治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

「問題行動を無視」になぜ違和感を覚えるのかわかった

2013-10-30 09:00:30 | 日記
昨日は、非発達障害クラスタの方とミーティングで、おいしいフレンチをごちそうになりました。
そこで出た話。
とにかく発達障害者に、社会は困っている。
職場でも大学でも。
これは一つ「社会の理解」が進んだ結果です。
ギョーカイが一生懸命「困ってるんです。理解してください」って訴えたでしょ。
その結果「社会の理解」が進んだから「そんなにめんどくさいのか、じゃあつきあうのやめよう」と判断する人たちだって出てくる。
さあここからどうするか、ですよ。

それから事務所に戻り、仕事をしながら朝ブログに書いた「問題行動を無視」について考える。
なぜそのやり方にこれほど違和感を覚えるのか。
ABA的に正しいんだろうし、愛甲さんも同意しているのに。

施設職員の方から、無視はそれなりに効果がある。
火に油を注ぐことを防げる、というご意見が。
たしかにそれはそう。
でもなんか違和感がある。
こういう違和感は追求した方がいい。

考えているうちに気づいた!

「問題行動を無視」が、私が大嫌いな「死んだふり」につながるからですね。
少なくとも「死んだふり」をしている人たちが、これを正当化に使ってるでしょ。

そしてね、たとえば問題行動を無視されて、その行動が消えていくのは
無視した人と無視された問題行動を起こした人の間に
なんらかの愛着が育ってる場合でしょ。
嫌いな人に無視されるって、かえってご褒美だからね。

そういえば愛甲さんはこの本の中で
トイレットトレーニングの成功不成功とかの鍵を愛着の形成が握っているということにちゃんと触れているし
「愛着がどこまで形成されているか」のアセスメントの方法も触れているじゃないですか。
あらためてすごい本だな、これ。




つまりさあ
愛着が育っていないところでいくら理論通りにやっても効果ないかもね。
それをギョーカイははっきり言えないのかしら。ご本尊に触れるから。



「問題行動を無視することが効果があるかどうか」の度合いは、間に育っている愛着の度合いで違ってくるはず。

それと、大人の人、知的に高い人にこれやってしまうのって、人間音痴で無礼かもね。

たとえば、地方大学病院勤務の児童精神科医、なんていうのは明らかに知的に高い大人ですよね。
その人が匿名でその地位にふさわしからぬくだらない攻撃をしてくる場合
「無視していたら治まる」なんて甘いもんじゃないですよ。

だってさあ、その医師と私の間には
ただのひとかけらの愛着もないんだもの。
会ったこともないし。

だったらその問題行動(私から見てね)をやめさせるには
無視するのではなく、いくら専守防衛がモットーとは言え、迎撃ミサイル発動させないと。
この場合は、後生大事にしていた匿名をはぎとった。
それでようやく問題行動は治まったわけね。

とにかくギョーカイは
死んだふりの言い訳にABAの理論を使わないでほしいですね。
別に死んだふりを続けてもいいけど
その結果がフレンチのランチで聴いたような
「発達障害者迷惑。かかわりたくない」系の社会のリアクションにつながっていきますよ。

勘の悪いおばかさんのために言うけど
私はこういう社会の状態を肯定しているわけではないですよ。
ここから出発するのが現実的に
発達障害者が生きやすくなる戦略を立てやすい、っていうこと。

ここが見分けがつかない人がいるのね。

いいですか、現実社会では、身近にいる大人に犬の曲芸を仕込もうという意識はない。
それはむしろ失礼なこと。
大人は大人として遇されるんです。
だからやったことに対しては、迎撃ミサイルが飛んでくるし
それは別に、差別でも偏見でもなんでもないんですよ。

問題行動を無視する

2013-10-29 09:42:46 | 日記
昨日は事務所で、岡山から送っていただいた講演会アンケートの写しを見ました。
(もしかしたらネガティブな意見は送られてきていないのかもしれませんが)
皆さん喜んでくださったようでありがたいことです。
ニキさん藤家さんの貴重な声。
「自閉っ子、こういう風にできてます!」がライブで見られたこと。
私のパートに関しては
・友だち
・コミュニケーション
・感情
の話を聞いてほっとしたというお声。
中には「浅見さん控えめ」と気づいていらっしゃる方も(笑)。
一応空気読めるので。
11月17日の大阪は、本音全開で行きますからお楽しみに。

それにしても、本当に教師の方のご参加が多いです。ありがたいことです。時代は変わりましたね。

当事者の方の声もありましたが
やはり独特ですね。
おお、さすが当事者ならではの視点だあ、と思う反面
生きづらいだろうな、と改めて確認しました。

それからニキさんに電話。
アンケートの報告と打合せ。



そして早めに事務所を後にして
遠い遠い神奈川県下の某市に向かいます。
なんとここは、神奈川県内にもかかわらず、市の中に鉄道の駅がないのですよ。
最寄りの大きな駅からタクシーです。

ここで某先生の講演会があったから行ったのです。
よくわからないけど、なんだか威張っていて、そして威張っている人たちが軒並み成果を上げていないABA。
その第一人者が県内にお越しになるというので、出かけてきました。
この先生なら「親学への批判」とか「社会の理解ガー」で無駄な時間をつぶすことはないと思っていたのです。そしてそれは当たっていました。よかった。

拾ってきた情報は三つ。
1 小さい子であればあるほど、疲れ切るほど運動をさせろ。
2 愛知県・名古屋市の特別支援教育はダメダメ。でも自分たちでは日本一だと思っている。神奈川県も以下同文。
3 ABAをやっていると言うのが恥ずかしいほどレベルの低いセラピストが多い。

ろくな情報拾っていませんね。
ていうか、本当はもっともっと色々情報拾ってきたのですが
上記三つは「知ってた」感が強かったのです。

終わって(何しろ駅から遠いので)iPhoneでタクシー呼ぼうとしたけど、全然つながりません。
ようやくつながったら「車がない」。バブル期かよ!
別のタクシー会社のフリーダイヤル教えてもらって、ようやく車ゲット。

運転手さん「今日、どんなイベントがあったのですか?」
私「教育福祉関係のお勉強会ですよ」
運転手さん「あそこはよく農協が演歌のコンサートとか開いて高額預金者を招待しているんです。この前のせたお客さんは買えば8000円の券を~」みたいな感じで
同じ神奈川県内でもこういう世界があるんだなと思ったし
こういうところで障害のあるお子さんを育てるのはまた別のメリットデメリットがあるだろうと思いました。

車の手配に手間取ったのでジムは間に合わず
帰ってきて愛甲さんにお電話。

ちゅん平さんのおうちにお祝い事があったのでそのご報告。

それと

「今日講演をききに行った先生も、すごく治される方らしいんですけど、手法はもちろん脳みそラクラクセラピーとはがらっと違いますけど、愛甲さんのやり方と同じところがありました。問題行動は無視するっていうことです。どうもこれが私、ぴんとこないんですよね」と質問しました。

そうなのよ。これがぴんとこない。
昨日の先生は、そこでかまってしまうおばあさん保育士さんとかを非難してらしたけど
私なら、そこでかまわないけど
「無視しとけばおさまる」っていう感覚がぴんとこない。
猿烏賊、っていうかABA信者(エビデンスドヤ。でも非倫理的な方法でゲットしたエビデンスだから表に出せないとか?)はこれやって失敗している気がする。
現場の皆さんどうなんでしょ。

愛甲さんの説明も聴いたんですけど、やはりあまりぴんきませんでした。

そして考えて考えて今朝になって思ったんですけど

私自身に引きつけて考えると
私は無視されるのが好きな子だからかもしれない。
と思いました。

そうなのですよ。

でも子どもは全般にかまわれたいのかな?

無視されるのが好きな子って、絶対中にはいると思うんですが。

重い人向けの本

2013-10-28 09:02:55 | 日記
さて、気がつくと今年も二点しか本を出していない。
毎年毎年「もっと点数出そう」と思いながら、なんか点数がいかない。
「点数あわせの本は出さない」方針だし
発達障害からいつでも撤退する用意があるからこそ、思い切ったことが言えるのである。
でもそれで会社が存続しているのはありがたいことである。
花風社が本を出すと、信頼して買ってくださる皆様のおかげです。

ただし、今は三冊同時進行してますよ。
粒ぞろいの企画が集まったので。
少なくともあと三冊は出すと思います。
来年の前半は出版ラッシュ(当社比)なのではないかな。

今年出したのは
「脳みそラクラクセラピー」と「自閉っ子のための友だち入門」。


実はこれ、当初順番が逆だった。
それを「脳みそラクラクセラピー」を先に出そうと思ったのは
愛甲さんの実践が重度の人、かなり難しい人にも役立つと思ったからだ。

重度のお子さんをお持ちで、パニックとか自傷とか
でもその理由を言葉で説明できないとか
言って聞かせるのは難しいとか
知的障害が軽かったりなかったり言葉が通じる人たちとは別の苦労をなさっている方は多い。

愛甲さんの場合には、苦労どころか
親御さんが一緒に暮らさないことを選ばざるを得なかったほど行動障害のきつい人とかの支援にあたられて
そして自傷や他害をなくしていくという実践をなさっているので
並の重い人よりずっと深刻な人にも
「治るわ」と意気揚々とセラピーに当たられるっていうところがある。

だから実はうちの本の中で
一番重い人に即効性がある本は
「脳みそラクラクセラピー」じゃないかっていう気がしますね。
今日からできることが書いてあるしね。

だから大阪の「質問する会」でも
そういう難しい状態にある方も大歓迎ですよ。



でも岡山の講演には、「脳みそラクラクセラピー」は持っていけなかったんですよね。
何しろニキさん藤家さんだけで、相当な点数で。

ただし「発達障害は治りますか?」は10冊だけ持っていきました。
開場後すぐに完売だったそうです。

「治る」と「社会の理解」って実は両立する。
それをおわかりの賢い方も実はリアルでは多いのかも知れませんね。

定型発達社会が怖くない理由(一部公開)

2013-10-27 10:53:22 | 日記
さて、お馬鹿さん(仮名)の出現を見て
この文章を一部公開しようかなと思いました。

この文章を書いたのは、実は夏の休暇のときです。
脳みそラクラクな環境で書きたくなった文章なので
おそらく私の本音に一番近いと思います。

そしてそれをさらっと岡山で公開したのですが
岡山の主催者の方は、支援組織としては老舗なので
あまりアバンギャルドなことは言わず
抑えめの講演にしました(当社比)。

客席にいらしたお友だちによると
支援校の先生方が、さかんにメモを取って下さっていたとのこと。
よかったなと思います。

このあとコミュニケーションの問題とか、文章は続くのですが
とりあえず冒頭を貼っておきます。

=====

 このテーマで書こうと思ったのは理由があります。それはずばり、自閉っ子及び自閉っ子関係者(当人だけではなく保護者や支援者も含む)が、実際以上に社会を怖い場所と思い込んでいるような実感が私にはあるからです。そしてその恐怖感は、むしろ支援なるものによって強化されてしまっているような、そういう場面もちらほら見かけるからです。
「自閉っ子と未来への希望」の中で、私は自分なりに見た自閉っ子を取り巻く三つ組みの障害は次のようなものではないかと提言しています。

1 自分はダメな人間である
2 この世はひどい所である
3 周囲の人たちは嫌な人たちである

 そしてこの三つは「ウソです」と断言しています。今回は、なぜ断言することができるのか、つまり、なぜこの社会はそれほどひどい場所ではないのか、それをご説明しようと思います。


 
 まず最初に挙げられる理由は、実は人間(障害があってもなくても)みんな凸凹を抱えて生きている、というのが現状だからです。そして実は、なるべく得意なところで勝負して、それでなんとか暮らしていっているのが障害のない人間の実情だからです。人生の目的は「苦手を克服」することではありません。社会に参加するとは、自分の得意なところを誰か他の人の役に立てることです。診断がつくほど凸凹が大きい人は、そのマックスの能力だけではちょっと市場価値に足りなかったり、凸凹がとても大きかったり、凸を活かし凹を補うやり方に特異性があったりするだけです。市場価値が足りない場合のために支援があるわけですし、なんとか凸の部分に市場価値がありそうなら、それを活かして生きていけばいいのです。その方が、その人の成人生活は健康になります。
 そういう意味で、支援は必要です。凸のマックスでも市場価値が生じない人の場合には「下駄を履かせる」のも支援でしょうし、ここを充実させるためにこそ、凸の部分にじゅうぶんな市場価値がある人をより多く見いだし、その人たちに福祉を離れた世界で活躍してもらうための支援が必要でしょう。可能性を十全に活かすことは、本人の健康生活にも寄与し、広く社会のためになるでしょう。
 私は、支援が必要でないという立場を取る者ではありません。けれども国や自治体の予算には限りがあります。一人一人が、そしてしばしば本人よりも保護者や支援者が、自分たちの安心のために必要のない子まで福祉の中で生きていくことを選んで財政が破綻すれば、それは必要な人が必要な支援を受けられなくなることにつながります。すでに私たちは、支援校に生徒が集中し、重度のお子さんたちの学習機会が乏しくなり、しかも必ずしも軽度だからといって就労につながってはいない、心ならずも支援校に来ているがゆえに荒れて結局は在宅生活に入っていく軽度の人たちの姿も目にしています。これが国全体レベルで起こると、福祉の破綻です。
 これまでは支援が必要だということを訴えるあまり、発達障害者について、とくに知的には定型発達者と同等もしくはその平均以上の能力を持つ発達障害者について、特別に能力のない人みたいなイメージをギョーカイは戦略的に振りまいてきました。けれどもそれを真に受けて能力を発揮できないともったいないです。社会にとってももったいないし、本来充実した生を生きられるはずの人たちが縮こまった生き方をしてその結果社会を恨んでいくのももったいないです。
 ですから今こそ私たちは「社会はそんなにコワくない」と訴えかけていかなくてはなりません。
 

大学での支援

2013-10-26 10:47:40 | 日記
さて、大地君の電話のあと、白くま母さんとも話をしたが
大地君が順調に行けば大学なりなんなりに進む時期に
大学での発達障害者支援がどうなってるかわからないね、と
私は自分の感じたことをはっきりと言った。

一時期は、支援しようとばばっと受け入れてみた。
でも手に余る。
そういう声も聞くからね。

これからも受け入れは続くだろう。
でも「合理的配慮」なのだから、あくまで合理的。
それが多くの大学の本音、かもしれない。

でも大地君タイプの子は困らないかも、と思う。
LD的側面への配慮。
これは大学は、義務教育よりずっと受け入れられやすい。
教員が地方公務員から変人に変化することもあるし
周囲の学生もそれなりに大人になっているはずなので
特別な手段を使っていても「ずるい」とか言わなそうだ。

そういう意味で、大学は支援しやすい場所かもしれない。
でも一方で
発達障害の学生に困っているのは、「健常者の人権を重んじて」のことだったりする。

つまり、LD的な配慮っていうのは下の学校よりやりやすいにしても
健常学生の人権もきちんと重んじるので
その人たちを巻き込むトラブルを起こされると
「取るのやめようかな」という気分になるようだ。

それと、親が合理的を越えた配慮をドヤ顔で求めたり
そこにギョーカイ人がついてきて
大学にとって物理的に無理、という要求をされると

だんだんだんだん「触らぬ神にたたりなし」になっていくようです。

学生相談室で「俺ルール!」とか勧めていただいているそうです。

誰にかっていうと

被害健常学生に、だそうです。

だから大地君の場合には
配慮を求めるなとは言わないけど

「他人を巻き込むようなトラブルは起こさない子だ」

っていうのは強調したほうがいいよ、今後ずっと、あらゆる場面で

と言っておきました。

LD的要素に配慮をお願いするのは権利だけどね。

翻って

大学で他の学生にストーカーしたりしない子に育てるのも
社会の理解を広げ
後輩達に門戸を広げる啓発活動ですよ。

就労支援の第一人者

2013-10-25 09:42:36 | 日記
私はギョーカイ事情に疎いのでギョーカイの中での受け止められ方には詳しくないけれども
私の中で「発達障害就労の第一人者」と言えば
松為信雄先生ということになっている。

講演も二回聴いていて
とっても現実的なお話をされる先生だという印象を受けている。

企業を集めて
「自閉症の人に努力させてはいけません」とか言うギョーカイトークの就労支援セミナーってなんのためにやってるかよくわからないし

当事者や保護者をいっぱい集めて
「理解があれば能力を発揮できるのです! アインシュタインもエジソンも!」
っていう牧歌的な就労支援セミナーは
へたすると傷のなめあい、よくてアジテーションで終わると思ってる。

だからお花畑のギョーカイ人を呼ぶくらいなら
松為先生の講演会ばんばん開けばいいのにと思っていた。
(え~と、私は先生の個人的なスケジュールとかはまったく無知なまま、ただ「お話聞くに値する先生ですよ」というだけで言ってます)。

でもこれまで、松為先生の一般向け書籍ってなかったんですよね。

そうしたら、うっかりと情報を見逃していたらしく
書店で見つけました。




「発達障害の子どもと生きる」松為信雄著


第一章はこの手の一般書にありがちな発達障害の基礎知識でタイクツなんだけど
そこを我慢して読めば
あとは情報、とても濃いです。

これ、色々な立場の人が読むといいと思いますよ。
障害者枠で就労したい人も、一般枠に飛び出したい人も。

あ、でも誰にでも向くわけではないや。

この本が向かない人。

それはお札を何よりも大事にしている人です。



お札を大事にしている人は悲憤慷慨すると思います。
そういう人は読まないでくださいね。
お花畑ギョーカイ就労支援本が、あなたを慰めてくれます
その結果お子さんの就労がうまくいくかどうかは知りませんけど。

治っていくきっかけ(大地君の話)

2013-10-24 09:41:43 | 日記
さて、講演が終わって二人を駅に送り、空港に向かいました。
帰りの飛行機まで余裕はありましたが
お昼に出していただいた豪華お弁当のため、おなかがすきません。
カフェでコーヒーを飲みながら、自分の今日の講演をiPhoneで聞いて、一人反省会をしていました。

終わって録音再生を留めると
着信記録が。
音声言語が苦手なはずの大地君です。おや珍しい。
おまけに留守電も入ってる。聞いてみて笑いました。声変わりしてる!
大人の声になってきたよ。

早速コールバックして、少し話しました。

そして昨日。
三人の対談をまた確認して、もうちょっと知りたいなという部分をちゅん平さんには文字に書き起こしてもらうように頼みました。
でもニキさんに関しては、電話の方がいいかなと思った。
そして電話しました。

こっちが抱えていた質問をし、答えをもらい
大地君のことを話しました。
実は子どもの声が苦手なニキさん。それも「告知されてまもない小学生の男の子に声をかける」ことへのためらいとつながっていたのですが
ニキさんにはいいニュースです。
大地君が大人の声になったよ。
今後どっかでうっかり会ってしまっても、もうキンキン声じゃない。

「そしてね、なんの電話だったかというと、自分が決意したことのハイパーりちぎな決意表明だったんだ。とくに私に表明する必要はないと思うけど、まあオーディエンスが必要だったんじゃないかな。とにかく応援してるからね、と伝えたよ」

「オーディエンスのいない決意表明って、見る機会がないでしょ。誰にも表明しない決意なんだから」

「おお、たしかに」

「だから人が密かに決意しているとか、わかりにくかったりするのよね。私はそれ小説を読んで覚えた」

「おお、なるほど」

でもまあ、ニキさん藤家さんの話を聞いていると、「自分で自分の道を選ぶのはワガママだと思っていた」(@ニキさん)や「巨人がすべてを決める」(@藤家さん)という世界観を共有していたかも知れない大地君が
12歳で自分の道を選んで決意表明するのはもしかして早期介入の賜かもしれない、って思いました。

そして昨日は、会社にお手紙が来ました。
講演会にご参加くださった当事者の方。私が自分のセッションで質問を取り上げてそれに答えたそうです。
その後スタンプ会にも並んで、質問に答えたことへのお礼を言ってくださったのですが
何しろたくさんの方が並んでいるから、言葉を交わす時間は5秒くらいしかないんですよね。

その間に手短にご自分の状況を説明され
私は5秒で最良のアドバイスをしました。

「鹿児島行ってください」


でもそれを聞いてほっとしたんだそうです。
花風社の本はたくさん読んでくださって、当然「発達障害は治りますか?」も読んでいたけれど
自分が鹿児島に行ってはいけないと思っていたそうです。
そしてそう思うに至った理由がたらたらっと書いてありました。

「俺ルールだな」と思いました。

自分で自分の道を選ぶのはワガママだとか巨人が全部決めるとか自分は鹿児島行ってはいけないとか
実は自分で自分の行動を抑制する人たちなのかもしれません。世にも不思議な理由で。

でも神田橋先生は自発性・好奇心の発露を精神症状が治っていく一つのきっかけに挙げられています。

だから大地君みたいに、決意表明することは、一つの成果だと思います。
そして気が変わってもいいのです。
大人になるまで、時間はいっぱいあるのですから。
とにかく応援しているよ、っていうだけですね。

楽屋の自閉っ子トーク

2013-10-22 09:42:44 | 日記
控え室に三人集まると、打合せを始めました。
今回の講演会は長丁場で、ニキさん、藤家さん、私がそれぞれしゃべり、対談もあります。
対談部分のレジュメは作ってあったけど、参加者からのご質問も取り入れることにしたから
時々質問さしはさみますよ、と私は二人に話しました。

そして質問の内容を話しました。
こんなのがありましたよ。
「告知を受けてまもない小学生に、どういう声をかけますか?」
そして自閉っ子トークが始まったのです。

ニキ「小学生ねえ。ていうか、声かけたくても私、小学生の興味持つような共通の話題ないからなあ~」
藤家「まもない、ってどれくらいですか? 三日? 一週間? 三ヵ月?」
浅見「そこ引っかかるところですか?」

(我々にとっては)言うまでもなく、こういう質問が出てくる背景には
告知を控えたあるいは告知の済んだ自閉っ子をみている先生とか親御さんとかが
子どもが告知によってどういう動揺を受けるかが心配だったりして
同じ障害を持つ先輩二人に、「お二人ならどう慰めたり声をかけたりするだろう」とききたかったのだろう。

でもそんな背景が見えないのが自閉っ子である。

ニキ「小学生が好きそうなゲームもしないしなあ。マンガも、アニメも。。。(以下略)」
藤家「まもない? まもない? まもない?」(「まもない」先着一名様状態)

浅見心の声(あ゛~あいかわらずめんどくさいこのひとたち)

浅見「だからさあ、どういう声をかけたら障害を受け入れられるだろうかって心配してるんじゃないかな、この質問をした方は」

藤家「受け入れるしかないよ、って言いたいです」
ニキ「でもさ、受け入れって言う言葉がわからないかも。受け入れるってだいたい外国人労働者とか、輸入米とか。。。(以下略)」

浅見心の声(まあこのまんま見せるのが講演的には正しいな。九年経って、社会人としては成熟してもまあこのまんまだ、っていうことがよくわかるしね。逆に、このまんまで社会人はできるってことよ)

というわけで、そのまんまの会話が対談で再現されたことは、会場にいらした皆様ご存じのとおり。
一応あれでも打合せスミなんですよ。

ありがたいことに
10時から16時という長い講演会にもかかわらず、最後まで満場御礼でした。
本もたくさん売れました。ありがとうございます。

主催者の方から三人三様の過分なおほめの言葉が。

=====

つくづくお話を聞きながら、浅見社長のすごさを思いました。
お二人のお話をぐんぐん引き出していかれる様や、頭の切れ方など、すごいなぁ~と驚嘆していました。
お二人が、今あるのは、社長と出会われたからに他ならないと思いました。
素晴らしい出会いですね。

=====

そうそう。三人が出会ったのは、三人にとってもうれしいことだったけれど
「自閉症の世界にとっても幸せなことだった」と言ってもらったことがあり
それはありがたいなあと思いましたよ。

=====

ニキさんのユニークで、キュートな性格にも、惹かれました。
お話まわりまわって長いけど、ちゃんと着地点のあるお話ぶりや、博識ぶりも、「う~ンすごい」と思えました。

=====

ニキさんはものすごーい思考を重ねて、それはしばしば定型の人にとっては「脳みその無駄遣い」に見えるけど
だからこそ世の中を恨まない力があるんです。
世の中を恨んでいる人は、ある意味脳が思考の途中で息切れしていて
「世の中が悪い」っていう単純な結論に飛びついているんですよね。
ニキさんは体力はないけど、脳の体力はあるので、思考を重ねることはできるんです。

=====

藤家さんは、お育ちの良さが、そのまんま出ていて、チャーミングでした。
でも、どこかに苦労してここまで来られたこと、それが解る気配りを感じさせる人でした。

=====

これ、私初めて気づきましたが、そのとおりだなあと思いました。
苦労した分だけ、ちゃんと人格に重みが増してきましたね。

だからやっぱり、九年は無駄じゃなかったんですね。

お越しいただいた皆様
お世話になった皆様
本をお買い上げくださった皆様
お土産くださった皆様
そして運営の皆様

ありがとうございました!

お土産にいただいたさをり織りです。
きれいですね!


もはやスズメではない

2013-10-21 09:12:49 | 日記
16時過ぎに岡山空港に着いて、17時過ぎにホテルに着くと、ちゅん平が来た。
18時にロビーで会おうと言って部屋に向かった。
そして少し休みながら、講演でたくさん言及する「自閉っ子、えっちらおっちら世を渡る」を再読していた。

岡山の夜、私はある方と会う約束をしていた。発達障害クラスタではない。実は私もお会いするのは初めてだ。いわゆるネット上のつながりというやつ。
そういえば神田橋先生の「医学部講義」では、ネット上のつきあいがネットにとどまる人とリアルに発展する人との違いが書いてあって
どっちかというと機会があればリアルで会うことになる私は「おおお、なるほど」と思った。

ちゅん平には「こうこうこういうわけで、私は初めて会う人とご飯食べるけど来る?」と聞いた。
以前だったら考えられないオプションだ。会って初めての人とご飯食べに行くなんて。
でもちゅん平は「行きます!」と即答でした。

そして近くの個室居酒屋で、楽しい時間を過ごしました。

夜遅く、岡山に着いたというニキさんから電話がかかってきた。
しばらくおしゃべりした。
「今日はこういうことで、私のネット友だちとちゅん平とご飯を食べたんだ。来る? ってきいたら即行きます! って言ってついてきた。考えられないよね、昔なら」
「すごいよね~」
「もはやスズメではないね~」

そうそう。
ちゅん平はちゅん平自身による命名。少しの刺激にも飛び上がって驚くスズメになぞらえての名前。
でももはやスズメではない。

翌日、晴れ女の私にしては珍しく雨の岡山。
昨日の方が方向音痴の私のために、ホテルまで迎えにきてくださり、会場まで送ってくださいました。
そしてなんと、講演会にもご参加。

今回もいい出会いがありました。

そうそう。

ホテルにはもう一組、自閉っ子とそのママも訪ねて見えられました。
初めて会った自閉っ子のボクだけど、ずーっとママから話を聞いていたから
初めてとは思えなかったなあ。

ハイタッチでご挨拶しましたよ。
ノンバーバルでもご挨拶はできるよ。

ギョーカイ健康法

2013-10-19 12:08:51 | 日記
最近神田橋先生の「医学部講義」っていうご本が出ました。
興味ある人はぐぐってね。
神田橋先生が母校の学生さんたちに向けて一年にいっぺん講義なさってるそうで
(まだ医学生の、どの科のお医者さんになるか決まっていない人たち)
精神科に限らない養生法みたいなのがちりばめられているので
読み物として面白いのですよ。

それを読んでる途中で
「ははあ、私がなんで病気しないかわかったぞ」と思ったので
神田橋先生に感想文がてらハガキをお送りしました。

不思議なことに、神田橋先生に何か書こうと思うと、いつもするすると言葉が出て
出てきた言葉の率直さに自分でびっくり、なんですけど

何の気なしに向かい合ったはがきにこんなこと書いちゃいましたよ。

「神田橋先生こんにちは。今、医学部講義の本を読ませていただいています。ここ数年、なぜ自分が病気にならなかったかわかりました。相変わらず発達障害の世界は大キライですが、悪口言いながら好きな本を出していたので、健康にはよかったのでしょう。さて、また面白い治療者の方と出会ってしまいました。好奇心に基づいた技法の本が出せそうです。できましたら送付いたします!」

どうやらその通りのようです。

考えてみたら
大キライなギョーカイで、悪口言い放題で、それで仕事になってるってすごくありがたいことです。

要するに

別に自分のいる世界がキライでもいいんだと思います。
キライならキライなりにあんたたちキライだよ、と言いながら
信念に基づいた仕事してればいいんだと思います。
ギョーカイがキライだからこそ、出せる本もあるのです。


私は発達障害の当事者・保護者・支援者の78%くらいはキライだと思います。
言うまでもありませんが、当事者・保護者・支援者の中にも好きな人もいます。
でもルサンチマンとたかりを肯定する雰囲気はキライです。
治さない医療、伸ばさない支援、努力を社会に丸投げして
「社会の理解ガー」を集団でやってる人たちはキライです。

そしてキラワレ率はもっと高いかもしれません。
90%くらいかな。
橋下さんにはかなわないかもしれませんけどね。あれほどの実績がないから。

でも私が78%キライだということは
22%は別にキライじゃないんだ。

結構多いじゃないか。キライじゃない人も。
22%もいるんだから。
22%とうまくやっていけるなら
そしてその他の人たちと、無理に仲良くしなくていいのなら
私にとって、大キライなギョーカイは
実は住みやすい場所なのかもしれません。
少なくとも健康にはいいのかもしれません。

どっちみち誰とでも仲良くできない性格なら
キライな人がいっぱいいて、悪口思い切り言えるギョーカイの化外の民として生きるのも資質にあってるのかもしれません。
そう思うともうちょっと発達障害やってもいいかなという気になってきました。
どうしてもいい人たちと出会っちゃうしね。

今度作る「好奇心に基づいた技法」っていうのは、神田橋先生が「こういうのあるといいな」と
ここで提言されている技法です。
そういう本を作れそうな役回りが、また花風社に回ってきましたよ。
22%しか好きじゃないのに、ちゃんとその中から人が見つかるなんて、ありがたいことです。


あ、そうだ。

もう一つ神田橋先生より。
自閉っ子通信最新号、よくまとまっていると評価していただきました。
皆さんも、読んでね。

それと、
今日は岡山に出発します。
たくさんの方がお越し下さるようですね。びっくりです。
お会いする皆さんには、自閉っ子通信お持ち帰りいただきます。

「でこぼこでもいい。健康で幸せになろう」

これが花風社の提言です。