治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

司法の場の理解っていってもいろいろ

2012-02-29 07:47:12 | 日記
昨日朝、
先日の取材録音を聞いていた。
積極奇異のお子さんが、多動で世の中嫌いの日々を抜け出し
人の間で生きるのが大好きになるまでのお話。

聞いてたら久しぶりに、担当刑事さんからお電話がありなつかしかった。

今、司法の場における障害特性の理解がいわれているけど
この刑事さんも、理解していった一人だと思う。

ただし福祉の皆さんの脳内テンプレートに合った理解じゃないかもしれないけど。

ニキさんからの事情聴取もうまかった。
だからきっと、加害者側からも上手だったと思う。

私たちが最初から抱いていた
「反省も謝罪もいらない」という思いを、おそらく共有してくれたんじゃないかな、と思っている。

だってそれは画餅だから。
自閉症の人にとって。
いや、自閉症でも反省や謝罪ができる人はいるだろう。
彼には無理。それは望まなかった。

大事なのはもうやらないこと。
そのためには反省や謝罪ではなく
前科をつけること。
それしかない。
そういう思いを、少なくとも理解していってくれたと思う。

こういう理解も理解だよ。
仲人口はフェアじゃないよ。
そこに被害者がいるんだ。

司法の処遇に働きかけるのも大事。犯罪後の更生も大事。
でもまず予防しませんか?
予防すれば被害者は出ないよ。
被害者出てからあれこれ言ったって、世間的には説得力ないじゃない。

それからお二方にお会いした。
お二人とも支援者だ。私が尊敬するほうのね。
「死んだふり」じゃないひとたち。

お一人からは「障害者と性」について聞いた。

もうお一人からは「強度行動障害をどう治すか」について聞いた。

なかなか治らない強度行動障害。
「治す」ひとから話が聞けてよかった。

大阪場所始まりますね。
3.11に。

昨日は力士達が
会場の前で募金活動をしたらしい。

二年ぶりの大阪場所。

四股を踏んで
地にうごめくものを鎮めてください。
もともとそういう神事なのだから。

大阪場所を祝して

通天閣キティちゃんです。
頭はたこ焼きで虎柄のお洋服着てる。

自分の「自閉症裁判」を終えた今だからこそ

2012-02-26 21:42:06 | 日記
読んだよ。
単行本で買って、文庫版出たとき買って
また買いましたよ。

「自閉症裁判」佐藤幹夫著

いやあ、自分が告訴人となって裁判を終えたあとは
やっぱりこれまでと気づくところが違いますわ。
もう全然違う。

で、犬耳の嵐。




う~ん、この本読んでね、もう最初のほうのここで
「あ~やっぱり」と遠い目になった。
やっぱり実在してたか。
福祉的脳内テンプレート。

あるんじゃないかなあと疑っていた脳内テンプレート。
やっぱりあったのね。
そしてこれがある限り私は、どれだけ自閉っ子関係の仕事をしようとも、「支援者」になりたくない。
福祉の皆様が自然に共有している脳内テンプレートになじめないからだ。人として。

引用しますね。

=====

 この二年間、私は迷っていた。自分は福祉の側の人間であるという立場に徹すべきではないか。そのような者が「取材」などと称してO・Mさん(浅見注:被害者)の両親に会うことは、いたずらに不快と苦しみを募らせるだけであり、避けるべきではないか、と。しかしはじめてお会いした日の帰り、耳に残って離れない父親の慟哭で私は腹を決めた。
 両親からは、いい加減にしてほしい、障害者を支援する人間が、娘のなにを知りたいというのかと責められるかもしれない。また支援者たちからは、おまえはどちらのサイドの人間なのかと不信を買うことになるかもしれない。

(文庫版 P42)

=====

まさかとは思っていたけれど。
この種の事件が起きたとき、被害者を思いやることが、「障害者支援に反する」という社会正義に反した思い込みが、共有されているってことなんですかね、福祉の皆様の間では。
う~ん。
うすうす感じてたけど、まさかと思っていたんだよね。

じゃあさあ
福祉っていうのは、ときには人倫にもとる価値観を共有するっていう理解でOK?

普段の一日と同じように送り出した19歳の娘が、障害者の手によって殺された。
加害者が障害者であり、被害者が健常者であるというだけで
被害者遺族に思いを馳せるのが仲間内で「不信を買う」。
そういうゆがんだ村社会なわけ? 福祉の世界って。

だったら私は一生その一員にはなりたくない。

私は人としての正義感を優先させたい。
だからこれが支援者として期待されている立場なら
私は一生「支援者」にはなりたくない。

事件そのものもね。
予防できたよね。
小さな小さな「死んだふり」の積み重ねて起きたことだよね。

本人が認めていない自閉症を、弁護側が持ち出した意図は、私も彼らのときにかっとんだ思考回路を垣間見てきたものとして理解するけれども
娘を失い、その上で
こういう「神学論争」に46回付き合わされたご遺族の気持ちを思うと
人権派弁護士ふざけるな、 という気持ちは禁じ得ない。
他人の人生を奪う加害者に
死後まで自分たちの野望の道具にする弁護士がついてしまう。
こうやって障害者による犯罪の被害者は、被害を上塗りされる。

私もこの本の版元として、





一見大問題に見える自閉症者の行動が
どれだけささいな(ときにはたわいのない)誤学習の積み重ねから起こるか知っている。

そしてその結果起きた殺人事件が
「通り魔」とか「凶悪事件」と報道されることに戸惑いを覚える内部インフォーマントの気持ちがわからないでもない。
根っこにあるのはささいな誤学習だから。

=====

「性犯罪と盗みは常習になると言いますね。Yもそうですね。前歴が、たしか強制わいせつでしょう。どれくらい更生しているか、なんらかの形で知ることはできないもんですか。危険なまま出てきて、その辺を歩いていたら、たまりませんよね」(浅見注:被害者父親)
 いや、それは警察と報道が寄ってたかってつくり上げた偽りの犯人像なのではないか、ほんとうに危険な人間かどうか決めるのは、いま少し待ってもらえないだろうか……。

(P173)
=====

これは通じないよ。通じるのは狭い福祉の世界だけの話。
この加害者はどう見たって、「通り魔」であり「凶悪犯」だ。

ことここに至るまで、現受刑囚は強制わいせつも窃盗もやっている。
「刃物を突き出せば人は言うことを聞いてくれる」という「俺ルール」も覚えちゃってる。
その結果、見も知らぬ女性に近づき殺害したら
それは「通り魔」であり「凶悪事件」と報じられても当たり前だ。

「司法の理解」も大事。
「不幸な生い立ち」を緩和する介入も大事。
でも一番大事な何かが彼の生い立ちには欠けていた。それは「教育」だ。
小さな小さな(と当時は思えた)問題行動を「死んだふり」することで
あの日の事件が起きた。その積み重ねが、この本を読むとすごくわかる。

「不幸な生い立ち」を緩和することができなかったのも
一番大事な何かを与えられなかったのも
根っこは同じだ。


放浪癖があったらしいね。
高校生のころから。
担任の言葉。

=====

私は、とりあえずは無事に帰ってきてくれたことが第一でしたので、深く追及することはありませんでした。それ以降は、見守るような感じで過ごしたと思います。

(P195)
=====

高校生が放浪していて
微罪の一つも犯さずに帰ってこられるかな?
実際その後受刑囚は、放浪の旅の間に微罪を重ねて服役している。

「見守るような感じ」
これは「死んだふり」を美しく言い換えただけにすぎない。
「死んだふり」が加害者の不幸な生い立ちを救わず
そして「死んだふり」が適切な教育を阻んだ。

もちろん教育現場にすべての責任をかぶせるつもりはないよ。
ただね、障害がある子に対して
周囲の大人には「社会でやっていける人間に育てる」という意識が希薄なのは今に始まったことじゃないんだなあと思うだけだ。

支援者のこういう態度
教育をせず、ただ社会の理解だけを求める態度を
先日ある保護者に取材したとき「見くびられている感じ」と表現されていた。
本音だろうと思う。

本書の最後の方で、担当弁護士の言葉を著者は引いている。

=====

 この判決の意味はなにか。被告を「社会から永久に排除せよ」ということに尽きる。判決をもし社会が支持するのであれば、もう二度と「ノーマライゼーション(共生する社会)」などという言葉は口にしないほうがいいと思う。
 
=====

私は社会の一員として、「無期懲役」というこの判決を支持する。
けれどもそれは「排除」したいからではない。
本物の共生社会を望むからこそ、この判決を支持する。


私は私の裁判で、「他人に関して未確認のウソを書けば罪に問われる」と証明した。
どれだけ方針が違う相手であろうと、どれだけ憎い相手であろうと
虚偽の情報を書けば罪に問われると証明した。

皆さんは子ども達に
「刃物を持ち歩くとそれ自体罪に問われる」
「嫌がっている人に触ってはいけない」
そういう単純な世の中のルールを教えることから始めてほしい。

受刑囚には、事件後、身元を隠すため着替えるだけの知恵があった。
偽名を使うだけの知恵があった。

ならば、きちんと教えてあげられたはずだ。
いけないことはいけない、と。

教えなかったのは
「障害者差別」である。
彼らを見くびったのである。
「支援者」「教育者」と名乗る人たちが。

ウソをつかない方が有利なワケ

2012-02-24 11:00:00 | 日記
昨日、必要あってこの本を読み返していました。




いやあ、いいこと書いてあるわ、これ。

昨日のエントリと絡んだ話も出てきて、おやおやと思ったけど
そこに、先日以来の触法問題に関することも触れてあった。

つまりね

触法少年に診断が下り、その事実をメディアが伝えるとき、「伝えないでくれ」と要請するのは
かえって支援の妨げになるんじゃないかと思ってきたんだけど

こういう理由だなあ、と。

抜粋しますね。
トニママさんのところに取材にいったときの記録です。
学校についてまず触れています。

=====

(前略)「自閉症には身体障害的要素が伴う」というのが当たり前に周知されていて、対策が採られていました。
 筋緊張の低い子にはバランスボールが、視覚過敏の子にはサングラスが、特定に応じて許可されていました。契約社会ですからそのたびに、一つ一つ決定事項を書面にまとめ、親と学校が取り交わします。そういった記録の積み重ねは、進学のときにも親の許可があれば次の学校に送られるのでした。
 時間割はそれぞれの特性に応じてバラバラ。ずっと支援級にいる子もいるし、交流学級で大半の時間を過ごす子もいます。義務教育なのに、必要なら留年もあるのでした。五年たった今、留年を除いてはこれも今、日本ですでに実現していますが。
 そして一番効果的な療育方法が「早期介入」だと徹底されていること。日本よりもむしろ「社会に迷惑とならないように」という意識がコンセンサスを得やすく、だから「その家族」だけの問題とはみなされず、公的な予算も通りやすいところ。
「障害者は迷惑だという言説が差別」というよりも「障害者だからって迷惑な存在と放っておくのが差別」という感じでしょうか。ポジティブ・シンキングが国是とされているお国柄。どの子も「伸びる」ことを前提に話が進むのでした。

「自閉っ子と未来への希望」P131~
=====

そうなんです。
当時(今も一部で)「自閉症の特性が社会の迷惑にならないように」という療育目標を掲げる人が叩かれたりします。障害と迷惑行為をリンクする。それが差別だと。
でも「社会の迷惑にならないように療育に予算・人手を」って訴えたほうが、社会の理解は得やすい、っていう面もあるでしょうね。

当事者とその周辺「だけ」の問題であるより
社会の問題になったほうが、協力は得られるでしょ。

だから障害にまつわるポジティブな面もネガティブな面も
率直に話したほうが、結局トクなんじゃないかな、と私は考えてきたんだと思います。

少なくとも
セレブに関しては頼まれなくてももう死んでいても勝手に仲間認定しにいって
加害者になっちゃった人は切り捨てにしたり他の障害のせいにしたりって
「支援」じゃないと思うんです。

もちろん、ネガティブな面を隠すことには、何か意味があったんだと思います。
誰かを守っていたんだと思います。
でもその誰かが、自閉っ子本人達じゃないような気がするんだなあ。

小学生の留年

2012-02-23 09:00:00 | 日記
昨日、橋下大阪市長による小中学生の留年の話が出て思い出したこと。

そういえば「自閉っ子、深読みしなけりゃうまくいく」では
トニー君が小学校一年生で留年したこと採り上げたなあ、と。




トニー君が受けていた個別支援計画を取材させていただいて
「峻厳」という言葉が何度も思い浮かんだのだけれど

学校側にも、法に(よい意味で)縛られた
「どの子にも学力をきちんとつける」という義務感があっての特別支援教育なんですよね。

日本はその点あいまいでしょ。
そもそも普通学級でだって、学力が重視されていない感があるんですよ。
学力より友だち原理主義教えたり。

でも最低限の学力はあったほうがいいよね。
それに学校の本来の役割は、学力をつけるところのはず。

杉山先生は、小学校四年の学力があれば社会人生活は送れると書いていらっしゃった。

賢ママさんところのご次男は、小学校三年の学力が必須とされる入試をパスしたばかり。
お医者さんには「一生字が書けないでしょう」といわれていたそうですが。

18歳になったトニー君は、バンド活動でギャラをもらったりして充実した生活を送っているようだ。
この年になってみると、何年生かなんて関係ないと思う。

先日の高等養護学校の生徒さんたちが告知されない、という話もそうだけど

別に頭がいいことが絶対的な価値ではないので
障害があったり遅れたりすることが恥ずかしいという気持ちを「周囲が」捨てたら

その子にあわせた学力がつけられるんじゃないだろうか。

おばさん権

2012-02-22 06:10:44 | 日記
さて、先日の講演の直前になって
最後の心得として
私が主催者の方たちにお願いしたのは
ニキさんの「おばさん権」を担保してあげてくださいということだけでした。

だっておばさんだからね。私同様。
仕事をしているおばさん。
ただ障害があるだけの話。

ニキさんは前日近くのホテルに泊まり
チェックアウトの11時に迎えにきてもらう。
開演は13:30だから、私は11:45に最寄駅に着く電車に迎えに来てもらう。

という手はずだったんです。

これもね、一昔前だったら
ニキさんが知らない人と過ごす時間がないように、私は早めに行って一緒に迎えにいかせてもらったと思う。
今は、平気。

主催者の方には
「会った瞬間はこちんこちんに固まって体の大きさが半分くらいになっているかもしれませんが気がつかない振りをしてください。そのうち解けます。やたらセレブ扱いして大丈夫ですかとか声かけすると余計凍るので、普通のおばさん扱い、ただ過度にカジュアルではなく仕事でつきあうおばさん扱いしてあげてください」とお願いしました。

先日の先生方はそのあたり上手でしたが
実は先生っていう方たちって、これが苦手なことが多い。

やたらへりくだるか、子ども扱いして世話を焼くか、どっちかは得意なんだけど
おばさん権の担保と、社会人として対等だという距離感を両立できる人が少ないんですよね。どうしてだろ。
自閉っ子(含自閉おばさん)の多くが、親の会の講演のほうが気楽に振舞っている理由の一つがこれだと思います。

でもまあ、主催者の方も自然に振舞ってくださっていたし
ニキさんは平気でした。
私が行ったときには、控え室でリラックスしてました。

お互いのオタク話をしました。
私が稀勢の里の大関披露宴の写真見たい? と言ったら「見てあげてもいいよ」とふんぞり返って言う。
さっそく見せました。ていうか、見てもらった。だって見せたいもん。
考えてみたらニキさんは赤くててかっている人が苦手だった。もしかして、大仕事前に嫌悪刺激を見せてしまったかもしれません。
きせのんは発光体ですからね。お相撲の神様が平成の日本に送り込んだかぐや姫男版ですから(真顔)。

ニキさんは青白くてかさかさした人が好きで、今はなんかの芸事の名人の80歳くらいのおじいさんを追っかけているらしいです(←よく聞いてなかった)。
そういえばちゅん平もどっちかというと「じじい萌え」の人だったなあ。
でもちゅん平は、きせのんは男の子っぽくていいと言ってくれた! ニキさんには全然よさがわからないみたいですし、私の前でも遠慮なくそれを表明しますけど。

そんなお互いのオタク話を、お互いの空気を読まずにしゃべりちらかしていたら
やがてお弁当が運ばれてきたんですけど
これが豪華。

私は大食いですが
講演のときには朝いっぱい食べて直前はあまり食べないという作戦を取っているので、
全部食べられなくて残念でした。

小食なニキさんにはもちろん完食は無理でしたが

そこはちゃんとおばさん権を駆使して、タッパーにつめて帰ってましたよ。
私もタッパーがあればやりたかった。残念。残して申し訳ありませんでした。

まあお弁当タッパーに詰めて持って帰ったのだから
堂々とおばさん権を行使したと思います。

心配の向こうに見えたもの

2012-02-21 10:10:57 | 日記
さて、2月19日の日曜日、神奈川県立岩戸養護学校に行ってきました。
結構以前からお声がけいただいて
ニキさんを呼ぶ、ということが(関西在住なので)予算的にも、その他の面でも大事業で
とくに日にちが迫ってからは、どういう配慮をするといいか、質問がたくさん送られてきました。

私はその質問を見て
ニキさんの成長を実感しました。
講演活動を始めたころなら心配していたことも多い。
けれども社会に出て、場数を踏んで
こなせることのどれだけ多くなったことか。
事前の心配のどれだけ減ったことか。

逆に、こういう質問を送っていらっしゃる先生方、保護者の皆さんが
今リアルタイムで
高校生のASDの人たちに苦労をしているのだな、とそれが偲ばれました。
大丈夫です。
発達障害者は発達します。
でもそのためにはアセスメント、アセスメントに基づいた配慮、そしてアセスメントに基づいた修行が必要ですが。

事前にいただいていた質問を見て
1 身体
2 認知
3 社会参加
と三つの柱を立ててレジュメを作りました。

事前の質問には「自分のアセスメントと環境作り」みたいな内容が多かったのですが
講演会の本の売れ行きのよかったのは
認知・社会参加方面に関するものでした。
「俺ルール」「えっちらおっちら」「モンダイな想像力」あたりです。
講演の中でニキさんが繰り出す抱腹絶倒誤学習エピソードを聞いて
「自分の子どもも実は思わぬ俺ルールを抱えているかも」と思われた方が多かったのかもしれません。
たぶんあたっています。

本当に自閉っ子の一見問題に見える行動には
「話せば長い、浅いワケ」があるのです。
触法事件だって、その不幸な側面からの不幸なスピンオフ。
だから誤学習を防ぐことによって、減るはずです。

最後に私たちが送ったメッセージは、いつもと同じ。

「大人って楽しいよ」と教えてあげてください、とお願いして終わりました。
学校でも家庭でも、大人になることは怖いことなのだと、大変なことなのだと
吹き込まれてしまっている大人が多いから。

そのあと校長先生とお話しました。

校長先生も、列に並んで本を買ってくださいました。
長沼先生の本が売切れていて、残念だったとのこと。
でも校長先生に、そういうマインドがあると、ラクになるお子さんが増えるでしょうね。
長沼先生の本の魅力は、細かなアセスメント。
個に応じた教育の第一歩です。

そういえばニキさんは脳みそオタク仲間の長沼先生の本が結構気に入ってくれたらしく
「長沼先生がよくあんなわかりやすい本書けたね」というので
「私の実力よ」と言ったら「へーそうなの」と意外そうな顔でした。
ニキさんは編集者としての私の力量に気づいていないのかもしれません。
でもそれでいいのです。いつも言っているからね、ニキさんは。
「一番いい支援は、支援されていることに気づかない支援です」
これも皆さん、大きくうなずかれていましたね。

岩戸養護学校は、できてまだ二年目の学校だそうです。
発達障害は、知的障害のない・軽い方が多く
中には障害告知を受けないまま、入学してきた人たちも多いとか。
荒れます。当然のことでしょう。
それを先生たちが、ていねいにていねいに解きほぐして落ち着いてきたとのこと。

こういう話を聞くと、胸が痛くなります。
人権問題だと思います。
自分の障害なんです。
本人に教えてあげてください。教えられることもなく、修行の意味もわからず、高等養護に進学「させられる」生徒さんたちはかわいそうです。
障害があることは、恥ずかしいことではありません。
差別する人も、世の中にはいるでしょう。
でも差別しない人もいるのです。手立てだってあるのです。
そういう自分が生きやすい場所にたどりつくための努力さえ、告知なしには始められません。

その場には持っていかなかったけれども
「僕たちは発達しているよ」を校長先生におすすめしておきました。
告知の問題が載っています。岩永先生の、告知に関するご意見も参考になります。
きっちりと告知する方針の支援者を、私は信頼できます。

逆に、外に向かって「理解してください」と訴える活動には熱心でも
告知には消極的な人々を見ると
本当は心の中で障害者差別をしているのではないか? という疑問が湧いてきたりするんですけどね。

まあともかく

事前の準備、当日、皆さんとの交流を含めて
素晴らしい講演会でした。
お越しいただいた方々、お世話になった学校関係及び保護者の皆様
ありがとうございました。

どっちがウソ?

2012-02-20 04:41:42 | 日記
昨日は講演会に行き、しゃべって、お買い上げいただいた本にスタンプ押して、先生方とおしゃべりして、帰ってきました。
その件はまた後ほどアップします。運営側の方々も手際よく、ニキさんもノリノリで、短時間でしたが素晴らしい講演会でしたよ。

先日米欄で「自閉症にまつわるウソ」について書くとお約束しましたので
そっちのエントリを先に上げておきますね。

=====

「支援団体」の人たちは下記の二つの主張が好きです。

 自閉症と犯罪を結びつけるのは偏見。自閉症だからといって犯罪を犯しやすいわけではない。

こうやって、報道統制に走るわけですね。
「一般人の知る権利」は度外視して。
このへんは、昨日も会場でたくさんの方にお買い上げいただいたこの本にも書きました。



一方で、奈良の件に見られるように、こういう主張も盛んです。

B 自閉症者が加害行為を起こしても、健常者と同じように責任を問われるべきではない。

AとBって両立するようには思えないんですね、私には。

健常者と同じように責任を問われるべきではない。これはすなわち自閉症という障害と犯罪に関連があるということを暗に認めているわけで
だったらそこをリンクさせている論調があっても、それは「偏見」ではありませぬ。
でしょ?

つまり「A」か「B」、どっちかがウソなんだと思います。
あるいはどっちもウソか。
両方真実と考えるに足る整合性がありません。

どっちがウソだと皆さんは思いますか?
それともどっちもウソだと思いますか?

皆さんのお考えが知りたいです。

支援者は代理で懲役に行きません

2012-02-18 11:35:02 | 日記
先日もここにコメントくださったトニママさんが
奈良県自閉症協会の件について「悲しい」とメールをくださいました。
そしてこの問題を、アメリカの現状と合わせてブログに書いてくださったので
ぜひ皆さんごらんくださいませ。

日本では、アメリカなんかだと
自閉症者に理解があって、自閉症者おさわりし放題の自閉男子天国だと思っているかもしれないけど
アスペルガーの人が家庭内で問題を起こしただけで
身体拘束+薬漬け ゾンビのようになって帰されたりするそうです。
性犯罪の加害者への処遇を見てもわかるけど
社会防衛を優先させて個人の自由を制限するということにかけてはあちらのほうが厳格。
そして障害者でも、その対象になることは免れていないようですね。

あとここで面白いなあと思ったのは後見人制度の使い方かな。
これから整備されていく後見人制度。
なるほどなあ、こういう風に使うんだなあ、と思いましたよ。

山本譲司さんていらっしゃいますよね。
元衆議院議員で、秘書給与の問題で塀の中に入られて
「獄窓記」「累犯障害者」等の貴重な著作を書かれています。塀の中の障害者についてね。
この方の講演会を聞き、そのあと障害児の保護者や支援者の皆さんとランチ、という席で末席に連ならせていただいたことがあります。
講演会で印象に残っていたこと。

微罪を積み重ね、もうすぐ収監される障害者の青年。
その横で心配そうなお母さんが山本さんに、中の様子をあれこれ尋ねる。
でももうすぐ塀の中に入る青年のほうは、自分の身に今後何が起きるかわかっていなそう。
そういう青年でも、微罪でも積み重ねれば(ちょっとしたわいせつとか。もちろん性器露出も含む)
懲役に行く。

もちろんそのときの処遇への働きかけが無駄だとは思わない。
貴重な活動でしょう。
でも早期発見早期介入が可能となった今、
予防に励まずに事後の処遇だけ訴えるのは説得力ないのでは?

そしてね、保護者の皆さんによくわかっていただきたい。
いざというとき、懲役に行くのはお子さんです。
支援者は懲役に行きません。
保護者も懲役に行きません。
懲役に行くのはお子さんです。

トニママさんはむしろ、奈良県警のやり方がアメリカに比べて「手ぬるい」とお考えのようですね。
セクシュアルハラスメントなのだから、ちゃんと捜査して起訴すべきでは、と。
これはね、もしかしてセクハラに対する鈍さが日本社会にあるからかもしれません。
実は、ベムの息子の性器露出エピソードのときには、うちに電話もかかってきました。
過去に露出されて心に傷を負った方からね。本当にやめてほしい、と。
今回のことでも、うちに寄せられた声を聞いてわかるのは
日本の女性って、多少なりとも各種セクハラの被害にあっていて
それをわりと傷としているんだなあということ。

性器露出される被害
私もたしかに幼女のころあいました。
トラックの運転手にトラックの中から声をかけられて、そちらをむいたらしごいていた。
でも何がなんだかわからなかったから別に怖くなくて。道を聞かれたから答えておしまい。

それでも、何がなんだかわからないころ被害にあっていても、心に傷になっている人もいるんです。
そして今回、たまたま奈良県のケースで起訴されなかったのは
障害があるからではなく
被害者感情がそこまで大きくなかったというのがあると思います。
社会防衛上は、誓約書は取っておかなくてはいけない。
ただ相手はそれを保存しておくほど被害者感情が強くなかった。

そして、土下座。
たとえば私がYTに土下座されて、それでうれしいか?
そんなことないですね。土下座は私的な制裁に過ぎない。
公的に制裁してもらうほうを選びましたよ、被害者としての私は。

そしてどうしてトニママさんのおっしゃるように
支援団体がフェアに見られないか。

それは「福祉」の中で「支援」している人たちの人権意識が
バランスを欠いているからなんじゃないか、と私は考えはじめています。

そして偶然ですが、うちの著者になってくださった先生方を見ると
その点でのバランス感覚がいい方が多い。
やはり知らず知らずのうちに、そういう方の声を伝えたい、という気持ちが私の中にあったのだと思います。

それでも今回の出来事を見る限り
それがとても運のいいことだと思うようになりました。

たとえばTEACCH部で支援を受けてきた方たちなどは
TEACCHは権利擁護は積極的にするけれども
問題行動の予防にもきちんと取り組むとおっしゃる。
以前もここで書きましたけど
TEACCHのTはTreatmentのTですね。
そしてTEACCHは毎年、最新の脳科学の研究を取り入れているんでしょ?
時々TEACCHと脳科学が対立しているようなおばかな議論を見かけますが
そういう人はきっと、メジボフ先生の講演会とか行かずに
何年も前の型落ちした情報にしがみついているんじゃないかな。

もしTEACCHが「自閉症者に努力させてはいけません」だというのが日本での了解のされ方だとしたら

それは持ってくる人にバイアスがかかっているんでしょうね、きっと。

私は福祉の世界の人の人権意識の偏りって
ここにあると思います。

「障害者の人権擁護には熱心だが、健常者の人権は無視」

その典型みたいな出来事が、昨日FB内であって
私は「日本福祉大学」に今朝メールを送りました。

この大学は、福祉の世界では有名なのでしょうか?

そしてこの教授は?

わかりません。またもしかしたら大物相手にケンカをうっているのかもしれませんが
別にそれがどうよ、っていう感じだし
こういうことを支援者がやる限り
権利擁護活動って一般社会に相手にされないと、私は思っています。
だから書いておきます。

さあ、返事来るかな?

=====

日本福祉大学への問い合わせメール(HPのフォームから送りました)

私は自閉症関連の出版物を出版しております(株)花風社という会
社の代表取締役を務めております。貴校の教員を名乗る渡辺顕一郎
なる人物が他人の身体の一部を盗み撮りし、盗み撮りを公言し、フ
ェイスブックにアップしていたものがシェアされて私の目に触れる
ことになりました。私は自閉症者の人権擁護に関心がありますが、
一方で福祉にかかわる人々の赤の他人への人権意識の薄さにバラン
スの悪さを感じております。これでは福祉の増進にはつながらない
と感じております。今回の盗撮はわいせつなものかどうかは微妙な
ところではありますが、そもそも盗撮という法的に責任を問われか
ねない行為を教員が堂々とやっていることを放置するのか、学校と
しての見解をお聞きしたいと思いましてメールをしました。
会社のHPはhttp://www.kafusha.com です。
私のブログはhttp://blog.goo.ne.jp/tabby222 です。
ご見解をお聞かせください。



社会(みんな)の中で生きたい人は
支援者を慎重に選びましょう。
そういう人たちの本を出したいです、花風社は。


フェアプレイで行こう

2012-02-17 10:13:35 | 日記
昨日、読者の方からお問い合わせがあって
私たちがお願いした弁護士さんの連絡先をお教えしました。
詳しくはわかりませんが、私が受けた被害と似たような件を抱えていらっしゃるようです。
あとはご本人達と先生、双方で話し合えばいいだけのこと。

発達障害者による不法行為は
土下座とか、そういう私的な制裁にとどめず
どんどん公的に落とし前をつけていったほうがいいですね。
それが「共生社会」に寄与します。

「発達障害とメディア」の中に
わりと私の土地勘のある場所であった知的障害者による幼児突き落とし事件について自閉症児の保護者が書いていました。
むかむかむかむかしました。
どうしてここまで被害者不在でいられるのか。

そして地元できいてみると
やはり被害者への思いやりが欠けた対応をとったようですね。加害者とそのシンパは。

ぐぐってみたら、これが出てきました。

これはひどい。
障害者が偏見を持たれて当然です。
そして支援者が常識を疑われて当然です。

しかもこの書き手は、吉川徹と一緒に「ペアレントメンター」の活動かなんかしてるのね。

こういうペアレントが次世代をメンターして
自分の子が加害行為をしても、被害者に思いを馳せない保護者がどんどん生み出されていくのでしょうか?

皆さんは自閉症児の保護者かもしれない。
でも人の親でもあるでしょう。
だったら自分の子がいきなり線路に突き落とされて腎臓破裂の重症を負うことや
股間をさわっている知らないおじさんに声をかけられることの恐怖もおわかりになるのでは?

それを通報も「障害者に理解がない」って
いったいどうしてほしいのでしょう?
日本社会全体を、自閉男子の風俗にして、全女子に自閉症者様に触られてもいやがらない奉仕の精神を持てと?

そういう支援は実現しません。
社会正義と反しているから。

むしろ画伯の米欄にあったように

=====

私には、自閉症の人は小さな子供につきまとうことがあり、時には性犯罪と思われるような行動を普通にしてしまう障害なのかと思わざるえない気がしました。しかもそれを処理する警察にまで悪者扱い。正直、そんな障害なら一人で外出はさせるなと言いたい。犯罪を起こす障害で取り締まることも罰することが出来ない。本人も親もまともに謝罪できず被害者面。それなら世の中に野放しにされては困る。
自閉症の親たちは社会からそう思われても良いのだろうか。全ての自閉症の人が犯罪予備軍ではないのは知っている。でも教えられていない者は一人で歩かせるのはやめた方がいいと思う。犯罪を起こさないように教えるのは親の仕事だが、それが出来ないなら予防するのも親の仕事ではないだろうか。子供を守るとはそういうことだと思う。

=====

というご意見のほうがフェアだと思います。

ベムは自分の息子が人前で性器露出したエピソードをうれしそうにブログに書き
「おまわりさんにつかまるよ」と言った私を「自閉症に理解がない」と書いた。

私がこういうことを書くのは
きちんと性器を出していい場所とそうじゃない場所を教えている幾多の保護者と交流があるからです。

そして、男性にはわかりにくいことかもしれないけれど
幼女のころ無理やり見せられた被害にあった女性が
それを大人になっても引きずることもあると知っているからです。

それでも事件を起こしたら圧力団体に抗議してもらい、更生施設で更生させてもらい
親の仕事はそれをまたブログのネタにするだけ?

私はもっとフェアプレイをしたい。だから
触法障害者をばんばん訴えてどんどん前科一犯を作る活動をしようかと思いました。
それが死んだふりを目覚めさせるのなら。

今は、障害者の犯罪の被害者になったら、何度も何度もいやな思いをします。
当事者によって、保護者によって、支援者によって、圧力団体によって。
何度も何度も傷つけられます。

でもまだまだ私にはそういう力もない。

だからせめて、予防の本を作ります。
そっちが先です。

ベムに「性器露出」がいかに女性にどれだけおぞましいものか実感できていないように

私には「男の生理」というものが、肌身ではわかりません。

でもここをきちっと処理しないことが、問題行動を生むように思えてなりません。

だから、そういうことを教えてくれる支援者も確保しました。
犯罪予防にも寄与する共生社会実現のための本を作ります。

この本を作ったときも、そういう意図がありました。



でもそううたうことは遠慮していた。
まだまだ私は、この世界の一部の人たちが、これほど正義感に欠けた対応を恥ずかしげもなくするとは知らなかったので
「俺ルール」と犯罪との絡みを明言することは、遠慮したのです。

今度は遠慮しません。
堂々と作ります。
順調に進んでいます。
あまりに順調なので、きっと自閉の神様が
作れとおっしゃっているのだと思っています。

ニキさん効果

2012-02-16 08:43:50 | 日記
来週ニキさんと一緒に
「神奈川県立岩戸養護学校」にお邪魔しますので
昨日はそのレジュメを書いていましたよ。

事前に質問を送っていただいたんですけどね。

中にはニキさん的に答えられない、答えたくないものもありますけど(私生活に関する話とか)

答えられるものもいっぱいありますので
それを取り込んだかたちでレジュメを作りました。
そのほうがご要望に沿うことができるので
こういうの、いいですね。

さて
3月17日に広島でニキさんと講演します。
お申し込みはこちらへ
ここもご参加の方で、質問がおありの方は、どんどん主催者様のもとにメールしてください。
ニキさんは、アドリブはきついですが
事前にご質問があれば、レジュメの中にいれておくことは可能です。

主催者様のメアドは
job-discoveryあっとinfoseek.jp

あっとを@に変えてご質問を送ってくださいませ。

このお知らせは、しばらくトップにあげておきますね。
私としては、通過しかしたことのない広島は初めての土地です。

ニキさんのお話を聞く効果というのはね
「自閉っ子に腹が立たなくなる」っていうことが大きいと思います。

「話せば長い、浅いワケ」を教えてくれますのでね。
そうすると、向き合う元気が出てくるでしょ。

と、講演会モードで仕事していたら、グッドタイミングなことに
去年帯広で行った講演(こっちは単独)の文字起こしが送られてきました。

「障害児の未来は、消化試合ではない」

いいこと言っているなあ、私。

この内容、きちんと文章にして
電子書籍化したいくらいです。


締めでお話させていただいた気持ちは今も同じです。

「大人になるのは楽しいよ」
そう子ども達に教えてあげてください。
それが講演の最後の最後にした
先生たちへの、私のお願いでした。

来週も横須賀で
そのお話をしてこようと思います。

十勝では、その後花風社の本をそろえてくださる学校が増えたとのこと。
ありがたいことです。