さて、今年最後のエントリです。たぶん。
本当に今年もお世話になりました。
先日こういうついーとをいただいてうれしかった。
=====
バランスの悪さで昨冬まで雪かき戦力外だった長男、今冬は素晴らしい! 花風社さんの本と浅見社長の情報発信を元に、半年で体のバランスがものすごく改善しました。発達障がいは発達します。ありがとうございます。嬉しいです。
長男も自分の体の変化をすごく喜んでいます北海道に生きていて雪かきの出来ない男はつらい。本人も自分が役に立ったという点との二つの喜びで今、私と一緒にハイテンションです(笑)。
=====
そうそう、北海道出身の読者の方から
雪かきって本当に大変、大地君はすごい、っていうメールもいただきました。
きっと今もビジネスチャンスを迎えているんでしょうね。
昨日になって
体作りが学習方面に生きてきた例のご報告もありました。
そう。
体からのアプローチって、何より本人がラクになるんです。
本人本位の支援なんです。
猿烏賊たちには信じられないみたいですけど。
さて、私も親として(?)喜んでいる一人。
先日お相撲マガジンに載った英文記事の自分翻訳で
今年の締め&来年の希望表明にしたいと思います。
皆さん、本当にありがとうございました!
よいお年をお迎えください!
=====
稀勢の里 日出る国の息子
大関昇進を祝して、相撲の雑誌の増刊号が出た。
今までこの栄誉に浴したのはあの偉大な横綱貴乃花だけであり、もちろんほんの二ヶ月前、琴奨菊が大関昇進を決めたときにはなかったことだった。
しかしながら、これは相撲ファンにとっては当たり前のこと。相撲を愛する私たちが望んでいるのは日本人横綱ではなく、横綱稀勢の里の誕生なのだから。
なぜ稀勢の里はこれほど、私たちにとって特別なのだろうか?
このオンラインマガジンの編集者が最近記事に書いたように、相撲は日本の縮図と言っていい。
そして、琴奨菊が九州という地方限定のヒーローであるのに対し、稀勢の里は日本中で人気がある。
稀勢の里はまさに、日本を象徴している。日本人が大事に育んできた伝統と未来への希望、それをつなぐ存在なのだ。
稀勢の里は琴奨菊のように、勝利を手にしても満面の笑みなど浮かべない。
これは、武士道の精神を表してる、と私たちの目には映る。
勝者というものは、敗者への配慮があって然るべきであり、喜びをあからさまにすることは礼を欠いている。少なくとも、覇者の取るべき態度ではない。
二番手に過ぎないのなら、喜びを表すのもたまにはいいだろう。でも、最高の地位を得るものはそれではいけない。こう信じる私たちにとって、稀勢の里は若いころから風格を感じさせる力士であった。
風格、体格、技術、そしてもちろんあの真っ向勝負の精神を見て、私たちは稀勢の里が「いずれ」横綱になるだろうと信じ続けてきた。
そう、「いずれ」。その日のなんと遠かったことか。そして待つ間の、なんと辛かったことか。
二ヶ月ごとに胃の痛む十五日間を過ごし、がっかりする結果に終わることもあまりに多かった。永世小結の時代が続き、ようやく関脇になったら次の場所で十敗。私たちは怒り、インターネットという本人に真正面から立ち向かわない空間で彼のことを叱り、「バカ息子」呼ばわりしたものである。
バカ息子とは文字通りバカな息子という意味だ。ただしこの日本語には、若干の愛情がこめられているのだが。
そう。稀勢の里は私たち日本人相撲ファンにとって息子であった。男性も女性も、年上でも年下でも、まるで自分の息子のことのように、負けたら怒り、勝ったら心底喜んだ。
私たちが、絶対にあきらめなかったのは、息子だったからだ。星が上がらない日々が続いても希望を捨てなかったのは、息子だったからだ。自分の息子を見限る者などどこにもいないのだから。
「日本の息子」である稀勢の里は、それに相応しい長所と短所を持っている。
見るからに栄養たっぷりの顔色で(近くで見るとその輝きにびっくりする)、でも脆弱。過去から学ばず、謙虚で、よく鍛錬されていることを感じさせる反面、土俵では空回りも多い。馬力があるのに、馬力をうまく活かすすべを知らない。相撲の神様に愛されながら、それには気づいていない。とにかく、わざとらしいところの一つもない力士である。
もちろん入門当初からずっと、大志を抱き続けてはきただろう。けれども稀勢の里はこれまで、モンゴル人力士達や琴奨菊のように、それをあからさまに見せる力士ではなかった。
ただ、最近、それが変わってきているようだ。師匠の急逝のあと、亡き師匠と同じ最高位に上るとはっきり口にするようになった。口数が多くない力士のこの変化に、私たちは喜んでいる。
そう。私たちは喜んでいる。今年この国では、あまりに多くの人々がなくなり、苦しみに遭った。
けれどもこの大災害の年の終わりに、新たな希望が、新たな大関が、新たな時代が生まれた。
私たち相撲ファンの愛する息子稀勢の里が、頂点へと駆け上がろうとしている新しい時代が。
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初場所見たいから帰りますね。
本当に今年もお世話になりました。
先日こういうついーとをいただいてうれしかった。
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バランスの悪さで昨冬まで雪かき戦力外だった長男、今冬は素晴らしい! 花風社さんの本と浅見社長の情報発信を元に、半年で体のバランスがものすごく改善しました。発達障がいは発達します。ありがとうございます。嬉しいです。
長男も自分の体の変化をすごく喜んでいます北海道に生きていて雪かきの出来ない男はつらい。本人も自分が役に立ったという点との二つの喜びで今、私と一緒にハイテンションです(笑)。
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そうそう、北海道出身の読者の方から
雪かきって本当に大変、大地君はすごい、っていうメールもいただきました。
きっと今もビジネスチャンスを迎えているんでしょうね。
昨日になって
体作りが学習方面に生きてきた例のご報告もありました。
そう。
体からのアプローチって、何より本人がラクになるんです。
本人本位の支援なんです。
猿烏賊たちには信じられないみたいですけど。
さて、私も親として(?)喜んでいる一人。
先日お相撲マガジンに載った英文記事の自分翻訳で
今年の締め&来年の希望表明にしたいと思います。
皆さん、本当にありがとうございました!
よいお年をお迎えください!
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稀勢の里 日出る国の息子
大関昇進を祝して、相撲の雑誌の増刊号が出た。
今までこの栄誉に浴したのはあの偉大な横綱貴乃花だけであり、もちろんほんの二ヶ月前、琴奨菊が大関昇進を決めたときにはなかったことだった。
しかしながら、これは相撲ファンにとっては当たり前のこと。相撲を愛する私たちが望んでいるのは日本人横綱ではなく、横綱稀勢の里の誕生なのだから。
なぜ稀勢の里はこれほど、私たちにとって特別なのだろうか?
このオンラインマガジンの編集者が最近記事に書いたように、相撲は日本の縮図と言っていい。
そして、琴奨菊が九州という地方限定のヒーローであるのに対し、稀勢の里は日本中で人気がある。
稀勢の里はまさに、日本を象徴している。日本人が大事に育んできた伝統と未来への希望、それをつなぐ存在なのだ。
稀勢の里は琴奨菊のように、勝利を手にしても満面の笑みなど浮かべない。
これは、武士道の精神を表してる、と私たちの目には映る。
勝者というものは、敗者への配慮があって然るべきであり、喜びをあからさまにすることは礼を欠いている。少なくとも、覇者の取るべき態度ではない。
二番手に過ぎないのなら、喜びを表すのもたまにはいいだろう。でも、最高の地位を得るものはそれではいけない。こう信じる私たちにとって、稀勢の里は若いころから風格を感じさせる力士であった。
風格、体格、技術、そしてもちろんあの真っ向勝負の精神を見て、私たちは稀勢の里が「いずれ」横綱になるだろうと信じ続けてきた。
そう、「いずれ」。その日のなんと遠かったことか。そして待つ間の、なんと辛かったことか。
二ヶ月ごとに胃の痛む十五日間を過ごし、がっかりする結果に終わることもあまりに多かった。永世小結の時代が続き、ようやく関脇になったら次の場所で十敗。私たちは怒り、インターネットという本人に真正面から立ち向かわない空間で彼のことを叱り、「バカ息子」呼ばわりしたものである。
バカ息子とは文字通りバカな息子という意味だ。ただしこの日本語には、若干の愛情がこめられているのだが。
そう。稀勢の里は私たち日本人相撲ファンにとって息子であった。男性も女性も、年上でも年下でも、まるで自分の息子のことのように、負けたら怒り、勝ったら心底喜んだ。
私たちが、絶対にあきらめなかったのは、息子だったからだ。星が上がらない日々が続いても希望を捨てなかったのは、息子だったからだ。自分の息子を見限る者などどこにもいないのだから。
「日本の息子」である稀勢の里は、それに相応しい長所と短所を持っている。
見るからに栄養たっぷりの顔色で(近くで見るとその輝きにびっくりする)、でも脆弱。過去から学ばず、謙虚で、よく鍛錬されていることを感じさせる反面、土俵では空回りも多い。馬力があるのに、馬力をうまく活かすすべを知らない。相撲の神様に愛されながら、それには気づいていない。とにかく、わざとらしいところの一つもない力士である。
もちろん入門当初からずっと、大志を抱き続けてはきただろう。けれども稀勢の里はこれまで、モンゴル人力士達や琴奨菊のように、それをあからさまに見せる力士ではなかった。
ただ、最近、それが変わってきているようだ。師匠の急逝のあと、亡き師匠と同じ最高位に上るとはっきり口にするようになった。口数が多くない力士のこの変化に、私たちは喜んでいる。
そう。私たちは喜んでいる。今年この国では、あまりに多くの人々がなくなり、苦しみに遭った。
けれどもこの大災害の年の終わりに、新たな希望が、新たな大関が、新たな時代が生まれた。
私たち相撲ファンの愛する息子稀勢の里が、頂点へと駆け上がろうとしている新しい時代が。
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初場所見たいから帰りますね。