さて、昨日はコロンビアvsウルグアイ戦の途中で寝落ちして
起きて仕事をしながら、とっておいた録画をちらちら見ていました。
コロンビアも強いなあ。
そしてウルグアイも最後まで全くあきらめていない。
ゲームが終わった後、ウルグアイの主将みたいな人がインタビューを受けていましたが
それがかっこよかったですね。
ユニフォームも国旗の色もブルー。サムライブルーはこっちじゃないの、と思いました。
まず勝者をたたえます。
そして敗れたりとはいえ、自分たちのパフォーマンスに誇りを持っていることをはっきりと宣言します。
胸を張って国へ帰る、と言い切る姿を見て
泣き崩れて自己否定に入った日本代表との隔たりを感じました。
なんで我が国は、敗者が胸を張れないのだろう。
敗者が胸を張れる文化があれば、もっとメンタルヘルスは向上するのでは
と思いつき
敗者が胸を張れる社会の条件を考えてみました。
まずは
成功者をきちっと祝福できる社会。
次に
努力することを評価できる社会。
難しそう。
日本社会全般でも得意技ではなさそうですが
成功者をねたむ当事者を「ありのままに」受け入れ、ねたまれている方に我慢させ
「頑張ることはいけない」としたり顔で説いて回る支援者の多いギョーカイはもっと望み薄っぽいです。
サッカー見ながらなんの原稿やっていたかというと
レジリエンスの原稿をまとめていたのですが
レジリエンスっていうのは個人差があります。
そして発達障害の人は、レジリエンスがなかなか育てにくい。
あと、男女差もあるなあと最近思います。
なんつーか、痴情のもつれっぽくなったとき、男は立ち直りが遅いよね。いつまでも引きずりますよね。
あれは性欲のメカニズムの違いが大きいのかな。
最近も某男子が振られた某女子にいつまでも粘着して某女子が迷惑しているので
「やめなよ。君は所詮ふられた男だ。彼女はもう君の説教なんかに耳を傾けん」と教えてあげました。
そうしたら「傷つくことを言われた!」とか逆ギレされました。
私はふられた人に、「君はふられたんだよ」って教えてあげただけです。
その人の経済力や社会的な立場や職業的な安定度や健康状態や容姿や家柄をけなしたわけではありません。
本日の株価とか天気とか、横綱大関安泰の日、みたいな、客観的な情報を改めて教えてあげただけです。
もちろん彼にとってはフユカイな出来事なので、彼女にしつこくしなければ、わざわざ改めて指摘しないと思いますが。
それを「傷ついた!」とか言われても
「現実を受け入れる能力をもっと養いなよ」としか言えません。
それか傷ついて傷を癒やしながらも、別れた彼女に迷惑かけないようにするくらいのことはすればいいのに。
じゃなきゃせっかくの美しい思い出まで台無し。
一生懸命彼女の悪口を言うことで憂さ晴らししているようですが
もしかつては好きだった彼女がそれほどいやな女だと思うのなら
「次はもっといい女性を見つけてやる」とでもなんとでも思って、発憤して日々、自分のやるべきことに励めばいいと思いますね。
恋をしたことは素敵だった。恋が終わったのは残念だった。でもよくあること。
ふられたことは恥ずかしくない。人格を否定されたわけじゃない。ただ気持ちが離れただけ。
堂々と胸を張っていればいいのにと思います。
でもそういうことができない土壌が日本にはあるんだろうな、と思います。
敗者が胸を張れない土壌。
私は、空気読んでないので、そういう土壌にはまったく遠慮していませんが
空気読む人の方が、無駄な苦労が多いのかも。
写真は週末の学会土産。
最近どこに行くかきかないで送り出します。
その方がお土産が楽しみだから。
ただこの方式だと、日本のどこかで大災害とか大事故とか起きたとき無駄に心配しそうですね。
でも昨日は一番危なかったのが東京だったみたいなので(笑)
安心して帰りを待っていました。
オランダvsメキシコ を見ながら研いで炊いたご飯に明太子をのせて
コスタリカvsギリシア を見ながらおいしくいただきました。
起きて仕事をしながら、とっておいた録画をちらちら見ていました。
コロンビアも強いなあ。
そしてウルグアイも最後まで全くあきらめていない。
ゲームが終わった後、ウルグアイの主将みたいな人がインタビューを受けていましたが
それがかっこよかったですね。
ユニフォームも国旗の色もブルー。サムライブルーはこっちじゃないの、と思いました。
まず勝者をたたえます。
そして敗れたりとはいえ、自分たちのパフォーマンスに誇りを持っていることをはっきりと宣言します。
胸を張って国へ帰る、と言い切る姿を見て
泣き崩れて自己否定に入った日本代表との隔たりを感じました。
なんで我が国は、敗者が胸を張れないのだろう。
敗者が胸を張れる文化があれば、もっとメンタルヘルスは向上するのでは
と思いつき
敗者が胸を張れる社会の条件を考えてみました。
まずは
成功者をきちっと祝福できる社会。
次に
努力することを評価できる社会。
難しそう。
日本社会全般でも得意技ではなさそうですが
成功者をねたむ当事者を「ありのままに」受け入れ、ねたまれている方に我慢させ
「頑張ることはいけない」としたり顔で説いて回る支援者の多いギョーカイはもっと望み薄っぽいです。
サッカー見ながらなんの原稿やっていたかというと
レジリエンスの原稿をまとめていたのですが
レジリエンスっていうのは個人差があります。
そして発達障害の人は、レジリエンスがなかなか育てにくい。
あと、男女差もあるなあと最近思います。
なんつーか、痴情のもつれっぽくなったとき、男は立ち直りが遅いよね。いつまでも引きずりますよね。
あれは性欲のメカニズムの違いが大きいのかな。
最近も某男子が振られた某女子にいつまでも粘着して某女子が迷惑しているので
「やめなよ。君は所詮ふられた男だ。彼女はもう君の説教なんかに耳を傾けん」と教えてあげました。
そうしたら「傷つくことを言われた!」とか逆ギレされました。
私はふられた人に、「君はふられたんだよ」って教えてあげただけです。
その人の経済力や社会的な立場や職業的な安定度や健康状態や容姿や家柄をけなしたわけではありません。
本日の株価とか天気とか、横綱大関安泰の日、みたいな、客観的な情報を改めて教えてあげただけです。
もちろん彼にとってはフユカイな出来事なので、彼女にしつこくしなければ、わざわざ改めて指摘しないと思いますが。
それを「傷ついた!」とか言われても
「現実を受け入れる能力をもっと養いなよ」としか言えません。
それか傷ついて傷を癒やしながらも、別れた彼女に迷惑かけないようにするくらいのことはすればいいのに。
じゃなきゃせっかくの美しい思い出まで台無し。
一生懸命彼女の悪口を言うことで憂さ晴らししているようですが
もしかつては好きだった彼女がそれほどいやな女だと思うのなら
「次はもっといい女性を見つけてやる」とでもなんとでも思って、発憤して日々、自分のやるべきことに励めばいいと思いますね。
恋をしたことは素敵だった。恋が終わったのは残念だった。でもよくあること。
ふられたことは恥ずかしくない。人格を否定されたわけじゃない。ただ気持ちが離れただけ。
堂々と胸を張っていればいいのにと思います。
でもそういうことができない土壌が日本にはあるんだろうな、と思います。
敗者が胸を張れない土壌。
私は、空気読んでないので、そういう土壌にはまったく遠慮していませんが
空気読む人の方が、無駄な苦労が多いのかも。
写真は週末の学会土産。
最近どこに行くかきかないで送り出します。
その方がお土産が楽しみだから。
ただこの方式だと、日本のどこかで大災害とか大事故とか起きたとき無駄に心配しそうですね。
でも昨日は一番危なかったのが東京だったみたいなので(笑)
安心して帰りを待っていました。
オランダvsメキシコ を見ながら研いで炊いたご飯に明太子をのせて
コスタリカvsギリシア を見ながらおいしくいただきました。