治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

過敏自慢と負け惜しみ

2016-01-30 09:05:26 | 日記
ちっぽけなテロリストさんはここで皆さんの体験談を読んでだいぶ受信が減ったそうです。体験談を書きこんでくださった方々、自分のブログで体験を書いてくださったちゅん平さん、ありがとうございます。

そして過敏については「活用できると聞いた」と言うこと。

それを否定する気はないんですよ。ただ「過敏は活用できます」と無責任に言う支援者が私のような実社会の人間と違って知らないことは、過敏に自信を深めてしまうがゆえに、社会性や経験の乏しさにもかかわらず、自分の受信を絶対的に信じたり、それをもとに他人に説教するようになってしまうという現象だと思いますね。私が過敏アゲをいかんと思っている理由はそこです。

そもそもね、「美的センスを生かしていけばいい」とかその道を知らない支援者が言っても実は説得力がない、って気づく程度の社会性は必要ですよね。

ニキさんは「自閉っ子のための努力と手抜き入門」か「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」の中で(どっちか忘れたけどどっちも読めばいいですよーー損はしないから。いい本だから)ご自分が「負け惜しみが強い」ことを認めています。

私はあれびっくりしたんです。いや、たしかにそうなんだけど、私にとって「負け惜しみ」って決して肯定できる現象ではないけど、ニキさんは自分の中にある「負け惜しみの強さ」を認めてるんだなあ、と。

そして「負け惜しみ」と考えると色々なギョーカイ系支援者系不可思議な言動の説明がつきますね。

『アインシュタインガーエジソンガー」の発言もあれ、負け惜しみですね。
そして過敏自慢も負け惜しみですね。

あくまで個人の意見ですが

私は負け惜しみって潔くない、みっともないと思います。

あ、だから支援者と気が合わないのか。

年季の入った役立たず

2016-01-29 13:24:21 | 日記
まずは本題と関係ない告知。
南雲さん来週テレビに出るそうです。

=====

■2月 3日 (水)「ザ!世界仰天ニュース(日本テレビ)」(夜9時~9時54分放送)

=====

学習障害のお話のようですよ。皆さん見てね。



昨日はこのお知らせを書店の皆様にお伝えしたり、いかがわしい会議のテープ起こし(六時間分済んだ)を読んで構想を練ったりして

夕方になったらそろそろ読みたい本読んでもいいかなと思って先日書店で見つけて即買いした本を読み始めました。

「家族幻想」 
ーー「ひきこもり」から問う
杉山春著 筑摩書房

です。



即買いの理由は、テーマが仕事に関係ありそう、っていうだけではありません。この著者の方に私は信頼を置いているのです。これまで読んだ本がすべてよかったからです。そしてこの本も、一気に読みました。大変ためになりました。

著者の方は長年ひきこもりについて取材されていて、私とほぼ同年代の人も取材対象になっています(親ではなく本人として)。つまり、不登校もそれほど数が多くなくて、正社員になるのもそれほど苦労しなかった時代にも、ひきこもっていた人はいたわけです。そういえば、と気づかされました。

私がまだドッヂボールが大好きな小学生だったころから、学校に来られない子は一定数いて、児童精神科というものは存在したのですね。そしてそれが機能しないことが、ひきこもりの高齢化の一因となっています。そうか児童精神科もぽっと出ではなく、年季の入った役立たずなんだなと思いました。

全般的にこの本では、他者視線の過度な内面化をひきこもりと強く関連付けています。私がよく使う言葉で言えば「正解幻想」とか「過剰適応」ですね。

いかがわしいおっさんたちの知見に学んだ今、そんなもんはまず背骨を育てればいいと思ってしまいます。今このときからできる。座っててもできる。っていうか寝転んでてもできる。身体アプローチで他者視線の過度な内面化はなくなります。

背骨は育ってるよ、と言うでしょうもちろん。じゃあ紙風船買ってきて、ヘディングしてみてくださいませ。ヘディングできますか? 物理的に背骨があるかないかではないのですよ。

とかいう我々のアプローチを「まじめに深刻に考えそして実は治したくない治らないと信じている人たち」はトンデモと片づけるのでしょうが、私に言わせれば四十年間介入し続けて不登校児を親を恐怖に陥れるリッパな家庭内暴力成人に育てあげる「年季の入った役立たず医療」の方がずっとトンデモに見えます。

もっともこの本には、医療の内外で適切な支援に巡り合えた事例もきちんと出てきます。ここでも横浜は先進地域らしい。自閉症の分野では先進地域ってもう

先進地域(笑)

みたいな文脈でしか語られませんが(何しろ呪いのお札も完備ですから・笑)、もしひきこもり支援で地元が先進地域なら喜ばしいことです。

あと、以前愛甲さんが言ってた、数世代前に戦争があったという影響もなるほど無視できないものなのだなあ、と思いました。

ご興味のある方にはお勧めします。
けど
花風社はおそらく、この「他者視線の過度な内面化」にもソリューションを出せると思いますよ。

私が不登校にならなかったのはやはり



ドッヂボールが大好きだったからでしょうね。

一生○○できない

2016-01-28 10:50:45 | 日記
先日、長崎大病院の産婦人科医が知的障害の女性に「一生恋人もできないし結婚もできない」と言ったと報道され、また「差別ガー」と関係者各位仲間意識を高めるための儀式(僕たち仲間だよねと確かめるための悲憤慷慨ごっこ)をやっていらっしゃいましたが

私が思ったのは「はて、産婦人科医だと怒るのはなぜ?」でしたね。
精神科医や発達障害関係支援者は

「目標は家事のできるひきこもり」(吉川徹大先生)
「一生字が書けないでしょう」(こよりさんご子息を診断した医師。ご存知のとおりご子息はその後IQも上がり弱視も治り高等養護のお受験を勝ち抜き今は会社員)
「仕事とか結婚なんて考えられない」(服巻智子大先生の藤家寛子さん評・当時←大外れ)
「君みたいな子はね、一生働かなくていいんだよ。頑張ると病気になるんだ」(中田大地君をアスペルガーと診断した児相の医師←大外れ)

とか堂々と言ってるじゃないですか。今日もどこかで「一生○○できません」と堂々と宣言している支援者がいることでしょう。

一方でアメリカ行ったこともないのに「こういう子はアメリカ行けばいいよ」とか
アーティストの世界なんてまったく知らないのに「芸術の世界なら生きていけるんじゃないか」とか
研究者じゃないのに「研究者に向いている」とか

無責任な発言を別ベクトルでする支援者もいますね。

なのにさ~産婦人科医をなんでみんなしたり顔で責められるんだろうね。

ある方が指摘していました。

「知的障害があるからこそ、生理不順とかに気づいたら、望まない妊娠とかを疑わなければいけないのでは」

これが一番現実的だと思います。
ご本人を守るのにね。


栗本さんが九州行きます

2016-01-28 09:19:13 | 日記



栗本さんの講座(集団指導)を長崎県大村市で行います。崩れやすい春に向けてのコンディショニングを中心に教えていただく予定です。講座中の出入りは自由。開催直前の御案内で申し訳ないのですが御検討上、お申し込み下さい。


日時>平成28年2月1日(月) 10:15~11:45 (受付 10:05~)

場所>プラザおおむら
長崎県大村市本町326番地1
Tel(0957)47-6110

募集人数>15名

募集対象者>コンディショニングに興味がある方ならどなたでも。

受講料>お一人様 1000円

申込方法>下記アドレス宛に
・コンディショニング講座希望
・参加者氏名
・電話番号
・メールアドレス

を明記の上、お申し込み下さい。

smile.dango.3.mam.cheer@gmail.com (だんご母)
※追って詳細を御案内致します。

持ってくる物>バスタオル、フェイスタオル、飲み物


※託児はありません。施設内に休憩所がございます。

※駐車場は近隣の有料駐車場をご利用下さい。


申込締切日>平成28年1月29日(金)
※先着順にて受付致します。

怒り切る

2016-01-26 11:00:18 | 日記
今思うと、豊橋での吉川講演の情報を見つけたときの高揚感、あれって「これに行けば一つ進む」という予感だったのかもしれません。
なぜなら
あの日豊橋に出かけたことで、私の七年にわたるギョーカイトラウマの処理が完成した気がするからです。

積年の敵の実像を見て、意地悪な極悪人ではなく、ポジショントークを自然にできてる(ほめてません)気のちっさそうなおっさんに過ぎないことが確かめられたのがよかったのかもしれません。
そして、それでギョーカイ人の実像が見えてきたのかもしれません。

今思うと、私が服巻先生の「ニキさんが、ニキさんが」にやられてしまったのは、一時期でもプロフェッショナルとして尊敬した時期があったからかもしれません。
自分も被害にあい、家族も被害に巻き込んでいるとき、正当に怒り戦う権利を福祉の名のもとに奪われている気がしました。悔しかった。涙を流して悔しがる私に夫は「支援者というものはそういうものの考え方しかできないものだ」と冷静に言いました。七年かけて私は、ようやくその意味がわかりました。

これはもちろん、ギョーカイを理解したということです。
でもそれは、ギョーカイのありのままを認めるということではもちろんありません。
ギョーカイを変えようとは思わない。変えられるとも思わない。
ただ「ギョーカイの言う社会は実現しませんよ。それは、アンフェアだから。実現しないことを前提に発達援助に取り組んでいきましょう」と呼びかけることを続けていくだけです。

何もトラブルがないとき、お花畑を語るのはまだ害が少ないかも。
けれども社会と接しトラブルが起きるとき、ギョーカイ人が習い性となったポジショントークを続けると、それは「健常者に人権なし」になります。
彼らは悪気があってポジショントークをするのではない。問題行動や妄想に待ったをかけられないほど無能だから、そしてそれが結果的に「健常者に人権なし」になってしまうとわからないほど世間知らずだから、ポジショントークしかできないのです。
それを真に受けない人の数がそれなりに多いことを発見した七年でもありました。

ギョーカイへの強い怒り。
私はそれを抑えず、むしろ怒り切ることで乗り切った気がします。
そしていかがわしいおっさん(New!)の理論に従えば
「そのときの課題をやりきる」ことが次の発達段階につながるらしい。

これは予言ですが
今後ギョーカイの悪口は減ると思います(当社比)。
でもそれは、私が心の中でギョーカイと和解したわけではなく
怒り切った結果として、実像を知り、ある意味そのメカニズムを理解し、そして無関係に活動していけばいいことを心底悟ったからだと思います。

「理解」にはこういう方向性もあるのです。

栗本さんの笑顔

2016-01-25 10:52:21 | 日記


先週、ひみつのおへやにて、いかがわしいおっさんたちに集まってもらい、ミーティングをしました。
午前中から夕方まで、実技を交えての有意義な取材でした。
何よりもびっくりしたのは、栗本さんの笑顔。
いかがわしいおっさん仲間と心行くまで身体アプローチの話ができることが心から嬉しいようでした。新しいお友だちができて嬉しい嬉しいって感じ。
こんなに身体アプローチの話するのが楽しいなら○○なんてする必要はないのに。
なんてちらっと思いました。

ちょうど場所中だったので、四時になったら自宅に戻り、ノンフライヤーパーティをしました。
おでん、サラダ、ゴボウフライ、ポテトフライ、トンカツ、唐揚げ。
ビールとワインが四本ずつ空きました。

ここんとこ忙しかった理由を話しました。
「まだブログでも発表してないけど、2月に新刊出すんだよね」

栗本さんや画伯さえ知らない秘密計画。二人ともびっくりぽんです。要するにこの二人には関係ないとこで進んだ企画。いかがわしい本の前に出すイタい人の本。あんまりイタい人だから、多分この二人にさえ一生会わせることはできない。ザ・生きづらい記録です。それでも出す最大の理由はド・自閉症だから。皆さんの参考にバリバリなりますからね。

もうすぐ予約始めるし、多分「愛甲さんに質問する会」が初売りになると思いますが、とにかくそれを進めてたんです私。

「進行中の表紙とか見たい?」と言ったら、口を揃えて「見たい!」と言うので、見せてあげました。

画伯驚愕。

「なるほど! これは今出さなきゃね。浅見さんナイス判断!」

へへへ。

というわけで、ザ・生きづらい人のド・自閉症の本
2月に発売です。
どうぞお楽しみに!

そして栗本さんの新しいお友だち、いかがわしいおっさん(New!)の本は、多分すごい本になりますよ。黄色本芋本のテイストも、長沼先生の本のテイストも入る本になります。

お楽しみに!

吉川徹大センセイ講演レポ その6・完 (あなたと私の権利擁護・どうしてもききたかったこと)

2016-01-24 10:05:31 | 日記
さて、当日に話を戻します。
私を乗せた帰りのこだまは19時前に新横浜に着きました。
駅ビルで投げ売りの始まったお刺身などをゲット。帰宅して餃子鍋を作りその他手抜きディナーを並べ、夫を迎えます。そして帰宅した夫に報告。「吉川はね、別に極悪人の感じではなかった。気のちっさそうな男だったよ」

「そんなの最初からわかってたこと」と夫は言います。「そういう攻撃の仕方をしてくるのは、気が小さいからに決まってる」

そうなのかあ。極悪人ではなく気のちっさそうな男だっていうことは最初からわかってたのかあ。だったら教えてくれればよかったのに。結構この人は私が知らないこと知ってるんだよね。

2009年2月、YTから脅迫状が来て、弁護士の選定に入っていたとき、夫は何を思ったのかプーケット行きの格安旅行を見つけてきて、2月3月と一回ずつ予約してしまった。二か月連続プーケットに行こうと言うのです。何をバカなことを! と思ったのですが私が現地でやったのは地球金魚。今思うと、あのときの私に何が必要なのかよくわかっていたのでしょう。神田橋先生に会う前だったのにね。

家族はね、そうやって思いやりながら生きていくんです。
それはね、障害がある人がおうちの中にいてもいなくても。
家族を思いやる権利はね、障害がない人にだってあるんだよ。ギョーカイは理解しないけどね。

そこまで自分のこと思いやってくれる家族をね、私は巻き込んだんだ。一人の自閉症者の妄想に。私が発達障害の仕事をしていたばかりに。メンタル最強の人だから、一言の文句も言わなかった。ずっと一緒に戦ってくれた。でもさ、そういう経験をした私が、なんで「自閉症は治ってほしい」って思っちゃいけないの? これは当時吉川徹に投げかけた質問。もちろん吉川は死んだふり。今に至るまで。

「自閉症が治る」ことは、絶対にいいことだから、私はそれを追求した。吉川は金儲けとかなんとかいうけど、はっきり言ってそんなこと関係なかった。金のためにギョーカイと妥協なんてする気なかったし、私のやりたい路線にお客がつかなければ、もう発達障害の世界が私を必要としていないというだけの話。だから私はあれからずっと、出したい本を出してきた。そして来月、会社は二十周年を迎えます。そのうち七年、2008年以降、よこはま発達クリニックの吉田医師から無礼な手紙が来て以来、私はギョーカイを見限り、その死んだふりっぷりを憎みながらやってきました。

もう一度吉川センセにききたいですよ。
なぜ自閉症の特性に被害を受けた私が「治ってほしい」って思ってはいけないの?
本当に、なぜ?

つぼみの会では権利擁護みたいなこといっぱいやってる。将来施設で過ごすお子さんたちにとって支援者側からの虐待を受けないことはとても大事な権利擁護。そのために保護者の皆さんが腐心されるのは当然のこと。

その当然のことはね、私にだってする権利はあるの。
かつて家族を「自閉症者による妄想」の被害に巻き込んでしまった経験者なんだから私は。
どうしてその私が、「自閉症を治してほしい」って思ってはいけないの?

妄想は自閉症由来ではない?
そういうごまかしをやめろよ。
本人たちが気づいて治したいと願いそして治すことに成功してるのに
どうして支援する側が潔く認めないの?

そして障害のあるお子さんをお持ちの保護者でも、わが子の、そして生涯にわたりわが子のケアをしてくれる職員の権利を擁護するためにこそ、「治る方法」を模索する人々はいます。検証が追い付かなくてもね。職員に人権教育をすることが権利擁護だと思う人もいれば、わが子に自傷他害がなるべくない状態にすること、介護がなるべく少なくてすむ状態にすることがわが子と職員の権利擁護だと考え、それこそ医療が提供しないその方法を模索する人だっているの。

なんで?
なんで?
なんでこういう状況の中で花風社をあれほど攻撃したの?
医療に限界があることを知っているのなら、引っ込んでいればいいじゃない。

でもまあわかったんだ。
吉川は気のちっさな男で、あれは卑屈系の親に向かった接待だったんだって。
卑屈系の親は治せと言われるのをいやがる。そしてそれだけではなく他人が治っていくのも心穏やかに見ていられない。その人たちは、他人が自分と違うことに取り組んでいるのをバカにすることで自分をなだめようと下手な自己治療をする。それが「エビデンスガー」の海老踊りだ。

勝手にやってればいいよ。
治るが勝ち。
私は「治るが勝ち」という本を出すから、そのうち。

吉川は地元で慕われている。
そしてそれこそが
彼があのときの花風社を攻撃しなければいけない理由だった。

自傷他害睡眠障害情緒的な問題に
・薬物療法
・環境調整
の二つ覚えしか知らない場所で、権利擁護と言えば人権教育としかとらえられない場所でいい先生であり続けるには
あのときの花風社を攻撃するしかなかった。

今でもちらりと聞きたい気がする。
「自閉症者の妄想によって被害を受け、家族もその被害に巻きこんだ私が、自閉症は治ってほしいと思うのがなんでいけないのですか?」と。

それは、睡眠障害を持つ子に疲れた保護者を見て、吉川センセが眠剤を処方するのと同じ動機ですよ。「家族の苦しみを取り除きたい」というね。

睡眠障害は家族にとってだって苦しい。そこで眠剤を選ぶ人もいる。でも眠剤は本人に負担がかかる。その負担がかからない方法をこよりさんは取った。それが猫本の最後に載せた猫マンガです。こうやって「医療では解決できないことを解決している」人の方法を花風社は次々と発表しているだけですよ。それにすがる人々をバカにするのは、医者として以前に人間としてどうなのよ。「標準治療以外の方法で治る」のはいけないのかよ。それこそ社会資源の無駄遣いじゃないですか。

治ってほしい

と願う人は実は多い。
それを自分で認められる人とそうじゃない人がいるけどね。
それを自分で認めている人のための活動を、私はやっているだけよ。

そのどこがいけないの?

とききたい気もするけど

考えてみたら吉川の答えなんてどーでもいいのでした。

なんでかっていうと、長年のギョーカイヲチでわかったのは

・支援者は原則的にポジショントークしかしない

から、つまんない答えしか出さないし(だからこそ真に受けてはだめ)
さらに決定的なのは

吉川はやっぱり大嫌い

なことがよくわかったから。

なんでかっていうとね

私は「強い男」が好きだからよ。



あれれ、最後もなんか、失礼な終わり方ですね(笑)

(完)


吉川徹大センセイ講演レポ その5 (あなたの街の吉川センセは?・海老踊りの本質は猿烏賊接待)

2016-01-22 10:00:24 | 日記




さて、昨日はいかがわしく有意義なミーティング、からの、揚げ物パーティでブログの更新ができませんでした。その間にも吉川センセネタがたまりましたのでご報告。

曰く「その講演内容はふだんと違うのではないか? 普段はLIFEが短すぎるみたいな絶望を振りまくような話しかしませんが」
「医者が主な客層と思われた場所では医療のアドバンテージを連呼していた。要するに小心で空気を過剰の読む人なんじゃないの。浅見さんがいたことに講演内容が左右されたこともありうる」

だからね、皆さんもお近くに吉川センセが来た時によく見てみるといいですよ。
あなたの街の吉川センセは、私の見た吉川センセと違うかも。

今回は
私が機嫌を損ねるような話はあえて出さなかったかも、ということ。
それはそれで穏やかな性格(ほめてません)の表れですね。
私だったらきっと、吉川が聴衆として参加、とかいう話を聞いたらむしろ「家事のできる引きこもり推奨の死んだふり支援に気を付けろ」とかいることを意識してむしろ攻撃に使ったと思う。
そして今思うと、あの狂乱的な海老踊りに吉川がつきあったのは、猿烏賊への、というか、怖がりだからこそエビデンスガーになってしまう当事者保護者への接待だったような気がします。
支援者の本質というのは、「当事者保護者が持ってる妄想を否定せず接待する」なんだと気づいてきた昨今ですが、あの猿烏賊騒動もそう考えると腑に落ちます。

そらパパこと藤居学はものを書いて発表するのが好き。お嬢さんに障害があったことで家庭療育について本を書きブログを書きその人気ブログが本になります。ギョーカイ人もちやほやします。けれども困ったことに、療育の成果がはかばかしくない。「何をやっても治らない」とみんなが信じてくれているうちは成果がはかばかしくない父さんでもスター保護者でいられますが、はかばかしい保護者たちが出てきてしまうとそうもいかない。そこで「エビデンスガー」「差別ガー」あたりを主戦場にして実際にうまくいっている保護者たちとすみわけ。ところが、うっかりその攻撃の相手に花風社を選んでしまった。

修行する小学生中田大地君、「医者なら治せんといかんわな」の神田橋先生。このあたりの本を続けざまに出す花風社攻撃をそらパパはブログの集客に使います。その私は、自閉症者の妄想による法的被害を抱え、民事で名誉棄損の裁判進行中。刑事告訴も済み捜査が進行中。「こんなの批判じゃないじゃん。またもや妄想に基づく人格攻撃だ。これだから発達障害の世界はねえ」と認定します。

そこでおっとり刀で吉川センセ登場。吉川センセはギョーカイ人。つまり、保護者当事者がどんなに間違っていてもそちらの肩を持ちます。ていうか、間違いを間違いと訂正する習慣がそもそもない。オカルトちっくな天才医師の発達障害シーンへの登場にちょっと心がざわざわとしたところもあり、ちょっと浅見をいじってみました。どうせ小商人なのだから、まさか反撃するだろうとか、保護者の一部を敵に回してまで本当のこと(「だってそらパパんとこ全然うまくいってないじゃん」)を言わないだろうと思ったのでしょうね。

でも私は当時
・妄想を訂正しない無力な支援者に怒っていた
・発達障害の世界に未練はなかった
・療育の世界がセグメント化していくことがはっきりと見えていた
・性格が喧嘩上等だった

ので、そこを吉川センセは計算間違いなさったのでしょう。

だからまあ、あの騒動の本質は

「吉川センセによる臆病系妄想親接待」ですね。

今回の講演で薬物療法を具体例に「いかに検証に時間がかかるか」
「そのため現在取沙汰され始めている薬物が適用されるまでにいかに長い時間を今これから要するか」を説明されていましたが

薬物のような医師の処方が必要なものはともかく

・自分でできて
・金がかからなくて
・できたら身体の中に何も入れない

方法で何か目の前の子どもを少しでもラクにできる手段があるとしたら

「検証を待ってられない」という気持ちの親御さんが出てくるのも当然のことであり、その情報を求める人がいて、わかりやすく提供する才能に恵まれた私がそれを提供するのは当たり前でしょ。

ましてや、検証された、という方法で治らない人がいる無力な支援にうんざりしている人が多い状況の中。

リスパダールが自閉症適用になり自己負担が下がります。

というのなら
これまで自閉症に対して適用外だったリスパダールを処方してきた医師が、金魚体操やって子どもが眠れるようになったと喜んでいる保護者を攻撃できる資格はない。共通しているのは「この子をなんとかしてやりたい」という思いですよ。

なのになぜあの騒ぎは起こったか。
それはやはり
・当事者(保護者)萌え
・妄想(臆病心)を肯定する接待

が支援の土台にあるのがギョーカイ人だからだと思います。

続く

吉川徹大センセイ講演レポ その4 (こだまの中の非なまはげ化)

2016-01-20 15:05:45 | 日記




講演が終わりそうだというとき、私は撤収を始めました。iPhoneをバッテリーから外し、ノートとペンをしまいます。
そして拍手。お世辞ではない心からの拍手。
いい会でした。ほんとに。

終わったら三秒で去ろうと思いました。
もこもこのオーバーを着ていったので、実際には十五秒くらいかかってしまいましたが、それでもおそらく会場を出たのは一番だったと思います。受付の人に軽く会釈をして部屋を出ました。

建物を出るところで、こうままさんが追いかけてきました。
「浅見さん、今日はありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました」
ルーティンがきちんと踏める人。だからカリスマママさんなんだな(ほめてます)。

駅に着いて、味噌おでんを見学。
う~ん、やっぱり八丁味噌のおでんは今回はやめよう。餃子もあるし。それにまた、愛知県来るかもしれないから次回でもいい。愛知県自閉症協会つぼみの会、なかなかやるじゃん。いい企画でした、ほんとに。
気がつくともうすぐこだまが出る。30分に一本なので逃すとめんどくさい。
私はさっさと帰ることにしました。座席選んでいる時間もないので自由席。最悪二時間立ってもかまわないほど元気でしたが、乗ってみるとがらがら。
私は座ってお抹茶を飲み、草餅を(二個)食べながら考えました。

鬼のような人だと思っていた吉川は、気のちっさそうなおじさんだった。バランス感覚の優れた人だった。
なんであんな気がちっさそうでバランス感覚の優れた人が私に喧嘩売ってきたんだろう。
ネットだから?
匿名だったから?

これを考えているうちに私の中にセルフ突っ込み杖が生えてきました。
気がちっさそうでバランス感覚がいい。
それがまさに、吉川が喧嘩売ってきた理由じゃん。
だって私は、気が小さくてバランス感覚がいい人にはもれなく嫌われる人だもん。
そういう考えに至って、自分で笑ってしまいました。

私は吉川が気がちっさくてバランス感覚の人だって知らなかったし
吉川は私が専守防衛で、でも主戦論者なことを知らなかった。
そしてあのときには、(たぶん今も)激しい怒りに駆られていたこともよくわかってなかったでしょう。
療育の世界がセグメント化していくことにはっきりと気づいていたから、誰とでも仲良くするつもりはなかったし。っていうかあの時の私は、あまりにギョーカイに怒っていて、誰とも仲良くしたくなかった。
そこに現れたのが神田橋先生だったんですよ。

思うにネット上のトラブルの多くが、相手の実情に自分の実情を知らず知らずのうちに投影してしまうから起こるのではないでしょうか。
吉川は私をもっとバランス感覚があって気が小さいと思っていたのでちょっと脅せば黙ると思い
私は吉川もまた主戦論者だと考えたから徹底的に戦うつもりだった。心臓にとんかちではなくドリルで穴を空けてやるつもりだった。
だから検索して、吉川の実名を見つけ
匿名の仮面をはぎ取った。

吉川センセは当時、何に怒っていたんだっけ。
私は思い出そうとしました。

そうそう。この記事に怒ってたなあ。

そらパパが攻撃し、猿烏賊が悪乗りしてきたとき読者からきたメールを貼った。
その中のこのフレーズに、吉川は怒っていた。
このメールを書いた人に怒ったのではない。
それを貼った私に怒っていた。



====
正直、息子の事では何をしていったらいいのか途方に暮れていました。療育センターでも学校でも大きな成果はなく、先生には「こんなに重い子はみた事がない。」と言われました。病院もいろいろかかりました。しかし、どの病院でも具体的な治療はされません。ネットでも調べました。同じような重度の障害を持つそらパパさんのホームページを読んで目の前が暗くなりました。ホームページでいろんな方の相談を受け、たくさんの本を読み、本を出し、講演している一生懸命なお父さんのお子さんでも奥様のブログを読むと決して良い療育の成果が出ているようには思えませんでした。私たち夫婦もいろんな療育方法を勧められましたが、そのページでは良い評価がされていませんでした。
=====

本を書き、人の相談に乗っていても成果が出ていない。
それを指摘するメールを書いた人ではなく公表した私に怒ったのはなぜか。

それは、ギョーカイ鉄の掟
「妄想に寄り添った接待」を私が守らなかったからですね。
かつてちゅん平に「あんた頭おかしいよ」と言ったように、そらパパに「えらそうだけど療育の成果上がってないじゃん」という事実を突きつけた。それに吉川は怒ったんだろう。掟を守らなかったから。だから吉川は、仲間だと思ってたんだろうね、私のこと。そうじゃないとわかったから(そして実名もばらされたから)黙り込んだんだろう。

もう一つ吉川が怒ったこと。
それは私が「保護者を分断する」と言って怒っていた。

へ?
なんで分断しちゃいけないの?
っていうのが私のリアクションでしたね。
だって「妄想に寄り添った接待」をされて慰められている人たちと「社会の中で生きる子に育てる」と前向きな人たちと、なんで仲良くしなくちゃいけないの?

つまり吉川は、私が小学生のときに見限った「三つの嘘」を説教したかったんだ。
ここで思い出してみましょう。
三つの嘘。それは
1 金儲けは汚い
2 多数決は正しい
3 誰とでも仲良く

前のシリーズでも書いたように、私に説教してくる人たちはだいたいこの三つの嘘を押し付けてくるんだけど、今回よく考えたら吉川もその一バリエーションだったに過ぎないのでした。

鬼でもなく
小心でカタログ系のお勉強家。
そしてギョーカイ人。

ただそれだけ。

こだまの自由席で、吉川の非なまはげ化はすっかり済んでしまいました。

こだまは小田原に着きました。ここまで来るとおうちに帰った感じ。ただいま私のふるさと。帰ってきたよ、東南アジアから。
あ、栗本さんに来週のミーティングのとき横浜チャーハン買ってきてって言わないと。栗本さん、画伯、私、そしていかがわしいおっさん(New!)の四人分。

吉川に攻撃されていたころの私は「誰とでも仲良く」どころか「誰とも仲良くしたくない」状態だった。
愛甲さんにさえつっけんどんに応対した。私はもうやめるんだからめんどくさい話もってくんな、という気持ちだった。

でも今、仲間がたくさんいる。
著者も読者も。
芋づる式に出てくる。

吉川も仲間がたくさんいる。
愛知の中で慕われている。

そしてそらまめ式はもうすぐ更新を終えるらしい。
十年続いた、とか言ってるけどぼくアス攻撃したのが約五年前。その後セカンドハウスとかなんとかゾンビ状態だったじゃん。成果をあげてない親がウエメセになれたのも各種ギョーカイ人が「妄想に寄り添った接待」を続けたからでしょうね、今思うと。

でももうネタ切れなんだね。成果出せないもんね。そして次のターゲットはよりによって婚活かあ。なんか、書く場がほしい人なんだろうね。

吉川は「影響力のあるブログ主なんだから仲良くしろ」と説教臭かったけど、あれも今ならわかる。小心だから、そういう発想になるんだ。

私は「えらそうに人の批判しているけど、成果をあげていない人の構築している砂のお城ですよ」と指摘し続ける方を選んだんだけどね。

その後の流れを見ると
やっぱり私の方が○○が賢いみたいね。

続く

吉川徹大センセイ講演レポ その3(バランス感覚、小心さ、そして箱根のむこうの東南アジア)

2016-01-20 09:32:23 | 日記
こっから先は、個人の意見です。
吉川センセの講演→対談方式の質疑応答 とつながったわけですが、講演内容は吉川センセに属することでしょうし、質疑応答は個人情報の塊ですからつまびらかには書きません。

まず吉川センセの印象。
豊橋駅に立っていた鬼とは似ても似つかぬ印象でした。
画伯を連れてくればよかったんですけど(画伯は外貌からかなり性格をあてる)
ぶっちゃけ私の抱いた印象は「気がちっさそうなおっさんだな」でした。
まあ自分よりずっと年下の人をおっさんと呼んでいいのかどうかわかりませんが。

お話は、バランス感覚に優れていました(オリジナリティがないとも言う)。
それでもカタログ構成力はなかなかのもんでした。医療とどうつきあうか。確かに知っておいた方がいい情報です。
短い講演ですし、本にするには情報少ないですが、これパンフレットにしてなんとかセンターに置いとけばいいんじゃないの。よくカタログみたいな小冊子おいてあるじゃん。
と思ったけどそれは無理だと気づきました。
たぶんなんとかセンター的には(ブ)な内容なんだと思います。医療の限界もはっきりしゃべってるしね。

小心だということは、医療者としてはマイナスの資質ではないんだな。
ただ私とは気が合わないだけ。
そしてエビデンスガーの背後にあるものは、やはり臆病心だなあ、とそれが確認できました。

第一部、吉川講演が終わって会場が拍手したとき、私も拍手しました。
おつきあいではありません。良い講演だったから拍手したのです。

休憩時間。
再び話しかけるなオーラを身にまとい、FBにぽつぽつ打ち込み。ツイッターにアップしてしまうと誰にでも見えてしまいますが、(ブ)の話題が飛び交うFBなら平気。備忘録的に書きこんでおきました。

そして後半。
事前に、そして休憩時間中に、上がってきた質問に吉川センセが答えていく感じ。MCはポエマー。その姿を見て思い出したのですが、この講演のどこが「LIFEが短すぎ」なんだろう。全然絶望するような内容じゃないですよ。去年とは違ってたのかな。

そして質疑応答が始まると、私は一挙に旅行気分になってしまったのでした。
どこへの旅行かというと、しっくりくるのは東南アジアに来た感じ。
箱根を越えたらそこは東南アジアだったんだ。

「何? 東南アジアだと?! 失礼!」ととっさに感じた主催者側の方がいるとしたら
私は年に二回タイに行くタイ好きとして「差別ガー、偏見ガー」と抗議いたしますよ。
権利擁護に熱心な人が、別の立場では誰よりも差別心が強い、っていうのはよくある現象ですよね。

もっともここで感じた東南アジア性は、私が行くバンコクだのプーケットだので感じるものとは違うのですけど。
たとえば、ミャンマーなんかでは、日本から輸入された中古トラックが、日本語の塗装のまま走っているらしい。「○○商店」とか。それを見て日本人は「おお、そのまま走ってる」とか思うらしい。
私が感じた東南アジア性とはそういう感じです。

睡眠障害、自傷、他害、感覚過敏。
花風社的にはそこに働きかけるオプションがたくさんあり、治っている人がどんどんいる時代になってきた。
ところがここではあくまで
・薬物療法
・環境調整
の二つしか手がない状態で、みんなが「それ以外になすすべがない」という前提をあっさり受け入れて話が進んでいる。私は「治ってますか? 発達障害」の中で南雲さんに「ある時点から治る人が増えてきた」と話しています。それはたぶん、2008年から2009年にかけて兆しがあり、2010年以降は「治る人の方が多くなった」というのが実感なのですが、その感覚から見るとこの「海老踊りの二つ覚え」は東南アジアで日本語塗装の中古トラックを見たような

あ、まだ現役だったんだ!

という驚きでした。

民間療法、代替療法が悪いのではなく

「効果がない療法」が悪い。

そして検証はあくまで、効果がある方法にたどりつく目安

だと思うのですが、ここではまた別種の「正解幻想」がありました。

勉強になりました。

じゃあこの会を花風社クラスタに勧めるかどうかというと

人によっては勧めますね。
費用対効果によりますが。
私のような特殊な事情がなければ、こだまのグリーン車で出かけていくのは無駄かも。

でも近所で、リーズナブルな値段であれば、聞いておいて損はないと思います。とくに医療資源が有限だということの自覚は、吉川センセ強くもっていらっしゃって、そのへんは「敵ながらあっぱれ」でした。年金受給等を視野に入れている人なら、知っておいた方がいいことをしゃべってらしたと思いますよ。

そして質疑応答を見たらおそらく

花風社クラスタはびっくりすると思います。

睡眠障害、自傷、他害、感覚過敏。
そして今や妄想までも
私たちは本人の心身をラクにすることによって誰もしんどくない治し方をどんどん手にいれつつあります。

だから

「海老踊りの二つ覚え」を見たときには
東南アジアで日本語塗装のトラックをみたような感慨にひたれると思います。

続く