治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

吉川徹についてみんなが忘れていること

2018-04-30 06:55:06 | 日記
さて、先日函館で読者の方たちとお話したこと。

「吉川徹についてみんなが忘れていることがあるみたいなんですよね」と私は言いました。先日の番組については「半分、青い」のあとぱちんと消して知らなかったのだけれど、当ブログの吉川関連記事がやけにアクセス多いなと思ったらテレビに出てたらしい。そして多くの人がツイッター上のafcp医師=吉川徹 だと知っていたわけですが

それって私のおかげじゃん

と思うわけです。でしょ?

だって神田橋先生の本出したとき、それまで「診断」と「薬」と「社会の理解ガー」だけやっていれば治さなくても医者でございと威張っていられる発達障害医療の世界に「医者なら治せんといかんわな」の神田橋先生を連れてきてしまったばっかりにこっちが攻撃される羽目になり、その先頭に立って「名乗る気はない。訴訟とか怖いから。でも匿名で医師免許持っているということだけかざしてパワハラするの」という気満々でちょっかいかけてきたのがafcpなのだから。

そして「へ~い、こっちがどんだけ攻撃しても君僕の正体わからないでしょ」とどや顔だったのにこっちが突き止めて「名大病院(当時)の吉川徹」と知って指摘した途端にぴたっと攻撃やめたんだからね。病院等への働きかけは一切していません。ただ「あんた吉川徹でしょ」と言っただけでやめた。つまり、本名かけてまでする気のない程度の攻撃だったのでしょう。

あのときは「匿名でネット活動している人の実名を指摘してけしからん!」とずいぶん非難されたもんだ私。でもさ、今みんなが「あ! afcp先生がテレビに出てる!」って気づくことのできる最大の功労者は私ですよ。

そして愛知県の自立支援セミナーに行った読者の方が「吉川医師は発達障害者の生き方として家事のできるひきこもりを勧めている」ときに、それがイコールafcp医師だとわかったのも私のおかげですよ。

でもみんな、あのとき「実名ばらすなんてひどい」って言った割に忘れているみたいだよね、っていう話。そして函館で爆笑しました。

もうひとつ。

佐々木先生は亡くなり、これから杉山医師や内山医師も引退の時期を迎えるのでしょう。そのあと私は発達障害医療ギョーカイの第一人者になってほしいの吉川に、っていう話をしたのです。

なんで? ってきかれましたよ。読者の方たちに。そうか。かなり濃いクラスタでも疑問に思うのだな、と思いました。

なんでかっていうと、吉川センセと私の心は一つだからです。
どっちも言っていることは実は一点に収斂する。「医療のできることには限界がある」ということです。
私も吉川センセの講演聴きにいきました。わざわざ新幹線のグリーン車を奮発して。そしてわかったのは、彼が本当に医療の限界を必死に訴えているんだな、っていうこと。それくらい逆に言うと、医療をみんな当てにしすぎなんです。でもだいたいの場合医療は役に立たない。そのわりにみんなの期待が大きすぎてきっと医療側も重荷になっているんですよ。

私はあの講演の内容、本になってもらいたいと思いました。まあ吉川センセは文章力あるようでカタログ的な書き方しかできない人だから、編集者苦労すると思うけど。できれば大手出版社で、手軽に読みやすい新書のかたちかなんかになってほしい。それが出ればうちが進めていることもぐっと広まるでしょう。

花風社が進めているのは何かというと「発達援助の非医療化」です。医療じゃやれることに限界がある。でも自分でできることがこんなにあるんだよ、っていうことを訴えているからです。吉川はじめギョーカイがおそれおののいて迎えた神田橋先生も

1 自分でできて
2 金がかからなくて
3 できたら身体の中に何も入れない

方法で人々を治しているじゃないですか。

先日南雲さんがテレビに出たとき隣にいたおっさんもまたテレビに出るみたいですね。吉川と二人そろって胴元二人。このギョーカイのおっさんたちは治さないわりに自分が胴元になっているビジネスの宣伝には熱心です。南雲さんと一緒に出たときも、隣のおっさんは一生懸命特別支援教育士を売り込んでいた。ニキさんが北海道からの交通費も払われずに講師として引っ張り出されたり、コストかけないけど免許で大金とってかなり集金マシーンと化している謎の民間資格ですね。

そして先日吉川が出たときもしっかりペアレントメンターの誘導があったようです。ツイッター上の批判的なつぶやきで知りました。

今日もまた胴元二人は一生懸命自分が胴元になっているビジネスに誘導するでしょう。みんなしっかり見といてくださいね。治す気もなく、非常識な振る舞いをする当事者たちをひたすらちやほやし、彼らを受け入れない社会を糾弾し、当事者にはなんの努力も強いることなく社会側の努力だけを訴え、そして自分は胴元としてビジネスを展開する醜い支援者の姿を楽しみにしておいてください。

私は見逃すかもしれません。皆さんはGWを楽しんでいるかもしれませんが、私の三日間は『感覚過敏は治りますか?』の送り出しです。書店発売は5月16日の予定ですが、直販の方にはすでに発送が始まっています。

治った人はたくさんいます。
でも治せる医者はめったにいない――
ここにヒントがありますね!


という本です。

サービスを受けるには医療を通らなければいけない仕組みになっている。
でもサービスから遠ざかればそれだけ治るし
サービスが不要になれば医療はいらなくなりますよ

ということを私たちは伝えています。





汚部屋自慢は恥ずかしいでしょ

2018-04-28 18:01:39 | 日記


「またNHKで汚部屋自慢が出るそうです。うんざり。片づけられないこと、片づかない部屋に人を入れることを恥ずかしいと思わないのか。これは片づけられない人たちを賞賛してきた人たちにも責任があります」というご意見がありました。

私はもうあの手の発達障害啓発番組見ないのですけれど(何度も何度も期待してはがっかりするの繰り返しなので)見た人(非発達障害の世界)から「よくあのおうちの家族我慢しているわねえ」という電話がきたこともあるし、時々番宣の動画とかで汚部屋が出ると「まだ汚部屋自慢は続いているんだな」と思うわけです。そしてご指摘のとおり、支援者たちが汚部屋に萌えるんでしょうね。そうすると汚部屋は解消されないどころかますます強化される。


という私も、実は「片づけられない女」の概念を世の中に送り出した側なんですよね。っていうわけであのとき私が汚部屋の人たちにどういう未来を思い描いていたか改めて考え直しました。

かくいう私もリッパに片づけられない女だったのですが、引っ越しの際に自分にも整理整頓できるように体制を整えて大分マシになりました。それから二回ほど大模様替えをやり、どんどんマシになりました。たった今は新刊時でしかも北海道から帰ってから衣替えをしようと思っていたので割合ごった返していますが、それでもかつての家よりマシ。この連休中に衣替えの際また小規模に模様替えをする予定です。掃除にも人手を借りたこともありましたが、その頻度はどんどん減っていって、今は私がお掃除の一軍です。

『片づけられない女たち』が出た当時、私は「そうか、片づけられないのは脳の特性なのか」とは思いました。きっと私の片づけベタもなんかあるんだろうな、と思いました。でもじゃああの本を読んで「私ってADHDだ」と思った人たちにどういう未来を思い描いていたかというと、ずっと汚部屋に暮らす未来は思い描いていませんでした。なんらかの手段を持って片づいた部屋に暮らす未来を手に入れると考えていました。

たとえば他人にヘルプを求める。福祉方面もあるでしょう。でも福祉のリソースには限りがあるから、能力がある人なら自分の得意なことをして稼いで他人に家事をアウトソーシングする。クリーニングサービスもあるし、外食だって家事のアウトソーシングです。そう。ADHDに関するギョーカイの大本営発表は「才能がある」だったので、じゃあその才能を見つけそれを伸ばして稼ぐ力をつけることによって解決できる未来を私は思い描いていました。断じて片づけられない女に一生そのままでいてほしいとは思わなかったのです。これが送り手側としての率直な意見です。

最近読者の方が「帳尻を合わせる」という言葉を使っていらっしゃってそれはいい言葉だなと思いました。そう、帳尻を合わせるのです。自分ができないところを助けてもらう代わりにやってくれる人に何かをしてあげる。料金を払うのもそうでしょう。別に外に行って稼ぐ才能だけではなく、片づけはできないけど料理はできるとか、そういう家内の能力交換でもいいと思います。だから、不得意なところがあればあるほど得意を磨いて帳尻を合わせる。そういう未来を思い描いていました。

「片づけられないまま支援者側に回っている人もいる。そういう現実をどう思うのか」とご意見の続きがありました。そうですね。何が支援かという考えが、汚部屋自慢のまま支援者側になった人とたちと私たちとではまったく違うのでしょう。自分の汚部屋をさらし、障害のせいだと訴え、さらなる理解と支援を求めるのが支援者としての役割だという考えもあるのかもしれません。でも私たちの考える支援とはそういうものではない。片づけられない脳の特性があったとしても、家族ともども片づいた部屋に住めること。そこに持って行くことこそ私があの本が出た当時送り出した側の一人だった私が描いた未来でした。

そして私自身、片づけられないところからお掃除の一軍になる程度には成長しました。その間SNS等を通じてお掃除の師匠もできましたし、スチームクリーナー等の文明の利器も利用するようになりました。だから私は自信を持って言うのですが、片づけられない女に萌える変態支援者などには見切りを付けて片づけられるようになった方が人生広がりますし、健全な人脈ができますよ。

芋本電子化しました!

2018-04-27 13:45:00 | 日記
私が最初に望んだこと。
それは社会性の障害というとらえどころのないものはともかくとして、自閉圏の大人たちに
・週五日
・季節に翻弄されず
働ける身体になってほしいということでした。
だってこのふたつが達成されていないと、雇用されるのは難しい。
そして多くの人がその職業生活を「どこかに雇われること」から始めることを思うと(私だってそうです)このふたつがそろっていないとそもそも働く人になるきっかけをつかむのが難しいのです。

考えてみたら子どもたちだって、将来このふたつの条件を備えた大人になった方がいい。
それが身体アプローチに目覚める最初のきっかけでした。
そうしたら結局発達障害は神経発達障害だったということで
身体アプローチは一次障害にまで効果があったことがわかったわけですが。

その裏には自分自身、社会性が発達している自覚がなかったというのがあります。
理由は昨日のブログにも書いたとおり
「医者に生まれた」とか「孫が美形」とかいうつまんない自慢にみんなが「すご~い」とか言えるときに言えない人間だったから。
ところが社会性ってそんな薄っぺらいもんじゃなかったんですね。それは発達障害を知って逆にクリアになってきたところです。

まあともかく、付和雷同力に欠ける私としては
「この人たちは季節の変動に弱い」
「新年度に崩れるのは仕方ない」

というギョーカイ人の仕方ないトークをそのまま受け止められなかった。
「なんか手はないのかしら?」と考え続けて、そして栗本さんに会ったとき
「季節を上手に乗り切る方法がないの?」ときいたわけです。
そうしたら栗本さんは「季節は上手に乗り切れるし、上手に乗り切ることによって発達が促されます」と言います。
それで作ったのは芋本です。
一連の栗本さんシリーズの中でなぜあの本だけ私が共著者になったか。
それは「季節を乗り切ること」が私にとっての長年の懸案事項だったからです。
だから私はあの中に「治るというのはどういうことか」と文書を書いたのです。

「芋本すごい本ですね」という方が多いです。
今回電子化にあたり、読み直してみましたが、本当にすごい本です。
短い本なので、まずこれを人に勧める、という方も多いです。
そういう意味でも芋づるの端っこ。

その芋本こと『芋づる式に治そう! 発達凸凹の人が今日からできること』がKindleになりました。
いつでも手元に芋本。いいですよ。
読めるし引用できるし人に勧められます。
4月一杯お得な限定価格です。
ぜひこちらからお求めくださいませ!





企画の蕾を持って

2018-04-27 10:16:57 | 日記


今年のお花見は鹿児島から始まり、地元でたっぷり。そして例年より早いことから、GW直前の今週、つまり『感覚過敏は治りますか?』の校了から刷り上がりの隙間を縫って、函館旅行を予約しました。五稜郭に行くたびに、咲いているときはすごいんだろうなと思うのですが、五稜郭の桜はGWが見頃。一泊二日のパッケージで十万円仕事です。それがずれたらお手頃な値段で行けるなあと思ったのです。はずれても函館は風景はきれいだし食べ物はおいしいし、母も誘ってみました。母は「もう人生で北海道に行くことはないだろう」という不思議な俺ルールを持っていたようで、快諾してくれました。北海道なんて繁忙期を外せば安く一時間半のフライトで行けるのですが、案外みんな知らないんですよね。

着いた一日目はあいにくのお天気でしたが、まずは海鮮丼と活イカ刺身を堪能。動いている足を「半分こしよう」と母が言うのですが、三本と四本に分けるのも変です。「冥土の土産にママにあげるよ」と七本全部あげた気前のいい私。





それから数時間母と別れ、絶賛蕾中の桜を眺めながら、五稜郭公園の見えるカフェで読者の方たちとおしゃべりしました。だけではなくひとつ仕事のお願いごとがあります。エッジーなブログでいつも花風社クラスタを楽しませているてらっこ塾の大久保さんのブログを一部、次回の新刊で引用させていただこうと思っているのです。

そう、次回の企画もすでに色づいている蕾くらいまではきているのです。編集作業の一部を榎本さんに頼んだので、私が『感覚過敏は治りますか?』に取り組んでいた間に土台ができあがっているのです。なぜ榎本さんに頼んだかというと、栗本さんと違って日本語が破綻していないし、っていうかちゃんと文法踏まえているし、刑事として調書を取ってきた人にはすんなりできる仕事が本作りにはあるからです。

そして何よりも、榎本さんにも関心の深い分野だからです。

『元刑事が見た発達障害』の中で榎本さんは「留置所の看守をした経験」について書いていたのを皆さん覚えていますか。そしてそこでいかに看守の人権が守られていたかを。看守は留置人に絶対ケガをさせません。そんなことしたら大問題です。そして留置人が看守に危害を加えないよう体制がとられています。でも療育や特別支援教育の現場はその点一方的です。お子さんがパニックになって支援者や教員を殴っても基本放置。これがもう、現場の人権意識が一般社会と乖離したところです。自傷・他害があっても、パニックを起こしても、支援する方もされる方も傷つかない対処法。今度の本のテーマはそれです。



次の本のタイトルは今のところですが

自傷・他害は防げますか? 共存のためのパニック対応法

にしようかなと考えています。今後変わっていくかもしれません。
とにかくこの本に大久保さんの体験を使わせていただこうと思っているのです。
なぜなら大久保さんは、大学卒業後猛者そろいの入所施設で利用者の方たちのケアに努めてきた現場の経験者だからです。
親御さんが手元に置ききれないほどの人たちと暮らしてきた支援者だからです。

そんなこんなでおしゃべりの途上、私がその場で「吉川徹についてみんなが忘れている大切なこと」を話しました。
爆笑でした。
そう、みんな忘れているんですよね~。花風社クラスタさえも。
これは連休中一回、ブログの記事にしましょう。
どうやらみんな忘れているようだから。

大久保さんたちと別れ、ホテルへ。
母が先についていました。猿が温泉入っているところを見て、路面電車の乗り方をマスターしてタクシーを使わずに帰ってきたそうです。
かわりばんこに温泉に入り、予約していたお寿司屋さんへ。
いいネタをたくさん食べられました。
母は安さにびっくりします。「そうなのよ。お寿司って(まわってないやつ)北海道とか九州とかで食べるに限るのよ」と私は言いました。

翌日はお天気もよくなり、五稜郭公園へ。
全体としてはこういう感じ。
一~二分咲きですかね。



でも時々割と咲いてる木もあります。
歳三様の後ろの桜とか。
まあお花見したと言っていい状況。
とくに歳三さまは、さすがに桜が似合いますね。





奉行所を見ました。薩長のきれい事史観がうす~く嫌いな関東人としては、函館の人たちの政治的に正しい明治維新の語り方が嫌いではありません。

奉行所を出てタワーにのぼり
母がせっかくだから桜のソフトクリームを食べたいといい
タワーの絶景を見ながら食べました。



それから前日私たちがおしゃべりしていた間温泉に入る猿を見に行って路面電車の乗り方をマスターしていた母に習って路面電車に乗り、駅へ。
またこんなもの食べた。



いや、これ食べに函館には来るわけですが
それにしても私の胃袋に二日間付き合える82歳すごい。

そして空港行きのバスに乗りました。

どれだけ北海道が近いか、母はわかってくれたと思います。
これからもGW前後の安い時期、また函館に行きたいなあ。
いろんな段階の花見は花見未満ができるかもしれません。
何しろなんでもおいしいし。





まあそのためには、母にはまだまだ元気でいてもらわなくてはなりません。

お土産はこんな感じ。
しばらくは北海道の味が楽しめそうです。

現地でお世話になった方々、
ありがとうございました。
お陰様で楽しい旅でした。

起きてもいない二次障害を恐れるのはなぜか?

2018-04-24 09:31:57 | 日記
風だぬきさんのあげた「片道切符三つの理由その3」
3起きてもいない二次障害を恐れている。
を詳しく見ていきましょう。


とにかく「二次障害にしないよう」に、支援者たちは親たちを洗脳します。
なんか、ひどく悪いものの象徴としての二次障害。
これになってしまったらこの世の最後みたいに言われます。
二次障害を恐れるがゆえに、普通の子育てはできなくなります。
しつけもためらいがち。頑張らせてもいけない。他人に危害を加えるようなことをしても叱ってはいけない。
なんでこれほど「二次障害は恐ろしい」というメッセージをギョーカイは発するのでしょう。

発達障害者支援法が施行され、杉山医師とか内山医師とかがもてはやされていた時代、「一次障害は治らない。二次障害は社会のせい」だと言われていたもんです。そして二次障害を防ぐためにこそ、社会の理解が必要だと言われていたもんです。このあたりのことを私は『発達障害、治るが勝ち!』にこう書きました。

=====

おさらいしてみよう。発達障害には一次障害と二次障害があり、一次障害は生まれつきなので一生治らない。二次障害は本人が頑張りすぎず社会の理解があれば防げる。二次障害を防ぐことこそ、発達障害者がその生涯をかけて目指すべき目標である!

 これはまことしやかに語られている伝説だが、「頑張ったから二次障害になった人」というのを私は見たことがない。むしろ、本来持っているエネルギーを支援者によって「頑張ってはいけない」と制限され長年膠着状態にある人はたくさん知っている。

(中略)

 ではなぜ、支援者たちは「頑張ってはいけない」と言うのだろう? なぜ一度しかない発達障害者の人生を無駄にするようなことをアドバイスするのだろう?

=====

P143~144にかけてです。興味があってお手元にある人は読んでね。

つまり、当人的には、あるいは保護者的には、当たり前ですが人生を無駄にしたくないわけです。そのためには刺激を受け、時には悩み、成長していくという当たり前のプロセスを避けていてはだめ。
でも成長してほしくない人たちがいるんですよ。
ギョーカイです。
なぜ成長してほしくないか?
扱いやすいめんどりに育てあげるためです。
成長して広い社会に出ていかれては困ります。生涯にわたる支援という美名のもと、一生自分たちの食い扶持となる立派な障害者になってもらわなくてはいけません。しかもできれば扱いやすい、あんまり悩みとかない障害者。そのためには、過度な負担はかけないこと。
そのための「啓発」をギョーカイは教育現場に向かって行っています。
その啓発があまりにうまくいきすぎて、いったん特別支援教育に取り込まれると、そこから抜け出すには「荒行」を積まなきゃ行けなくなってしまったのが今の現状ですね。

専門性を増やしたことの成果?

2018-04-23 08:56:27 | 日記
皆さん、ご意見ありがとうございます。

あ、最初に。

シフォンさんのおうちの場合は、水収支を合わせることでずいぶん解決することが多いのではないでしょうか。まずは芋本かも。電子書籍になりましたよ。スマホに入れておけばいつでも読めますよ。索引も便利ですよ。それと今度の新刊、『感覚過敏は治りますか?』も相当役に立つはずです。
社会の理解どころか特別支援教育を標榜する学校でさえそれだけ理解がないのです。ならば個体の方がラクになってしまうほうがずっと近道です。

何度も言いますが、発達障害者支援法ができたときには「これで発達障害があるけれども知的障害のない人はその知的能力にふさわしい人生を選べるようになる」と思っていました。それが全く逆の結果になっています。
風だぬきさんがその原因を三つにまとめてくださっていますが、これはだいたい皆さんの意見が一致するところみたいですね。
なぜ学校が片道切符を用意するか、その理由三つ。


1正しい見立てができていない。
2発達障害は、発達することを知らない。
3起きてもいない二次障害を恐れている。

じゃあなんで、こういうことが起きるのでしょうね?

それがまさに、発達障害者支援法がもたらしたことだと思えて仕方がないのです。

引用しましょう。
発達障害者支援法 第十四条です。とくに三。

=====

第十四条  都道府県知事は、次に掲げる業務を、社会福祉法人その他の政令で定める法人であって当該業務を適正かつ確実に行うことができると認めて指定した者(以下「発達障害者支援センター」という。)に行わせ、又は自ら行うことができる。

一  発達障害の早期発見、早期の発達支援等に資するよう、発達障害者及びその家族に対し、専門的に、その相談に応じ、又は助言を行うこと。
二  発達障害者に対し、専門的な発達支援及び就労の支援を行うこと。
三  医療、保健、福祉、教育等に関する業務(次号において「医療等の業務」という。)を行う関係機関及び民間団体並びにこれに従事する者に対し発達障害についての情報提供及び研修を行うこと。
四  発達障害に関して、医療等の業務を行う関係機関及び民間団体との連絡調整を行うこと。
五  前各号に掲げる業務に附帯する業務

=====

第三項 ここでギョーカイが仕事を得て狂喜乱舞したわけです。そしてその薫陶が隅々まで行き渡ったわけです。だから「一生治りません」「無理させないで」「二次障害ガー」が行き渡ってしまったんです。教師たちの多くは「言われたとおりにしていればいい」という小役人メンタリティの持ち主ですから、「専門家たち」にそう言われればそりゃ守りますよ。このあたりの事情を書いた部分を『発達障害、治るが勝ち!』から引用しましょう。

=====


 始まりたての特別支援教育では、人材を育てなければならなかった。そして勢い、その役目はギョーカイが担うことになる。そしてギョーカイの説く「頑張らせてはいけない」と現場の教師がしばしば持っていることなかれ主義の小役人的メンタリティはあまりにも相性が良すぎた。大義に目を向けず、自分の保身を優先させる小役人メンタリティ。小役人たちはギョーカイの説く「頑張らなくていいんだよ」を乾いたスポンジのように吸い込んで自分たちのことなかれ主義を是とした。こうしたギョーカイ×小役人の絶妙なマリアージュの結果、発達障害児の未来を消化試合とみなす風潮が出来上がったのである。

=====


この土壌ができあがってしまった今、皮肉なことに

=====

個別級に在籍しながら全ての時間を交流級で過ごすというチャレンジを1年間続けた結果、転籍を心配する声はなくなりました。

=====

という子ども側の頑張り、努力、証明がなければ転籍ができなくなってしまったのです。
いや、この頑張りはすごいと思うし、一生の財産になると思う。だけどこうやって一年証明し続けないと転籍させてもらえないっていう体制は病んでないですかね。山本五十六かよ。しかも「やってみせ」なければ説得できないのは子どもではなく教師なんですよこの場合。

何が言いたいかというと

もうみんな「専門性がある人が諄々と説いてくれたら現場はよくなる」という思い込みは捨てなよ、っていうことです。その専門家自体が現実をわかっていない以上、いくら専門家による研修を重ねても、片道切符を渡される子は増えるばかりで減りません。

専門性がないから現場が未熟なのではない。
専門家のいうことが浸透しすぎていて、現場が未熟なんです。
これをみんな、そろそろわかったほうがいいですね。

ご意見大歓迎です。もちろん異論も。

なぜ発達障害者支援法は片道切符を用意したのか?

2018-04-22 09:34:27 | 日記
コンディショニング講座のお申し込みに、メッセージが添えられていました。
とてもいい内容なので、ここと新刊に載せさせていただく許可をいただきました。
貼ります。

=====

息子は5年生になり、今年度個別級から一般級へ転籍しました。
個別級の担任は、当初一般級への転籍について懐疑的でした。
ですがその意見に折れることなく、個別級に在籍しながら全ての時間を交流級で過ごすというチャレンジを1年間続けた結果、転籍を心配する声はなくなりました。
面談で「一般枠で就職できるようにしたい」と伝えたのに、高等支援学校を勧めてくるような担任でした。
息子の成長を目の当たりにしたことで、これからの子どもたちへの縮小再生産的意見が変わるのではないかと期待しています。

数ヶ月前に学校行事で二分の一成人式があったのですが、息子は学年代表でみんなの前に立ち、自分で考えた始めの挨拶の原稿を堂々と読み上げました。
個別級のお母さん方だけでなく、息子を知る一般級のお母さん方も感動したと言ってくれて、よくここまで育ったものだと本当に嬉しくなりました。
診断がついた頃は、一般の幼稚園や保育園はとてもハードルが高く、療育センターの通園施設しか選択肢がなかった息子です。
幼稚園バスを見ただけで涙が出たこともありました。
今はもう笑い話です。
これから更に治ると思うと。
息子の未来が楽しみです。

=====

幼稚園バスを見ただけで涙が出た、という記述を読み
そこまで追い詰められるのが親心なんだなあ、と思いました。
だからこそ治りたい。
そしてそれがかなった。
おまけにまだ伸びしろが見える。
ハッピーですね。
とにかく治って残念がっている人はいませんね。

そして、本来発達障害者支援法は、こういう方を増やすためにできたはずなのです。
早めに診断し、早めに支援を入れて、支援の少ない環境で生きていける人を増やすためのものだったはずなのです。
それなのに実際には、診断された途端、「生涯にわたる支援」への片道切符を渡される。
多くの人を救った(であろう)一方で、多くの人に実力以下の人生を強いた。
それが十三年経った発達障害者支援法の現状ではないでしょうか。

なぜ片道切符になったのでしょう?
それを考えてみませんか。
そしてその軛から解き放たれる人を増やしませんか?
私は増やしたいです。

まず考えてみてほしいのです。
この方の個別級の教師は、なぜ一般級への転籍に懐疑的だったのでしょう?

ご意見募集いたします。



屈託なく、私が自分で築いた価値観

2018-04-20 12:28:06 | 日記
最初に業務連絡です。
昨日告知した二件のコンディショニング講座ですが、現在定員の半数は優に超えている状況です。すみませんがまだどなたにもお返事はしておりませんが、今受け付けている方には夕方までにはお手続きのお返事をいたします。明日朝までに返事を受け取っていない方は不達や迷惑メールフォルダーにこちらのお返事が入った可能性がありますので、お確かめの上確認のメールをください。部屋は80名入れるという触れ込みなのですが、それほど大きくない。講演中心ですが若干身体を動かすかもしれませんので、スカート等はオススメしません。動きやすい服装で来てください。

=====

さて、本日の本題です。

昨日、横浜の「里山ガーデン」に母と遠足に行ってきました。こんなところです。これも横浜です。











途中同窓会の話やなんかしまして、母から「○○君来た?」ときかれ、そういえばいなかったなあと思い出しました。母にとっても思い出深い同級生です。
なんでかっていうと彼は学校に通っていた途中に何らかの事情でおうちが貧しくなり、お母さんがいなくなり、お父さんが病気になったのです。そして学校はひっそりとなんか学費面で助けていたのですが、お金もお母さんもいないのでランチを食べていないというのを聞き、即ママたちのお弁当ネットワークができあがったのでした。お当番のママがお弁当をふたつつくり我が子に持たせる。そうしたらその子がロッカーに入れといて帰りは空のお弁当箱を回収するという仕組みでした。うちの母も一枚噛んでいたので私もデリバリーをしたもんです。すっかり忘れてました。

もっとも今思うのは、あの時代のあの学校だからお弁当を持ってこられない子は珍しかったけど、今社会に出てみると別に珍しくはなかったということです。そしてどっちかというと、そういう人に手を差し伸べずむしろさげすむ人もいるということです。これは私、ここ数年で知ったことです。赤本出したころにはまだ知らなかったと思います。というか、あの頃には「お金がないために大学進学できなかった」人の存在も知らなかったと思います。お弁当の彼にしてもできる子で、きちんと大学に行き、なんかお給料がいい仕事についたということを聞きました。よかったよかったと喜んだもんです。

私はこういうこと書いて育ちがよいことを自慢しているわけではありません。何しろうちはしょせんサラリーマン家庭でしたし、もっともっとお金持ちがたくさんいたので、自分が恵まれている方だとは思っていませんでした。恵まれていないとも思っていませんでしたが、これが「普通」でした。なんらかの事情でお金がなくなったおうちに学校がそっと色々便宜をはかってもずるがる人がいないこと、むしろお弁当ネットワークがただちに立ち上がること、そういう環境が私にとっては「普通」でした。

私が今「治ろうよ」というと、「ケチだから福祉予算削減を狙っている」なんていうトンデモなく卑屈な解釈をする人が時々いますが、要するにそういう人は自分の民度が低いんでしょう。いや、自分の民度は低くないとしても、民度の低い環境に育って弱い人がたたかれた経験をしたかあるいは見聞したかで警戒心がよぶんにある人なのでしょうね。私はそういう環境は知りません。きっぱりと知りません。だから私が「治ろうよ」というとき、それは屈託なく「そっちの方が便利でしょ」ということです。感覚過敏はない方がいい。四季を通じて体調は安定していた方がいい、障害特性を助長するような支援はない方が世の中のため、そういうことです。「社会性の障害うんぬんの前に週五日働けると選択肢広がるよね」というのがそもそも、身体方面に興味を持った理由です。

大嫌いだった理科の女教師は、今でも嫌いだったと母に報告しました。とにかく俗物過ぎるし、その俗物の価値観をいいものと考え、同じ価値観を共有しない人に説教しすぎる。最新の自慢の孫が美形、私が生まれてから聞いた中で五本の指に入るくらいくだらない自慢ですが、母のいとこにもっとくだらない自慢をする人がいます。「私は医者の娘だから」というのを80年自慢にしているイタいおばあさんがいるのです。そして母とは仲がいいけど、私はその人が大嫌いなんです。

医者の娘に産まれるためには、ただの一ミリの努力も必要としません。そして田舎で唯一の開業医だったから、きっとお金持ちなんだと思うのです。生涯働かずにいい生活をしてきたのだと思うのです。「でもそういう人は私の敬意の対象じゃないんだ」と私は母に言いました。母は私を産んで育てたけど、その後社会に育てられた部分の私は知らないからです。

「医者の娘に生まれて贅沢し放題の一生」を威張るおばあさんもいる。でも私が自分で社会に出て、それなりに人と出会い、苦労もし、挫折も味わい、自分で築き上げた価値観の中で、そんなおばあさんは一ミリも尊敬に値しない。むしろ、軽蔑に値する。それが一番の自慢だなんて、なんてつまらない一生だと思う。それよりはたとえ幼いころキャベツを拾うような経験をしても、28年間介護を務めたこよりさんの方がずっと尊敬に値する。それが私が大人になって自力で築き上げた価値観だと母には言ってやりました。

そして私は社会に出て女で苦労したこと。それは「そういう生き方は損をする」と「忠告」してくる女たちが本当にうざかったこと。そして私はその人たちのアドバイスをことごとくはねつけてきたこと。なぜかというとその人たちに一ミリの敬意も憧れも抱かなかったからとうていきくきになれなかったこと、この年になってやっとそういうバカ女が周りからいなくなってせいせいしていること、を母に告げました。そもそも損とかトクとかそういうのがさもしくていやなんです。ていうかなんにも不自由していない今、これで損なら上出来です。

そして「孫がハーフで美形」にしても「親が医者で一生贅沢」にしても、そういう自慢をされて「わ~すごい」って言えてしまう人がおそらくマジョリティなんですよね。母はそういう点でマジョリティなんです。その中で私はつねに孤独を感じてきたこと。でもその孤独は全くいやなものじゃないこと。

私は弱者ではないかもしれない。でもマイノリティです。そこで「わ~すごい」というトークには絶対加われないという意味では一生マイノリティです。でもそういうマイノリティはマイノリティで気の合う人もいるはずだ。中学生時代からそう思っていました。

要するに、付和雷同力がないんです。
そして付和雷同力がある人から見ると、私の生き方は損。
そこにつけこまれて説教されることが多い人生でした。

でも私は今「孫が美形」「医者の娘に生まれた」という自慢を「わ~くだらね」という価値観を共有できる家族と仲間に恵まれています。
これは私が自力で勝ち取った環境です。
親元から独立し、経済的にも精神的にも独立したからこそ、自分が心地よい環境を勝ち取れるのです。
私が言う「治るが勝ち!」は要するにそういう自由な人を増やそうよ、ということです。

付和雷同のすすめはきっぱりと拒絶したまま、これからも年を取っていくつもりです。

コンディショニング講座(二件)のお知らせ

2018-04-19 17:00:57 | 日記
お世話になっております。花風社です。
花風社は6月30日に、栗本啓司さんを講師に迎えてコンディショニング講座を二件行います。

場所 港北公会堂(横浜市港北区 東横線大倉山駅そば)

時間 一講座目 13:15~16:15 『感覚過敏は治りますか?』

   二講座目 16:45~19:00 『自己肯定感を育む身体づくり』

料金 一講座あたり3000円

*一講座目と二講座目は別々にお申し込みになれます。両講座受講も可能ですし片方だけでも可能です。

お申し込み方法:

花風社(mail@kafusha.com)あてに

・お名前
・ご連絡先(当日もアクセス可能なメールアドレス。ただし携帯アドレスの方はkafusha.comからの受信ができるようにご設定ください。ご案内等返信いたします)。
・参加人数

をお知らせください。手続きについてのご案内を送ります。
今回は講義が中心となり、お子さんはもしかしたら退屈するかもしれません。
一応実技用にバスタオルやヨガマット等をお持ちになるようおすすめいたします。

定員は50名を目安にしております。

栗本啓司さんの新刊

『感覚過敏は治りますか?』
はこちらからどうぞ。本には載っていない幻のあとがきも公開中です。直販ご利用の方はミニクリアファイルをおつけいたします。



Amazonでも予約できます。




皆様にお会いできますのを楽しみにしております。

*しばらくこのご案内はトップに貼っておきます。
日々の更新はこの下をごらんください。

中年期の終わりにわかったこと その3

2018-04-18 09:42:21 | 日記
一次会を終えて二次会会場に向かいます。国道134号線を江ノ島方面に向かって歩く。すぐ左が海。着いた先でまたいくつかのテーブルを囲んで、おしゃべりしました。
そろそろ親の老いに向き合う年になりました。介護を抱えている人たちもいました。もっとも、出てこられなかった人もいると思います。
できるだけ健康寿命を保つため、色々な予防策が謳われていますね。友の一人が、うちの親はそれを全部やっていたのにやはり認知症になってしまった。なぜだろうとつくづく考える、
と言っていました。
本当になぜでしょうね。
これは、障害のあるお子さんを授かった人たちも考えることだろうなあ、と思いながら聴いていました。
それこそ確率の問題だし、人知で防げるところとそうじゃないところがあるわけです。

うちの母はとても元気で、普通なら介護している年なのにむしろ仕事の忙しいときなどこっちが助かっているほどです。まだ車も運転していて危なげないし、しかも裸眼で免許更新している。それはもう、精進してきたから、だけではないと思うのです。
一つ私がわかるのは、だから私は仕事をしなきゃいけないんだろうな、ということですかね。
『感覚過敏は治りますか?』は私にとっては本丸に挑んだ本だったせいか、本当に疲れ切ったんですけど、また次も出さないといけないですね。こんなの。あ、まだ出てませんよ。Coming soonです。



鎌倉で歯医者をしている男子が、遠くに送る人を鎌倉駅まで送ってくれるということでした。でも高級車すぎて乗れる人数かなり少ない。
東京や千葉に帰る人に比べて私は遠くの中では一番近いので(?)会計を引き受け遠く組を見送りました。
それから女子三人、男子一人で江ノ電の駅へ。
でも日曜日の夜の江ノ電は、一時間三本なんです。
「これなら鎌倉駅まで歩いた方が早そう」と友。
「私、歩いても足は大丈夫。でも道がわからないからジモティが案内してくれたらついてくよ」と私。
そして夜の散歩になりました。

途中私はぽつぽつ話しました。
「私ね、今日○○先生(嫌いな方)に会いに来たの。私、あの人のこと大嫌いだったの。そしてそれからの人生でも同じような人たちに出会って、その都度大嫌いだったの。だから今会うとどうかなと思ってきたの」
「そうだったの」と女子友。「どこが嫌いだったの?」

これを聞いて思いました。私はあれほど大嫌いだったのに、それを黙ってたんだなあ、と。家では言っていたのですが。そして母は、担任が替わったら登校拒否するのではないかと恐れていたそうですが。少なくとも中学生の私はみんなにはあれほど嫌いな気持ちを伝えていなかった。そして「一緒に嫌おうよ」と誰も誘ったりしていなかった、ひっそりと「嫌い」と思っていたということです。

「なんかやたら人の道を説くのがうざかったな。しかもこっちは尊敬していないのに。理科の教師だから理科だけ教えていればいいじゃない。なのに人生訓とか説教臭くていやだった」と私。
「それは淳子ちゃんがマチュアだったのよ」と女子友。

不思議なことにあの頃も今も、私はやけにマチュアな面と極端に子どもっぽい面があります。そしてそれも一ミリも変わっていない。

「そうかあ、説教かあ、されてたかもな。でも俺わかんなかったかも」と男子友。「小学校のときは体罰とかあったんだよね。今なら問題になりそうな。でも一発やられる方がわかりやすかったよな」

その言葉を聞いて思いました。
昔は先生に叱られても、へいへい聞いているフリをして次の瞬間校庭に駆け出していき、そして何を叱られたのかなんてきれいさっぱり忘れたもんです。それを今の子は先生に叱責されただけで自殺とかする。どこが違うんだろう?

あの夜以来、私は「なぜあれほど校則も厳しかった学校を私たちは自由な空間と認識するのか」を考えていました。
そして、今思いつくこと。
それは、校風は学校側だけが作るもんじゃないということです。

当たり前ですけど、クラスにいる一人一人が自由なマインドを持っていないと、自由な校風はできません。
いくら教師が器を用意しても。
なのに今、学校側だけに責任をかぶせすぎな気がします。

私が女教師を嫌いな理由のひとつは、まだ若かった彼女が自分の恋バナとかを平気で私たちにするような無神経さでした。
でもみんなはそういうのに興味がある年頃であり、きゃっきゃと聞いていた。その中で孤独を感じることもありました。だから「みんなは気にならないのだ」と察知し、「嫌いなんだ」ということを黙っていたのかもしれません。

そして私に殴られた彼。
殴られたのに会うのを楽しみにしてくれていた、っていうのも、たとえばギョーカイやそれを支持する人たちと全く違うメンタリティです。何十年も前のいじめを引きずっている人たちにしてみれば、むしろ、自分を殴った人なんて恨みの対象なのではないでしょうか。

でも、これが私が人格形成期を過ごした土壌なので
私はギョーカイとその支持者の拠って立つところを
おそらく一生わからないと思います。
だからずっと化外の民でしょう。
そしてそれでいい。
私と同じようにわからない人もたくさんいるからです。

そして、『藤家寛子の闘病記』を読むと
自分がいた環境との違いにびっくりします。
ちゅん平さんが要求したあれっぽっちの合理的配慮を拒否するひがみ根性に、私は生涯めぐりあったことがないのです。



でもそういうひがみ根性の中で生きてきた人もいるでしょう。
そしてその人たちにとっては
私のそもそもの出発点がわからないから、私が言っていることが理解できないと思います。
私はなんの屈託もなく「治ろうよ」と言っている。それは私が屈託のない人としか接してこなかったからです。
私はギョーカイに出会うまで、ひがみ根性を持つ人々が周囲にいない環境の中で育ってきたのです。
「頑張れない人の気持ちもわかってくれ」なんて言う摩訶不思議なことを言う大人は一人もいない環境で育ってきたのです。
藤家さんがうちの学校にいたら、誰も病弱なことをからかったりはしなかったでしょう。
というか、誰かがからかったら誰かがたしなめる。そのたしなめる人は私のような気の強い系女子ではなくむしろ普段はおっとりとした子。そして暴れん坊の男子もそういうおっとり女子の説得をきいていじわるをやめる。そういう雰囲気でした。

つまり、人と違う特性を持った子を受け入れる土壌を作るには
発達障害に関する啓発より「ひとりひとり事情が違うのだ」と心から納得するほど民度をあげる方がずっと効果的なんだと思います。
そうなると
「不思議だね自閉症のおともだち」みたいなフリークショウみたいな啓発では逆効果です。
じゃあどうすればいいんだろうと考えた場合

当事者側の努力がゼロでいいはずがないのです。
それを私は訴えてきました。

でも

これをまたひがみ根性で自分が責められているように受け取る人がいるでしょう。

でも、そうじゃない。
私はそもそも、そういう人の存在を想定しないで生きてきたのです。
おそらくそれが私の限界です。
そして、強みでもあるでしょう。

~~~~~

鎌倉駅までたどりつき、横須賀線へ。
女子友二人は逗子方面。茅ヶ崎に帰るという男子友と大船で別れました。
マリノスサポーターでよく日産スタジアムに来てるそうです。またどこかでばったり会うかもしれません。

横浜駅(工事中)に着いたら23:00すぎ。
鎌倉をたくさん散歩したし、タクシーで帰ることにしました。
乗ったら夫からLINEがきました。Jetzt zu Hause。日本語でいうと「おうちなう」です。
夫もどっか行って遅かったのですが、わざわざ自分が帰ったと知らせてきたわけではなく
「自分も遅いが帰ってきたらまだ帰っていないので鎌倉と横浜の間のどこかで酔い潰れていたり間違って東海道線の大垣行きに乗ってしまったのではないかと心配している」という気持ちがJetzt zu Hauseの3ワードに込められていたので「今西口からタクシーに乗ったとこ」と返事しました。
帰ったら夫は締めの晩酌中でした。

「次の幹事やることになっちゃったよ」と私は、かつて殴った友と再会しパートナー幹事に指名された話をしました。
「そりゃ、身から出た錆だね」
「そうだね。それと嫌いな女教師の最新の自慢は子どもがフランス人と結婚して孫が美形なこと。生まれてきて聞いた自慢の中で五本の指に入るくだらなさ。相変わらずくだらん女だった」
なんてしゃべりながら録画してあった「せごどん」を見ました。

この日思ったのは
私の中年期は終わったな、っていうことです。
来月には55になります。四捨五入すると還暦。女の人は年を隠すことが多いけど、私は隠しません。なぜなら年を取っているからの有利さは絶対に役に立つから。

そして昔から変わらない私の資質。

「専守防衛、やられたら倍返し」
「ウエメセ説教臭い乙女が大嫌い」
「人よりマチュアなところと子どもっぽいところが混在している」

この資質とともに、子ども返りへの道を歩み続けていくのでしょう。
そして私は、たまたま時代の巡り合わせで発達障害をめぐる言論のプレイヤーの一人になったけど
自分の育ちの土壌が土壌だから、絶対にわかりあえない人たちがこの世界にはいる。

今の自分としては、その人たちとかかわりを持つ気はない。
それがこの世界からの撤退を意味しているのか、あるいは違うことを意味しているのか。

還暦を迎えた頃には、わかっているかもしれません。