治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

羽田組の方、新横浜組の方

2019-01-31 09:51:16 | 日記
三月三日に初めて上京するという方にアドバイスしていて気づいたことがあったので書いておきます。
羽田から大倉山に来る方法はいくつもありますが、一番便数が多いのは

羽田のリムジンバス10番乗り場YCAT(横浜シティターミナル)行きかもしれません。
とにかくしょっちゅう来ます。
乗ってると横浜見物しているうちに横浜駅(百年ほど工事中)の東の端っこにつきます。
東横線の表示を頼りに毎日お祭りのような人並みの中、西に向かうとやがて東横線にたどりつきます(ただし地下六階です)。
これがわかりやすいかもしれません。

新横浜組の方は歩くと20分弱かな。
電車だと横浜線で菊名、から東横線に乗り換えて渋谷方面に行くと一個目が大倉山。
バスだと四番乗り場の13番のバスだと港北公会堂の向かい側につきますがこれは本数が少ないです。
八番乗り場の104番には港北区総合庁舎前という停車場があります。ロイヤルホストを目指して歩くとその手前にあります。

それにしても初上京が今度の講演だとは。
でも本当に、それだけの価値があると自信を持っています。

よろしくお願いいたします。



凡医に質問してやろう

2019-01-30 10:16:57 | 日記


3月3日は愛甲さんもいらしてくださるそうです。
席が足りないからやはり前に座っていただきましょうかね。
最北はあまちゃん県、最南は沖縄になりました。
楽しみですね。
一番多いのは地元神奈川。次が東京。次が千葉。
ほぼ人口比ですねこのあたりは。
静岡愛知も何人か。日本海側からも。長野や栃木といった内陸からも。意外と近畿が少ない。九州からも何名かお見えです。

24時間で埋まったのが「国技館並」と言ってくださった方もいましたが
国技館は最近あっという間に埋まりますから国技館並は褒めすぎとしても、少なくともJDDのあのていたらくとは比べものにならないですね。
どっちがギョーカイメジャーなのか、というメジャー争いではなく、要するに「セグメント化」なんです。治りたい人には治る情報も治る手段もある時代なんですよ。
そして「社会の理解ガー」はプレイヤーが多いけど「治る派」は今のところ少ないからここの集まりはあっという間に埋まるのではないでしょうか。

お申し込みと同時にこんなメールを学校の先生からいただきました。

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花風社の本に感銘を受けて、4月から子どもたちと毎日一時間、体を動かす遊びの時間を取り入れています。

身体からのアプローチを取り入れたことで、子どもたちが学習面も生活面も、本当に芋づる式に伸びていて、その成長ぶりには私自身も保護者も驚いています。
子どもからも、「ぼく、進化してる!」と言う嬉しい言葉がいろんな場面で聞かれます。

3日の講演で学んだことを、同僚の先生や保護者の方にも伝えられたらと思っております。

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「ぼく、進化してる!」という子どもたちの声。
これほど強いものはないですね。
うれしいですね。

これまでここには知的障害のことしか書いてありませんでしたが、当日はちゅん平さんはじめ自閉の診断をもらったことのある人もいるし、自閉の予後についてもディスカッションできたらと思っています。

それとこのブログをきっかけに図書館に行ってDSM-5のでかい本の邦訳に目を通した方もいました。
そのご報告です。

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DSM-5は読んだことがなかったので、日本語版を図書館で借りてざっと読んでみました。
英語は苦手なので、浅見さんが載せて下さった英語の原文をgoogle翻訳にかけて
日本語版と読み比べたところ、ほぼ同じ内容と思われます。
介入を療育と訳したりなどなかったですし。治る希望のある内容でした。
それだけに、ふつふつと怒りがこみ上げてきます。
神経発達障害のすべても借りたのですが、富永という先生は診断には興味があるけど、
親にとって一番重要な予後にはまったく興味がない人だというのはよくわかりました。
虫取り少年の成れの果ての人ですね。

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つまりDSMの著作権者から著作権を正式に買った医学書院はちゃんと訳している。そういう意味で誤訳ではないんです。私が再三誤訳ではなく嘘八百だといっているのはそういうことです。正式な翻訳元はきちんと訳さざるを得ない。それしかできないんです。

でもそもそも翻訳が出るのが変なんですけどね。医者なら英語で読めばいいわけだから。
世界的診断基準であることを意識しているせいか、とても簡単な英語で書いてあります。

それでも翻訳はまだいいとして、アンチョコが出るに至ってはもうあきれます。なぜアンチョコが出るのか。専門家が専門家づらをしていながら、実はそれだけ手っ取り早く仕事を済ましたいからでしょう。アンチョコが出ること自体がモラルハザードの現れです。そしてその手っ取り早く済ましたいという凡医心につけ込まれて、富永っていう大阪大学の先生の実にギョーカイに寄り添った()トンデモ解釈が出て、それをスルーして活字にしてしまう老害がいるわけです。

そして大抵の凡医は、アンチョコしか見ない。皆さんが診断のときに出会うのはこの凡医である確率が相当高いんです。山で羆に出会うより発達障害の診断の場面で凡医に出会う確率の方が高い。そしてどっちも一巻の終わりです。

読者の方はこんな風に遊んでみたそうです。
アルパカさんのツイートをお借りします。

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そういえば診察で医師にDSM5の原文に少しだけ目を通したけどどこにも生まれつきとなかったよ、何で日本は生まれつきだし治りませんなの?お国柄なの?と質問したらやはりゴニョゴニョでした。たくさん熱弁してくれたけどロジックとしては全く成立していなかった。

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テクノロジーは専門家と素人の垣根をいろんな意味で壊していますが、翻訳アプリもある時代、皆さんだって凡医の持っていない情報を手に入れられます。
それで理論武装して、凡医にぶつけてやりましょう。
「生まれつきの障害だから一生治らない」と凡医がしたり顔で言ったら

「先生、生まれつきってどこからですか?」と意気揚々ときくところから始めましょう。
全国津々浦々で凡医を問い詰めたら面白いことになります。
凡医に質問した後の様子、よかったら教えてくださいね。みんなで共有しましょう。

それと、読者の方から『神経発達障害のすべて』みたいなインチキ本が出るのは言論の自由なのか、的なご質問がありましたが

まあ取り締まることはできないでしょうね。
ああいう本を出すのは自由。
ただしああいう本が出るということが、医療の質を表しています。
情報とはそういう風に得るんですよ。
そしてその本のインチキ性に気をつけろ、というのもまた言論の自由で保障されています。

ただ読んで納得いかなかった人は版元に抗議することはできます。
どうして予後についてだけDSMに基づかないのか、と。
なぜ予後だけDSMに基づかないものをあたかもDSMの解説本のようにして売っているのか、と。親としてはたまらない、と。
「一生治らない」
医師がこう宣告することで自殺未遂や心中が起きているんです。
そういう意味で罪作りな本ではありますね。

ただし抗議していいのは、このメールをくださった読者のように本当に読んだ人だけです。
伝聞で抗議するのはフェアじゃないですね。
この読者の方は原文をグーグル翻訳し、医学書院の訳を読み、その差がないことをたしかめた。そして『神経発達障害のすべて』の予後がインチキであると確認した。
そこまでやって初めて「調べた」ことになるのではないでしょうか。

先日、WISC等の検査結果を親に開示しないのが当たり前になっていると知ってびっくりしましたが、発達障害以外の医療分野では情報開示って進んでいますよね。
それを開示しない。
とにかく発達障害の支援者は、親をバカにしすぎではないでしょうかね。

こんなになめられて黙っていることないですよ、皆さん。
まず全国で凡医を問い詰めましょう。

昨日ランチに食べたチキンレバーのカレーです。
血の気増量してギョーカイを潰すつもりです、私は。

満員札止めです

2019-01-29 20:06:28 | 日記
24時間経ちました。
マックス80の会場ですが70名を超えましたので札止めとさせていただきます。
皆様にお目にかかれますのを楽しみにしております。
明日明後日のうちには全員の方に返信いたします。
よろしくお願いいたします。

楽しい会にしましょう。


講座「神経発達障害という突破口」のお知らせ

2019-01-28 20:00:00 | 日記
お世話になっております。花風社の浅見です。
3月3日、浅見淳子が講師となって「神経発達障害という突破口」という講座を行います。
内容は以下の予定です。

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神経発達障害という突破口

1 神経発達障害という定義をあっさり受け入れられた理由

2 なぜ神経発達障害だという新定義が大切か?

3  知的障害について
・生まれつきの
・脳機能障害だから
・治らない
という定説は覆されたか?
DSM-5を英語で読んでみてわかったこと。

4 神経発達障害という定義は、発達障害を頭蓋骨から解放する
→治りやすい

5 神経発達障害という定義は、発達援助を医療から解放する
→もう医療の呪縛に縛られずに済む。

6 神経発達障害という定義は「治らない」という思い込みからの解放を意味する
→治る時代へ

7 自閉圏の成人の皆さんへ、浅見からのメッセージ

(時間があれば)ディスカッション(参加してもきいていても可)


=====

日時
3月3日13時30分より、3時間くらいの予定

場所
港北公会堂 第一会議室
(横浜市港北区 東急東横線大倉山駅そば)

参加費 3000円
参加可能人数 60名

参加申し込み方法

*この講座は入場券方式となります。

1 氏名
2 ご参加人数
3 入場券の送り先
を花風社あてにメールください(mail@kafusha.com)
こちらから手続きについていただいたメールのアドレスに返信いたします。
kafusha.comからの返信が届くように設定をお願いします。

申し込み後三日以内に返信がなかったらもう一度メールをください。

参加者の皆さまにお会いできますのを楽しみにしております。

どれだけの親子が苦しんできたか

2019-01-28 10:12:45 | 日記
共同ブログ更新しました。



しばらく間が空いちゃったんですけど、20日の夜沖縄から帰ってきて以来、喉の違和感もあるし一日完全休業しようと思いながら翌日はDSM一気読みしたし、24日の講演会を挟んでわりと早朝から仕事していた気がします。

この三日間は四時起きで仕事。夕方は筋トレいってました。フルメニューはそんなに続けてやらないんだけど(その方がいいという超回復理論というやつもある)、巡業中運動不足だったこともあってついついフルで三日連続やってしまった。当然疲れて身体が肉肉肉と肉を要求するのですが筋肉痛は皆無。きっとギョーカイに怒っているからでしょう。ギョーカイを潰そうとしているからでしょう。太古の昔なら気にくわない相手を潰そうと決意したらそれは筋肉運動なんです。でも今はそれは違法。合法的にやるためには筋肉は昔ほどいらないんだけど身体は変わっていないから筋肉は戦いを前に張り切っているのですな。こういうときは筋トレして肉食べるといいですね。

これは「誤訳じゃなく嘘八百」って言っているけど皆さん誤訳誤訳と誤訳の域からでていないようなんだけどこれは誤訳じゃなく嘘八百なんです。どう嘘八百かは共同ブログの方に書いておいたから読んでね。

ここを紹介しないことで幾多の親子がまた苦しむか。
心中事件さえある、と指摘してくださった方がいましたが、それだけ罪作りですよ。
なんのため?
ギョーカイの都合のためですよ。

というわけで、3月3日の会場もお金払い込んで本契約してきたので、「神経発達障害という突破口」のお勉強会の告知を今晩八時にここに出す予定です。
無理そうだったらツイッターで言いますから八時に出なかったらツイッターを見てね。

よろしくお願いいたします!
いっぱい勉強しましょう。
ギョーカイに騙されないために!

老害は引退しろ

2019-01-26 11:01:01 | 日記
DSM関連記事、お客さん多いですね。
たぶん「あっち側」も見に来ているんだろうな。
昨日いただいたこのコメントで記事にして報われた気がします。

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私はそろそろ40才の男性成人当事者ですが、一連のDSM記事を読んで「完全に治そう」と気迫が出ました。

=====

DSMの日本語版を出している医学書院さんの帯のアオリによると
「精神疾患の世界的診断基準」なわけでしょ。
そして普段は欧米では~の出羽守の先生たちがこんだけ情報統制してるんだもんね。

24日に久留米で行った栗本さん浅見の仲良し()講演
昨日アンケートを見せていただきました。
皆さん本当に「家でできることがある」という事実に救われている。
専門家に頼らざるを得ないと洗脳が強いだけで、実は自分でできることがあれば知りたいのが当たり前なんですよ。
そして知的障害の治し方を知りたい人が多い。
『知的障害は治りますか?』という本も、大真面目にいつか出さないといけないかもしれませんね。

うちの著者陣でそれが書けるのは愛甲さんかな。
と思ってさっき電話してみました。
愛甲さんはDSM原書取り寄せ中だそうです。
そりゃあ、最近のこのブログ読んでたら取り寄せたくなるよね。

その愛甲さんに私は電話口で、DSM-5が「Neurdevelopmental Disorders」の項の第一センテンスでどうNeurodevelopmental Disordersを定義しているか読んであげました。

「全然生まれつきじゃないじゃない!」
と愛甲さんも驚いていました。

ちなみに杉山大先生はあんちょこ本の中でこの一言で済ませています。

「これは従来発達障害とよばれてきたグループである」

(『DSM-5虎の巻』P30)

つまり杉山大先生にとって、NEUROの五文字は「たらちねの」とか「あかねさす」みたいな単なる枕詞。先生にとって大事件なのは
・発達障害が一番前に持ってこられた→精神疾患全体での発達障害の地位が上がった
・ASDとADHDが併存できることになった→薬出しやすくなる

ということのようです。
二冊読んだあんちょこ本のどっちでもそれを喜んでいる。BAKAみてえ。

私たちにとって「NEURO」の五文字が意味するところは

・発達障害の頭蓋骨からの解放
・発達援助の医療からの解放

です。
「ああだから身体アプローチや栄養療法で治るのね」っていうことです。
だって神経の発達障害なんだもん。

それを杉山大先生は「神経発達障害のすべて」()という別のあんちょこの中で
・発達障害の子の親には優位にメンヘラが多いから

という理由で
「ペアトレ」推奨しているんですよ。
BAKAみてえ。
ペアトレって要するに、親心の抑圧。親に本心を隠すことを強制するトレーニングです。治ってほしいと思ってはいけない。叱ってはいけない。つまんないこと褒めなきゃいけない。それで親が病んでいくとそこに薬盛るギョーカイマッチポンプ。

それよりね、朝起きたらプロテインシャカシャカしてまずお母さんがのんで、昼間3分時間があったら栗本さんの遅筋ワークやって、夜は風船ワークで寝る。そうしたらお母さんは安定します。だって神経の問題なんだから。

そもそも親なら治ってほしいのが当たり前じゃないですか。
なんで「治ってほしい」って思っちゃいけないんですか。
昔みたいに十人も子ども生まれる時代ならともかくどこの家にも大事な我が子。
それを治ってほしいという親を「受容ができてない」とこき下ろす。
なんでギョーカイがNEUROの五文字に反応しないか。
それは決して一次障害を治せない従来型の療育や支援が一挙に陳腐化するからです。
だから一生懸命見てみないふりして、枕詞に落とそうとしているんですよ。

よその版元に口出ししたくはないけど、そもそも同じ監修者で虎の巻を二冊出す意味はどこにあったのでしょう。
私みたいな特殊な関心を持つ人は、そりゃ二冊買うけどさ。
っていうか森先生って誰?
本文によると統合失調症が専門でこれまでは患者を接待することが医者の役目だと思っていたとはっきり述べていらっしゃいますが、発達関連の人にとって森先生っていう人より杉山先生の方がずっと知られていますよね。
それを五十音順でも先に立つ杉山先生より森先生の方を先に書くのはきっと、浜松医大の中の白い巨塔の都合でしょう。杉山先生は老後のバイトで客員教授かなんかで、森先生っていう人はまだ現役だとかおそらくそういうつまんねえ私たちには1ミリも関係ない理由。
一事が万事。
てめえらの都合でしか情報回さないんですよこのギョーカイは。

それでこんなあんちょこ二つも作って。
多くの凡医はこれしか読まず、せいぜいポケット版と付き合わせるだけ。
知的障害の予後について「精神疾患の世界的診断基準」がどう言っているかも勉強しないまま、すがるようにやってきた親に「一生治りません」を繰り返しているんです。

そもそも大阪大の若い先生のあの恣意的な訳をなぜ監修者と編集者が揃って見逃したんだよ。
全然仕事してないじゃないか。

でも最大の罪作りはこの体温のこもっていない定義です。

「これは従来発達障害とよばれてきたグループである」

神経発達障害の一行目にどう書いてあるか引用しておきましょう。

The neurodevelopmental disorders are a group of conditions with onset in the developmental period.


これのどこが脳機能障害なんだ?
これのどこが「生まれつき」なんだ?

子どもの育ちにとっての最大のリソースである親心を踏みにじるような情報統制する老害には、とっとと引退してほしいです。

誤訳ではなく嘘八百

2019-01-25 09:02:14 | 日記


一部誤解があるようですが、私はDSM-5が意図的に誤訳されているという主張はしていません。
米国にもコンサイス版があります。それの邦訳が出て、DSMが本棚に入っているというときはこれを持っていることが多いです。機械的に診断をつけるときには項目だけに絞り込んでおいた本がある方が便利だということでしょう。
そしてこの邦訳には予後の項がありません。から訳出されていません。
でかい方には予後が書いてある項目があります。
知的障害や自閉症や学習障害に関しては予後が書いてあります。
意外かもしれませんが私の印象では楽観的な順番で
知的障害、自閉症、学習障害です。

それを全部読むのがめんどくさい先生たちがいるのか、あるいは杉山大先生が書いてあるとおり若い医師たちが使いこなせないという親心からか(おせっかいですよね。そんなの原書読ませればいいのに)虎の巻的なものが出版されています。
「神経発達のすべて」という本では、最初にえらい先生たちの対談があり、杉山先生の概説があり、そのあとでそれぞれの項目について分担で先生たちがまとめを作っています。
最後にDSMとは関係のない強度行動障害という日本的な項目について井上大先生がともかく人材育成というしょうもないことを書いて末席を汚しています。
ABAは人材育成に熱心、っていうより余っちゃっているんでしょうね人材が。だからとにかく養成講座やりたがる。それしかムダに増やした学徒諸君を食わせる道がないのでしょう。
だから40時間とかなんとか言うんだと思っています。そんなもんに巻き込まれることないですよ。あっちの雇用対策なんだから。

まあともかく、予後について知りたいから英文も読みたいという人も中にはいます。辞書引きながらだとどうにかなるのではないかと。どうにもなりません。文法知らないで辞書引けばわかるほど語学は生やさしいもんではありません。
昨日goole先生に頼った人もいて、ある程度訳出はできたそうです。私はgoogle先生の訳を見ていないので評価は差し控えますが日本で紹介されているより予後がよさそうなことだけはわかったようです。

皆さんが原書講読したいのならそういう講座も設けますよ。ただしスパルタだと思います。自分がそうやって習ったからそれ以外やり方がわかりません。
文系で文芸方面の経験者が言葉尻や言葉のニュアンスにこだわってどう読むかを知ったらびっくりするかもしれません。

ま、ともかく、杉山監修本の「神経発達障害のすべて」()という本で、若いらしき大阪大学の先生が知的障害の予後についてこうまとめています。


予後
 知的障害と診断された児のほとんどで、知的障害をそのものを改善させることは困難である。しかし適切な環境下においては適応機能などが向上する可能性が十分にある。また早期に発見され適切な療育が施された場合には児の長期的予後は改善するとされている。

P42 神経発達障害のすべて 大阪大学若い衆訳

そして知的障害の予後について、原書の同項目半分くらいをもってきました。
これで半分です。
この前には
・兆候が現れる年齢
・ある種の知的障害に外見的な特徴があること(ダウン症等)
・だいたいの知的障害は進行性ではないが中には進行性のものもあること

などが書かれています。
そして予後はこうです。

After early childhood, the disorder is generally lifelong, although severity may change over time. The course may be influenced by underlying medical or genetic conditions and co-occuring conditions(e.g.,hearing or visual impairment, epilepsy). Early and ongoing interventions may improve adaptive functioning throughout childhood and adulthood. In some cases, these result in significant improvement of intellectual functioning, such that the diagnosis is no longer appropriate. Thus, it is common practice when assessing infants and young children to delay diagnosis of intellectual disability until after an appropriate intervention is provided. For older children and adults, the extent of support provided may allow for full participation in all activities in daily living and improved adaptive function. Diagnostic assessments must determine whether improved adaptive skills are the result of a stable, generalized new skill acquisition (in which case the diagnosis of intelectual disability is no longer appropriate) or whether the improvement is contingent on the presence of supports and ongoing interventions(in which case the diagnosis of intellectual disablity may still be appropriate).

これを大阪大学の若い先生は上記のようにまとめ
おそろしいことにだいたいの医者たちはえらい先生が監修した日本語の本しか読んでいないと思われ、それを患児の親に告げるということ。

そもそもこのinterventionを「療育」と訳すのは意図的なギョーカイ拡張運動ですし。
interventionはinterventionであり療育ではありません。
こよりさんちだったら笹舟を作って親子で遊んだのがinterventionです。
親子で遊ぶことはinterventionですが療育ではありません。

そして小さい子には知的障害の診断を遅らせると書いてあります。
大阪大学の先生は「早期診断早期療育」とまとめられていますが、これは真っ赤な嘘。DSMは「まず介入してから診断」なのです。
たしかにそっちの方がよさそうだと思いませんか?
まず診断、という日本の現行のシステムが医療の肥大化を招いているともいえます。
そして忙しい忙しいって、自分で自分の首を絞めてますね日本の先生たちは。

visual impairmentを伴っていて知的障害も治ってしまった例は私のごく近くにも2例あります。
こよりさんちといぬこさんち。
こよりさんちのご次男はまだ知的障害の範疇にいらっしゃるかもしれませんが「一生文字は書けない」と言った医者の予測を大幅に裏切り高い倍率を勝ち抜いて高等特別支援に学び障害者枠でお仕事して色々な手続き用紙を自分で書いています。
お母さんにお小遣いもくれて幼い頃の弱視も治っています。
いぬこさんちのお嬢さんは発達遅滞と弱視があって分厚いめがねをかけていましたが今は目も治り自分で志望校をお受験し合格しました。
どっちも神経の発達なんだからinterventionで両方治るのは当たり前。
私でさえ身近に2例知っているけど大阪大学では見たことなかったのでしょうか。

ともかくこうやって治る人をみたこともない医者たちが意図的な解釈で虎の巻を作り
凡医たちはそれしか読まない。
凡医の間を嘘八百がかけめぐる。
それが日本の「治せない発達障害医療」の実態です。
それだけ不勉強なくせに重々しく患児の親に告げるのです。「一生治りません」「受容しなさい」と。

そんなばからしい医療を当てにするのは、もうやめませんか?
というか
医療の呪縛に縛られるのは、やめませんか?
発達障害は治ります。
でも治すのは医者じゃないんですよ。
白い巨塔で上の顔色を見て言葉を選ぶような医師に発達障害は治せるわけがないと思います。


落としといてよかった

2019-01-24 17:21:30 | 日記
今日は放課後デイ等を経営する「株式会社 たまみずき」さんの社内研修+利用者研修+一般のお客様 ということで朝から80名ほどの方の前でお話してきました。
東久留米に9時、ということで昨日の夜から緊張していましたが、朝早く目が覚めたので予定より早く家を出ました。
菊名から東久留米までつながっているとは首都圏の相互乗り入れはすごいですね。

この十日で講演三つで、風邪を引かないように気をつけていましたが、事前に母が風邪を引いたり法事が急に入ったりしたこともあってのどの状態をごまかしながら乗り切りました。今日が最終日です。
思い切って風邪を引ければいいのですが、とにかく熱の出し入れを調整していたので(私は熱出したり引っ込めたりがわりと上手なのです)いまいちすっきりせずずっと飴をなめていました。

今日は最初の三十分、私が「神経発達障害とは解放である」という話をしました。
昨日の夜はレバー、今朝は羊のシチューを食べていったので血の気もたっぷりで、DSMの日本への紹介がインチキな話だとか、一粒の卵ボーロで子どもを買収するような療育では一次障害は治らないけどDSMが言うとおり知的障害も治っているのを私は見ているということなどをお話しました。

そして家で治せる時代になったんですよ、ということで治す以外に取り柄のないおっさんにあと1時間半実技その他やってもらいます、と適当に落としてから栗本さんに引きつぎをしました。
栗本さんはいつものように作務衣のコスプレをしてスタンバっていました。

そして堂々と講演を始める栗本さんを見て、「落としといてよかったなあ」と思いました。
なぜなら栗本さんはえらそうだったからです(堂々としていたとも言う)。つい先日沖縄で聖なる石を踏んでお嫁さんが来ないかもと脅えていた人とは思えません。
コスプレ効果もあって?皆さん実技も盛り上がりました。

行く前は普段の花風社クラスタの皆さんより、家でできることに消極的な客層かな? とも思っていました。
「え~家でやりたくな~い」という人もいますからね。そういう人たちにとって花風社はそんなにありがたくないと思います。
でもそんなことはなく、家でできることがあるという事実に皆さん目を輝かせ実技にも積極的に参加されていました。
栗本さんも雰囲気のいい会でしたねと帰りの電車で言っていましたが
皆さんが予想よりずっと積極的に学んでくださったのと、花風社クラスタの濃い集まりと違ってわりと栗本さんがきちんと先生扱いされているのが栗本さん的には心地よかったかなと思います。

たまみずきの皆さん
集まってくださった皆さん
ありがとうございました。



情報の非対称性 NEURO続き

2019-01-23 09:02:25 | 日記


昨日は大反響でしたね。
その続きね。
あ、3月3日の募集はまだ始まっていません。
「絶対行きます!」とか言って会費十万だったらどうするの皆さん。
だから会費をきっちりこっちが提示してからが募集の始まりです。

さて、情報の非対称性ですよ。

実は私が楽しく読み込んだのは、知的障害と学習障害のところだった。
自閉は知っている情報が多いけど、知的障害も学習障害も神経発達障害の仲間だというのが面白いなと思って。というか実感と合っているなと思って。それと面白かったのは、併存する身体特性が「あるある」だったこと。

私は最初に自閉っ子とパニックと首がだらんに気づいた。
いわゆる棒人間ね。
そういう風に身体特性に気づく人は多いの。ギョーカイは気づいているかどうかしらないけど(少なくとも言及はほんとにしないけど)知的障害のところにも学習障害のところにも身体特性が書いてあった。以前南雲さんの講演で幼き日の南雲さんがよく溝に落ちたって言ってたけど、やはり見え方の違いですね。そういう意味では学習障害も身体障害的なところあるし逆に言うとそれが統合されると治ってしまうのよね。ここでまたギョーカイはビジョントレーニングとか持ち出してなんとかマネタイズしようとするんだけど、そしてそういう人が商売をするのは別にいいと思うけど、問題は情弱でマニュアル人間の親たちが「その機会がないきー」になってそれ以上進まないこと。そんなの南雲さんみたいにテニスをしてもいいしこよりさんちみたいに親子で笹舟を作って川に浮かべてもいいのよ。

さて、なんの話だっけ。
ああ、学習障害の話。
つまりね、学習障害のところに身体特性が述べられていること自体が学習障害を神経発達障害に分類した理由、そしていつの日か「完治」を目指している道だと思いました。どういう身体特性があるかはどういう神経発達にヌケがあるかを示唆している。

そんなわけで「そうでしょ。学習障害は身体特性あるよね」と思いながら読んでいて、これについて邦訳の手引きには書いてあるかしらと思いました。




これね。
4500円のやつ。
これをみんなDSMだと思っている。でもこれは原書の項目だけ訳したもの。たいてい「DSM? もってますもってます」っていうときはこれを持っていると言うこと。私も4-TRはこれしか持っていなかった。

でもお医者さんたち忙しいから、これも読む気ない人がいるかもしれない。
と思うのは虎の巻が各種出版されていて。




こんなの。
DSM-5が一撃でわかる!
だってさ。
えらいえらい先生たちが解説してくれるんだから、凡医の皆様におかれましてはこれを読むのが手っ取り早そう。

さて学習障害の身体特性については

4500円の本には書いてありませんでした。
多くの専門家が一応買って飾っておくであろう手引きには邦訳されていなかった。

けど杉山大先生は何しろ発達障害の第一人者だし学習障害は大問題だし学習障害の身体特性について書かれているかしら

と思って虎の巻の方を読み返したら

なかった。

だって学習障害全体で一ページも使ってないのよ。

学習障害の身体特性については一言もなく、

そのかわり日本の学校制度への文句が書かれていた。

学習障害に割かれている行数は21行でそのうち9行が学校への文句。

そしておそらく、多くの凡医たちがこれをよりどころにしている。
治んないはずですよ。

猿烏賊は猿烏賊でまだ三つ組みとか言ってるし、「社会の理解ガー」をよりどころにしている。そしてなんか新奇な事やっている人がいると「エビデンスガー」とか言うけど、社会の理解が広まったら生きやすくなるというエビデンスがどこにあるの?

そしてギョーカイメジャーの持ってくる情報にはこれほど偏りがあり、それはけっして治療志向ではなく、まずは虫取り、次に社会の理解ガーなのですな。

そして猿烏賊もギョーカイもそれぞれの同調圧力で動いている。

そんな遅れた集団からは抜けた方がいいですね。

彼らの言いなりになる=治らない

っていうことです。

医学書院さんによるとDSMは

精神疾患の世界的診断基準

らしいけど

そしてそのとおりなんだろうけど

それが日本には、全然伝わってきてないし、伝わってきていてもぴんとこない人が多いと思う。

詳しくは3月3日に。

神経発達障害とは解放である、という講座をやります

2019-01-22 11:00:52 | 日記



1月1日、今年初買い物は「DSM-5」原書でした。邦訳も出ている手引きではないですよ。945ページある大型版の原書。6000円くらいでお取り寄せ。

沖縄から帰ってきた日、休もうと思っていたけどやっとやっとそれが届いたので、読むことにしました。1000ページくらいあっても神経発達障害のところは60ページくらいですから、ここだけでも一日で読んでしまおうと思ったのです。ちょうど24日にこの講演もあるし。レジュメ貼っておきますね。

=====

神経発達障害という突破口

1 頭蓋骨からの解放
『自閉っ子、こういう風にできてます!』で見つけた身体のバグ。それに伴う世界観のずれ。(風が痛い、雨が痛い、コタツの中の脚 自分の身体がどこからどこまでかわからない)
・感覚過敏→解決した本は『感覚過敏は治りますか?』
・ボディイメージ→解決した本は『自閉っ子の心身をラクにしよう!』
・無意識の問題(体温調節、睡眠、疲労等)→解決した本は『自閉っ子の心身をラクにしよう!』
・季節の移り変わりへの脆弱さ→解決した本は『芋づる式に治そう!』
→すべて解決策が見つかった。

2 医療からの解放、と同時に医療を解放してあげる
・「医者なら治せんといかんわな」→『発達障害は治りますか?』身体に注目
・発達障害を治すのは(平凡な)医療ではない
・(平凡な)医者に治せと詰め寄ると医者がかわいそう
・(平凡な)医療は行政の手足となるのが本業 過度な期待は禁物
・(平凡な)医者を問い詰めるから「治らない」と逃げられる
・学習障害は治りますか? ときかれたら「消息筋」としてこう答える
・知的障害は治りますか? ときかれたら「消息筋」としてこう答える

3 「一生治らない」という思い込みからの解放
・本当に治りたくないのか?
・障害受容何それ食べれるの?
・友だちの意見はきかなくていい 自分の頭で考える

自傷・他害・パニックは防げますか?
「現象」に注目して躍起になってきた療育が時代遅れに
例: 夏の過度な水遊びを止めるには
ひと粒の卵ボーロで買収する(大脳皮質のみへの呼びかけ)vs腎臓ワーク(神経系への呼びかけ)
言葉の能力以前の部分の発達のヌケ→神経発達→言葉以前のアプローチ
自傷・他害・パニックを起こさせているものは神経の未発達であり発達のヌケ→解決する本『人間脳の根っこを育てる』
それを埋める方法→栗本さんパートへ
治すしか取り柄のないおっさん(浅見談)→「治すのはオレじゃない」(本人談)

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そして「たった6000円、たった60ページ。それを2019年1月21日まで読まなかった私はバカであった」と思いました。そもそもDSMに興味なかったもんね。一応手引きの邦訳が出たとき買っただけ。だって神田橋先生以来「細かな診断名よりその人をラクにするのが大事」と思っていたから。でもギョーカイメジャー医たちがどのようにDSMを解釈しているかは知っておいた方がいいと思い、各種あんちょこ本を買って驚くほど「NEURO」の五文字にギョーカイメジャーたちが無関心なのを知り、逆にどうしてここまでNEUROを無視するのか知りたくなり、ついに原書に手を出したのです。実はずっと前に心あるドクターから、あれは手引きだけではなくまるごと読まないと、と教えられていたのです。まるごと読むと病因からわかるから、と。

そして読んでみて。

あ~早く読んでおけばと思いました。

生まれつきなんて書いてないし。
っていうかどっちかというとそれを否定しているとも受け取れるし。
っていうか知的障害も状態像が消えることがあると書いてあるし。
自閉についてはこれまでも持っていた情報量が多かったせいでそれほど目新しい情報はなかったけど、学習障害がなぜ神経発達障害かはわかった。
そして南雲さんはよく「頭は悪くないけど特定の能力に障害がある」ということにこだわる他のLD関係者のことを「センスない」と言ってたけど本当にセンスないわ。知的障害も学習障害も地続きだわ。そしてどっちも治る人いてもおかしくない。

それと廣木さんちのおーちゃんさんとか、うめさんちのmaru君とか、そういう世間に愛される自閉っ子たちね。あの子たち本当はもう自閉は治って残っているのは知的障害だけではないのかしら。
それもありうるわよ、神経発達障害なんだから。
そして知的障害がまだあっても自閉が薄くなるだけで相当生きやすいわよ。彼らがそのエビデンス。

と様々なことがつながりました。
捨てたもんじゃないわDSM。

昨日はこれをがつんと読むために糖質制限を大解除してこんなの食べながら一挙に読みました。


夜になってもおなかがすかなかったんだけど夫(今持ち回りで上智大学生命倫理研究所長)が帰ってきたら早速本のところに連れて行って(本は重い)1行目を読んでもらった。神経発達障害の定義ね。

「生まれつきって書いてないね」

そうなんです。
生まれつきとすら書いていない。
生まれつきの脳機能障害で一生治らないとか、いつの話?
ギョーカイは嘘つきかそれとも勉強不足か。

まあともかく

1月24日の講座は私が30分栗本さんが1時間半ですけど

3月3日に「神経発達障害という突破口」で2時間講座やります。
だいたい2時間。きいたらみんな盛り上がると思うから活発に意見が出て3時間くらいになるんじゃないのかな。
場所は港北公会堂第一会議室。いつもの。
さっき予約しました。

まだ仮予約だから募集はかけませんが、数日以内に手続きしてきます。
でも地方組もいらっしゃるかもだから、情報解禁しますね。
これはもう、飛行機代かけても飛んできてもらう価値があると思う。
だから日にち時間場所は情報解禁です。
どうぞお楽しみに。