治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

私もその一人だった。

2013-11-30 11:36:36 | 日記

今日も思い出シリーズです(笑)。

昨日、しみじみ考えていました。
でも考えてみれば、ギョーカイのへたれぶり、胆力を欠いた支援ぶりを見て
今の路線があるのだと。

なんだかんだ、あれから四年経って気がついてみると、YTは有罪となり
私は一時あれほど憎んだ杉山医師の尊敬する神田橋先生の本をラインナップに加えることができた。
そしてその本を読んで多くの人が治っていった。

やっぱり運がいいんだろうな私。
今世で徳を積んだ覚えはないので、前世の行いがよかったんだろうな。

そうしたら愛甲さんからメールが来ました。

「浅見さんは運が良かったのです」

そうでしょ。

でも理由はちょっと違いました。

「ニキさんや藤家さんとの出会いがあって、発達障害者は発達することを実感できたからです。支援者でもそれを実感できない人はたくさんいます。実感できるようになると、支援の仕方が変わってきます」

そうなのか。

そして

この際、読んだ方も多い本ですけど
「発達障害は治りますか?」のまえがきをここに載せることにしました。

知ってもらいたいこと。

私は最初愛甲さんが来たとき
「そんなえらい医師の本なんか出したくない」と思った。
それは杉山医師、内山医師への反感からです。
ギョーカイメジャーでさえああいう人たちなのだから
大ギョーカイメジャーはどんなえらそうな人なんだろう、と思ったのです。

でもお会いした神田橋先生はあったかい方でした。
診察に行かれた方ならわかるでしょう。

そして

「発達障害は治りません」という支援の世界の言葉に、傷ついてきた人は多いと思います。

私も当時、その一人だったのです。
だからあの本は
「発達障害は治らない」という言葉に傷ついてきた人のための本なのかもしれません。

=====

 
 この本が生まれるまで 花風社 浅見淳子

「花が開くように、発達障害の方が変わっていくんです」

「神田橋條治先生と岩永竜一郎先生の対談本を作りませんか?」
 こういうご提案を受けたのは、二〇〇九年七月のことです。「どうして花風社がそんなすごい企画をやれと?」というのが最初の疑問でした。
 たしかに長崎大学の岩永竜一郎先生とは、ニキ・リンコさんと私が二人で長崎に講演に呼んでいただいたご縁で知り合い、「自閉っ子の自立には身体の問題を解決することがとても大切!」と意気投合して本を二冊作りました。でも神田橋條治先生といえば、精神科医の中の精神科医。カリスマ的で、あまりに有名な方。当事者に書いてもらった本の多いこれまでの花風社のラインナップとは縁がなさそうでした。ていうか、ご高名な方すぎて、思い切り敷居が高い……。
 ところがこのお話を持ってきてくださった愛甲修子さん(大学教員・臨床心理士・スクールカウンセラー)は結構食い下がられるのです(今になってみたら、自閉の神様のお遣いだったのかもしれません。ありがたいことです)。「私は陪席させていただいているのでわかりますが、神田橋先生はとにかく人格者です。怖い方ではありません」それが本当なら魅力的なお話ですが、さらにこれが私の心をつかみました。
「とにかく、治るんです。神田橋先生のところに行くと患者さんが」
「どうして? じっくりお話を聞かれるとか?」
「いえ、五分診療みたいな、短い診療時間が多いです。とにかくこなされる患者さんの数が多いですから」
「治るって、どう治るんですか?」
「二十年引きこもっていた人が、ハローワークに通うようになったりするんです。あと不登校のお子さんも学校に通いはじめたり。とにかく治療の効果がすぐに出るんです」
 信じられませんでした。だって発達障害は治らないことになっているじゃないですか。

 発達障害は治らない。この事実に苦しむ当事者・ご家族の方々も多いことでしょう。そしてその当時、私も苦しんでいました。家族ともども、ある発達障害の人のとんでもない「俺ルール」(ふつう考えるとありえない因果付け。詳しくは『俺ルール! 自閉は急に止まれない』ニキ・リンコ著 をごらんください)の被害者となっていたからです。
「ニキ・リンコは存在しない。浅見淳子が偽の自閉症者を演じて世間をだまし商売をしている。自分はそれを告発し浅見淳子を訴えて司直の手に渡す。大学教員である浅見淳子の夫も詐欺に加担している。職場を脅してやる」なぜだかこう思い込んでしまい、メディアに怪文書を送りつけている人物がいました。自分自身も自閉症と診断されている人です。
 もしかしたら、自閉症者として本を書いたり講演に呼ばれたりするニキ・リンコさんに、嫉妬みたいなものを抱いたのかもしれません。嫉妬なんていうのは、多くの定型発達者も自然に感じる感情です。でもそれに「社会性の障害」が加わり見境がなくなると、そして「想像力の障害」が加わり思考の方向性が突飛になると、こういう珍説が出来上がってしまうこともあるようです(まあ分析は、専門家におまかせします)。
 この人物は、十年間この珍説を唱え、宣伝流布していました。私はいつかそれが止まるだろうと思っていました。なぜならニキさんと私は二人そろって人前に出る機会も増えましたし、何しろこの人物には名医と呼ばれる主治医がついていると聞き、安心していたのです。
 ところが宣伝流布は一向にやまないばかりか、実害が生じはじめました。まず、脅迫状が内容証明で送られてきました。続いて、会社に一日四~五十回、この人物から電話がかかってくるようになりました。夫の勤務先にまで同じことをやられたらたまりません。それに、物理的な身の危険も感じます。私たちは弁護士の先生を頼んで、法的措置を取ることにしました。
 発達障害は治らない、二次障害は世間のせい、大人になった二次障害には手のつけようがない――専門家に意見を聞いてもそう言われるだけ。だから、司法に頼るほかなかったのです。

 こんな時期に「神田橋先生は難しい患者さんもよくしていく」という話を聞いたのですから、興味を覚えました。本当に治るのだろうか。ていうか、どんな現象をもって「治った」と言うのだろうか? 自閉症じゃなくなるわけじゃないだろう。自閉症は生まれつきの脳の障害なのだから。
 でも考えてみたら、私の周りの人たちはどんどん生きやすくなっている。ものの見方は自閉のまんまだけど、ニキ・リンコさんも藤家寛子さんも最初よりずっと心身丈夫になってきている。あれが治るという状態なのだろうか。私はだんだん、信じる気になってきました。
 そして、「神田橋先生はどういう治療をなさるんですか?」と愛甲さんにおききしてみました。
「身体をとても重視されます。それで、私が岩永竜一郎先生にお会いしたと言ったら『僕は岩永先生とお話したいなあ』としみじみおっしゃって。岩永先生が長崎で行われている特別支援教育を、私も見学に行き感銘を受けました。このお二人がお話されるのなら、記録に残したほうがいいですよ」
 うん、たしかに。
 というか、岩永先生のお仕事を神田橋先生がご存知だということは、うちの本もきっと読んでくださっているんだろう。カリスマ精神科医が、ちびちび出版社から出版された年若い作業療法士の先生のお仕事をきちんと把握しているということに、私は興味を覚えました。
 そして、神田橋先生が上京なさったとき、ご挨拶に行くことにしました。

 実際にお会いした神田橋條治先生は、ぱっとお顔の明るい方でした。「花風社の浅見と申します」という紋切り型のご挨拶のあと、私はおもむろに訊きました。
「先生、発達障害は治りますか?」
 その問に対する先生の答えを忘れることはできません。
「発達障害者は発達します。だってニキさん発達したでしょ?」

 本当だ! シンプルなお答えでしたが、私は身体が震えるほど感動しました。たしかにみんな発達している! 専門家の先生たちは「治せない」と言い切るけど。でもみんな、発達している。
 次にお訊きしたのは、こういう質問でした。「岩永先生のお仕事のどこに興味を持たれたのですか?」
「今の発達障害は、診断がひどいことになっているでしょ。岩永先生のお仕事は、その診断の混乱をきちんとなさるんじゃないかなと思って」

「?????」

 私の知識と頭脳では、理解できないことでした。第一心理士や作業療法士が診断に参加する療育先進国と違い、日本では医師のみが診断できることになっています。岩永先生は作業療法士さんなのですから、そもそも診断とは関係ないんじゃないか……。
 このときの私は、(今よりもさらに)浅薄な判断しかできませんでした。それでも「発達障害者は発達します」という言葉には感動したし、とても腑に落ちたし、神田橋先生が「ご高名な先生だけど怖くない」とわかったのが収穫でした。

「発達障害者は発達します」。私はこの言葉を、岩永先生にご報告しました。「すごいですね。そのとおりですね」と岩永先生はおっしゃいました。そして「めちゃくちゃになっている診断を、きちんとする研究をなさっているとかなんとかおっしゃっていました」という報告には、謙虚な岩永先生のこと、恐縮していました。
 私はそれから「発達障害者は発達します」という言葉を、心ある支援者にも言いふらしました。ASD当事者で仲のいい人たちにも言いふらしました。みんな感動しました。
 そして岩永先生と二人で、神田橋先生のご本や論文をせっせと読み始めました。もちろんプロの岩永先生と私では理解度に差があるとは思いますが、岩永先生は岩永先生なりに、私は私なりにだんだんだんだん、神田橋先生の治療のすごさがわかってくると「すごいですね!」「すごいですね!」の応酬になりました。「僕、長崎に久しぶりに行きたいなあ」という神田橋先生のご希望でミーティングは長崎で行われることに決まり、私はその日を楽しみにしながら年末年始の休暇中もせっせとお勉強しました。

 新年を迎えたばかりの長崎で行われたミーティングには、神田橋先生、岩永先生、愛甲さん、私、それにアスペルガー当事者の藤家寛子さんも佐賀から駆けつけてくれました。途中、岩永ファミリーもちょこっと参加され、自閉っ子の藤家さんと岩永先生のご子息に対する診療のシミュレーションも拝見することができました。その場で表情がどんどん明るくなっていくのがわかり、先生の力を信じざるをえませんでした。
 ミーティングを終えたあと、岩永先生はこういうメールをくださいました。

 昨日、一昨日とお世話になりました。
 私にとって、夢のような時間でした。
 対談本ということを考えるともっとしゃべったほうがよかったのかもしれませんが、神田橋先生のおっしゃる一言一言を聞き漏らすまいと必死になっていました。
 本当に神田橋先生は、素晴らしい臨床家だと思いました。
 神田橋先生の御本で理解していた以上に魅力的な方でした。
 治療に対するスピリッツ、患者さんのためにつねに新しいものを取り入れようとする貪欲さなど、知識以上に学ぶものがたくさんありました。NPO法人神田橋研究会ができるのも納得できます。
 今回伺った、神田橋先生の含蓄のある一つ一つの言葉から感じえたことを多くの方と共有できればと思います。

 こういうわけで、この本は生まれました。

 


歴史上の文書発見(その2)

2013-11-29 11:51:52 | 日記

次に発見されたのは、私から神田橋先生に最初にあてたお手紙です。

当時の心境と、今にも続く私の主張がよく現れています。

今では「発達障害は治りますか?」としてかたちになり、多くの方々のお役に立てているあの本を、作るべきかどうか迷っていた心境がよく出ています。

このお返事であの言葉を聞いたのです。

「医者なら治せんといかんわな」

そして私は号泣したのです。苦しみに手を打つ気がある医療者をようやく見つけたから。そして支援サイドで私を被害者として認めてくれたのは、神田橋先生が初めてだったから。

ギョーカイでは被害者であることすら否定されていたから。

なぜかというと

「健常者に人権なし」だからです。

そして本を出すことにしたのです。そして生まれたのが「発達障害は治りますか?」です。

公開します。

 

=====

 1月9日の長崎大学・岩永先生との懇談につきまして、ご連絡申し上げなければと思い、愛甲様にも再三お声がけいただいていたのですが、私のほうの勝手な事情により、連絡が遅れてしまいましたことをまずはお詫びさせていただきます。
 
 愛甲様には事情を話したのですが、ニキ・リンコさん、私、及び私の家族は、「ニキ・リンコ」を恨む別の自閉症者からの加害行動に10年苛まれておりました。医療とつながっていない人ではありません。それどころか、自閉症の世界では名医と名高い立派な医師の患者で、その医師もこの患者が私どもにしていた行為を重々承知の上、なんら手を下すこともなく、放置されました。自閉症者ならではの執拗な攻撃に、ずいぶん苦しんでまいりました。
 
 こうした状況は広く知られていたのですが、被害を止めるために医療も福祉もなんの手も施せず、被害が年老いた私の両親にまで及びはじめるのを見るにあたり、司法の手を借りるしかないと判断いたしました。オウム真理教の取調べ等にもあたった元公安検事の弁護士に依頼し、民事提訴・刑事告訴を行いました。
 
 その結果民事裁判では一審で完全勝利、双方控訴せず判決が確定したのがつい先日のことです。執行はこれからですが、裁判の結果は自閉症の人にもわかりやすかったらしく、ようやく被害は止まりました。刑事事件では警察に告訴状が受理され、警察から本人に任意出頭を求めるところまで進みました。
 
 この間、自閉症関係者の皆様は「ほおっかむり」を決められていたようで、私はこのことに深く絶望しました。医療への信頼も失いました。
 どれだけ自閉症者と犯罪の関係を否定しようと、支援をするはずの人々が放置される以上、被害者としては司法に頼らざるを得ません。そして司法が乗り出して解決にあたればそれは「犯罪」であり「不法行為」です。医療の世界、福祉の世界はこうした難しい人たちを支援の対象からはずすことによって、自ら障害者を犯罪へと追いやっているのではないでしょうか。
 
 現在の自閉症の世界では、自閉症は絶対に治らないものだという信念を共有しています。アメリカの動きなどを見ていると「治療」という考え方がじょじょに浸透していきているのに、「治る」という動きはすべて怪しげなものと最初から決め付け、患者を教育せずただかばうだけです。そうやって放置することで、自閉症者の可能性をせばめています。それが私の今の見方です。悲しいけれどもこうした事件の後には、自閉症に対する見方に影響を受けざるを得ませんでした。
 
 このような状況では、一般世間が自閉症を理解することは難しいと思います。ただ隔離すべき危ない人たちという状況を支援側が自ら作ってしまっているのではないでしょうか。
 
 このような不信感に苛まれている私が現在神田橋先生にお目にかかる資格があるかどうかはなはだ自信がないのですが、それでも岩永先生との対談には大変心ひかれるものがあり、立ち合わせていただけたらとてもありがたいと思っています。


歴史上の文書発見(その1)

2013-11-29 11:46:22 | 日記

年末なので(私の12月は短いので)大掃除していると色々出てきます。

公開しましょう。

2009年の2月、YTから最初の接触があったときの私からの返事です。

この後、一切の連絡を絶ちました。訴状を送るまでは。

私としては、相手の特性に合わせたつもりです。

この犯罪が自閉症という特性と本当に無縁ではないかどうか

こういうことを防ぐために、子どものうちからやっておけることがあるかどうか。

皆さんが考えるよすがにしていただければと存じます。

=====

YT様

 2月2日づけのお手紙を受け取りました。奥様ともどもご体調を崩されているとの事、お二人揃って崩れると家の中もさぞ大変なことでしょう。一日も早い御快復をお祈りしております。
 
 さて、ニキ・リンコさん、泉劉生さんの個人情報についてですが、どうしても知りたい気持ちが募って体調を崩すほどの事態になったというご事情には深く同情いたします。もちろん弊社も業務上、ご本名が必要な方々にはお二人の同意のもとお伝えしています。ですから「断じて開示しない」という方針を立てているのではありません。
 
 ただしお二人がペンネームで活動されている以上、弊社にはそれを無断で「取引上必要のないところ」に開示する権利はありません。YT様のどうしても知りたいお気持ちに沿えないのが残念なところではありますが、法を遵守しなくてはなりません。
 
 たとえばYTさんが講演会を主催され、ニキさんや泉さんを講師として招聘するならば、切符や宿泊の手配をし、謝礼を払います。そういうことであれば手続きの必要上、お二人の本名や住民票のある場所を、ご本人の同意を取り付けた上で、開示することになります。けれどもそうでない第三者に開示する権利は弊社にもないのです。
 
 必要のあるところに開示し、そうでないところには開示しない。情報を開示された者はまた個人情報保護の義務を負う。世の中の情報機密は、こうやって成り立っています。
 
 しかもお二人の夫君に至っては弊社の取引先ですらなく、警察官でも入国管理官でもない私には、お二人の免許証やパスポートを拝見する権利はありませんし、それを第三者に開示する権利はございません。
 
 どうしてもお二人の本名等を知りたいのであれば、花風社がこうした情報を開示すべきだという正当な理由を立てて、司法の判断にゆだねられたらいかがかとぞんじます。もちろんその結果司法からの通達があれば、個人情報を開示いたします。
 
 ただしYTさんがそのような行動を起こされた場合でも、個人情報を求める目的や理由が正当であるとみなさなければ法的に認められない場合もあるかと存じます。
 
 こうしたことが可能か、お近くの弁護士さんに相談なさってはいかがでしょうか。まああくまでYTさんがご自分でお決めになることですが。
 
 ちなみに私が弁護士に確認したところ、ペンネームでの活動も、本名は業務上必要のない第三者に開示しないことも、違法行為には当たらないそうです。
 
 もしもお二人に会いたいということであれば、各地で講演会など開催されていますから、そういうところにお出かけになってみてはいかがでしょうか? 私もご一緒することもあります。いつかお会いできるかもしれませんね。
 
 ちなみにYTさんのブログについては、何人かの方から教えていただきましたので、一応読み通しました。これにどう私どもが対処するかについては、関係者や法律家と相談の上決めます。
 
 また、この書面を無断でブログにアップすることはお控えください。この書類の書き手は私・浅見淳子であり、著作権は貴兄に属するものではありません。
 こうした忠告にもかかわらずアップされた場合には弊社規定の著作権料の請求書を送付いたします。請求書が発行された後お支払いがなければ債務不履行となり、ブログに書かれた内容に関する法的リスクとあわせて、金銭取引上の法的リスクを背負うことになることをご理解ください。
 
 末筆ながらYTさんと奥様の一日も早いご平癒をお祈りしております。

 


偽アスペルガー論争

2013-11-29 10:16:11 | 日記

ずっと前、ギョーカイの犯罪に対する変遷の観察結果をここに書くといって
のびのびになっていました。
佐藤氏の著作に触れたところで、ちょっと書こうかなという気になりました。

豊川事件(アスペルガーの少年が「人を殺してみたかった」と言って人を殺した事件)以降
ギョーカイメジャーたちは「犯罪報道は偏見につながる!」とメディアに圧力をかける運動に走りました。
秘密保護法に、サヨクの皆さん騒がれているようですが
「都合のいい情報は出すな」という圧力運動にかけてはギョーカイは先駆者です。

この件について、私は京都の門先生とお話したことがあります(まだギョーカイづきあいしていたころ)。
門先生も豊川事件のとき、報道に心を痛められたおひとりのようでした。
「時期的に、ああいうかたちで報道されるのはよくないと思った」とのご意見で
空気の読める私、当時はギョーカイにそれほど反発心を抱いていなかった私は黙っていましたが
ずーっとずーっと「そういう困った面を知らせて世間の理解を仰ぐのが支援のあり方ではないのか」とか
「遵法教育に乗り出すべきではないか」とか
「そもそも一般人の知る権利をどう思っているのだろう」という疑問は抱いていましたよ。

その頃ギョーカイのお題目は
・支援がないから犯罪をおかす
とか
・未診断の子ばかり犯罪をおかす
だったのですから、
だったら支援を勝ち取るためにも、犯罪のことは広く知らしめた方がいいと思うじゃないですか。

ところが、
・未診断の子ばかり
っていうギョーカイの信仰に大きな陰を投げかけた人物がいます。
YTです。
かの有名な内山大先生が数ヶ月かけて特別に無料でアスペルガーと診断したYT。
ギョーカイ、もう「未診断だから」の言い逃れができません。

そうしたらギョーカイは、アクロバティックな技に出ました。

アスペルガーの名誉を守るため? 杉山先生が
「偽アスペルガー論」というのをぶち上げられました。
いわく、「アスペルガーは本当は心のきれいな人たちなのだから、あれは偽アスペルガーなのだ」というわけです。いやあ、すごい責任逃れするな、ギョーカイ
と私はあきれました。
これは「社会に迷惑行為に及ぶ自閉症者がいても、われわれは関知しない。なぜならそれは偽の自閉症者だから」という宣言です。ギョーカイの無責任さをよく表している。
おまけに被害者である私たちへの思いやりは皆無。あの杉山先生の発言で、余計事態がこんがらがりましたからね。はっきり言って迷惑しました。

でも空気の読める私は黙っていました。
けれども黙っていない人たちがいました。
私には、異文化だなあと思わせられる出来事で、いまだにどうしてかわからないけれども
実はこの杉山先生の発言に一番憤りを見せたのは、アスペルガーの人たちだったのです。

まあ、アスペルガーも人間なんで
「心のきれいな人たち」ばかりではないですよね。
だからあれは、「自分たちをもっと人間扱いしろ」という当事者から支援者への憤りだと思えば
うっすら理解できる気はします。

森口奈緒美さんは勇気のある方で、堂々と杉山先生批判の文章を書き、杉山先生に見せて、了解を取ったあとネットに載せました。今もどっかにあるはず。
そしてアップする前にうちにも送ってきました。
「ニキさんはこういう文章のせてもいやじゃないでしょうか?」というのです。

「ニキさんは他人が何を書こうと文句を言う方ではありませんよ。第一見ないと思います」と私は答えました。

けれども実は、私自身がその森口さんの文章には大変腹が立っていました。
森口さんもしょせんギョーカイの人。「健常者に人権なし」の思想が貫かれていました。
けれども人権のない私は、ニキさんとは違い、森口さんに「浅見さんはどう思います?」と意見を聞かれることもなかったので黙っていました。
自分の気持ちを率直に話したのは、「変光星」を絶版にしたときが初めてです。

さて、時代は移り変わり
発達障害の診断を受けた人で犯罪をおかす人もどんどん出てきて
私はアスペエルデの一会員から
「杉山先生ももう隠し通せないとおっしゃっている」という話を聞きました。

よかったなあと思いました。
そして杉山先生の最近の著作を見ると
親子揃っての病理にも触れているし
はっきりと犯罪のことを意識されているのがわかります。
それでこその支援だと思います。

私はギョーカイとは心情的に切れましたが、
今の支援の中に「遵法教育」が入っていることを切に願っています。
そしてギョーカイという長城の壁の外で
まつろわぬ民として、ひっそり遵法教育の本を出し続けますけどね。

 


構造化原理主義

2013-11-28 11:25:05 | 日記


昨日、佐賀のちゅん平からお肉をいただき、昔のことをいろいろ思い出しました。

ちゅん平は支援のおかげで、家族が人間だとわかるようになりました。
詳しくは「自閉っ子的心身安定生活」に書いてあるけど
視覚支援と構造化の賜物ですね。

ここまではよかった。

ところが、自立支援プログラムが奏功しないうちにどんどん精鋭化していき
構造化原理主義になっていきました。
絶対に親元に帰らないこと。連絡も取らないこと。
なんの権利があるかわかりませんが、支援者はちゅん平にそう厳命しました。
律儀なちゅん平は冬になっても親元に連絡できないので
衣替えもせず寒さに震えていました。

自閉っ子の生体エネルギーを重視せず、自閉という特性を備えた特別な人間扱いするということが専門性なんでしょうかね。
私にはただの専門バカが支援の名の下に人権侵害しているように見えました。
支援者というだけでそんな非人間的な要求を真顔でするなんて
どこの封建制度だよ。


今はわかります。ていうか理論武装できます。
あのやり方は間違いだった。
ようやく親が人間だとわかり始めたちゅん平には、子ども時代をやり直すことが必要だった。
だから支援を切って、親元に帰ったからこそ、ちゅん平は自立に近づくことができた。
神田橋先生、愛甲さんと出会った今はそれが説明できます。

自閉っ子だってね、人間なんです。
早寝早起き朝ごはんとか、愛着とか、そういう人間としての健やかさがあっての療育や支援でしょう。
そこをすっ飛ばしても効果が上がらず
けれどもそういう養生の部分をトンデモとバカにし
「一生治らない」と当事者を固定資産にする。
これがギョーカイと猿烏賊、すなわち治らない同盟の基本的戦略ですが
実にマッチポンプですね。

理解力のない人のために念のために言うと、私は構造化を否定するものではありません。
でも構造化原理主義者が見逃していることがあります。
それは
一治障害は治癒するっていうことです。

そして専門バカが見逃している治癒力が二つあります。

一つは本人が持っている治癒力。
そしてもう一つは
ギョーカイの外の一般社会が持っている治癒力です。
支援者はこの二つの力が発動するまでのつなぎの場を作るのがお仕事なのではないでしょうか。

特定秘密の保護

2013-11-27 09:30:35 | 日記

さて、おそらくギョーカイ人で特定秘密保護法に反対された方はいないと思います。
だってギョーカイが元祖でしょ。

しかもギョーカイが隠そうとしたのは、安全保障とかそういうレベルの話じゃなく
たんに自分たちに都合が悪いから。
それを盾に堂々と「一般人の知る権利」を奪った。
そう。犯罪者に発達障害の診断がつくと「報道するな!」とみっともなく騒ぎ立てたあのことを言っています。

「偏見が広まる」っていうけどさ
私はニキさんやちゅん平さんや大地君を知っているから「アスペルガー=良き市民たち」って思ってるよ。
なぜそういう教育をせずに報道規制にばっかり走ってるのかそこが理解できないわけで。

さて、「自閉っ子と未来への希望」から引用しましょう。

=====

私自身は、たとえある障害の人が事件を起こしても、だからといって同じ障害の人が全部事件を起こすとは考えません。ですから、率直に言って支援者の人たちの動きは過剰反応に思えました。
「自閉症について知ってもらいたい」というのなら、いいところも悪いところも含めて情報開示して支援を訴えるべきであり、ネガティブな情報だけを隠すのはフェアではないし、効果のあるやり方ではない。そもそも自閉症支援の名のもとに「国民の知る権利」を侵害しているように思えました。本当に健常者と共存を臨むのなら、一般人の権利を侵害してはいけないのではないか、という疑問を抱きました。
それに加害者に回ったケースもきちんと報道しないと、本当に役に立つ支援策は出てこないのではないでしょうか。

=====

私が自閉症者の迷惑行為におおっぴらに触れるのは、私が「彼らは良き市民になれる」のに「支援がそっちに向いていない。むしろくさい物に蓋の方に力を入れている」ことに怒っているからですよ。
このときもギョーカイは、メディアに甘ったれた情報統制を上から目線で(自分たちは障害者支援という美しいことをやってるんだぞ~という)命じていて、片方で暴れ回り健常者社会に迷惑をかけまわる障害者たちには「死んだふり」だったのですからね。

いや、YTの場合には「死んだふり」をはるかに飛び越していたかも。
むしろ助長していた。
「自分は障害者だから」を言い訳に、よこはま発達クリニックからは無料の診断(しかも数ヶ月かけたという21万円払った人より相当きめの細かい診断)を勝ち取り、それいゆでは数万円する講座をただにしてもらったのです(しかも主治医内山医師の分まで無料)。こんな特別扱いを許されていたからこそ「パスポート見せろ~」「ニキ・リンコの夫の身分証明書を見せろ~」に発展していったのですから。

そこまでの迷惑行為じゃなくても、変な世の中に対するルサンチマンメールとか送ってくる人もいました。CCにはギョーカイメジャーがずらり。誰も手を打ちません。唯一答えていた北国の某先生の答えも「死んだふり」の域でしたね。

本当にギョーカイの感覚ってわからないなあと思い出したのが、昨日言及した千葉東金事件。

あの事件で加害者である知的障害の青年に最大の人権侵害をしたのは検察ではありません。
メディアです。
はっきり書くとTBSです。弱者の味方のはずの毎日新聞系列ですね。

捜査線上に知的障害者が浮かび上がっていることを知った若い女性記者が
ハニートラップのような取材を現受刑囚にかけました。
若いきれいな女性が自分に近づいてきてくれて、メールをひんぱんにくれて、カラオケまでつきあってくれるのですから、現受刑囚は彼女ができたと思ったそうです。

そして逮捕。
そのあとTBS、カラオケ画像一斉に放映。
スクープです。

認知上の特性につけ込んで近づき、喜ばせ、撮影して逮捕後それを放映する。
実に「マスゴミ」の名にふさわしい鬼畜の所業です。

私は当時、この取材方法に憤りを覚えました。
当時はギョーカイとも縁を切っていなかったので何人かのメジャーに言いましたが

みんな全然腹を立てないのね、これ。
「ああそう」っていう感じ。

ギョーカイとの人権感覚の隔たりを感じた出来事でした。


人権派 百害あって 一利なし

2013-11-26 10:18:31 | 日記

佐藤幹夫著「知的障害と裁き ドキュメント千葉東金事件」を読みました。
著者から出版を知らせる一斉メールをいただき、「おお」と思ってすぐ買いました。

「自閉症裁判」という名著を書いた方です。
レッサーパンダの帽子かぶった障害の若者が若い女性を刃物で殺してしまったあの事件です。
それから「十七歳の自閉症裁判」も読みごたえがありました。これは寝屋川事件。発達障害の診断が出ていた人が母校に押し入って起こした刺殺事件に取材しています。
いずれもこのブログで書評書いているはずですから興味がある人はブログ内検索してみてね。

この著者に対する私のスタンスは「愛読者であるけれども、立場は違う」です。
この本でも「また被害者に思慮がないと言われてしまうかもしれない」みたいな危惧を持ちながら書いていらっしゃるとの告白がありますが、ということはこれまでの著作よりそのあたり気をつけられたのかもしれませんが
相変わらずギョーカイでは別に珍しくない(そしておそらく非常識でもないのでしょう。私は化外の民だから知らないけど)「健常者に人権なし」の思想が著作を貫いていることにはこれまでの著作ととくに変化はありません。

そういう立場の違いがあっても
私は佐藤氏の著作は買います。
とくに千葉東金事件。あれはわけわからない展開をしていたらしいと漏れ聞いていただけに、「何が起きたのだろう、実際のところ」と興味津々で読みました。

最初、弁護側の方針として、犯行事実の否認をするらしい、ときいたときには
「へえ」と思いました。
「やったのはこの人じゃない」と主張すると言うのです。
と思ったら主任弁護人が辞任。
そのあと急に「事実認定→心神耗弱で減刑を求める」に弁護方針が変わったというのです。
明らかに迷走しているなあ、と遠くで聞いていても思ったので
いったい何が起きたか知りたかったのです。

この本を読めば、何が起きたかわかるのですけど
私としては「人権派 百害あって 一利なし」という戯れ歌が浮かんでくるばかりでした。
レッサーパンダの事件と同じ弁護人たちが同じことやってます。
すなわち「自分は障害者として裁かれたくない」という思いを抱いている被告人のところに大挙して押しかけていって
「い~や君は障害者なんだからそれなりの処遇を勝ち取るべきだ!」と弁護の押し売りをしているのです。
主任弁護人の交代、って、要するに押し売りを拒まれたのか。

これはギョーカイの方々で起きていることです。
「社会全体の利益など度外視して、障害者を真綿にくるみ、自分たちの利権=固定資産として障害者を障害者に固定したい支援者」と
「社会の中の一員として責任を果たしたい当事者」という縮図が
そのまんま法廷に持ち込まれた感じです。

この本を読み終わったとき、某自閉っ子ママとお食事をする機会があったのですが
そこで「人権派弁護士は押し売りをするらしい」という話をしたら
「なんのために? 儲かるのでしょうか?」ときかれました。

さあ、それは知らないけど
お金の問題じゃなく、自分たちの思想を拡散するいい機会だととらえているのかもしれませんね。
さあ障害者が事件起こしたぞ! アピールのチャンス! みたいな。

なんて社会をバカにした人たちでしょうね。
迷惑な話です。
加害者にとっても被害者にとっても社会にとっても。

でも検察も、「責任能力がある」と判断するのなら
親を責めるのはおかしいよね。
もちろん親として、もっと別の育てられ方がないとは言えないんでしょうけど
被害者家族にも、すごーく時間が経ってからしか謝らなかったようなので
社会的に勇気が欠けているタイプの方なのかもしれないけど
責任能力のある成人が罪を犯したら、
罪に関して問われるべきは本人。社会的常識はともかく。
謝罪が遅れたことを、遺族が責めるのは当たり前だと思いますけど。

そしてこのご本人(現受刑囚)。
とてもきっぱりしているのです。
一番きっぱりしているかもしれない。
証言を引用させていただきます(P217より)。


=====

遺族の皆様へ。ほんとうにごめんなさい。いますごく、後悔しています。ほんとうにもう、ただただ、心からあやまりたいと思います。私事で、この裁判を行うことが遅くなり、誠に申し訳ありませんでした。でもあやまりたいきもちはあります。ほんとうに申し訳ありませんでした、ただただごめんなさい。ですが、どうかわたしの母のことは、怒らないでください。お願いします。悪いのは全部、私です。ですから母を怒らないでください」


=====


なんで裁判が遅れて被害者遺族が神経を逆なでされたかというと
砂糖に群がるアリのように駆けつけた弁護団迷走のせいです。
それも全部、本人が遺族に謝っている。
そして犯行は母親のせいではなく自分のせいだときっぱり言っている。

よくある構図ですが
右往左往する支援者なる人々より、本人が一番正しいのですよ。

もう二度と、障害のある人がこういう重大な事件を起こさないといいな、と思います。
被害者が救われません。そして加害者も憐れ。
そして「チャンス!」とばかりわらわらわいてくる人権派弁護団が本当にキライです私。
ただ救いなのは、人権派がめったに勝訴しないことですね。

他にもこの本は
・トラウマの問題
・訴訟能力(責任能力とは別)の問題
など重要な問題について触れていますし

何よりも知的障害者の方たちの抱える根本的な空虚感みたいなのに関しては
著者は卓見を示されていると思いますので

またこのブログでも触れたいと思います。


90回もった私の心臓

2013-11-25 10:06:47 | 日記
さて、昨日で今年の大相撲が終わりました。
今日は一年分のお相撲ロスの日であります。

画伯も書いていますが、われわれにとっては結び前の一番がメインイベントだったわけで
正直に告白しますと、かくりう関に右上手を取られた瞬間私は正座して合掌したまま目をつぶりました。
「上手切った!」というアナウンサーの声が聞こえ、もしかしていけるかも。。。と考え
勝ったとわかってから目を開けました。ちきんです。
それにしても今までの欠点を克服した素晴らしいお相撲でした。

今年の初めに、こういうエントリを書いています。
今年最初の一番は、国技館で見ていたのです。
そしてどきどきどきどきして
あと89回もあるのか、と気が遠くなるような気がしましたが

そのほとんどをリアルタイムで見て
90回頑張りました。
えらいぞ! (私が)

運動会の前にどきどきどきどきしている自閉っ子ママは、たくさんいらっしゃると思いますが
私はそれを年に90回こなしていると思ってください。

来場所の綱取り、かなり現実的です。

甚之介兄さんのブログ。
こういう観察への意識が、療育にも必要です。
観察「力」までいかなくていいのです。
観察する意識をまず、持ってみようではありませんか。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


とっさに送った原稿

2013-11-24 10:24:07 | 日記
電車を駅で待っていた時に
主催者の方と愛甲さんから、ほぼ同時にメールが入りました。
埼玉でのお勉強会、いい会だったようです。

愛甲さんはまた濃い時間が持てた、とおっしゃっていたし
主催者の方によると
感激して涙を流していた方もいたとか。

私が愛甲さんに質問をする会をやってみてわかったことは
本当に少しの考え方の転換で解決に向かっていく問題に
皆さん長年悩まれてきたということ。

そして「死んだふり窓口支援」が
皆さんの将来を見えないものにしているということ。

これには腹が立ちますね。
死んだふりは無知の産物です。
勉強していないから「打つ手はありません」とか言うのです。

そこに納得できない方がいたら
どうぞ花風社の本を読んでください。勧めてみてください。

前の日、皆さんから送られてきた質問を見て私はとっさに愛甲さんに
現在制作中の本の原稿を送りました。
「子どもに自己肯定感がない」ことに悩まれて
死んだふり窓口支援でめちゃくちゃなアドバイスをされている方が多かったから
役に立つと思ったのです。

愛甲さんは
「とても役に立ちました」とおっしゃってくださいました。
まだこのブログでも言及していない本ですが
すでに宣伝を始めてくださったようです。

ワイン(非ボジョレー)を買って家に帰ります。

つまみを簡単に用意して
16時から一人酒盛り。

幕内をたっぷり堪能し
結び前の一番。

稀勢の里の取組を迎えるにあたっては一切の食器を洗い片づけて
テレビの前で正座するのがお約束です。

前のエントリのコメント欄でも書きましたが
本当にいい勝負でした。
これぞ大相撲!

ワインも空いちゃったし少し寝て仕事するか

と思っていたら7時過ぎに遅いと思っていた夫が帰宅。

あわててご飯を用意。
そして7時のニュースで流れた稀勢の里vs白鵬戦を無理矢理見せました。

とは言っても画伯のおっしゃるとおり、千秋楽まで油断できないのがわれらが稀勢の里関。
今日は横綱決戦より、結び前がどきどきです。

来場所はどうなるのか。

今場所の期間は講演会が結構入ったけど、これも結構気楽なもんです。
相撲から気が紛れる(どっちが仕事?)。

そして初場所の期間は
下記の日程が講演会です。

1月13日(横浜ラポール)
1月19日(大阪)
1月21日(広島)
1月25日(北の国某所・主催者様から発表があり次第発表します)」

ついでにいうと
春場所の時期、二日連続で大阪で講演です。
それぞれテーマと相方が違います。
これはまた、決まり次第発表しますね。

3月8日(これはもしかしたらクローズドかも・未確認)
3月9日(こっちは確実にオープン)

たくさんの皆様にお目にかかれますように。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

気配から読む

2013-11-23 09:10:30 | 日記
11月21日の夕方、私はトレッドミルの上でお相撲を見ていた。
心拍数が上がりすぎるのでジム+お相撲はふだんはなるべく避けるのだが
この日は会食があるのだ。

それでもこの日は落ち着いていた。私が。
ここんとこ連敗している平幕相手だけれど
仕切りのときの稀勢関を見て「あ、大丈夫だ今日は」と思ったのだ。

会食でもその話をした。
よくわかってくださった。
「個を大事にする」教育に携わっている人は、こういう話よくわかります。いんちきとか決めつけない。
自分が毎日毎日やっていることだからね。気配を読むって。

みすずさんへのレスでも書いたけど
治せる人って、言葉では聞き出そうとしないし、言葉では癒やそうとしないんです。
言葉以前のところでこんがらがっている人を、いくら言葉で癒やそうとしても無理。

だからさあ
「褒めると自己肯定感が高まる」っていうのも
ギョーカイが声高に叫ぶほど効果ないのよね。
褒めて自己肯定感が高まるほど自閉っ子は安くないですよ。

そしてそういう会食では、たとえボジョレーヌーボー解禁の日であろうと
ボジョレーのボの字も出てきません。
「個」を大事にする人は、実質を見つめる。世の中の騒ぎになんか惑わされない。
だって実はまずいでしょあの酒は。
新米はおいしい。でもボジョレーヌーボーはまずいです。
だから解禁の日も、普通においしいワインをいただきました。

そして昨日
またもや安心していた。
花道の時から日馬富士が勝てる顔をしていなかった。
稀勢の里は勝てる顔をしていた。
今日は勝ったなと思った。

そうやって稀勢関周辺の気配を読む私ですが
たとえば隠岐の海vs勢 なんていう取組では、いくらイケメン同士と言え、気配なんか読みません。
私にとってはどうでもいい人たちだからね。
ふだんから観察していないし。
私はプロじゃないからそれでいいの。
きっとプロは読んでると思うよ。

こういう話すると、療育上手の人はとてもよくわかってくれるの。
そしておそらく、プロじゃなくても療育上手のパパママもわかってくれると思う。
きっと自分の子どもの気配だけは、バリバリ読んでいると思う。

こういうのインチキがる人は、たぶん療育が下手ね。
証拠は何かって? 「怒っちゃいました~」で済ませている親が療育ド下手なのがその証拠。

たま~にギョーカイメジャーの本を読むと
そういう気配がばりばりとわかっているのに、そういう自分の能力を押し殺し
一生懸命数字的に特性を出そうとしている人がいて
遠回りだなあと思うなあ。いや、学会的には必要なんだろうけど、
ごくろうさまだなあ。
第一患者としては利益にならないのでは? なんて思います。

本当に苦しんでいる子に
なぜ苦しいのかきいてもわかりません。
過敏な子は自分が過敏だと知らないし
気配を読むしかありません。
そして言葉では治らないレベルの人っています。
それは知的に高い低いとかと関係ありません。
知的に障害がなくて、二次障害が重くて
でもいくらカウンセリングやっても治らない人、いっぱいいるでしょ?

今日埼玉で愛甲さんに質問する会がありますね。
送られてきた質問は、深刻なものばかり。
窓口の死んだふり支援と
「なんとか言葉で治そう」(自己肯定感を褒めて高めるとか)という支援者の無駄なアドバイスに時間を無駄にしている人がいっぱいです。
愛甲さんが軌道修正して下さるでしょう。

私はテレビ桟敷です。へへ。

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