治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

さて、誤学習は治るんだけどね

2015-08-31 17:07:14 | 日記
さて、昨日書いた通り誤学習は治るんですけど

それをどう説明しようか今日考えてました。

正直、誤学習の予防(親御さん)



誤学習の解毒(成人当事者)

にはニキさんのこの四冊に勝るものはないと思うんですけど



そして私自身、ニキさんの誤学習が解けてく瞬間に立ち合ったりもしたのですが

ニキさんに真っ先に学んで誤学習を解いていった人の一人がちゅん平さんだということを思い出しました。

彼女のひ弱さが強さに変わっていったのには身体アプローチの効果ももちろんあるんだけど

誤学習が解けていって余計な体力使わなくなったっていうのもとても大きいのです。

その成長を語る四冊。

ちゅん平さんがどんな風に誤学習を解いていったのか、この本たちを読むとわかります。

とくに、左上から時計回りで読むと追っかけやすいかも。


誤学習は治りやすい

2015-08-30 11:46:59 | 日記


南雲さんのつぶやき。

治るよね、誤学習は。

というか

発達障害特性の中で一番治りやすい特性ですよね。

芋づるの端っこ。

治しやすい三本の芋づるの一本が誤学習ですよ。

ていうか

発達障害の成人と接してる社会人は、みんな多かれ少なかれ誤学習の訂正に寄与してると思うんですけど。

ただねえ

ギョーカイがむしろ誤学習を促進するからね。

というか

ギョーカイ自身が誤学習の塊だから。

でもね

ニキさんは自分の膨大な誤学習を訂正してきたよ。

それがまとまった四冊。

ニキさんが膨大な誤学習を解毒できたのは並々ならぬ言語力と社会との接触の賜物なんで

みなさんは近道のためにこの本たちをご活用ください。






誤学習ではないかもしれないけれど

2015-08-29 11:15:45 | 日記



さて、今朝いただいた遠方からのご参加申し込みでも
「土曜日だったら出席できなかったので変更がうれしいです」とのお知らせ。

そういう方もいらっしゃるし、逆にこちらのリスケで翻弄してしまった方もいらっしゃいます。

ちょっとそのあたりで気になったことがあったので一点。

10月10日のつもりで飛行機とっていた方が急きょ11日に取り直しのお手間をかけてしまたケースで、こちらを気遣ってくださって

「鹿児島での出来事がショックだったのではないか」と配慮してくださる方がいたのですが、いえいえ、それは関係ありません。鹿児島に出かけるずっと前から私はなぜか10月10日だと思い込み、その思い込みに基づいて栗本さん南雲さん自分のスケジュールも抑えていていたという。

どっちかというとこういうミスの多い人間なんですよ、私は。
その証拠に、旅先で私が怒涛のリスケをしていたときに夫は横で本を読んでげらげら笑ってました。「よくあること」「自分のミスを自分でカバーしているだけ」なのでこれは家族のとる態度としては正しいんです。

私は今回のことにくらべものにならないくらい大きなミスをこれまでもいっぱいやってきたし、その際には誠心誠意謝るし、自分で責任を取ってきました。
決してミスをしない人間ではないんです。
家族だとそれをわかっているから、横で本を読んでいられる。

そして猿烏賊の一部は「謝ったら死ぬ病」とか私のことを評しているようですが
そもそも「謝ったら死ぬ病」だったら社会人はできませんね。
謝るべきときには謝るのが当然。そして謝るべきじゃないときには謝らないのが当然です。

まあ猿烏賊にひきかえ「鹿児島でのショックが原因ではないか」と推測してくださった方は飛行機リスケしてまで来てくださる愛読者なわけですが

だからこそもしかして誤学習が隠れているといけないのでこの記事を書いてます。

「浅見さんはミスなんかしないはず。したのはショックを受けたから」

というだけの誤学習でしたらたんに私が過分な評価を受けた、で終わりなんですが
それが

「世の中でそこそこうまくやれている人はミスなんかしないはず」だとしたらもっと深刻な誤学習なわけです。

そしてそれはミスをしてしまう自分やお子さんを過剰に悲観するところにつながる。
これは避けたいなあと思うわけです。

私はとりわけミスは多いと思いますが
世の中のもっともっと成功している人たちだって、ミスはしていますよね。
ただそれを自分で責任取ってきただけ。

だから自分やお子さんのミスにたじろぐことはないんです。

私は少しの逆境でくじけている人を見ると、

「この人は苦労してこなかったんだろうなあ」と思ってしまったりします。

その原因が「他人はミスをしない」という誤学習によるものだとしたら

「他人もまたミスをしている。でもそれを全力で自分でカバーしている」という事実をお知らせする次第です。

「あんなに怖がらずにすんだのに」を教えてくれる

2015-08-28 09:33:18 | 日記
藤家寛子さんが10年前に書いた、自閉の小さな女の子を主人公にした小説
「あの扉のむこうへ」。

リフレッシュでこのブログでお知らせしたところ
読んでいただいた方から思わぬ好評をいただき、うれしい驚きです。

これも「過去を大切に」ですよね。

私がこの小説を出したいと思ったのは、藤家さんが
「こういう風に接してもらえたらあんなに怖がらずにすんだのに」という思いを込めて書いてくれたからなんだけど

私が気づかないこの小説の良さを、むしろ読者の方たちのほうがわかってくださっているみたいで

「いや、すべての本の前に読むべきじゃないですか」みたいなメッセージもいただく。

ある意味そういう小説だと思います。

木下麻奈さんの書評。南雲さんの本についてもいい書評をいただいています。



そして麻奈さんの書評を受けての藤家さん自身のブログ

藤家さん自身の親御さんへの思いが詰まった小説だったんだね。

藤家さんも10月11日に来てくださいます。受付に座っている美女の一人が藤家さん。

去年は受付以外にも、なんと設営!で大活躍して私たちの度肝を抜きましたけど。
以前は設営の間は耳ふさいでたほうがよかったような人が、今は設営のメジャープレイヤーになってしまったのですから。

当日藤家さんの本ももっていきましょう。ほしい人はそこで買うとサイン本になりますよ。

木下麻奈さんもご参加。アスペルガー医師のロンさんもご参加。
修行系の一大イベントになります。

告知後三日で定員の三分の一が集まりました。
遅くないペースだと思います。
あと四十日以上本番までありますが
ご興味のある方はどうぞお早目に。

過去を大切に

2015-08-27 09:03:26 | 日記



私は未来志向の強い人間で
自著にも「自閉っ子と未来への希望」というタイトルをつけた。
未来志向が強いことは身を助けてきた面がおおきいと思う。

でも鹿児島行って以来、「過去を大切にしよう」って思うようになったんだな~。
思えば過去を大切にしていたら、あれほどギョーカイトラウマに苛まれずに済んだわけです。

そうしたら医学部講義にこんなことが書いてあって



なるほどなあと思いましたよ。

2001年に嫌な思いをしたのを2015年まで引きずっていたのは失礼だったと思う。
誰に失礼かというと、もちろん杉山先生とかではなく
14年間頑張って本を出してきた自分に失礼だ。

その本で助かったと言ってくださる読者の方に失礼だ。

やってきたことはやってきたことなんだからね。
それは自分が培ってきた実績なのだから。


そしてここからが栗本さんの悪口なんだが(笑)
何を今さらこんなこと言ってるよ。




そうでしょ。
だから押し売りしてよかったでしょ。
いい本なんですよ。

そしてね。栗本さんにはちゅん平や大地に感謝してほしいの。
こういうしっかりした本を出してきた実績があるからね
それに対する読者の信頼があったからね
だから無名のいかがわしいおっさんの本でも売れたの。

大地もちゅん平も栗本さんより年下だけど
先人なんだからね。

私は黄色い本出したとき、神田橋先生に推薦の言葉お願いしてそのとき先生に言ったこと。




先生が推薦する価値がない、と判断しても私はこの本を出します
ということ。

最終的な責任は私がとるんだから、私が決める。
それって当たり前でしょ。

それでなんで私がそういう決断をできたかというと
それまでの積み重ねでしょ。

やっぱりね

過去は大事だと思う。
だからこういうコラージュ作ったの。



ここに載せきれないくらいまだ本があるね。
そしてその本がひとつひとつ、誰かの助けになってきた。
その事実を私は大事にしようと思います。

それにしても栗本さん




これは顔じゃないわ~

文才が違うんだから(きっぱり)。

人間関係の滋養

2015-08-26 09:13:40 | 日記



休暇前に、神田橋先生の「医学部講義」が電子書籍化されているのに気づいて買いました。
もちろん紙の本は持ってるし(サイン本)読んだんだけど
これ、つくづくいい本だし
いつでも持ち歩いているiPhoneで神田橋先生の本が読めるといいなと思って。

結果的に今読み直して正解だった。
いやあ、これは次の本を作る前に読み直してよかったな、みたいな。

先生が母校の後輩の学生さんたちに向けて年に一回講義しているのをまとめたものなんだけど
要するに講義録なんだけど
授業そのものが精神療法になってるのね。
ということは先日の神田橋杉山対談も精神療法で、私はまんまとそれに引っかかってギョーカイトラウマ処理をしてしまったんだろうな。
やられた!

ていう感じ。

まあそういう大きな器の本なんだけど、小さいところでもいろいろ疑問が解けて
些末な(?)エピソードとしては

以前は精神医療ではホモセクシュアルって治療の対象だったらしいけど
先生は治療の対象とすべきホモセクシュアルとそうじゃないケースを分けて考えていて
それは興味深かったですね。
発達障害も、本人が苦しくない方への治療は大前提として
どの程度特性をそのまんまでいいかは、やはり脳みそによるでしょうね。

それと以前から不思議に思っていたこと。

昨日あたりもイベントのお知らせを出すと、本当に皆さん遠方から来てくださって
「ブログやツイッター見てます」という方が多い。

つまり、高度にネットが発達した現代においては
イベントとか講演会って多かれ少なかれオフ会の感じがあるんですよね。

ところがね
絶対にリアルに出てこない人っているでしょ。
あるいはリアルではかかわらない集団ってある。
猿烏賊山もそう。関係がネットだけ。

一方で私は幸い、わりとネットで知り合った人とはいずれリアルで顔を合わせる機会が多いし、そういう機会はわりと嫌いじゃない。

こういう風にリアルに関係を発展させたい人とあくまでバーチャルにとどまりたい人との違いはどこにあるのか以前から考えていたんですけど

それに先生は一つの答えを出していて

それで思い出したのは

かつてはちゅん平の胃は牛肉を消化できなかったことだな。

かつて弱かったときちゅん平は、なんというか滋養がつきそうな食べ物が全部だめだった。胃が拒否するのね。あれを見てて、「高カロリーのもの消化するのも体力いるんだな」とわかりましたよ。やせっぽちなんだから食べればいいのに、と思うけど、そういう人に限って肉がつきそうなものが食べられない。食べられるのはレタスゆがいたやつとか。それを調味料なしで食べる、みたいな。

でも今は佐賀牛のたたきなんか食べておいしいとか言ってる。

神田橋先生はあくまでバーチャルな関係を「滋養のない食べ物」
リアルの関係を「滋養のある食べ物」に例えていらっしゃいます。

そしてリアルに発展する意欲がある方が生き物としては救いがあるそうだ。
滋養を求めているんだからね。

そういう場にイベントを使ってください。

今朝までお申込みの方には全員「受け取りました」というお返事をしました。
届いていなかったらご一報ください。

手続きのメールはまた後日、こちらの準備が整ってからお送りします。

大きな会場ですので皆様ふるってお出かけくださいね。

お申込みのメールと同時にいろいろ興味深いメッセージいただいていますが
またそれは追々ご紹介いたしましょう。



台風来なかったら、どうしてくれるの?

2015-08-25 08:48:38 | 日記
今度の台風はすさまじいようですね。
通り道の九州とその近辺の皆様、お見舞い申し上げます。
どうぞお気をつけて。

昨日、台風が来そうだということでちゅん平さんが書いたブログ


ああ、そういうことあったなあ、と思い出しました。
しかもこれ、もう私と知り合いになって本とか出てた頃だと思います。
それくらいへんてこな世界観をもっていたのです。

「台風来なかったら、どうしてくれるの?」とか
ワケのわからない理由で責められる親御さんもたまったもんじゃないですよね。

そのちゅん平さんは今日、タクシーで出勤していったようです。
そうだね。お店は開くもんね。
責任があるもんね。

「台風来なかったら、どうしてくれるの?」と
親御さんを責めていたころには考えられなかったことだね。

これでも「治る」のは
いけないことなんでしょうかね?

三人でのトークセッションを入れます

2015-08-25 06:44:32 | 日記



おはようございます。
本日中に10月11日のイベントご案内を出し、申し込み受付を始める予定ですが、プログラムに変更があります。南雲さんのご提案です。いい変更です。

私のミニミニ講演の内容は当日ニュースレターとして配ります。参加者の方全員に持って帰っていただけるようにします。

その代わり栗本さん、南雲さん、浅見の三人でのトークセッションを入れます。

これにコンディショニング講座、南雲さん講演と続きます。

どうぞお楽しみに!


そのままの君でいて

2015-08-24 17:08:14 | 日記




はい。「治ってますか? 発達障害」をお読みになった方はわかりますね。
これは中に載ってる図です。第一章ね。

支援に携わりながら「治すなんて間違い」と主張する人たちのメカニズムを、主として利権方面に求めてきた私ですが
鹿児島以来、ずっと私を気持ち悪がらせてきたものの正体に

「当事者萌え」

と言語化できて

これもあるんだろうなと思うようになりました。

自閉っ子が好きで好きでたまらない。
だから治らないでほしい。
でも生きづらい? じゃあ社会を変えろよ!

みたいな心理も少なくとも一部ありそう。

それ、実はわからなくないんですよ。
異文化として面白いなあ、と思ったから自閉っ子シリーズを作ったんだしね。

「コタツに入ると脚がなくなる」とか面白いじゃないですか。

でもその結果不便だとしたら
「面白いからずっとそのままでいて」って言うのはこっちの勝手でしょ。
脚が生えた方が便利だと本人が思ったらその方法を探してきてあげたい。
その結果こっちは見てて面白くはなくなるかもしれないけど本人は生きづらさが減る。
決めるのは本人でしょ。
なのに「治らなくていい」っていう支援だけしか提供されていないと悲しいでしょ。

そう思ってやってきたんだけどね。

「そのままの君でいて」

って支援者が思っているとしたら

それがたとえ利権由来じゃなくても

傲慢だと思うんだよね。


世の移り変わり

2015-08-24 16:13:42 | 日記




先日、実父が入院したとき、病室にいたらナースの方がやってきて
主治医の回診に研修医のつきそいの許可をいただきたいと言われた。

そうか今はそういうのにも患者側の許可がいるのか、と思った。
父は寝てたし母はいなかったので私が許可を出した。

許可せざるをえないでしょう。
若い先生たちにだって学んでもらわなくてはいけない。

私は医学部のある大学を出ている。在学中にも入院マターになる学生はいるしなんかたしか診てもらいやすい?らしい制度があったみたいだけど

当時は「うちの大学の病院にだけは入ってはいけない」みたいな都市伝説があった。
大学病院というところは患者を研究材料にする。入院したら学生の大教室で見世物にされるとかそういう話。同じ大学だから、一緒に飲んだり遊んだりしている仲間の前で見世物にされるとか。

真偽のほどは知らない。私は在学中入院しなかったし。(ていうか生まれてから一度も入院はしていないし。)

最近その見世物制度が「患者供覧」って呼ばれてるのを知った。

それだけでうなされそうな四文字。
残酷な、非人間的な四文字。
患者供覧。うわあ。

そして今は人権問題で行われていないらしい。
そりゃそうでしょうよ。
でも私が大学生の頃にはまだあったんだね。

それから世論が変わって、そういうことはやってはいけないことになって
今では教授の巡回に研修医がくっついてくるのさえ患者家族の許可をとるんだね。

このことを鹿児島以来よく思い出す。

どういうことかというと

今年配の先生方は、たとえそういう研修は積んでこなくても
そういうのを当たり前とする時代に育ったのであって

そうじゃない先生たちが上に立った時
ちょっとは発達障害治療も変わってくるのではないか、という期待。

独り言です。

そしてFBからも独り言拾ってきた。
この週末、大きなイベントの週だったんだね。
私は箱根行ってきました。トンボがたくさん飛んでたよ。秋だね。
噴火?直後に行ったとき黄色く濁ってた川は元通りになってましたよ。