治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

増刷御礼のお参り

2016-06-30 20:09:48 | 日記


今日は久しぶりに関帝廟にお参りしてきました。
増刷3点まとめて御礼。

発達障害は治りますか?
自閉っ子、こういう風にできてます!

に加え

人間脳を育てる

です。

人間脳も他の二冊のように増刷常連になるといいなあ。

それと

私の手元にももう在庫ないですが

注文はお受けしてます。出来次第お送りします。

だから皆さん

定価より高く出している業者から買うことないですよ。

さっきスペース96さんにうかがったところ、あと数冊あるとのこと。

どうしても待てない方は、スペース96さんにご連絡ください。

アスペルガーの気持ちがわかりますか?

2016-06-30 19:22:37 | 日記




またこういうコメがきましたよ。

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浅見さん
当事者です。「アスペルガーは迷惑で厄介者」というあなたの意見に納得がいきません!
友達ができない、大学の授業についていけない。どれだけこれまで苦しい思いをしてきたのか、あんたにわかるんですか!
しかも、「アスペルガーを克服しよう」というあんたの言葉にも違和感を感じます!

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迷惑で厄介者なんて言ってないんだけど。
「迷惑かけられたら毅然と対応しようよ。それが共存」っていってるだけなんだけど。

「毅然と対応するのは差別」というギョーカイのやり方に異議を唱えているだけなんだけど。

こう答えました。

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浅見淳子
アスペルガーの人の気持ちはきっとわからないでしょうね。でもアスペルガーの人に迷惑かけられている人の気持ちはわかります。私もかつて大いに迷惑し、法的に解決しましたので。逆に言うと、法的にしか解決できなかったのです。だから法的な手段をとらずにつらい思いをしているひとはいまもたくさんいるでしょうね。

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ね。
お互いさまでしょ?
迷惑かけられて、家族まで巻き込んで、エネルギー使って裁判やってやっと解決して、その間支援者と呼ばれる人たちが何にもしないのを見て悲しみや怒りを覚えた私の気持ち

わかんないでしょ?

それに、アスペルガーを克服っていう言葉は使ったことないと思うけど

克服したくないひとはずっとそのままでいれば?

久しぶりにこういうひとが湧いてきましたので記事にしました。

本当にとっても久しぶりだから。

まだいたんだね。

っていうくらい、ここんとこ客層がいい花風社です。





「人間脳」とは何か その2

2016-06-29 19:24:34 | 日記


以前、花風社クラスタの自閉っ子お母さまがこう言ったことがあります。
「発達検査の時、周産期の状況をきかれます。ということは、きっと関係があるんでしょうね。表立っては言わないけど」

私は死んだふり祭り(自閉症協会全国大会ともいう)で「治療法は研究してもいい。でも公表しないでほしい。人心が安定しない」とギョーカイ大メジャーが堂々と言うのを聞いて「知らしむべからず、依らしむべし」が気に入らん、と珍しく気色ばんでおっしゃった神田橋先生のお顔を思い出しました。どうやらギョーカイの重鎮にとっては「原因や治療法について親には詳しく教えない」ことが専門家として正しい道のようです。
自閉症について解明されていることがあっても、保護者には隠す。それが思いやりからなのか保身からなのか知りませんが、何かを守っていることは確かでしょう。杉山先生のような例外もいらっしゃいますけど。

「人間脳を育てる」を作っている間に私は父を亡くし、遺された母と亡くなった家族について話すことが多くなったわけですが、その中で生後数か月で亡くなった妹について初めて母にきいたことがあります。自然分娩だったかどうかです。





なぜこれをきいたかというと、原始反射について勉強すると、自然分娩を可能にするのは母だけの力ではなく、子どもの力でもあるとわかったからです。昔なら、そのせいで母子ともに命の危険があった。今は医療的措置が入って生まれてくることはできる。でも分娩の方式によっては「原始反射の回数券を使い切らない」のですね。使い切るときに使い切っていないと、発達に影響します。

うちの妹は、自然分娩で生まれてきたそうです。つまり重い障害はあっても、自分で生まれてくる力があったということ。私(3600グラム)より小さい分、母としてはラクだったらしいです。

そして人間の場合、胎内で亡くなるか、とにかく産道を通って出てくるかでは大違いなのですよ。

母は「あの子は淳子よりパワーがある子だったかもしれない」と言います。そうかもしれません。数か月しか生きなかったけど、自力で産道を通ってきたことで大仕事をしたからです。(そのあたりの経緯を記した過去記事はこちら
胎内の命も大事な命には違いありません。でも人間の場合、産道を通ってこの世に出てきたかどうかで全然立場が違う。出てくると人を動かします。医療を動かします。短い命でも、亡くなると儀式があり、戒名がついたり、お位牌が仏壇に安置されたり。「死者を永く悼む」のもまた、人間脳ならではの活動ですからね。

重い障害があって生きられなかった命。でも生まれてくる力はあった。そこまで反射が発達していた。そう知ると、「よくやったね」と言ってあげたくなります。一度も会えなかった姉として。

思うに周産期の状況と発達の関係をはっきりおっしゃるのが杉山先生のような「舌禍系」の先生か(ご自分で舌禍事件をよく起こすとおっしゃってましたよね)、栗本さんのような「いかがわしい系」の人に限られているのは、ギョーカイが子どもたちの将来よりも大事なお札、そう、あの「親のせいではありません」を守っているからでしょう。帝王切開やなんかで産んだ母たちに罪悪感を与えることを恐れているからでしょう。

でも赤ちゃんが原始反射を使って産道を通ってくるのなら、自然分娩ではなかったとしてもそれこそ親(だけ)のせいではありません。子どもに凸凹があって、そのときまでに産道を通る準備ができていなかっただけかも。

そしてそこで使わなかった回数券は、今からでも使い切ればいいじゃないですか。
そうすると発達に及ぼしていたバグが消えていく。
「人間脳を育てる」を読むとそれをわかってもらえると思います。

本日、増刷をかけました。
忽ち増刷! というやつですね。発売後一週間ですから。
しばらく品薄が続きますが、頼んでおけばいつかは必ずお手元に届きますので、安心して注文してください。
私の手元在庫もかなり薄いですが
ご注文いただければ、手に入り次第お送りいたします。アマゾンさん等も同様です。

売れ行き好調もうれしいですが
とにかくこの発達の方法を広めねばなりません。
ラクになる子が増えるからです。
読書会にもぜひご参加ください。そして各地方で持ち帰って読書会を開いていただくのもまたいいかと思います。


原始反射の成長(卒業ではなく)

2016-06-28 08:51:55 | 日記




さて、児童精神科医なお先生のブログで「人間脳を育てる」書評を書いていただいています。



なお先生がちょっと前から原始反射についての資料を探していらっしゃるのには気づいていました。私も探していたから。そして先生もおっしゃっていましたが、日本語では本当にないんですよね。検索すると灰谷さんのサイトに行きついてしまう。

私としては感覚統合にちらっと出てきた原始反射と同じようにとらえていましたので、当初あまり興味はなかったんですけど、灰谷さんが説明してくれた「動きの発達」に関しては「これだ!」と思いました。これまで私たちが気づいてきた「身体と認知・学習・情緒のつながり」のミッシングリンクが「動きの発達」だと思いました。それだけでも本にしたかったのですが、灰谷さんによるとその発達を時に妨げているのが原始反射の残存だというので、じゃあ勉強しないわけにいかない。

ということで勉強する必要が出てきたわけなんですが、日本語で資料を探すのをあきらめ探して読んだのがこれ。コンパクトな本ですが、これでぐぐっとわかったのは灰谷さんがちらりと言っていた「原始反射は悪者じゃない」という視点です。



原始反射は役に立つ。とくにある時点までは生き残りに必要な反射だったんです。命はきちんとこういう戦略を用意していた。感心します。

でもやがては統合されるべきもの。じゃないと生きづらさが残ります。動きの発達の妨げになります。ヌケの原因になります。だったら統合させてあげればいいじゃない。それが統合遊びです。そして子どもは実は自分で統合遊びをやっていることが多い。昨日も私が自転車で信号待ちしていたら前の女の子がポールを起点にぐるぐる回っていました。ああ今同側を育てているんだなと思いました(動きの発達第三段階ですね。読んだ方はおわかりでしょう)。自閉症の診断があるがゆえに、「常同運動」で片づけられているかもしれないと思います。それでその「常同運動」をむしろ犬の曲芸的な手法でやめさせられているとしたら、発達援助の逆になってますね。

ある時点までは役に立つものを後生大事に守っているとかえって生きづらさが増す。これは私たちがさんざん見てきた「学校ルールを後生大事に守って社会適応できない自閉圏の成人」と似ています。それのプリミティブなバージョンが原始反射。私はそのようにとらえて「原始反射って何それ食べれるの?」の状態を脱して原始反射に興味を持ち始めました。そして「人間脳を育てる」の第三講座に至るわけです。

本のメインタイトルを「人間脳を育てる」にして、サブタイトルに「原始反射」を持ってくるとき、当初私が提案した「原始反射の卒業」というタイトルに灰谷さんは「原始反射の成長」という対案を出してこられました。

たしかに、と思いました。「回数券を使い切る」という発想だと「卒業」なのですが、「かつては役に立ったものを統合して今の生き残り戦略を獲得した」という意味では「成長」です。

これはむしろ大脳皮質上の(つまり社会生活に即した)アナロジーが理解に役立ちました(私の場合)。

学校限定ルールをまず児童生徒として覚える。でも社会に出るとそれでは通じない。学校ルールと社会のルールを相対化させることによって社会を理解していく。

これができなくて、学校限定ルールを引きずっていると成人当事者は生きづらいのです。学校のつく三つの嘘、すなわち

・金儲けは汚い
・多数決は正しい
・誰とでも仲良く

を信じてしまうから。

そのどれも「一面は真実・大事な事実でもある」だけどこれオンリーでは複雑な社会生活に対応していけない。そこで考えなければいけないのは「じゃあなんで学校はそういう嘘をついたのだろう」ですよね。そうやって「子どもと大人の社会はこう違う」と理解して生きていくと世の中はわりとラクにやっていけますね。

そのアナロジーで考えると

原始反射も成長していくんだなあと思ったのです。
卒業ではなく成長だなあと思ったのです。

もう一つ、原始反射はやはり採り上げなくてはと思った理由があります。
それはまた後日。

発想力を育む一日

2016-06-25 10:46:06 | 日記




バランスボールいいらしい、と聞いてちょっとだけ感覚統合の門前書(つまり入門書のレベルにも達していないような本ですよ)をさらっと読んだ心理士がなんとかセンターで「はい、バランスボールぽんぽん30回!」とか指導して子どもがやりたがらず親が焦る、というあるあるなパターンを聴くにつれ

オリジナリティを育むことが大事だな。
親も支援者も。

と考えてきました。

逆に言うと、正直言って

「なんでみんなこう習ったことしかできないかね。それじゃあ効果は限定的なのに」

と思ってきました。そのあげく「発達障害は治らない」ことになったら本当にもったいないよね。「観察はこうするんですよ」とちょっとでも伝えたくて作ったのが「支援者なくとも、自閉っ子は育つ」、通称「猫本」です。

だから、「人間脳を育てる」は「原理原則をうんと簡単にして、みんなが勝手に付け加えていけるようなもの」にしました。またそれには格好の題材だったしね。

7月29日に読書会するって決めたのも、「この本からどう発想するか」をみんなで考えたかったからです。

そうしたら、昨日栗本さんから提言があり、午後のミニ運動会ね、「人間脳を育てる」の「動きの発達」四段階を踏まえたものにしませんか、ということ。

いいねえ。

動きが発達し、それにともなって学習や認知、情緒やコミュニケーション力が育っていく。その四つの段階にそれぞれ適した身体アプローチを栗本さんが考案してくれるというのです。

いいねえ。

そしてそのあとはちゅん平さんのミニ講演会。
今度は今までとテーマが違います。
ずばり、「親との関係をどう立て直したか」しゃべってくれます。
「他の誰かになりたかった」に書いてある通り、育つ途上では親御さんとかなりこんがらがっていたのでね。いや、愛情はあったんですよ。それだけにすれ違いがとても苦しかったのね。



まあ夏のイベントは
「オリジナリティを育む」一日になるといいですね。

望ましい社会とは

2016-06-24 14:58:45 | 日記






さっきやっと、灰谷さんに絵葉書を送れました。
何しろご注文たくさんいただき、なかなか送れなかったのです。申し訳ないことに、ちょっとしか送れなかった。灰谷さんもすでに講演会でたくさんのお客様に本を売ってくれてるのに。

関東地方の人なら気づくかもしれませんが、この絵葉書にはさりげなく江ノ島が描かれています。気づいたとき画伯の気遣いに感動しました。父にとっては地元、私にとっては準地元である湘南の天然ランドマーク、江ノ島。母によると私が小さいころは周りに建物もなく、適当なところに車を停めて私たち親子は遊んだそうです。

今も父はこの島のすぐそばに眠っています。昨日は三か月目の月命日だったのでお参りしてきました。「人間脳を育てる」を作っていた間の死だったからこそ、父のありがたさがよくわかった、そんな縁のある本。よく売れてるよ、と父に報告。

でもね、今日灰谷さんに手紙とか書きながらテレビでイギリスの国民投票を見守っていて、売れてるだけじゃあだめだなあ、と思いました。

そもそも舛添問題より、こっちの方が影響大きかったはずなのです。なのにメディアは舛添一色。落ちた人をたたくのが集団娯楽なんでしょうね。視聴率が取れるから、もっと重大な問題をほっておいてそればかり流すのでしょう。メディアにとって売り上げは大事だけどそれだけ追求していたらいかんですね。自戒をこめて。

それにしても大阪都構想、そして今度のイギリスのEU離脱、さらにはアメリカ大統領選挙。私たちにも大きくかかわってくる問題なのに、投票権はありません。だからこそ、持ってる投票権は大事にしたいですね。

なんて思いながら、先日支援者の方が書いていたブログを思い出しました。面白いですよこれ。自閉圏の少年が「総理大臣になりたい」と言ったときの各支援者(ギョーカイ系とそうでもない系)の反応の違いね。

そう。ニキさんも「自閉っ子のための努力と手抜き入門」に書いてましたけど、自閉っ子ってよく
・あるべき社会の姿

・自分にとって都合のいい社会の姿
を混同して、そしてやたら権力志向になったと思えば
・自分にとって都合のいい社会ではない=社会はひどい場所→ルサンチマン
への道を通ることがあるんですね。
これを正せる支援者はギョーカイにはいないでしょう。ギョーカイは浮世離れした要求を共有して「社会の理解ガー」をやりますからね。
そのあたりの誤学習をこのブログ主さんはほどいてあげたのね。いいですね、こういう支援。
総理大臣になっても「自分にとって都合のいい社会」は作れません。「みんなが何を望んでいるか」を考えてそれを実現していくのが総理大臣のお仕事で、その経過では反対の考えを持っている人にひどく憎まれることもあります。
これが本当だよね。

それにしても

英国民がEU離脱をまさか選ぶとは

という思いと同時に、私は「EUってなんか不自然だよね」ってずっと思ってきた。近隣同士ってそれぞれ独立して小競り合いして戦争しないくらいが健康なんじゃないかと思うんですよ。統一された規制とか不自然だわ。だから「みんなが得をするために」我慢してくっついてたんだなあと思っていました。

それにしてもやはり移民の問題~雇用の問題~社会保障の問題

は相当なもんだと思うわけです。日本人の排外主義はまだそこまで行ってないなあ。開かれてない分、日本人の排外主義ってまだ抽象的よね。

まあともかく、EUが弱体化し、トランプかクリントンかというどっちに転んでもあまりいいことが起きそうにない選挙が控え

そういう中で社会保障費の増額を叫ぶより

治るが勝ち

ですよ。

これは言うのはやめないね。

言い続けるのが私の社会的な責任ですからね。
言わないほうが儲かるとしても、言うね。
無駄な舛添批判ばっかりしている大メディアの真似はしたくないからね。



愛着障害と感覚の問題

2016-06-23 07:53:35 | 日記




さて、新刊を出すと旧交を温める機会もあるんですが
そういうお便りから。
これはブログで答えますね、とお約束していたので。
教員の方からです。

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最近自分も、愛着障害が気なっていて、以前からコンサータやストラテラが効かない子供が多すぎるのが気になっていました。

自分の仮説は先天的に脳にダメージを受けているのが発達障害、後天的に脳の発達が阻害されているのが愛着障害、どちらも、結果として表れるのが、多動性とか、不安、不注意なのではと思っています。

結果として現れるのが同じ症状だとしても脳のダメージ部位は違うのかもしれませんが、おそらく、感覚統合を軸にした体と脳を関連づけたトレーニングやクールダウンの方法が効果があるのではないかと思っています。

愛着障害の人に南カリフォルニア感覚統合テストなどの検査をしたとき、どういう結果が出るか?発達障害の子どもと似た結果になるのかどうかなど心理士さん達の最新の動向がとても気になっています。

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これを読んで改めて気づいたんですけど、先天的後天的の概念がわりと「どっちでもいい」になっていましたね、最近の私。たぶん神田橋先生のところで治ってくる人たちの話を聞いてその傾向が強まったように思います。なんでそんないかがわしい(褒めてます)方法で治るのか。そしてそれを説明しているのが灰谷さんのやっていることだったりするんですけどね。

そもそも先天的後天的って定義が難しいですね。胎内はどうですか? 両親のそのまた両親との関係性は当然子育てに引き継がれますがそれは先天的後天的どっちですか? だったら愛着障害と発達障害はどう分けるのか、私にとってはどっちでもいいけどそういえばそこにこだわって質問していた人もいましたね。そして愛甲さんはクリアに答えていました。

愛着障害の人にすでに確立された感覚統合テストをやるとどういう結果が出るか。そりゃあ固有覚は弱く前庭は入らなすぎか入りすぎで五感にも偏移があることでしょうが、そもそもエビデンスガーの人たちはそういう研究やらないでしょうね。だってたった今他害で悩んでいる親が子どもを連れてくるとまず「国際的に標準化されている強度行動診断の基準でアセスメントする」から始める人たちだから、治すもなにも自分たちの研究が大事だから、まず悩んでいる患者を後回しにして「愛着障害の国際的に標準化されている医学的診断基準がどうのこうの」から口角泡飛ばして議論するでしょう。

皆さんがそれに巻き込まれる必要はないですよ。

「自分が愛着障害かどうか」と思うこと自体が私には無駄に思えますが知りたければ、神田橋先生のいかがわしい新刊(褒めてます)に載ってる診断法を使えばいいでしょ。数秒でわかりますね。治療法も載ってますね。大変にいかがわしいですね。でもあれで治っている人たくさんいるんですよ。そして灰谷さんの理論はそれを裏付けてしまったりしているんですけどね。まあその話はもう少し本が行き渡ってからにしましょう。

それと「感覚統合」に私が目覚めた時期から知っている先生だから言いにくいんですけど、ここに度々書いているように私にとって感覚統合はすでに過去のもんです。このギョーカイでは「身体アプローチ」と「感覚統合」を一緒くたにして使う人いますけど、私の中では「感覚統合」は「身体アプローチ」の先駆けであり、私にとっての過去であり、身体アプローチのごく一部です。ある意味、感覚統合を統合して今の花風社路線がある感じ。「人間脳を育てる」にも書きましたけどね、感覚統合で治せないことあったでしょ。具体的に言うと

・季節の変動への弱さ
・排泄
・睡眠

あたりね。内臓も筋肉も対象にしない感覚統合オンリーでは治りませんでしたね。そこに働きかけたのが栗本さん方面ですよ。そしてこのあたり解決するとぐっとラクになるでしょ。情緒面も学習面も芋づる式によくなっていくでしょ。そしてもりしーさんたちのやっているスポーツ方面。コミュニケーション力ぐんと伸びるでしょ。



そもそもね、灰谷さんの本を作りながら思いましたが「内臓も筋肉も度外視して前庭覚語るとは考えてみたら感覚統合無理があるわ」って思いました。

でももりしーさんは灰谷さんの本読んで「心ある感覚統合の人たちはこれやってはる」とは言っていましたね。そしてこれこそが本物の感覚統合だと。まあ、「感覚を統合する」という意味ではそうね。それだけじゃなく灰谷さんは「動きの発達」を促す方法を見抜いた、これがすごいんだけどね。

だから「人間脳を育てる」の副題を

動きの発達&原始反射の成長

にしたんだけどね。

まあともかく

もりしーさんが書評を書いてくださったので読んでください。
「からだのしくみ」がしっかり書かれている本だと評価していただいていますね。

つながりと広がり

2016-06-21 09:40:24 | 日記
さて、アマゾンで「人間脳を育てる」ご予約の方、発送が予定より一日以上遅れると思います。昨日取次さんからも電話をいただき、予約数がかなり多いとのこと。
直販の数も多いし、すでに「おかわり」が発生しています。「おかわり」とはどういうことかというと「読んだ。素晴らしい本だった。支援者に読ませたい。子どもが自分用にほしいと言っている。マーカーでぎっしりになってしまったのでもう一冊!」みたいな感じの追加のご注文です。

灰谷さんにも「ヒットしますね。これは。売れるのもうれしいですがスタンダードになってもらいたいです」とメールしました。灰谷さんは「スタンダードになると嬉しい。子どもたちへの恩返しになります」と返事をくれました。子どもたちに習ったことだから、子どもたちの未来に返したいというのが実践家としての素直な気持ちなのでしょう。

今回の本は「つながり」と「広がり」を大事に作りました。
「つながり」と言っても「地域とのつながり」とかいうどっかの事業所が謳いそうなつながりではありません。これまでみんながフシギに思っていた
・身体
・情緒
・学習
・言語
のつながりを明瞭にしたということです。

そして神田橋先生のアドバイス通り、

「原理はうんとカンタンで、そこからみんなが勝手に発想を広げていけるようなもの」に作りあげました。もりしーさんは「みんな考えなあかんやろな。考えたらええねん」って言っていましたけど本当にその通り。それがチットチャットのやっていることでしょ。スタッフはたくさんのお子さんを相手にするけどおうちではもっと少ない数でいいから考えればいいでしょ。そしてその先にしか一次障害を治すほどの発達はないでしょ。

早速それに気づいてくれた支援者の方の書評です。

「回数券を使い切る」っていうことをこれから意識して支援にあたっていこうということ。
ただ「回数券を使い切る」ということの大切さを訴えると、浅薄なレベルでは「ありのまま系」と混同する危険もある。それを防ぐために載せたのが「あとがきに代えて」です。

灰谷さんは今後も講座やセッションをていねいにやっていくと言っています。

そして私は読書会をやっていこうと思います。その手始めが7月29日。これは無料でやります。今後はわかりません。できれば、関東以外でもやりたいと思います。そうするとどうしてもある程度費用がかかるでしょう。なぜこの本の読書会をやりたいかというと、「発想の広がり」というものはどういうことか、わからない人がいたらもったいないからですよ。こんないい本ができたのに。

最近の「とと姉ちゃん」を見ていると、昔を思い出します。雑用のために入ってきた人がいきなり企画会議に出されて企画考えろと言われる。ああいう空気、すごくわかります。経験のない人にはない働き方だろうなと思います。
私はアシスタントエディターとしてこの世界に入りましたが、そこから一貫して(今に至るまで)いつも「実力以上の現場」にいきなり立たされそこで真っ向勝負してきたんです。

体力的にきついこともあったし、知力も振り絞ったし、何しろ出版と言うのは基本的に小さい企業の集まりなんで、研修らしい研修はありません。見よう見まねで失敗しそこから学びながらオリジナルな仕事をするしかサバイバル方法がないんです。くじけそうになるとき、もっと官僚的な仕事場で女子には決まり切った仕事しか与えられず愚痴っている多くの女性のことを思いました。

日本の学校教育を受けたあと、上から指示が降ってくる仕事について、そこからお母さんになったりすると、どうしても発想の広がりがなくても仕方ないかなあと思うようになりました。誰かの言うことをうのみにしていたら成果が出るような誤解をするんでしょ。でもそれはないから。そしてもったいないから。何がもったいないかって、お子さんの可能性です。

一応あの本を作った私は、あの本に載っていることを理解しているはずなんで

皆さんと一緒に「発想の広がり」を実践してみる機会を設けたいと思います。
7月29日午前、ラポールシアターです。
午後は有料イベント。栗本さんの運動会とちゅん平さんの講演会です。
今週末くらいにお知らせ流しますね。


愛着障害と修行(副題 喧嘩を売られないときには売りに行くライフハック)

2016-06-20 12:11:45 | 日記






「愛着障害は治りますか?」のセミナー参加者の中には、参加動機の一つに「自分には愛着障害があるのかどうか」っていうのがあったらしいんですけど
これが私にはすでに「怖がりだなあ」と映るんです。
でもまあ思い出してみると、赤本出したころも同じようなリアクションがありました。
自分は、あるいはうちの子は、ニキさんや藤家さんと違うけど自閉なのかどうかとか。
メールもきたし電話もきた。

どっちでもいいよね。

生きやすい方に歩み出す指針として愛着障害とか自閉症があるんであって。

どの時期に愛着障害を背負ったかの見分け方は神田橋先生の大変にいかがわしい(褒めてます)新刊を読めば書いてあるし。
でも覚悟してね。相当難しい本ですよ。私はあの本に関して、愛甲さんに読書会やってほしいと思っています。自分自身、一ページ読むのに10分くらいかかるんで。

まあセミナー当日、私は愛甲さんの話を聞いて、きっと発達障害と同じで愛着障害も多かれ少なかれ誰でも持っているんだろうなと思いました。だって完璧な家庭もなければ完璧な親も子もいないからね。そして中には愛着障害の性質を活かしている人もいる。これも発達障害と同じ。
苦しいほどの愛着障害は治した方が前向きに生きる邪魔にはならないけどね。これも発達障害と同じ。

みんなすごく自分に愛着障害があるかどうか心配していたようなので、私も無理に心配してみると
私自身の中に、「これって愛着障害だろうか?」とか思う要素があるとするならば、「褒められるのが嫌い」っていうことかな。
今回「愛情が薄いのは愛着障害か?」とか「家族を持ちたいor子どもを持ちたいという欲求が起きないのは愛着障害か?」というご質問がありましたが、私がずっと世の中の人々を見て思ってたのは「どうしてそんなにみんな他人に褒められたいかね」っていうことだな。
だからギョーカイ推奨の「褒めて育てる」に激しく違和感があったんだけどね。
いいことしたら褒める、っていうのを「情報提供」、つまり「それはいいことなのよという目印」ととらえるようになったらまあ納得に近づいたかな。でも完璧に納得はしていないね。褒められなくても人は生きていけるでしょ。違う?

私はどっちかというと、自分が尊敬もしていない人に褒められても「私を褒めるなんて顔じゃないわ~」みたいな感情がそれこそ反射的に湧いてくる。でも先日瀧澤久美子さんからブログを見て「人間脳を育てる」大人買いご注文いただいたときには

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内容の深い本ですね。
いつもながら、浅見さんのセンスの良さに敬服いたします。
表紙も素敵です。
本を読むのが楽しみです。
よろしくお願いいたします。

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この言葉がうれしかったなあ。
みんな親の愛親の愛というけど、やっぱり大人になって社会人活動していると、本に関しては親に褒められるより支援現場の大ベテランに褒められる方がうれしいでしょ。それが社会人というものだと思いますよ。いつまでも親の愛を求めているのは、たぶん切り分け不足。満たされていないから起きることかもしれないけど。本を瀧澤さんに褒められるのは素直にうれしいですよ。

そして昨日、もりしーさんからお電話が。

「メールに書くより感激を速く伝えたかった」と。
「すごい本ができた。この人はホンモノや」と。

もちろんもりしーさんに本を褒められるのも大変にうれしいわけです。その道の第一人者で、結果を出している人だからね。もりしーさんが新刊を評価してくれるのはうれしい。

要するに私の「褒められるのが嫌い」っていうのは
「どうでもいい(とこっちがみなしている人)に褒められると違和感」ということで
こっちが評価している人たちに仕事を評価されるのは、とてもうれしいわけですね。
逆に吉川徹とかが絶賛してたらやじゃん。早く「原始反射トンデモ」とか言えよ、と思ってるけど言わないねえ。「触らぬ神に祟りなし」かしら。まあアマゾンで販売始まったら(22日です。しばらくは在庫安定しないでしょう)またアンチ軍団が手ぐすねひいて星一個のレビューつけるだろうから、花風社クラスタ灰谷クラスタの皆さんは迎撃をよろしくお願いいたします!

もちろん読者の方は、お金出して買ってくださったわけだから、評価してくださるとうれしい、っていうよりほっとしますよ。

だから、大人になって社会人活動を頑張れば
親に愛されなかったことも癒されるだろうなと思います。
そのためには修行が必要。
親の言いなりにならないだけの経済力も必要(生保・障害者年金・配偶者の稼ぎも含めてもいいと思う。自分で稼いだ方が「望ましい」とは思うけど)。

ほらここで、愛着障害と修行がつながった。
愛着障害からフリーになるためにも、「自分でご飯を食べていけるようになる」ための修行は必要ね。

父の日にそらパパをネタにしてみる

2016-06-19 08:40:00 | 日記




さて、父の日ですよ。
去年までは何かしら美味しいもの贈っていたりしたから、色々な通販サイトからお誘いがきます。お酒とかね。お酒はね、むしろ父がダースで買ってたウイスキーをちょこちょこ持って帰って夫が飲んだりしていますよ。今年からすっかり安上がりになったうちの父です。

さくらんぼとか贈ったら喜んでいたなあ。さくらんぼって高いやつあるよね。ああいうの、なかなか自分ちでは買う勇気ないけど進物なら贈れますね。つまり、それだけ父は別に所帯を構えた私にとって「よそんち」になっていたということでもある。そしてそれが正常な発達っていうやつですね。

それにしても、ギョーカイ系がやっている「啓発活動」だったら

「お父さんのいない人もいます」
「お父さんのいない人の気持ちをわかってください」
「社会の理解ガー」

とか父の日の営業メールを送ってくる通販サイトに文句言いそうですよ。そこで文句言うんじゃなく、受け取って悲しい気持ちになっている人がもしいたら

「世の中にはまだお父さんがいる人がたくさんいて、その人たちは父の日に何を贈ればいいかと思っていて、その人たちに情報提供したい業者さんがいて、そういうメールを送ることは双方助かるんだ。そして誰のお父さんが亡くなったかまでは把握していないから去年までに買った人には送られてくるんだ」とか教えてあげて「世の中はあなたを迫害しているわけではない」と伝えてあげるのが本来の支援ではないのかな。ところがギョーカイは一緒にルサンチマンを醸成するねえ。被害妄想に付き合うんだな。それを支援とは私は思いませんね。

そういえばどっかに、自分とこのお嬢さんが重度で一生働く当てがないからという理由で何気ない親子の会話

=====
「自閉症って恥ずかしいの?」
「自閉症は恥ずかしくないよ」
「大地、自閉症は恥ずかしくないよ。恥ずかしいのは大人になっても自分でご飯を食べられないことだ」

=====

を卑屈に受け取って大騒ぎした父親がいたね。
しかも支援者と名乗る人たちの中にも「これはいかがなものか」としたり顔で言う人たちがいて。

今や出版物を見てください。「伸びる」「鍛える」「治る」の花盛りじゃないですか。
そして放課後デイもチットチャットみたいなところが繁盛してる。

今この状況の中でそらパパみたいな騒ぎ方したら、相当イタイよね。

そして私は想像してみました。
もし私が重度の自閉症で、将来お金を稼ぐ見込みがあまりなくて、そしてうちの父が「ぼく、アスペルガーかもしれない」を読んだらどう思っただろう、と。

「大地君っていう子は頑張り屋だなあ」と思ったでしょうね。
そして応援したでしょう。
そして語らぬ自分の娘の代わりに色々感覚を伝えてくれた大地君という子に感謝したでしょう。

それだけ。

自分の娘はそれにひきかえ、なんて夢にも思わなかったでしょうね。
だってパパには自分の娘が世界一だもんね。

私はそういうおおらかな、朗らかな父親を持って幸せだったよ。

父親が卑屈じゃなくて、本当によかった。卑屈親に育てられるって、相当きついよね。
愛着障害製造装置だもんね、卑屈親はさ。