治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

マイナスの支援

2013-07-31 10:25:25 | 日記
なんでがちがちにギョーカイ式療育に取り組む人より、なんとなくやっている人の方が成果が上がるのだろう。
なんで就労支援に頼っている人より、途中までしかそんなもの当てにしない人の方が職場で長持ちするのだろう。
ずっとそれを疑問に思っていた。

ちゅん平さんの「自閉っ子的心身安定生活!」を読んでもらうとわかるけど
「生涯にわたる支援」を、当事者は必ずしも必要としない。
というか「生涯にわたる支援」が必要であっても
「生涯にわたる支援機関」は必要としない。
ある程度まで行くと、そのあとは自分で道を選ぶ方が健康だ。

そもそも発達障害の人って、得意不得意の差が大きくて
好きなことなら頑張れる人たちだ。
その人たちに向かって職種を限定した就労支援よりも
「自分で好きな仕事を選び」「それに向かって頑張れる環境作り」を支援した方が健康に結びつくのは当たり前。

賢ママさんのご長男は、別に就労支援センターに就職を世話されたわけではない。
勤労学生として、バイトを探してきた。
後から入ってきた人に、時給で追い抜かれたりした。
そこで親御さんは「障害があるから差別!」みたいなギョーカイ的ルサンチマンを雇用者にぶつけるのではなく
「時給は実力による」という「現実」を我が子に教えてあげた。これは正しい。
後から来た人に高い時給をつける雇用者は、実力を見ている。だから実力が上がればちゃんと評価してくれる。差別者ではなく、リアリストなのだ。
そしてその通りになった。正社員採用に結びついた。

LDで日誌が書けないから、それを肩代わりしてもらっている。
その分、誰よりも早く出勤し、職場を清掃して先輩達を迎える。
これも親御さんが教えたことではないそうだ。自分で生み出した工夫。
そして職場に受け入れられている。

かたややはりお友だちのご長男。
健常者と一緒の就職説明会に出て、質問コーナーに自分で挙手をし「障害者雇用はありますか?」と質問したとのこと。知的障害の判定が出ているそうだ。
「あります。挑戦してみてください」と言われたそうだ。
ここで挙手をし、質問ができたことが一つの成果だと思う。
合否は時の運もある。でも
自分でやりたい仕事を見つけて、履歴書どんどん送れるのは今までやってきた成果だ。
そしてこれを育むのはギョーカイではない。

こういう自発性は、就労支援ではなかなか培えない。
どうも、支援ギョーカイが紋切り型に「こういう仕事は無理」とか言ってしまう仕事に自発的についた人って、職場で長持ちしているような気がする。
そうしたら支援の実態を教えてくれた人がいた。

・専門家は、発達障害認定を受けた人間には、社会で人間関係を楽しむ能力はないと決めている。
・困難に対処する能力も皆無であると決めている。

なるほど。「二次障害回避原理主義」には気づいていた。
アインシュタインがエジソンが、というわりには、その才能を伸ばす気がギョーカイにないのは気づいていた。
そんなたいした才能の話ではなくても
「資質の開花」に目を向ける支援者がとても少ないのには気づいていた。
そういう支援なら
あればあるほど、受ければ受けるほど、悪くなる。

支援が必要ではないというのではない。
ただ自発性は大事にしなきゃいけないのに
心配性の保護者+固定資産化したいギョーカイのコラボで
健康な成人生活が妨げられないといいなと思っている。

身体をあんまり動かさなくていい感覚運動アプローチ

2013-07-30 06:42:07 | 日記
「自閉っ子、深読みしなけりゃうまくいく」の著者紹介に書いているが、私が今度生まれたらなりたい動物はクジラです。
でも最近、ダイオウイカもいいかな~と思うようになってきた。

とつぶやいていたら「海が怖くないんですね」と声をかけられ
そう言えば海はまったく怖くないなあと思った。

80代ともうすぐ80代であるうちの両親は
つい数年前まで夏になるとしょっちゅう湘南まで海水浴に出かけていた。

区切られている遊泳区域ぎりぎりまで競泳する老夫婦はライフガードさんたち注目の的で
よく声をかけられ、シーズン終わりには
「ここは今日でライフガードいなくなりますから明日からは辻堂に行って下さい」とか言われたらしい。
何かとお心遣いいただいていたようです。

つまり私にはこの二人の血が流れているので
アクティブに動くことにあまり抵抗がないのです。
だから自閉っ子の不思議な身体感覚に気づいたときも「じゃあ動けばいいんじゃないの?」みたいな発想を割と安易にしてきたのですね。

でもいっぱい現場を見ている愛甲さんは、アクティブに動けない人をいっぱい知っています。
そして愛甲さんはごくごく自然に「身体をあんまり動かさなくていい感覚運動アプローチ」も開発している。
「自閉っ子のための道徳入門」に出てきた十本指遊びは、足でやると難易度が上がるそうですけど
あんなもの全く体力いりませんよね。お金もかからないし。

というわけで私たちは、そっちの方面もいっぱい考えている最中です。
実践しはじめている方々もいるようですし、工夫している方々もいるようです。
皆さんもどうぞおうちでの工夫をどんどん寄せてくださいね。

今度の会でもそういう質問出るかもしれませんね。

私としては、身体の感覚がない→自我が薄い→自他の区別がつきにくい
と考えています。
自分の身体がどこからどこまでかわかるって、自我の形成にとって大事だと思っています。
実際矯正教育の場でも、感覚運動アプローチ大事にしてるって品川裕香さんの本とかにも書いてあるしね。
トンデモ扱いしたい人はしていいよ。どうぞ無視して犬の訓練でも心ゆくまで続けてくださいませ。結果は子どもが出すでしょ。
「そうだなあ」と思う人は十本指遊びくらいから始めるとどうでしょ。
これはコミュニケーションにもなるし。

いじめられる原因となる身のこなしを治す

2013-07-29 08:33:55 | 日記
思うに、自閉症者がいやだな、と思う感覚って世間の人でもそれぞれ違うと思います。
どうしてもひらひらぴょんぴょんしてしまい、白い目で見られることに
親御さんが敏感なことがあります。
都会は比較的そのあたり「無関心が礼儀」となっているので、じろじろ見られることとかが少なくて
それが好きだという方もいます。

奇声を上げてしまい
周囲から人がいなくなったり、
白い目で見られることもあります。


私自身のことを言えば
ひらひらぴょんぴょんや奇声はほとんど気になりません。
自閉症じゃなくても、なんらかの理由で不思議な身体の使い方をしている人はいます。
「なんか事情があるんだろう」と思っています。

けれども私は「自他の区別がつかない」タイプの自閉症(及びその関係者)がずんずんこちらに立ち入ってくることはとても不快に感じるし
はっきりと拒否します。
「自閉症者の犯罪について語るな」
「自閉っ子シリーズのあるべき方向とは・・・」
「その本を出したいのなら俺たちの解説をつけろ」
「パスポート見せろ」

みたいな自他の区別を欠いた申し出は非常に不快に感じます。

「脳みそラクラクセラピー」の中で、愛甲さんに「自他の区別がつかないのは発達の遅れ」と教えていただきましたが
山口県周南市で起きた事件のように「退職金山分け」みたいなことを平気で言い出す文化があるとするならば
文化の違いかもしれないと思っています。
「一人だけずるい」という感覚は、多くの人が共有していると思うのですが
場の雰囲気で、そういうことが臆面もなく言い出せる場所とそうじゃない場所があるのだと思います。

そんなわけで、いちゃもん系の自閉症者・当事者
独善+お花畑系の支援者を迷惑に思う度合いが強い反面
自閉っ子の身のこなしが変なことは、私にとってたいした問題ではありませんでした。
治すべき問題ではありませんでした。

けれども先日スポーツ塾チットチャットさんにお邪魔したとき、所長の森嶋氏から
「ごまかし運動」という言葉を何度も聞きまして。
いったいどういうことかと考えていたら
どうやらどの動きにどの身体の部位を使うかが、発達障害のある子は普通と違っていることがあるらしい。

その結果身体の使い方の効率がよくなくて疲れたり(こういう人は、いっぱいいっぱい見てきましたね)
身のこなしがちょっと変で、それがいじめの原因になったりするそうです。
わかるわかる。

だから「変な身のこなしを矯正する」とは考えなくても
スムーズな身体の使い方を遊びを通じて学ぶと
身のこなしは一般の人から見て違和感のないものになっていくそうです。

「それでいじめられる原因が一つ減るのならいいでしょう」と森嶋氏はおっしゃいましたが
その通りだと思います。
それもまた、効果でしょう。

思春期を迎えた自閉男児と母親のスキンシップはどこまで許されるか

2013-07-27 06:42:50 | 日記
という質問が、先日の愛甲さんに質問する会で事前に提出されました。
匿名希望ということでした。

これは難しい問題だ、と思いました。
自閉っ子は年相応に愛着が育っていないことがあります。そうするとある程度大きくなってからもスキンシップが必要な気がする。
でも大人の男の身体になりつつある男児が母親に過度な(定型発達ならその年齢では求めないような)スキンシップを求めて来た場合、母親の方がいやなこともあります。
またそれを許しておいて、汎化が効かない人が外で他人の女性にやってしまうと、警察沙汰になりかねません。
ということで愛甲さんがどう答えるだろうなあと思いつつ当日を迎えました。

愛甲さんのお考えではやはり、度を過ぎたスキンシップは早めにやめなくてはいけない。
放っておくと家庭内暴力に転換するそうです。
でも愛着は育てなきゃいけないでしょ? どうやって? という私の質問に
愛甲さんは解決策を示してくれました。
その一つとして「ある遊び」がありました。当日その場にいた方ならおわかりですね。

これこそ、犬の訓練法では解決できません。
飴と鞭で行動を抑えることができたとしても、子どもの中のもやもやは残ります。それはいつかまた、問題行動になります。第一愛着関係が成長しません。
愛着関係の成長を促しつつ、問題行動をなくしていくためには
やはり脳みそラクラクセラピーなのでした。

後日大阪の発達凸凹の子のためのスポーツ塾、チットチャットさんにお邪魔したとき
所長の森嶋勉氏にそういう問題のための「ある遊び」を伝えました。
「おもしろい」とおっしゃっていました。


昨日のブログにも登場した真鍋さんが、花風社の本と出会ってがらっとかわったことは
「問題行動をなくす」という視点から「本人をラクにする」という視点への転換だとつぶやいていらっしゃいましたが、
本人をラクにすると、問題行動は消えていきます。
本当に面白いように消えて行くんですよ。

そしてそれは、何気ない働きかけなんです。
「脳みそラクラクセラピー」をお読みになった方は、十本指遊びをご存じでしょうが
あれだけでずいぶん落ち着いてくるんです。
あんなの、体力もいらなければお金もかかりませんよね。

「治らないなんて言えないよね」って思います。

大学教授なんてさ(暴論)

2013-07-26 07:23:19 | 日記
昨日どっかで科研費猫ババした教授がいたんですかね? タイムラインに「大学教授なんてみんなそんなもん」っていうついーとが流れてきました。
たとえばここで私が教授の家族として腹を立てて「すべての教授が悪いことをするわけじゃありません! 教授への偏見につながるからそういうついーとはやめてください!」とか突撃していったらイタいでしょ?
ところがこれを堂々とやるのが発達障害関係者ですね。

子どもに一番最初にしなければいけない遵法教育は「自他の区別」。
だけど自閉っ子関係者はこれがわかってない人が多いのよね。教えるより先に自分がわかっていない。

たまたま周囲に変な大学教授ばかりそばにいたら、そりゃ偏見持ちますわな。また変な大学教授、世の中にあふれてるしさ。ギョーカイ見渡したっていっぱいいるでしょう。
だから大学教授が変なやつばかりだと思うのなら別にそう思うのはその人の勝手でしょう。
大学教授撲滅運動とか始めない限りは、放っておけばいいと思うよ。

さて、ここから宣伝です。
「自閉っ子のための友だち入門」に登場していただいた大学教授の真鍋祐子さん。
本がお手元に届いたということで、早速ちゅん平さんのところと私のところを読んでくださったそうです。

そして「今回の件で改めて親に感謝しました」と。
本当に何度も書きますけど、真鍋さんのご両親肝っ玉父母です。
ご本人いわく「自他の区別のつかない乱暴者でご近所では問題児」で
「この変な子をなんとか社会で生きられる子にせねばと必死で人の道を説いた」と。

うちの母もなかなか肝っ玉ですよ。
私はね、YTが電話かけてきたとき「あなた、いきなり知らない家に電話かけてきてそんな変なこときいて、頭おかしいんじゃないの? 非常識でしょ。恥を知りなさい恥を!」と言ったとき
「なんでギョーカイの偉い先生方(含大学教授)が十年間やれなかったことを母はできるのか」と思いましたよ。

親が怖がり、支援者が怖がる発達障害の人たちを社会に理解せよって筋が悪すぎないですかね。

だからね、「怖がりじゃない保護者・支援者」って自閉っ子にとって財産なんですね。

そして真鍋さんのお母様
「母の場合は怖がるどころか、日々新たな衝撃との出会いを楽しんでいた節さえありました。(中略)あんたにはいろいろ楽しませてもらったと言って亡くなりました」

かっこいい!

でも自閉っ子育て楽しんでいるお母さんはいっぱいいるけどね。
うめさんだって賢ママさんだってそうだし。
見事に重度中度の自閉っ子にも「人の道」を教えているお二人。これを読んでね。



私が大学教授に偏見持ってたとしたら、
「みんな大酒飲みだな」ということでした。
でもこれはたまたまうちの夫(@自慢)の周囲に有意に集まっていたらしい。
真鍋さんはあまりおのみにならないようです。

変な大学教授が周囲にいる人は、大学教授に偏見持つかも知れません。
猫ばば教授はレアだとしても、変人多いのはたしかだから。
「変人ばかり」と言われても、別に事実であり偏見ではないけどね。
「変人ばかり」という言い方は
「中には変人じゃない人もいる」、ということを別に否定していませんし(ここの読み取りができない人がいる)。

自閉っ子に対する偏見も同じです。
世の中の人は自閉っ子を、たくさん知ってるわけじゃありません。
だから周囲にいる人がたまたま「自他の区別がつかない乱暴者」だったら「自閉症の人とは距離置きたいな」と思います。
いろいろ苦労しながらも親子で頑張っている姿を見たら、多少問題があっても「自分にも何かできないかな」って思います。
思わない人もいますが、そういう人はどういうことにも親身にならないので、ほっておけばいいです。

だから偏見がいやだったら、自他の区別がつかないまま他人の言論統制して歩くより
社会のルールを守れる自閉っ子になったほうがいいと思います。
やればできるし。

嫌韓と嫌アスペルガー(暴論)

2013-07-24 09:47:00 | 日記
えっと、花風社の展開する自閉症の見方が気に入らないという理由でネット上で暴れ回っていた当事者を民事提訴・刑事告訴して勝訴・有罪判決を引き出した話は耳タコでしょうけど
そういう裁判起こすときには、相手の主張が誤っているという資料を集めて裁判所や警察に提出するわけですね。

たとえば、ニキ・リンコは実在しない。浅見淳子が演じているといういんちきに対しては
ニキさんと私が揃って警察に行って顔見せしたし、パスポートも提出した。
しかも本に書いてあるとおり
警察ってまた、外務省に裏付け取るんですよ。すごいですね公権力。

学歴詐称っていう名誉毀損に対しては
母校に行って卒業証明取りました。
夫が行ってくれたんだけど、夫婦でも委任状が必要でしたよ。

在日だっていう主張もあったんだけど
これは実家の何代も前からの戸籍謄本を取り寄せた。
いやあ、今のと違って古式ゆかしい謄本で
これは実家の両親が父の故郷である湘南地方まで車を飛ばして取りに行ってくれました。私はもう姓が変わってるから、役所のガードが固くなるので、両親が行ってくれて助かりましたです。

創価学会員だという疑惑。
これもまあ、事実無根なんですけど、証明のしようがない。
一番そうじゃないのを知っているのは、私のそばにいる創価学会員の人じゃないかな。不思議なほど皆さん私を勧誘しませんね。たぶん勧誘するタイプじゃないんでしょうね。
まあ全然公明党支持してないことはこのブログ見ている人ならわかるよね。

そもそも
在日や創価学会員だとしたら、私は隠さないんじゃないかなと思います。
別に恥ずかしいことじゃないでしょ。

だからね

加害者が拡散した数多くのうそっぱちの中で
「名誉毀損」ということで論駁することに一抹のためらいを感じたのは
「在日」と「創価学会員」疑惑です。
「詐欺」や「学歴詐称」と違い
「在日」であることも「創価学会員」であることも別に恥ではありません。ただ事実と違うだけ。

だから私は、犯罪が起こると在日疑惑かける人とか、そういう人の活動は基本的にキライです。
ある種の血統主義だと思ってる。そういうことする人は俗物だと認定してます。
でも外国人参政権にはもちろん反対です。
在日の人は帰化しやすいはず。ならば日本国の政治に参加したければ日本国民になればいい。
そうじゃないことを選ぶのなら、それも自由。参政権がほしければ日本国民になればいいと思うよ。

韓国料理は別にキライじゃないけど好きじゃありません。なんというか仕事がおおざっぱな料理だよね。
韓流は興味がないので全く見ないうちにブームが終わっていました。

韓国人との交流経験を考えてみましょう。
大学時代に留学生がいた。
大学時代に在日の人がいた。
社会人になってから韓国法人の人と一緒に仕事したり遊んだりした。
それくらい。
日本人の友人や同僚と同じ。

かの地を訪れたことはありません。

こんな私も、うっすら嫌韓です。
不思議でしょ。
自分でも不思議になって、理由を考えてみました。

そしてわかったのは
あっちがこちらを嫌っているという情報が入ってくるからだろうなあと。

旭日旗っぽいものにケチをつけて歩く。
慰安婦のお人形配る。
ひとんちの国旗焼く。
こういうことされたら、日本人としてキライになるに決まってるじゃないですか。

そしてね、これを思い出したんです。

=====

もっと重要なのは自閉症の人の視点からみた「多数派」あるいは「定型発達」と呼ばれる非自閉症者の行動特性である。多数派の行動特性は欺瞞と矛盾に満ちている。多数派の人々は自分たちの行動が普通で常識的だと思っている。しかし、本書の至る所で見事に描写されているように、多数派の人々の行動は実のところ非常識で身勝手で押しつけがましいのである。

=====

先日書いたように、私は定型社会に恨みを抱いている支援者を選びません。
そういう人が、社会に人を送り出せるとは思えないから。
でも上記のような論調に同調する人もいる。それは理解しますよ。
本当に嫌いなんだろうね。憎いんだろうね。定型の社会が。

でもそういう人の存在が目立ったら
おそらく定型社会は嫌アスペルガーに傾いていくでしょうね。

自分のことを嫌いな人のことは、
よく知らなくても嫌いになりやすいです。
アスペルガーの人が、勝手に脳内でこさえた理由で定型社会を弾劾するなら
定型社会はアスペルガーの人とつきあわない道を選びます。
そしてそれは差別ではありません。
不愉快にならないための自衛です。

資質と適性と才能の違い

2013-07-24 08:50:45 | 日記
FBのお友だちが就職決まったとお知らせ。
よかったなあ。

ギョーカイ的には当事者に向かない仕事って言われているんだって。
関係ない関係ない。

ちゅん平が販売職なんて
ギョーカイ的には考えられないでしょ。
でも見事に花開いていますよ。職場を通じて人間関係もできて
なんだか遅れてきた青春を謳歌している。

ギョーカイ的には考えられなくても
ちゅん平が販売職って、神田橋先生愛甲さん的に言う「資質」には合ってるんですよ。
ギョーカイは狭いんだよ、見方が。
ギョーカイの「向いてる・向いてない」の決め方の一つは
「自分たちが世話できるかどうか」が入ってたりするし。

正直「発達障害は治りますか?」の頃には、私にも才能と資質と適性の違いがよくわかってなかった。

んで、それまでさんざん「アインシュタインがエジソンが」と言いながら
いざ就労支援となると早稲田大学出た子に時給800円のファイリングみたいな仕事を用意して
「就労支援成功(ドヤ)」とか言ってるギョーカイにうんざりしていたこともあり

「適性に合った仕事を」と言いながら
「花風社で本を書いたらどうかね」と勝手に患者に言い、患者がその気になって「本を書かせてください、主治医に言われたんで」とか言ってきて「ほえ?」となり、よく聞くと見知らぬどっかのおじさんがうちの出版ラインを勝手に決めてるということを知り
「あなたにとっては主治医でも私にとっては知らないおじさんだから私はその医者の言うとおりの本を出す気はない」と持ち込みことわってあきれたり

「福祉職はとうてい発達障害者にはつとまりません。弁護士とか裁判官なんてどう?」とか言う、他人の仕事の大変さにまったく思いを馳せないギョーカイ人のお花畑っぷりにうんざりしていたこともあり

適性に合った仕事につけば花開く、と大本営発表しながら、「二次障害回避原理主義」に陥って自由業的なマインドをまったく教育しないギョーカイにあきれていたこともあり

「適性」とか「才能」とかいう言葉が支援者から出てくると警戒してたんですよね。
そんな甘いもんじゃないよ、って。

そして
資質と適性と才能をごっちゃにしていたんですよね。
それが整理されたのは、「脳みそラクラクセラピー」です。


あれでクリアになった。
だからFBのお友だちの前途を絶賛応援中です。

逆にさあ、

「障害者枠が増えてもコミュニケーション力に不安のある発達障害者の枠はなかなか企業に雇ってもらえない」とかいうギョーカイトークをまともに受けて嘆いている人なんて見ると
「リテラシー」っていう単語を思い出します。

「自閉っ子のための友だち入門」感想

2013-07-23 08:35:55 | 日記
ちゅん平さんからいただきましたのでご披露させていただきます。

=====

浅見さん

こんにちは。
早速、友だち入門を読みました。
今回の本も、新しい発見に満ちていました!

体験談を話した3人が3人とも、友だちいらないと思っていたのには笑いました。
本当に友だち欲しいと思わなかったです。
でも、それは順調な生育サインだったのですね。
安心しました(笑)。

愛甲さんのところを読むと、なぜか安心してしまいます。
なんなんでしょう。
愛甲さんのお人柄がその章に溢れているというか。
文章の気配も軟らかなんですよね。
山吹色の優しいオーラが見えるというか。

ニキさんと真鍋さんの章は、ともに「なるほどなぁ」と思うところばかりで、ニキさんと私はだいぶ違うから、「ほー」とか、「へ~」とか、たくさん声が出ました。
相変わらず、ご自分で答えまで導き出されるところに、すごさを感じました。

真鍋さんのところは、共感するところが多かったです。
特に、教師が抱く望ましい友達像!
私にも似たような経験がありますから。

先生や部活仲間から、友達を選べ、と何度言われたことか。

私は真鍋さんほど「自分の力で生きていけ」的な教育を受けていませんが、それに似た考え方を持って生きてきたので、本当に色々な部分で共感しました。

また、親御さんのアドバイスが素晴らしいですね。
ただ、アドバイスがあっても、それをちゃんと活かすことができたのは、真鍋さんの持っている資質のおかげだとは思いますが。
でも、一人の方の体験がこうやって本になって、それをたくさんの人が読むことができる。
それって、素晴らしいことだと思います。

栗林先生のところでは、いじめを紐解いて解決していくというところが非常に勉強になりました。
「自分の価値観だけで判断してフィードバックする」って、本当に見事な表現ですね。

こうやって言葉にしてもらえると、ああ、そういう風に整理したらいいのか、と分かるのですが。
私も相当に物事をネガティブに受け止める子だったので、「いじめ」だと思っている体験が山のようにあって。

だけど、栗林先生風の見方をすれば、いじめかどうか分からないものが多いと思います。

いつも主観的な考えしかもてなかったいじめでしたが、栗林先生のお話を読むうちに、「あのとき、私にも交通整理してくれる人がいたら…」と思い。
そうすると、人生で最初で最後の不登校の記憶が少し変化しました。
もしあのときに栗林先生がいらっしゃったら、もらった脅迫状をどう分析してくださったか、とか。
私にも問題がなかったか、とか。

「それ、いじめかな?」という考え方があると知ることができたのは、私自身の大きな成長につながるのではないかと思いました。

=====

死んだふりより交通整理。
これで自殺とか減るといいなと思います。

風通し(「竹林はるか遠く」を読んでギョーカイを思い出した件)

2013-07-22 10:23:05 | 日記
ちょっと前に
「竹林はるか遠く」っていう本の発売が話題になってました。
第二次世界大戦の終戦時、朝鮮半島から引き上げてきた日本の家族の話です。

アメリカで副教材とされたそうですが
引き上げの途中、朝鮮人の人たちに悪いことをされた記述もあるらしく
在米韓国人の人たちの反対運動にあったり
韓国ではそもそも発禁となったいわくつきの書。
それがようやく邦訳されるというので盛り上がっていました。

私は原書のペーパーバック(「So Far from the Bamboo Grove」)を読みました。


率直な印象は
普通にいい本だ。
でもネトウヨ期待はずれかも、というものでした。

終戦時、大変な状況の中を家族力合わせて日本に帰ってきた普通にいい話です。
だからこそ副教材にも選ばれたのだと思いますよ。

たしかに悪いコリアンも出てくるけど
これが戦争でしょ。
そしていいコリアンも出てきます。身の危険をおかしてまで日本人をかくまって逃してくれたような。

一方で悪い日本人も出てきます。
とくにぼろぼろになって引き上げてきた人への上流階級の風当たりの強さ。
これ、日本でいまだに見られる日本人の恥部ですが、変わってないなあ。
命からがら引き上げてきたら、ぼろぼろで当たり前じゃないですか。
日本人の、とくにセレブな人たちって、そういう人に同情するより鼻つまみ者にするのよね。
みんなが食うや食わずの終戦当時は、なおさらそうだったかもしれません。

大変な状況の中、度重なる悲劇を乗り越え
戦後をたくましく生きていく主人公。
何度も書きますが、普通にいい話です。

だからこそ私は逆に、これを発禁にしなければならない韓国というのは風通しが悪い国なんだろうなと思いました。
行ったこともないし、入ってくる情報から、とうてい好きになれない国だけど
中にいる人は、日本でしがらみのない生活をしている私が知らないつらさを味わっているのかもしれません。

そしてこの本の発禁処分に
そもそも一番最初にギョーカイに感じた違和感を思い出しました。

私がここで「健常者に人権なしのギョーカイはよくない」とか書いていると
「そうですよね」って時々、明らかに「健常者に人権なし」の人に言われてびっくりすることがあります。

要するに私が何をもって「健常者に人権なし」と呼んでいるのか、わかっていないのだと思います。

私がギョーカイに対して違和感を感じ始めたのは
発達障害の人が事件を起こしたときの「報道するな!」でした。

とんでもない誹謗中傷とか、事実誤認とか
そういうことを報道するなというならわかります。
でもなんで、犯罪が起こりその子に診断がついたという事実を報道しちゃいけないのか。
そういうことを真顔で要求する集団に違和感を覚えました。

そしてこの本を発禁とする韓国にも同じような違和感を覚えます。

要するに韓国の人たちは、コリアンは無謬の存在だと思わせたいのかな。
それは現実的じゃないと思いますが。
いいコリアンだって悪いコリアンだっている。それが自然でしょう。

そしてギョーカイ。
報道されることが偏見につながると言いますけど
事件が起きてその加害者に診断名がついたとき、報道が伝えるのは偏見ではなく事実です。
それは誤報でも誹謗中傷でもない。
なぜそれにストップをかけるのでしょう?

どっちにも風通しの悪さを感じました。
この本発禁にする半島も、事件の報道を統制するギョーカイも
劣等感と自意識過剰を振り回している感じ。

私は発達障害者が事件を起こしたら、きちんと報道されてもいいと思います。
そして関係者は
きちんと事件を起こさない発達障害者を育めばいいと思います。
それができる人たちなのだから。



自由としがらみ

2013-07-22 09:33:11 | 日記
私は前記のお医者さんと違って


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今の日本がみんな足の引っ張り合いで、弱点探ししてるような、そんな閉塞した空気が流れているので、なおさらそう思ってしまうのですけど。 選挙があればそういう雰囲気って加速してしまいますよね…

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とは思わないですけど
選挙っていうか、政治へのかかわりを見て
自分って本当に既得権と無縁の人間なんだなと思うようになりました。

ついったーで見てて面白かったのは
橋下さんの慰安婦発言騒動以降
真正保守っぽい人たちがだまりこんじゃったことです。

中韓には強気になれても
アメリカにきちんともの申すことがタブーなら
それは愛国っていうより人種差別だろう、と考え
真正保守への信頼が消えました。

それから、若い世代でも、意識高い系の発言をし、ベンチャー的なことをしている人でも

「親が自民党に仕事を回してもらってるから自民党」みたいな発言をおおまじめにしているのを聞くと
いつの時代の話? と思います。
私は何にも守られずにやってきた人なんだなと思います。

まあ考えてみれば、別にコネで就職していないし。

いや、守られてきていない、ということではないかもしれません。

大企業勤務の父がいたから
大学行くときに学費なんて心配しなかったなあ。
そういう意味では、守られてきたんですね。

だから私は「守られてこなかった」というより「しがらみがない」んだと思います。

そして父の仕事で支持政党が決まっちゃうような人は
しがらみの中で生きているのかもしれません。

そしてしがらみの中で生きている人ってたぶん私の予想より多く
そういう人はしがらみゆえに、死んだふりしなきゃいけないところがあるのかもしれません。

それはそれで楽ちんなところもあるんだろうけど

私は今の自由が、心から好きなのでした。
ただ、私が享受している自由が
怖くてたまらない人も、いっぱいいると思います。
私には合ってます。
その証拠に、病気をしません。