愛甲さんの本を出そうと思ったきっかけは、神田橋先生と愛甲さんと三人でお食事していたときに
「なんか治しちゃう人だね」みたいな言葉で、神田橋先生が愛甲さんを評していたことがきっかけかもしれません。
おいしいおさかなをいただきながら耳ダンボになって、「おお、愛甲さんも治すのか」と思いました。
愛甲さんにお会いになった方ならわかると思いますが
本当に穏やかな方ですからね。
ところがこの愛甲さんが、セラピーで強度行動障害の人をどんどんよくしていると知って
しかもそれが、本当に何気ないことをやっている結果だと知って
「じゃあそれ、家庭でも参考になるかも」と思って生まれたのですね、脳みそラクラクセラピーは。
治す人って結構方々にいて
医者とは限らない。
愛甲さんは言語聴覚士で臨床心理士だけど、作業療法士だって治す人いるし
いえ、別に試験を受けるような資格の人じゃなくても
ソーシャルワーカーや施設の人でも治す人いるよね。
一方で治さない人もいっぱいいる。資格者でも資格のない人でも。
以前は「支援がない支援がない」と言っていた皆さんですが
支援はそれなりに増えて、ようやく支援にたどりついたけどろくなもんじゃねーって言うのがイマココじゃないでしょうか。
そして愛甲さんのお仕事の一端としての「強度行動障害への対応」は、「自閉っ子のための道徳入門」でも見ていただいたわけですが
今回の脳みそラクラクセラピーは、そうした重いケースから、家庭で「社会性のある子に育む」ためのヒントから
まあ割と広く網羅しています。
というわけで強度行動障害ってまあ今わりと引っかかってくるテーマなんですけど
それについてシンポジウムがあったみたいよ。
そこで強度行動障害の人に対する薬物治療について、お医者さんがこんなこと言ってました。
えっと、ソースはここ。
主催は愛知県心身障害者コロニー。
あれれ聞いたことあるぞ。
=====
いわゆる強度行動障害を示す児童や成人に対して、薬物による治療が行われることが少なくありません。
これまでに知的障害や自閉症等の障害を持つ人の、攻撃的な行動や著しく反復的な行動に対して、抗精神病
薬、抗うつ薬、抗てんかん薬、ADHD 治療薬などの投与が試みられ、有効であったと報告している研究も見
られます。しかしそれらの研究の数はけして多くはなく、また質の高い研究は少ないままです。こうした薬
物の効果は限定的で、薬物療法のみで、強度行動障害が改善することはあまりありません。薬物以外での取
り組みが効果を発揮しやすい状況をつくり、その効果を助けることが、薬物を使う目的となります。
一方で知的障害や自閉症のある人では、身体にも何らかの弱い部分があることが少なくありません。また
副作用が現れたときに、上手く伝えられないことが多く、より慎重に薬物を使う必要があります。また使わ
れる薬物の中には、眠くなったりだるくなったりするものが多く、また新しいスキルや行動パターンを身に
つける際に妨げになることもあります。
=====
これを抄録にのっけてるのが、かの有名な吉川徹センセイだっていうのが驚きです。
この方向性の人が、どうして神田橋先生の本を妨害したんだろう?
方向性は似てるじゃないですか。少なくとも素人目にはそう見えますが。
違うのは、神田橋先生には治す力と意図があり、もうお一方の方はそれがあいまいなだけかな。
いえ、患者としてかかったわけではないので、医師としての技量などは知りません。
でも、いつも「社会ガー」の言論を貼ったり、大地君につまんないちょっかい出したり
「治す」人である神田橋先生の本の妨害をしたり、「家事のできる引きこもり発言」をしたり
とにかく「障害者をあくまで弱い人にしておきたい」ことが見えるので
きっと治す意図はないんだろうと思うし。
治す意図があっても、今のところはまだ自分の力量に満足せず、修行している臨床家はいっぱいいらっしゃると思うんですよ。
実際に神田橋先生のところだって、いつも陪席の先生がいっぱいいらっしゃる。
「先生は天才だから」で終わらせず、一生懸命何かを学ぼうとされている先生は多いのだと思いますよ。
それにちゅん平の主治医の先生だっていい先生です。
「30歳からの社会人デビュー」の巻末、主治医の先生への質問を入れました。
ちゅん平がひどかった状態から、今の状態まで、ずっと支援されてきた方です。
「なぜ彼女が自閉症だと気づいたか?」というその契機についておききして
ああ、この先生は、本当にちゅん平を健康にしたかったのだ
そしてちゅん平を、障害者として以前に人間として見ていたのだ
ちゅん平はいい先生に恵まれたのだ、と思いました。
でも吉川センセイはタイプの違うセンセイのようです。
ただしこれ、私は吉川センセイを侮辱しているわけではありません。
「神田橋先生のところに行く人はおりこうだけど、吉川センセイのところに行く人はバカ」と言っているのでもありません。
自分で好きなところを選ぶ権利が、皆さんにはありますからね。
何年も待って、高い初診料を払って
それでも家庭内暴力、不登校一つ治さない、という評判の医院がうちの近所にあります。
それはそれでいいのでしょう。
「治らない」ことを選ぶ権利だって、人にはあるのです。
「治すことが正しくない」と信じる権利だって人にはあるのです。
治らない医院にえんえんと通い続けるのも、その人が気に入っているのならそれはそれでいいでしょう。
今は一応、日本はそれくらいの自由が許されている国でしょ?
「発達障害専門医が足りない」という時代が長く続きました。
当たり前だと思います。
その頃「発達障害専門医」とは、こんな感じだったのですから。増えるわけがありません。
社会が必要としてこなかったのです。だから増えなかったのです。
私が問題視しているのは
日々臨床で「治す」ことと向き合っている臨床家は、それだけで忙しく
本を書いたりついったーで零細版元をいじめたり講演したりしている時間があまりないだろうということです。
そして「治る」ことを選んでいる人たち(当事者・保護者)も
「これはトンデモか? あれはトンデモか?」と吟味するより
とにかく「目の前のこの子をラクにしたい」ということに一心だということです。
彼らにとっては「よくなること」が「仲間内で物知りだとたたえられること」に優先するからです。
「治る」ことを選んでいる保護者が求める情報は
「誰にでも再現性のある、普遍的な情報」ではないのです。
「とにかく目の前の子をラクにするのに応用可能な情報の土台」を求めているのです。
そしてそれを提供しているのが花風社です。
その土台から話をそらさないから、花風社の本を読み続けて下さる方々がいるのです。
「治らない」ことを選択する自由もあれば
「なんとか治したい」と願う自由もあるのです、この国では。
そしてしばしば、他人の選択の自由を奪おうと攻撃するのが
「治したくない臨床家」
「治したくない当事者・保護者」であり
その逆があまり見られないということに私はずっと腹を立てています。
しかも
「治したくない臨床家」
「治したくない当事者・保護者」
が「トンデモ」等の言葉で「治したい、治りたい人たち」を揶揄していることに
ずっと腹を立てています。
だから、反撃し続けています。
私は再三、保護者や当事者が(無理矢理)団結する必要はない、と言ってきました。
それは、これほど将来に抱く展望の違う人たちが、団結するのは無理があると考えているからです。
そうではなく、その時々でゆるく集まればいいのではないでしょうか。
花風社はその場の一つを提供しているのです。
一つの本の愛読者っていうのは、ゆるい集まりですからね。
さて
表題の「みんなみんな一次障害」について説明しましょう。
神田橋先生は、EBMと代替療法の線引きを、一言で片づけられました。
「発達障害は治りますか?」を読んだ方ならおわかりのことと思います。
実はあの収録の前の晩、長崎の居酒屋で岩永先生、愛甲さんとお食事しながら
「線引きはどこにあるのだろう?」と話していたのです。
そうしたら愛甲さんが
「きっと神田橋先生が、一言でぴしっと決められると思いますが」と予言したのですが
その通りになりました。
EBMと代替療法の境はともかく
実は一次障害と二次障害の境も曖昧です。
私は治っていく人を見て
「一次障害は治らず二次障害は治るというより、治っていく人は一次障害にも改善が見られている」と思うようになりました。
別に発達障害でなくなるわけではありません。
ただ、劇的に治っていった人が治ったのは二次障害だけではないという実感を持っています。
逆に言うと一次障害に改善が見られないと二次障害すら治らないという感じでしょうか。
だから長年膠着状態の人が多いのでしょう。
吉川センセイも「薬の効果は限定的だ」と書いていらっしゃいますね。薬は症状に働きかけても、一次障害には働きかけないんですよね。
そして今、いささか乱暴な言い方ですが
「どこからどこまでが一次障害で、どこからどこまでが二次障害か、それは治療者で決まる」と考えるようになりました。
この場合の治療者には、本人も含みます。
長沼先生は「健康な人とはどういう人ですか?」という私の質問に対し
「自分で自分が治せる人」と即答なさいました。見事に即答でした。
私の実感とも合っているものでした。なるほど! と思いました。
つまり、治せない治療者にとっては
「すべてが一次障害」です。
神田橋先生は「みんなみんな発達障害」とおっしゃいましたが
治せない治療者にとっては「すべてが一次障害」です。
ですから私は、猿烏賊さんたちに言うのです。
「安心したまへ。君の子は治らない。たとえよその子が治っても」
治したくない人は治らないのですから、安心していればいいと思うのですよ。
そして私は
「治りたい人」に役立つ情報収集を続けるつもりです。
続く (不定期連載です)
「なんか治しちゃう人だね」みたいな言葉で、神田橋先生が愛甲さんを評していたことがきっかけかもしれません。
おいしいおさかなをいただきながら耳ダンボになって、「おお、愛甲さんも治すのか」と思いました。
愛甲さんにお会いになった方ならわかると思いますが
本当に穏やかな方ですからね。
ところがこの愛甲さんが、セラピーで強度行動障害の人をどんどんよくしていると知って
しかもそれが、本当に何気ないことをやっている結果だと知って
「じゃあそれ、家庭でも参考になるかも」と思って生まれたのですね、脳みそラクラクセラピーは。
治す人って結構方々にいて
医者とは限らない。
愛甲さんは言語聴覚士で臨床心理士だけど、作業療法士だって治す人いるし
いえ、別に試験を受けるような資格の人じゃなくても
ソーシャルワーカーや施設の人でも治す人いるよね。
一方で治さない人もいっぱいいる。資格者でも資格のない人でも。
以前は「支援がない支援がない」と言っていた皆さんですが
支援はそれなりに増えて、ようやく支援にたどりついたけどろくなもんじゃねーって言うのがイマココじゃないでしょうか。
そして愛甲さんのお仕事の一端としての「強度行動障害への対応」は、「自閉っ子のための道徳入門」でも見ていただいたわけですが
今回の脳みそラクラクセラピーは、そうした重いケースから、家庭で「社会性のある子に育む」ためのヒントから
まあ割と広く網羅しています。
というわけで強度行動障害ってまあ今わりと引っかかってくるテーマなんですけど
それについてシンポジウムがあったみたいよ。
そこで強度行動障害の人に対する薬物治療について、お医者さんがこんなこと言ってました。
えっと、ソースはここ。
主催は愛知県心身障害者コロニー。
あれれ聞いたことあるぞ。
=====
いわゆる強度行動障害を示す児童や成人に対して、薬物による治療が行われることが少なくありません。
これまでに知的障害や自閉症等の障害を持つ人の、攻撃的な行動や著しく反復的な行動に対して、抗精神病
薬、抗うつ薬、抗てんかん薬、ADHD 治療薬などの投与が試みられ、有効であったと報告している研究も見
られます。しかしそれらの研究の数はけして多くはなく、また質の高い研究は少ないままです。こうした薬
物の効果は限定的で、薬物療法のみで、強度行動障害が改善することはあまりありません。薬物以外での取
り組みが効果を発揮しやすい状況をつくり、その効果を助けることが、薬物を使う目的となります。
一方で知的障害や自閉症のある人では、身体にも何らかの弱い部分があることが少なくありません。また
副作用が現れたときに、上手く伝えられないことが多く、より慎重に薬物を使う必要があります。また使わ
れる薬物の中には、眠くなったりだるくなったりするものが多く、また新しいスキルや行動パターンを身に
つける際に妨げになることもあります。
=====
これを抄録にのっけてるのが、かの有名な吉川徹センセイだっていうのが驚きです。
この方向性の人が、どうして神田橋先生の本を妨害したんだろう?
方向性は似てるじゃないですか。少なくとも素人目にはそう見えますが。
違うのは、神田橋先生には治す力と意図があり、もうお一方の方はそれがあいまいなだけかな。
いえ、患者としてかかったわけではないので、医師としての技量などは知りません。
でも、いつも「社会ガー」の言論を貼ったり、大地君につまんないちょっかい出したり
「治す」人である神田橋先生の本の妨害をしたり、「家事のできる引きこもり発言」をしたり
とにかく「障害者をあくまで弱い人にしておきたい」ことが見えるので
きっと治す意図はないんだろうと思うし。
治す意図があっても、今のところはまだ自分の力量に満足せず、修行している臨床家はいっぱいいらっしゃると思うんですよ。
実際に神田橋先生のところだって、いつも陪席の先生がいっぱいいらっしゃる。
「先生は天才だから」で終わらせず、一生懸命何かを学ぼうとされている先生は多いのだと思いますよ。
それにちゅん平の主治医の先生だっていい先生です。
「30歳からの社会人デビュー」の巻末、主治医の先生への質問を入れました。
ちゅん平がひどかった状態から、今の状態まで、ずっと支援されてきた方です。
「なぜ彼女が自閉症だと気づいたか?」というその契機についておききして
ああ、この先生は、本当にちゅん平を健康にしたかったのだ
そしてちゅん平を、障害者として以前に人間として見ていたのだ
ちゅん平はいい先生に恵まれたのだ、と思いました。
でも吉川センセイはタイプの違うセンセイのようです。
ただしこれ、私は吉川センセイを侮辱しているわけではありません。
「神田橋先生のところに行く人はおりこうだけど、吉川センセイのところに行く人はバカ」と言っているのでもありません。
自分で好きなところを選ぶ権利が、皆さんにはありますからね。
何年も待って、高い初診料を払って
それでも家庭内暴力、不登校一つ治さない、という評判の医院がうちの近所にあります。
それはそれでいいのでしょう。
「治らない」ことを選ぶ権利だって、人にはあるのです。
「治すことが正しくない」と信じる権利だって人にはあるのです。
治らない医院にえんえんと通い続けるのも、その人が気に入っているのならそれはそれでいいでしょう。
今は一応、日本はそれくらいの自由が許されている国でしょ?
「発達障害専門医が足りない」という時代が長く続きました。
当たり前だと思います。
その頃「発達障害専門医」とは、こんな感じだったのですから。増えるわけがありません。
社会が必要としてこなかったのです。だから増えなかったのです。
私が問題視しているのは
日々臨床で「治す」ことと向き合っている臨床家は、それだけで忙しく
本を書いたりついったーで零細版元をいじめたり講演したりしている時間があまりないだろうということです。
そして「治る」ことを選んでいる人たち(当事者・保護者)も
「これはトンデモか? あれはトンデモか?」と吟味するより
とにかく「目の前のこの子をラクにしたい」ということに一心だということです。
彼らにとっては「よくなること」が「仲間内で物知りだとたたえられること」に優先するからです。
「治る」ことを選んでいる保護者が求める情報は
「誰にでも再現性のある、普遍的な情報」ではないのです。
「とにかく目の前の子をラクにするのに応用可能な情報の土台」を求めているのです。
そしてそれを提供しているのが花風社です。
その土台から話をそらさないから、花風社の本を読み続けて下さる方々がいるのです。
「治らない」ことを選択する自由もあれば
「なんとか治したい」と願う自由もあるのです、この国では。
そしてしばしば、他人の選択の自由を奪おうと攻撃するのが
「治したくない臨床家」
「治したくない当事者・保護者」であり
その逆があまり見られないということに私はずっと腹を立てています。
しかも
「治したくない臨床家」
「治したくない当事者・保護者」
が「トンデモ」等の言葉で「治したい、治りたい人たち」を揶揄していることに
ずっと腹を立てています。
だから、反撃し続けています。
私は再三、保護者や当事者が(無理矢理)団結する必要はない、と言ってきました。
それは、これほど将来に抱く展望の違う人たちが、団結するのは無理があると考えているからです。
そうではなく、その時々でゆるく集まればいいのではないでしょうか。
花風社はその場の一つを提供しているのです。
一つの本の愛読者っていうのは、ゆるい集まりですからね。
さて
表題の「みんなみんな一次障害」について説明しましょう。
神田橋先生は、EBMと代替療法の線引きを、一言で片づけられました。
「発達障害は治りますか?」を読んだ方ならおわかりのことと思います。
実はあの収録の前の晩、長崎の居酒屋で岩永先生、愛甲さんとお食事しながら
「線引きはどこにあるのだろう?」と話していたのです。
そうしたら愛甲さんが
「きっと神田橋先生が、一言でぴしっと決められると思いますが」と予言したのですが
その通りになりました。
EBMと代替療法の境はともかく
実は一次障害と二次障害の境も曖昧です。
私は治っていく人を見て
「一次障害は治らず二次障害は治るというより、治っていく人は一次障害にも改善が見られている」と思うようになりました。
別に発達障害でなくなるわけではありません。
ただ、劇的に治っていった人が治ったのは二次障害だけではないという実感を持っています。
逆に言うと一次障害に改善が見られないと二次障害すら治らないという感じでしょうか。
だから長年膠着状態の人が多いのでしょう。
吉川センセイも「薬の効果は限定的だ」と書いていらっしゃいますね。薬は症状に働きかけても、一次障害には働きかけないんですよね。
そして今、いささか乱暴な言い方ですが
「どこからどこまでが一次障害で、どこからどこまでが二次障害か、それは治療者で決まる」と考えるようになりました。
この場合の治療者には、本人も含みます。
長沼先生は「健康な人とはどういう人ですか?」という私の質問に対し
「自分で自分が治せる人」と即答なさいました。見事に即答でした。
私の実感とも合っているものでした。なるほど! と思いました。
つまり、治せない治療者にとっては
「すべてが一次障害」です。
神田橋先生は「みんなみんな発達障害」とおっしゃいましたが
治せない治療者にとっては「すべてが一次障害」です。
ですから私は、猿烏賊さんたちに言うのです。
「安心したまへ。君の子は治らない。たとえよその子が治っても」
治したくない人は治らないのですから、安心していればいいと思うのですよ。
そして私は
「治りたい人」に役立つ情報収集を続けるつもりです。
続く (不定期連載です)