治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

現実的なセルフエスティーム

2014-02-28 08:31:02 | 日記
昨日読者の方からうれしいメールがありました。
「発達障害は治りますか?」以降の読者の方だそうです。

花風社の本を手がかりに、脳と身体がラクになった。
自分でも発達を感じる。

そして最近、このブログで藤家さんが他の自閉症者の犯罪について聞いても動揺しなくなったと書いてあったのを見て気づいたけど

自分も平気になっていた、
これも発達なんだ、という発見です。

前は他の自閉症者が犯罪を犯したというニュースが入ると
自分は違うんだとわかっても
心臓がドキドキしていたそうです。

そうだよ。
これが発達だよ。
ちゃんと自他の区別がついてきたんでしょ。
まともな、現実的なセルフエスティームが育ってきたんでしょ。

そもそも最初からまともなセルフエスティームを持っている人間にとっては
自分と同じ属性の人の犯罪が言及されるだけで騒ぎ立てる姿を見て意味不明なんです。

それがなにがしかの劣等感というか、そういうものから発するのなら
その劣等感はなくなっていった方がいいものじゃないですか。
少なくともその劣等感を肯定することが支援だと私には思えませんね。

だから支援者のお仕事はその劣等感に合わせて報道統制するより
「同じ障害の人が犯罪を犯そうと、あなた方は法を守る力があるのだから良き市民として生きていけばいいだけ」と、ごくごく当たり前のことを
わかりやすく教えて
遵法教育してあげたらいいだけじゃないですか。
たとえば
「誰かを嫌いになるのはかまわない。ただその人に関して空想のことをネット上に書くと罪に問われる」とかね。

それをなんで一般人の知る権利を犠牲にしてまで報道統制に走るかね。
それを私は「死んだふり」と呼んでいるんですよ。
社会的な責任感を欠いているという意味で。

根本にあるのは「当事者は成長できない」って視点っていうことでいいんですかね?
ずいぶんバカにした話ですね。
「治らない派」の根本には
当事者をバカにした態度がありますよね。

さて

本日はペガサスさんで利用者さん向け講演です。

簡単なレジュメ書きました。

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ペガサスで話すこと

○社会とは饗宴である(絵はがき)

○欠点も強みである(神田橋先生「発達障害は治りますか?」)

○自分の得意な学習方法を知ろう(「活かそう! 発達障害脳」)

○自分の身体的なアセスメントをしよう(「続自閉っ子、こういう風にできてます!」
「続々自閉っ子、こういう風にできてます!」)

○世の中への恨みを知性的に解決する(「自閉っ子、えっちらおっちら世を渡る)
統計の感覚を持つこととブラック企業(ニキさんの最近の解決方法)

○思考の切り替えで解決できない場合は身体的に解決する(「伸ばそう! コミュニケーション力」)

30歳からの社会人デビュー に見る藤家さんの変遷(短所も含めて、資質を見事に活かした例)

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うん。いい話になりそうだ。
それと絵はがきができあがっていてよかったです。

行ってきます!

追伸 4月6日お申し込みの皆様、ありがとうございます。週末にお返事出しますね。
よろしくお願いいたします!

花風社の原点

2014-02-27 11:43:30 | 日記
先日行われました18周年おしゃべり会の自分がしゃべったパートを38分だけ文字起こししてみました。
よろしければどうぞ

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創立18周年の日に

 今日は皆さん遠いところからもお越しいただきありがとうございます。
 今日で花風社はなんと18年目を迎えました。本当に皆様のご愛顧の賜と感謝しております。ありがとうございます。
 18年前の今日、自分が何をしていたかというと、たぶん司法書士さんに「はい登記できました。今日です」みたいなこと言われて「ああ、できたのか、2月23日が創立記念日なのか」とか思っていたと思います。なぜかというとそのときに私はすでに超忙しかったんですね。前の会社を辞めるということになったときに、いろいろな方が仕事をばっとくださったんです。
 起業当時って苦労する方が多いんですけど、今よりは出版界も状況がよかったんですね。私は当時著作権のエージェントをやっている会社にいて、その前には出版社にいたんですけど、独立するってご挨拶に行ったとたん皆さん仕事をくださるとか、そういう感じのいいスタートを切れたんですね。
 前の年の12月31日に辞め、12月20日くらいから有給採っていましたが、その時点ではすでにめちゃくちゃ仕事抱えていて、お正月もないくらいでした。そういう状態で働いていました。
 よく考えてみたら仕事をくれた皆さんは、エージェントとしての私を知っていたけれども、編集者としては力量がわからないし、なんとそのときに翻訳一冊もやったことないのにすでに翻訳書も発注してくださった方もいたんです。力量も証明していないうちになんでそんな発注してくださったのかなと思うんですけど、やはりその前に私が頑張って働いていた姿というのがあって、それを見てくださっていた方がいっぱいいて、その方たちが浅見が独立すると聞いて仕事をくださって、たぶん2月23日の時点では前の年の年収くらいはちゃんと受注していたと思います。
 だから私の原点として、頑張っていたら誰かが見ていてくれるというのが確固とした思いとしてあるんです。頑張ることはいいことだというのがあるんです。頑張るのはいいことだし頑張ることは報われる。そういう思いが断固としてあってしまうので、一番発達障害の世界に来て違和感感じるのは、頑張るのがあたかも悪いことのような言われ方をすることです。そこには未だになじめないしなじむつもりもありません。
 
 
 そんな感じで最初は文芸書をやっていました。もともとのキャリアはエンターテインメント系、フィクション系だったんです。そのときに私が身につけたことは、いかにわかりやすく伝えるか、いかに難しい内容を面白く読んでもらえるようにするかということで、キャリアのスタートは、完全に文芸の世界でした。今はまったく違う発達障害の仕事していますけど、おそらくわかりやすい本が作れるのはエンターテインメント系のキャリアから出発したからだと思います。学術書出版の出身の編集者と決定的に違うのは、私がもともとエンターテインメント系出身だということだと思います。
 今日で会社ができて18年ですが、版元になってからは15年です。じゃあ前の三年間何をやっていたかというと、取次口座という本を書店に並べてもらうために業者としなければいけない契約があります。たとえば皆さんも本を出したくて本を刷ることはできます。でも流通させることはできない。流通できるようになるには流通の業者と契約をしてもらわないといけない。でもそれには実績がいるんです。その実績づくりのために三年間、大手中堅の出版社から業務を請け負って、売れる本を作るというか、作った本を売っていました。そして三年後にそのラインナップを取次に持っていって実績として示して口座を開いてもらう、とそれに三年かけました。
 そして取次口座を開くための準備をしながら、翻訳者養成をしていました。東京と大阪で開いていました。なぜ大阪に行ったかというと、商圏として大きいのは首都圏と近畿圏なんですね。そして近畿圏の様子も見なきゃいけないので、月に一回くらいは近畿圏に行くなあ、と思って、どうせ行くんだったら交通費くらい稼ぐシステムを作ろう、と思って、大阪で講座を開いていました。
 そしてそこに来たのがニキ・リンコさんだったんです。そういう感じでニキさんと出会って、相当変わった人だと思いました。障害だとは思わなかったけど、変わった人だとは思いましたね。その彼女が原書を持ち込んできてくれて、アスペルガー症候群という障害を持った人の話で自分もそうなのだ、と言ったときに、ああ、この人はなんかなんだろうなと思いました。
 当時アダルトチルドレンとか、私には先天性もそうじゃないのも区別つかなかったんですが、自分に名前をつけている人たくさんいましたよね。そういうのの一つだと思って「そんなことないよ気にすることないよ全然普通だよ」とか、心にもないことを言っていたと思います。すごくありきたりに人がしてしまうような傷つけるような対応を取ってしまっていたと思います。
 そういう意味で自閉症とのつきあいは、私から見るとあくまで「異文化」であることが原点です。だから療育とかそういうのをやり始めるつもりは全くなかったんです。
 今は様々な体験を経て、「社会の理解」分野の本を作ることにはさほど興味がない私ですが、私にも「自閉症をわかってもらおう時代」があったんです。この前ニキさんにプライベートな場で話しましたけど、今花風社はどちらかというと「治療」とか「社会との接点」に力を入れていますけど、「わかってもらおう時代」は終わったけれども、終わったといってもこういうもの(と「俺ルール!」を手に取る)がずっと仕事をし続けてくれているわけです。
 本というのは一回刷ってしまえば生き残ってくれる本は生き残ってくれますので、新しく作らなくてもずっと版を重ねてくれるんです。そうしたらもう花風社としてわかってもらおうという動きはできているんです。ニキさんの本がやってくれているので。そうしたら在庫チェックしてなくなったら増刷するだけで自分としてはそれで仕事が一個済んでいる感じです。じゃあ自分が新しく頭使って企画考えるときには、わかってもらおうの本じゃない、それだけの話だ、っていう話をニキさんにしたんですけど、それが私の本音なんです。
 でもまあいろいろ本を出して、ちょっと話題になってしまったので、知り合いもできます。お声もかかるので取材に行ったりします。特別支援教育や発達障害者支援法も始まり、最初はニキさん、次は二人で、みたいな感じで講演などのお声掛かりが増えました。知り合いも全国中に増えました。本を出したいと言ってやってくる人もいるし、そうじゃなくてもつながりができました。
 そして取材に行き始めて「だいじょうぶかなこれ」と思うことができてきたんです。たとえば就労支援の現場。いい大学出ました、という人がいます。不況は不況なので、いい大学出ても仕事はないわけです。それに対して就労支援が入って、職場を構造化したりジョブコーチに行ったりして、時給800円(当時)の仕事につかせてドヤ顔しているわけです。そういう状況でそれが成功とされることに違和感を感じつつ、当時は遠慮がちだったので、疑問に思いつつも保留してある感じだったんですね。
 だって一方でアインシュタインとかエジソンとか景気のいいこと言うじゃないですか。でもいざとなるとその子に無理をさせない無理をさせないと実力以下の仕事しか与えないわけですよ。そのからくりを私はわかってきたんだけど、当時は、今はありがたいことにそういうことはもうないんですが、あまりに発達障害者を雇用している企業がなかったので、私でも雇用側として呼ばれることとかがありました。私は雇用はしていません。本を書いてもらって印税を払っている立場です。そういう立場でも雇用側扱いで呼ばれたりする時代がありました。それだけ雇用者がいなかったわけですね、当時は。
 ところがそういう場に行くと、いかにお情けで雇ってあげるかという話がとても多いわけです。発達障害者=underachiverなんだけどいろいろ工夫を重ねたあげくなんとか雇ってあげましょうよ、というスタンスの支援者が多いわけです。そういう現場があった、というか、ほとんどそういう感じでした。そこで私は不思議に思ったんです。アインシュタインやエジソンはどうしちゃったんだろう、と。
 そして一方で、特別支援学校のバブルが始まっていました。学校の先生たちが驚くほど機能の高い子たちが特別支援学校に入り始めました。そしてこれはかなり後から体験したことですが、ある高等養護学校に行ったとき、全然本人が知らされずに親によって送られてくる子が多いと聞いてびっくりしました。勝手に親が病院に連れていって検査を受けさせて手帳を取らせて、高等養護受けに行きなさいと言われて受けに行って入ったら養護学校だった、と。そうしたら荒れるというんです。障害があることが悪いことなのではありません。なんにも知らされないでそういう学校に送られてきたことに荒れるんです。親の方は親の方で不況の中でオール1の子が底辺校行くよりは高等養護行って就労支援をちゃんとしてもらった方がいいんじゃないかと判断するということで、なんか間違っていないか、と思いました。
 福祉の手にかかると、縮小再生産再生産の人生を勧められるんですよね。それが変だなあと思うようになりました。特別支援学校や支援級一人あたりの方が、お金がかかるわけです。それが悪いわけじゃないです。ここはくどく言っておきますが。障害特性のためにお金が必要で、生産性が上がる方に使われていればそれは結構なことだと思います。特別支援級とか支援学校の枠を増やしてよぶんにお金かける子を増やすのはその子たちが将来独立できるためというのがもともとの設計思想だったはずなんです。本来ならニートになりそうな子をちゃんと働ける大人にしようということがちゃんと歌われていたはずなのにこれでいいのかな、と疑問を感じるようになって、そのへんから、たぶん2005,6年くらいから、うっすら疑問に感じ始めていました。でもそのときは別に誰とも喧嘩せずやっていました。
 そのときに、アメリカの様子が伝わってくるじゃないですか。アメリカ万歳状態で、アメリカは公費でABAが受けられて、日本も公費で、みたいな意見があって、まあお母さんが療育をやるのは大変だから、セラピストが家に来てやってくれて、みたいなのを聞いてそれはいいなあと思ったんです。でも調べてみてわかったのはやってくるセラピストとかは主婦バイトなんですね。それはそれでいいと思うんです。主婦の雇用にもなるし。お勉強して時給が上がるっていいと思うんです。それを行政がちゃんと出す。今の日本の児童デイとかのサービスと同じです。
 でもふと考えて、日本ってありがたいことに国民皆保険があるじゃないですか。だからどこでもちゃんと医療が受けられるんです。その点アメリカはシステムめためたで、民間でまかなっているので、とてもいい医療を受けられる人もいれば最低の医療しか受けられない人も保険の種類で決まってしまっていて、医療的なものを見ると日本の方がずっと整っているのになんで療育だけアメリカの方が整っているのかずっと疑問だったんですけど、そして日米の事情に通じているいろいろな人に疑問をぶつけていたんですけど、誰もすっきりした答えはくれなかったんです。今は私、それが何かわかります。腑に落ちた答えにたどりつきました。後で忘れなければそのお話しようと思います。
 今ここでさわりだけ言ってしまうと、早期介入してセラピーをがーっといれて、どうなったかっていうと、早期介入してセラピーいれてあげく世の中に出られない人が多い。「そりゃそうだな」と思います。そしてここで「そりゃそうだな」と思えるのが、私の10年の成果です。
 まあそうやっておかげさまで目立った動きをさせていただいていましたので、変な人が出てきて、この本(「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」)に書いた事件に至るわけで、先日も画伯のブログをお騒がせしたり、未だに尾を引いていますが、この前の粘着君に答えるわけじゃないんですけど、なんで私がこの事件を「自閉症者の事件」だと思ったかお話しようと思います。
 その前に、お話しておかなければいけないことが一つありました。私も画伯も幸い、最初に知った自閉症者はニキさんです。自閉症とそういう出会い方をすると、そんなに自閉症の人を嫌いになりません。だから、最初に会った自閉症の人ってすごく大事です。当事者の方は、それを心してほしい。最初に私たちが会ったのはニキさん藤家さんなので、その後別の自閉症者に粘着されていやな思いをしても、嫌いにはなりません。避ける気にはなりません。でも最初に出会った自閉症の人にいきなり粘着されたら、もしかしたらその人は一生自閉症に偏見を持ち続けるかもしれない。塗り替えるチャンスがないかもしれない。だからこの本を出したとき、この本を読んだ人によって被害者友の会ができました。それは最初に会った自閉症の人によっていやな体験をし、塗り替えるチャンスがなかった人たちが結構いるということです。
 なんで私がこの事件を「自閉症らしい」と思ったかというと、理由はいくつかあって、一個は「ニキ・リンコはいないんだ」っていう発想の突飛さですね。後で本当は知ってたとか言っていたらしいですが、それが真実かどうか、今となってはどうでもいいことです。ともかく「ニキ・リンコはいない」という発想の突飛さ、それはなかなか思いつかないですね。二人で方々出かけて講演もしているのに「あれは妹が演じているんだ」ということを言いだし「浅見淳子には隠れた妹がいる」とか主張するようになりました。だから戸籍見せろとか。
 私はもう実家の籍を抜けているので、個人情報保護の観点から、私が実家の戸籍を取りに行くのは難しいです。だからうちの実家の両親は湘南地方まで行って実家の戸籍を取ってきてくれました。裁判所が開示請求を認めなかったので結局見せずにすみましたが、開示せよと言われたときのために、両親は戸籍を取ってきてくれました。妹はいないという証明のためですね。自分の分を過ぎた詮索で私の両親にまで迷惑かけたことを、加害者にはよく知っておいてほしいと思います。
 まあとにかく、「ニキ・リンコはいない」という発想の突飛さと、その次にそれをネットに上げてしまわざるを得ない衝動性。それはやはり健常な人のやることだとは思われません。そしてその次に裁判を起こされたときに戸籍見せろとかパスポート見せろとかニキ・リンコに出している源泉徴収票の写しを見せろとか。そういう厚顔無恥というか社会性のなさ、これはどう考えても、悪いけど健常者の発想だとは思えません。
 自閉症の人だから犯罪を犯すということが言いたいのではありません。でも「私が被害にあったこの犯罪はいかにも自閉症の人が起こした犯罪」という主張を曲げる気はありません。それに加えて周囲の死んだふり。私は言ったんですよ。こんな名医がついているんだから、というか当時私は「名医って治す人」っていう誤解をしていたもんだから、妄想は治せばいいと思ったんです。迷惑していた人は私だけじゃなかったんですから、治せばいいじゃん、と。そうしたらギョーカイのメジャーな先生は言いました。大人になったら治らない。治したくない人は治らない。
 本当に大人になったら治らないって本気で思っているんだったら、事件の犯人に発達障害があって重い処罰が下るとぶーぶー言うのはなんでなんでしょうか。処罰より更正を、って。治らないんだったら更正なんか無駄じゃないですか。すごく矛盾しているんですよ言うことが。あと治りたくない人は治らない、とか言うんですけど、治らなくていい、って言ってるのはギョーカイじゃないですか。あなたたちはそのままでよくて社会があなたたちに合わせべき、って言ってるのはギョーカイじゃないですか。治らなくていい、って本人たちが思うのなら、そう思わせているのは支援者ですよ。
 そのへんから決定的に発達障害の世界に嫌気がさしてきました。会社やるって、他のことと同じくらい大変です。生きてくのは大変だし、障害のある子を育てるのも大変だろうけど、会社やるのも大変です。普通の人と同じくらいはしんどいわけです。皆さんもそれぞれしんどさ抱えているだろうけど、生きていくためにはしんどい思いをみんなしているわけです。でもそのとき私が思ったのは、自閉症支援って社会的正義と反しているのかな、ということです。しんどい思いをしてそんなことに手を貸すのはいやだ、と思っていたときにこの方(愛甲さん)が現れて神田橋先生と岩永先生がお会いになるから本を作りましょう、と。そして神田橋先生は治すんです、と。
 それを聞いて私は怒ったんです。よく私が発達障害は治るというと怒る人がいますが、私も当時怒ったんです。うそつき! と。そうやって私はすごく怒ったんですけど、よく皆さんにお話するように、何十年も閉じこもっていた人が一回見てもらうとハローワークに通い始める、とか言うわけです。それで嘘だろ、と思って。
 当時、二次障害は治るけど一次障害は治らない、って言われていたんですが、二次障害治った人も見たことなかったんですよ。実は二次障害も治せないんですよ。そして子どもは治るけど大人は治らない、とか言うんですけど、別に子どもも治っていなかったですね。そういう状況で愛甲さんがお話を持ってきてくださったので、そしてなんか日程がするする決まってしまって、お忙しい神田橋先生が二日間も時間を空けてくださったので、そして場所は長崎がいいやとかリクエストまで出してくださったので、そして私は基本的に受け身の人なので、自分がこれほどギョーカイにいたくないと思ったときにこういう話がきちゃうのはなんかもしかしたらやった方がいいのかなという気がして、神田橋先生の本を取り寄せてわーっと読んで、これはすごい! と思うようになりました。
 それでも具体的な段取りをなかなか決められなかったのは「私はもう発達障害をやりたくないのに」とうじうじする気持ちがどこかであったからです。そして段取りが遅れたお詫びに神田橋先生にお手紙を書きました。私としてはとてもありがたい機会を与えていただいているんですが、やっぱりこういう状況にあって裁判を抱えていて発達障害のことやりたくない、という気持ちがあったものだから、ぐずぐずしていて申し訳ない、というお詫びですね。そうしたら神田橋先生がお電話くださって、そして「医者なら治せんといかんわな」というあの言葉をいただきました。主治医の名前も出してみたんですけど、ギョーカイメジャーと大メジャーは接点がなかったようですね。
 神田橋先生に会ったときもそうですし、弁護士と会ったときもそうですけど、ギョーカイには腹が立つことばかりですが、そうじゃない人の言葉はまっとうでした。なぜならギョーカイの人は、誰も私が被害者だと認めなかったからです。「ひどいこと本当にするわね」とは言っても、同情を寄せるのはニキさんなんです。ニキさんが偽物だと思われているのがかわいそう、っていうことです。それで詐欺呼ばわりされている私のことは全然関係ないんですよ。障害がないと人じゃない、っていうのがギョーカイの基本思想なんですね。人じゃないから、被害者にもなれないんですよ。
 でも神田橋先生とお話をして、こういう社会的還元性を意識したお医者様もいらっしゃるということにほっとしました。やっぱり私って被害者だったんだな、とほっとしました。そしてこの本(「発達障害は治りますか?」)を出しました。
 この本を出して以来、花風社は流れが変わったんですけど、この本で神田橋先生が言おうとしていること、そして愛甲さんの本を出して、愛甲さんが言おうとしていること、というのをやっぱり私はこの冬に至るまで本当のところはわかっていなかったな、と思います。この冬なんでそれがわかったかというと、やはりニキさん藤家さんと、とくにニキさんと、巡業して、本当の意味で資質の開花というのがどういうことかわかってきたなあと思います。
 一つは、うーん、どこから行けばいいかな。まず神田橋先生は、診断が粗すぎるとおっしゃいました。そして昨日この本読み返して、冒頭に神田橋先生の言葉があります(「活かそう! 発達障害脳」P12~13参照)。「今の粗い診断には、今この人に何をすればいいかという視点がない」と。そしてその通りなんですが、アセスメントの軸を細かくしてくれる人として神田橋先生は岩永先生を見つけられたわけですね。そしてうちにアプローチしてくださったんですけど、私はそのことがずっと頭の中にあったものですから、長沼先生のお話聞いたときに長沼先生に本を書いていただこう、とこの本が生まれたわけです。それでもじゃあ細かく診断してその後どうするの? 細かく診断する軸はなんなの? ってずーっと考えていたんです。
 愛甲さんはこの本(「脳みそラクラクセラピー」)の中で「資質の開花」っておっしゃっています。実を言うと「発達障害は治りますか?」のときには、資質の話を深いところまでするのが私はいやだったんです。なぜなら神田橋先生が資質の話をされたときに持ち出されたのが杉山先生の「ギフテッド」の話だったんです。私はあれ、食わず嫌いしていたんですけど、読んでみたらとてもいい本です。ギフテッドも発達障害の一つというとらえ方で、おそらく杉山先生の臨床体験の中からほとばしり出たようなお仕事だと思います。 今なら言わんとすることはわかるんですけど、当時の私は資質と才能をごっちゃにしていたんです。ごっちゃにしている人はまだいるんじゃないかなと思います。それで才能の話はうんざりだったんです。なぜかというとさっき言ったみたいに、アインシュタインだエジソンだ言いながら、実際には縮小再生産の人生を当事者に押しつけてドヤ顔しているのが支援の実態だと見てきたからです。そういう状況の中で資質とか百年早いよ! って心の中で啖呵切ってたし、逆にアインシュタインやエジソンと同じ発達障害なのに自分が報われないのは社会のせい、という努力もせずに上から目線の当事者もいるわけです。
 最初に言ったように花風社の創立の時の原点が「頑張ることは報われる」なので、「努力もしないでルサンチマン抱えて上から目線」」って、著しく私にとっては不愉快な現象なんですね。
 
 でもそのあといろいろお話を聞いていくうちに、資質と才能が違うっていうことがわかってきました。そして資質を開花すれば、発達障害は治る、っていうことだなとわかってきました。でもじゃあ、自閉症ではいけないのかというとそういうことではなくて、自閉症の人は自閉症のままで、でも治るっていうことがわかってきました。その辺脳みそぐるぐるしてきたんです。そして自分が何かわかりきれていないことがあるなあとその自覚をもってずっと考えてきたんです。そして自閉っ子通信を書きました。発達障害は治らないんだなあと思ってたけど、治るんだな、ってわかってきて、それは健康で幸せで自分の凸凹を活かしていきていくことだ、ってわかってきました。
 資質と才能の混乱、才能とスキルの混乱、そのへんがずっとあったんですけど、そのあたりが最近、ニキさん藤家さんを見ることによって、すっきりわかってきました。お二人とも「病んだように立ち直って」いるからです。資質って結局、一見「弱いところ」も含むんだ。そういう簡単な切り口をつかんで、「資質の開花で治る」っていうことがわかってきました。
 
(続くかどうか不明)

引きこもり延長

2014-02-26 09:39:48 | 日記
さて、2月は引きこもるはずだったんですけど、あまりちゃんと引きこもれませんでした。あさってはもう一個講演があります。ペガサスの利用者さん向けです。
饗宴カラーハガキが仕上がっていてよかったです。これがあると話がしやすいです。

というわけで3月も引きこもりを心がけようと思っています。

ただしお出かけする機会はそれなりにあり

3月9日の「ワクワクセミナー@大阪場所」
チットチャットのスタッフもご協力の、お子さんも参加可能の
とても楽しい会になりそうです。
あと二週間あります。大きい会場で人は増やせますが限度がありますので
お申し込みはどうぞお早めにこちらへ。
夜は飲み会もあるようですね。
もりしーさんも出てくれるかな?


それと、愛甲修子さんに質問する会を行います。
4月6日 東横線大倉山駅近く 港北公会堂 第一会議室
13:30より2時間程度
料金 2000円です。

関東でも関西でも、「愛甲さんに質問してお答えをいただいてから事態がよくなった」という方がどうしても多いので
やはり定期的にやらないとなあ、と思うようになりました。
お申し込みの方は
mail@kafusha.com


「4月6日の質問会参加希望します」と書いて送ってください。
お返事いたします。
携帯アドレスの方はkafusha.comからの受信が届くようにしておいてくださいね。

ご来場をお待ちしております!
みんなでよくなりましょう。
お子さんの、そしてご自分の脳みそをラクラクにしましょう。

新ゴミ入荷しました→ゴミ箱作りました(読まなくていいよ)

2014-02-26 09:23:48 | 日記
さて、本日もゴミ箱更新です。

先日お伝えしたように
ここには今後、コメント欄に公開するに値しない罵詈雑言コメントを貼り付けていきます。
これも障害特性理解の場になるでしょう。
これから発達障害者就労なんぞをお考えの企業の皆様等
このブログに訪れる客層を鑑みて、
発達障害者雇用の今後など、じっくりお考えくださいませ。

私は「発達障害特性の理解」をお手伝いする仕事を心がけています。
けれどもギョーカイ人ではないので
「仲人口」を利く気はありません。
発達障害者のいいところもつきあいづらいところも、自分の体験をすべて率直にお伝えします。
このコーナーは
「気に入らない記事にこういうコメントを寄せてくる人がいる」ということをお示しするショーケースです。

かしこ



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投稿者 名無し 2014-02-20 18:45:23
題名 unknown


こんなのどうだい?たくさん殺してるぜ?

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投稿者 名無し 2014-02-20 18:48:19
題名 画伯って誰だ?

>画伯が辛抱強く答えてくださってるのは私に対する義理ですね。

てめえは、てめえで、本出したんだから責任持てよ。

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投稿者 名無し 2014-02-21 00:38:37
題名 Unknown

>どっかの当事者、テロっぽい活動継続中

なんやねん、このタイトル。
お前がテロリストやろが?屑見

お前が発達を永遠こき下ろしてることがテロやねん、カス。

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投稿者 名無し 2014-02-21 21:47:44
題名 Unknown

俺のコメに何も反論できない、くそ見ww

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投稿者 名無し 2014-02-23 17:05:33
題名 Unknown

ぷっ~。
お前恥ずかしくないんか?
お前がゴミ箱に行けよ。

カス見の苦手分野、英語、政治経済・国際情勢・PC、その他もろもろ。

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投稿者 名無し 2014-02-23 17:07:17
題名 Unknown


>新ゴミ入荷しました
俺を出荷できるように頑張れ浅見ちゃ~ん💔

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投稿者 名無し 2014-02-24 08:00:06
題名 Unknown

お前の脳みその中ではアスペ=殺人犯か、そうでないか、に分けられるのか?単細胞だな、お前。

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投稿者 名無し 2014-02-25-23:46:44
題名 Unknown

なんかレスポンスしろや、カス見。面白味がねえぞ。

資質と才能とスキルの違い

2014-02-25 08:10:52 | 日記
18周年おしゃべり会でお話ししたとおり
今では「資質の開花」が健康生活に大事だと納得している私ですが
実は最初に神田橋先生から「資質」の話を聞いたときには、よくわかっていなかったし、正直「資質」という言葉を聞くこと自体がフユカイでした。

なぜなら先生が「資質」について出された文脈が
杉山先生の「ギフテッド」だったから混乱したのです。
先日率直にお話しましたが
資質と才能を分けて考えていませんでした。

「ギフテッド」の発売は2009年12月ですね。
2010年の1月に、のちに「発達障害は治りますか?」として世に出ることになった対談が行われたとき、神田橋先生はすでにこの本を読んでいらしたのですね。
私は読んでいませんでした。おそらく食わず嫌いしていたと思います。
こういう経緯があったので。

それ以前にアスペエルデの会の内部から
どんなに頭のいい子でもブルーカラーを目指すのが会の方針なのだと聞いておりました。
「二次障害回避原理主義」だそうです。
一方で私はそれまで「発達障害者の就労支援」の現場を見て
高学歴の人(要するにある程度頭がいいとわかっている人)にも軽作業みたいな仕事をすすめ、最低賃金で仕事を得たことが「成功」とされるのに疑問を感じていました。
いや、職業に貴賎はありません。
でも片方ではアインシュタインとかエジソンとか言うじゃないですか。
矛盾している、と思ったのです。
発達障害の子の中に才能がある子がいるのなら
とっとと伸ばせばいいじゃないですか。
二次障害回避原理主義のために、そういう努力を阻むのなら
ギョーカイは社会的還元性を全然考えていないことになります(いや、実際考えてないですよね)。

今は、頭のいい子にブルーカラーを勧めるなんていうのが「資質の開花」からほど遠いことだとわかっていますが
「才能があるのだから、それが開花できないのは社会のせい」っていう言論がすぐに出てくるので
努力を社会に丸投げする論調がつねに「自閉っ子天才説」には結びついていたので
それでうんざりしていたのかもしれません。
普通に社会に出たら、鋭意努力している人にはいっぱい出会うわけで。

でも今はわかります。

資質の開花は人間ならみんな大切なことだけど
偏りのある凸凹の人にとっては
これは健康には「必要不可欠」です。

そして資質は才能と違います。
愛甲さんは先日「私たちはわかっているからはっきり言わなかった」とおっしゃっていましたが
それはニキさんが岩永先生に言ったとおり「専門家、早く言え~」という話です。

その後「脳みそラクラクセラピー」を作って「才能と資質の違い」がわかりましたが
それをまた、紋切り型に解釈して、せっかくの知識をきちんと使えていない読者の存在が私は正直言って心残りです。
「子どものころ何をしていたか」だけでは、発想が広がっていかない人が多いのです。

だから「10年目の自閉っ子」では「資質とは何か」「アナログなアセスメントとは何か」をもっとわかりやすく伝えるつもりです。
そこからしか、治っていかないと思うから。

一言で言うと、資質とは欠点も含むと思います。

そして才能とは、それ自体があるだけでは役に立たないものだと思っています。

才能を役に立たせるには何が必要か。

それは先日、木下麻奈さんがおしゃべり会でしゃべってくださったことがとても大きなヒントになりました。
発達障害の中には、たしかに音楽家になるのに有利な才能を持っている人がいるけれども、それでも不利なところがある、ととてもわかりやすくお話してくださいました。


才能のあるなしって、支援者が決めることじゃないと思います。
どっかの業界で活躍したいのなら
その業界での目利きの意見の方が、支援者の意見より優先されるはずです。
そんなの当たり前ではないでしょうか。

やっぱり饗宴だった

2014-02-24 10:44:00 | 日記
さて、18歳のお誕生日おしゃべり会、楽しく無事に終わりました。
ハプニングとしては、愛甲さんが会場を間違われるという想定内のものが一件ありましたが、早めに出て、横浜そごうでお買い物を楽しまれてきたということで、無事時間前に到着されました。
愛甲さんは以前、ラポールが会場のとき、パシフィコだと直前まで思い込んでいらしたことがあります。
そして今回は、ラポールじゃなかったのですが、ラポールに行こうとされていたようです。
でも日を間違えていなかったのでよかったです。同じ駅の範囲内でも間違いでよかったです。そして何よりも、ご自分が講師じゃない日でよかったです。房総からのきれいな新鮮なお花(花風社へのお誕生日プレゼント!)とともに到着なさいました。

私自身は、家でばたばた出発の準備をしていたとき、宅配便が来て夫が対応してくれていました。ふと見たら代引きのようでした。もしかして! と思ったらビンゴ。「社会とは饗宴である」のカラーバージョンでした。そういうわけで、昨日のお客様にはぎりぎり初披露できたわけです。

他に講師のいない会だったので、狭い会場で十分だろうと狭い会場をとりましたが、皆様には窮屈な思いをさせてしまったかもしれません。たくさんの方々にお越しくださいました。

花風社の歴史を話すのに、いろいろ本は持っていきましたが、お客様も常連の方が多く、販売する気はあまりありませんでした(一応釣り銭は用意していきましたが。てへ)。
けれどもありがたいことに、思いがけずたくさんの方々にお買い上げいただき、ありがたいことです。
画伯がまたお買い上げの本にイラストを読者サービスしていました(ノーギャラ)。
「鳥烏賊描いてください」と頼まれて「ああ、あれは浅見さんの作品なので」と説明していました。そうそうあれは私が描いたら画伯が色をつけてくれたんですよね(ノーギャラ)。「なんか作風が似てていやだ」と画伯はおっしゃいますが、当然です。私の絵の師匠は画伯ですから(キラキラ)。今はiPadで羽つきのおさかなを練習しています。

話の内容は、また文字にまとめようと思いますが、

「わかってもらおう時代」→修行・治療→アナログなアセスメント

の流れで、花風社はあと五年間くらいで「アナログなアセスメント」の概念を広げたいというお話をしました。なぜなら、「アナログなアセスメント」なくして、発達凸凹の方ののびのび健康生活はないような気がするからです。
そして肝心なこと。花風社の「わかってもらおう時代」は、ある意味続いているのだということ。それは、「自閉っ子」や「俺ルール」を増刷していれば、自然に「わかってもらおう」という活動になるからです。
だけれども私が自閉症を「わかってもらおう」と思ったのは、あくまで「異文化」としてだったこと。それには私のバックグラウンドが大きく寄与していることを説明しておきました。

これを文字にまとめておこうと思うのは、皆さんにももちろんお見せしたいし、神田橋先生にもお見せしたいのですよね。
今の仕事が一段落したらまとめておくつもりです。字数によっては自閉っ子通信にしてもいいのですが、もしかしたら入りきらないかもしれません。


木下麻奈さんや瀧澤久美子さんにも、そしてもちろん愛甲さんにも積極的にご発言いただき、ありがたかったです。とくに麻奈さんの発達障害ギョーカイメジャー方針ととかすった裏話は、門外不出(笑)。いえいえ、たぶん方々でしゃべってしまうと思いますが(笑)。「子どもの才能を伸ばす」ことに鋭意努力する立場から見るギョーカイのファニーさがよく現れていました。ギョーカイの方針に従っていると、子どもはどんどん生きる力を失っていくのですね。

夜は自然発生的に飲み会が生じました。ここでのお話もまた、楽しかったです。広島からはNPO法人ジョブ・ディスカバリーの長谷川英恵さんが、そして茨城からはアスペルガー医師のロンさんが、飲み会にまでおつきあいくださいました。

お越しくださった皆様、本をお買い上げくださった皆様、お花やキティちゃんやお菓子などのプレゼントをくださった皆様、ありがとうございます。
とりあえず十九歳を目指して、今日からまた頑張ります。



この写真は、ご参加の小松浩さんが折ってくださった折り紙のお雛様。
私のお雛様は実家にありますので
今年はこれを飾らせていただきます。
小松さんはワクワクセラピーのとき、名古屋の光君とクマムシの話で盛り上がったそうですが
光君へのお土産をお預かりしています。花風社から発送しますね。
光ママさん、光君、どうぞお楽しみに。

18歳のお誕生日に方針表明

2014-02-23 09:10:30 | 日記
18歳になりました。
もちろん、私ではなく花風社です。
畏れ多くも皇太子殿下と同じ日に生まれた花風社です。

これも皆様のご愛顧の賜と深く感謝しております。
ありがとうございます。

昨日、18周年を前に
今の花風社の方針を図にしてみました。




縦軸が「発達凸凹の当事者に望むこと」
横軸が「社会に対する態度」です。

花風社は、修行する当事者を応援します。
花風社は、発達障害の本を出しつつ、社会的責任を果たすことを目指します。
すなわち、「発達障害者原理主義」のような
「社会正義に反する発達障害者支援」とは対局を行きたいと思います。
言論にあたっても、「仲人口」は採用しません。
発達障害者のいいところも社会としてはつきあいづらいところも率直に伝えます。
社会人である以上、社会に対して、フェアでありたいからです。
花風社は、発達障害者が支援を受けることを否定するものではありません。
けれどもその支援は、貴重なリソースを使う以上
特定ギョーカイだけではなく
社会全体に利するようなかたちで提供されるべきだと考えています。
発達障害者に必要な配慮は、実現することを望みます。
一方で発達障害者のよいところも悪いところも知った上で
個人的にどれくらいコミットするかは、社会の成員一人一人に選択の自由があるべきだと考えています。
なぜなら社会とは饗宴であり
配慮を否定しないまま、選択の自由があることこそが本当の「共存」をもたらすと思っているからです。


なぜなら花風社は、こういう立ち位置に立っているからです。



ギョーカイが中原にあります。
ギョーカイには「発達障害者は世界の中心である」という「中華思想」があります。
その言論は「青いお札」をめぐって形成されていきます。
だから真実がしばしば隠され、言論空間がゆがんでいきます。

ギョーカイの外には、夷の侵入を阻む(そしておそらく、中原からの脱出を阻む)
長城が張り巡らされています。
花風社は「発達障害ギョーカイの化外の民」ですから
長城の外にいます。
ここにはギョーカイの覇権は届いていません。

けれども花風社は、長城の外の広大な草原の、ほんの一角を占めているだけです。
それでも縁あって、中原にいたことがあったので
長城の外から、櫓を建てて中原をヲチ見守っています。
広大な長城の外の草原こそが
「一般社会」と呼ばれる場所です。
ここは結構楽しいのです。

花風社は櫓を建てて見守りながら
脱中原したい人のお手伝いをしています。
いつかは長城が崩れるかもしれませんが
長城を守りたい勢力も強いし
とりあえず今は、脱中原したい人のお手伝いをしています。
そして中原にいたい人にも、広大な社会が長城の外にあり
実はその長城の外の人たちが中原を支えていることを伝え
サバイバルスキルを考えるヒントにしてもらっています。

こういう立ち位置でしばらくやっていこうと思っています。

本日記念のおしゃべり会にご参集くださる皆様
ありがとうございます。
川崎駅で脱線事故があり
京浜東北線が蒲田鶴見間で止まっているようです。
東側から横浜方面に来る手段は
東海道新幹線、東海道線、東横線、京浜急行線など
多くの手段がありますので
どうぞお気をつけてお越しください。

それでは皆様
今後とも花風社をよろしくお願いいたします。

教えてあげればいいのにね

2014-02-22 09:16:46 | 日記
ニキさんとちゅん平と巡業すると、未だに目からウロコの新ネタがどんどん降ってくる。
とくに主催者様の性質によって(啓発を主とする公共団体なのか、子どもに何をやってあげたいか知りたい親の会などかなど)切り口を変えているので、本当にどんどん出てくる。まあ考えてみれば当たり前だ。

でも昨日もびっくりしたなあ。

ちゅん平のついーと見て。
貼ります。

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私が他の自閉症者が何かやらかして世間から非難された時に何にも感じなくなったのは、やっぱり「私がやった訳じゃねーもん」と理解できるようになったから。前は、自分が怒られてると錯覚してた。

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ていうか、この誤解する人多いよね~。
「他の自閉症者が犯罪犯していても、自分は犯罪犯していないんだったら、堂々としていればいいじゃん」と思うのだが、自分が責められたようにきいきい怒る。よほど自閉症者どうしてっていうのは帰属意識が高いのかと思っていたんだが、ちゅん平によると

=====

前、佐賀のバスジャック犯が同じ病院に通ってると知って、病院通えなくなった。自分のやったことと人がやったことがうまく区別できなかった。同じ病院に通ってると、私も殺人犯すと思われると勘違いしたな。



何でそんな風に思ったんだろう。今はまったく思わない。だって、犯人と私はなんのつながりもない。知り合いでもない。ただ同じ病院に通ってるというだけ。

=====

いったいなんでそんな風に考えたのかきいてみたら

=====

どこに腹立ているかわからなかったからかも。事件になのか、その人なのにか、障害なのにか、はっきりしなかったからです。

=====

あああ、これは認知の問題なのか。情報が切り分けられてなかったのね、脳内で。
これがコミュニケーション障害なのね。
ちゅん平くらいの文章力が出力ではあっても、入力ではここが難しいのね。
と思ったら
=====

もっと、主語はっきりさせて怒りをぶつけてくれたら、犯人のした行為にだけ怒ってるって理解できたかも(-_-;)

=====
でもねえ、報道っていうのは事実をたんたんと伝えるもんだからね。
「犯人にアスペルガーの診断がつきました」も
「慶大生を逮捕しました」も、事実を伝えたにすぎないんよ。そこに涙目で抗議していくギョーカイがすごく不思議なわけ。
そうしたら

=====

以前、ニュ―スみて、誰の何を批判してるか分からんと言ったら、父に犯人の罪に決まっとろーがと言われた。よく考えたらそうなんだろうけど、オートマで理解できんのだよ。嘘じゃないもん(。´Д⊂)

=====

要するに

・「情報が構造化されていないので脳内で構造化する人はそれで別に障害だの大学名だのに偏見持たないけど、構造化できない脳みそだとそうした情報は偏見を醸成する。

・当該の障害があり脳内構造化が難しい人たちには偏見を醸成するような情報に見える。

そしてギョーカイは

・だから情報出すな

というわけですな。

そしてそれが私には

・社会の「知る権利」を犯している。自閉症は世界の中心か?

に見えるわけですね。

でもそんなたいした問題じゃないのかも。
たんに「情報を構造化できない脳みそ」に日々接しているギョーカイ人が感覚を失い
「セオリーオブ定型発達者が大多数の社会マインド」がないだけかもしれません。

わからん。

いや、ギョーカイが「自閉症者は世界の中心」と思っていることは、昨日リンクしたおからさんのブログにもあるとおり。
たとえ自閉症者を支援するとき、修行系に分類できる優れた支援者でも
「自閉症者のきょうだい児」の人権さえ無視するわけだし。

ギョーカイが「健常者に人権なし」と思ってるのは知ってた。でも昨日の記事を見て「そうか、自閉症の子を守るためならきょうだい児も犠牲にするんだな」と知ってショックだった。
もしこの支援者が「ノースカロライナ直伝きょうだい児支援セミナー」を7万円くらいで売り出したら私は大笑いします。その前に自閉症児に椅子ぶつけられて怪我した子どもをフォローしろよ、と。

そして「これは社会で通用しない考え方だ」と気づくおからさんのような保護者の方も実はそれなりに多いわけで。

構造化されない情報なんか、世の中にいくらでも飛び交っています。

だからさあ、単純に教えてあげればいいんじゃないの?

「責められているのは障害があることじゃない。犯罪を犯したこと」

それだけじゃないですか。完全に真実だし。

どうしてそれだけの手間を省くのか、私は不思議でなりません。

帰属意識はほどほどに

2014-02-21 14:24:50 | 日記
さて、こういう報道があって、ちょうどいい例なので持ってきました。



ここで学校名出されてることで、関係者(含私)は怒るべきなんですかね?
差別ガーって。
「学校名と犯罪は関係ない!」とか
「慶應義塾関係者を犯罪者扱いするな!」とか

怒る必要ないですよね。
だって事実だし。
それにこれ見たって、慶應義塾関係者を犯罪者扱いしていないし。

別に圧力支援団体がこぞって、言論統制しなくてもいい話ですよね。

「報道に傷ついた!」
なんで? っていう話です。

別の自閉症者が犯罪犯したって、それに言及することを「こきおろし」ととらえる理由がわからないです。
自分や自分の子どもが犯罪犯した経験もなく、今後もその可能性が薄いのなら
堂々としていればいいじゃないですか。
それをなんでいちいち卑屈に受け取って騒ぐんだろう。

実は社会性の障害と言われる発達障害関係者の皆さん
すごく属性への帰属意識が高い方たちなんじゃないですかね。
アインシュタインもそうだけど、自分はそうじゃない、っていうのも
犯罪者もたまにいるけど、自分はそうじゃない、っていうのも事実じゃないですか。

自分はアインシュタインじゃないのなら、平凡な幸せをつかむ等身大の努力をすればいいのだし
自分は犯罪者じゃないのなら、堂々と表街道を歩けばいいだけです。


普通に考えて、この犯行事実が事実だとすれば
鬼畜は鬼畜なんじゃないですかね。

だから本当なら
きちんと処罰を受ければいいと思いますよ。
私の後輩だろうがなんだろうが、そんなの関係ない。

もっとも私はこういう
「死ね!」メールを受け取る方ですけど。
「死ね!」「殺すぞ!」
「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」に触れるたび、来ますよ~この手のメール。
当然自殺なんかしませんし、ぽいっと捨てて終わりだけど。

でもMOTTAINAIから

お気づきかと思いますけど、捨てコメントを集める「ゴミ箱」コーナーを作りました。
これは、二つの存在意義があります。

1 私は罵詈雑言のコメントでも、こちらが反論することによって当該米主ではなく皆さんに何かをお伝えできると思うコメントは、公開しています。ただそれにも引っかからないどうしようもないのもくる。それと、どうしても答える時間がとれないものもある。そういうものは今後、ゴミ箱に貼り付けます。

2 これは「発達障害者の特性を広く社会に伝えるため」です。今後発達障害者を学生と迎え入れるかどうか検討したい大学、社員として雇用するかどうかを検討したい企業などがここにたどりついて参考にしてくださったらうれしいです。ああ、発達障害者とはこういうコメントを(しばしば無名で)送ってくる人たちなんだ、と。その事実を踏まえて、雇用や受け入れに踏み切ってもらえるといいですね。

私は発達障害の特性を広く伝える仕事をしています。
そして仲人口を利く気はありません。
「事実」を伝えます。
いいところも悪いところも社会に公正に伝えます。
なぜなら私はギョーカイ人ではなく、一般社会人であり
ギョーカイの覇権の及ばぬところ、長城の外、化外にすむ民だからです。
その一環としてのゴミ箱コーナーです。

昨日ゴミ箱を設置したので、まだこの私の母校後輩である容疑者が元カノに送ったような「死ね!」メールは来ていませんが
まあそのうち来るでしょうから
そうしたらゴミ箱に貼りますね。

ゴミ箱記事は、新ゴミが入荷したら更新して上に上げます。
つまり毎日罵詈雑言が来たら、毎日アップされます。

ではでは。

自閉っ子シリーズ終了宣言

2014-02-21 04:26:44 | 日記
さて、画伯が粘着君の迷惑ぶりについてブログを書いていらっしゃいますね。

これでさあ、画伯が「もう自閉症の仕事はいやだ。やめたい」とか言い出したら
「自閉っ子シリーズ終了宣言」ですな。

でも大丈夫。
そういう人はお相撲一緒に見に行く相手にも、仕事一緒にする相手にも、私は選んでいないからです。

それに、自分の気に入らない本を取り上げたブログでえんえんとごねるのに屈してしまうのは
テロに屈するのと同じことですよ。
画伯も私も、それほどヘタレではないのです。

とはいってもこのギョーカイ、もしかしたら
支援者の中にも○○○○が苦手な人
粘着されたくらいで「やめよう」とかすっぱりかかわりをやめてしまう胆力とプロ意識と社会的責任感がない人も多いのかもしれない。

だから、こうした粘着君が
社会の迷惑にもかかわらず、放っておかれているのかもしれませんね。

昨日からメンタル、っていう言葉が飛び交ってますが
アスリートが結果を出せなかったとき、メンタルのせいにするの、私は嫌いです。
一種の思考停止ワードだと思っています。

でもあえて、この言葉をここでは使わせてもらうと、

こういう粘着君の相手をして、メンタルに影響受けてしまう人が多いのかもしれない。ギョーカイ人。だから逃げるのかも。自分の仕事から。
社会に要請されている仕事から。

もちろん立派なお仕事している人もいっぱいいますけど
ギョーカイメジャー圧力支援団体の論調はそうじゃないですね。

ただ、私は身近に、粘着君の相手をして、そしてご自分はメンタル崩さない支援者を二人見たことがあります。

だけどそのお一人が、こういう経緯があったようなのでがっかり。
いや、知ってたよ。
たしかに当事者にはきついこともおっしゃる方なんだけど
基本思想が「健常者に人権なし」だっていうことは。しょせんギョーカイ人だもの。
知ってたけどさあ。
でもスキルのある優秀な支援者でもこういう非常識な感覚持ってるって改めて知ると、やっぱりがっかりしますね。全然社会とのリンクになんかなんないじゃないですか。

つまりね

粘着君たちから逃げず、対応してもやられないメンタルとスキル、そして社会に送り出せるだけの社会性を兼ね備えた支援者の在庫は少ないようなのです。どうやら。このギョーカイでは。
だから粘着君が放っておかれるのです。
そして画伯のようなレイマンのところまで出かけていって迷惑をかけ、恥をさらすのです。

だから

幸運にも早期診断早期支援、特別支援教育の介入に恵まれた皆さんは
せめてその数少ない貴重な社会資源をより助けの必要な人に回せるように

お子さんの「パーソナルベスト」を目指して楽しく修行をしてください。

放っておけば粘着君に育つかもしれないお子さんを幸せな大人に育てれば
気に入らないブログに出かけてえんえんと人の仕事の邪魔をするようなまねをしないような大人に育てれば

それだけで立派な社会的貢献です。
療育や特別支援教育にお金をかけた価値があるというものです。社会全体として。


あ、それと、
「納税者にする」という言葉に反発を感じる猿烏賊の皆さん。

納税者にしたくなかったら、しなくていいんじゃないですか。
ただニキさんが言うとおり「自閉っ子閑居して不善を為す」をありありと見せてくれる粘着君みたいな人もモグラみたいにひょっこりと姿を現したりしますので
ありのままに育てたお子様方が将来
そういうヒマがないよう、どこか活動する場に受け入れてもらうよう居場所を確保しておいてくださいね。「社会の理解ガー」活動、頑張ってください。