昨日アクセス上がってた記事に
これがあり
ああ、これ、「私は何を猿烏賊文化と思っているか」うまく説明しているなあと思いましたのでそのあたり考察。
ニキさんはね、岩永先生と出会って感覚のプロファイルというスケールがこの世にあることによって、それまで自分でしていた様々な生活上の工夫が「贅沢ではない」と確かめられたんだそうですよ。
それまでたとえば、自由業者として駆け出しで子どももいない家庭に食器洗い機を導入するのにためらうというか贅沢と思われるんじゃないかというかとにかくなんかそういう思いを抱いていたみたいで。でもさ、世の中には感覚のスケールがあってそれによるとニキさんは配慮が必要な人でその配慮のために食器洗い機導入、ということなら正当化されるでしょ、みたいなこと。その経緯が載っているのがこの『続々自閉っ子、こういう風にできてます!』ね。
さっきFBで、巻末も充実しているし環境づくりに役立っています! というお声をいただきました。
それにしてもねえ
「駆け出しの自由業者が食器洗い機を買ってもいいのか」というニキさんの逡巡。
私はこれずっと、罪悪感の強さ由来だと思ってたんですね。
でもどうやら違う、というかそれだけじゃないみたい。
これがわかったのが私が猿烏賊騒動を経験してからです。
幼稚園から小学校にかけて、私は三年間だけ父の転勤で大阪市内に住んでいました。うちの父はいわゆる旧財閥系の会社に勤務していたのでそこんち(あ、気がついたらあさの実家だ!)が持っていたお屋敷のあとに鉄筋のアパートいっぱい建ててそこのグループ会社の社員がたくさん暮らして社宅として使ってたわけです。私はあの家は好きだったよ。同年代の友だちがいっぱいいたしもとはお屋敷の敷地だから遊ぶ場所にことかかなくてね。
でもね、ある日学校で男の子に言われたんです。「おまえんち貧乏だな」って(たぶん大阪弁でね)。なんでかっていうと、アパートに住んでいるからだって。
私は自分ちが貧乏かどうか情報を持っていなかったので(家では貧乏だとも金持ちだとも教えられていなかった)家に帰って母に「貧乏だって言われた」って言ったんですね。「アパートに住んでいるからだって」って。
そうしたら母が「横浜にきちんとおうちがあるんだって言いなさい」って言うからその男の子に翌日言いました。そうしたら黙ってた。どうやら「きちんとしたおうちを持っているかどうか」を重視する小学生だったみたいです。かわいくなーい。
その男の子のおうちは、一戸建て原理主義者だったのかも。そして家庭の中で「一戸建てに住んでいる住んでいない」で人を値踏みするようなおうちだったのかも。でもうちは違ったっていうこと。横浜のおうちに住んでいた時も、うちは一戸建てでえらいのよ、近所のアパート住まいの人は貧乏なのよとかそういう教育されなかったもんね。それだけまあ、うちの両親はマトモだったっていうことです。
今考えると、この大阪での体験が大きいんでしょうね。私は他人の財布とか持ち物とかに過度な関心をもってしかもそれをあからさまにする文化をなんか「いやなもの」と感じるのです。吉川徹に「花風社に儲かってほしくない」と言われたときの超違和感もそれ。そして猿烏賊たちが見せるぶしつけな関心もそれ。東海地方では嫁入り道具近所の人にご披露するらしいけど、そういう習慣のない地方もあるわけで、そこでは「おたく食器洗い機ある?」なんて関心を寄せること自体が無礼なわけ。
まあそれは、地域性はあるのかないのかわかりませんよ。YTも相当他人の懐に興味あったみたいだけど、彼は箱根の東の人だしね。ただ文化によって「関心を持って許される」ところの人はゆるい発言をしやすいでしょうね。なんの悪気もなく。それをそういう習慣がない文化圏の人はね、とても侵襲的に感じるのね。
そしてニキさんはきっと、他人の持ち物に興味を持つことがそれほど禁忌とされていない文化の中で(地域的にか地域じゃない要素的にか知らない)育ったんでしょうね。だから「仕事もまだあまりなく子どももいない主婦が食器洗い機を持つことは贅沢だと思われるかも」という発想をした。でも感覚プロファイルについて知って「ああやっぱり買ってよかったんだ」と思えたのならそれはそれでよかったね、と思います。
だからね~、あれがほしいこれがほしいと言ってて「贅沢だ」って言われている人(とくに学校でありそう)はあの本活用するといいですよ。ちゃんと医学的な裏付けがあるってわかるからね。
でもその文化がない場所で育った私にはよくわからなかったんです。ほしくて買えるものは買えばいい。それに誰が突っ込みいれるのかって。突っ込み入れる方が無礼でしょ? って。そこがニキさんと私の違い。「突っ込み入れられたくない」ニキさんと、突っ込まれると「あんた無礼じゃない? 恥を知れ!」とやり返す私。
でもね逆に、突っ込み入れる人が日本全体でそれほど多いのなら、感覚プロファイルを防衛のために使える人も多いってこと。そういう意味で一般にスケールが公開されているのは大事だし、そしてこの本も貴重ですよ~。
誰が突っ込み入れるのかは、猿烏賊の発見のあとわかりました。世の中には「自分がもっていない」というだけで、他人にもそれをもつのを許さないという実は人間として恥ずかしい状態を平気でさらす人たちがいて、しかも集団になると恥がどんどん消えていくみたいね。
これがまた、私が持っているのと違うギョーカイトラウマを多くの保護者にもたらしていますよ。それギョーカイ人はわかってるかな? だいたいギョーカイ人はね、「聞き分けの悪い方の味方」であり、できる方の人たちはギョーカイが嫌いになっていくのよね。
そしてそれとともに、大阪の「おまえんち貧乏だな」って(たぶん大阪弁で)言った少年のことを思い出しました。そういう文化は継承されていくのね。
たぶんこういう意味で、猿烏賊と私の溝は一生埋まらないんだろうな。
さて次回はどんなネタにしよう。
「やはり吉川徹をただの気のちっさなおっさんにしとくのはもったいない」っていう話にしましょうかね。
それとも昨日の棒人間会議の話にしようかな。
あ、事務連絡。
・次回コンディショニング講座は5月22日に決まりました。
・元テロリストさん、20周年の贈り物ありがとうございます。元気になってくれてうれしいですよ。