治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

凡医を問い詰める会 ベーシックコース

2019-02-28 20:15:10 | 日記
さて、凡医を問い詰める会の会報データができあがりました。画伯お疲れ様です。
明日入稿しようと思います。

これは2冊以上お買い上げの方へのプレミアムですが、ベーシックコースはここで公開します。

凡医を問い詰める会にご興味をお持ちの皆様
会員資格はとくにありません。
年会費も無料です。

まずベーシックな問い詰め方は

「生まれつきの障害ですから治りません」と言われたときに意気揚々と

「先生! 生まれつきってどこから始まるのですか?」と質問してみてください。

これを実際にしてみた方はいたようです。

そうしたら受胎の瞬間、と凡医は答え
それ以上色々問い詰めても答えは変わらなかったそうです。

そして「DSMにはこういうことが書いてあるらしい」とか追い打ちをかけたら

「まあ色々な人が色々なこと言うからね~」とか言ったそうです。

だったらその凡医氏も「色々な人」の一人に過ぎないので

この人が「生まれつきの障害だから、治らない」と言っても真に受けなくていいよ、というのが「凡医を問い詰める会」の設立趣旨です。
凡医をいじめるために作ったのではありません。
凡医の限界を見つめ、真に受けないためです。

そして問い詰めた結果を収集して永遠に分類とかすれば面白いと思います。
凡医を治す必要はありません。
反応を集めて分類して遊ぶのです。虫取り返しです。

まあとにかく、会報にはちょっと複雑な質問をのっけましたが

ベーシックコースはこれです。

「先生! 生まれつきってどこから始まりますか?」

リピートアフターミー

「先生! 生まれつきってどこから始まりますか?」


ちなみに、DSMではADHDのリスク要因のひとつに胎内での物質暴露を上げています。

っていうことは「受胎の瞬間決まって不可逆的である」というのは嘘です。
ADHDが発達障害で、胎内環境で発達障害になるのなら、受胎の瞬間は無事でもその後発達障害になることがあるということです。

そしてDSMはASDのリスク要因の一つに母親がてんかんの薬をのんでいたことを挙げています。

ていうことは妊娠前も生まれつきに入るのでしょうか?

考えれば考えるほど生まれつきってとらえどころがないのですが、凡医たちの見解がぜひ知りたいものです。

とりあえず凡医たちがなぜ堂々と「生まれつきの」を繰り返すのかについての私の見解は新刊「NEURO 神経発達障害という突破口」に書いておきました。

杉様は日本の医者はDSMを選んで使うと宣言されています。

DSMは絶対的なものだと私が考えているわけではありません。

ただ

杉様率いる日本のギョーカイ医師たちが恣意的にDSMを使うように、皆さんが日本の医療を、とくにまだ医療の体をなしていない発達関連医療をどう使うかは、皆さんが選択すればよいというだけの話です。

新刊「NEURO 神経発達障害という突破口」


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最初はお詫びから

2019-02-28 09:10:30 | 日記
まずはお詫びからです。
共同ブログの方なんですけど、私がコメント管理すると言っていたにもかかわらず(南雲さんは出張多そうで忙しそうだと思った)、2月17日の時点でいただいていたはゆさんとボリンゴさんのコメントを見逃していて本日の公開となりました。

両方とも素晴らしいコメントです。クリックしてみてください。
オンタイムにお見せできず、皆様申し訳ありません。
はゆさん、ボリンゴさん、公開遅れて申し訳ありません。
それと南雲さんにもお詫び申し上げます。さぼっててすみません。




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ということで今度はこっちのブログの話。
ブログ上のロングセラー「医師も逃げ出す迷惑アスペルガー」の記事に目からウロコのコメントをいただきましたので貼らせていただきます。

=====


Unknown (Unknown)
2019-02-27 17:00:11
>ももさん りんごさん
こんにちは。

私も多分、アスペルガー尊大型です(ごめんなさい。)ので、その行動に理解できるとこはちょっとだけ、あります。

親と同居している ということは、
たぶん、一回自立しようとして出来なかった腹いせか、
働いた給料に無理があって自立を諦めてしまった人だと思います。
自分の境遇に納得いってないけど、
親の厚が怖くて、反抗できないタイプなんじゃないでしょうか。それで、勤務先に甘えている。
彼らが、自分に合った良い人生を送っていれば、良かったんですが…。こうなりゃ、関わる人は、うっとおしいこと この上ないし、最悪ですね。

自分で自分のことを決めて、苦労もさせてもらえないような、カワイソウな人たちだと思います。

私もこんなんだからか、いちいち連絡寄越して、いつ帰るか聞いてくるし、駅前で ご丁寧に車用意して送り迎えしてくれるし、大学生にもなってバイトもさせてもらえないし、友達との海外旅行なんて絶対ダメでした。

こんなかんじで、なかなか自立させてもらえません。
周りと同じようにやってみたいことたくさんあったのに、母には、家で出来るじゃない。やるべきことを全部やってから、父には、お前には無理だからと興味ない感じなので、これはまさに、蟻地獄のよう。

自分の人生を考えて、真面目に提案したつもりだったんですが…。私の人生で重要な、プライドが打ちのめされました。他の人にしては、そんなの、どうでもいいことなのはぜんぜん知っています。

こんなんなんで、もはや後悔しないようにやりたいように足掻くしかないですね。
それが、他に生きるアスペルガーの糧になると信じながら。


=====

な~るほどね~と思いました。
職場でスタッフに安定剤のませるほどの暴君ぶりを発揮するアスペルガーの人は、職場の人に甘えているんだね。それはなぜかというと、家では自分の決断を重んじてもらえないから。
これはあるあるかもしれません。

私は以前から、ASDの人にとって最悪の親とは怖がりな親、という感覚を持っていたのですが、こういうことなのかもしれない。親の方もわかっているんですよ、やばいって。この子が素手で世の中に出たらやばいって。それでとにかく世の中に出すまいとする。これが「発達障害にならにように発達を止めちまおう」というギョーカイ支援とパラレルかもしれませんね。そしてこういう怖がりな親はギョーカイ支援に疑問を持たないんだろうな。

そしてこういう怖がりな親と怖がりな支援者の絶妙なマリアージュで、発達障害者支援法ができてからも一向にルサンチマン系が減らないことが説明できますね。

ある程度大人になってからはともかく、小さい頃色々やらかす子を素手で表に出して自分が謝ることがいやな親も多いんだろうな。

でもね。

率直にお詫びすればいいだけの話じゃないですか。

それだけのことをしたくなくて子どもを縛り付けるんだな。
それじゃあ発達は無理ですね。

そういう親のもとに生まれちゃったとしても、そこから抜け出す成人が増えてほしいですね。
十年後には療育された当事者の「ギョーカイ馬鹿野郎本」が出したいです。

発達障害の一番の原因は発達すること

2019-02-27 10:25:35 | 日記
脳みそぐるぐる、色々なこと考えています。
色々な情報が入ってきます。

南雲さんが先日ブログに書いてくれたこと。



成長には痛みが必要。
これは南雲さんが、そして私が、主張してきたこと。

それから3月3日の講演に備えてDSMをまた読み返して、「なんで自閉症の予後がこれほど明るいのか」について。

そして思い出すのは神田橋先生や愛甲さんがおっしゃる「症状は自己治療」ということ。

それから杉様本


この中で「神経」の二文字「NEURO」の五文字はまったく無視されていますが、少なくともギョーカイの一派はしれっと「生まれつき」から解脱していくでしょうね、という片鱗も見えます。そうなると

1 生まれつきの
2 脳機能障害だから

「治らない」

という根拠が崩れ去っていくわけですがそうしたらどうするのかな。

生まれつきの脳機能障害だから一生治らないと言われて1ミリも治さない支援者に無料でこき使われていたキャラバン世代のお母さんたちどう思うのかな。

一方で相変わらずギョーカイはライセンスビジネスに熱心だ。
ライセンスビジネス、というより胴元欲が強いんですね。
だから外からなんか持ってきて胴元に座る。
その割には「NEURO」の五文字はスルーなんですけど。

そしてそのライセンスビジネスを展開する言い訳を聞いていると「凸凹キッズたちに苦労させないため」みたいなわけ。

つまり今のギョーカイ支援は事前に苦労を摘み取ることが支援だと思っている。
南雲さんと逆だ。

ところがDSMは「ほっとけば治る」とでも言わんばかりのこと言っている。
だったら支援なんか入れない方が治るんじゃないの?

でも日本で発達障害者支援法が始まったのは引きこもりとかニートとかそういうのを防ぐために早期に介入しようということになった。
そして別にそれは効果を上げてない。
っていうか逆効果。
グレーの子が白くならず黒くなった十数年だった。

それとさ~

主としてネットに巣食っているあのルサンチマン系、何?
あの人たちがああなったのは早期に介入しなかったから?
それとももともと生きづらさを感じていたところに「あなたは頑張らなくていい。社会が理解すればいい」という啓発が重なったから?

それとさ~
学習障害で小学校のときから不登校とかになる子もいれば、南雲さんみたいに高校時代に爆発が起きる人もいる。

どの年齢で起きたかで対応はもちろん違うけど。対応によって成長していく。

色々な現象を考えていると、結局「発達障害の一番の原因は発達だ」と思えてくるんですよね。

DSMにも繰り返し繰り返し「環境が能力を超えたときに発現」(大意)って書いてある。

能力を超えた環境が出てきて(たとえば南雲さんの場合なら高校の勉強みたいに。だって小学校中学校は他の能力でカバーできてた)対応に困ったときに障害になる。

なんで対応に困るところまでいったかというと、それまで小学校中学校をこなしていたから。
それなりに発達していたから。

つまり発達するからこそ、発達課題が出てくる。

だったら発達するのが一番の発達障害の原因。

「だから発達止めましょう」というのがギョーカイ支援だな。

そして発達を止めるために色々な仕掛けを用意し、そこに課金し(行政から売り上げてる)

ほっとけば治るかもしれないこだわりやなんかを薬で抑えつけるんだな。



つまり

発達障害の一番の原因は発達。

なぜほっとくと発達してしまうか?

それは、命だから。

命だからほっとくと発達してしまう。

ところが能力の凸凹があり、それが社会生活に追いつかない場合に障害として現れる。

そのときにもがく。これが症状。

これをなんとか乗り越えさせてあげよう、というのが花風社クラスタ。

そのもがきを取り去っちまおうというのがギョーカイ支援。

だったら成長するはずがないね。

南雲さんみたいな子を早期に発見して「君は学習障害なんだから」と高校に行かせない。それが支援。そうしたら苦しまずに済むでしょ?

でもならば今の南雲さんはいない。



そして今度は覚醒剤みたいなものもADHDの子に処方できるようになるらしい。

杉様はDSM5の功績をASDの子にもADHDの薬を出せることに見いだしているから、ASDの子も覚醒剤みたいな薬を処方されることになるんだな。親がきちんと知識を持って拒否しなければ。

成長止めるどころか薬物中毒にするのか~

すごいな、ギョーカイ。
これが発達支援かよ。
発達支援産業を支援しているじゃないか。




まだの人は読んでね。

『発達障害者支援法は誰を救ったか?』


あっちにとっては流れ作業

2019-02-26 09:41:36 | 日記
今朝、朝一でいただいたこのコメントに涙です。


=====

Unknown (ここあ)
2019-02-26 06:49:22
NWEURO購入します。栗本さんの講習会に参加して、そこで花風社さんの本を知り何冊か購入しましたが、今回娘の成長にさらに繋がるのではないかと楽しみにしていました。『知的障害は治りますか?』も是非発売していただきたいと思います。娘は12歳の軽度知的障害です。『ゆっくりでいいじゃないですか。』『できることを増やしていきましょう。』と診断した医者や療育者に言われ、小学校入学前も『分からない授業を45分間受けていたら可哀想でしょう。支援学級なら娘さんに合わせて学習を進めますよ。』と言われました。初めての国語の授業だけはみんなと一緒に受けました。その時に読んだ文章を娘は今も覚えています。支援学級では塗り絵、ビーズ通し、畑作業。。。娘にあった学習はこんなことなのか。。。『無理をさせている。』『意味がない。』と思われていたでしょうが、平仮名を教え、カタカナを教え、足し算を教え。。全て私がやりました。やりたくなくて泣いたり、できなくて泣く娘と私もな泣きながら教えました。『先生書けるようになりましたよ。』『先生できるようになりましたよ。』と言い続け、だんだん学年の学習をとにかくやってもらえるようになりました。私は小学校で支援員をしていますが、大抵情緒の子供たちは知的に遅れがないので学習を進めたり、気分が乗らなければ放置していますが、知的の子供たちは素直ですし、コツコツ学習を積み重ねることができます。なのに知的だからと生活単元や自立活動という時間があり、国語と算数できているはずがアイロンビーズをしたり、畑仕事をしたり、外で遊んだりしています。情緒の子供たちには放課後学習の補習みたいなことをしているのに知的の子供たちにはありません。支援学級の中でも差別があるんです。浅見さんのような方がいてくださって本当に嬉しく思います。『もっと娘の好きなことだけをして過ごしたらよかったのかな。。』と葛藤することもありましたが、このブログに出会って、本に出会って『間違ってなかったんだ。』と本当に思えました。沢山の保護者が福祉や医者や支援者の言葉を信じています。『周りの力を借りて生きていけばいいのよ。』確かにそうかもしてません。でも、できることを増やす、体を整えることは本人が生きやすくなります。できることをしないままでいるのはとても残念です。知的の子供たちの親の方が成長を諦めている方が多いと思います。どうか子供たちにの未来の為にも『知的障害は治りますか?』の発売をよろしくお願いします。

=====

「ゆっくりでいいじゃないですか」って言われたって、本当はうちの子はもっとできることを知っている。同じ支援級でも、情緒の子たちには補習の機会が与えられている。支援員というお仕事を通じてその現実も見ている。そしてその現実の中で、少しでも機会を与えてあげたいと親子で頑張ってきた。

私が応援したいのはこういうご家族です。

じゃあ医療者や療育者どうなのよ、っていう話ですが
結局彼らにとっては流れ作業なんですよね。

彼らはね、病院や施設の中で待っている。そしてそこに藁にもすがりたい気持ちで子どもの手を引いて出かけていく親がいる。施設での面談や診察。親子にとっては必死でつかんだチャンス。けれども迎え撃つ支援者や医療者にとっては日常のルーティンに過ぎない。昨日も同じような親子は来たし、明日も来るんです。そして一年後も十年後も来る。そうしたらなるべく仕組んだルーティンに乗るように「ゆっくりでいいじゃないですか」と説得するんですな。

この温度差。
ルーティンで他人の子を捌いてベルトコンベヤーに乗っけている支援者とかけがえのない我が子をどうにかしたい保護者の温度差。
これが私は悲しいんですね。

そしてね
このちょこベビーさんのブログを読んで




ほんと、私が親の会とかと接触していた十年前となんら変わっていないんだな~と思います。
ちょっと背景を説明しておくとちょこベビーさんは現在中一の男子の母で、お兄ちゃんは元自閉っ子でひどい感覚過敏やこだわりやなんか全部治っちゃって今普通の中学生しています。もちろん同じ頃に親の会とかで接触があってその後ギョーカイめんどりコースに乗った人はグレーから黒くなっているんだけど、ちょこベビーさんちのお兄ちゃんは治っちゃった。

そしてお母さんが必死に花風社の本を読んで勉強していたころおなかにいた妹ちゃんにも診断がついたんだけど、一年経って「あれ? 本当に診断出たの?」っていうくらいの状況が今ここ。お兄ちゃんは栗本さんなしで治したけど妹ちゃんのときには栗本さんの知見も藤川先生の本もあるから鬼に金棒なわけですね。でも一応なんとかセンターでやっている研修に行ったわけだ。物見遊山で。

そしてちょこベビーさんは十年も、いや何十年も毎日流れ作業で悩める親子を捌いている先生なる人に「治っちゃった!」と意気揚々と報告し石化させてきたようですが、なんで石化するかとうと、彼らにとって「治った」というのが禁止ワードだから。それだけですな。

で、なんでそれが禁止ワードかというと、それは彼らの方面での掟に抵触するからですな。彼らの世界ではその言葉を使ってはいけない。

でもそれは彼らの世界の都合なんですよ。

だから彼らに「治りますか?」ってきくと「改善するけど治りません」とか言うわけ。その言葉が親に与える負のインパクトなんか、彼らの脳みそに入る余地はない。とっさに感じるのはそこで「治ります」とか「治っている人もいます」と言ったときの彼ら自身に降りかかってくる村八分のリスク。そんだけ。

そして私が「治りますよ」と言うときの「治る」っていうのはねえ、まあこれまで10000回くらい唱えていますが

診断が下されたとき、とっさに思ったでしょ。「治るのかな?」って。
そのときには元の状態に戻るわけではないから治るとは言えないとかごちゃごちゃした理屈は頭に浮かばなかったと思う。
まずとっさに浮かぶのは「治るのか?」という単純な日本語ではないでしょうかね。

ところがそれには「治りません」と言われる。
それはギョーカイ人の保身から発せられているだけなんです。
だから真に受けなくていいんですよ。
治るか治らないかなんて本当に考えて言ってるわけじゃないんだから。

それに対して私が「治る」っていうのは、
診断の瞬間皆さんの脳裏に浮かんだ「治るのか?」の方です。
保身とかへったくれとかない普通の日本語として使っているんですよ。

親なのに専門家の都合に引っ張られて専門家の言葉遣いを踏襲している人たちもいるけどね。
BAKAみたいです。

これもしょっちゅう書いてますけど
なぜ私がぜーったいに「治る」という言葉を引っ込めないか、理由は四つあって四つとも『発達障害、治るが勝ち!』に書いてありますからね。
花風社クラスタは敵を知るために杉様本読んでるんだから、検証精神をそれほど威張るのならアンチも治るが勝ちくらい読めよ。

命がつながれるということ

2019-02-23 15:50:17 | 日記
先日、21日、お墓参りに行きました。
湘南は春めいていました。

父には、もうすぐ花風社が23周年を迎えること
父があのときに私の起業をバックアップしてくれたおかげで、今多くの凸凹っこたちが治っていることを報告してきました。
父も喜んでいると思います。

前職で海外のブックフェア等に通ううち、自分も版元やりたいな~と思ったこと。

家族が助けてくれて会社が作れたこと。

出版界の仲間が最初、たくさん仕事をくれて会社が滑り出したこと。

やがて、ニキさんと出会えたこと。
そして発達障害の世界に入ってきたこと。
ちゅん平さんが治っていく姿をずっと見られたこと。

自閉症者による法的被害を受けたこと。
そこでギョーカイに意欲も能力もないことを知ったこと。
夫が一緒に闘ってくれたこと。

いやになっていたときに神田橋先生と出会ったこと。
『発達障害は治りますか?』というタイトルの本を出してある種の人々を怒らせたこと。
思った通り第一次猿烏賊騒動が起きたこと。
でも一方で、あの本をきっかけに自由な生活をつかむ人が増えたこと。

そのうち、10000%無名な治す以外に取り柄のないおっさんと出会ったこと。

そして十年前、私が負けなかったから、今治りたい人にオプションを提供できていること。

色々な出会いと別れがあったこと。
でもそれは全部自分で選んだものだということ。

きっとこれからも色々あるでしょう。
NEUROだってギョーカイが読んだら怒り心頭だと思いますし。

23周年目の創立記念日の本日は、朝から色校や白焼きを見ていました。
色校はド迫力です。
実際実物大に紙に刷られると、NEUROの五文字が迫ってくる感じです。

これからお出かけします。
お祝いにジビエしてきます。高タンパクです。

皆様のご愛顧に感謝しております。



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トラウマは一発学習(大河漫画一部公開します)

2019-02-22 09:27:28 | 日記
先おととい、久々のギョーカイトラウマを受けて
怒り心頭で雨の中傘も差さずアタマから湯気出しながら帰ってきて
おとといの午前中はなぜかふだん滅多に冷えない足が冷えてました。
アタマに血が上って足に回らなくなったのかもしれません。

午前中はなんとか仕事していたのですが
午後は休んじゃおうかな、と思いました。
思えば何日オフをとっていないのか。
沖縄から帰ってきたのが先月20日。DSM-5の原書が届いたのが21日。21日の午後一気に神経発達障害のところ読んで、翌日から「NEURO」を書き始めたのです。沖縄行く前の忙しさから考えると丸々一ヶ月は休日を取っていないでしょう。

あ、でもNEUROは原則としてDSM虎の巻的な本ではないですよ。
以前からNEUROについて書く構想は持っていました。ギョーカイがあまりにこの五文字を無視することには気づいていたので。
そして今年の1月1日に原書を注文しました。、2019年最初のお買い物でした。

なんで原書を読んだ途端に「これを早く出そう」と触発されかというと、「ここまでギョーカイは情報統制するのか」とそこに気づかされたからです。もっと早く読んでいればよかった~と。これだけ情報隠していることをもっと早く皆さんに伝えておけたのに、と。
それで急いで出そうと思いました。

まあともかく、肉体的には相当疲労しているはずです。
その間他の仕事もやっていたし、筋トレだってやってたんですから。
高タンパク食で乗り切っていたかも。
それとどんなに忙しくても夜は寝られます。それが私の強み。


まあともかく、ギョーカイトラウマの後遺症として身体が冷えたあの日、この際なんか好きなものを食べに行こう、とランチに街に出ました。
今日は高タンパクとかそういうの考えないでいいからとにかく自分の身体が食べたいというもの食べようよ、という感じ。なんだったらデザートも可。アイスクリームでもケーキでも。っていうかお酒も飲みたければいいんじゃない? 午後休んじゃえばいいんだから。とにかくこのギョーカイトラウマ由来の冷えを追い出すのが大事。

そして結果的には、インド料理屋さんができてたのでそこに入って可もなく不可もないバターチキンを食べました。凡インド料理屋ランチにつきものの詰めの甘いサラダもついていた。ビールは頼まなかった。ナンは残した。結果的に高タンパク低糖質スペクトラムでしたね。
そしてバター食べると基本的にデザートなんかいらない、っていうことで午後からも仕事。
っていうかほかほかしますよ。バターチキンの中にはほかほか成分がいっぱい入っているよね。
夕方になったら今日は絶対無理だろうと思っていたトレーニングに出かける気になりました。
そして短縮バージョンだけど、1時間半くらいトレーニングして帰ってきたらもう冷えもギョーカイトラウマもどこかに行ってしまった。

そして思いついてしまったんですよ。
皆さんにお配りする「発達障害がなんで身体アプローチで治るのか一目でわかる絵はがき」。
一日の中で自分に起きた出来事で気づいてしまったことがあって、それをどうしても描き加えてもらいたいと思いついてしまって。それでラフを出し直してもらう、という災難を画伯にはかけてしまいました。おまけにそのラフを見てさらに思いついて(以下同文

今回のギョーカイトラウマでは、神田橋先生のあの言葉を思い出しました。
「トラウマは一発学習」っていうやつです。

蛇に噛まれたことのある人はそれ以降、長いものを見ると怖くなる。長いものを避けるようになる。これがトラウマの正しい作用。

そして私に今回トラウマを与えた人は、私に長いものをみせたつもりで蛇を見せたつもりではないと思います。でも私は「自閉症者の特性に萌えた支援者に自分の感情をないがしろにされ、眼前ではしゃがれて自分の親しい人の前でも露悪趣味を発揮されつらい思いをした」というトラウマを持っている。それが一気に発動したんですな。
あっちはただの長いもののつもりではしゃいで、私と私の親しい人たちに手柄のつもりで見せたのでしょう。でも私には蛇に見えた。これまで親しくしていたつもりの人が蛇を見せて私が大事にしている場所に嫌がらせで置いていったように見えた。
そして私がやったことは、その人との関係を絶つこと。すっぱーん。

でもこういう風に誰かのトラウマを喚起することは、私もやっていると思います。

私が「治そうよ」というとき、ある種の当事者保護者にある種のトラウマを喚起していると思う。
それは私が意図していないトラウマだと思う。
「治そうよ」にトラウマを喚起される人は、自分が自分でいてはいけないような扱いをされてきたことに傷を負い続けている人でしょう。
そういう人は私がなんの悪気もなく言う「治そうよ」に傷つけられる。
私を傷つけた人が私を傷つけるつもりなどなかったように。

だったら言うな?

いいえ。私にはちゃんと言う権利があるんです。
私は治すのがいいことだと思っているし、そのための方法を知って伝えようと様々な努力をしてきた。そしてそれによって助かっている人もいるんですから。
そもそもの原点を「NEURO」の大河漫画にしておきました。
今回特別に一部公開します。



私が最初に思ったのは「この四つの不具合をどうにかしてあげたい」です。
私はニキさん藤家さんが大好きだった。
大好きだったからこそ、こんなにいい子たちが社会に出る障害となっているこの不具合をどうにかできないかと大真面目に考えたのです。
凡医たちはどうにもならないといった。
だから私は凡医の群れの外で探したのです。どうにかする方法を。

そしてそれは2019年現在、どうにかなるものになった。
全部解決したんです。




そしてここがどうにかなると、知的面・学習面・情緒面でも障害がなくなっていった人が多い。
身体アプローチをやった人はそのことに喜んでいるんです。

なぜこの四つの不具合が治ると知的面・学習面・情緒面も治ったのか?
それは発達障害=神経発達障害だからです。
神経発達障害だからこそ、全部一挙に治るんです。
それで喜んでいる人たちがいるんですから、私の発言がいかにある種の人たちのトラウマを喚起しようと、私は発言をやめません。



それでもこういう背景は一向に知ろうとせず、「治そう」と言い続ける私がある種のトラウマを喚起するとアンチな当事者保護者諸氏が思うのなら

私を切り捨てればいいんです。
私が先おととい、それまで親しかった人を切り捨てたように。
いつまでもじくじく見てないで。
私は自分を傷つけた人との関係を絶った。
それと同じように
「治そうよ」という私の主張で自分が傷つくのならもう見なければいいだけです。

私と縁を持つ必要はあなたたちには一切ありません。私がなんらかのトラウマを喚起するのなら、それはほぼ生理的なレベルの出来事ですから、いくら言葉でごまかそうとしてもダメ。自分のトラウマを喚起するものはすっぱり視界から外せばいいんです。
そして堂々と、自分は治る必要はない、と胸を張って生きればいいのです。
治りたい人だけが治ればいいのです。

でも最後にひとつだけ考えてみればいいと思います。
本当に治りたくないですか?
誰かに「治らなくていいと思うことこそ正しいんだ」とすり込まれたせいではないですか?
私は新刊の中で「障害受容何それ食べれるの?」と書いています。
障害を受容するもしないも自由。でも断じて支援者に強制されるものではないと思います。

治りたいか治りたくないか。
あくまで自分で決める。
そのとき友だちの意見はきかなくていいです。
支援者の意見なんかくそくらえです。彼らは所詮他人です。業者です。
自分の本心をみつめて決めればいいです。
だって自分のうちのことだから。
花風社クラスタはそうやって一人一人自分の本心を見つめ、そして「治りたい」と決めた人たちなんです。

私は悪気がなくても私を傷つけた人との縁を切りました。
なぜならトラウマは一発学習で、生理的なレベル。
それはどれだけ謝罪されても言葉では治らないし、私は私を傷つける人と付き合う気はない。
これが自己肯定感です。
自分を傷つける人からは遠ざかる。もう近寄ってこないようにする。
そして全世界に人がたくさんいる以上、誰と付き合うかは主体的に決めてよいからです。

私は一度こじれた人とは、決して仲直りをしないことを信条にしています。
それが私のソーシャルスキルです。
その代わり新しく出てきた縁は大事にします。
ただし、去る者は追いません。
時々去る者を土俵下に突き落とすことはありますが。
それはよほど相手を憎んだときです。
なぜ土俵下に突き落とすか。
二度と近寄ってきてほしくないからです。

だから、「なんとか自閉っ子にラクになってもらいたい」と思った最初の私の赤心を疑ってかかっているアンチな人たちに対しても同じです。
その人たちに私の善意をわかってもらいたいという気持ちは1ミリもないのです。
誤解を解く気もないのです。
私の原点は、自閉っ子にラクになってもらいたいということ。
多くの人たちがそれをわかってくれています。
そして花風社の本を読み続けてくれています。
でもアンチがそれをわかる必要はないです。
ずーっと、一生誤解していればいいと思います。

そして治らない、という意志を貫き
「発達障害は治らない」とその一生を通じて身体を張って証明すればいいと思います。

私は治りたい人のために情報を提供していきます。
そしてそれは多くの人に喜ばれています。
たった今私の命が終わっても
私は満足して死ねると思います。
それくらい自分の仕事に誇りを持ってやっています。
でもそれをはなから誤解している人たちにわかってもらいたいとは全く思っていません。
その人たちとは縁がなかった。
それだけの話。
でも世の中には治りたい人がいます。
私は思ったことを言い続け、そちらの人たちが気づいてくれたらそれでいいのです。
だから「治そうよ」と言い続けます。
治りたくない人の気持ちを変えるためではなく
治りたいけどその気持ちに自分で気づいていない人に本心に気づいてもらうために。
そしてその人たちに、治りたいのなら方法はありますよ、と気づいてもらうために。

銅メダルとっていました。
直販もとても多いのに、ありがたいことです。



「NEURO 神経発達障害という突破口」

花風社HPはこちら。



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3月3日講演会についての業務連絡

2019-02-22 08:23:43 | 日記
まず、キャンセル待ちの方々

全員入金確認とれました。本日赤いお札をお送りいたします。

昨日「赤いお札が届かない」とご連絡くださった方。

発送済みですが、再度お送りします。
というメールを返信したのですが、返ってきてしまいました。
とにかく赤いお札を再送いたします。

その他「入金したけど届いていない」方はお知らせください。

それと、饗宴の参加者もお知らせください。

よろしくお願いいたします。

凡医を問い詰める会について

2019-02-21 08:52:45 | 日記
さて、昨日はAmazonのリンクだけ張って直販のところはリンクしていなかったのに、一応花風社HPには新刊情報上がっているので、素早く見つけてご注文をたくさんいただきました。誠にありがとうございます。
今回は二冊の方が多いですね。もちろん、人に配りたくなる本だということ、そのために値段を抑えたということもあるのですが、きっと二冊以上お買い上げの方特典付録「凡医を問い詰める会」の会報を楽しみにしてくださっているのでしょう。

でもすみません。
まだ会報はないのです。

今画伯が作っているところです。
っていうかそのはずです。
私はネームを渡しました。あとは画伯待ちです。
だからSNSに浮上してきたりしたら、「あれ、画伯お仕事は?」ときいてあげてください。
そういうヒマはとうていないはずですのでね。

まあともかく、凡医を問い詰める会で何をやるかというと

まず凡医を問い詰めます。
それに皆さんのご協力をいただきます。

凡医の問い詰め方は「NEURO」にも書いてありますが、会報ではさらに演習形式で漫画にしてあります。
そして凡医のリアクションを集めます。
採集です。虫取り箱にピンで留めましょう。
ある程度数が貯まったら分類してその分類についてえんえんと議論してもいいかもしれません。
凡医を凡医でなくすることなどそっちのけにして、永遠に分類してもいいかもしれません。
虫取り返ししてやるのです。

医学の進歩は(他の分野では)めざましく、国民皆保険のもと医療者の皆さんは頑張っておられる。それが世界に名だたる日本の医療制度です。
普通医療現場では、凡医にはめったに会えません。
けれども発達障害の医療は凡医のエルドラド。いくらでも凡医が見つかる凡医の宝庫です。
そこにかかわらざるをえない皆さんの前にはいわば凡医の宝の山がそびえているのです。
それを逆手にとって楽しんでみませんか。

ていうか、本当は「NEURO」を一番読む必要があるのは凡医の皆さんかもしれません。
これからこの本を読んだ人たちが攻め込んでくるのです。
どう防衛するか先んじて考えておかなくてはならないではないですか。

Amazonでもランキングを獲得しているようですね。
発売後の動きに注目です。





花風社HPにもアップしました。

どうぞごらんください。
一緒に買う本としては、まだ読んでいない方には「自閉っ子のための道徳入門」がオススメです。

新刊発表です

2019-02-20 12:50:10 | 日記
表紙から発表。
インパクトあります。




そう。どうしてもギョーカイが「NEURO」の五文字を無視するから、この五文字について書きました。
というか、この五文字が三つの解放をもたらす。
その解放について書きました。


根底にあるのは私の思想です。
これ。

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 多くの元発達障害児たちが「昔、発達障害だったよ。でも治った」と言いながら自分の好きな仕事について楽しみながら社会貢献している。
 それが私の夢見る未来である。 ――本書より

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三つの解放を三つのパートに分けました。
目次です。

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Neuro 神経発達障害という突破口

Part1 神経発達障害という新定義 頭蓋骨からの解放

 消息筋によると
 「理解する」から「治るのか?」へ
 神経発達障害というとらえ方こそ発達障害が治る突破口である
 まずは本人たちのつらさをどうにかしようという発想
 治るようになった四つの身体の不具合
 感覚過敏は治る
 人格の問題とみられる多くの問題が身体(=神経)由来である
 神経発達障害=頭蓋骨からの解放

Part 2 医療からの解放

 発達障害医療はまだ未開の地である
 医者が言う「生まれつきの脳機能障害で一生治りません」には実は根拠がない
 凡医ではないお医者さんたちはどこをみているか?
 医療は何をしているか?
 知的障害は治りますか? 凡医間の情報流通システム
 早期診断は支援産業の青田刈り
 どういう介入がよいのか? ヒントはNEUROの五文字
 親子で遊んでいるうちに治る人たち

Part 3 「治らない」という思い込みからの解放

 「生まれつきの」ってどこから?
 発達期はいつまで続くか?
 中枢神経はどのように育つか?
 三つ組みの障害 と考えると治りにくい
 治すことが正しいのか?
 障害受容何それ食べれるの?
 みんなと同じことをすることのリスク
 かつての親の会
 治らない、と言われていた時代にも治した人たちは何をしていたか?
 なぜ専門家が本当のことを言わないか?
 一粒の卵ボーロで買収(応用行動分析)vs 言葉以前のアプローチ(身体アプローチ)
 身体アプローチを言葉以前のアプローチと名づけた理由
 発達期はいつまで遡れるか?
 栄養療法を試してみてわかったこと
 受胎前の状況さえ取り戻せる?
 頭蓋骨から解放されると場所も時間も越えて治す方法が広がる
 最後に 散々こき下ろしてきた支援者の人たちに

あとがきに代えての付記

参考文献


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直販組の方

お財布とかお気持ちとかに余裕があれば、「凡医を問い詰める会会報漫画」のおまけ目当てに二冊買っても大丈夫です。なぜなら必ず誰かに配りたくなるからです。
主治医が凡医の場合には凡医にプレゼントしたくなるかもしれません。
その場合、帯は外してもいいですよ。そのままでもいいですけど。
帯ありは、いまだに「うまれつきの脳機能障害で一生治らない」とか言っている凡医の目には少々衝撃が強いかもしれません。
こんな感じです。










ま、おまかせします。



Amazon組の方
お先にどうぞ。
アップされております。

ここからお買い求めください。


神経どこ行った?

2019-02-20 06:30:42 | 日記
昨日は、ひっさびさにギョーカイ人による「健常者に人権なし」をやられてどっと疲れました。
アタマにきてアタマにきて降り出した雨をものともせず怒りに湯気を出しながら濡れて帰ってきました。
ので早く寝ました。十時前だったかも。
そして朝起きたらねこ母さんがブログ更新してた。
消えた神経!
これ、あの本のがっかり感がよくわかります。どうぞごらんください。



そうなんですよ。話題沸騰の杉様本で皆さんが戸惑っているのも


「神経どこいった?」だと思います。
発達障害が神経発達障害になったのにほぼほぼ言及されていない。
それどころか惜しげもなく「人情なき医師団」の本音がたった1600円+税のムック(経費落とさなくても一般消費者が買える金額)にこれでもかと吐露されている。
ねこ母さんもご指摘の通り、浜松医大教授による「今までは何もせずお守りしてたらよかったんだけど」発言は大びっくりです。
私が「治さない医療」って言ったとき、「浅見さん、言い過ぎ」って思った人いたかもしれないけど医療自らが、しかもこんな立派な本に編者として名を連ねる大先生自らが「これまではお守りでよかった」とか言ってるんだから。
しかも「DSM-5対応」と銘打ちながらDSMとは違う解釈が載っている。
不思議な本です。

昨日の朝、私もこれ読み直していたんだけど面白いことに気づきました。
最後の方に運動障害について載っているんだけど、それについて書いている先生たちがうちふるえながら「いつもは精神医療に無視され日陰者の私たちがこんな栄えある場所に呼んでいただいて」(大意)とか書いてるの。ばかみてえ。それで「こいつらDSM読まないで書いてるな」ってわかりました。
だってDSM-5の「neurodevelopmental disorders」のとこには知的障害も自閉もADHDも学習障害も運動障害も一緒にくくられてるの。このうち杉様が興味あるのは「自閉とADHDが一緒になって薬出せるぜウハウハ」なとこだけなんだけど、私から見ればどれも神経だとくくられたことの方が「治る」につながると思うの。

神経発達障害だから、治るときは一挙に治るでしょ。自閉もADHDも学習障害も知的も運動障害も。
そして薬物だとかなんとかプログラムだとかでは全然治らない。局所的な対応で一時的にカンカイするだけ。
それは神経だからじゃないの?

そして人情なき医師団が仕方なく運動系の人を呼んだのは「一緒にくくられちまってるな、しかたねえ」だったのかもしれないけど、運動系の人はDSMの原書読んでないんでしょう。それで自分たちが特別な思し召しで声かけられたと思ってるの。脇が甘すぎるしなんか白い巨塔のカースト制度を垣間見た感じがしましたわ。

要するにこの本に書いている人、どなたさまも見事に神経に言及していない。
しかも神経発達障害から切り離された強度行動障害の井上大先生がとってつけたように末席を汚している。
つまり「DSM-5対応」っていうのは「DSMが神経と言おうと俺たち神経だと見なす気ないから。これまでの(陳腐な)療育売り続けるから」というギョーカイの宣言なのかもしれません。そういう意味での「対応」なのかもしれません。だとしたらミスリーディングだよね~。

私はね、今年の初めに「あと発達援助は二冊」って言う話をしました。
今の時点でそれは三冊に増えています。
愛甲さんは着々と「知的障害は治りますか?」を出すつもりで準備してくださってるもん。

でも今度の新刊は発達援助の本ではありません。
今度の本は、「治せない医療から発達障害の人々を解放する」本です。

帯の一部だけ先に持ってきます。

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我が子が、自分が、発達障害・・・
「一生治らない」って医者に言われても
信じなくていいからね!

発達障害の人々を「治せない医療」の呪縛から解き放つ一冊!

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神経発達障害だからこそ、発達障害は、治せない医療から解放されるんです。

そして神経発達障害だということを忘れなければ、発達援助として何が有効か選べるんです。

思えば栄養療法が花風社クラスタで盛り上がった言い出しっぺは誰でしたっけ。
もう忘れちゃいました。
栗本さんが藤川先生の鉄うつの新書とか読んでなんか言ったんだっけ?

ともかく私は「これは治る」と思いました。
なぜなら神経発達障害だからです。
神経の発達障害なら栄養で変わっていくのは当たり前ではないですか。
そして神経発達障害だからこそコンディショニングで一次障害が治るんです。
それほど大事な二文字。
それをギョーカイは見事に無視している。

だからこの本作りました。

構想は持っていました。
もっとあとに出すつもりでした。
発達援助の本を二冊出したあとに出すつもりでした。

でもこれを真っ先に出すことにしました。
boosterにしなければいけないと思いました。
そのために真っ先に出さなければいけないと思い、順序を入れ替えました。
だからここんとこ大変でした。

表紙目次その他詳細は本日のお昼休みにここに上げますね。