治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

実力不足の若者たち

2018-02-28 08:31:49 | 日記
昨日は愛甲さんとお会いして楽しい時間を持ちました。そのときに自分の疑問をきいてもらいました。

うちには読者の方たちからメールとか手紙とかきます。その中で頻回に連絡してくる人もいます。やりとりすることもあります。その中で「自分は花風社の本が好きだけど親が・支援者がギョーカイ系で花風社の路線が嫌いである」という人がいた場合、その人を「無礼者」と感じる私は変なのでしょうかということですね。

いや、それだけなら事実の供述に過ぎないかもしれない。こっちにギョーカイを嫌う権利があるようにあっちにも花風社を嫌う権利がある。

ところが「というわけで浅見さんに連絡したりするのは親や支援者にばれると大変なのでどうぞご内密に」みたいな話が出てくると「こっちは正々堂々と仕事しているだけなのに勝手に日陰者扱いするんじゃねーよバーカ」という気持ちに私はなるのです。

自分が恐怖麻痺反射だか胎児性愛着障害だかHSPだかでビクビクビクビクビクビクしなきゃいけないのなら生きづらそうですねと思うだけですが「ね? わかるでしょ? ばれるとやばいんですよおたくの本読んでたり浅見さんとこういう風に連絡取ってたりするのばれると。どうか黙っておいてください」という方向に行くととたんにむかつきます。だって私は堂々と仕事しているだけなのに日陰者扱いされたわけですから。

こういう私は変なんですかね? って愛甲さんにききました。こういうこときけるの私は世の中で愛甲さんくらいかな。あとの人にきかないのは純粋に「意見を当てにしてない」からですね。

そうしたら愛甲さんははっきりと「そういう態度は浅見さんに無礼ですね」と言ってくれました。やはり変じゃなかったのか、と思いました。

自分は花風社路線で治りたい修行したい。でも保護者が支援者が、というところまではあり。でもそのあと「親や支援者にはっきりと自分の希望を言えない」のなら、はっきりと実力不足です。たとえ障害特性ゆえに経済的には親がかりの状態が延長しているとしても、自分がどの道を選びたいのか親にも言えないのは実力不足。

私が潰したいギョーカイとは、そういう実力不足の人を育てる支援者たちの塊のことかもしれません。
早期診断し、早期介入し、あげくのはてに大卒後B型就労支援に送り込み、支援者による人権侵害にも声一つあげられないほど主体性を奪い、こっそり花風社の本を読み、私に連絡してきてやりとりをし、それでも親にも支援者にも「私も治りたい」と言えない。そういう実力不足の人を育てる支援ギョーカイを潰すことかもしれません。

私は「自分の考え」をはっきりと明確に伝えられない人が大嫌いです。
「自分はこうなりたい」を周囲の人たちに伝える勇気のない人が大嫌いです。
大大大大大大っ嫌いです。
でもその人たちには、愛着の問題があるということを愛甲さんと本を作って知りました。
「自分の考えをはっきりと伝えられない」ことこそ愛着障害の一番の問題だとさえ思っています。
そして「もっと明確に伝えられるようになりたい」人は愛着障害を治せばいいと思います。
そしてコソコソコソコソ弱虫戦略にこの私が巻き込まれそうになったときは、断固拒否します。

愛着障害は治りますか?

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おらが村のギョーカイメジャー

2018-02-27 07:11:08 | 日記
『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』を電子書籍でお得に売り出した理由の一つはやはり、その先見性ですね(自画自賛)。自閉症の人に法的リスクはないかもしれない。でもたまたま、たまたま、自分勝手な世界観を持っていた自閉症の人がいた場合、それが触法リスクに及ばなくても、ギョーカイはそれを助長します。「接待」することによってね。彼らの自分勝手さを社会に押しつけようとするので。

ギョーカイが叱らないわけじゃないですよ。叱るんです。めんどりコースを外れそうになったときね。

それと、あの本を書いた頃に比べてギョーカイの勢いが縮んできたのははっきりしてます。何しろかの有名なJDDが握手会するまで地に落ちましたしね。

そして私の次の電子書籍書き下ろし、二次障害をテーマにしようと思っているんです。二次障害をそんなに怖がらなくても大丈夫、っていう話。

これ、どこを切り口にするかなあ、といろいろ脳内シミュレーションして自閉の神様のお越しを待っているのですが、ひとつ、「おらが村のギョーカイメジャー」という切り口を思いつきました。

それこそJDDとかの全国大会等で金太郎飴的に出てくるセンセイたち。そういうセンセイがいる地元をうらやましがるのが一昔前ははやってませんでした? 「○○センセイがいてうらやましいわね」とか。横浜だってさんざんうらやましがられたもんです。

そして会員になるのがステータスと言われるような親の会。そこに入って、有名なおらが村のセンセイに直接療育を受けると、うらやましがられませんでした?

けれども今現状を見てどうでしょう?

おらが村のギョーカイメジャーが仕切っている地域の特徴としては

・高機能の人が作業所

多くないですか?

しかもその中でも、おらが村のギョーカイメジャーの取り巻きみたいになってた「ギョーカイお母さん」たち、つまり相撲協会じゃないなんとか協会でさかんに活動していたお母さんたちのお子が

・高機能の人が作業所

多くないですか?

おらが村のギョーカイメジャーに近ければ近いほど、とりあえず特性がなくなって個性の範囲になって、かえってきまじめなところとかを社会に評価されて最低賃金以上の賃金を得ている

っていうケースは少なくなってきます。そのケースはむしろ花風社みたいな「化外の民」の周辺に多い。

その理由の一つが「二次障害回避原理主義」であることがはっきりしてきましたよ。
そのあたり書こうかな、って思ってます。

本日も福祉は絶賛本人無視中

2018-02-26 09:00:25 | 日記
みるさんが書いてくれた「合理的配慮と発達保障」書評の中に、地元の発達障害ギョーカイだけが彼女のアレルギーに合理的配慮しない様子が書かれています。

あのさ~。アレルギーなんて一番大事なのは本人申告ではないでしょうか。
そこに「エビデンスガー」。
要するに本人が苦しがろうと寝込もうとじんましん出ようと吐こうと「お医者さんのお墨付き」がないと配慮しない。ウソだとみなす。
こんなんじゃあまちゃん県の人たちは、子どもを入所施設とかグループホームに入れられないね。アレルギーにも配慮してくれないんだからさ。
人権人権合理的配慮合理的配慮言う人が「医者が言ったのではなく本人が言ったにすぎない」というだけでアレルギーの申告を無視。福祉は自己決定だなんだいうわりに本人を信じないよね~。ある意味障害者差別ですよ。

そしてこれを見て思ったのは「エビデンスガー」の本質には「本人無視」があるんだな、っていうこと。

そうしたらまた西の方から(当社比)本人無視の話が入ってきました。

作業所で仕事している人。なんか成果物を納品に行く仕事があった。職員が運転で助手席に座った女子。後ろにも男女混ざって利用者が三名。

そうしたら、納品時職員にさりげなく痴漢行為をされた。
同じことを別の女性利用者にもやっていたのを見た。

そして助手席に座ったその人は、帰り道職員が運転しながら自慰行為をするのを見てしまった。
っていうかそれ、乗っけている利用者をそもそも危険にさらしてるし!

それにそんなおぞましいことを堂々と人を横に座らせてやるなんて、相手を対等な人間として見ていない。あるいはなんか、そういう性癖があるのかしら? いずれにしろ、おぞましい。

本当はそこにおまわりさんが通りかかれば一番よかったね。
でもそういう巡り合わせもなく、とりあえずその利用者さんはサビ管の人に話したらしい。何があったか。
そうしたら理事長だかなんだかがその職員に「本当にやったのか」きいてみるということ。話はそれからだ。

てさあ。
被害に遭った人が訴えているわけじゃない。
なんでその本人を信じないのか。

歴史的に仕方がないかもしれないけど、支援の人であればあるほど、本人を信じないよね。
アレルギーも信じない。痴漢被害も信じない。なんでそんなに信じないの?

福祉の人でも優れた人がいることも、熱心な人がいることも重々承知の上で言いますが

今は(そして今後もおそらく長い間)人手不足で、福祉は元から人気職場でない上に、その業態からして雇用する人数とかを定められているから、人材確保は必須で、今後もそこには苦労する。よって、熱心で優秀な人もいる一方で人材の吹きだまりみたいになる傾向は長期にわたって続くことが予測されます。

その中には利用者虐待した上に利用者のっけたままけしからん行為をするような民度の低いクズもまじってくるわけだ。

それだけでも

治るが勝ち! ですよ。
福祉を頼らざるを得ないとしても、なるべくその範囲を減らした方がいい。

そのためにも本物の合理的配慮をしましょう。

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二人称の合理的配慮

2018-02-25 10:25:18 | 日記
さて、皆さんのお子さんの同級生に何らかのニーズがあって合理的配慮をしてもらっていたとします。それに対してお子さんが家に帰ってきて「○○ちゃんだけずるい」と言う。そうしたら「そうねずるいね」と言いますか? まともな親なら違うでしょう。むしろお子さんをたしなめ、教育する機会ととらえるのではないでしょうか? それが大人の役目でしょう?

教師がそれをできないのはなぜ?
「○○ちゃんだけずるい」という子どもたちの子どもっぽい声に負けてしまうのはなぜ?

というのが

合理的配慮と発達保障

を書いた一つの動機だったのです。

もし現代の人心がすさみきっていて、子どもが家で「ずるい」と言えば親も「ずるいね」と言い、先生に「○○ちゃんだけ特別扱いしないでください!」なんて抗議するような風潮になっているのなら、私の本を使って説得しなければいけない相手に「子どもの同級生の親」も付け加えればいいですね。

でもそうじゃなく

なぜ教師が子どもの声に負けるか、という疑問。

釧路高専の松崎先生は「教師の生き様の問題」と看過されました。
そうだと思う。
実際に本の中にも書いたように、私の子どものころは誰も先生にそんなこと言い出さなかったのですから。
教師に合理的配慮をする、という確固たる人権意識・遵法意識があれば生徒の立場で「ずるい」と言い出せるはずがないのです。

けれども教師が心のどこかで「やはりずるいのではないか」と思っていたらどうでしょうね。

子どもたちの「ずるい」の声に教師が同調してしまったら?

先生たちは一般社会を知らないがゆえに、一般社会を異様に怖がっているところがありますよね。
ところが一般社会は先生たちの権威付けのためにわけのわからない校則が設定されている学校よりむしろゆるいところがあります。社会の方が学校より懐が深いのです。

合理的配慮は、むしろ学校卒業後の方が簡単に得られるはずです。

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一人称の合理的配慮

2018-02-24 09:00:15 | 日記
昨日の夜中に配信された「合理的配慮と発達保障」
一号レビューは大久保さんでした(役に立つ方の大久保さん)。



発売されるやいなやレビューが出る。これが電子書籍の一つの醍醐味だなあと思いました。
仕事の合間合間にスマホでぽちぽち読める。
その手軽さを大久保さんもわかってくださったようです。

ちょうどあまちゃん県の読者の方から「みるさんのブログ読んでます。あまちゃん県そうなんですよわかります」というご意見が。
といってもそのおうちは栗本さんの知見でどんどん成長していって、効果があるもんでお子さんご自身が積極的に自ら取り組むようになり効果も倍増で、結果親御さんとしても「我が子の成長を見るのが楽しい。花風社さんに感謝」というお便りだったんですけど、やはりあまちゃん県ではがっちり網の目が張り巡らされていて、生涯薬漬けめんどりコースに乗っけられている人も。そういう人たちに芋本を持って行くことにする、ということでした。

連携連携って連携の大切さをギョーカイは主張してきたし、私ももっともだ~連携は大事だ~と思ったこともありますが、「発達障害者は発達する」ということを支援者側が知らないと発達する発達障害者にとって支援者同士の連携って邪魔ですね。っていうか連携じゃなくて談合だろそれ。

そんな経緯で大久保さんの書評を読むと、大久保さんはかかわっている学生さんたちに「合理的配慮を自分で説明して求められる方がいいよ」とアドバイスされている。これは大事なことかもしれません。支援者なくとも暮らしていくためにもね。最初は支援者がいないと難しいかもしれないけど、自分で説明できた方がいいね。

そして今度私が書いた本はたしかにその「交渉」のときの参考になります。短いけど内容は濃い。脳みそぎうぎう言わせてこの内容を自分の血肉とすれば交渉上手になります。

なんて「悲愴」を聴きながら書いていたらみるさんのブログが飛び込んできた。
みるさんはまさにそういう読み方をしてくださったようです。
っていうかあまちゃん県の支援者の合理的配慮。地に墜ちてるな。これこそまさに「エビデンスと無理心中」だ。どこがどうなればこれほどひどい支援者ができあがるのだろうか。言っておきますが無理心中は犯罪です。



そしてちゅん平さんの書評



本の中でもちゅん平さんのエピソードは使わせてもらっていますけど、まさにちゅん平さんは合理的配慮を求めては玉砕してきた人。なぜかというと当時は合理的配慮が「特別扱い」という名前で、「ずるい」と言われてきたから。
それでもちゅん平さんに見られるように「こうこうこういう合理的配慮をしてください」と申し出るのは積極性の証拠でもある。そのせっかくの積極性を活かそうよ、と私は提言しているわけです。
ちゅん平さんの書評は「合理的配慮を一人称で語っている」とってもいい例です。

というわけで他にも感想お待ちしていますね。
kindleアプリは簡単に入れられます。電子書籍は電子なりの良さがあります。
というわけでまだお読みになっていない皆さんも
よろしければ

合理的配慮と発達保障



絶賛発売中です。

よろしくお願いいたします!

拡散希望! 花風社創立22周年記念事業のお知らせ

2018-02-23 17:57:01 | 日記





2018年2月23日、花風社創立22周年記念日。
記念事業を発表します。

電子書籍「合理的配慮と発達保障」

を出版します。

kindleストアで発売中!



実は今後、花風社も意欲的に既刊の電子化を進めていくのですが
まずは電子書籍になれていただこうと
紙の本で展開していない内容の短い書き下ろしをしました。
タイトルは「合理的配慮と発達保障」。
そう、先日お配りした自閉っ子通信の「ロングバージョン」です。「暴言入りバージョン」とも言えるかもしれません・・・。

電子書籍は本当に、慣れると便利なのです。
私は紙の本で持っているものでも電子書籍で持っているものがあります。
専用端末がなくても、無料でkindleアプリをダウンロードしておけば、スマホやタブレットでいつでも思いついたときに読める。好きな大きさの文字で読める。電車の中でも読めるし旅先でも「あれどうだったかな?」と思ったらそのときに読める。
検索しやすいし、引用を人に見せやすい。
こういう電子書籍の性質に鑑みて
第一弾は多くの発達障害関係の皆さんが説明に困っている「合理的配慮の求め方」の「浅見バージョン」にしました。
キャッチコピーはこんな感じです。

=====

合理的配慮をしてもらいたくても、ずるいと言われてしまう。
合理的配慮を導入したくても、他の子と不平等になるのではないかと気になる。
そういうとき、この本を読んでヒントを得てみませんか?
合理的配慮とは、本人のためだけではありません。社会のためなのです。
それは、なぜでしょう?
発達障害者支援法施行前夜から発達障害の世界を見つめてきた著者の考えを聞いてみましょう。
若干、「暴論」かもしれませんけど……。

=====

合理的配慮に関しては、いくら法律ができても、現場で今までのやり方をしてきた人たちを説得するのは大変です。
感覚過敏の人の感覚予防グッズ。学習障害の子のためのICT。導入するのにいちいち周囲を説得する手続きが多すぎるとは思いませんか?
成人当事者の人が就労した場合の職場での配慮もそうでしょう。

ならばどう学校に、職場に、合理的配慮を導入してもらえばいいのか
私なりにまとめてみました。
暴論かもしれません。
でもそれだけに、風穴を開けるかもしれない、という期待は裏切らないかもしれません。
まずは、読んでみてください。

今後も花風社は、既刊の電子化に加え、積極的に書き下ろしも出していきます。
すでに私も二弾目、三弾目を用意しております。
私の書き下ろしはおそらく、実質暴論方面に行くような気がします。
役に立つ暴論にする予定です。
そして私だけではなく、藤家さんにもすでに原稿をもらっています。
だから電子書籍は初めてという皆さんも、ぜひまずアプリをダウンロードするところから始めて、便利さになれてください。
紙では得られない情報がどんどん入ってきます。

どうぞお楽しみに!

しばらくこの情報はこのブログトップに貼っておきます。日々の更新はこの下をごらんください。


営業努力

2018-02-23 07:40:55 | 日記
事業が続いていくための営業努力とは何方向もありますね。
でもそれをすっ飛ばして「ブランディング」に行っちゃうのが自己啓発クラスタのイタいところです。
ブランディングは自然にできてくるもののはず。
なぜ自己啓発クラスタはブランディングに走るか。
それは「実業」がないからです。「実業」がないうちは時間つぶしに自分をどう見せるかのアピールを学ぶしかない。
そしてその講師となるのは在庫を持つ商売をする勇気を持たず、いくらのセミナー代取れるかで自分の価値を計るようなコンサルタントとかいう人たち。
ヘタレがヘタレを騙すの図、です。

アルマーニのように高級路線でブランディングができている会社もあれば

ユニクロやしまむらのようにスケールメリットを活かしている会社もあります。

いずれにせよ、ニーズを探る、質を上げる、スケールメリットを活かす、という民間企業の努力は私にとって「清々しいもの」と映ります。

そうすればブランディングなんて勝手にできていきます。

一方で「親方日の丸に依存」しているクラスタは、制度に翻弄され、今は強度行動障害の子を取り合ったりしている。

それも営業努力なんですよね。

ただ私は、こういう営業努力はしたくないです。

なぜか? 社会正義に反しているからです。

人間関係をよくすれば仕事が回っていくと思っている人たちもいます。

私はそういう時代は終わったと思っています。

「仲良くしていればいいことがある」と信じて仲良くしている人たちには大して金も力もありません。数だけいて無力なことが多いものです。

だったら金や力を持つ人にすり寄ればいいのかというと、そういう人はめったにいないし、すり寄ったってあっちから見るとこっちに魅力がなければ選んでもらえません。

結局誰とも無理矢理仲良くする必要はないのです。

いや、喧嘩をする必要はありません。

でも、誰かとの人間関係を優先させて「何が正しいか」を二の次にしたら、神様が応援してくれなくなります。

「社会のためになる」と信じた道を行けばいいだけです。

そうすると神様が応援してくれます。
奇跡のように事業は続いていきます。

それが花風社22歳の誕生日に私が抱いている実感です。



合理的配慮と発達保障



配信始まりました。



どうぞお楽しみください。
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メイキングオブ「感覚過敏は治りますか?」の小さいレポート

2018-02-22 11:28:00 | 日記
先週は栗本さんの拙い日本語に苦しんでいました。そして資料など読んでわかったこと。栗本さんの日本語が拙いだけじゃない。身体の問題をまとめるのがめんどくさいのは身体はつながっているから一対一対応にならないっていうことです。「こんにちは」と言う←卵ボーロ みたいな簡単な図式にはならない。逆に言うと身体アプローチで簡単な一対一対応の図式を提示している人や本はにせもんです。レベル落としてて、その結果効果上がらないと思う。追い詰められてて一対一対応を求める読者のアタマにはそっちの方がわかりやすいかもしれない。でも私はそういう本は作りません。役立たないから。治る本を作る。そのためには読者も自分ちにアレンジするだけの余裕が必要です。読者を選ぶ花風社の本。でも治るよね。

そして日曜月曜と暑苦しい飲み会を二つ経て、ギョーカイの悪口を思い切り言っていたら、自閉の神様が降りてきて脳内目次ができあがりました。っていうことで昨日は栗本さんに私のジムにビジターできてもらって二人で体操服で実技の確認をしました。まあ体操服着るほどの実技ではないんだけどジムは体操服じゃないと入れてくれないからね。でもとっさにそこにある道具を使ったやり方も教えてもらってよかったです。

ジム内は盗撮防止のため撮影禁止なんですけど、短い時間スタジオを貸してくれてそこで撮影するものはパパッと撮影。聴覚過敏が強い人にいい運動(というほどのもんでもない)なんかを動画で撮ったりしました。画伯に棒人間にしてもらおう。

そして帰路へ。ご飯食べようと思ってみた店がこんでる。じゃあいつもの中華屋さんいくか。あそこならポテトフライも食べられるし。と言ったら「いや、今日はポテトフライいいす」と栗本さん。前の日まずいポテトフライを食べたらしく、今日はいい、というのです。

でもいざ飲み始めたら「やっぱり食べたくなった」と。君子豹変す。臨機応変。食べたくなったら食べなさい。私は栗本さんにポテトフライの皿を持たせ記念撮影し、「全国推定80万人のスーパーバイザーファンのために」「私とポテトフライ」という題で友だち限定FBにアップしておきました。

そして様々なよもやま話。ていうか、私の推薦した本は読まない栗本さんですが私は栗本さんが推薦した本を読みます。一番のおすすめは「闇金ウシジマ君」でした。猫烏賊の仕組みがわかるというのです。というか栗本さんたちボディーワークの世界も猫烏賊横行していて黄色本が出る前の無名のおっさんだった時代でさえ栗本さんもせっせと胴元に貢いだ黒歴史があるということ。私は数万円もするセミナーとか怪しげな民間資格とか修了証萌えの人とか知らずにきましたが、栗本さんには構図が見えていたとのこと、ということで勉強した方がいいですよと「闇金ウシジマ君」を教えてくれたのです。

でも私はあんまり漫画読みではなく、絵もきついので、字の本「ホリエモンvsウシジマ君」とか言うのを読みました。それで思ったのは、学校の嘘を説く解毒剤としてはとてもいい本だなということ。栗本さんはどうやら「闇金ウシジマ君」で人生を勉強しているようです。

あと先日勧められたのは本ではなく論文。「医療福祉センターきずな」の常石秀市先生という方の「感覚器の成長・発達」という論文です。

ギョーカイ外の先生ですよね? でも発達障害に関わっていらっしゃるんですよね?
いい先生がいたもんです。
とってもわかりやすかった。

ていうか感覚統合何してきたのよ? という気になりました。
この知識がOTにあれば、感覚過敏なんか治るじゃないの。
でもきっと、ギョーカイの顔色伺って言い出せないんだろうな。

待ってられないから私たちは先に今得た知見を世に出してしまいますね。
子どもは日々成長していきます。ギョーカイお友だち都合の政治的な事情など、待ってられないんですよ。
ギョーカイの方見て仕事したい人はそうすればいいです。
私たちはそうじゃない。苦しんでいる人をラクにする方を向いていますから。

そんなわけで昨日は二人で立派な酔っ払いになっていましたので、今朝、女子パシュートの快挙を知りました。

一番前にいる人は風を受けるのね。
今度の本ではいよいよ、栗本さんが天下の嫌われ者になる番です。

そして朝起きたら脳みそが「悲愴」を要求していました。
ふだん仕事中は音楽をかけない私ですが、「悲愴」のときは本格的に脳みそが動き始めたしるしです。
ここから後は速いはず。

午後からはちょこっと画伯のアートイベントに顔を出してきますね。

制服ビジネスとエビデンスガー

2018-02-21 09:56:36 | 日記
アルマーニの制服騒動で改めて知ったんですけど、ユニクロだのしまむらだのが全国津々浦々に展開している今日、制服商売は独占状態でひどいもんみたいですね。別に銀座の小学校に限ったわけではなく。
校章一つついているだけで、考えられないような値段を取っている。公立なのに。成長期の子どもに着せるものなのに。

消費者目線はまったくなく、利権にあぐらをかく人たち。民間人としての営業努力をせず、役所のお墨付きで甘い汁を吸おうとする人たち。

ペアレントなんとかとか強度行動なんとかをなんとか自治体のお墨付きにしたい、と奔走するギョーカイ人は要するに「出入り業者」になりたいんです。校章一個でユニクロやしまむらでは考えられないような値段を取っている地元の制服業者。その人たちとギョーカイを重ねると実にわかりやすいですよ。

なんか放課後デイで強度行動障害の子が来ると加算になるらしく、今は強度行動障害の子の取り合いが始まっているみたいですね。

そして手に入れた強度行動障害の子は、治すわけないよね。貴重なめんどり、問題行動のない子より大きな金の卵を産むめんどりなんだから。

「治すと減算になる制度って」ってもっともらしくしたり顔で制度を嘆いてみる福祉方面の人も多いんですけど

治してから言ってみろよ、っていう感じ。
国は見限ったんじゃないですかね。
治さない。
そして重い子はいやがる。
ならば重い子にインセンティブつけよう、と。
国が業者相手に一粒の卵ボーロ的犬の調教をやっているわけですね。

でも強度行動障害の対応とか必死に学んでいるじゃない、業者たちは。
一生懸命勉強会開いて。
有害な方の大久保さんも講師とかやってるとか?
とか思う人もいるかもしれない。
(函館のてらっこ塾の大久保さんじゃないですよ。読解力のない人が函館の大久保さんに私が批判しているとたれこんだそうですがてらっこ塾の大久保さんは役に立つ方の大久保さんです。私が有害認定しているのはどっかの読み方もわからない大学に勤めている大久保さんの方です)

別に業者の人たちは勉強しに行ってるわけじゃなく、国に「この講座を修了した人が働いている人がいる事業所には加算する」という卵ボーロにつられて居眠りしに来ているだけで、強度行動障害の子を治したいわけじゃない。だって治すと減算されちゃうしさ。

講座開く方としては加算さえ勝ち取ればあとは今まで役に立たなかった各種手法の焼き直しをカタログ的に展開していればいい。いわゆる「未だにトイレが和式の公民館みたいな内容の療育」です。

卵ボーロで子どもを買収し、場面限定で「こんにちは」と言えるようになるけど場面が変わるとまったく使えないABA。

安定する人も多い構造化。でも安定しない人もいる。そうすると「子どものどこかが苦しいのでは?」と探りもせず「支援が悪い」と支援者の技能不足にしてその場を濁すTEACCH。

そんなのの焼き直しでも堂々と開き直って教えられるのは目的が自傷他害をなくすことではなく主催者にとっては「猫烏賊展開で金儲け」だし出席者にとっては「加算」だからでしょうね。
どっちもスケベ心丸出しで行われるセミナーに「エビデンスガー」で武装したギョーカイ人が派遣される。治るわけがない。有害な方の大久保さんはかつて「一次障害が治るというのはどういうことか想像もつかない」と言っていました。安易に花風社批判に乗る割には一冊も読んでないそうですが。検証しようという意欲に乏しい人ですね。

こういう福祉でもないよりまし? 利用せざるを得ない?

でも親としては自傷他害はやめてほしいでしょ?
彼らはやめてほしくないかもしれない。

それならば
彼らがそういう生態を持っていると重々承知の上で、そして制度とい国の与える卵ボーロに右往左往する人たちだと承知の上で、つきあっていくことですね。

1 なるべく多くの人が
2 なるべく重い障害に
3 なるべく長い間

とどまればとどまるほど儲かるのが福祉ギョーカイです。
そのためにならあまちゃん県から鹿児島に一人で行ける人すら薬漬けにして介助なしでは動かせないようにする。

支援による三次障害も起きるはずですわ。

支援者の用法用量は慎重に見極めましょう。

医療は治さず
療育は伸ばさず
特別支援教育はただのアリバイで
そして成人支援でずっと飼い殺しにするのがギョーカイの利益なのだから。

結論としては

治るが勝ち!
こういう支援者たちから逃げられるだけでも治るが勝ち!


「社会の理解が進めば生きやすくなる」というエビデンスはどこにありますか?

2018-02-20 12:11:10 | 日記
沖縄から山城健児さんが来るというので「何しにくるの?」ときいたら「ゆんたくしに」ということ。新年会をやりたいみたいなんですけどわざわざ新年会しにこっちにくるなんてよっぽど沖縄に友だちいないのかな、と思いました。沖縄にはあんまり温泉がないようなので温泉入りたい? ときいたら入りたいというので温浴施設でお風呂入ってからの宴会、ということにしました。

そして栗本さん、画伯、うちの夫、私、と四人で山城さんを迎えるつもりだったのですが、栗本さんは馬乗りにどっか行ってて帰りになんだかんだで「すみません、30分遅れます」ということ。「やっぱりね」と画伯があきれたように言います。本当に栗本さんこういうとき遅れてくることが多い。「30分じゃすまないんじゃないの?」と画伯。そのとおりでした。しかもまた、電車の乗り間違いとか乗り過ごしとか。この手のトラブルが多い栗本さんです。画伯が「田舎もんだからじゃないの?」とばっさり。ああそういえば……。

山城さんには土地勘がないので、「どれくらい遠いんですか?」というので「那覇からやんばるの感じ」とてきとーに言いました。距離ははかってないけど、神奈川の端と端という意味ではそんなもん。ただ公共交通機関が便利だからそんなに遠く感じないだけ。

まあともかく1時間くらいしてやっと栗本さんがやってきたのですが、「まずはお風呂入ってくれば」と言いました。馬乗ってきたんだから。

あ、その前に。

「感覚過敏は治ります?」の講座で栗本さんは聴覚過敏と顎関節のつながりについて触れていて、「聴覚過敏の子ってこういう顎の子が多いでしょ」と顔で実演してくれた。それを画伯に描いてもらわないといけないから一応写真撮っとこう。

ということで実演してもらって、そしてお風呂に送り出しました。夫もいつの間にかお風呂に戻ってたので、画伯と山城さんと三人で栗本さんの悪口を言いながら待ってました。

私「この前ひみつのミーティングやったんだけどね、そのミーティングのテープ起こしを榎本さんに頼んだんだ。私が一番速くてうまいから普通テープ起こしとか人に頼まないんだけどその日の話題は榎本さんにやってもらったほうがいいと思ったの。供述調書取ってた人だからきっとできると思ったのね。そしてできあがってきたらあの栗本さんのつたない日本語をよくまとめたなあと感心。被疑者の供述なんてきっとまとまってないものも多かっただろうけどまとめてきたんだからね。そういう能力がある人なんだよ榎本さんは。榎本さんと本を作るのはラクだったよ。だから榎本さんの本を作ったあと栗本さんと仕事再開すると脳みそが疲れてねえ」みたいな話をしてました。

「鈍臭いねえ栗本さん」
「ほんと鈍臭い」

そして栗本さんがお風呂から上がってきてビール頼んで「ポテトフライとっていいすか?」。はいはいポテトフライポテトフライ。

昨日は居酒屋だからまあいいんですけど、そこそこ本格的な中華料理のときも、長崎で新鮮なお魚の舟盛り頼んだときも、「ポテトフライいいすか?」と。味覚が子どもなんです。

とけなしながら栗本さんの頼んだポテトフライが来ると結局みんな手を出すのもお決まりのコースです。

「それより君たちkindleのアプリ入れてる? もうすぐ本出るから買ってね」と言ったら山城さんは持っているとのこと。画伯はないからこの際ダウンロードしよう、ということになってお風呂から戻ってきた夫が手伝っていたのですが途中まで行って「パスワード忘れた」。ああ鈍臭い。

というわけで鈍臭いおっさんたちなのでした。

でもまあ、話は弾みましたよ。
考えてみれば山城さんとの出会いは、山城さんが沖縄の発達障害者支援センターの事業として私を呼んでくれたところから始まって。私も「社会の理解が広まればよくなる」と信じて啓発活動していたし、ギョーカイの悪口言ってなかった時代です。それから山城さんは独立して、花風社は路線を治す方に変えて行って、郷土愛の強い山城さんは「沖縄の子たちも治る子が増えてほしい」と花風社を応援し続けてくれて、今ココです。

発達障害者支援センターへの幻想が溶けた今、私は悪口言いまくっているわけですが、山城さんとしては現場も知っているので「やっている人はまじめで、悪意はない」ことも知っているのです。

知ってます。私も。
発達障害者支援センターの人も悪意はない。
まあ某政令指定都市の発達障害者支援センターみたいに33歳の人を「親の了解がないから」と門前払いするのは悪質だと思いますけど、たいていの発達障害者支援センターには悪意がない。
ただ社会の要請に応える力がないだけです。
なのに「そこに行けば、あるいは彼らの言うとおりにしていれば、どうにかなる」という洗脳が行き渡っているのが問題なのです。

私はそこで、以前『発達障害、治るが勝ち!』の出版記念講演でしゃべった「護国寺としての発達障害者支援センター」の話をしました。
みんな納得してくれました。
発達障害者支援センターが役立たずなのは、護国寺だからです。
ただの祈祷の場所なのです。

これもそのうち書きましょうかね。

でもね、考えてみてください。
社会が発達障害を理解すれば生きやすくなると彼らは言うけれど、そのエビデンスがどこにありますかね?
エビデンスのないことを広めているのなら、それはなぜですかね?

楽しい夜でした。
わざわざ私たちに会いに来てくださった山城さん、画伯、そして栗本さんに感謝です。
そういえば遊びの時には毎回のように電車ののり違いだのなんだのする栗本さんですが、仕事には遅れたことないですね。栗本さんの名誉のために、それだけは付け加えておきましょう。