群が「一生治りません」というかというと、知識がアップデートされていないから。

ところが知識をアップデートしている人たちもいるわけです。
そういう人たちを私たちは当てにしている。
発達障害は治ることがわかってきた。けど治すのは医療じゃないとわかってきた。自分だとわかってきた。「自分で治しなさい」とその治し方を教えてくれる先生たちの知見が本になってる。それを私たちは次々読んで実践しているわけです。そうすると凡医療群はたしかにいらないわ。

この「たしかにいらない」って言うときでも私たちは、彼らの失業とか滅亡とかを願っているわけではないですよね。「私たちはいらないけどどっかに需要があるんじゃない? だから彼らを必要とする人たちの間で仕事してくれればいい。うちはいらない」って思っていると思います。違う?

だけどね、もともと不安の強い人たちだから(だからこそしじゅう匿名でツイッターで文句言ってるんだろうし)「凡医療を選ばない一群」の存在自体がとても脅威なんだと思いますね。

でもさ
知識をアップデートしない専門職
みんな、必要?

たとえばさっきまでゲラを読んでましたけど、「あ、ここに”発達の”の三文字を足した方がいいかな?」と思ったらそれを赤ペンで入れて、写メして、愛甲さんにメールするわけです。「ここ入れていいですか?」ってね。

愛甲さんは売れっ子心理士で、フリーランスなのに週五日スケジュールぎっしり+週末も個人営業ですから、電話つながらない時間帯も多い。でもメールしておけば都合のいい時間にお返事くださる。

でも私がこの世界に入った30年以上前はこうはいかなかった。
手書き原稿に校正記号つけて入稿していたんですから。
三文字赤を入れるのにじっと著者の帰宅を待ってたかもしれない。

手書き原稿の時代を経て、「フロッピー入稿始めます」とか言って、みんなワープロ(古)買わされて、何が始まるのかとガタガタ震えてたりしたね。

ところが今はゲラも一日で出てきちゃう。宅配便もいらない。ダウンロード用のURLが送られてきてそれをみんな同時に見ているんです。

ところが「自分たちの習った知識では水溶性ビタミンが~」みたいな人、おまけに千何百円の本も読まずにそれ言っている凡医療クラスタを見ていると、未だにフロッピー入稿に怯えている人みたいに見える。

一方で着々と知識をアップデートして、外から持ってきた知識でも(藤川先生の場合)、他業種の人に学びながらでも(神田橋先生の場合)、「患者が自分で治す方法」を惜しみなく提供してくださる先生たちもいる。

そしてこっちから見ると凡医療群とこの治す先生たちは段違いなので、同じ職業の人にすら見えないんだけど、彼らは彼らの中で「結果の差が出る」のがいやなんだろうな。だからあからさまに治す先生たちを選ぶ私たちが嫌いなんでしょうね~。

そして大先生たちにしろ、栗本さんみたいなおっさんにしろ、モチベーションがあるよね。
「自分で治す方法をみんなに教えてあげたい」というモチベーション。

ところが凡医療群はそのモチベーションがないよね。
やってるのは自分たちが知っていることとの答え合わせだけ。
えんえんと昔の知識との答え合わせをしている。
不思議なことに、今治らないとされているものでも治してあげたいというモチベーションがない。

大先生たち及び栗本さんとかにはそれがあるのよね。

じゃあなんで治すのにそれほど興味がない人たちが医療に入っていったかは不思議。
「金がほしい」はまだわかる。
身体の大きい子が相撲部屋に入って親にラクをさせたい、っていうのとあまり違わないような気がする。

でもコメディカルの場合には経済的な特権も医者ほどないようだから
だったらいったい何が医療に入る動機なんだろう?

と考えたとき

市場原理を避けられる

っていうのは大きな理由になりうるので

だとしたら花風社も花風社クラスタも大嫌いだろうなあ

と思いました。

今回はこんな感じ。

でもブルーさんのおかげで私も色々見えてきた。
4月4日の無料読書会でお話しします。

ではでは。



学びの場としての花風社コミュニティ

2020-01-22 10:40:56 | 日記
さて、「どっとこむ」でブルーさんがアンチ考察を繰り広げてくださっています。
これについてもこっちのブログに書くつもりですが、今回は別の件です。

ブルーさんの連載について、金田隆佳さんがこうおっしゃっています。

=====

ブルーさん、今回もためになる記事をありがとうございます。

医学界では、「医療は科学だけでは不十分だから、経験による知恵・物語(NBM)を今よりもっともっと大切にしていかないとだめだ!!」という考え方にシフトしています。

EBMは結果的にNBMの重要性を証明したともいわれています。

「花風社は浅見さんや著者の方々、クラスタの皆さんの物語(NBM)」であると僕は思っています。

治したい、治りたい人たちが「治る情報」を探すのは当たり前であって、そういう方たちが花風社を選択するのは不思議なことではありません。

=====

それについてブルーさんがこう答えています。

=====

金田さん

コメントありがとうございます。

>「花風社は浅見さんや著者の方々、クラスタの皆さんの物語(NBM)」

⇒これは本当にそう思います。

特に赤本から始まった「治るといいな物語」は、本当に壮大ですよね。
なんか「自閉っ子サーガ」という感じです。

良くも悪くも物語は人の魂に直接届いてしまいます。

花風社の持っているのは、ソリューションや知見、
コミュニティもさりながら、
この「自閉っ子サーガ」の力も大きいと思っています。

=====

座波さんには(そして愛甲さんにも)「今更気づいたの(笑)」って言われたのですが
私が今回大阪に行って気づいたのは「花風社はすごいムーブメントを起こした」ということです。

この気づきが一晩寝てから。

そして二晩寝てから、さらに気づいたことがありました。
今やコミュニティとなった花風社クラスタは、学びの場ともなっているのです。
何を学ぶか。
人と人の間で生きていくとはどういうことか、です。

講演当日、新幹線に乗っている私のもとにみるさんからメールがありました。
北東北のお土産をいっぱい持ってきたそうです。
ああそれはいいですね、皆さん喜びますね。
私はシンプルにそう考えました。

会場に着くと、もうお客様が待っていました。
やがて開場します。座波さんと私は講師席へ。
お客様がどんどん入ってきます。
参加者の方が気づいていたように、お客なのに受付周りで色々気を遣ってくださっている人たちがいました。
みるさんもその一人でした。

休憩時間、受付には東北のお菓子が。
私も二つほどいただきました。
皆さんどんどん取って行かれました。

饗宴へ。今回の饗宴の場となった串カツ屋さんでは一人飲み物が二杯までコースについていて、それ以上ほしい人は各自追加。
私は二杯で済みました。ここ大事。高タンパクの成果。
でももちろん追加を頼んでいる人もいて、みるさんが何かと気を遣っていました。

普通に考えれば、みるさんは今回(たぶん交通費も誰よりもかけて)遠くから来ているお客さんなのですから気を遣う必要はない。
でもみるさんはこれから就活する人です。そういう人への気遣いは絶対雇う方にはわかりますからマイナスにはなりません。

そして二次会へ。
雪が降ってた盛岡から来たみるさんと20度の沖縄から来た山城さんが向かい合いに座って仲良く話していました。

そして一晩。
新大阪のホテルで起きた私がつくづく感じたのは「花風社すごい」ということ。
これはどっとこむのブログに書きました。

そして二晩寝て
私に良質のフラッシュバックが起きたのです。
それは盛岡講演のときのことでした。
このブログで「無から有を」と検索してみてください。
あのときのレポートが載っています。

あのときは沖縄から二人参加してくれて
私たちは前日から夕食をともにした。
沖縄のお二人、栗本さん、みるさん、そして私。
五人で冷麺にたどり着かないほど肉を食べた。みるさんのお母様が差し入れをしてくださった。
山城さんはブルーアイスを持ってきて、お店で食べられるように交渉してくれた。
次の日の講演では、沖縄のお二人もお客のはずなのに、何くれとなく手伝ってくれた。
そしてちんすこう。たくさんのちんすこうを持ってきてくれて、みんなで食べたなあ。ちんすこう食べまくりのご兄弟もいたなあ。

楽しかった~。

そして気づいたのです。
今回の大阪でのみるさんは、あのときにしてもらったことをお返ししていたんだな、と。
みるさんにそういう意識があったかどうかは知りません。
でもみるさんは、親切にしてもらって、親切を学習した。

もちろんみるさんにその学習の土台ができていたからできたこと。
私はシアさんの超弩弓治った自慢を見てそう思いました。

=====

今日の治った自慢は、超弩級です。
大げさじゃないんです。
この話をしたら、「○○さんはつまらないかもしれないなぁ。。。」って、思えたんです。
仕事の話をしていて、同業者でもなく、お客さんにもわからない話を、しばらくしていたけど、「この人は退屈かもしれないな。」って、思えました。
私が楽しくても、この人は楽しくないかもしれないな。
そう思えたんですね。


おはようございます。
空気が読めるようになって、いろいろ変化があったので報告します。
・夜、目が覚めても、寝ている家族のことを考えて、ガタガタしなくなった。
・↑その際、特に次の日早朝仕事がある家族のことを考えました。
・家に帰ってくる家族のために、ルールがなくとも風呂を沸かすなどしました。
・↑コレは、明日雪が降るなと言われました。(実際に雪が降りました。)
・ゴミが溜まったら、捨てるようになりました。(以前は促されたり、時間が決まってました。)
・トイレットペーパーを、なくなったら(次の人が困るな)と思って、補充することを覚えました。(機械的に補充するのではなく、次の人が困るなと考えるようになったのが進歩です。)
・同様に、次にそれを使う人のことを考慮して、道具を元に戻すと言った行動の芽生えが実感できました。
・教わったことを取り入れると同時に、「自分ならこうするな。」と創意工夫することが多くなりました。
・↑コレは、主に仕事で機械や道具を扱うことが多いから、主体的に伸びた部分だろうと思います。

=====

シアさんが空気読めるようになったのは身体アプローチの成果。
そしてみるさんが思いやりを覚えたのは、小さい頃からの家庭教育、身体アプローチで土台を作っていたこと。
そこにこねプロをやって実社会と出会いそこで思いやりを示してもらったおかげだと思います。
沖縄のおっさんずが盛岡でやってくれたことがうれしかった。
すると自分が遠くに行ったとき自然にそれができてしまうのですね。

自然な人間関係の中で、こういう学びの場を作っている。
やはり人は人の間でしか覚えられないことがあります。
そして「治そう」という希望を持って全国から集まる仲間の中でこういう思いやりを学ぶ場が生まれる。
やはり花風社が作ってきたものってすごいなあと思いました。
私はたった一度の人生で、こういう場を作れて本当に幸せです。

炎上ありと炎上なし、それぞれの風景

2020-01-16 19:42:41 | 日記
さて、こっちのブログ更新です。
題材はまたもや、「どっとこむ」で展開されているブルーさんのアンチ考察への返歌的な記事。
今回の記事(本編第三回)はこちらにリンクしておきます。




今回も大笑いです。

『人間脳を育てる』は現在10刷りですが、8刷りから9刷りしたときより9刷りから10刷りしたときのほうがペースが速かった。
普通は出版から時間が経てば経つほどペースが落ちるのですから、珍しいこと。
これは明らかに「恐怖麻痺反射トンデモ」とアンチが騒いでくれたおかげでしょう。「大大大博士祭り」で懲りたのに、学習しないアンチの皆様です。

じゃあ本を売るためには炎上があった方がいいのか?
アンチの一部は、浅見がわざと本を売るために炎上を起こそうとしている、という都市伝説にしがみついているらしい。
あ~そんな摩訶不思議な見方するようだから仕事できないんだろうな、と思います。
仕事できない→市場に選ばれない→ブルーさんの言うとおり市場に選ばれている人たちが大嫌い・選んでいる人たちも大嫌い
ということでしょう。
市場原理が比較的少なく(これも変わりつつあると思いますが)穀潰しでも生きていける医療・福祉分野にしがみついている・肩入れするのは、ブルーさんのおっしゃるとおり、「選ぶ・選ばれる」から(比較的)無縁でいられるからかもしれません。
まあ要するに、市場における弱者なのかもしれませんね。

今度の新刊『知的障害は治りますか?』を売るためにまずやるべきは、ゲラを進めること。
ところがここ数日、大阪出張、どこでも治そう関連業務、愛甲さんに質問する会関連業務等があり、ゲラは進んでいません。
ていうか花風社のHPもまだ更新されてないぞ。
炎上なんか仕掛けているヒマはないのです。

では炎上があった方がいいのかないのか。
それを説明しますので、ノロケ話を一つおききください。
ノロケ話が嫌いな人は帰った帰った。

====キ====リ====ト====リ====線=====

ではよろしいですか。

今月の末、夫婦で旅行します(また)。
一月の末にどっか行けそうだ、と夫が言ってくれたとき、「奄美大島でもいいよ」と言われました。
私の愛する奄美大島の風景を夫に見てもらいたいと思っていたので、色々調べました。
シーズンオフだから安いです。でも泳げない。そのかわり鯨見られるかも。ドライスーツとかいうのでシュノーケリングもできるらしいけど水温は低い。出てきても温泉があるわけではない。

ということを夫に話しましたら「やっぱり温泉がいいな」ということになり

桜島と霧島に行くことになりました。

奄美大島だったら 黒糖焼酎 豚足 大ざっぱに切った島のお刺身 ホエールウォッチング

とかを楽しんだと思いますが、桜島霧島だと

芋焼酎 黒豚 鰹とかそういうやつ 温泉

を楽しむことになります。

つまり、炎上があるかないかはこの程度の違い。
あったらあったで、なかったらなかったで、目的に向かって突き進むだけなんです。

「炎上もまた環境」です。しかもあれは降ってくる。炎上があるかないかに関し、花風社はつねに受け身です。炎上を起こすのはいつもアンチ。こっちがやるのが商売。

そして奄美大島なら奄美大島を堪能するように
桜島なら桜島を堪能するように

どっちも目的に向けて「ああ今度は炎上あり・なしなのね」と対応を変えればいいだけです。
夫婦旅行の目的は「(仲良く)遊ぶ」。
出版の目的は「ギョーカイを潰す」です。

ところがなかなかアンチ方面もたき火をたく人がいなくなってしまった。
そのときにアンチの中に救世主として現れたのがYだった。去年の炎上では。

張り切ってましたね。
矢印まで作っちゃって。



でも嚥下とかやってて、発達よくわからないもんだから、花風社どれくらいのもんかもわからなかった。
「ただの編集者をどうして心理士とかが講師として呼ぶんだき~」とか言って、無知丸出しだった。
でもその無知に長年くすぶっていた発達負け組は「私たちを救ってくれるヒロイン」を見いだし、担ぎ上げたんですな。

その結果Yが得たものは、身バレです。
ツイッター弁慶の人たちが何よりも恐れる身バレ。

長年のアンチの犠牲になったのですな。
大事な大事な匿名性を失ったわけです。

なんでこうなっちゃったかというと
それが座波さんが言うところの「浅見さんの無意識の賢さ」ですかね。

っていうわけで、長年のアンチは今も「自分たちがたき火をたく勇気は無いけど、また誰か火中の栗を拾ってくれないかしら」
「ていうかYさんまた頑張ってくれないかしら」と期待しつつ、炎上が起きないのでぶつくさ言っているわけですな。

私には炎上を起こす力などありません。炎上商法という四文字熟語の後半が私の担当。炎上を起こすのはつねに長年オチし続けているアンチの皆さん。

座波さんは大阪講演で言ってましたね~「恐怖を感じれば感じるほど長く執着する」って。
治っていってしまう人が増えること。治せる支援者が脚光を浴びること。それは彼らにとって恐怖なんですな。

炎上あると売れる。
炎上なくても売れる。

それが真実なんですよ。

NEURO期恐怖麻痺反射関連凡ST関連炎上のあと、花風社には「どっとこむ」ができ、実質チャネルが増え、ブログも二カ所になりました。

最初はめんどくささから鍵アカでつぶやいていた皆さんの中には、リツイート用のアカウントを作った方もいるし(つまり増えた)、鍵アカの中で、アンチの目の届かぬところで「愛知県の治せる医師情報」とか交換していたりする。

そしてどっとこむが新規読者を増やした。
愛甲さんの会には新規の方が続々といらっしゃる。ここ数ヶ月で花風社につながった方たち。

横浜では女子会もできた。
これから各地でできるらしい。

そして「どこでも治そう発達障害」発足。

これのどこからどこまでが炎上のおかげなのかおかげではないのか、わかりません。
わかんなくていいです。

ともかく私たちは
「治そう」の仲間を増やし続けている。
そしてそれは社会のためにいいこと。
社会のためにいいことだ、と信念を持ってやっているから、私は健康を崩さない。

そういうことです。

ではでは。

どこでも治そう発達障害 設立の経緯でわかったこと

2020-01-11 10:40:09 | 日記
さて、「治そう! 発達障害どっとこむ」の方でお知らせしているとおり、このたび花風社クラスタの皆様と、任意団体「どこでも治そう発達障害」を設立いたしました。

この任意団体を立ち上げようというヒントをくれたのは、もちろんみるさんが作ってくれた「こねこプロジェクト」です。
自分が治ったから、地元でも、東北でも治る人が増えるといいな
という志を立て
関東から二人著者を呼ぶという講演の計画を立てます。
関東から東北に大人が二人移動する、というのはそれだけで費用がかかります。
けれどもみるさんはまだ学生。赤字が出た場合、それをかぶるのはきつすぎる。
そこで全国の皆様からお志をいただきました。
そのおかげで昨年は、秋田県大館市にも伺うことができました。
今もこねプロには余力があります。

私がこの経緯を見て思ったのは「これで地域格差などなくせるな」っていうことです。
どっちみち支援者など治さない。治すのは家庭。だったら地域に関係なく治せる家庭を増やせばいい。そのために地元の有志が経済的な心配をせず会を開けるようになったらいいな、と思いました。

ずーっとこれを「やろうよ」「やろうよ」と言っていたのですが、なぜここに来て急いだかというと、応援したい会があったからです。
かなり遠方に、栗本さんと座波さんを同時に呼ぶ会。
座波さんは会社員で、講演活動は一回一回会社の許可を取りながらです。
だから関東で一回、関西で一回行うことになったのですが
やはりお子さんを抱えていたりすると、同じ西日本でも大阪まで出てくるのもきつい方は多い。
その人たちでも、どうしても我が子を働く大人にしたい人たちが、座波さんと栗本さん二人をかなり遠方に同時に呼びたいという志を立てたのです。

この会を応援しようと思いました。
それで、設立を急ぎました。
というかスタートダッシュをいただきました。

ところが、花風社クラスタの方は、基本的に高潔なのです。
赤字が出たら、かぶる覚悟でやっているというのです。
それでも実際には赤字はない方がいいですよね。
というか、いざとなったときの手当があれば、企画がラクですよね。
そこで
「会の応援を仰ぐ場合には申請してもらう。それを役員会で審査し、承認した場合には告知等を応援する。売り上げが黒字になった場合にはそれは主催者の利益。赤字が出たときのみアシストを行う」というかたちにしました。
「どこでも治そう」は収益事業を行わず、ひたすら応援する会となりました。
もう一件、申請をいただく予定です。
今度は長い日本列島の逆の方面です。

もちろんこれは、関東近郊でも使える制度です。
廣木さんや藤家さん、そしてこよりさんなど、遠くから人を呼びたいかもしれない。
栗本さんや私など、関東勢を呼ぶにも一名よりは二名の方がハードルが上がる。
そういうときにこの制度を使っていただけばいいのです。

栗本さんと座波さんが遠くに行く会は、私も行くつもりです。
といったら主催者の方に「浅見さんの旅費はどうすれば」ときかれたのですが、講師としてではなく参加者としていくのですから、当然自腹です。
ギョーカイはこういうとき親にたかる。
でもそのギョーカイの体質が私は嫌いなのです。親を金銭的に、そして労力的に搾取し、しかも治さない。威張るだけ。
そして高潔な花風社クラスタの皆さんの多くも、このギョーカイのたかり体質が嫌いなのですねきっと。
私が自分から行くのです。栗本さんの見張りもかねて。
自腹を切るのは当たり前です。

任意団体を思いついたときから

「どこでも治そう発達障害」の名前で口座を作れればいいな、と思っていました。
でも任意団体で口座を作るのは結構難しいとも聴いていました。
花風社の愛読者である税理士の方にごく一般論として事前に色々ご相談していましたが
やはりその方からも「口座作るの難しいときいている」と言われました。
ですから今度、口座ができたのはラッキーなことでした。
みるさんの場合には、みるさん自身のお金ではなくても個人口座で管理せざるを得なかったので。

その口座に今お金があるかどうかというと

あります。

まだ皆さんから一円も寄付を募っていませんが、すでに振り込んだ人が四人います。

浅見
浅見夫
ねこ母さん
ねこ母旦那どんさん

の四人です。
とりあえずこの四人で最初の基盤を作りました。

今後もどんどん「どこでも治そう」を応援するために
皆さんに志をお願いすることになるかと思います。
そのときにはどうぞよろしくお願いいたします。

親バカと市場価値

2020-01-09 10:24:11 | 日記
さて、「仕事のお部屋」にブルーさんの「アンチ研究」が連載されています。
長年花風社に執着するアンチを研究して、その根底に「では花風社の基本思想とは何か」と見いだしたらしいアンチさんの連載。
大受けですね。
なぜ「仕事のお部屋」に連載しているかは、読んでいくうちにわかるようですが、連載の途中で私も一度ブログ記事にしたいと思います。

まずはまえがき。



ブルーさんは、「長年執着している人」に関して考察を進めているということがわかりますね。
炎上のときに一時的にクラスタの皆さん(含私)と殴り合った人たちではなく、なぜか長年執着している人たち。

そして本編一回目。



どうやらアンチの嫌いなものは「結果の差」だということ。
これは大笑いしました。
私の実感ともぴったりきます。
彼らは花風社をけなすために「エビデンス」をよく出しますが(そして座波さんがそれが「悪しき反射」「防衛機制」だと『発達障害でも働けますか?』の中で説明されていますが)
実は彼らを見ていると、どうやら「科学的なオーソリティが出してくる治る検証」も大嫌いなのです。
要するに「何をやっても未来永劫一ミリも治らない」のがアンチの理想の世界らしい。
それには気づいていましたが、たしかに彼らが嫌いなのは「結果の差」ですね。
「何をやっても未来永劫だれであっても一ミリも治らない」のがアンチの理想。
うちの子が治って他の子が治ってみんなハッピー ではなく
うちの子も治らず他の子も誰も治らず の世界が理想の様子。

と、ここまではアンチdisのようになってしまいましたが、ここからは花風社クラスタさん向けの大事なお話です。

本編第二回。



■事例④「治すなんて差別」「治すと●すの区別がつかない」

これはね~「治すと●すの区別がつかないとか、どんなアタマをしているのか」と不思議でしたが、そこに「市場価値」が持ち込まれると一挙に謎が解けますな。なるほど。

そして花風社クラスタの皆さんから
・これじゃあ数十社受けるのは無理だろう
という話が出ました。
氷河期なんて、別に障害がなくても、数十社落ちるのは普通でした。
そして今は納税者となった味噌ぴ家のご長男は、実際に専門学校の新卒の時40社お祈り通知をもらったそうです。このときはすでにギョーカイ離れしていた味噌ぴ家ですが、ギョーカイの支援下にあったら「社会の理解ガー」とか言われていたかもしれません。ギョーカイはすぐくじけるからさ。それが伝染して迷惑なんですよね。

でも味噌ぴ家のご長男はくじけることなく、遠くから見守っていた私も「ああいう子はどっか受かるよね」と思っていました。世の中の流れとしてああいうお子さんはどっか受かる。
そうしたら官公庁のチャレンジ雇用に選ばれ、それから何度かステップアップして今は週五日8時間労働の社保完納税者です。
でもそもそも、ご両親がきちんと労働倫理を育てていなかったら、40社落ちた時点で耐えられなかったと思うのです。
つまり40社も落ちられるというのは、立派な力なんですよ。

そしてアルパカ世代のクラスタさんから「なるほどアンチはそうなのか。私と違うなあ」という声が(鍵アカ)。
氷河期世代で百社受けたし(結果素晴らしい仕事に)
飲み会と称する合コンにもマメに顔を出し(結果素晴らしい配偶者に)
今は凸凹っ子を治すためにどんどん情報収集+どんどん実践してどんどんお子さんは発達しているわけですね。

それはなぜかっていうと
お子さんの市場価値を上げるため、とも言えるかもしれません。
でもアンチが邪推しているのとは大前提が違います。

根底に親バカがあると思うのです。
そして親バカこそが最高の子育てというのは、神田橋先生が繰り返し繰り返しおっしゃっていますね。

花風社クラスタの皆さんはお子さんの発達障害を治したい。
それは親バカだからです。

親バカだから、他人から見て美形ではなくても「うちの子世界一かわいい」。
市場からの評価ではさほどの能力が無くても「うちの子っていけてる」って思ってる。

でも一方で、市場というものがあることは冷静に知っている。
自分もそこで勝負して、勝ったり負けたりまた立ち上がったりそういう営みをしながら家族を養っている。
市場が悪いだけのものではないこと、社会がある限り市場が消えないだろうことも知っている。

だったら「うちの子イケテるよ」っていう(今のところ)親しか見抜いていない真実を顕在化するためにできることはしよう。
「治そう」の動機はこんなところじゃないでしょうか。

ところが「治すと●すの区別がつかない」人たちはきっと、そこまで親バカじゃないんだろうな~と思います。
たぶん世の中に張られている(と彼らが勝手に思っている)「あんたんちの子、いけてないよ」を真に受けているのではないでしょうかね。


連載の続きを楽しみしております。