治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

敗者よ、胸を張れ

2014-06-30 10:03:17 | 日記
さて、昨日はコロンビアvsウルグアイ戦の途中で寝落ちして
起きて仕事をしながら、とっておいた録画をちらちら見ていました。
コロンビアも強いなあ。
そしてウルグアイも最後まで全くあきらめていない。

ゲームが終わった後、ウルグアイの主将みたいな人がインタビューを受けていましたが
それがかっこよかったですね。
ユニフォームも国旗の色もブルー。サムライブルーはこっちじゃないの、と思いました。
まず勝者をたたえます。
そして敗れたりとはいえ、自分たちのパフォーマンスに誇りを持っていることをはっきりと宣言します。
胸を張って国へ帰る、と言い切る姿を見て
泣き崩れて自己否定に入った日本代表との隔たりを感じました。

なんで我が国は、敗者が胸を張れないのだろう。
敗者が胸を張れる文化があれば、もっとメンタルヘルスは向上するのでは
と思いつき
敗者が胸を張れる社会の条件を考えてみました。

まずは
成功者をきちっと祝福できる社会。

次に
努力することを評価できる社会。

難しそう。
日本社会全般でも得意技ではなさそうですが
成功者をねたむ当事者を「ありのままに」受け入れ、ねたまれている方に我慢させ
「頑張ることはいけない」としたり顔で説いて回る支援者の多いギョーカイはもっと望み薄っぽいです。

サッカー見ながらなんの原稿やっていたかというと
レジリエンスの原稿をまとめていたのですが

レジリエンスっていうのは個人差があります。
そして発達障害の人は、レジリエンスがなかなか育てにくい。

あと、男女差もあるなあと最近思います。
なんつーか、痴情のもつれっぽくなったとき、男は立ち直りが遅いよね。いつまでも引きずりますよね。
あれは性欲のメカニズムの違いが大きいのかな。

最近も某男子が振られた某女子にいつまでも粘着して某女子が迷惑しているので

「やめなよ。君は所詮ふられた男だ。彼女はもう君の説教なんかに耳を傾けん」と教えてあげました。
そうしたら「傷つくことを言われた!」とか逆ギレされました。

私はふられた人に、「君はふられたんだよ」って教えてあげただけです。
その人の経済力や社会的な立場や職業的な安定度や健康状態や容姿や家柄をけなしたわけではありません。
本日の株価とか天気とか、横綱大関安泰の日、みたいな、客観的な情報を改めて教えてあげただけです。
もちろん彼にとってはフユカイな出来事なので、彼女にしつこくしなければ、わざわざ改めて指摘しないと思いますが。

それを「傷ついた!」とか言われても
「現実を受け入れる能力をもっと養いなよ」としか言えません。
それか傷ついて傷を癒やしながらも、別れた彼女に迷惑かけないようにするくらいのことはすればいいのに。
じゃなきゃせっかくの美しい思い出まで台無し。

一生懸命彼女の悪口を言うことで憂さ晴らししているようですが
もしかつては好きだった彼女がそれほどいやな女だと思うのなら
「次はもっといい女性を見つけてやる」とでもなんとでも思って、発憤して日々、自分のやるべきことに励めばいいと思いますね。
恋をしたことは素敵だった。恋が終わったのは残念だった。でもよくあること。
ふられたことは恥ずかしくない。人格を否定されたわけじゃない。ただ気持ちが離れただけ。
堂々と胸を張っていればいいのにと思います。

でもそういうことができない土壌が日本にはあるんだろうな、と思います。
敗者が胸を張れない土壌。

私は、空気読んでないので、そういう土壌にはまったく遠慮していませんが
空気読む人の方が、無駄な苦労が多いのかも。

写真は週末の学会土産。
最近どこに行くかきかないで送り出します。
その方がお土産が楽しみだから。

ただこの方式だと、日本のどこかで大災害とか大事故とか起きたとき無駄に心配しそうですね。

でも昨日は一番危なかったのが東京だったみたいなので(笑)
安心して帰りを待っていました。

オランダvsメキシコ を見ながら研いで炊いたご飯に明太子をのせて
コスタリカvsギリシア を見ながらおいしくいただきました。

自分で確かめる事実

2014-06-29 10:55:45 | 日記
昨日は色々な分野で学会が開かれていたようですが
私も独身生活でした。
W杯も決勝トーナメントに入る週末。
ジムのあと、思い切り手抜きディナー(海草とお刺身。どっちも好物だから選んだ理由は手抜きだけじゃないけどね)を入手し、外に出たら雨が降っていました。

帰りは雨かもしれないな、と思って自転車で行くことを迷いましたが
雨に濡れることを想定してノースリーブを選んでいました。
雨に濡れそうなときは、レインコート系のものを羽織るより、ノースリーブが一番です。
布は濡れるけど、肌は雨をはじくでしょ。

小さい頃は、雨に濡れることを恐れていました。
「ぬれないようにしなさい、風邪引くよ」と周囲の大人に言われていたからです。
長じてわかったのは、私は別に体質的に雨に濡れても風邪は引かないということ。
こういうのも、自分のことは自分で確かめた方がいいです。
そのあと雨合羽系のものを着たこともあったんですけど
夏はノースリーブが一番処理がラク、という結論に達しています。

そんなわけでぬれながら帰り、シャワー浴びて着替えたらもうそれで終わり。
カンタンなもんです。
ただし念のため、手抜きディナーにスープを添えることにしました。
ニンニクをきかせたスープをささっと作ります。

そして夕食をいただいたら、ニンニク効果か
眠くなってしまいました。
やばい。
これはいったん寝る作戦よりブラジルvsチリ戦まで起きてく作戦の方がよさそう。
5時からのコロンビアvsウルグアイは録画でもいいけど
ブラジルvsチリは絶対にリアルでみたい。

いやあ、すごい試合でした。
もう始まったとたん「そうそうこれが決勝トーナメントだよ」と思い出しました。
先日までの予選リーグだってじゅうぶん見応えあったんですけど、やはり前座なんです。
本当にがぷり四つで、しかもスピードが速くて、格闘技のすごいのを90分見ている感じです。
一回一回こちらも体力を消耗する稀勢関の本割りを五つ同時にみたくらいはあはあはあしました。

その間に読者の方のブログが。
最近身体アプローチの成果でお子さんが宿題に取り組みやすくなったというお話。
私の言葉も引用されています。

別にバランスボールにのれば、すべての宿題に取り組もうとしない凸凹ちゃんがたちどころに宿題やるようになるとは思いません。
でもここのおうちの場合、宿題をぐずる坊ちゃんはたぶん、きちんと座っていられない方なんだなあ、とかねがね思っていたのです。
きちんと座れていない人は、たぶんきちんと立てていません。その身体で学校生活を送るのはつらいことになります。
宿題だってやるの一苦労です。
だからやらなくていいというのではありません。
ただそういう事情をわかっていなければいけないと思うのです。

お母様はなぜバランスボール一個で宿題がはかどるようになったのが謎のようでしたが
私はすぐにわかりました。
自分が椅子とバランスボールに座り分けてみれば、すぐにわかります。身体でわかります。
ところが皆さん、自分の身体で驚くほど確かめないのが以前から不思議だったのです。
私はチットチャットに見学に行っても、お子さんがいない時間帯には自分も遊ばせてもらうし、帰ってきたらすぐに剣玉や一本歯下駄や卓球セットを購入しました。そして自分も遊びました。
ところがバランスボールにせよそういうグッズにせよ、買い与えるだけの方も多いです。
もったいないと思います。
なぜもったいないかというと、学習方法を一つ使っていないことになるからです。
本を読む。人の話を聞く。これも学習方法なら、自分の身体で確かめてみる、っていうのも学習方法です。
こうやってバランスボールに自ら座ってみれば
一粒の卵ボーロと引き替えに宿題やらせようとする犬の曲芸系訓練よりずっと即効性があるのが確かめられるでしょう。

ただし最近、身体で学習するのが不得意な人もいるんだな、と気づいてきました。
これは仮説ですが、たぶん書字とか計算みたいに「身体で学ぶのが苦手なLDの人」っていると思いますね。
たぶんそういう人には犬の曲芸の方がわかりやすいんだと思いますね。

さて

PK戦に入っても、手に汗握る展開が続きました。
きせ関がうちの子で日本代表が近所の子ならブラジルもチリも完全によその子なんですけど
プロとしてのそのパフォーマンスには自然に畏敬の念が湧き
私は本場所と同じように正座してPK戦を見ました。

最後の最後にネイマールが決めたとき
「ドヤ」という顔をしていましたが
勝利が決定したとき、ドヤ顔が涙顔になりました。
まだ20代前半なのに
地元開催のW杯でPK戦まで追い詰められて
この若者はどれだけのプレッシャーの中で戦っていたんだろう、と見ていて涙がこぼれました。

そしてチリのチームも素晴らしかった。
平均身長は日本より低いんだそうです。
スペインvsチリ戦のとき、解説の人がチリに学べと言っていましたが
本当にそのとおりでした。
技術面でももちろん。

フォロワーさんがつぶやいていらっしゃいましたが
チリは格下で、圧倒的アウェイで、でも悲壮感とか劣等感とかみじんも感じさせない。
私がW杯が始まってからずっと感じていたのはそれなのです。
日本代表はメディアがつまらないことまで分析し、ランキングを取りざたし、愚にもつかない予想を立てる。
その中で選手が萎縮していくような、そういうパフォーマンスがピッチで出てしまうのです。
世界の格下のチームは、そうではありません。
一泡食わしてやるぜ感が満ちているのです。

ともかく、すごい試合でした。
そのあとのコロンビアvsウルグアイ戦は途中で寝落ちしました。
すっきり目覚めたので
今日も原稿作業をしようと思います。

平等

2014-06-28 12:18:00 | 日記
都議会のヤジ問題、色々発展しているみたいですね。

ヤジの被害者側の過去が取りざたされていますね。
放送作家だったんですね。

被害者の過去がどうであろうと、ヤジの悪辣さが減ずることはありませんが
もし「妊娠していると嘘をついて1500万円払わせた」のが放送作家としての作り話ではなく実話なら
それもまたセクハラだと思います。

男性の弱点。それは産めない性であるということ。
「妊娠した」とか言われたら、それが本当か、本当に自分の子か、確かめるすべがありません。
真実を知っているのは女性だけです。

いわば「産めない性である」という男性の弱みにつけこんでお金を巻き上げたのですね。

そういう人が政治家にふさわしいかどうかは私が決めることではないと思います。
所属政党の身体検査がわりと甘いんだろうなと思うし
選んだのは都民です。

ただ私は、人としてキライですね。
単純にこういう人物は人としてキライです。

繰り返しますが、だからといってセクハラ野次の被害にあっていいとは思いません。
あれは悪辣。
大きなお世話です。生き方は多様でいい。

でもそう考えていくと

そもそも晩婚だの晩産だのを政治で取り上げるのほっとけ、と言いたい気持ちもあったりします。

だって男女共同参画社会を本当にみんなが望んでいるか
私は疑問符だからです。

おじさん世代の男性は家事育児に参加するより長時間労働が好き。
その証拠に夏休みあげても会社に出てきちゃったりするらしい。

女性は生活さえできれば外でなんか働きたくないし、第一自分ではない女性が社会で活躍するの大嫌いじゃないですか。
どっちかというと祝福せずに足を引っ張る方に回る。

「ソーシャル」とか口ではご大層なこと言いながら
あくまで自分は社会保険の担い手にならずに済む範囲でしか働く気がない。

なんかみんな、自分が主張していることとやっていることが別々ですよね。

晩婚も晩産も女性が自由を手に入れた結果であって
男性にセクハラしてお金巻き上げるような政治家に口出しされたくないなあと思うし

そこに飛んだ前時代的な野次を思うと
男も女も意識は大して変わらない。
世の中は変わらないんだろうなあ、と思います。

やはり世の中を変えるより
自分が与えられたポジションで一生懸命社会貢献して
そして楽しみたいですね、私は。

地に足の着いた生活。

大事なのはそれだと思います。

お父さんも一緒

2014-06-27 09:28:00 | 日記
7月21日に第一回個人指導の日を迎えるコンディショニング講座。
再三お伝えしているように、ご希望の方に日をもうけた都度厳正なる先着順でお知らせしていますので
いつか受けたいと思う方は花風社にメールください。

基本的に親子二人一組を想定しています。
なぜこういう設定にしたかというと
せっかく小田原まで出かけて、お子さんだけ指導を受けてくるケースが多く
個人的な意見ですが私はそれがもったいないと思っているからです。

皆さんお子さんの支援には熱心でも
驚くほどご自分の疲れは後回し。
もちろん費用的なことだけではなく、お母さんが指導を受けている間にお子さんが待っていられないとかそういう問題があるのかもしれませんが
じゃあ二人分払うより費用がかからず、その分短い時間の設定で、お母さんの身体もラクになっていただきたい、というのが親子二人一組個人指導の設計思想です。

そこに親子三人で受けたいというご希望がありました。
お母さんお父さんそしてお子さん。
実は最初にお母さんが集団のコンディショニング講座にご参加。
その結果お母さんが変わって→それがお子さんに好影響をもたらして
というのにお父様がぴっくりされ
お父様も集団講座に参加ご希望なさったのです。
そして「身体がラクになったし楽しかった」と
今度はじっくり時間をかけた親子三人の講座をご希望され、特別に設定しました。

「親が疲れていると子どもへの介入が入らない」(大意)みたいなことを栗本さんが言うたびに私は
「しーっ! ギョーカイに聞かれたら怒られるよ。ご本尊に触れるから」と言っているのですが
でも実際に長年親子に携わってきた経験からはどうしても
「親が変わると子どもが変わる」と思えてしまうようです。

実はコンディショニングにせよワクワクセラピーにせよ、身体系の講座は
「父親が行きたいと言っています。もう定員いっぱいでしょうか」等のお問い合わせが多いのです。
中には「どっちかが家にいないといけないんですけど、私が行くといったらいや俺が行く、と勉強してきてくれて、子どもたちと遊んで披露を成果してくれます」みたいなケースも。
お父さんが興味持ちやすい内容なのかも知れません。
私は最初に申し込んでいたお母さんがお父さんを連れてきたいというケースは、定員突破していてもお受けしています。
もうお母さんとしては、お父さんに「一緒に行きたい」と言われただけでうれしいのです。
千載一遇のチャンスじゃないですか。

そして某地方に行ったとき聞いたお話を思い出しました。

一応支援の先進地域と呼ばれるその地域。
講演とかも多いそうです。
でもそのうち、父親は行かなくなってしまった。啓発講演にいくら出ても「社会が理解すれば」しか言われない。
今このときから我が子に何をしてやれるかの視点が全然ない講演ばかり。
そうやって父親たちは親の会から遠ざかっていく。
でも花風社関連の情報は、今このときから何ができるかが豊富で助かる。

ある意味、一家を経済的に支えることが多いお父さんたちは、社会にもまれています。
私のような小商人より上とか下とか顧客とかと複雑な調整になれている方もいらっしゃるでしょうし
少なくとも著者に手紙の転送を頼むのに依頼の手紙も切手貼った封筒もつけてこない非常識な労働者である医者に、ドヤ顔で「その子らしさを活かす子育て」とかなんとか言われてもぴんとこないんじゃないでしょうか。

だからお父さんたちが啓発系のセミナーに出なくなってしまうというのはわかるのです。

そして今度のように
「妻が先に参加。妻自身の変化と子どもへのいい影響にびっくりして自分も参加してみたい」
みたいなケースが、うれしいなあと思うのです。
ご夫婦そろって前を向いていけるって、強いと思うのです。

「親が変われば子が変わる」っていうことを被害的に取ってご本尊振り回す人もいるんでしょうけど

どっちもそろってラクになることはどう考えてもいいことですよね。

個人的肩こり解消法

2014-06-26 09:33:45 | 日記
私は身体のあちこちが痛む経験があまりない人で
たぶん腰痛は、生まれてから一度もないと思う。
腰がどこにあるかは知っている。そこが痛むということがどういうことか、今ひとつわからない。

肩こりは、若い頃は経験皆無だった。
なんのことかわからなかった。
その後たまに「ああこれが肩こりか」とわかるようになった。

でも宵越しの肩こりは持たない。
寝たら治る。

ただしその日のうちに肩こりを治したいときに、親から受け継いだ方法がある。
マッサージ? それも効果はありそうだけど費用もかかる。
実はそれよりは安上がりで一番たちどころに効果があるのは水泳である。
これを教えてくれたのは母である。
「水泳すると肩こりがとれる」と教えてくれた。そして本当にその通りだった。
泳ぐ時間がとれないこともあるけど、とれるときには泳ぐと肩こりはたちどころに消える。

というわけで自分の中では
肩こり=泳ぎに行く時間あるかな、だったんだけど
メカニズムは考えなかったんだけど
コンディショニング講座を始めて、どうして効果があるのかがわかった。
脱力しやすいからでしょうね、水の中では。

コンディショニング講座を始めてわかったこと。
力の出し入れって大事なんだ、健康維持に。

なんていうこと思っていたら、昨日fBでお友だちが検査の結果力を抜くのがうまくいっていないことに気づいたとのお知らせ。
発達凸凹の方にはよくあると思う。力の出し入れが自由自在に行かない人。ちゅん平もそう。
この方には個人指導の申し込みをいただいていた。

厳正なる先着順でやっているので、一度目にはご案内できなかったけれど、二度目にはお声をおかけすることができそうだ。
力を抜くことを栗本さんに習って帰ればいいと思います。

ところで、「水泳すると肩こりが治る」という小さなEBMどころか小さな民間療法。

今のところn=3です。
でも効果はほぼ100%。

思うにこういう養生のコツを探してみようよ、ていうのが神田橋先生のおっしゃること(の一部)であり
それで確実に心身はラクになる方法が見つかるわけで

それをすべて「トンデモ」と嘲笑して、結果治さないのが吉川徹に代表されるようなギョーカイ的な何ものかなのだと私は解釈している。

愛知の方で吉川徹を嫌っている人の話では
何がいやかって、「この子は一生廃人だ」みたいな宣言を平気ですること。
重度だから、とか。

それが親の立場で療育を丹念に入れてみると
愛らしくなる。
コミュニケーションが成り立つ。

絶望売りの医療より、できることが親御さんにはいっぱいありますね。
そして本人にも。

写真は栗本さんのツイートのスクショ。
昨日は蹲踞をご紹介したけど
このポーズも、できない人いっぱいいます。
できても数秒しか続かない、とか。

こういうポーズができない・続かない人が普通に労働すると
そりゃあ、腰痛とうまくつきあう方法を知っておいた方がいいです。

本当に発達障害は身体障害だなあ、と思いますよ。
だからそこへのアプローチが即効性あるのは当たり前でしょうね。

自閉の神様の降ろし方

2014-06-25 08:58:43 | 日記
昨日は自閉の神様の訪れを待っていたのですが、いらっしゃいませんでした。
自閉の神様はふっと現れますが、どうしても知恵がほしいときは、人工的に降ろすのを促す方法があります。

1 ぎゅうぎゅう考える
2 汗をたっぷりかく
3 泳ぐ
4 御神酒を供える

これで結構、起きたときには脳内に降りていらっしゃることがあります。あとはそれをパソコンに落とせばいいだけ。

でも昨日は、この儀式を行ったにもかかわらず、降りていらっしゃいませんでした。
W杯のため起きたのが午前一時だったことにも関係があるかもしれません。

とか思いながら棒人間会議を終えたら栗本さんがこんなことつぶやいていらしゃるし

夜になって夫に「今日は自閉の神様が降りてこなかった」と言ったら
「サッカーの雑念が入ってるからじゃないの?ていうかサッカーみすぎじゃね? なんでそんなにみる暇あるの? 社会人なのに」(大意)とか言われて

そうかあ、やっぱり見過ぎかも、と思って、一日休むことにしました。

そして思いました。
私ってやっぱり素直だね。よく人の言うこと聞く人だね、うん。


あっと日本戦か。

まあどっちでもいいや。五時なら自然に起きていてもおかしくない時間だしなあ、と思いました。

そして昨日はまた汗→御神酒コースで寝て、起きたらちょうど五時。
土鍋でお米を炊きながら日本戦を見ていました。

まあ、実力差。それだけの話。

私にとってW杯は、正直日本が出ても出なくてもどっちでもいいんです。
世界トップのプレイヤーが集まるお祭りというのが一番の楽しみだから。
お祭りに近所の子が出てたら、そのパフォーマンスがつたなくても、一応応援しますわね、近所だし。
そんな感じ。
きせ関に関する思いにははるかに及びません。きせ関はカテゴリー的に「うちの子」なので「近所の子」とは思い入れが違います。

正直メディアの盛り上げにのれなかったのは
私が一時から起きて全試合観るようなひとだからかもしれません。
他のチームの実力がわかってしまうので。
日本戦しか見ない人は逆に、相対化の機会がなくて、その分期待できちゃったりするのではないでしょうか。
「自分の相撲を取る」と東の正大関が言えば、「そうだそうだ。そうしたら勝てる!」とか思います。
でも今の日本代表は、そういうレベルじゃない。

そもそもサッカーという競技、私は本当に見るのが好きなんだと今回つくづく自覚しているのですが
ある意味双極性みたいなスポーツです。
大チャンスのすぐあとに大ピンチが来るスポーツなので、日本人にはきついと思います。
今日も敗戦後のインタビューで誰か選手が(よく把握していない)「応援してくれた人たちに申し訳ない」とか言っていましたが
そういうメンタリティが決定的にそぐわない競技のような気がするんです、素人なりに。
強豪国の選手を見ていても、パスミスしてもシュート外してもファウル取られて相手にPK与えても「わりいわりい」なんてチームメートに謝っている人はいません。
ミスしたらすぐ切り替えなきゃやられてしまう競技です。それが90分続く。
反省に重きを置く教育文化の中では育みにくい資質です。

だから「絶対に負けられない戦い」とか「応援してくれた人に申し訳ない」みたいな言動が受けてしまう国が強くなるのって難しいなと正直思います。
それでもちょっとずつ強くなっていますよね。

まあそんなわけで、私も久しぶりにちゃんと寝たので
今日は自閉の神様が降りてきそうな気がします。
ふだんのW杯期間と違って、今回はわりと仕事しているんですよね。

そして本物のW杯が始まるのはこれからですよ。

=====

今日のメインの写真のきせ関。
皆さんこのかっこ、真似してみてください。できますか?
自閉っ子にまねしてもらってください。いろんなことがわかります。
これもアセスメントです。

東京都議会の吉川徹

2014-06-24 04:38:52 | 日記
と呼ぶことにしました。
昨日の夕方いっぱいテレビに出てたあのヤジを飛ばした都議のことをです。
集団にまぎれて、自分だとばれないと思ってヤジを飛ばしてた。
でもばれてしまった。
当時名大病院、現愛知コロニーの吉川徹医師とまったく同じパターンじゃないですか。

いや、都議より吉川医師はもっと性質が悪いかも。
自民党のトカゲのしっぽ切りというか、そういう方針で担ぎ出されたっぽいとはいえ、一応都議は名乗り出た。時間差があったから卑怯に見えるけど名乗り出たたことは名乗り出たんです。
かたや吉川医師はすっぱ抜かれて黙った。もっと情けないですね。


あれから五年ですよ。
この五年間、神田橋先生の考え方、治療が発達障害の世界に持ち込まれて、どれだけたくさんの人が助かったでしょうか。
五年前、「自分たちが気に入らない」というだけでそれを阻もうとした人たちがいたこと
その中には匿名でヤジを飛ばしていた医師もいたことを覚えておいてくださいね。

なんだかんだ五年。
五年経ってもなんで私が吉川徹の名前を出し続けるか。
その理由の一つは、彼らが間違っていると言い続けるためです。
あれから彼らはだんまりしました。
犬の曲芸的理論に則ってね。
私は攻撃されるまで、彼らの存在は知らなかった。吉川徹なんて箱根のこっちでは聴いたこともない名前でした。
売られた喧嘩を買っただけなんですけど、なぜ私が反撃をやめないかについて
彼らは間違った仮説を立てている。
「きっと構ってちゃんだからだ」。
そこがもう、アセスメントの間違いなんです。

私はどっちかというと、最初から構ってほしくなかったですね。
治したい人のために出した本だから
治らないことを選ぶ人は読まなければいいだけの話。
大大大博士祭りなんてやってくれなくてよかったんですよ。まあ結果的には宣伝になりましたが。

それでも彼らはアナログなアセスメントが下手だから、私が構われたがっていると仮説を立て
そして彼らの信奉する犬の曲芸理論に従って、一生懸命無視してる。
そうしていれば、そのうち私が飽きるとか、収まるとか思っているんです。
言っておくけど私は全く飽きませんよ。
犬の曲芸理論は、限定的な場では有効な場面もあるかもしれない。
でもそれですべてことを収めるのは無理です。
私がいい例です。

つまりね
私の問題行動(彼ら的にはね)は犬の曲芸理論では収まらないんです。
ABAが唯一のエビデンスガー、ドヤ、っとしてそこに固執し
他のやり方(神田橋先生の方法とか)を排斥するからこそ解決できない問題がある。
なのに「解決できない」ことにあぐらかいているから

・治さない医療
・伸ばさない療育
・就労させない就労支援

のないないづくしになっちゃうんですよ、このギョーカイは。
私は「治りたい」人たちの存在を知っています。
「しっかり修行して社会に適応したい」人の存在を知っています。そういう人がお客なんですから。
だからそのお客様に向かって、「ギョーカイってこういう人たちですよ」と提示し続けているんです。

私が自閉症者に攻撃されていたとき、そしておめでたくも「あれだけ予約の取れないクリニックがついているのだからいつか治るのだろう」なんて考えていたとき
裁判を決心させたのは「よこはま発達クリニック」の封筒に入って送られてきた一通の手紙(いや、手紙じゃ内ですね、私には一言の挨拶もないんだし)でした。
そのとき目覚めたんです。
こういう社会的常識のない人たちが、治せるわけがない、って。

その決心を促した封書を私は今でも「サラエボの銃弾」って呼んでいるんです。
あれでその後ががらっと変わったから。

一次障害は治らない。治るのは二次障害、とギョーカイは言います。
でも二次障害も別に治していません。
大人になったら治らない、とギョーカイは言います。
でも別に子どもも治していません。
犬の曲芸訓練で治るわけないんです。
環境調整だけで、どうにかならない問題があるんです。
本人をラクにする手段を探らないといけないんです。
なのに他のものの参入は拒む。何かを守りたいのでしょう。社会に適応したいと願う当事者の希望以外の何かをね。

私はこぼれ球を拾ったらすぐカウンターに入るタイプですから
箱根のこっちで聞いたこともない医師の主張が「エビデンスガー」であり「家事のできる引きこもり」であると知ったとき
そして愛知県の地元でも、修行系の皆様には吉川徹の評判が悪いと知ったとき
それでも一方で匿名ヤジ飛ばし野郎であることを伏せて「ペアレントメンター」とかやっちゃっているって知ったとき

ああ、こういうメンタリティだから神田橋先生の考え方がギョーカイに入ってくるのを嫌ったのだろうな、と思ったし

だったら反撃として、徹底的にそれを指摘し続けようと思っています。
それで五年間やってます。
今後もずっとやります。
それがあのとき「なんとか治る人が増えてほしい」と願ってした仕事を攻撃された者の社会的使命だからね。
私は屈託なく、「治る人が増えてほしい」と思っただけです。
それであの本を出しただけです。
その屈託のなさを見抜ける人はちゃんといるんです。
吉川や猿烏賊に見抜けないだけで、もっと人を見る目のある人はいるんです。
私はその点、わりと楽観的です。
だって花風社の本は読みつがれているのだから。
新刊が出たら必ず買ってくれる方たちがいるのだから。

五年でも十年でも、自分がギョーカイを離れても
私は観察し続けますよ。
あのとき神田橋先生のやり方を頭ごなしに拒否した人と
ちょっと興味持った人と
しっかり自分の血肉として採り入れた人の行く末をね。

私はしつこいんですよ。
そして強みは弱みの裏にあります。
それから私には、しつこさを追求するだけの基礎体力もあります。
神田橋先生や栗本さんのようなプロが見抜くとおりパワーもあるし
宵越しの疲労を持たない回復力にも恵まれています。
それを存分に活かして
ずーっとこれを続けることが、私の欠点を世の中に役立てることなんです。
欠点を世の中に役立てるのが「資質の開花」の一形態であることは
私がこの五年に学んだことなので。
その一つの成果が
「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」なんですけどね。



すぐれた変人

2014-06-23 10:00:00 | 日記
忘れてた。

愛甲さんから「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」の感想をいただいていたのでした。

貼ります。

なんでこれを思い出したか。
それは最近のブログの記事とそのコメントを読んでいて
ありきたりの凡庸な価値観(誰とでも仲良く、失敗したら反省etc)を疑わないことって、アナログなアセスメントの邪魔をするなあ、と思ったからです。

私が「発達障害者は変人枠を目指せ」と言うと
それさえ被害的に取る人がいます。
まあ中には、私の言動を全部被害的に取ることで(下手な)自己治療をし続けている人もいるんですけど、もし本当に被害的に取っていたら、たぶんその人は「アナログなアセスメント→幸せ」から遠ざかろうとしている。

だって別に変人枠って悪いことじゃないし、もっと言うと珍しいものでもありませんから。
いいこともいっぱいありますから。
カタギの皆さんが通勤している時間にサッカー見てたり。

愛甲さんの感想には神田橋先生の変人に対するお考えも入っているので、これが一番わかりやすいと思います。

=====

笑ってしまう箇所がいたる所にありました。
それと目から鱗の箇所がいたる所にありました。
さすが浅見さん!
ニキさんも藤家さんも素敵です。
すばらしい本が世に出ました。
この本はこれから先もずっと読み続けられていくことでしょう。

「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」は、すべての自閉っ子やご家族に読んでいただきたい本です。
ニキさんと藤家さんのお二人は、浅見さんと出会い、本作り(言語表現)を通して、それまで気づかなかった己(独特な認知特性や身体特性)と出会い、人々と自閉っ子の不思議な生活世界を共有できるようになって、資質が開花していく方向に生きられるようになりました。
そのおかげで心身ともに健康になっていっていきました。

当事者にしかわからないことって結構多いと思うのですが、当事者にとってはあまりにも当たり前すぎることなので、自分では気づけていないことが多いのです。
自閉っ子シリーズは、そういった意味からも当事者や家族にたくさんの気づきを与えてくれる本だと思います。
神田橋先生はおっしゃっています。自閉っ子が「平凡な人」になろうと頑張ると「ヘンテコリンな変人」になっていきます。「すぐれた変人」を目指すのが心身健康になっていく秘訣だそうです。

「ヘンテコリンな変人」だったニキさんと藤家さんのお二人が「すぐれた変人」になっていった経緯が読み取れて、大変興味深く読ませていただきました。
よい本を作っていただいてありがとうございました。

白馬に乗った王子様

2014-06-22 06:52:04 | 日記
超話題になっている「アナと雪の女王」、かけらも興味が感じられなかったんですけど
昨日ある記事を見て、YouTubeまで「レリゴー」を見に行きました。

そしてたぶん、これは私が見てもあまり感動するところのない映画のような気がしました。
元々なんで避けてきたかっていうと
「白馬に乗った王子様を待つのではなく女性が自らうんぬん」と言った説明がくっついていることが多く
なんかフェミニストっぽいもののような偏見があったからです。
再三言っているように、私はフェミニズム周辺に賛同する気持ちがまったくありません。

でもそれは男性優位の社会を肯定するのではなく
法的には平等であるべきだと思っています。当たり前ですが。
ただし男と女は絶対に違いがあるということは強く意識している方だと思うし
何より社会人の初め頃に「女の敵は女」という経験をいっぱいしたので
基本的に女性が嫌いなんですね。女性の集団とか女子トークが。

レリゴーの歌詞から察するに、
世の中には「本当の自分」を抑えている人が多くて
だからその「本当の自分」を抑えなくていいんだよ、というメッセージに感動するのだと思います。

でも私に言わせると「本当の自分」を抑えるのは、自由意思による選択の結果なんです。
悪口言われないように、とか、孤立しないように、というリスク回避の結果自分で自分の表現を抑える生き方を選んだのであって
そこに被害者意識を持つ方が変ですね。
自分の選択の結果には
自分で責任を取ってもらいたいもんです。

レリゴーの歌詞の中にはperfcect girlっていうのがありましたけど
なれもしないperfect girlを目指すつもりなんか私は一生に一度も抱いてこなかったので
そういう意味でないものねだりはしてこなかったし、その分不満をわりと抱えていません。
神田橋先生に言われた「あなたのように開き直っている人は健康なのよ」という言葉は、そういうことなのかもしれません。

私は嫌われ者の自分を肯定しています。
そして皆さんに対しても、自分が嫌われ者であることを隠していないし
むしろ私のことを嫌っている人はこういう人たちですよ、と情報を開示しています。
その結果どういう道を選ぶか、皆さんの道しるべとなるように。
嫌われ者という私の性質を、情報として精一杯社会に役立ててほしいからです。

孤立は恐れず旗幟を鮮明にしてきましたが
その結果わかったのは
旗幟を鮮明にしても別に孤立はしないということです。
むしろどんどん出会いがやってきます。向こうから。
自分をさらけ出した方が仲間は増えるのではないかというのが偽らざる実感です。

なんで女の敵は女だと考えるようになったかというと
自ら「悪口」や「孤立」を恐れて自分を抑えるような生き方を選びながら
それに沿わない生き方をする異分子を集団で排斥する性質が女性の集団にはあるからです。

ある人に「私は女性が嫌いだ」と言ったら
「自分のことが嫌いなのか」と言われました。
そうではありません。私は女性に生まれてよかったと思うし、今の社会女性の方がトクなことがいっぱいあると思います(男性の方がトクなこともいっぱいあると思いますが)。
ただ、女性たちが持つ同調圧力と、本当は自分もそこから逃れたいのに、逃れて我が道を行っている人を見ると集団で非難するあのどっちつかずの態度が嫌いなのです。どっちかにせい、っていう感じです。

そしてそういう目にあったとき
いつもその集団のばからしさを指摘し、そこから救い出してくれたのは男性でした。

というわけで私には
「白馬に乗った王子様」の方がどうしてもリアリティがあるんですよね。

もっともこのギョーカイは
肝っ玉母さんが多い反面、うじうじした男の宝庫で
男女が入れ替わってしまっているところがありますが。

ところでlet it goの訳が何かと話題になっていますが
(私は日本語版まだ聴いていません)

あれはむしろ、「もう隠さない」っていうことなんじゃないかな。

それだけ隠している人多いんでしょうね。
私は何も隠していないから、私にはlet it goは釈迦に説法です。

自分的には、ネットでもリアルでも振る舞いを変えていないつもりですが
人によって「違う」という人もいれば「そのまんま」という人もいます。
その方の解釈によるのだと思いますので
違うかそのまんまか、自分では興味がありません。
私ではなく、相手の方の解釈や人間観によることだと思っているからです。
別にリアルの私が毒舌ではないとは全く思わないしね。

それよりも

発達障害の人にせよ女性にせよ、もっと力をつけたければ
必要なのは団結ではなく、むしろ
お互いの生き方への健全な無関心じゃないんでしょうかね。

いじめられる側の防衛権

2014-06-21 09:26:14 | 日記
おとといは画伯と読者の親子のかたと四人でランチ。
そして昨日は上京中の栗林先生とランチでした。
10日を過ぎたW杯生活もだんだん慣れてきました。
一時に起きるとまずお米を研いでお味噌汁を作る。一試合目が終わると土鍋を火にかける。
二試合目のハーフタイムにお魚を焼く。
二試合目の後半を見ながらおにぎりを作る。
とか構造化できるようになってきました。
こうすると二試合目が終わるころには朝ご飯もお弁当も準備が整っています。

普段と違うのは食事の時間が全部前倒しになっていることでしょうか。
夕方四時半か五時頃夕飯を食べてしまい、七時か八時まで仕事して、それから汗をがーっと流して金色の缶に入ったお薬を飲んでがーっと寝る。
そして一時に起きる。
このパターンです。

ふだんはW杯の時期はあんまり仕事しないんですけど、今回はこのパターンで結構仕事とも両立していますね。
変人枠で働くこともだんだん効率が良くなっていくのでしょう。

さて、そんな中で昨日、栗林先生とランチデート。
大地君の担任を離れ、今はかなり毛色の違った現場にいらっしゃるようですが
相変わらずお元気に仕事に取り組んでいらっしゃるようです。

そして栗林先生には、「からだおたく」(by もりしーさん)の話が通じるのがうれしいです。
やっぱり学校現場に、子どもたちの足裏の発達とかそういう視点を持っている先生がいると、子どもは治っていくよね。

そして治っていく子を見たことがない人は、それが自分の方向性の間違いだと一生気づかずに
「障害は治らない」という思い込みを強くしていくのでしょう。

それと栗林先生のいいところは
教師離れした(ほめてます)柔軟性かな。

たとえば
「悪いことをしたら反省する」とか
「同じ失敗を繰り返さない」とか
「友だちと仲良くする」とか
「いじめられてもやり返すと相手と同じレベルになってしまう」とか

ある種の子どもたちの資質の開花を阻んでいる学校や家庭の建前教育にとらわれていませんね。

「いじめられる側の防衛権」について栗林先生に語ってもらった一文は
「自閉っ子のための友だち入門」に収められていますが

もうちょっとこういう柔軟な考え方が許される現場が増えるといいな、と思います。