治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

ダメじゃないんですヌケなんです

2016-05-31 09:19:55 | 日記






さて、もえさんからいただいたコメントを引用してお返事しましょう。

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ヘディング楽しいです (もえ)
2016-05-30 20:41:22
浅見さん すみません、もえです。ヘディングしてて返信遅れました!これ結構楽しいです。(安上がりにビニール袋にしました)そうですね…セクハラはいかんです。気を付けます。そうなんですね、ハイハイしないと駄目なんだ…。でも信念はこれからがんばれるみたいだから頑張ります。有り難うございます!

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ハイハイしたかどうかは別にトンデモでもなんでもなく普通にエビデンスベースドなアセスメントで訊かれるでしょ。そりゃそうです。「発達障害」と限定せず子ども全体の発達をみるときハイハイしたかどうかは大きいみたいですもんね。

そんなのインチキーーと決めつける態度は科学的じゃないですね。

ていうか「なんでハイハイがそんな大事なの?」と思ったらやってみればいいんじゃないの? 今自宅にいるのならできるでしょ。そうしたら、なんで二足歩行の人類が直立する前にこの段階を経るのか身をもってわかりますよ。この「身をもってわかる」やり方を試さず頭だけであれこれ言ってる人たちが療育うまくいってないでしょ、だいたい。

でもね、そういえばハイハイしなかったわが子が今発達凸凹の様相を見せているとき、「あのときハイハイさせなかったから」という後悔を感じたくなかった人は一生懸命「トンデモ」と片づけるのかもしれない。でもそれこそ親のせいではないでしょ。親に知識があったらやれることはあったかもしれないけど、その子はハイハイをしない身体だったんです。

だからこれからの人にはね、ハイハイをしない身体を持って生まれてきた子を自然に遊びの中でハイハイに導くなりなんなりして子どもの苦労を減らしてもらいたいのよね。だから今度の新刊も出すのよ。

今度の新刊は、たとえばハイハイしないことが、身体機能だけじゃなく
・学習能力
・情緒
とどうリンクしているかとその対応法が書いてあります。小学校入って板書取れない子が実はハイハイしなかったなんてありがちな話だからね。そしてそういう人は「どれが私の資質でしょうか」とか他人にきいてしまうかもしれない。

私のハイハイ話を母に聞いたことがあります。私も実はハイハイする期間は短くて立つのが早かったらしい。そのまんまだと学習障害様相を呈したかもしれないですね。ところが私は立ったあとハイハイを再発見したらしく、ていうかふらふら直立するよりハイハイで精力的に動き回れることを発見したらしく、それはそれはハイハイで部屋中行進しまくりその様子は今でいう「ルンバ」のようだったそうです。

そもそも言語で食べている今の私ですが、実は言葉はそれほど早くなかった。それより排泄の自立が早かったそうです。これはアスペルガーの人とかと逆じゃないかな。まあルンバのごとくハイハイを精力的にやっていれば、排泄の自立はカンタンだったでしょうね。

私はもりしーさんの本を作ったときでも中に出てくる遊びを一通りやってみましたが



今度いかがわしいおっさん(New!)の本を作るときももちろん一通りやるんですよ。ヘディングもね、ニトリで買ったボールでやりましたよ。そして発見したけど私はヘディングが上手。ラリーできるのよ。

たぶんこのヘディングが上手なところが、自閉症者に迷惑行為されたとき裁判起こしてきちっと落とし前つけられるところとかにつながるのね。そしてノーの言える人は愛着障害のリスク低くなるからね。私が愛着障害と縁が薄いのはルンバ的ハイハイからのヘディング上手とつながりがありますよ。

このように今度の本は、身体機能と学習機能と情緒、そしてコミュニケーション力のつながりが書いてあります。

そしてもえさんがハイハイをしなかったとしたらそれは「ダメ」じゃないの。
もえさんは今、しゃべれて字が書けるからここにも書きこみにくる。言語能力はそこまで発達した。

でもハイハイを抜かしたことで「ヌケ」があったの。
それで苦しいかもしれないの。
でもそれは「ダメ」じゃなく「ヌケ」だから取り戻せるのよ。だってヌケてるだけなんだから。

そのヒントに新刊がなるといいと思います。

それと、新刊と一緒にあの本買おうこの本買おうと検討してくださる方が毎回多いんですが、よろしければ、まだ読んでいない方

「伸ばそう! コミュニケーション力」と新刊は相互補完になりますのでどうぞ。

それと、愛着の問題を考えるうえでも、花風社の成り立ちを考えるうえでも

「自閉症者による犯罪を防ぐための提言」は読んでね。
主体性について考えられるから。


愛着障害は興味深い

2016-05-30 11:35:47 | 日記
神田橋先生から愛甲さん経由で「浅見は親に愛されているのにそれがわかっていない」とご指摘いただき、そして父を失って考えたことで、裁判以来引きずっていた私のギョーカイトラウマはなくなりました。

発達障害関係者が卑屈なこと、支援者と言われる人たちが卑屈を温存する様ななあなあの態度を支援と呼んでいること、問題が起きても死んだふりなこと、こういうことに私は腹を立ててきました。それが「愛着の問題があるか、ないか」の違いだと気づいたからです。

そして今度は「愛着障害は治りますか?」を追求したくなりました。

それを発表したとたんの大きな反響を見て、私が気づいていなかっただけで、たくさんの人がこの問題に悩んでいたのを知りました。

だから支援者の中にも、この問題に傷ついている人は多くて、だから死んだふりするのかもしれないと思いました。

それで愛甲さんのお力をお借りしてセミナーを開くことにしました。

そして質問を募りました。大変興味深かったです。

思うに愛着障害を治した方がいい最大の理由。それは

愛着障害が資質の開花を阻んでいるから

ではないでしょうか。

そして愛着障害を勉強する最大の目的は

悪循環を自分の世代で断ち切る

ではないでしょうか。

今回集まった質問の傾向は三つに集約できます。

・支援者として愛着障害を治したい
・親として子の中に愛着を育みたい
・子どもとしての自分の中にある愛着の問題を解決したい

そしてこの三つについて愛甲さんにお答えいただき、自分たちでも考えることが、それぞれの問題の解決を相互補完していくと思います。

良い会になりそうです。

昨日怒涛のゲラが終わりましたので、今日は質問をまとめ、できれば今日中に、質問をいただいた方には質問いただきましたよの確認のメール、お支払いいただいた方には参加章をお送りします。

キャンセル待ちが出るかどうかはその時点で決まると思います。


よろしくお願いいたします。



*明日朝になっても、質問したけど確認こない、支払ったのに参加章こない、という方はメールください。

同情されたいという気持ち

2016-05-29 10:32:29 | 日記




愛甲さんから電話を受け取ったのは、小田原駅でした。
怒涛のゲラ回しの一週間の終わり、温泉に入って自然の中を散歩して
次のゲラが出てきたので急いで横浜に戻る途中でした。

不思議な出来事が起きたんですけど、愛甲さんにとっては不思議じゃないらしい。でもまあ、愛甲さんが納得しているのならそれでいいです。

帰ってきてゲラやって、夜トレッドミルの上で「世界一受けたい授業」?とかいうバラエティ番組を見ていたら「代理ミュンヒハウゼン症候群」についてやってました。そうだ、編プロ時代にこのテーマの本作ったよな~。
あのときは単に「不思議な病気の人がいるもんだな」と思っただけでしたが、愛着という視点から見るとまた違う方面から考察が湧きます。

代理ミュンヒハウゼンの人は、「自分が同情を引きたい」ばかりに、子どもを病気にしたり、子どもの病気が治りそうだとそれを妨害したりする。それが児童虐待だ! と憤っていた(逆に言うとそれだけ)なのが代理ミュンヒハウゼンの本を作ったときの自分。

今は「同情・・・されたい・・・?」とそっちに疑問が湧きます。

自分が同じ境遇に置かれたら、むしろ同情されるのはいやだったろうからなあ。

そして思うのは、猿烏賊にせよなんにせよ「治すなんて差別!」の人たちの中には、治らないことを信じて、治らない障害のある子の親である自分、に同情されたい人もいるのかもしれませんね。

そりゃ私のこと嫌いだし理解できないでしょうね。

「自分がされていやなことは他人にしてはいけない」というでしょ。

私にとって「同情されること」は「いやなこと」だから、相手を尊重しているからこそ同情なんかしないしうっかり感じてしまっても心の中にしまっておくのです。

でも世の中には「同情されたい人」もいるらしい。

久々に代理ミュンヒハウゼン症候群のことを思い出し、今はそっちに興味が移ったことに気づきました。
これが愛着の問題なのか性格の問題なのかは知りません。
ただ私にとっては異質だっていうことです。

私は病気の子どもを抱えた人がいたら、治す方法を持ってる専門家を見つけてきてその方法を伝えたいと思います。
だからそれをやっているのです。

敬意と哀れみ

2016-05-27 10:23:11 | 日記
先日お知り合いになったばかりの方が、猫本読んでくださったようで、自分もこよりさんと同じだとお手紙くださいました。
どう同じかというと、やはり長年介護していらしたそう。

そうなのか。
みんなそれぞれ乗り越えてきたものがあるね。
この歳になると素直にそう思える。
そしてその人の過去に敬意が抱ける。

こよりさんは猫本に私が「こよりさんはつねに私の尊敬の対象でした」と書いたのを読んで、嬉しいなと思ったとメールをくれましたね、出版時に。私はまたこよりさんの尊敬の対象だということ。mutual respect なのね。

そして敬意があるからこそ、長年介護してきた人に介護経験の今のところない私が哀れみを表してはいけないと思うのよ。
それが私の基本的態度なの。
敬意があるからこそ、哀れんだりしない。
その人はその人の人生の課題をやり遂げている。そこに敬意を表しはしても、「大変ね~」とか「私にはとてもできない」とか言わない。

そしてそれがギョーカイと違うところなの。
ギョーカイはとにかく、かわいそうがるよね。
それが私にはバカにしているように見えるの。その人の抱えているものに敬意がないように見えるの。
普通人は誰かが幸せになると嬉しいもんでしょ。
だけど幸せになった当事者を偽者がったり軽がったりして不満たらたらの当事者を神輿に載せてつらい話を聞きたがるギョーカイが変態集団に思えるの。もっともっともっと生きづらい話がききたいなんて、ど変態だよね。

ところが花風社クラスタの中でも
「親に愛されなかった自分に同情を持ってほしい」と要求したいらしい人がいて

そうか卑屈な人でも花風社の本を読んでくれているんだな、と思う反面

同情を持ってほしいのならギョーカイ人と付き合えばどうかしら

とも思いますよ。

私が神田橋杉山対談のあと崩れて見つけたギョーカイトラウマの根っこはそれなの。
私の本性に反する「人をバカにした哀れみ」であふれているギョーカイ。
あの心地いい空間で、なぜか私はそれを思い出してしまったのね。

でも当事者が哀れみを望んでいるんだったら
そういう支援者には事欠かないと思いますよ。

釣りかもしれない質問にあえてまじめに答えてみる

2016-05-26 09:43:01 | 日記
さて、先日のエントリに来たコメント。

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2016-05-26 07:56:27
浅見さんこんにちは。いつもブログ拝見させて頂いてます。先日アルバイトが受かったと報告させて頂いた、もえです。あの、色々試行錯誤を重ねて来て、資質が何も見つからなくて、ただ性欲が強いっていう事が分かりました。(^_^;)バイトは続きませんが、精神的には問題もありません。それで、発散させるべくとにかく動き回るくらいしかなく…ですが、性欲が強いって資質になり得ますか?変な質問ですみません…年齢的なものもあるかと思いますが、それしかないとか絶望的です…すみません、お返事下さい。

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この方には先日から何度も「性欲」についての質問(というかご報告)があって、気持ち悪くて何度も削除しました。性欲を否定するもんではないです。あって自然。短期的スパンでも長期的スパンでも盛り上がる時期とそうじゃない時期はあるけど。そして他者に被害を与えるような行動を伴わないのなら満たすのも解消するのも自由。そうなんだけど、何度も何度も性欲性欲性欲という言葉がコメント欄に踊るとキモチワルイ。そしてネット上のこと、本当に同性かはわからない。もしかしたら変態かも。だから削除してきました。

でも今日のこの質問はとりわけムカついたので公開して「変な質問ですね」と面と向かって言うことにしました。

そのあとなんでこの質問がこんなにムカつくのか考えてみました。そして必ずしも性欲絡みだからじゃないなあとわかりました。

性欲が資質かどうかとか、そういうのを他人にきく他者依存的な態度がいやなんですね。っていうか別に性欲じゃなくてもなんでも、自分の資質を他人にきくっていうその主体性のなさが情けねえ。

とここまで考えたところで

「なんだ私処方箋持ってるじゃん」と思いましたよ。
主体性のなさに対する処方箋。
というか「この先どう進めばわからない」人に対する処方箋。
つまり「自分の信念のありかがわからない」という問題に対する処方箋。

それは就労支援施設に行って「なんの仕事につけばいいかわからない」という人々の身体を見た栗本さんといかがわしいおっさん(New!)が「こういう身体の人は信念見つけにくいよね。こういう身体作ると信念育つよね」って話し合ってて、その記録が私の手元に今ゲラとなってあるわけです。

とりあえずヘディングしてみれば?

ヘディングですよヘディング。サッカーボールじゃなくていいのよ。紙風船でもビーチボールでもバランスボールでも環境が許すもんでいいの。私はニトリで買ったお値段以上のフェルトのボールで時々ヘディングしているよ。シュート! とかさ。

というわけでもしかしたら変態の人の釣りかもしれない質問にまじめに答えてみましたよ。

自閉特性と愛着の問題

2016-05-25 09:29:22 | 日記
さて、6月12日のセミナーに関し、続々質問をいただいていますが
非常に長い質問文が多いです。
これ自体は別に悪いことではありません。
とりあえず私は全文読むし、愛甲さんにも全文送るつもりです。

ただし今回は「質問をする会」ではなく「お勉強会」なので
一つ一つの事例に突っ込んでお答えをきくのではなく
ある程度パターンを抽出した方が皆さんの時間を無駄にしないかと思います。飛行機に乗ってやってくる人たちもいますので。
さらに個人的にききたい人はまた質問会に出てください。

そこでいくつかのパターンを見ると
1 親の期待に沿えなかった自分
2 親自身に問題があってそのとばっちりを受けて育った自分

等愛着の典型的な問題の他に、自閉特性絡みの質問もあって、そこには「罪悪感方面のもの」と「被害者意識方面のもの」と2パターンあるみたいですね。
罪悪感方面は、自分の自閉特性のために家族にさみしい思いをさせたのではないかということ。
そして被害者意識方面は「そもそも愛着の問題とアスペルガーが関連づけられるのが腹が立つ」といったご意見もあれば「これだけ特性の強い私が普通に育てられた結果つらかった」方面もあります。

罪悪感方面と被害者意識方面に分かれるのは、これは障害以前に性格の問題かもしれませんね。

今回セミナーを開くといったら藤家さんがすぐに飛んでくることを決めて私はびっくりしたのですけど

彼女はその昔、親の愛情をかけてもらうお金で測っていて、高校入学のとき買ってもらった時計が妹さんの方が数千円高かったと大荒れしたそうです。

今回改めて「なんで親の愛情がわかるようになったのか」話してみて、「いや、私を初めとする周囲のサポートが大きかったんじゃないの」と恩に着せておきました。私はギョーカイと違って自閉っ子には恩に着せるのがサポートだと思っているのです。ニキさんの言葉を借りると「恩に着せる=情報提供」ですからね。お母さまが出勤前の忙しい時間に起きてこないちゅん平さんのために朝ごはんを用意してラップをかけておいたのを、「見えないものは、ない」認知の人は「忙しい中作った心づくしの朝ごはん」だとわからない。湧いてきたように見える。そこから教えてあげたんですから。だってイマドキ子どもの朝ごはん作らない親だっているでしょ。そういう親じゃなかったんですよ、ちゅん平さんのお母さまは。


でもね


今回初めてちゅん平さんが教えてくれたこと。それは「母親はそういう係りの人だと思っていた」ということでした。自分がドラッグストアに行ってレジを打つように、お母さんはそういう役目の人。仕事をしているだけなのだから、感謝なんか感じなかった、と。おおそうか。

そして被害者意識方面に走る人の中には、そういう「サービス業としての親」という認識の人も混じっていそうです。しかもさ、サービスって色々段階があるでしょ。キャッシュオンデリバリーの店もあればきれいなお姉さんが横についておしぼりの袋破って渡してくれる店もありますね。その濃厚なサービスの方を期待していて「与えられなかった」と怒っている人もいそうですよ。

自閉特性と愛着の問題にはそういうのも潜んでいそうです。

だからサポートとしては「恩着せ支援」もありなんではないのかな。
まあちゅん平さんに関するなら、ご両親の代わりに周囲が恩に着せたわけですが。

毒親とかカサンドラとか

今は不満を持つ人を煽る励ますキーワードが行き渡っています。
だからさ、「袋破っておしぼり渡してくれなかった!」と不満をぶちまける人が、仲間を見つけやすいのかもしれませんね。
でも一歩外に出てみれば
「別にうちの親、おしぼり渡してくれなかったよ?」と何の不満ももっていない人に出会うかもしれませんよ。

さてそんなところで親子で先日のコンディショニング講座に参加された方からご感想が。

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今回の講座は私自身、愛着を結ぶとはこういうことなのかも!?
と思い当たることがありました。
健常らしい私と発達障害の娘、一般的な会話や抱っこなどのやり取りでは関係が結べず、
娘が体調を崩してから、自己流のマッサージもどきで娘の緊張や不安を弱めようと
やってきたことが22日と通じていたからです。

発達障害の知識を元に、自分の指先の感覚のみで、相手の身体の声を聞く。
これが、私と娘の愛着の結び方かもしれないと思うのです。

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だとしたらこの方の場合
お嬢さんが体調を崩されたことが自己治療だったんですよね。
愛着障害の。

この方も今度ご参加で、質問をいただいています。
面白い簡潔な質問です。
まあ愛甲さんのお答えは、わかるような気がするんですけどね。

いい子キャラと愛されキャラ

2016-05-24 09:13:16 | 日記



今朝起きてFB開いたら、白鵬関が稀勢関に苦言を呈したという記事の紙焼きが貼ってありました。

ネットでもあるみたいですが、紙面の方が詳しく
要するに愛想がないということを言っているようです。
取沙汰しているのが、相撲協会が広報用に作ったこのVTR
並み居る上位の関取たちが熱心に参加し、白鵬関も含めて上位陣がソロも担当しているのに対し、稀勢関は「うわーつまんね」っていう感じで参加しています(5分30秒すぎ)。

そして我々は、その仏頂面にまたキュンとするのですよ。
それが白鵬関にはわかんないかも。
なぜなら白鵬関は、元いい子キャラ。たぶんいい子キャラが報われな過ぎて、今ダークサイドをあらわにし始めたんだろうなあ。いい子キャラが報われる、ということ自体が誤学習なんだけどね。

それに対し愛されキャラというのは、持って生まれるもので、後天的な努力で手に入るものではないのです。勝っても負けても、ニコニコ笑っても仏頂面しても、なんの戦略も立てなくても愛されます。

この二つのキャラでは、愛着形成のプロセスが違って当然なんですけどね。
横綱もまだ30歳。そこまではまだ読めていないのね。

それにしてもしょっぱなの菊関笑顔いいですね。
この大関もきっと目指せ愛されキャラだったんでしょう。そしていまいち不完全燃焼だったのが愛する人ができて満たされたんでしょう。でもその後舞い上がりすぎた、っていいうのがイマココなのね。

勢関、美声でイケメンですね。
でも好感もてないな。
同じイケメン力士でも

勢関→イケメンであることを自覚して武器に使ってる
遠藤関→イケメンが重荷
隠岐ノ海関→イケメンである。それだけ


っていう感じがして(個人の意見です)、私的には隠岐ノ海関の方が見てて安心だな、勢関より。お相撲は二人ともいいですが。

私はいわゆるいい子キャラって大嫌いなんですが、この白鵬発言を聞いてなぜだかわかりました。

なんかいっぱいいっぱいな感じがしますよね。まあ横綱クラスだとそうじゃないんだろうけど。

世の中には成功しているいい子キャラと、疲弊しているいい子キャラがいそうです。

そして疲弊したいい子キャラによる愛されキャラへの怨嗟のこもった攻撃っていうのもけっこうめんどくさいもんなんですよね。

白鵬vs稀勢の里は

モンゴル人vs日本人
完璧に強い人vs取りこぼす人
感心させる人vsはらはらさせる人

という構図の他にも

いい子キャラ(元)vs愛されキャラ

の戦いなのかもしれません。
この先白鵬関が優勝回数をどれくらい伸ばそうと、尊敬されこそすれ稀勢の里の方が愛され続けるでしょう。

「いい子にしていたら愛される」って
それ、誤学習ですから。

いい子キャラが好きな人もいれば、嫌いな人もいる。
中途半端な白鵬、実力のない白鵬を目指しても、愛されることはありませんから。

それならば菊関のように、世界で自分を一番愛してくれる人を見つけてそこで充足していた方が愛着の問題は解決するかもしれませんね。
そしてそれに成功している人もたくさんいますね。


そろそろ愛甲さんに送る質問をまとめはじめます。
「脳みそラクラクセラピー」、愛着の問題の解決に興味がある方は読んでくださいね。

体軸を「鍛える」のではなく

2016-05-23 09:35:39 | 日記
今回のコンディショニング講座は、告知後すぐ
「体軸」という言葉の持つアピール力にびっくりしました。
それだけ皆さん「発達凸凹の子は体軸が弱い」とか「身体がふにゃふにゃ」とか思っていらっしゃるのでしょうね。
そしてスポーツと身体アプローチの違いに注意していない人が多いから
「腹筋鍛える」「深夜の通販で売ってる道具買う」みたいな方向に行き
その結果、別に学習障害や認知方面が改善するわけではなく、身体アプローチに見切りをつけるのは実に残念です。

昨日は栗本さんに教えてもらいながら、その場でちょっとした動きで改善していくことがわかりましたね。
それは「鍛える」のではない。
「整える」のほうがいいかなと思いましたが
より的確に表現しているのは「体軸を見つけて、それを太くしていく」感じだと思いました。

体軸がない、体軸を育てなければ、というとき
アスリートが競技に勝つための体軸ではないのです。たとえばピッチで当たり負けしないような体軸を求められているのではない。

そうではなく、人間生活に必要な体軸がないことが学習や認知の問題につながっているのです。
人間生活とはたとえば、椅子に座ること。
椅子に座るには、腰は垂直に立っても膝は曲がり、そして足の裏を地面につけるという動きがラクにできることが必須です。じゃないと立ち歩きしたくなりますね。
それをひとつぶの卵ボーロで「座っていたらあげます」とかやってもそれは調教。
「腰はまっすぐに膝は曲がっていて足の裏が地面についている」状態をラクにできる身体を作ってあげた方が近道です。
そしてそれは深夜の通販で売っている道具ではかなえられない。
むしろ本人にトレーニングしている意識がなくても親の接し方ひとつで体軸が育つことが昨日はわかりましたね。

そしてこよりさんが興味深いエピソードを話してくださいました。
場面緘黙だったころ、腕がまっすぐに上にあげられなかったそうです。
しゃべれるようになると、腕がまっすぐあげられるようになったそうです。
腕と表現は関連があるのですね。要するにそういうことです、身体から治すというのは。
栗本さんからは股関節と脳みそぐるぐるの関連の話も出ました。

北は岩手から(しかも二組五人)、南は鹿児島、沖縄から皆さんが集まり、楽しい貴重な時間を過ごしました。

終わったあと皆様のおかげをもちまして空箱になった箱を荷台に積んで自宅へ。
綱取りが来場所につながった一番を見て、家を出ました。
饗宴の席は突然の呼びかけにもかかわらず円卓二つ。
画伯と山城さんが隣同士に座っているので「あそこは地雷原だな(ダジャレ的に)」と思って別のテーブルに座りました。二人はお互いのダジャレを褒めあって楽しかったそうです。

宴も進むとたくさん席替えもして、たくさんの人とお話しできました。
四国から初参加の方もいらっしゃいました。
いかがわしいおっさん(New!)の噂話は結構駆け巡っているみたいですね。

某所で私の隠密行動を目撃したけど見てみないふりしてくれた方もいました。
「隠密行動するつもりならもっと地味な洋服着なきゃだめです」と言われました。おおお、たしかに。

栗本さんのガールズトークも少しだけ出ました。でも皆さん、本気になったらあんなもんではありません。それでもまあ、一部の女子勢がドン引きしていましたが。
まあ栗本さん、今回のギャラは半分でいいそうです。
あとの半分は被災地に寄付してほしいそうです。
ので、私の方でどっか控除が受けられるところに栗本さんの名義で振込み、確定申告用に領収書をお渡ししたいと思います。
そういういいところもあるので、誰かいい人がいたら紹介してあげてください。

北から南からのお土産もいっぱいいただき、
楽しくてためになる一日でした。

7月29日にミニ運動会やります。
夏休みの予定に入れておいてくださいね。
またきっと楽しい一日になるでしょう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

本日のコンディショニング講座のレジュメ

2016-05-22 08:19:57 | 日記
貼っておきます。

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1)梅雨から夏にかけてのコンディショニング

①呼吸器系の対策

②泌尿器系の対策

③排泄を誘導するために

④夏疲れやすくなった腎臓のコンディショニング

2)体軸を作る

①面の軸作り
②中心軸作り

=====

こんな感じです。

終了後に関する事務連絡です。
ほんの二日前までこの日は優勝ががかった千秋楽の予定でした。そして今日を迎えてみると、ものすごくどうでもいい千秋楽になっていました(怒)。
今日はJリーグ等ありませんので、当日でもお店は取れると思います。終了後遠くからお客さんも来るので、私はとにかく飲み会です。そこに参加したい人は現場で申し出てください。

お天気がいいので私は自転車で行くつもりです。本は少し持っていきます。帰りの荷物を軽くしてあげたい方は本を買ってね。

楽しい一日にしましょう。

親の愛は身体性

2016-05-21 09:30:51 | 日記



さて、

祝福された子ども(新刊マンガ発表)


の記事にちゅん平さんがくれたコメントを分析して、身体アプローチと愛着障害と「他の誰かになりたかった」の意義に一気に触れてしまおうと思います。
まずはちゅん平さんのコメントから。

=====
ああ、そうなんだ。 (ちゅん平)
2016-05-20 14:03:42
みなさんが画伯の絵や浅見さんの言葉に感動したと書いていて、そうなんだ、みんなはこんな感じで子供時代があったんだ、と羨ましくなりました。
私には全く身に覚えがない絵です。
絵本の中でこういう雰囲気は見たことあるけど。
懐かしいとか、ジーンとするとかなくて、ただ、みんなは共感できるんだ~~、いいな、と思いました。
だからって、私が両親に愛されていなかったとは思いません。
ただ、私の懐かしい景色は、お金を与えてもらっているところや、物を買い与えてもらっているところ。
両親なりの愛情の注ぎ方だったんだと理解しています。

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この現象にはいくつか原因が考えられます。

1 本当に夢中になって親子で遊ぶことのない家庭だった
2 遊ぶことは遊んだのだけれど、ちゅん平さんにその記憶がない
3 ご両親としては普通の親子のように遊ぼうとしたが、特性の強かったちゅん平さんはノリが悪くご両親はくじけてしまった

全部ありうると思うのです。いずれにせよ「他の誰かになりたかった」を読むと、ちゅん平さんにとっては「遊んでもらった記憶がない」ことが真実なのだとわかります。あの本に載っている文字でも写真でもね。そして思春期に大崩れした。

大崩れしたのは、どこかで子どもらしくいたいという気持ちがあったからです。今この絵に共感している皆さんのことをうらやましいと感じるのも、実は遊びたかったからですよね。「こんなの馬鹿らしい」と思えば、「うらやましい」とは感じないはずですから。

この事実を皆さんは大事に受け止めてほしいのです。

私は発達障害の仕事を始めてから、1のパターンが意外と多いのに気づきました。
それも、高機能よりの、お勉強重視の家庭でそれが起きているのです。
どうも「頭を良くするには勉強していればいい」という誤学習があると思うのです。

そしてそれを障害児療育に持ってきたのが犬の曲芸系療育です。
人間の脳は三層構造になっているのに、その一番上にしか働きかけない療育。多いですよね。それで効果が上がらない。そして治らないことになっている。

下の土台となる脳に働きかける身体アプローチを入れると効果が出るのは、土台に働きかけているからです。
そのあたりの理論武装を、新刊ではわりと徹底的にやっています。

情報化社会の中で人は上の脳を駆使して、ときには酷使して、事態に対応しています。
だから上の脳だけいじるとどうにかなると思っている人が多いのでしょう。
お勉強方面でもその誤学習をすると、結果として家庭生活もしつけも(そして療育も)「頭でっかち」になります。
学習障害への対応も小手先になります。
いかがわしいおっさん(New!)の本を作ったあとは、学習障害関係者の中で激論が交わされる「反復練習の是非」とかそういうのがちいさく思えてきますよ。もっと根本的な治し方がそこに提示されているからです。

そして親子が互いに愛情や不満を抱くとき、それが「頭でっかち」になっている例もとても多いと思うのです。それが「○○してもらえなかった」「○○してくれた」なのだと思います。
だから「物をもらったという愛情の感じ方」は「身体性」が乏しい人の感じ方だと思います。

コタツの中の脚がない人に、脚が生えてくると、親の愛情をもっと身体レベルで感じられるようになると思います。
そうすると愛されていたことに気づくと思います。