治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

愛甲さんのお勉強会、終わりました

2012-07-30 09:33:53 | 日記
愛甲修子さんのお勉強会、終わりました。
とってもためになりました。
ご参加の皆様も、満足して帰られたようで
主催者としてやってよかったな~と思います。

どうやって苦しみから解き放つかの話でした。
具体例は三つ。
1 幼少期から中年期に及び施設生活をしていた人の強度行動障害の治癒例。
2 知的障害があり施設に暮らしていた人が知的に伸びて施設を出て地域暮らしをしている例。

苦しみから解き放たれ、望みがかなうまでに、支援者としてどういう介入をしたか。
これは道徳入門にも書いてありましたね。

昨日私にとっても目新しい話だったのは

3 高機能の生徒の社会適応

ですね。ここで愛甲さんは見事に、個性に応じて手法を使い分け結果を出していらした。
神田橋先生の影響が濃く出ていましたが。
これは私も初めて聞きましたけれど、すっきり納得のいくものでした。

横浜の地域訓練会関連の方も何人か参加されていましたが
訓練会でやってきたことの正しさがわかったとおっしゃっていました。
うん。そうかもしれない。

逆に、自分の子に発達の遅れがあると言われたとき
なぜこんなことをさせられるのか疑問だったようなことも
愛甲さんの話を聞けば納得できただろうに、と
すでに二十代になった自閉っ子ママがおっしゃっていました。

やはりね、神田橋先生のおっしゃるとおり
「知らしむべからず、依らしむべし」じゃいけないのですね。
でも療育ギョーカイ、ともすればそっちに行ってしまいますよ。
だからこそ、意識的に情報を取りに行くのが大事。

ということを書いた自閉っ子通信もお配りしましたけどね。

参加者の方で、「愛甲さんの話し方や声が好きだった」とおっしゃった方もいましたが
そういうデータは蓄積していくといいと思います。
本物と本物じゃない人の見分けがつくようになります。
「人間音痴」じゃなくなるためには
生まれつきのセンスはもちろんのこと、リアルで人を見ることが大事です。

じゃあ私が自分の人間を見るセンスに自信を持っているかというと・・・

必ずしもそうじゃないのですね。
私は別の作戦を取っているのです。
これも経験上わかってきたことなのですが
私が好きになる人より、私を好きになる人のほうがいい人である確率が高いんですね。

相当心が広くないと近づいてきませんからね、私には。

愛甲さんも昨日笑いながら話していらっしゃったと思いますが

最初神田橋先生のお話を持ってこられたとき、ちょうど裁判を抱えていて、発達障害なんてもういやでいやで
おまけにそんなビッグネーム中のビッグネームの本を出すなんて、と消極的だった私。
いや、消極的っていう生易しいもんじゃないですね。
「めんどくさい話持ってきたなあ」とありありといやな態度。

おまけに愛甲さんに向かって
「私は臨床心理士は嫌いです」とか言ったらしい。
いや、本当に嫌いですけど。
当然、全員じゃないけどね。
(ろくすっぽ効果上げられないのにいっぱしのアカデミシャン気取りで
おまけに待遇にぶつぶつ言うタイプの臨床心理士は嫌いです。で、このタイプよくいる)。
でも愛甲さんは威張らないし、ちゃんと人を癒すし、愚痴も言わない方なので、臨床心理士でも尊敬しています。

いずれにせよ、愛甲さんのご紹介で、神田橋先生の著作をせっせと読み
「これはすごい」と思って、今度は本を出させていただく幸せをひしひしと感じて

そこから始まったおつきあいが、これほど実りのあるものになるのですから
私はやっぱり、寄ってくる人とつきあおう

なんて思うのでした。

さて、充実したお勉強会の間に
花風社のHPに、ニキさんの新刊情報がアップされていました。

1日くらいから発送していきますね。
いつものとおり1冊の方はメール便で
複数冊(他の本も含めてね)の方は普通便で送り出します。

今回のおまけは前述の「自閉っ子通信」です。
かなり本音を書いています。

書店売りはお盆前が目標です。

どうぞお楽しみに!



人間音痴

2012-07-29 11:09:22 | 日記
私は乙武さんの特別なファンではない。
「五体不満足」もかなり読むのが遅かったほうだ。
ベストセラーになって、どれどれ読んでみるか、みたいな感じで読んだ。
あのときの私は、障害ってことにもほんとに興味なかったし。

それ以外の本も読んだ事ない。
今度、先生になった体験の本は夏休みの読書にでも持って行こうかなと思っているけど。
自分もちょっとは教育現場の人と交流が出てきたから、興味がある。

乙武さんがイケメンだという人はデビュー当時からいたけど
ぴんとこなかった。
当時は線の細い兄ちゃんに見えたし。今のほうが大人っぽくてかっこいいよね。
でもイケメンかどうかは判断できない。

どうして判断できないか考えたら
私は「ドヤ顔原理主義者」だからだと気がついた。
イケメンかどうかはドヤ顔で判断する。
稀勢の里のドヤ顔は本当にかわいい。
でも乙武さんはいつもニコニコしているから、ドヤ顔を見ないので
イケメンかどうかが判断できないのだ。

でもね
このときはかっこいいなあと思ったな。

ネット上で乙武さんをあしざまにののしっている人を見ると
その人間センスのなさにびっくりする。
あれこれ憶測して、悪に満ちた人間性をでっちあげているが
同じような人物が同じように私のキャラをでっちあげることに腹を立てていたのがバカらしく思えてきた。
たんに人間を見る目がないのね、この人たち。

そして人間音痴って、確実に損につながってる。

人の中にあるいいものを見抜けない。
悪意に取る。
それはね、頼るべき人、信頼すべき人を見誤るということにつながるからね。

さてこれからお勉強会ですよ。

講師の愛甲さんとも、お越しくださる方々とも
私が自然に振舞った結果、できたご縁です。大切にします。

CSRとしての障害者雇用と鮭くわえた熊

2012-07-28 10:16:30 | 日記
昨日は夜、お勉強会に行った。
大学の先生による「CSRとしての障害者雇用」のお勉強会。

私は性格が悪いので、別に瞳をきらきらさせて「CSRとしての障害者雇用についてお勉強したいわ(はあと)」とかいうつもりで行ったのではない。
障害者雇用はCSRになる、と主張している人は何人も見かけてる。大学教員の場合もあるし、コンサルの場合もある。
その人たちが、ちゃんと企業の人を説得できるだけのプレゼンができるのか
それを観察しにいったのだ(上から目線?)。
だっていくら理論があっても、企業の人が説得されないと雇用には結びつかないよね。

結論として悲しい気持ちになったので
ディスカッションには参加せず帰ってきた。
参加したらケンカになるかもしれないし。
正しい判断だと思う。

名刺交換した限りでは、雇用者とかジョブコーチとかそんな感じの参加者の皆さん。
もし保護者当事者があの場にいたら
悲しい気持ちになったと思う。

よく、福祉の囲い込みが言われる。
ちゅん平も、最後は就労継続支援から自ら離れることを決意して、シューカツした。
そこがそうだったとは決め付けるつもりはないけど
「無理しないほうがいい」という美名のもとに、障害者のさらなる可能性を探らない現場も中にはあるようだ。

で、昨日の大学の先生の言い分を聴いてると
(まあ90分のお話を聞いただけなので、本当はそうじゃないのかもしれないけど)
CSRとしての障害者雇用って、当事者の気持ちはとりあえず度外視して、
とにかく雇うとかっこいいよ、いいことやってる会社だって思われるよ、っていう感じの勧め方の印象を受けた。

結局福祉とベクトルが違っても
「障害者を利用している」ということは同じじゃん、と思って、私は悲しくなったのだ。

でも思いなおしたよ。
われわれだって、誰かに利用されているから、賃金が発生するわけで
そういう意味で、社会の歯車ではない人なんていないわけで
それと同じだと考えればいいのかな?

福祉は可能性を伸ばさず、無理させない方向を選ぶ。ずっとそこにいてほしいから。
CSRとして雇用する企業は、昭和の時代、棚に飾られていた鮭をくわえた熊の木彫り感覚で障害者を置いておく。
あれは当時、北海道旅行って敷居が高かった時代に「行ったよ」っていう証拠みたいなもんだったよね。

今調べてきた。この一年に私が北海道に飛んだ回数は七回。札幌と帯広と函館を含めて。
これくらい頻繁になると、いちいち熊の置物買ってこないよね。

そこがゴールだと思うのですよ。
置物としてじゃなく、一員としての人生。

だったら置物ステージがあっても仕方ないのかな。
ああいうプレゼンでも仕方ないのかな。

でもああいう勧め方されて雇った人たちに
自閉っ子の特性まで理解してもらうって、道のり長いな。それも感じた。

以前ある方がおっしゃっていた。
じゃあ雇えばいいんでしょ、っていう感じで給料だけ与えて仕事を与えない現場。

荒れるんだって。

そらそうだよね。

それが自閉っ子でしょ。

と、ぐるぐる考えて帰ってきたのでした。

途中で頭を冷やすためにお茶して
それでも家に着くと汗だくで

この前知った「ガリガリ君」ってやつを食べようかなと思いましたが

やっぱりビールにしましたわ。

あ、でもここでも出た話はね

「重度か軽度は関係ない」

これ、本当にどこでも聞く話。
一番わかってないのが学校みたいなんで
書いておきますね。

うなぎがあまりに高いので
自慢の夫にそれでも食べるかきいてみたけど
「いらない」といわれたので、うちはパスしました。

別にこれ以上血の気増量する必要もないしね。

帰りに大量に売れ残ったうなぎをみたよ。
まだ高かったから買わなかったけど。


ない足を引っ張っても無駄

2012-07-27 09:22:55 | 日記
自分がなんらかの理由でいわゆる「成功者」という立場にはなれないと決めている人は
自分でも気がつかないほど心の奥に
「成功者」へのルサンチマンを抱えているらしい。

そのルサンチマンをそれと認めるのはプライドが許さない。
だから様々な理屈をつけて
「成功者」への攻撃を正当化する。

二階椅子席で見物している人間にとっては
それが不可解でならない。

なんらかの成功を遂げた人にとって
ルサンチマンの嵐はまあ、時折起こる天災みたいなものだ。
環境として受け入れ、対策を採る。

その途上、無視を決め込む人もいるだろうし
食ってかかってくる相手への、啓発を心がける人もいるだろう。
同じ人でも、その時々によって使い分けるかもしれないね。

たった一つ言えているのは
ルサンチマンをぶつけている人間より、ぶつけられる人間のほうが
そこから多くを学ぶということだ。

ぶつけて期待するようななだめるような対応してくれるのは
どっかのギョーカイのメジャーどころだけだからね。
それが社会だと思うと戦略を誤りますよ。

ルサンチマンを抱いている側の不満の一つに
「成功者」が自分が恵まれていることにあまりにも無自覚だというのがあるらしい。

世の中観察していないのかな。

おそらく無自覚、っていうのは
「成功者」にまつわる資質の一つだと思いますよ。

だって「成功者」っていうのは努力できる人たちであるから。

「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます」

と書いた人が実は並外れた身体能力に恵まれていたりする。
そんなもんじゃないでしょうかね。

自分が努力できる環境にあった、という感謝は持っている人が多いだろうけど
そもそも自分の持っている生まれながらの力には無自覚。
そもそも自分たちが「成功者」であることにも他人が考えているよりずっと無自覚。
だって「成功者」はひとつひとつこつこつやってきただけだから。
それが「成功」にまつわる特性に私には見えますけど。

そしてその人たちの存在が
努力できない人を追い詰めてるとか
そのへんの飛躍がさっぱりわかりません。
幻想ですよ。
その幻想を共有しない人にとっては
ルサンチマン以外の何者にも見えない。そこにごまかしのためのヘリクツがくっついてるだけに見えますわ。
影響力を考えて自分たちの気に入る発言だけをしろ、的な発言に至っては
自称弱者の横暴だね。

ギョーカイメジャーがなだめるような対応しかしないとするのなら
それは対等な人間だと思ってないからです。

対等な人間だと思っていたらね
一応啓発を試みますよ。

だからね

ない足を引っ張っても仕方ないと思うよ。


新しい東京駅のキティちゃんです。
自慢の夫のおみやげ。

発達障害のある人を苦しみから解き放つ

2012-07-26 09:27:45 | 日記
どうもうちの方でもラジオ体操をしているらしい。
その音楽を聴きながら、早朝より29日の参加お申し込みの方にコンファメーションメール流してましたよ。
遅くなってすみません。
今度からはもっと早くしますね。

あ、横浜障害児を守る連絡協議会関係者様と
札幌から起こしになる二名の方には
コンファメーションメール流していませんけど、たしかに承っておりますので、どうぞご心配なくお出かけくださいませ。

昨日一名キャンセルが入ったので、一名なら受け付けられる状態です。
でも、暑いのに申し訳ないけど、会場ぱんぱんですけれど。
本当に貴重なお話なので
今からでも、と思う方は花風社にメールください。

ニキさんの新刊「自閉っ子のための努力と手抜き入門」ここで初売りです。
最新の「自閉っ子通信」も間に合いました。情報収集について。私が書いてます。
あと8月25日の藤家さん講演のチケット、参加者の方がお持ちくださるので、ここでゲットできます。

ではレジュメ貼っておきますね。
どうして貼るかというと
企画ぱくっていいですよ、という意味です。
愛甲さんのお話は貴重ですよ。

=====

2012.7.29 
発達援助―発達障害のある人を苦しみから解き放つ!       

1. 重い知的障害のある自閉症のお子さんと家族との出会い
・ことばが消えたお子さんに教えてもらったこと
・「小学校入学後は近所の子どもと遊ぶことはないと思うので」の言葉の持つ重み
・家族の迷いと将来への不安

2. 盲聾唖の自閉症女性との出会い
・人に噛みつき、床に頭を打ち付け続ける強度行動障害の惨状
・噛みつかれた私
・親の願いと本人の思い

3. 強度行動障害は治る
・感覚統合療法がふんだんに盛り込める散歩の勧め
・障害のある人が生きる世界を想像しよう
・各々の感覚過敏体質に合った薬の処方

4. 知的障害者施設での取り組み
・自分で選んで決める力を伸ばそう
・知的障害が改善するとは?
・自己実現

5. 芸術療法の本質
・音楽や絵画や踊りなどの芸術は、身体と心がつながる心理療法
・資質とつながることで感情表現が豊かに
・ひとり遊びからふたり遊びへ

6. 工業高等専門学校での取り組み
・双極性障害と発達障害
・発達障害学生の集い
・医療との連携

7. 幼児期の遊び体験と仕事との関係
・夢中だった遊び
・好奇心の伴う仕事に就く
・快食・快眠・快便;気持ちがいいを大切に!

8. 資質が開花するために
・五感トレーニングの勧め
・荷車を引く馬と競馬に出る馬とは生まれつき違う。(例)開き直り能力、こだわり能力
・特別支援教育と就労支援

9. みんな社会の中で生きる子どもを育むには
・「発達障害は発達し軽減する、しかし消失はしない。」神田橋著「技を育む」19
・凸凹能力のなかの優れた能力を伸ばす工夫
・子どもが納得できる伝え方の工夫
・挨拶ができて、仕事ができて、ルールが守れる大人になろう



いじめ被害者団体への勝手な提案(暴論かも)

2012-07-24 10:11:02 | 日記
さて、大津の件、色々ニュースが出てきますが
「加害者の人権」とかいう香ばしい話もありました。

これだけいじめが多いっていうことは
いじめの被害者側もきっと自助団体とか作っているはずだと思ってちょっとぐぐってみたんですけど。

それで気がついたこと。

実際にどういう行動をしているかは見えてきませんが
なんというか、うたい文句は理念的だな。
「いじめのない教育現場を作る」とか。

私がもしいじめ被害者団体の人だったら、まず弁護士とばんばん会いますね。
障害者団体が「人権派」をお抱えにするように
いざとなったら加害者を提訴告訴することを視野に入れて、弁護士の情報を集めます。
ちゃんと刑事のできる人。こういう問題を取り扱う気のある人。行政相手に戦える人。
いろんな要素が必要でしょ。

そして立件できそうな案件が出てきたら
弁護士を選び、必要によってはカンパなんかも募り
ちゃんとお金かけて民事提訴もして、刑事告訴もして
とにかく加害者を何人か、塀の中の矯正施設に送り込みます。

そうやって抑止力が少しでも発動するようにします。

被害者だってね、攻めの姿勢を取ったっていいわけですよ。

自閉症者や自閉症者の保護者に対してだって、そういう団体作ろうかな、と思ったことありましたよ。
迷惑かけられるて黙っておく必要はない。
杉山先生の「発達障害のいま」にも、モンペを訴える話が出てきましたね。杉山先生は肯定的だった。さすが、と思いましたよ。

日常的に小さなストーキングとか、迷惑電話とか、いっぱい被害受けてる人いるでしょ。
自分の心の弱さを自分で消化できず、他人の成功と折り合いがつけられず
最初から慰めてもらうこと、なだめてもらうことを当てにしていちゃもんつけてくる当事者や保護者たち。
みんな黙ってるだけで、日常的にそういう迷惑いっぱいかけられているわけですよ関係者は。
死んだふりしてなだめるのを支援だと思っている人多いみたいだけど(あるいはめんどくさいだけ?)
そんなの更なる誤学習を増やすだけでしょ。支援と逆の方向だと思いますけど。

だからこそ
そういうのに対抗する組織を作ろうかと思ったことありますよ。だって支援者なんにもしないんだもん。

でもまず、次世代の療育だと思ってこの本作った。



ところがその療育の立場に立つ医者が、匿名でネットいじめしている世界ですよここは。
支援さえあれば、と思っている皆さん。幻想です。大学病院に勤務している支援者がいじめに走っている世界ですからここは。

「訴えられるリスクがあって実名が出せるか」と語るに落ちたこと言ってくださったので
ああ、よほど匿名で遊びまわるのがお好きなんだなあと思い
だったら最大のリベンジはその匿名性を剥ぎ取ることだろう、と私は思いましたですよ。
で実行した(イマココ)。
そしたらおとなしくなった。
実名では批判する勇気はないみたいね。「治療目標は家事のできる引きこもり」だけあって、志が低い。

いじめてるほうは案外ちきんかもしれない。
だったらやり返せばいいのよ。
きっちりと、合法的にね。

テレビでは、いろんな立場の人がいろんな提言をしてますね、いじめストップ。
やはり、一つの方策だけで解決できる問題じゃないよね。
それぞれの立場でやることが違わないといけない。
みんなができることをやっていじめをなくさないといけない。

だから被害者団体には

私は「専守防衛」を提案します。オスプレイくらいの強力な武器を配備しとけばいいんじゃないの、普段から。
そして加害者にはきっちり制裁を受けさせる体制を整えておく。
相手は容赦ない鬼畜。ならばこちらも容赦なくフェアプレイでやり返せばよい。

そういうのも、自助団体の役目だと思います。

被害を受けた立場には、被害者にしか果たせない社会的役割があると考えています。
世の中をよくするためにね。

自閉症者によるストーキング行為

2012-07-23 06:38:22 | 日記
昨日、お相撲の途中に知った。
私もお世話になった団体が、当事者によるストーカー被害にあっているらしい。

本当にね。社会に受け入れてほしいと望むのなら、こういうことはやめてほしいです。
よくそれを自覚してくださいよ、ASDの皆さん。
障害があるからって、他人に迷惑かけていいってカンチガイしないでね。

そしてそういう人をやめさせるのが支援団体の役目だと思うのですけれど
そういう方向に走らず、仲人口をきき、都合の悪い情報は押さえようとするのなら
それは支援団体じゃなく圧力団体ですよ。
逆に言うと被害にあうと、支援団体のふりをした圧力団体は死んだふりしかしないので
刑事事件化を視野に入れた対応が望まれます。被害者側にはね。

自閉症の人がストーキング行為に走るのにはいくつか系譜がある。
そのうちまとめようと思うけど、今日はそのメモ代わりみたいなエントリね。

一つのパターンは
自分の想像力のゆがみから、勝手な疑問を抱き
それを相手にぶつけ、答えてもらえないと不当だと思って大騒ぎする、というもの。
YTはこの系統。別に診断ついていないんだろうけど、猿烏賊にも多いよね。
自分の弱い心をなだめてもらいたいとこちらにぶつけてくるのよね。

もう一つは、ニキさんも今度の本で触れているけど
「自分にとって心地よい世界」と「いい世界」の混同。
つまり、人が皆自分と同じ価値観を持っていると思っていて、そうじゃない振舞いをする人が許せないわけです。
YTももちろんこれはあった。そして診断ついてないんだろうけど、ベムが千葉県の発達障害支援センターに送ったメールなんかはその思考回路の典型よね。

でもね、善意の場合もあるの。
自分の気持ちの押し付けね。
それを解決した経験、ひとつお話します。

うちの熱心な読者で、ずっと
「ニキマウスの絵が気持ち悪い」って言い続けてきた人がいるの。「だからやめたほうがいい」とうちに熱心にアドバイスしてくれるの。
その人の言い方を聞いていると、ああ、本当に善意で言ってくれてるんだな、と思った。
そして、自分の気持ちを全員が共有しているに違いない、っていう素朴な思い込みからして
きっと当事者なんだろうな、と思った。
何度か言ってこられたので、最後に説明しました。

1 ○○さんは嫌いなのかもしれないけど、あのキャラが好きな人もいます。何よりニキさんご自身は気に入っています。
2 ○○さんの言うとおりに私が使うのをやめることはできないこと。なぜなら本に投資しているのは私で、それはまったくの自己責任なのだから、○○さんのアドバイスどおりに本を作って売れなくなっても○○さんのせいにはできません。だから最終的な判断は私がして、責任も取ります。

そうしたらとても丁重に「わかりやすく説明していただいてありがとうございました」と言われました。

有害なストーキングに走ってしまう人も、善意を押し付けてしまう人も、根っこはおんなじっていう気がするんですよ。
だから有害なストーキング行為も、やっぱり放っておいてはいけないと思います。

こういうこと書くと、また騒ぐ人いそうですけど
ある問題はきちんと明るみに出していくほうが共存への近道だと思いますので
一応書いておきますね。

被害者にも加害者にもなってほしくないから
この本作ったわけですし。


帰りの新幹線の指定席

2012-07-22 22:24:24 | 日記
帰りの新幹線は指定とっといた方がいいと言われた。
日曜日夜ののぞみは込むからね。
さて、何時に取ろう。横綱なら表彰式は見ない。日馬ならまだ祝福する気になる。好きじゃないけど、今回、一番一番作戦を練っていたのは確か。
あんな相撲とは言え、一応、稀勢の里からも逃げなかったし。

たぶん日馬だろうな、と思ったから
君が代歌い、内閣総理大臣杯まで見届けて
駅で食事できるくらいの時間帯にした。
名古屋の食べ物はあんまり合わないので、駅で普通のものを食べる。

稀勢の里は欧州戦。
そういえば以前も名古屋に欧州戦を見に行ったことを思い出した。
あの時は番付も離され、合口も悪く、到底勝てると思わなかったな。
今日は番付もひっくり返した。勝つ可能性もある。ずいぶん進歩だな。
でも実は今日、不思議なほど稀勢の里の星への執着がなかったのでした。私としては。
流石に昨日の今日だっていう気があったのかも。
なんというか、今場所は星は平凡だったけど、色々考える機会が多かった。

会場近くに来て、びんづけの匂いがしたとき、来てよかったなあと思った。
会場は意外なほど雰囲気が良かった。まあ周囲の客筋がよかったんだろうけど。
ブルガリアの若武者、碧山が勝ち越しを決めたとき、「碧山おめでとう。一番たりとも手を抜かなかったね」と言った人がいて、そういえばそうだったと思った。
文化の全く違うブルガリアから来て、つい先日親方を亡くした。
憧れだった郷土の先輩大関琴欧州と対戦できるところまで出世した。大関も一人倒し、堂々と勝ち越し。
本当に頑張った。そして頑張った若者を素直に祝福できる世界はいいな、と思った。
それだけでもお相撲が好きでよかった。

でも仕事を見てみたらどうだろう。
私は頑張る人を祝福しないという、地軸の歪んだ発達障害の世界で人生を無駄にしているのではないかという思いが脳裏をよぎる。100万回目くらいの迷い。

先週札幌で見た言葉尻症候群の保護者と幼稚園児のようにそれをあやすギョーカイメジャー。
あれが正しいやり方なのだろうか。
だったら私にはできない。大人が大人をあやすのは失礼だから。
もっとも一緒に目撃していた人の感想では、その保護者もあやされることを望んでたらしいけど。
ウィンウィンなのかあ。
だったらいいけど、私にはああいう関係性は作れない。正しくないと思うから。

そんなことを思っていたときうめさんのブログが回ってきて
自分の周囲には志を共有できる人もいたことを思い出した。

先場所優勝の旭天鵬が二勝目。二勝十三敗。
観客は惜しみのない拍手を送った。

三役揃い踏み。
稀勢の里と横綱の間には微妙な空気。
横綱は勝てるオーラを発していなかった。
土俵入りのときに、やけに赤く、身体に力が入っているとは思ったが
今日は無理かも、と思った。

鶴竜が菊に勝つ。
実はこれが今日一番嬉しかったかも。
稀勢の里の来場所の番付にかかわってくるし。
なんだかんだ、私は菊関がキライだ。吉川並に嫌い。
実際に会ったらたぶん、菊関のほうがいい人だと思うけど。何倍も。

稀勢の里vs欧州戦。
勝負は時の運、という思いしか回ってこなかった。
まだ録画も見てないので何が起きたか確かめていないが
立ってすぐ、今日はダメだなと思った。
そのあとちょっと圧力かけて、一瞬希望をつないだ気がするが
気がついたら欧州が二本入っていた。中の人が変わるからなあ。欧州も時々。

そして結び。二人とも正々堂々。ああいう相撲、いつも取ってくれませんかね。座布団が舞う。
君が代を歌い、予定通り内閣総理大臣杯まで付き合って、会場を後にした。
名古屋駅まで一緒になった初対面の地元お相撲ファンと
横綱は昨日ちゃんと勝負していれば今日も展開が違っただろうにという話になった。
昨日のような勝負は、どっちにも後を引くよね。

そうだな~。売られた喧嘩を全部買うことないけど、勝負から逃げると後を引くね。
私も心にもないなだめ方しなくてよかったよ。
ギョーカイ的なテンプレはそっちで、私がそれに乗っからなかったから、大騒ぎになったんだろうけど。
今場所の稀勢の里はほんとうに多くを教えてくれる。

そして大関ご本人が、気がついてくださっているといいです。
千秋楽に全勝決戦した横綱大関が、二人そろって
一番怖がって、姑息な手を使ってまで勝とうとした相手はたった一人だったことを。

明日も朝から仕事なので、千秋楽のパーティーは初めから出ないつもりで990円でユニクロで買ったキティちゃんTシャツを着て行った私。
気が変わっても、とうていパーティに出るいでたちではありませんでした。
でも、誰かえらい方が、励ましてくださっているといいです。
必要ないかもしれませんが。

来場所は西の正大関ですね。
番付表の一番右に名前が載りますね。
日馬の綱取りがNHKの都合で喧伝され、きっと気楽。
NHKは自分に都合よくマーケティングしますからね。昨日の相撲もそうだけど。
来場所はきっと、日馬の一挙手一投足を事細かに伝えることでしょう。

日馬の綱取りは、どっちでもいいことです。今日私はお相撲仲間に、「終わりの始まりを見てくる」と言いました。
白鵬独走体制は終わった。
そして日馬に一強体制は荷が重いですよ。
とにかく稀勢の里は稀勢の里。
稀勢の里の相撲で頂点に立ってください。

始まったときは、私が十五日間持たないと思いました。
でもその間、仕事もしたし、ギョーカイ祭りにも行ったし。
明日からもまた頑張ります。私が。

どれだけ応援しても
誰かの代わりに土俵に立つことはできません。
土俵に立つとき、人はいつも一人です。

あ、それと
三賞を取った若者たち、注目してくださいね。
妙義龍、魁聖、舛ノ山。
いい力士そろいですよ。
っていうか好きな力士ばかり揃っているので、ちょっとうれしいです。

今日会場で買った稀勢の里絵馬ふきんです。
珍しく、結構似てる。



今場所の稀勢の里が教えてくれたこと

2012-07-21 23:20:00 | 日記
十四日目の夜に、こんなブログを更新していることを不思議に思われるかもしれません。
まだ優勝も決まっていないのに。
そして今場所唯一の生観戦を明日に控えているのに。

大関としては普通の星数で終わりそうな稀勢の里ですが(まあそれも、ほんの少し前を思うと夢のような話なのですけどね)
今場所私に教えてくれたことはあまりに大きかった。
今日の結びの一番も含めてね。

最初の三日。
この人は横綱になるのだと確信しました。
横綱になるのは決まっている。そして私たちは、どういう横綱になるのかを見守っている最中。そういうことなのだと。

七日目(豪栄道)と十一日目(日馬富士)戦の黒星を見て
私は自慢の夫(笑)に言いました。
「今場所のキセは私に大きな教訓をくれた。売られた喧嘩は必ずしも買わなくていいということ」
両方とも仕掛けられ、熱くなって応戦し、星を落としていたから。

「それはいいことを学んだねえ」と自慢の夫は言いました。
画伯は「今頃わかったんですか、遅いよ」と言いました。
何度説教されるより、ああいう大きな子が、身体を張って見せてくれるとわかりやすいです。
これも私にマインズボディ(@長沼先生)があるからでしょう。

十二日目ばると戦の白星。およよ。
ああいう勝ち方をひきずらないといいなあと思いました。
十三日目、琴奨菊戦。
姑息な相手に「稀勢の里の相撲」で勝ちました。

私は今場所ほど、先代の鳴戸親方が遺した言葉「稀勢の里の相撲に自信を持て」を実感したことはなかったです。
そういうことなんだ、と思いました。
ちょうど自分が先週末、ギョーカイのお祭りに出かけて花風社の立ち位置にかえって自信を深めたように
稀勢の里は稀勢の里の相撲を取ればいいのだと思いました。

この間、しぶとく、あるいは容赦なく、手段を選ばずに星を伸ばしていたのが横綱白鵬と大関日馬富士でした。
十一日目の日馬富士直接対決。
相撲部の稀勢の里母仲間は「日馬とはいつも相撲を取った気がしなくて悔しい」と言っていましたが、当たり前だと思いました。
朝日新聞記者によると、巡業の際、かわいがりで誰かつぶしたらしい日馬。残酷な相撲を取ります。内心怖がっている稀勢の里相手ならなおのこと。奇襲に徹し、顔をばんばん張ってきた。
日馬が稀勢の里に仕掛けるのは相撲ではなくボクシングです。失神させたこともありましたね。
それに真っ向から応戦してしまう稀勢の里を見て
私は自慢の夫にあの言葉を言ったのです。

もっとも相撲部きっての論客、甚之介氏によると、応戦したのは自信の表れ。
さすが武道家は、そういう見方をするのだなあと感心しましたが。
でも、わかります。
私にもそういうところがあるから。他人から見ると暴れん坊だけど、本人はただ専守防衛しているつもりなのよね。

日馬富士に関して、今場所はっきり確信したのは
私は日馬の相撲が嫌いだということです。
強いときに嫌い。これは本当に嫌いだということだと思います。
日馬ファンの大地君の手前、はっきり書くのはやめようと思いましたが
大地君に「友だちでも別々の人を応援してかまわない」と教えるいい機会だと思って、宣言することにしました。
大地君は、私のことを悪く言う人たちの存在に、私以上に心を痛めています。
心を痛めることないよ。人はそれぞれ考えがあって、浅見さんは浅見さんの信念に基づいて仕事をしていて
それを嫌いな人がいても構わないんだよ。私がやっている仕事を好きな人もいるから。
そういうことを伝えるためにも、大地君の友だちではあるけど、私は日馬の相撲は好きじゃない、ってはっきり言おうと思いました。
友だち原理主義のはびこる学校では、なかなか教えてもらえないことだと思うから。

そして今日の横綱の変化。

私はあのあと、録画を見てみました。
稀勢の里が突っかけたのではない。横綱がじりじりと立たない。
立てなかったのでしょう。怖くて。
結果的に合わない。
合わない稀勢の里を、横綱は憮然と押し返します。
一昔前の不良同士がケンカをするようなノリで。

リアルタイムで見ていたとき、ヤンキーのような横綱の態度を見て
熱くなるな、熱くなるな、と私は祈っていました。
自分の性格は棚に上げて。

私には稀勢の里のような愚直さと不器用さがあります。
喉輪をされたら仕返す気の強さがあります。
それが私の武器であり、そして時にはこの性格のためにトラブルを抱え込んできました。
同時に、白鵬や日馬富士のような、容赦のないところもあります。
一番性格が近いのは、たぶん朝青龍です。
自慢の夫はいつも「朝青龍を女にしたような性格」と言います。
向こうっ気に子どもっぽさが合わさっているところがあります。

録画を何度も何度も見てわかったことは
七日目や十一日目の「熱くなって応戦」はあくまで勝負の中の出来事だけれども
十四日目の結びの一番は、相手の理不尽が大きいということでした。

こちらには落ち度がないのに、相手が合わせられなかっただけなのに
勝手に怒って、地位をかなぐり捨てたような理不尽な手を使った。
自分の地位にまつわる品格をなげうってまで。
立ち合いの合わなかったとき、横綱は不良のようにキセを押し返した。
それに熱くなったキセ。
それを見て横綱ははたきこんだのですね。猪突猛進してくると読んで。
そしてはたいたあと、悪ガキのような顔をした。

でもね。
これが与えられた環境なのです、稀勢の里の。
貴乃花があの時代に、無駄に身体を大きくしなければいけなかったように
今は勝負のためなら品格を捨てる横綱大関と伍していかなくてはいけない。それが稀勢の里の与えられた時代です。
ならば熱くなる性質を、いい方向に、猪突猛進じゃないほうに向けなければいけない。
そういうことだと思いました。今日の一番はそれを教えてくれたのだと。

このブログを通じ、多くの方々、それまで相撲に関心のなかった方々が稀勢の里ファンになってくださいました。
稀勢の里を通じ、子どものころ、お相撲さんを夢中で応援していたことを思い出した方
初心者なりに、好きな相撲とそうじゃない相撲があるのに目覚めた方
多くの方が、稀勢の里を通じてお相撲を見てくださるようになりました。

海を渡り、異文化の中で切磋琢磨している力士のために「日本人が」という言い方はしたくありませんが
これだけ外国勢が強く、相撲の神事の面よりもスポーツの面を重んじて、勝負「だけ」にこだわる力士が上位にいる中で
姑息な手を一切使わず、不器用で、そして上位の力士達が思わず姑息な手を使いたくなるような圧力に恵まれた大関。
それが稀勢の里です。
不利な面もあるでしょう。
でも稀勢の里は稀勢の里の相撲で、角界の頂点に立たなくてはなりません。

明日の結びの一番の結果は、私にとってどうでもいいことです。
でも稀勢の里原理主義者としてではなく、純粋に相撲ファンとして、見届けてきたいと思います。
それはたぶん、先週ギョーカイのお祭りに出かけたときのように
誰かに、何かに肩入れするというより、冷静に観察する視点で、何かが得られるだろうと思うからです。
今となってはプラチナチケットとなったチケットがなぜか手元にあるのは
それを学んで来いという相撲の神様と、そしてもしかたしたら自閉の神様のお告げだと思います。
マインズボディの持ち主である私は、現地に足を運ぶことによって受け取る情報量が多いからです。

稀勢の里は、頂点に立たなくてはいけません。
それが今回、はっきりと確信したことでした。
それがどういう道筋をたどるのかが興味深い。
その前には今場所の優勝が誰であろうと関係ありません。

だから明日、朝起きたら
今日の結びの一番で学んだことも踏まえて、もう一度自閉っ子通信の原稿を読み返し
必要に応じて手を入れて
入稿してからのぞみに乗って、名古屋に向かいます。

ボツ原稿書いてるんだろうな

2012-07-21 10:52:50 | 日記
今更、と言われそうだけど
世間の人を見ていると
私は季節とか気圧とかの変動に体調が左右されないタイプなんだろうなあと思う。

だけど昨日は頭が働かなかった。
天気のせいなのかどうかわからない。たぶん違うだろう。
それでも出版業は農業と同じで毎日こつこつやることが大事だと思っているので
なんとかPCに向かって自閉っ子通信を書いていた。

書きながら、ボツ原稿を書いてるんだろうな、という自覚はあった。
それも無駄ではない。
ボツも次につながる。
とりあえず中入りまでは自分をPCの前に縛り付けておくことにした。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

稀勢の里は自分の相撲で石臼を粉砕。
コンスタントに二桁。立派に大関だ。
結びの一番もすごかった。ばるとはときどきああいうことがある。
というわけでお相撲を見終えてPCに戻ってみると

やっぱりボツだ、これ

と思った。

でも焦らない。
こういうところで焦らないで済むのが長いこと一つの仕事をしてきた強みかも。
今私に必要なのは運動・酒・睡眠。
そうしたら朝になったら自閉の神様が書かせてくれるだろう、ということを私の脳みそはどこかで知っている。

ってわけで五時に起きたら、やっぱりするする書けました。
今度の自閉っ子通信。
先日ギョーカイのお祭りに行って、情報の流通について考えたので、そのことを書きました。
さわりだけ貼っておきます。

あ、その前に

自閉っ子通信がどこで手に入るかよく聞かれるのだけれど、非売品です。
うちの直販をご利用の方
講演会にご出席の方に配布しています。
今度の号は、ニキさんの新刊をお申し込みの方と、8月25日のちゅん平さんの講演会@横浜にご参加の方に配布します。

じゃ、貼り付けますね。ほんの一部。

=====

自閉っ子を、社会(みんな)の中で生きられる子に育むため、必要な情報収集をしよう。

役立つ情報が流通しないのには「浅いワケ」がある

「『知らしむべからず、依らしむべし』に腹が立つんですよ」

 と珍しく気色ばんでおっしゃられたのは神田橋條治先生です。なぜか私は、そのお姿を画像つきで覚えています。ふだん私の脳みそは、記憶は画像つきではなくテキストファイルなのですが、この記憶は珍しく、動画がついているのです。そのときは先生のおっしゃっている意味がよくわからなかったのですが、大事な情報だということだけ、脳みそが本能でかぎつけたようです。ふだん穏やかな先生の表情が変わられたので、どうやら大事なことらしいぞ、と脳みそが感知したのかもしれません。
 
 実は日本でも、国の予算を投じて、世界水準の自閉症に関する生物学的医学的治療法が研究されているようです。けれどもそれが、日々自閉っ子を育てている皆さんのもとに届くには、大変に時間がかかるでしょう。もしかしたら国際的な学会で発表され、外では認知されても、国内の関係者だけカヤの外に置かれることもあるかもしれません。なぜなら日本では、こういう情報の流通をありがたく思わない動きもあるようだからです。

(中略)

未来につながる情報

 自閉っ子にももちろん、社会(みんな)の中で生きる力を育むことは可能です。人間の能力というのは多岐にわたりますから、重度の知的障害のあるお子さんがきらめくような賢さを見せることがあります。言葉のないお子さんが、見事に気持ちを伝えてくることがあります。私たちに必要なのは、その賢さ、その気持ちを発見することです。そのための手法はさまざまに開発されていますが、何よりもまず、彼らにその能力があるということを知らなくてはなりません。
 
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こんな感じです。
ギョーカイメジャーはマスメディアへの圧力を隠そうともしませんでした。
ならばうちのような零細メディアがする仕事があるでしょう。
だから、今度の自閉っ子通信では
花風社がこれから伝えていきたいことを三つ挙げています。

ボツ原稿はもっと怒りモードだったのだけれど
実際にお届けするものは、ぐっと表現が柔らかくなっていると思います(当社比)。